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「伊勢音頭」の十人斬りを考える〜四代目梅玉襲名の「伊勢音頭」

平成4年4月歌舞伎座:「伊勢音頭恋寝刃〜油屋」

四代目中村梅玉(八代目中村福助改め)(福岡貢)、七代目尾上梅幸(お紺)、二代目中村吉右衛門(喜助)、五代目中村富十郎(お鹿)、三代目中村鴈治郎(四代目坂田藤十郎)(万次郎)、六代目中村歌右衛門(万野)

(四代目中村梅玉襲名披露)


1)貢の十人斬りの民俗学的解釈

寛政8年(1796)5月4日の夜、宇治浦田の町医者孫福斎(まごふくいつき)は、伊勢古市の遊郭油屋でなじみの遊女お紺と酒を飲んでいましたが、お紺が他の座敷に呼ばれて中座したまま、なかなか戻ってこないことに腹を立てたらしくて、刀を振り回して、即死者2名、負傷者7名の、9人斬りの大事件を引き起こしました。斎はいったん油屋から逃れましたが、10日後に自刃しました。この事件は参詣客を通じてまたたく間に全国に知れ渡り、事件から54日後に大坂角の芝居で近松徳三の脚本により初演されたのが、有名な「伊勢音頭恋寝刃」です。芝居は設定を医者から伊勢御師(おんし・おし)に置き換えて、急拵えながら伊勢音頭、大々神楽、二見ヶ浦など伊勢の風景や名物を巧みに配置して人気狂言となりました。

史実での斎は9名殺傷ということですが、ずいぶん大それたことを仕出かしたものですねえ。しかも、本来清浄であらねばならぬ伊勢神宮のお膝元・外宮と内宮を繋ぐ参宮街道(神域の一部だと考えてよい)の古市での惨劇ですから、世間の衝撃は大きかったでしょう。一体、斎はどんな理由でこうした犯行に及んだのか。なじみの遊女が中座して戻ってこないくらいで、こんなに怒るものでしょうか。もうちょっと伏線がありそうにも思われる。これだけのことを仕出かすからには、その怒りもそれに足る、やむにやまれぬ理由があったに違いない、そんなことを想像したくなります。

しかし、盛り場でのこうしたトラブルの原因はたいてい詰まらないことが多いようです。そんな程度のことでも大騒動がしばしば起こるのです。だから周囲があれこれ想像することと、事実とはギャップが相当ありそうです。伊勢古市での斎の凶行の噂は瞬く間に各地に広がりましたが、どうせ興味半分の風聞ばかりです。どうして斎はそんなに怒ったのか、本当の理由は誰も分かりません。しかし、斎が何かに怒ってとんでもない凶行をやらかしたことは確かです。大事なことは、「斎は何かにとても怒ったのだが、そこまで怒るまっとうな理由が見つからない」ということです。このことが風聞を耳にした人々を何となく不安に陥れます。何だかモヤモヤ嫌な気分になるのです。斎はこんなことで怒ったというところの本当のところが分かれば、なーんだそんな下らぬ理由で怒ったのか、馬鹿な奴だなあ・・で終わってしまうはずなのに、腑に落ちないから嫌な気分になるのです。

もう一度確認しておくと、「斎は何かにとても怒ったらしいが、そこまで怒るまっとうな理由が見つからない(きっと何かが他にあるはずだ)」というところが、大事なのです。それだからあれこれ無責任なことを書きたてる三面記事が世間の興味を引くのです。際物(きわもの)と呼ばれる三面記事的な急拵えの芝居は、そういうことで出来るわけです。それにしても事件からわずか54日でこれだけの芝居を作りあげてしまうのは、興味本位とはいえ大したものですね。

もうひとつ大事なことがあります。「何だか分からないが、兎に角コイツは怒っている」ということは、人々に「荒ぶる神(怒れる神)」を想起させるということです。歌舞伎の荒事に出て来る主人公たち(御霊)はみんな、政治だかこの世の中だかに強く怒っているのです。これは例えば「忠臣蔵」においても同じようなもので、「忠臣蔵」があれほど民衆に人気があるのも、江戸城松の廊下での刃傷を起こした史実の浅野内匠頭の怒りの原因が何だか全然分からないところにあります。「この間の遺恨覚えたるか」って、一体何なんだ。誰にも分からない。突然怒り出して刀を振り回した内匠頭は、これだけで十分衝撃的ですが、だからこれは単純な荒ぶる神だと云えます。(別稿「イライラした気分」をご参照ください。)一方、主人の無念を引き継いだ大石内蔵助の場合は、もっと複雑な形態を取ります。内蔵助は、本心を自らの胸に秘めて、仲間にさえそれを明かさず遊廓で飲み浮かれます。(史実の内蔵助が遊んだのは祇園ではなくて、伏見撞木町でした。)周囲の人々には内蔵助の考えていることが全然分かりません。これが周囲を不安に陥れます。内蔵助とは、怒りの震動を発散して周囲を畏怖させる、もっともっと複雑な、それゆえあまりに近世的な(江戸と云う新しい時代の)荒ぶる神なのです。(別稿「七段目の虚と実」をご参照ください。)

古市遊廓での斎の凶行もまた、荒ぶる神の荒れを連想させるところがあります。ましてやこれは清浄であらねばならぬ伊勢神宮のお膝元での凶行です。斎が怒った本当の理由はよく分かりません。なじみの遊女が中座して戻ってこないくらいで、まともな人間がそんなに大それたことを仕出かすとはとても思えない。なにか他に理由があるはずだ、それを斎は語らないのだと、第三者はどうしても考えたくなります。ここに「伊勢音頭」の福岡貢の十人斬りのドラマツルギーを考えるヒントがあります。だから芝居での貢の十人斬りと云うのは、世話物における荒事荒れみたいなものだと考えれば良いのです。ここで貢が万野たち周囲から嬲られてもなかなか怒らず、態度を曖昧にしていることが大事になって来ます。貢の態度がはっきりしない。貢の考えていることが、観客に分からない、ここがポイントです。「おい貢よ、何で怒らへんねん、はっきりせんかい」と観客はジリジリして来ます。堪忍袋の緒がプツンと切れて、貢が刀を振り回し始めた時、観客の心に何かが届きます。これを貢の十人斬りの民俗学的解釈とでもしておきましょうか。(この稿つづく)

(H29・12・9)


2)この状況の理不尽さ

別稿「ピントコナ考」のなかで、折口信夫のピントコナ・馬鹿むこ説について考えました。上方和事ではシリアスな要素と背中合わせの形で滑稽味や諧謔味が出ます。同じように「どっちつかずで優柔不断、何を考えているか態度がはっきりしない」、この点が上方和事の系譜としてピントコナを考える場合の重要なポイントになります。

「伊勢音頭」は縁切りから殺しへ発展する作劇の筋立てが、並木五瓶の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ」(寛政7年1月江戸・都座初演)から影響を受けていると云われます。その指摘は正しいと思いますが、しかし、「五大力」ならば源五衛門の怒りのプロセスをストレートに持って行っても良いでしょうが、「伊勢音頭」はあくまで上方狂言ですから、福岡貢で同じことをしたら、ピントコナにならないのです。貢を類型的な辛抱立役だと考えるのでは、間違えます。それが証拠に鏑木清方の回想(明治34年7月歌舞伎座)に拠れば、貢を当たり役とした五代目菊五郎は、「身不肖なれども福岡貢、女をだまして金取るような所存はない、何を、バ、馬鹿な・・」という台詞の後、煙草盆を取って煙草に火を付ける場面で菊五郎はなお笑みを含んでいたそうです。菊五郎はちゃんとそこの違いを意識して貢を演じたに違いないのです。これでこそピントコナです。そんな貢が最後の最後に優柔不断な態度をかなぐり捨てて、殺し場で「今俺は猛烈に怒っているんだゾウ」となるから、ジリジリしていた観客の気分が一気に開放される。「伊勢音頭」の十人斬りはそのような仕掛けになっているのです。

前節で「貢が考えていることが観客に分からない」ということに民俗学的意味があると書きましたが、江戸期のかぶき的心情ということを考えれば、ここにもうひとつ新しい意味を付け加えて良いと思います。油屋で貢に降りかかって来ることは、当の本人にとってまったく心外なことばかりです。ただでさえ主人筋である万次郎のことと、青江下坂の折紙(鑑定書)の詮議が気に掛っているところに、仲居の万野の意地悪な態度が貢の神経を逆撫でします。気分が良くないところにお鹿が出てきて、貢から無心をされて金を用立てしたと、身に覚えのないことを言い出します。貢にとって不愉快極まりない話なのですが、さらにやっと逢えたと思ったら、お紺の態度が嫌にそっけない。貢からしてみると、「どうして俺がこんな仕打ちを受けねばならないんだ、いったい俺が何をしたと云うのだ」ということばかり次々と起きるのです。それでも愛するお紺の手前もあるし、周囲の目もあるし、何より自分は伊勢御師(神社の参拝・宿泊の世話をする人)なのですから、貢はここ古市の遊郭でトラブルを起こすわけに行かない身なのです。そんなことをしたら貢はこの地で御師の仕事ができなくなります。だから貢はイライラしても愛想笑いして、何とか誤魔化そうとします。しかし、お紺から予想外の縁切りをされてしまうと、貢はもう感情を隠せなくなってしまいます。さらにやっと手に入れた青江下坂をすり替えられるに至って(と貢は思い込んでいる)、貢は何が何だか分からなくなって、遂にブチ切れてしまいます。

貢がここで怒るのは、「俺がこんな仕打ちを受けねばならぬ理由はない、こんな理不尽な話はない」という強い憤りから来ています。そこに理屈などまったく ありません。貢はこの状況の理不尽さにひたすら怒っています。「この状況の理不尽さ」ということは、人間生きていれば、そういうことを強く感じる場面は何度となくあるものなのです。そこが観客の心に何かのメッセージを届けます。貢は「俺は猛烈に怒っているんだゾウ」と叫びながら、ただ刀を振り回しているだけです。そこが荒ぶる神の荒れを想起させます。(この稿つづく)

(H29・12・13)


3) 歌右衛門の万野、梅幸のお紺

前述の通り「伊勢音頭」は急拵えの芝居で、油屋の場も類型的な縁切り・殺しの踏襲に過ぎませんから、細かいところでいろいろ矛盾が出て来ます。そこが戯曲としては弱いところなのですが、例えば仲居万野ですけれど、ネチネチと回りくどく、貢にまつわりついて盛んに厭なことをします。が、かと云って貢にはっきり敵意を見せるわけでもない。後から見れば阿波の客に頼まれてお紺と別れさせようという意図でやったと分かりますが、芝居を見ている最中には、万野がどういう意図でそんなに貢を虐めるのか、サディスティックなお楽しみでやっているのか、それともホントに心底貢が嫌いなのか、観客には意図がよく分かりません。観客はなんだかモヤモヤした気分にさせられます。しかし、観客に分からないならば、虐められている当の貢には状況がもっと分からないのです。そんなところから「俺がこんな仕打ちを受けねばならぬ理由はない、こんな理不尽な話はない」という貢の気分を、観客も共有することになるわけなのです。

だから
が遂に切れて怒り出すまでの、虐められて耐えに耐え抜くプロセスが、暑苦しく拭っても拭っても暑さがまつわりつく日本の夏にどこか似て来るのです。万野の意図を心理主義的に考えるよりも、そう云う暑苦しい不快な状況を作り出すのが万野の役割であると単純に割り切った方が、戯曲としての弱さをカバーできるわけです。「伊勢音頭」が夏狂言である所以がそこにあるからです。最近の「伊勢音頭」の舞台を見ると、最初に登場した時から憎々しげに貢を睨みつけて悪意丸出しの万野役者が多いようです。これだと貢を怒らせようとする意図が透けて見え来るようで、確かに観客には分かりやすいかも知れませんが、虐めのプロセスがストレートに過ぎてあまり面白くありません。

本稿で取り上げる映像は平成4年(1992)4月歌舞伎座でのものですが、ここでの六代目歌右衛門が演じる万野を見れば、このことがよく分かります。歌右衛門の万野は、虐めを楽しんでいるかのように、やんわりねっとり貢を弄ります。プーンと羽音を響きせてまとわりつく蚊のような厭らしさです。目的(貢を怒らせる)が大事なのではなく、この場面で大事なのは虐めのプロセスだということが分かれば、万野の演技が大きく変わって来ます。万野のような悪役を演るのは歌右衛門には珍しいことですが、歌右衛門が遣り甲斐を感じる要素を万野という役は持っていると云うことなのです。

平成4年4月歌舞伎座での「伊勢音頭」の映像は四代目梅玉襲名披露の舞台で、錚々たる役者が脇を固めているだけに、なかなか見応えがします。四代目梅玉はこの時の貢が初役であったと思います。正直この時の梅玉の貢にはまだまだ堅い感じがあって、この貢は「万呼べ、万呼べ・・」の辺りで既に切れていて、江戸狂言の辛抱立役の範疇に留まっているようです。こういうところを柔らかい感じでいなすのには年季が要ることですが、貢は梅玉の仁の役ですから、そこが出来れば梅玉の貢は立派なピントコナになります。現在の梅玉ならば、だいぶ印象が違った貢に出来るだろうと思います。

その他の役では七代目梅幸のお紺が印象に残ります。目立ったことをするわけでもないのに、お紺という女の実(まこと)が浮かび上がって来ます。別稿「縁切り物のドラマツルギー」でも触れましたが、縁切り場の男と女というのはつねに相思相愛であり、女は或る事情において男に愛想尽かしをせざるを得ない状況に追い込まれているというのがお約束です。つまり男に対する申し訳のなさと、愛する男に殺される覚悟が女にあるのです。だからこのパターンに沿えば、最後にお紺は貢に殺されることになるのが芝居本来の流れです。「伊勢音頭」の数ある類本には貢にお紺が殺されるヴァージョンもあるそうですが、縁切り場の流れとしては確かにその方が自然です。「伊勢音頭」でのお紺は、貢を理不尽さへの怒りへ導く役割の一端を担わされていますが、梅幸のお紺は不思議と嫌な感じがありません。それは歌舞伎の縁切り場が持つ意味が梅幸の身体のなかにしっかり入っているからです。実説の九人斬りでもお紺は助かったわけですが、古市遊廓での遊女の清浄なイメージを体現するのが、お紺です。芝居が終わって観客に「ああお紺が殺されなくて良かったなあ」と思われるようにお紺を演じること、これはとても大事なことであると思います。

*写真館「伊勢古市と「伊勢音頭」」もご覧ください。

(H29・12・17)




  
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