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吉之助インタビュー
「歌舞伎素人講釈」〜この10年・次の10年


○平成23年1月で「歌舞伎素人講釈」は満十年を過ぎて・いよいよ十一年目に入ります。

サイト「歌舞伎素人講釈」は平成13年(2001)1月3日 にひっそりとアップしました。ですから21世紀の開始と同時に生まれたわけです。それから満10年が経ったわけですが、記事も増えてインターネットで歌舞伎を調べようとすれば「歌舞伎素人講釈」 の記事に引っ掛からないことはもはや有り得ない状況になりました。歌舞伎研究のなかで確固たる位置を主張できるサイトに成長したと思います。内容は決してお気楽な ものではありませんから、よく ここまで続いたものだと思いますね。

○「歌舞伎素人講釈」の10年を振り返ってみて如何でしょうか。

サイトをざっと振り返ってみて自分でも感心するのは、10年通して内容にブレがほとんど見えないことですねえ。10年通してまっすぐ着実に深化している感じがあるので、「歌舞伎素人講釈」の コンセプトは間違ってないという確信を改めて持ちましたねえ。

「歌舞伎素人講釈」にとってこの10年でいちばん大きな事件は、サイト開設間もなく・平成13年(2001)3月31日に六代目歌右衛門が亡くなったことであったと思います。これは初っ端から困ったことになったな あと思いましたねえ。 そこで書いたのが「歌右衛門の今日的意味」という追悼文ですね、この文章はやっぱりリキが入ってますね。つまり、「歌舞伎素人講釈」の ・この10年というのは、吉之助にとっては歌右衛門以後の10年、歌右衛門を自分のなかに落とし込んでいくための10年であったということになりますかね。

○歌右衛門の存在はそんなに大きかったですか。

戦後昭和歌舞伎は、吉之助はその最後の10数年ちょっとしか見ていませんが、そのなかで歌右衛門の存在感は際立っていました。幸い吉之助は歌右衛門の主要な役どころはほとんど見ました。吉之助にとっては戦後昭和歌舞伎イコール歌右衛門なのです。吉之助のなかで、この印象は強まりこそすれ・弱まったことはありません。吉之助にとっての歌舞伎を歌右衛門なしで語るわけには行きません。歌右衛門のことは いずれ「女形論」の形できっちり書いてケジメをつけなければならないと思っています。しかし、書くのはもうちょっと先になるかも知れません。

○歌右衛門以後、この10年間の歌舞伎をどう評価しますか。

平成になってからの歌右衛門は舞台に立つことが少なくなって、平成8年以降はまったく舞台に立ちませんでした。それでも歌右衛門がいることで、どこか均衡が保たれていたというところがあったと思います。ところが歌右衛門が亡くなって、歌舞伎の中心に空白が出来ちゃった。良く言えば群雄割拠の時代が来たということでしょうかね。悪く言えば核がなくなったという感じです かね。

同じような感覚を1989年にカラヤンが亡くなった時にも持ちましたねえ。カラヤンが死んでもう21年になりますが、クラシック音楽の世界もカラヤン以後を抜け出すのには随分時間が掛かりました。歌舞伎の歌右衛門以後も同じくらい掛かるでしょうね。この時期に歌舞伎座が休場して・再開場することは、タイミング的に大きな意味を持つことになると思います 。

○サイトを10年続けることは大変でしたか。

吉之助はクラシック音楽であれ歌舞伎であれ何かの形で文章を書きたいと元々思っていたので、サイト「歌舞伎素人講釈」も準備なしでいきなりポッと始まったわけではないのです。結果的には 20年くらい準備期間があって、そういう蓄積があったから10年続けられたということだと思います。一旦軌道に乗れば、クラシック音楽や歌舞伎を題材に取ればネタは無限にあるのです。

ともあれ吉之助というのはインターネットという媒体なしであり得なかった批評家で、現象面としては非常にユニークな存在であると思います。ただし、振り返ってみるといろんなジャンルで吉之助と同じ頃に書き始めて・同じようにまだ頑張って サイトを続けている方は確かにいますし・何人かの名前を挙げられますが、数はそう多くないようです。また残念ながら、これに続いて自分も何か書いてみようかという方が続々出ているという感じでもないですねえ。この十年でインターネットというツールは 技術的には日々進化してきたけれども、ブログやツィ−トなど関心が分散して、情報は全体が低いレベルで拡散・停滞している印象を持ちます。今の吉之助は「ネット進化論」のようなお気楽な期待はとても持てません。

始める時はインターネットで何かが変わるという可能性を感じていましたが、インターネットが何かを変えるのではなくて、変えるとすればそれは個人の手で変えなきゃならぬのだと いう当たり前のことが分かってきましたねえ。高い山も2合目・3合目ならばみんなでワイワイやりながら楽しく登れますが、5合目過ぎれば自分との戦いです。こういう時代には個の力を持たないと、状況にどんどん流される。個の力がますます大事な時代になると思います。

○この10年で書き方は変って来ましたか。

最初はサイトの更新が滞ると困るので・原稿を書き溜めて数本ストックしておくのが常でした。しかし、3年くらい前から原稿のストックを持たずに・その場で書いて記事をすぐアップするやり方に変えました。だから現在アップした記事というのはその場で書きたてホヤホヤのもので、「続く」となっているものも後続の記事が全然出来てない状況で 出しているのです。だから章としてはあまり長い文章にはならず・短い章が連なって形を成す組曲風の印象ですね。

このような書き方に変ったきっかけは、眼が悪くなってメガネを使うようになったせいが大きいです。眼が悪くなるというのは、書くことも読むことも、いろんな意味で大きく変えますねえ。それと歳のせいが、交響曲のようにがっちり構成を決めて から・数章を一気に書くということが、体力的・気力的にちょっと無理になりました。 もうひとつは、書く内容がだんだん重くなってきて、いちおう裏付けものあるものを書くにはそれなりの時間が必要になってきました。それでたらリたらりと短い章を連ねるやり方に変えたのです。そのせい で文体も昔より力を抜いた感じに変化し たようですねえ。ひとつの文がタラタラと長くなる傾向があるようです。何となく折口信夫の文章に似た感じになってきました。まあこれは自分では気に入っているのですが、時々ここは折口さんならこう書くだろうと思いながら書く時がありますね。

連載コーナーを並行させたのは、折口信夫の論考を書くのに時間が掛かるので・それを待って谷崎潤一郎の論考を始めると1・2年先になるので・そこまでは待てないので並行させているのですが、あっちの続きを書いて・こっちで別の続きを書いて・というのは吉之助には別に苦ではないので、これは書くという行為が吉之助のなかで生活のなかに完全に組み込まれているから出来るということでしょうかね。

○サイトを10年続けるために心掛けてきたことは何ですか。

自分の好きなこと・面白かったことだけ書き綴るだけでも1・2年ならサイトを続けることは誰でも出来ると思います。しかし、10年ともなれば「書くことが好き ・○○が好き」というだけではサイトを続けていくことは困難です。ネタとか知識の蓄積ということももちろんありますが、大事なことはサイトを維持するために自分のモチベーション をどうやって維持するかです。これが出来ないと、サイトでもメルマガでも3年持たせることは難しいです。

吉之助の感じでは、一般的に開設3年過ぎてサイトが生きているという状態・週に一回くらいは更新するというサイトは、5%くらいなものだと思います。これをさらに長い期間継続させるものは、 書き手が持っているある種の使命感・義務感みたいなものでしょうかね。 「週に1回は必ず更新する」と自己ルールを作るとか、サイトを続けるために自分に枷を課すものが必要です。それとインターネットに無料で文章を垂れ流しているとは言え、やはり誰かに読まれているという手応えが書き手には必要です。 自己満足だけの世界ではやはり続きませんね。吉之助も公開講座や講話会などモチベーション維持のためにいろいろ策を講じています。読 み手の方と交流することはとても有意義なことです。

○「歌舞伎素人講釈」の「素人」は謙遜の意味なのかというお尋ねもあるようですが。

吉之助は謙虚な人間(?)ですから「素人」が謙遜の意味というのも確かにあるかと思いますが、それよりも「素人」というのは批評を生業(なりわい)としていないという意味です。吉之助は別の手段で生活のための仕事をしていますから、歌舞伎やクラシック音楽は純粋に趣味ですし、趣味の延長としての批評活動です。批評の姿勢において・いわゆる専門の方と異なることは何もありませんが、批評書くことで喰うということは してないから素人と言っているだけのことです。しかし、いちおう肩書きとしては批評家を名乗らせてもらっております。

別に専門の方を貶めるということではないけれど、素人=アマチュアリズムということは姿勢として大事なことなのです。それはお金のため・生活のために姿勢を卑しく することはしないということです。昔の方はそのように考えたものなのです。今はオリンピックもショー化してしまってプロの参加を認めていますが、昔はプロはオリンピックに参加できなかったものでしたね。アマチュアというものは尊いのです。何事も「好きこそ物の上手なれ」が原点であるからです。

近年は世間に「技術的・質的にアマよりプロの方が上」というイメージが蔓延っているようですが、そういうのはまったく間違いです。インターネットはそのような学問の閉塞的な構造を打ち破るためのツール になると吉之助は考えているのです。吉之助自身がインターネットという媒体なしであり得なかった批評家ですが、ネットの世界にもっと後続の方が出てくれば良いなあと思います 。

豊竹麓大夫という名人がいました。義太夫の風の系譜は麓大夫を以って最後とするのです。「絵本太功記・十段目」は麓大夫が初演したものです。麓大夫は通称「鍋屋宗左衛門」と呼ばれた素人浄瑠璃の名人で、麓太夫という名は自分は山の麓にいるに過ぎぬという意味の芸名です。当時は人形浄瑠璃が苦境の時期でしたが、麓大夫は「豊竹座が苦しいのなら俺が行って立て直してやろう」と行って豊竹座に出座したのです。吉之助としてはこのくらいの気概で行きたいものです 。

○「歌舞伎素人講釈」は理屈っぽくて難しいという方もいると思います。

サイト開設の時は読者の反応を気にしたこともあって、多少内容を抑えていたことがありました。3年目辺りから「かぶき的心情」というテーマが入って内容が 次第に観念化してきて、五年目辺りからはオペラの話が挟まるわ・バロックなんて話は出るわ、フロイトやラカンの心理学が出て来るわ、最近は谷崎潤一郎折口信夫のことばかりで、それらの方面にあまり興味のない方にはとても読み難くなったと思います。クラシック音楽や心理学のことはもちろん歌舞伎を解析するために吉之助が利用していることですが、興味のない部分は適当に読み飛ばして・分かる部分をつまみ読みで結構だと思います。隅から隅まで理解する必要はないし、ご関心のあることは人それぞれ異なることで、楽しみ方はいろいろです。

ご存知の通り、サイト「歌舞伎素人講釈」のコンセプトは、歌舞伎・文楽などの伝承芸術を通して「日本のこころ・芸のこころ」を考えるということなので、吉之助にとって歌舞伎・文楽はひとつの材料というか・話のきっかけに過ぎないのです。歌舞伎をとことん楽しむには、歴史や文学や哲学や音楽などいろいろ知らなければならないので、アッ分かったと思った瞬間にもう次の疑問が湧いてくる、そんなものです。吉之助は「忠臣蔵」については書けることはもうすべて書いたと何度も思ったか分かりませんが、今だに書く材料が湧いてきます。多分また「忠臣蔵」を書くことになるのでしょう。

吉之助としては、この論考ではこの曲と歌舞伎を対比してるけど・機会あればその曲を聴いてみようかなあとか、この論考で引用されているから・谷崎潤一郎や折口信夫のこの本を読んで見ようかなあと、読者がそう思ってくれるならば、それで十分なのです。何年か経って、あの時はよく理解できなかったけど・吉之助が書いていたのはこういうことだったかと思い出して読み返してくれるならば、書き手としては本望ですねえ。歌舞伎でクラシック音楽の話など読みたくないと仰る方をどうにかして「歌舞伎素人講釈」の方に振り向かせたいという気はあまりないですね。自分がツマラナイと思うものを無理して読むことはないのじゃないですか。

○どうして歌舞伎の批評にクラシック音楽の話が入るのですか。

吉之助がクラシック音楽で学んできたことを・それを表に全然出さずに「歌舞伎素人講釈」を書くことは、不可能ではありません。最初の2・3年はそうやって書いてきたのです。ただし、多少まどろっこしいところがあって、それは吉之助にとってはちょっとストレスのあることでした。 吉之助としては歌舞伎とクラシック音楽のロマン派との共通性を強く感じているので、そこのところを強調したいのです。現在ははっきりと意図的に歌舞伎にクラシック音楽をコラボレーションしています。「歌舞伎素人講釈」では江戸は19世紀末西欧の状況を先取りしたということをずっと言って来ました。これは論法を逆に取れば、歌舞伎を普遍化できる・歌舞伎のテーマを世界に説明できるものにできる可能性を含んでいるということです。

歌舞伎の美学を日本独特のものである・歌舞伎のドラマは外国人には理解が難しいものであるなどと考えたことは、吉之助は一度もありません。吉之助は歌舞伎とクラシック音楽を区別することはないし、むしろ歌舞伎の理解のためにクラシック音楽を聴くことはとても役に立つことだと思います。「歌舞伎素人講釈」は英訳はされていませんが、外国人の方は「歌舞伎素人講釈」を読めば、他のどの歌舞伎本より も歌舞伎のことがスンナリ理解ができるはずです。

○クラシック音楽のどこが歌舞伎の理解に役に立つのでしょうか。

歌舞伎は型の芸術だとよく言われますね。歌舞伎が型の芸術だと言うならば・フォルム感覚について好い加減なことは許されないはずですね。歌舞伎役者が芸の継承のことを真面目に考えていないとは思いませんけれど、 歌舞伎の世界は、役者も劇評家も観客も、フォルムに対する意識がちょっと希薄ではないかと思いますね。歌舞伎に芸のフォルムという概念が提示されたのは、実はそんなに昔のことではないのです。それは武智鉄二によって提示されたもので、歌舞伎の世界では未だに認知されているとは思えません。これについては別稿「伝統芸能における古典(クラシック)」のなかで触れましたから・そちらをご覧いただきたいと思います。

フォルム感覚がない音楽をクラシック音楽であるとは呼びません。これはクラシック音楽を学ぶ者の基本です。 歌舞伎にフォルム感覚を想起させるためには、クラシック音楽のリズム解析を用例にすることがとても役に立つと考えます。武智も吉之助も、このような立場から伝統芸能に入っているのです。 歌舞伎にフォルム感覚が希薄なことはホント信じられません。そのくせ歌舞伎は型の芸術だなんてのたまわっているのだから、ホント驚きます。武智が歌舞伎再検討に踏み出した動機が何であったのか、吉之助にはよく分かっています。それは歌舞伎に正しいフォルム感覚を植えつけること なのです。それが芸談「芸十夜」に出てくる話なのです。武智鉄二も吉之助も批評活動の出発点にクラシック音楽があったということは決して偶然では ないのです。武智は歌舞伎の演出の他にも、オペラの演出も多数手がけています。

歌舞伎理解のためにクラシック音楽が大事であると考えるのは、ひとつにはフォルム感覚の基本がリズムであるからです。定間を基調として・リズム変化に敏感なクラシック音楽を用例にすることは、歌舞伎にフォルム感覚を与える訓練 としてとても役に立つのです。もうひとつは主としてロマン派以後のクラシック音楽が、かぶき的心情とまったく同じアジタートな気分を体現していることです。このことはフォルム感覚を観念的な方面から理解するための糸口となるでしょう。武智も著作のなかで台詞のリズムのことに触れています が、吉之助ほどではない。さらに踏み込んで歌舞伎をクラシック音楽を積極的に対比させることは、弟子である吉之助に言わせれば、これは武智理論の発展形なのです。この方向を推し進めることは、吉之助にしか出来ませんね。リズム解析がある程度片付けば、次はフレージングの解析に行きたいものです。

○これからも劇評は書かないのですか。

観劇随想をご覧になるとお分かりの通り、芝居の話題はあくまで文章の取っ掛かりに過ぎず・論点の中心がそこにない場合が多いので、吉之助はこれを劇評と位置付けて いませんが、劇評書けないわけでもないでしょう。ただし、吉之助の場合は内容が書くことが偏るから、劇評向きではないですね。まあ随想(エッセイ)の形でダラダラと書く方が吉之助向きなのです。これは折口信夫などもそうでした 。

劇評というものは江戸時代の評判記の系譜を継ぐもので記録性を持ちますから、対象全般に眼を配らねばならないし、ある種の公平さと客観性がなければなりません。そこにさりげなく評者の視点を入れる わけです。昔の戸板康二のようなバランスの良い批評を心掛けている劇評家は現在はあまりいないようですねえ。自分を前面に出したご感想ばかりが目立ちます。老舗雑誌だった「演劇界」が駄目になったのもそのせいです。しかし、まあこれは歌舞伎の劇評ばかりのことではありません。文芸批評も音楽批評も同じような お寒い状況だと思います。

その月のお芝居の批評なり随想をサイトにすぐ載せることは、サイトの同時性・話題性ということでもとても大事なことですし、アクセス稼ぐのに有効なことは分かっているのです。昔と違って吉之助は毎月歌舞伎を見ているわけではないし、すべての演目に関心があるわけでもないですが、見た舞台についてはできるだけ記事にしたいとは思っています。

○これからの「歌舞伎素人講釈」はどのような方向に行くでしょうか。

サイト・メルマガに関しては、まずフォルム論を少しづつ片付けていきたいと思います。吉之助が保有している舞台映像に関して作品論あるいは観劇随想にできるものは順次記事にしていきたいと思います。多分それらが将来の歌右衛門論や玉三郎論のベースになると思います。また講話会という形での勉強会も充実させていきたいと思います。

「歌舞伎素人講釈」のホームグラウンドはあくまで歌舞伎ですから・歌舞伎から完全に離れることはありませんが、現在連載の折口信夫谷崎潤一郎の論考のように・内容的に歌舞伎から若干離れたものがこれからも出てくると思います。とりあえず三島由紀夫 を将来のターゲットに考えています。それと、メモはかなりの分量が手元にあるのでクラシック音楽のコーナーを充実していきたいと思います。

(H23・1・1)



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