(TOP)         (戻る)

縁切り物のドラマツルギー

平成24年12月新橋演舞場:「籠釣瓶花街酔醒」

七代目尾上菊五郎(佐野次郎左衛門)、五代目尾上菊之助(花魁八つ橋)


1)これには深いわけある事

「籠釣瓶花街酔醒」は三代目河竹新七の作で・明治21年(1888)東京千歳座(後の明治座)で初代左団次の次郎左衛門・五代目歌右衛門の八つ橋で初演されました。佐野次郎左衛門という男が江戸吉原の八つ橋という女を嫉妬の末に殺害したという事件は享保年間にあった事件として文献に残っています。事件の詳細は分かっていません。「花の吉原百人斬り」ということも云われますが、どうもそんなに多く殺めたわけではなさそうです。この事件を脚色した歌舞伎の最初のものとしては初代並木五瓶作の「青楼詞合鏡(さとことばあわせかがみ)」(寛政9年・1797・江戸桐座)があり、また四代目鶴屋南北作の「杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)」(文化12年・1815・江戸河原崎座)は今でもたまに上演されます。

ところで歌舞伎の作品解析の場合、作品の趣向・あるいは役柄を大きくパターンで分類して・まず大まかな性格を決めて、そこから細部を彫り込んでいくことが有効な場合が多いようです。例えば七段目の大星由良助の茶屋場遊びを「やつし」の観点から読んでいくようなことです。「やつし」の揺れる気分は、「忠臣蔵」物のどれにも適用されるものです。もちろん「東海道四谷怪談」にも・真山青果の「元禄忠臣蔵」にも適用できることです。(だから「元禄忠臣蔵」は新劇ではなくて・新歌舞伎なのです。「誠から出た・みんな嘘」、「軽やかな伊右衛門」、「内蔵助の初一念とは何か」などをご参照ください。)作品のオリジナリティを読み込んで行くのは、その次の段階の作業になります。

本稿では「籠釣瓶」の縁切り場について考えます。「籠釣瓶」の粗筋は、「あばた顔だが気前が良い田舎者の次郎左衛門は吉原の八つ橋の元に通いつめ、ついには身請け話も出始めるが、実は八つ橋には栄之丞という情夫がおり、怒った繁之丞が八つ橋に縁切りを迫り、満座のなかで愛想づかしをされた次郎左衛門はこれを恨んで四ヵ月後に再び吉原を訪れて妖刀籠釣瓶で八つ橋を斬った」と、そういうことです。

縁切り場とはいつの時代にもある男と女の行き違い。周囲から身請けを押し付けられそうになった八つ橋が「私はこっちの人(栄之丞)が好きなのよォ」と拒否する、次郎左衛門は勝手に女郎にのぼせ上がったばかりに恥をかく、だから、縁切り場は男のプライドと女の本音のぶつかり合い、そういうものでしょうか。まあそういう読み方もあるかもしれません。しかし、ちょっと歌舞伎の縁切り場のパターンということも考えてみた方がよろしいのではありませんか。それと歌舞伎の場合は、主役・あるいは準主役の人気役者は、どんな悪いことをしても・最後は観客に同情されなければならぬ、決して不快な印象で終わってはならぬということもお約束です。このことも考慮しておくべきことです。

「籠釣瓶花街酔醒・大詰・立花屋二階」において、次郎左衛門が「身請けをしよう、なろうという、相談までもまとまって、我が花とせんその際に、手折りし主の栄之丞ゆえ、満座のなかで悪口され、恩を仇にて次郎左衛門へ、ようも恥辱を与えたな」と言うと、八つ橋は、

「そのお立腹は御尤もながら、これには深いわけある事。お気を鎮めてくださりませ。」

と言います。これが現行上演本の台詞です。(注:脚本によっては若干の異同があるようです。)

ここは吉之助にはとても気になる箇所です。八つ橋が言う「これには深いわけある事」のことです。これは間夫の栄之丞のことを指しているのでしょうか。確かにひと言で済ませるならば「栄之丞ゆえ」です。しかし、もし「深いわけ」が「栄之丞が好きだから縁切りをする」ということならば、次郎左衛門は「手折りし主の栄之丞ゆえ、満座のなかで悪口され・・」と怒っているくらいですから、八つ橋がその「深いわけ」を説明したところで、次郎左衛門の怒りに油を注ぐだけで・気を鎮めるどころでないはずです。次郎左衛門の気を鎮めるためには、八つ橋は別のことを言わねばならないはずです。次郎左衛門が気を鎮めて「分った、なるほどそなた(八つ橋)の本心はそうだったのだな」と納得する理由が、「深いわけ」であるはずです。八つ橋はそのことを言う前に次郎左衛門に斬られてしまったと思います。縁切り場においても、八つ橋は「深いわけ」と云うことを言っています。八つ橋は、

「これには、深い、イヤサ深い訳も何もないこと。只あなたが嫌だから、それでお断り申しますのさ」

と言います。その後、次郎左衛門が栄之丞の姿を見て「さてはお前の間夫であったか」と問い詰められて、「ハイわたしの間夫でござんすわいなあ」と開き直るので、確かに「深いわけ」が栄之丞のことを指すようにも聞こえます。しかし、八つ橋は「深い・・・」と言いかけて止め、これを誤魔化しているのです。どうも吉之助には腑に落ちませぬ。と云うのは、それまでの八つ橋の態度は身請け話を受けるつもりがあるように見えた・次郎左衛門はもとより廓の者たちもみなそのように思っていたからです。栄之丞の存在を廓の者たちはみな知っており、それでもなお周囲の者たちは八つ橋が身請け話を承知であると信じていたのです。「身請けは嫌だと言い出せないうちにズルズル来てしまった」という八つ橋の言い訳は彼女の本心を言い尽くしているとは到底思えません。やはり八つ橋には言いたくて言えなかったことが何かあるのです。

他にも気になる箇所はたくさんあります。栄之丞浪宅での八つ橋は、権八に「佐野の客を断って、きれいに愛想を尽かしたら、それで疑い晴らしてやろう」と責められて、「スリャこれまで贔屓になったお客にみすみす愛想尽かしをば・・・」と泣き伏しています。しかし、ホントに「私はこっちの人(栄之丞)が好きで次郎左衛門に身請けされるのは嫌だ」と云うのが八つ橋の本心ならば、ここで八つ橋は「あなたがそれほど言うのなら、次郎左衛門と手を切って今後会わないから、それで良ござんしょ」と開き直れば良いはずです。八つ橋が栄之丞を喰わせる銭を稼ぐため我慢して嫌な客を取っていたということならば、当然そうなります。ならば縁切り場での八つ橋は、次郎左衛門に同情を感じるはずがないですから、何の未練もなく縁切りをして、「ホラ栄之丞さん、わたしがやればこんなものさ」とサラリと言えば良いのです。

ところが「籠釣瓶」縁切り場での八つ橋を見れば、どうやら八つ橋は次郎左衛門に対する申し訳なさで一杯のようです。どうして八つ橋は「わたしゃつくづくいやになりんした。・・・九重さん、堪忍して下んせ」と言わねばならないのでしょうか。やはり八つ橋は身請け話を受けるつもりがあった。話を権八や栄之丞に内密で進めて身請けが決まった後に明るみに出す・どうしようもない状況にしておいてそれで権八や栄之丞とは縁を切るということを八つ橋は考えていたとしか、吉之助には思えないのです。次郎左衛門は顔にあばたがあって醜い田舎者ですが、人柄は良いし・何より金があります。惚れているというほどではなくても・一緒になってもまあ良いかという程度の好意は持っていたと考えられます。とすれば「これには深いわけある事」はどういうことなのか。

吉之助が考えることは、こういうことです。栄之丞と云うのは、見かけは良い男かも知れないが、所詮は女郎に取り付いた寄生虫であって、仕事も何もしない・ 他人を食いものにするだけの・どうしようもない人間の屑なのです。「間夫がいなけりゃ女郎は闇」などと云いますが、間夫と女郎の関係は清らかな恋愛関係などではありません。間夫というのは爛れきった愛欲の世界の憂さ晴らしに過ぎません。「助六」など見るとそういう風に見えないかも知れませんが、助六と揚巻の関係も裏から見ればそんなものなのです。闇に咲く毒花とそれに巣食う毒虫の関係です。栄之丞の存在を廓の者たちは誰もが知っています。しかし、誰も八つ橋の身請け話が進行していることを栄之丞に知らせようともしないのです。このことだけで廓の者たちが栄之丞のことをどう思っているか察しが付くというものです。栄之丞は明らかに嫌われ者です。八つ橋の方はと云えば、着物など仕送りながら・栄之丞に身請け話を気取られぬようにしています。

これらの状況から見ても、八つ橋は身請け話を受けるつもりがあった・話を権八や栄之丞に秘密で進めて・最終的に縁を切るつもりであったとしか、吉之助には思えません。しかし、結局目論見がうまく行かなかったことを、八つ橋は思い知ります。身請けが決まって・次郎左衛門と一緒になり・佐野へ引っ込むことになったとすれば、どこまでも権八や栄之丞が付きまとって来て、金の無心や悪さを散々仕掛けてくるに違いない。二人の為に次郎左衛門は食いものにされ続けて、一生苦労するだろう、それでは次郎左衛門に申し訳ないと、今更ながら八つ橋は思い知ったということなのです。一度は甘い期待をしてみたけれど、「やっぱり駄目だ、わたしはこの無限地獄・苦界から一生抜け出すことは出来ない」ということを、八つ橋は覚悟したということです。これが八つ橋の云う「深いわけ」であると、吉之助は推測します。その八つ橋の気持ちが「わたしはつくづくイヤになりんした・・・」という嘆きの台詞になるのです。吉之助の推測を歌舞伎の縁切り場のパターンから検証していきます。

(H25・1・1)


2)縁切り物の系譜

縁切り場とは、女の方が愛想尽かしをする、つまり「あなたとはもうお付き合いはしません」ということを公言する、それで女にのぼせ上がっていた男は恥をかいて怒ると、まあ表面的にはそういう筋に違いありません。だから「いつの時代にもある男と女の行き違い」なんてことを云う方が出てくるわけです。しかし、それはお間違えです。歌舞伎の縁切り場というのはそういうものではありません。縁切り場のパターン(定型)というものがあるのです。

歌舞伎の縁切り場のパターンというのは、縁切り場の男と女は相思相愛であり、女はある事情によって男に愛想尽かしをせざるを得ない状況に置かれているということです。例えば別の男に強制されて、女は愛する男に心にもない愛想尽かしを迫られます。その代償はお家の重宝を取り戻すためであったり、お金の調達のためであったりしますが、それこそが愛する男に欠けているものです。愛する男が必要なそれをどうしても手に入れたいが為に、女は自分の身を犠牲にして、愛する男に心にもない愛想尽かしをするのです。つまり、愛想尽かしをする女の心のなかにある揺れと葛藤が歌舞伎の縁切り場の・まず第1のポイントとなるわけです。一方、男の方は女を心底愛しており・裏切られると夢にも思っていません。ところが突然女が愛想尽かしを言い出してくる。男は、最初はこれを信じられないという感じで笑って流そうとします。しかし、愛想尽かしを本気で言っているらしいと知って、今度は男は烈火のごとく怒り出します。それは恥やプライドということで怒っているのではありません。男は女を心底愛しているのですから、女の不実をストレートに怒っているのです。しかし、男は爆発するところまでは行きません。男は怒りをかろうじて押さえ込みます。これが次の殺し場への布石になるのです。満座のなかで愛想尽かしをさせて男に恥をかかせる・プライドを傷付けるというのは、愛想尽かしをされた男の状況をさらに惨めに見せる為の設定に過ぎません。歌舞伎の縁切り場の第2のポイントとは、女の不実に対する・直情的な男の怒りです。男の怒りが凄まじいほど、辛いのは実は心にもない愛想尽かしをしている女なのです。この辛さがなければ代償は得られません。だから縁切り場が哀切になるのです。

これが歌舞伎の縁切り場のポイントですが、縁切りのドラマはこれで完成するのではありません。大抵の場合、縁切り場は殺し場に続きます。歌舞伎の縁切り場は、そうでない作品もありますが、怒った男が女を殺してしまった後で事の真相が明らかになる、そのような絶望的な結末になることが多いようです。そこで「その愛想尽かしは実は嘘であり・本当は女は男を愛していた、偽りの愛想尽かしは愛する男の為にやったことであった」ということが最後に明らかになり、女の誠(まこと)・真実が明らかになります。これで縁切りのドラマがやっと完成するのです。

郡司正勝先生は「廓場における愛想尽かしや縁切りは、江戸中期の舞台でひとつの型をなすが、これが殺し場に移行するのは、元禄時の「心中」と相対した特色である」(郡司正勝・「芝居と遊里」・ 雑誌「国文学」〜特集「廓のすべて」・昭和56年10月)と仰っていました。どうして縁切り物が心中物と相対するのでしょうか。このことはかぶき的心情を考えに入れなければ、決して理解が出来ません。結局、縁切り物でも心中物でも、問われていることは主人公の誠です。これを守る為に彼らは必死で生きているのです。(別稿「純粋にせられた死」をご参照ください。)ですから近松門左衛門の「心中天網島」(享保5年・1720年・竹本座初演)での「河庄」を見れば、それは明らかに縁切り場ですが、ここでは治兵衛は小春を殺すには至りませんが、小春の誠が明らかになった時(治兵衛が小春の誠を認めた時)には・結局ふたりは心中に至らねばならぬのです。それが縁切りのドラマとして見た場合の「心中天網島」の構造です。

そこで歌舞伎における次郎左衛門の八つ橋殺しという題材の系譜を考えます。この事件を劇化した最初は初代並木五瓶の「青楼詞合鏡(さとことばあわせかがみ)」(寛政9年・1797・江戸桐座)であることは先に触れました。実説は享保年間のことと云われていますから・五十年以上経った後の作品です。この作品での次郎左衛門と八つ橋は相思相愛の仲ということになっています。次郎左衛門は浪人で・紛失した籠釣瓶という茶入れを詮議しています。その茶入れは八つ橋に惚れている唐物屋の小兵衛が所持しているので、八つ橋は小兵衛に色仕掛けで・これを手に入れようとして、わざと次郎左衛門に心にもない愛想尽かしをして、そのために斬られるという設定になっています。ちなみに同じく五瓶の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ」(寛政7年(1795)・都座)での縁切り狂言の名作として知られていますが、これも同様のパターンであることは言うまでもないことです。

次に四代目南北の「杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)」(文化12年・1815・江戸河原崎座)では、次郎左衛門の件は脇筋になりますが、次郎左衛門と八つ橋の仲を割くために、土手のお六と願哲という典型的な南北の悪人が筋に絡んで来ます。ここでも次郎左衛門が探し求める名刀国俊を手に入れるために八つ橋が心にもなり愛想尽かしを次郎左衛門にして、怒った次郎左衛門が八つ橋の首をはねます。四代目南北は五瓶の弟子ですから、しっかりと縁切り物のパターンを踏まえていることが分かります。

以上の先行作で明らかな通り、歌舞伎の縁切り物のパターン(定型)を踏まえるならば、次郎左衛門と八つ橋は相思相愛という関係となり、また八つ橋が愛想尽かしをする理由のなかに八つ橋の誠と真実が含まれていなければならないことになります。「深いわけある事」に・八つ橋の正当な言い訳がなくてはならないはずです。そうでないと縁切り物にならぬのです。前章において述べた吉之助の「籠釣瓶」の解釈の根拠がここにあります。ただし「籠釣瓶」は縁切り物のパターンが捻じれています。それは「籠釣瓶」が江戸時代の歌舞伎ではなく・明治21年初演の歌舞伎であることに原因がありますが、しかし、結論付けるのはまだ早い。さらに検証をせねばなりません。

戯作者というのは、創作にあたり先行作を踏まえて・パターンを踏襲しながらも、その一方で趣向を変えて・独自性を打ち出していかねばならないわけです。つまり、先行作のどこを取り・どこを変えずに、どこをどう変えて・別のどういう意味を持たせたか、これが戯作者に手腕になります。だから三代目新七の「籠釣瓶花街酔醒」が縁切り物のパターンそのままである必要はないし・また変わるべきなのですが、ですから新七が「どこを変えずに・どこを変えたのか」ということが問題になるはずです。いずれにせよ「どこを変えずに・どこを変えたのか」ということには、必ず必然がなければなりません。その必然をどこにどう見るかなのです。

例えば四代目南北が・五瓶の「五大力恋緘」を書き替えた「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」(文政8年・1825・中村座初演)を見てみます。小万は源五兵衛に愛想尽かし をしますが、小万は三五郎と夫婦だから、小万は源五兵衛と相思相愛ではないのです。南北はまず縁切りする男と女は相思相愛という設定を変えています。愛想尽かしは最初から源五兵衛から金を騙り取るためにやったことですから、小万に正当な言い訳(真実)がないことになります。そうすると縁切りのパターンを最初から崩しているように表面は見えますけれども、源五兵衛は実は不破数右衛門の変名で、三五郎・小万夫婦は不幸な事にその顔を知らなかったのですが、騙りは主人筋である数右衛門の資金調達のためにやったことが芝居の最後の最後で明らかになります。つまり三五郎・小万夫婦の真実(深いわけ)とは主人数右衛門の為であったわけで、だからこれは源五兵衛の為であったことになるのです。最後に小万の愛想尽かしの正当な言い訳(真実)が現れます。だから最後に死にゆく三五郎の告白を聞いて、数右衛門は「そうなうては叶うまい」とうなるのです。(詳しいことは別稿「世界とは何か」をお読みください。)

南北は縁切り物のパターンをひっくり返したように見せておいて、最後の最後にまたひっくり返して・元に戻しているのです。だから結局、南北は歌舞伎の縁切り物のパターンを変えなかったことになるのです。ポイントは、「愛想尽かしをした者の真実 (深いわけ)が最後に明らかになる」ということです。ここに南北の「ないまぜ」の技法の秘密があります。

(H25・1・5)


3) 明治21年の歌舞伎

三代目新七の「籠釣瓶花街酔醒」が歌舞伎の縁切り物のパターン(定型)を踏まえ、どこをどう変えたかということをさらに考えます。大事なことは、「籠釣瓶」が明治21年(1888)の作品であることです。まず黙阿弥の「八幡祭小望月賑」(はちまんまつりよみやのにぎわい)(万延元年・1860・江戸市村座)のことを考えておかねばなりません。(通称を「縮屋新助」と云うので、以後は本文中でこの題名を使います。)「縮屋新助」は直接的には池田大伍の「名月八幡祭」(大正7年・1918・歌舞伎座)の先行作ですが、黙阿弥の弟子である三代目新七の「籠釣瓶」にも強い影響を与えたと言われています。「縮屋新助」は文化3年(1820)に起きた深川の芸者殺しの事件を題材にし たもので、その筋は入り組んでいますが、新助のお美代殺しの件に話を絞ると、新七はお美代の嘘を信じ込んでお美代に恋をしており、お美代の新七に対する愛想尽かしは本心からのものです。これを恨みに思った新助 が妖刀村正の魔力に魅せられたように殺人鬼と化します。

「縮屋新助」も表面上は縁切り物になります。しかし、この場合題材の違いということもありますけれど、ここでは縁切り物のパターンが完全に壊れているのです。愛想尽かしをするお美代に真実がなく、お美代の嘘を信じ込んでお美代に勝手に恋をしてしまった新七の方には虚しさがあります。おまけに最後まで芝居を見ると、お美代は新吉の実妹であったという結末なのだから救われません。無力感・虚無感というものが充満しています。幕末の閉塞感はここまでのものであったかということを思わさせられます。

この虚無感は「縮屋新助」の改作になる池田大伍の「名月八幡祭」を見れば、 もっとはっきり前面に出てきます。このことは別稿「ファムファタール神話の崩壊」で触れましたから・詳 しくはそれをお読み頂きたいですが、そこに大正期の社会的視線があるのです。江戸というのは消費的・享楽的な都市で、金さえあればそういう楽しみを提供してくれる都市であるというのが新助の江戸のイメージです。江戸の華と呼ばれる辰巳芸者の美代吉も、新助にとってはそのような存在です。そのなかで新七は美代吉のイメージを勝手に虚大化させていきます。新七は小判をチャラチャラと落として、あわててそれを拾う人たちを見てケラケラ笑います。これが「名月八幡祭」の新七の恋の正体です。幕末の黙阿弥の「縮屋新助」においても、萌芽としてはその要素は間違いなくあるのですが、それはまだ明確に意識されているわけではありません。だからこうした理不尽さは妖刀村正の魔力だの・お美代は新吉の実妹であったというような形に変形してしまいます。しかし、それは黙阿弥が劇作家として駄目だということではなく、万延元年の当時は個人が社会と対峙するという意識自体がまだなかったからです。だから 黙阿弥の場合には無力感・虚無感というものは、そのような形で出てくるしかなかったわけです。

以上の通り、大正7年の「名月八幡祭」から万延元年の「縮屋新助」へ・未来から過去へ線を逆に引いて見ましたが、この視点から中間に位置する明治21年の「籠釣瓶」がどのように見えてくるかということです。ここで大事なことは、歌舞伎の縁切り物のパターンを踏まえるということ、次に三代目新七はあくまで座付き作者であって・池田大伍のような外部作家ではないということです。座付き作者はまず何よりも芝居の約束事を大事にせねばなりません。出演する役者のことを考えながら脚本を書かねばなりません。

一般に「縮屋新助」と比べ て「籠釣瓶」は内容・構成ともにずっと劣る作品で 、しかし現在も「籠釣瓶」は人気作であるのに「縮屋新助」の方は忘れ去られ・・・ということが良く言われます。黙阿弥の「縮屋新助」のことはちょっと置くとしても、現在も「籠釣瓶」が人気作であることは決して不当なことではなく、やはり三代目新七は新七なりの工夫がちゃんとされているからだということを言っておきたいと思います。ひとつの理由としては、「籠釣瓶」は歌舞伎の縁切り物として・次郎左衛門にも八つ橋にもそれなりの誠と真実を認めることが出来るからです。つまり、作品として巧いかどうかは置いても、作風としては素直だということです。作風として素直だというのは大事なことです。それは観客にとっては「分かり易い・受け入易い」ということと同義です。だから「籠釣瓶」は人気作なのです。

またこれは大事なことですが、歌舞伎の場合は、人気役者が演じる主役・あるいは準主役は芝居のなかでどんな悪事をしても、観客に同情されなければならぬ、不快な印象で終わらせてはならぬということです。「籠釣瓶」ならば、次郎左衛門は八つ橋を斬り・その他あまたの人を殺めたけれども、観客はその行為に拍手喝采とまでは行かなくても、次郎左衛門のどこかに「お前のその刀を振り回したくなる怒る気持ちは分かるよ」というところがなくてはならないということです。また愛想尽かしをした八つ橋に対しても「生きるのがホトホト嫌になったお前の気持ちは分かるよ」というところがなくてはならないということです。初代左団次・五代目歌右衛門という人気役者二枚看板が初演した作品なのですから、そこのところを座付き作者の三代目新七が気を配らないはずがないのです。それは次郎左衛門の誠・八つ橋の誠という形で作品のなかに現れるに違いありません。役のどこかに観客が思い入れできる要素が必ずあるはずです。翻って言えば、それは歌舞伎の縁切り物のパターン(定型)を踏まえなければ決して生まれないということです。

黙阿弥の「縮屋新助」は確かに作劇は巧いとしても、観客にとってお美代殺しは「 気分が悪い」ところがあると思います。「縮屋新助」 では縁切りはあっても、それは表面だけのことで、ここでは歌舞伎の縁切り物のパターンが破綻しています。これは名優四代目小団次主演作でもあるわけで、そこに小団次の 冷徹なリアリズム、黙阿弥の未来性・革命性が出ているとは言えます。そこに何がしかの真実が描きこまれていることは疑いありません。しかし、改作の「名月八幡祭」でも見終わった後味は必ずしも良くありません。幕切れが「薄気味悪い」という方は少なくないと思います。それでも大正期の現実主義リアリズムに照応するからまあ納得できるというところでしょう。そういう意味では、幕末の小団次・黙阿弥の「縮屋新助」は随分先を行っていることに驚かされます。上演が少ないのもそれゆえでしょう。

ですから三代目新七の「籠釣瓶」は黙阿弥の「縮屋新助」から影響を受けていることは間違いないのですが、その影響を受けたところは、縁切り物のパターンの破壊ということではないということです。「籠釣瓶」の縁切りをする八つ橋に真実がなく・次郎左衛門の怒りが虚しいということは絶対にあり得ません。それでは三代目新七の「籠釣瓶」が黙阿弥 の「縮屋新助」から受け継いだものとは何なのでしょうか。それは「縮屋新助」のなかにほろ見えるところの社会性です。「籠釣瓶」でも相変わらず妖刀籠釣瓶の魔力なんて不透明な部分が残ったりしますが、これは題材を講談から取っているせいでして、「縮屋新助」のなかで黙阿弥が突き詰め切れなかった社会的視点が「籠釣瓶」ではもう少し明確になっているということです。まだ十分ではないにしても、社会的視点が確かにあるのです。そこに「籠釣瓶」が明治21年(1888)の初演であることの意味があります。

以後の本稿では「籠釣瓶」は八幕の原作ではなく・四幕七場の現行上演形態に限定したうえで論じることとします。それは現行上演形態が 繰り返し演じられることで完成度の高いものに仕上がっているからです。次郎左衛門のことで云えば、次郎左衛門は顔にあばたがあって醜く、そこに彼のコンプレックスが潜んでいます。この役を初演したのは初代左団次ですが、左団次は好男子で人気があった役者でした。その左団次を醜い男に仕立てたところに趣向があったわけです。次郎左衛門は田舎者ですが、人柄が良くて・金もあり・廓の人々にも人気がありました。醜いところだけが次郎左衛門の唯一の欠点です。顔のあばたさえ無ければ、大モテに違いなかった男です。次郎左衛門は正当な手続きで八つ橋の身請けの相談を進めており、どこからも異論が出ないので、話はもう決まったものと思い込んでいました。その次郎左衛門が思いもかけず八つ橋に満座で愛想尽かしされます。その理由が栄之丞という情夫であると云う。見ればこれがイイ男である。そこで時間が経てば経つほど、次郎左衛門のなかで強くなっていく思いとは、「ああ、俺にこんなあばたがあるから、そんなことを言って満座で恥をかかせたのだな」ということです。それを考えると、自分に愛想を言って・笑い掛けてきた廓の人々も内心では自分の醜さを笑っていたのではないかと思えて来ます。それでも彼らが愛想を言って寄って来たのは、結局、俺が持っている金が目当てだったのか・それだけのことだったのか、実は心のなかでは笑っていたんだなと思えて来るのです。次郎左衛門のなかでそのような怒りがジワジワと湧いて来ます。

「籠釣瓶」では、縁切りから殺し場まで四ヶ月の時間が経っています。次郎左衛門はいったん故郷に帰り・身辺を整理して・四ヵ月後に吉原に出直してくる、これが不自然だという意見は、初演の時からありました。初演の時の六二連の批評に「立腹の日を経れば薄らぐはずだ」というのがありますが、ホントにそういうものでしょうか。郡司先生が「縁切り物は心中物と相対する」と指摘したことをよく考えてもらいたいのですね。これはかぶき的心情のドラマなのです。近松の時代においては、かぶき的心情 とは個人のアイデンティティーへの意識なのですが、それは社会的な側面から見ればまだ萌芽にすぎませんでした。しかし、「籠釣瓶」はすでに封建社会ではない・西洋思想も流れ込んで来た明治21年の歌舞伎なのですから、個人のアイデンティティーは社会との関わりのなかで意識されているのです。それはまだ十分ではなく・まだ怒りの対象が明確でないかも知れないけれど、確かに意識がされているのです。ここが大事なのです。

次郎左衛門の怒りを愛する女に裏切られた男の怒りであると単純に考えるならば、殺し場において次郎左衛門は八つ橋だけを殺せば、ドラマはそれで結末が付くはずです。他の人が殺される必要はないはずです。しかし、「籠釣瓶・大詰・兵庫屋二階」では八つ橋が斬られた後、何の関係もない下女が斬られます。これから「花の吉原百人斬り」が始まることが、ここで暗示されます。だから次郎左衛門は八つ橋だけに怒っているのではないことが、ここで明らかなのです。次郎左衛門は吉原というシステムに対して怒っています。あるいは次郎左衛門は江戸という システムに対して憤っています。さらにもっと広範囲に憤りの対象を広げても良いのです。(このことは大正期の池田大伍の「名月八幡祭」になれば、もっと明確に現れることになります。)次郎左衛門があざ笑われる理由は、次郎左衛門にとって実に理不尽な顔のあばたです。これは次郎左衛門にとって最も納得できない理由です。「あいつは田舎者だ」などという理由の方がまだしも次郎左衛門には納得できるのです。世に田舎者はたくさんいますが、あばた顔なのは次郎左衛門だけです。これは特定の個人に対する差別なのです。人間の価値を顔のあばた・顔の美醜なんぞで左右されたくはないのです。そういう思いが次郎左衛門のなかに湧いては消え・消えてはまた湧くということを繰り返してい ます。

繰り返し書きますが、「籠釣瓶」は明治21年の歌舞伎です。もう江戸時代ではありません。身分制度の時代・封建制度の時代ではないのですから、実力のある者がその実力に応じてのし上がっていける世の中に変わったはずでした。しかし、どうもそういうことではなかったらしいと明治21年頃の庶民はみな感付き始めていたのです。個人にまつわる色々なハンデキャップで、個人は世間からいろんな差別を受けることがあります。もちろん現代でもそういうことは多々あることです。次郎左衛門の場合には、それは顔のあばたで象徴されます。次郎左衛門の怒りは個人の尊厳を傷つけられた者の憤りのように感じられます。次郎左衛門の怒りはこの社会の理不尽へ向いています。確かに次郎左衛門は八つ橋に「満座のなかで悪口され、恩を仇にて次郎左衛門へ、ようも恥辱を与えたな」と言っています。 だから恥で怒っているんだと思うかも知れませんが、言葉にしてしまえば、そういうことになってしまうだけです。次郎左衛門は自分の怒りをそういう風にしか表現できないのです。それは次郎左衛門が個人の尊厳なんて言葉をまだ知らないからです。怒りの対象はまだ明確になっていません。そこが座付き作者の限界ということかも知れません。次郎左衛門はただやみくもに刀を振り回すしかありません。しかし、状況に対して次郎左衛門が憤る気持ちは、何となく観客に直截的に伝わって来ます。これが殺し場での次郎左衛門の気持ちを真実のものにします。だから「籠釣瓶」は歌舞伎の縁切り物のパターン(定型)を踏まえていることになるのです。

「籠釣瓶」を何度か演じた後のことですが、贔屓客が楽屋で初代左団次に「あの八つ橋に愛想尽かしをされるところはもう少し怒って見せる方が自然ではないか」と意見をしたそうです。初代左団次の返答はだいたいこんな感じでした。「次郎左衛門は愛想尽かしされた後・一度故郷へ帰り暇乞いして・それから四ヶ月後に戻って八つ橋を殺すのだから、そうカッと怒ってはいけない。大体あの場で怒っていれば翌日八つ橋を殺していただろう。だから腹のなかで怒っても形に怒りを表すのは間違いだ」と言うのです。左団次は次郎左衛門のことをよく理解しているなあと感心します。次郎左衛門は粘着質の性格です。腹のなかで怒りを反芻しながら、次第に怒りが増幅して形を成していくのです。次郎左衛門は恥やプライドで直情的に怒 っているのではありません。自分がどんなに罪あることを仕出かそうとしているのか次郎左衛門にははっきり分かっています。しかし、それでもやらねばおさまらない。だから次郎左衛門は故郷の始末をつけてから事に及ぶのですが、仕出かすことの恐ろしさゆえに行動を起こすのになお四ヶ月の時間が必要なのです。そこに「籠釣瓶」の社会性が見えます。だから「籠釣瓶」は明治2 1年の歌舞伎であるということなのです。

(H25・1・13)


4) 捻じれた縁切り場

「籠釣瓶」は直接的には講談「三都勇剣伝」から材料を取ったと云われています。しかし、次郎左衛門の八つ橋の見初めから殺しに至るまでの経過を比べると、採られているのは栄之丞・権八を含めた主要人物の設定くらいであって、講談と芝居 とはまったく筋が異なると言っても良いほどです。三代目新七は「籠釣瓶」で、次郎左衛門と八つ橋の関係を、歌舞伎の縁切り物のパターンを踏まえて・さらに明治20年の時代の空気を取り入れて、新たな視点でこれを作り変えたということです。

「三都勇剣伝」での八つ橋は、明らかに栄之丞・権八と結託して・次郎左衛門を喰いものにしようと企む性悪女です。八つ橋も最初の頃は醜い次郎左衛門が嫌いだけれども・金があるからズルズルと付き合っていた感じです。しかし、次郎左衛門に間夫・栄之丞の存在が知られると、逆に開き直って次郎左衛門を金づるにし始めます。加えて権八は栄之丞もビビるならず者です。次郎左衛門 は一旦故郷に帰りますが、これは「三都勇剣伝」を見ると次郎左衛門が栄之丞と対面した後のことになっています。次郎左衛門は栄之丞を殺そうと思い詰めますが、在所の人々に迷惑を掛けてはならぬと思い直して・身辺を整理して、それからまた江戸に戻るのです。しかし、八つ橋が新たな仕掛けをしてきます。腕に次郎命の彫り物をして「栄之丞とは切れた」と言って次郎左衛門を騙して、さらにお金をせびります。しかし、遂に次郎左衛門の金が尽きてきたと見極めたところで、八つ橋たちは縁切りを仕掛けます。「三都勇剣伝」では、八つ橋殺しは縁切りの四ヵ月後のことではなく、次郎左衛門は縁切りされた後・宿屋に帰り刀を持ってすぐに吉原へ戻って殺しに至るのです。次郎左衛門は八つ橋と栄之丞がひとつ部屋で「うまくしてやったり」 などと言っているところへ踏み込んで、まず栄之丞を斬り・次に八つ橋を仕留めます。

「三都勇剣伝」 がどの程度史実に即しているのかは分かりません。「古今実録」と銘打っているくらいですからその描写は確かにリアルで、三面記事的に陰惨ではあります。しかし、これではそのまま芝居には出来ません。場面の割り振りということもありますが、大事なことは次郎左衛門を初代左団次・八つ橋を五代目歌右衛門(当時は四代目福助)という人気役者が演じるわけですから、気の悪い役にしてはならないということです。観客が思い入れできる人物像に仕立てなければなりません。吉原で大量殺人に至る次郎左衛門のことを、観客が「お前が怒って百人斬りにいたるほど憤る気持ちは俺にも何となく分かるぞ」と思うようにせねばなりません。次郎左衛門を怒らせた八つ橋についても、「次郎左衛門に愛想尽かしをしたことも決してお前の本意ではなかったのだな」という風にせねばなりません。それでないと芝居にはならぬのです。そこで大事になるのが、歌舞伎の縁切り物のパターンのことです。この約束に沿っていれば間違いないのです。

まず「籠釣瓶」での次郎左衛門と八つ橋は、決して相思相愛の熱々カップルではないにしても、まあ一緒になってもいいかも知れない・この苦界から抜け出せるならば・・・という程度の仲ではあったのです。なぜならば八つ橋は教養と品格を誇る太夫と云われ・吉原で権勢を誇っているように見えるけれども、所詮それは隔離された悪所のなかで与えられたヴァーチャルな権勢なのであって、八つ橋の心は決して満たされてはいないということです。間夫・栄之丞という存在はそうした八つ橋の空虚さに巣食った毒虫に過ぎず、その関係に真の意味での健康的な恋愛など見出せないのです。間夫の存在から、八つ橋の心の空虚さが察せられます。しかし、八つ橋はそうした悪所の世界のなかに囚われており、八つ橋は次郎左衛門を手掛かりにしてそこから逃げ出そうと試みるのですが、結局、そこから逃げ出すことが出来なかったのです。そこに八つ橋の悲劇があります。(別稿「八つ橋の悲劇」をご参照ください。)

一方、次郎左衛門の八つ橋への思いはひたすら純朴です。(注:これは「八幡祭」の新助のような歪んだ愛ではありません。)次郎左衛門は他人を疑うことを知らず、八つ橋が自分の相手をしてくれるのも・自分のことを受け入れているからだと信じています。だからそんな次郎左衛門を裏切ることを八つ橋は心底から申し訳ないと思っているのです。八つ橋にこの気持ちがないのならば、「籠釣瓶」は歌舞伎の縁切り物に決してなりません。

歌舞伎の解説には「在来の縁切り物は内心は好きな男に心にもない愛想尽かしをするものだが、八つ橋の場合は次郎左衛門に惚れているのではなく・栄之丞の方に惹かれている、そこにこの芝居の特異なところがある」と書いてあるものが多いと思います。それはお間違えですね。そのような解説は、「籠釣瓶」が在来の縁切り物の要素のどれを捨てて・どれを取っており、それでなおかつこれが縁切り物の系譜と位置付けられるものとなるかということを何もお考えではないのです。もし、八つ橋が次郎左衛門よりも栄之丞の方に惹かれているということならば、八つ橋は裏切ることの申し訳に心にもない「次郎左衛門さんに申し訳ない」風を建前で連発していることになり、愛想尽かしのなかに女の真実も・葛藤も・揺れのかけらも見い出せないことになります。歌舞伎ではそういうことは在り得ないのです。「籠釣瓶」が歌舞伎の縁切り物であるならば、次郎左衛門に対しても八つ橋に対しても、観客が思い入れできる・そのような解釈が成立しなければな りません。

「籠釣瓶」の縁切り場が特異であるのは、愛想尽かしの前半において八つ橋のなかに「次郎左衛門さんに申し訳ない」気持ちが強い為、愛想尽かしの語調が強くならないようにしている(つまり次郎左衛門を 過度に傷つけないように気を付けている)ので、八つ橋の気持ちがどうもはっきりしない点にあると思います。逆に云えば、それゆえ次郎左衛門は、八つ橋の言いたいことがよく呑み込めません。八つ橋にすれば「わたしだって言いたくって愛想尽かししているんじゃないのよ、申し訳ないと思っているんだから・・」という気持ちが強いわけですが、周囲の人が「そんなのはおかしい・身請け話を受けたはずじゃないのか」と寄ってたかって責めるものだから、八つ橋はだんだん苛立って来ます。そして後半・煙管を捨ててからは、八つ橋の気持ちが立って来て、八つ橋の語調はキッパリとなって来るということです。しかし、実はそれが八つ橋の本心からのものではないということです。この辺の八つ橋の捻じれた心理の綾を三代目新七が見事に描写しています。

一方、次郎左衛門の心理を考えます。初代左団次が芸談で言っている通り、 「次郎左衛門は愛想尽かしされた後・一度故郷へ帰り暇乞いして・それから四ヶ月後に戻って八つ橋を殺すのだから、そうカッと怒ってはいけない。大体あの場で怒っていれば翌日八つ橋を殺していただろう。だから腹のなかで怒っても形に怒りを表すのは間違いだ 」ということです。縁切り物のなかで男が歯を食いしばって堪えるのは、辛抱立ち役と云って歌舞伎のパターンのなかにあるものです。ここで男は 怒りをたぎらせつつ・それを押さえ込んでひたすら耐えます。そういう男の姿との対比で、愛想尽かしせねばならなかった女の辛さ・哀しさが増します。これが歌舞伎の縁切り物のパターンですが、「籠釣瓶」では愛想尽かしする八つ橋の心理が捻じれてい ますから、対する次郎左衛門の怒りもストレートに出せないことも、これは至極当然と云うべきです。ここにも「籠釣瓶」の縁切り場の特異な点があります。

殺し場についても考えておかねばなりません。歌舞伎の縁切り物においては、男が女を殺した後に「その愛想尽かしは実は嘘であり、愛する男の為にやったことであった」ということが最後に明らかになり、女の誠・真実が明らかになることで縁切りのドラマがやっと完成します。しかし、結局、「籠釣瓶」ではそこまで至らないのです。八つ橋が「そのお立腹は御尤もながら、これには深いわけある事。お気を鎮めてくださりませ」と言うのに、次郎左衛門はその言葉を聞かず問答無用でこれを斬り殺してしまい、「籠釣瓶はよっく斬れるなあ」で幕となってしまいます。女の真実は闇のなかに葬られてしまいます。愛想尽かしの真相はもう誰にも分かりません。次郎左衛門が見詰めるものはそのような闇です。喪失感と言っても良いかも知れません。そこに明治21年の歌舞伎の感触があります。この感触こそ30年後の池田大伍の「八幡祭」に繫がるものです。「八幡祭」では喪失感は絶望の色が濃くなり、それは虚無感に変貌して行きます。


5) 人生の深い闇

平成24年12月新橋演舞場での「籠釣瓶 」を見ました。見初めでの菊之助の八つ橋は期待しましたが、さすがに若々しく・美しく魅力的で、次郎左衛門が惚れるのも無理はないと思える八つ橋です。しかし、これは素材から来る感触と云うべきで・仕方ないことですが、清純で可愛い感じの八つ橋です。嘘がつけない八つ橋というところでしょうか。嘘がつけないので、本音の縁切りの感触になってしまっているようです。そうすると、菊之助が一生懸命演っているのは分かるけれども、視覚的に歪んだ縁切り場が現出しないということになります。縁切り場がお金の付き合いと割り切って開き直っている女と・勝手にのぼせ上がっている男のすれ違いのドラマに落ちてしまっているようです。これではどうしても歌舞伎の縁切り場にはなりません。しかし、「次郎左衛門に済まない」という気持ちは菊之助の八つ橋でも確かに伝わっては来ます。伝わって来ますけれど、「・・だったら次郎左衛門さんにどうしてあんな仕打ちをしたのよ?」と後で九重が別室で詰問したくなりそうな八つ橋です。しかし、まあこういうことも演って見なければ分からないことです。八つ橋を演じるのが若干早かったのかも知れませんねえ。再演を重ねる(と云うよりも年齢を重ねる)なかで菊之助の八つ橋にもまた違う感触が出てくるだろうとは思います。

菊五郎の次郎左衛門については問題が多いと思います。菊五郎はインタビューのなかで、「縁切りの最中から(八つ橋を)殺してやろうと思っていて、「袖なかろうぜ」のせりふから一気に逆上して、花魁に怒りをぶつけていくやり方でやってみたいと思っております」(「歌舞伎美人」サイト・尾上菊五郎インタビュー・11月20日付)と語っています。こういう次郎左衛門を否定するつもりもありませんけれど、菊五郎の言うことは芸談で初代左団次の言ったこととまったく正反対なのです。菊五郎の次郎左衛門は縁切りから四ヶ月という時間を自分のなかでどう処理していくつもりなのでしょうかねえ。まあ解釈は人それぞれのことですが、吉之助の疑問は、殺し場で菊五郎演じる次郎左衛門が八つ橋にとどめを刺すという・これまで「籠釣瓶」の舞台で見たことがない場面で決定的になりました。これはとても良くない型であると思います。これでは次郎左衛門という役の気分が悪くなります。観客が次郎左衛門に同情できなくなるということです。次郎左衛門の恨みの強さと執念深さはよく分かります。まあ確かにリアルなのでしょうが、リアリティの方向が間違っているのです。「高島屋の芸風は男らしくてストレートだ」という変な思い込みがあるようです。当の初代左団次が「腹のなかで怒っても、形に怒りを表すのは間違いだ 」とはっきり言っているのですから、「男らしさ」の方向性が間違っているのです。(別稿「左団次劇の様式」をご覧下さい。)

次郎左衛門が八つ橋にとどめを刺すならば、ドラマはここで終わりにして、 次郎左衛門は八つ橋の死体を見下ろして立ち尽くす、物音に驚いて二階に駆け上がってきた店の者たちはこの光景を見て呆然とするという、そのような幕切れにでも変えてくれませんかね。それならば「籠釣瓶 」をお金の付き合いと割り切っていた八つ橋と・勝手にのぼせ上がっていた次郎左衛門のすれ違い、ただの男女関係のもつれが起こした事件であったと認めましょ。しかし、次郎左衛門はこの後に何の罪もない下女を殺害し、これから「花の吉原百人斬り」をすることになるのです。吉原百人斬りしない次郎左衛門というのは、仇討ちをしない助六みたいなものです。次郎左衛門には吉原百人斬りが常に付いて回ります。いったい次郎左衛門は何の為に大量殺人するのでしょうか?刀を振り回して・無関係の人々を斬れば斬るほど、次郎左衛門は観客が同情出来ない人間に墜ちていくことになります。芝居というものは、観客が「お前が怒って百人斬りにいたるほど憤る気持ちは俺にも何となく分かるよ・・・真似はしないけどね」と思うようにせねばなりません。そのようにするためには、次郎左衛門の憤りの対象を八つ橋だけでないものにしなければなりません。憤りの対象を八つ橋だけでない・彼を取り巻くもっと大きい状況そのものとしなければなりません。そのために歌舞伎の縁切り物のパターンが役立つのです。

縁切り場を男と女のもつれ合いに限定して考える誤解は、「籠釣瓶」のドラマは周囲から身請けを無理矢理押し付けられそうになった八つ橋が「私はこっちの人(栄之丞)が好きなのよォ」と拒否する、次郎左衛門は勝手に女郎にのぼせ上がったばかりに恥をかく、だから縁切り場は男のプライドと女の本音のぶつかり合い、どこの盛り場にもある愛欲殺人、そんな風に決め込むことから起こります。「籠釣瓶」のドラマの普遍性は、男と女のもつれあいとか、そんなところにあるのではありません。そんなものはドラマの素材に過ぎないのです。

「そのお立腹は御尤もながら、これには深いわけある事。・・・」

そう言い残しただけで八つ橋は殺されてしまいました。「籠釣瓶はよっく斬れるなあ・・」、そう言っただけで次郎左衛門は他には何も語りませんでした。そこに人生の深い謎があるのです。そこに人生の深い闇があるのです。その沈黙の意味をよく考えてみたいと思うのですねえ。

(後記)

関連記事として、別稿「八つ橋の悲劇」、「ファムファタール神話の崩壊」などをご参照ください。

 


(TOP)         (戻る)