グレン・グールドの演奏
(リンクをクリックすれば該当曲目に飛びます)
ベートーヴェン(リスト編):交響曲第5番「運命」・第6番「田園」
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第10番・ト長調
ベルク:ピアノ・ソナタ・ロ短調
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番二短調
ブラームス:ピアノ五重奏曲・へ短調・作品34(追加)
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調
グールド:弦楽四重奏曲・作品1
メンデルスゾーン:「無言歌」集より5曲
モーツアルト:ピアノ協奏曲第24番・K466
モーツアルト:ピアノ・ソナタ第11番・K331
プロコフィエフ;ピアノ・ソナタ第7番・変ロ長調・作品83
ラヴェル:ラ・ヴァルス
シェーンベルク:ピアノとヴァイオリンのための幻想曲
シューマン:ピアノ四重奏曲・変ホ長調・作品5(追加)
R.シュトラウス:ピアノ・ソナタ・ロ短調
R.シュトラウス:「イノック・アーデン」
R.シュトラウス:オフィーリアの3つの歌
スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番・嬰へ短調・作品23
ワーグナー:ジークフリート牧歌(13楽器によるオリジナル版)
ワーグナー(グールド編):楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
ワーグナー(グールド編):ジークフリート牧歌
○ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(グールドによるピアノ編曲・1973年CBSスタジオ録音)
このところ「歌舞伎素人講釈」の記事でカナダの名ピアニスト:グレン・グールド(1932〜1982)に触れる機会が多いのですが、吉之助にとってグールドは好きなピアニストという よりも、彼はとても気になるピアニストなのです。吉之助にとって長い間グールドは疎遠な演奏家でした。それは別館「クラシック音楽雑記帳」を見ればお分かりの通り・吉之助が圧倒的にモーツアルト・ベートーヴェン以後からロマン派嗜好であるためで、グールドは何と言ってもバッハで定評が高く・逆にロマン派のレパートリーが非常に限られるため必然的に聞く機会が少なかったのです。現在の吉之助はバッハをあまり聴きませんが、その理由は「バッハは晩年の楽しみのために取ってあ る」と言うことにしています。これは半ば本音でありますが、実はグールドのバッハを聴いていると吉之助の頭のなかは数字や元素記号が飛び交うような感じがして長く聴いていられないのです。晩年の吉之助がバッハを楽しんで聴くならば、「平均律クラーヴィア曲集」はグールドでなくて・リヒテルの演奏を選ぶかも知れません。
吉之助が最近グールドに興味を持つようになったのは、吉之助にはグールドの演奏に対する姿勢(コンサート・ドロップ・アウトあるいは録音に対する考え方)がとても示唆あるように感じられたからです。例えば歌舞伎においても劇場での生の舞台と・ビデオ映像による鑑賞とをまったく差を付けない吉之助の考え方はクラシック音楽鑑賞の仕方に深く関連しているのですが、理論的にはグールドの考え方とまったく同じようです。しかし、だからと言って吉之助は劇場に行くのを完全にやめるつもりはないですし・真夏にマフラーや手袋をするグールドの真似はしませんが、吉之助とグールドとは芸術に対する考え方が似てるのかもなあと最近思うようになりました。
グールドは聴き手に仕掛けてきますので・聴く側も心して聞かねばならぬので、吉之助はグールドを楽しんで聴くということはないのです。時間に余裕がないせいもありますが、目下のところ吉之助はグールドの演奏をぶっ続けで聴くことはなく・ほとんど楽章単位の細切れで、一楽章聴いたら・しばらく間を置いて・また次という感じです。気になる箇所があったら・プレーヤーを止めて・何分か戻してそこを聴き直す。場合によっては別のピアニストの同じ箇所を聴いて・また戻るという感じです。 つまり細切れ聴きでして、「あなたの録音をこうやって聴いてます」と言ったら多分グールドは目を細めて喜んでくれると思いますがねえ。実際歌舞伎の舞台ビデオを見る時の吉之助は しばしばこれに近いわけです。ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(グールドによるピアノ編曲・1973年CBSスタジオ録音)は実に興味深いものです。ひとつはグールドのピアノ編曲ではワーグナーの対位法的構造がオリジナルの管弦楽版よりよく分かるということがあります。グールドは「音楽の横の線ではなく縦の和声関係がとても気に掛かる・ロマン派作品の演奏は響きの豊かさ・線の滑らかさに傾斜してこの点への意識がおろそかになっている」というようなことを言っていますが、 その要素を強調した編曲にはグールドの主張がよく出ています。それと興味深いのは中間部の愛の動機の和声の絡み合いにまさしく「トリスタンとイゾルデ」だと感じさせる 印象が現出することです 。音楽の縦の線が揺らぐのです。管弦楽の場合だとこの印象がこれほど明確に浮き上がってくることはないので、 これはハッとさせられます。その結果、愛の動機とマイスタージンガーの動機の交錯のなかに「マイスタージンガー」の喜劇的性格が明瞭に現れます。
これは別稿「和事芸の起源」で触れた「誣(し)い物語は滑稽味・諧謔味という形をとることが多い」という原則を思い起こさせます。「マイスタージンガー」の喜劇性というのは・ もちろんニュルンベルクの市民階級を笑いのめすというものではなく、ともすれば反社会性のなかに沈み込んでいきそうな主人公の感性を社会の規範の方へ引き戻すという健康的かつ快活な要素なのです。この点は別稿「宿命の恋の予感」が参考になるでしょう。このような曲の縦の構造をグールドの編曲は再発見させてくれました。 次いでに言いますと、このことはメルマガ第146号「世界とは何か」に書きました通り・鶴屋南北のパロディ性・諧謔性は実はその時代の精神の健康さから発するということの例証ともなり得るものです。
○ラヴェル:ラ・ヴァルス(ラヴェル編曲のグールド校訂版・1975年・CBCテレビ)
グールド編曲によるワーグナーを聴くと、グールドが編曲で目指すものは管弦楽の響きをピアノで模することではなく、逆にそのような響きの豊穣さへの志向性を否定して・音楽の構造的な要素を強調 することだということが見えてきます。その特徴はソステヌート・ペダルの拒否、ノン・レガート奏法により「歌わせる」スタイルを排除することなどに現れています。グールドは次のようなことを言っています。
『私が日頃から抱いている確信は、重要な作曲家の大半にとってピアノは管弦楽の代替物であったということです。ピアノは本当は弦楽四重奏や合奏協奏曲の編成や大管弦楽などの形で演奏されるべき音楽を響かせるために存在してきたのです。脳裏に別の音響体系を持たずにピアノ曲を書いた作曲家に一流の人はほとんどいないと思います。』(グレン・グールド:1980年のインタビュ-・「グレン・グールド発言集」に収録)
ピアノという楽器の性能は19世紀になって飛躍的に向上し・その響きの豊穣さと表現力を増していくわけですが、それはロマン派の管弦楽法の発展と密接な 関連があるわけです。純粋にピアノのために書かれた作品さえどこかに管弦楽の響きへの憧れを持ってい ます。音楽学者ハインリッヒ・シェンカーは、それは「ピアノが持っているところの本来的な要求である」と言っています。その例としてロイ・ダグラスによるバレエのためのショパン作品の見事な管弦楽への編曲(レ・シルフィード)が挙げられるでしょう。 純粋にピアノのために書かれた最もピアノ的な小品群がとても素敵な管弦楽の響きに置き換えられています。もちろん編曲者の巧さをまず褒めるべきですが・決してそれだけではなく、ショパンのピアノの響きのなかにそれを期待する何かの要素があるのです。
ラヴェルの管弦楽作品の場合も・この場合はピアノ版は管弦楽のスケッチという位置付けではないですが・「道化師の朝の歌」・「マ・メール・ロア」など作曲者自身のピアノ編曲版が並行して出版されています。 やはりそこにピアノと管弦楽の可逆的な関係が見えます。「ラ・ヴァルス」ではラヴェル自身による独奏用と・二台のピアノ のための連弾用編曲が残されています。後者についてはマルタ・アルゲリッチとネルソン・フレイレによる見事な録音がありますが、その演奏では管弦楽の響きの豊穣さ・色彩感をピアノで表現しようとする意図が見事に現れています。「ラ・ヴァルス」はもともとウィンナ・ワルツへの幻想曲として構想されたもので、管弦楽の場合にはどうしてもロマンティックに傾いて・古き良きウィーンへの憧れを歌う趣の演奏が多いように思います。もちろんそれも魅力的に違いありませんが、しかし、作曲時期が第一次大戦を経ていることもあり・ラヴェルのオーストリアへの想いは複雑だったようで、この曲はむしろ崩壊への予兆 ・死の舞踏という世紀末的性格が強いものだろうと思います。ですから「ラ・ヴァルス」は本当は皮肉なワルツ幻想曲なのです。
グールドはフランスものをほとんど弾きませんでしたが、グールドとしては珍しい この「ラ・ヴァルス」の演奏はラヴェル自身の編曲版にグールドが若干の校訂を施した楽譜を使用しています。響きの豊穣さを否定しようとするグールドの行き方は・本人がそう言っているように「反ピアノ的」な行為ですから・ここでのグールド版・「ラ・ヴァルス」もモノクロームな渋い印象になっていますが、期せずしてその皮肉な態度が曲の本質にマッチしたということかも知れません。 とても面白い演奏に仕上がっています。グールドのピアノ演奏はワルツを歌わず・響きの豊饒性を抑えることで、この曲につきまとう幻想的な甘さを剥ぎ取ることに成功しています。冒頭部など調性が定まらないところからワルツの旋律が浮かび上がる場面に新ウィーン楽派との近似性が聴こえてくるようです。
○ワーグナー:ジークフリート牧歌(グールドによるピアノ編曲・1973年CBSスタジオ録音)
グールドのピアノ編曲を聴くと、吉之助はグールドのピアノと言う楽器に対する愛を感じずにはいられません。グールドがダイナミクスを抑えたノン・レガート奏法で弾いたバッハについて、初期(60年代)の批評を見ますと、バッハの時代にはまだ機能的に不十分だったクラーヴィア・コード(ピアノの前身)の貧弱な響きをピアノで意識的に模したものだという・古楽器的な見地からグールドを評価する批評が多かったようですし、当時はグールド自身もそれを肯定するような発言もしていたようです。しかし、その後古楽器が次第に復古してくると、それならば始めからチェンバロでバッハを弾けば良いじゃないか・どうしてそれをわざわざピアノでやる意義があるのかということにもなってくるわけです。時期的にはよく分かりませんが、グールドはその辺から次第に理論的な転換をし始めたようです。73年にグールドが残した3曲のワーグナーのピアノ編曲を聴くとそのことが何となく分かってくるようです。グールドは次のように書いています。
「ピアノはモノフォニックな音楽よりも対位法的な音楽を弾くのに最適な楽器だと私自身は確信しています。またこれも私見ですが、ワーグナーの作品で一番ピアノ向きなのは管弦楽の色彩になるべく依存じていない・しかも構造に輪郭が対位法として抽象的に描ける作品だと思うのです。だからこそ私は「マイスタージンガー」前奏曲とジークフリート牧歌、そして若干の留保を付けますが「夜明けとジークフリートのラインへの旅」を選んだのです。」(「グレングールド書簡集に収録)
モノフォニックというのは主旋律がまずあって・それを浮き上がらせる・あるいは立体性を持たせる形で和声があることを言います。グールドはピアノに最適な音楽として対位法的な機能(複数の旋律がその独自性を保ちつつ調和を以って鳴り響く)をイメージしているということです。ですからグールドが「若干の留保をつける」と記した「夜明けとジークフリートのラインへの旅」のどの部分が彼の注意を惹いたのかということは明らかなことで、それは冒頭の木管と弦がけだるく絡み合う「夜明け」の箇所であったに違いありません。
グールド自身が非常に大事な音楽だと公言していた「トリスタン」 を・どうしてグールドが編曲しなかったのかも明らかで、それは響きが分厚つ過ぎて構造線が明確に引けないところにあったでしょう。「トリスタン」はモノフォニックな音楽ではなくて・色彩の絡み合いの音楽だからです。響きが官能的に過ぎるので・ピアノにはそれが表現しきれないと考えたのかも知れません。しかし、これはグールドがピアノの響きを大事にしなかったということではなくて、むしろその逆であったことは 、「ジークフリート牧歌」のテンポの取り方が異様に遅いところによく出ています。グールドは旋律線の絡み合いを味わうように・慈しむようにじっくりしとテンポで弾いています。その ピアノの響きは決して色彩的とは言えませんが、そこに天国的なけだるさが感じられます。ここに自らを新古典主義者を標榜するところの・グールドのロマンティックな一面が現れているのだろうと思います。
○ベートーヴェン/リスト編曲:交響曲第5番「運命」(1967〜68年・CBSスタジオ録音)、同:交響曲第6番「田園」(1968年・CBCラジオ)
グールドはピアノという楽器の対位法的性格に強い関心を持っているようです。管弦楽曲の旋律の和声が同じ音型を繰り返す場合・これをピアノに移し変えると、左手の伴奏がしばしばブンチャッチャ式になり勝ちで・ピアノの打楽器的要素が不必要に強調されるために・それはしばしば「素晴らしく陳腐なものになる」という主旨のことをグールドは言っています。だからそうした事態を避けようとすると管弦楽のピアノ編曲で・ピアノの特性を生かせる素材は自ずと限られてくるとグールドは言います。(1973年ケン・ハズラムのインタビュー・「グレン・グールド発言集」に収録)リスト編曲によるベートーヴェン:交響曲第5番もそのような視点からグールドが選んだものだろうと思います。作品自体が対位法的構造を強く意識したものですし、左手で奏される運命の動機はブンチャッチャ式のものではなく ・曲全体を通してよい意味で打楽器的な力強さを与えるものですから、グールドの主張を裏付けしたものになっていると思います。グールドの演奏はこの交響曲の骨太い構造をよい意味で意識させますし、モノクロな音色と早めのテンポに推進力があって・聴き応えのある演奏に仕上がっています。
それにしても「運命」の方はもともと構造的な作品ですから・グールドの路線から行くとまあ納得できる選択でもあり・演奏内容も想像が付かないわけではないですが、興味深さという点なら第6番「田園」の方がさらに興味深いものだと思います。 グールドは時折極端なテンポ設定をとることがあり・第2楽章などは確かにテンポはかなり遅いですが、このくらいの遅さならままあることなので驚きはしません。それにしてもそのテンポのじっくりした遅さから響きの混ざり具合をじっくりと楽しみながら弾いている感じが伝わってきて、グールドのピアノへの愛をひしひし感じますねえ。
もうひとつは「田園」は標題音楽として文学的修辞を含んでおり・ロマン派音楽の先駆的存在ですが、ここでグールドは音の響きにイメージの過度の装飾を求めず・響きに純粋な音楽的構造を見ようとしていることです。「田園」が「運命」と対の作品であることの意味を考えながら・第3楽章から第5楽章への情景の変転の様を聴いていると、そのリズム変化の大胆さと言い・ 曲想変化の妙と言い・「田園」というのは斬新な発想の実験的作品であるなあと改めて感嘆させられます。リストの編曲もなかなか良い仕事していると思います。リストのピアノへの愛も強く感じますねえ。というわけでこのグールドの演奏は(もともとセットで企画されたものではないですが)「運命」と「田園」を併せて聴くと、その面白さがより分かる仕掛けになっていると思います。
○R.シュトラウス:「イノック・アーデン」(朗読:クロード・ランス、1962年CBS・スタジオ録音)
今は廃れてしまった形式ですが・19世紀パリ社交界では「メロドラマ」という台詞(あるいは朗読)と音楽が入り混じった娯楽作品がとても流行しました。現在では「メロドラマ」と言えばお涙頂戴の人情ドラマのことを指しますけれど、その語源はここに発するわけです。そうしたドラマと音楽の結びつきはやがてヴェリズモ・オペラの手法に吸収されていき、さらにその後は映画音楽につながっていくという流れが見出せると思います。
もうひとつの朗読の方ですが、西欧では朗読に対する伝統がありまして、現在でも論文は学会で本人の口演により発表されることが要件ですし・文芸作品でもまず発表会で批評家や聴衆の前で作家が自作を朗読するのが大事な儀式であったりします。もっともメロドラマが廃れてしまったのもそこに要因がある と推察されるわけで、作曲家からすればメロドラマは形式として中途半端・朗読に対して音楽が従であり・感情表現のための介添え役に過ぎない ・あまり面白い仕事ではないということになるのだろうと思います。
リヒャルト・シュトラウスが「イノック・アーデン」(テニスンによる詩のドイツ語訳をテクストとする ・ただしグールドの録音では英語の原詩の朗読)に取り組んだものの・すぐにこれは失敗作だと判断して・これをお蔵に入れようとしたということも気持ちとしては分かる気がします。三分の一過ぎた辺りからあまり音楽がつかなくなって・ 朗読だけの部分が次第に長くなっていくところに、シュトラウスのやる気が急に失せている感じがちょっと見えます。部分的には光る箇所があるのですけどねえ。やはりシュトラウスはオペラあるいはリートの作曲家でしたね。グールドがピアニストとしての腕の発揮が限られる「イノック・アーデン」をどうして取り上げる気になったのか・その理由を考えてみるに、ひとつにはロマン派のピアノ音楽の「饒舌性」(グールドはショパンに対してこの用語を使ったことがある)がメロドラマでは 封じられて・音楽が文学的修辞を持たない(それは朗読が受け持つ部分なのです)ということにあるようにも思われます。それゆえ音楽の響きが持つそれ自体の純粋性が保たれるということがグールドの考えたことであったかも知れません。
あるいはグールドはシュトラウスやマーラーなど後期ロマン派の音楽を愛好し、「彼らがピアノのための作品をほとんど書いていないのはとても残念だ」とも語っていましたから、グールドがこの曲を取り上げたのはちょっと捻ったところのシュトラウスへの敬愛の表れというこということかも知れません。グールドがとても真摯な姿勢で作品に取り組んでいるのがこの録音でもよく分かります。ちょっとしたところでニュアンス豊かなところを聴かせてくれます。
○ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調(1970年7月・CBCラジオ)
アラン・ウォーカーは「ショパンと音楽構造」という論文のなかで、ピアノ・ソナタ第3番を取り上げて次のような意味のことを書いています。この作品は才能の乏しい作曲家ならば統合するのはとても無理と言えるような・少なくとも10のひどく異なった主題を持っており、ショパンはこれを万華鏡のような変化に富んだ構造によって見事に統合してみせた。音楽史のなかでこのことは注目に値する。ベートーヴェンと初期のロマン派の作曲家によってなされた革命は音楽の領域を押し広げ、その結果、構造の統合ということが大きな問題となった。「主題の変容」という技法は長大な構造をまとめるために必要不可欠なものであったが、ロマン派の考えたもうひとつの解決方法は小品を作曲することによって・この問題を回避することであったとウォーカーは言うのです。
さらにウォーカーは、その後・シェーンベルクとその仲間たちが同様の躍進を行なった時にまったく同様の問題が生じ・この問題は同じ方法で解決された。すなわち十二音技法(本質的にこれは統一の技法)と小品の発展であったと 書いています。このウォーカーの論文を引用して・作曲家諸井誠氏は、ここから「ベートーヴェンーショパンーシェーンベルク」という統一的技法展開の驚くべき系譜が見出されるかも知れないと指摘しています。(諸井誠・園田高弘往復書簡・「ロマン派のピアノ曲〜分析と演奏」)これはとても示唆のある指摘です。ショパンがベートーヴェンを尊敬していたことは有名な話です。しかし、ショパンは小品は良いけれど大曲はどうも・・という印象が一般的にあって・ショパンはどちらかと言えば構成に難がある作曲家と思われ勝ちです。一見するとショパンとベートーヴェンはなかなか結び付きません。ソナタ第3番も手法は様々な主題の合わせ絵のようであって・ひとつの主題が論理的に発展していく構造ではないように見えます。しかし、実はここでショパンは小曲を作曲することで普段は回避していたところの・大曲での統一的技法という課題に腰を据えて挑戦しているわけです。ショパンには「構成の統一」についてのひとつの目論見があったに違いありません。
ベートーヴェンにおいても例えば交響曲第9番「合唱」の第4楽章を聴けば、開放的循環方式・器楽的レチタティーヴォ・二重フーガ・教会様式・トルコ風行進曲・カデンツァ風四重唱・ 変奏など様式的に異なった様々な語法を次々に繰り出すという驚くべき構成となっています。見方によってはこれは未整理かつ形式のゴッタ煮であるという見解も可能なわけです。吉之助は最晩年のベートーヴェンの作品群を熟知しているわけではないですが、ここに晩年のベートーヴェンの「構成の統一」への果敢な挑戦があったのです。ですから手法だけではなく・思想においてもショパンはベートーヴェンを継承する位置にあるというウォーカーの主張は何となく理解できる気がします。とすればショパンのソナタ第3番 を「構成の統一」という骨太いテーマを以って・これを聴くということはとても意味があることだと思うわけです。
グールドのショパンのピアノ・ソナタ第3番の録音は・彼がプロとしてデビューしてから最初で最後のショパン演奏であったようです。ショパンはピアノのために豊かな作品を提供した 「最もピアノ的な作曲家」であるわけですが、グールドはまさにその理由においてショパンを拒否したのです。グールドの主張はなるほどと思える点もありますが、このソナタ第3番の演奏を聴くと・まあそう毛嫌いせずにもっとショパンを弾いてくれれば良かったのになあと思います。
ノン・レガートなのはいつものグールドですが、ひとつの特徴はダイナミクスを抑えて・平均化した印象に仕立てていることです。その目的は曲を単調にすることではなく・フォルテは本当のクライマックスのために取ってあるのです。もうひとつは「男性的な主題は力強く早く・女性的な主題はゆっくりと優美に」と言うようなステレオ・タイプな描き分けを拒否して、一貫して甘みを殺した処理を心掛けていることです。その結果・モノクロームな渋い印象のショパンになりましたが、芯が一本通った骨太い演奏に仕上がったと思います。この演奏は期せずして・この作品の「構成の統一」という課題に沿うものではないかという気がして・とても興味深いアプローチであると思います。
これはグールドを貶めたことにはならないと思うのですが・この斜に構えたグールドのショパン演奏を聴いた後で、本曲の理想的演奏と言うべきリパッティの演奏(1950年EMI録音)を聴くと・ショパンの意図が手に取るように理解でき るようで・リパッティの解釈の凄さを改めて痛感します。しかし、グールドのビター・チョコレート(カカオ純度90%以上)のようなショパンも悪く決してありません。 もっとショパンを弾いてくれれば良かったのに。
○ベルク:ピアノ・ソナタ・ロ短調(1958年・CBS・スタジオ録音)
吉之助は圧倒的にロマン派嗜好であるため・新ウィーン楽派はせいぜいシェーンベルクの「浄められた夜」まででして、新ウィーン楽派にちょっと理解が乏しいところがありますが、12音音楽はふたつの視点から読めるかなあと思っています。ひとつは過去からの視点で、ロマン楽派が完成した音楽体系が次第に崩れて・調性の縛りが失われ・旋律が崩壊していくという方向に12音音楽を見るということです。
もうひとつは未来からの視点で、その音楽は調性による規律を求めており・豊かな旋律と息遣いへの憧れを強く持っているのであるが・何かの強い制約によってそうなれない・12音音楽とはそういう音楽であるという見方です。ベルクのピアノ・ソナタ・作品1は、いちおうロ短調という調性に設定されていますが、調性の縛りは乏しく・調性はすでに崩壊の方向に向かっています。もうすぐそこに12音音楽が聴こえてきます。前者の視点の演奏としては・例えばアルフレート・ブレンデルの録音を聴いてみたいのですが、それは崩壊の兆しを見せつつも・まだ古典的な佇まいを残しているように感じられ、これも強い印象に残る名演奏です。しかし、グールドの演奏を聴くと・様相がまったく異なって聴こえることに吃驚します。グールドの弾くピアノの音は最初はまったくひとつの意味を持たない純粋の音響(音の塊り)として立ち上がっていて、それが何かの意味を持とうと必死で蠢いているように感じられます。音響が音楽として何かしらの意味を持つためには、音響が繋がっていかなければならぬわけで・つまりそれは旋律になることを志向しているわけですが、そういう明確な形(旋律)をベルクのソナタはなかなか取り得ないのです。しかし、その音の塊りは確かに意志(言いたいこと)を持っているので、聴き手はこれは(従来感覚で言うところの)「音楽」ではないような感じではあるが、それでもこれは確かに音楽なんだろうと感じるのです。グールドの演奏を聴くと12音音楽というのはそういう音楽なのだということが実感されます。グールドは新ウィーン楽派の優れた解釈者でした。グールドの12音音楽への親近性というのは、音楽のなかの文学的修辞を否定し・響きの豊穣さを否定しする「反ピアノ的行為」とグールド自らそう呼んだものと、概念的にも手法的にも近いことから来るわけです。
ところで 吉之助が本稿でショパンのロ短調の次に・ベルクのロ短調を並べたのは意図的なのですが、ロ短調という調性はハイドン〜ベートーヴェンと言った古典楽派ではとても少ない調性だそうで、実にロマン派的な調性なのだそうです。ロ短調のソナタの名曲としてはもうひとつリストのものがあります。これはロマン派ピアノ曲を論じる時に絶対避けて通れない画期的作品ですが、グールドの録音はありません。多分演奏もしなかったでしょう。ショパンだって気まぐれに一回弾いただけですから。しかし、グールドはベルクのソナタ・ロ短調の方は好んで取り上げたようで、数種のライヴ録音も残されています。そう考えるとこのグールドの演奏は・その「反ロマン主義的信条」によってロマン性への憧れを逆説的に表明しているわけでして、そこがちょっとひねくれているというか・それゆえ実に興味深いということが言えると思いますねえ。
○モーツアルト:ピアノ・ソナタ第11番・イ長調・K331(1965年・CBSスタジオ録音)
グールドによると、グールドがモーツアルトのピアノ・ソナタ全曲を録音したいと言い出した時に一番驚いたのは担当の録音プロデューサーであったそうです。グールドは日頃から作曲家としてのモーツアルトにあまり良い発言をしていなかったからです。吉之助の記憶で は・当時の音楽雑誌ではグールドのモーツアルトのレコードは発売される度に「今度はグールドは何をやらかしてくれるか」という感じでその確信犯的なテンポの極端な早さや遅さを話題にする記事が多くて、これが当時の吉之助がグールドから距離を置いた要因にもなったと思います。グールドのインタビュー本に「僕はエキセントリックじゃない」というのがありますが、本人の意図に係わらず・当時のグールドの態度はそういう風に見られることが多かったと思います。まあこれはもちろん本人にも責任はあるわけです。
実は吉之助はこのグールドのイ長調ソナタの録音を最近初めて耳にしましたが、第1楽章(変奏曲)冒頭は数秒聴いて「これはいけないや」と言う感じで昔のレコード芸術の記事など思い出しました。冒頭部はポツン・ポツンと音を出すようなテンポの遅さで、音楽はただの音響(音符)に分解されて・全然旋律になっていなくて「何だ、これは」という感じなのです。それが変奏を経るにしたがってテンポが段階的に速くなっていきます。そして最後の変奏では恐らく同曲の演奏のなかでもかなり早い部類の快速テンポになって終わります。第1楽章を聴き終わって「これはしてやられましたねえ」という感じで笑ってしま いました。
前稿でのベルクのピアノ・ソナタを思い出せば、ピアノの響きは意味を持たない純粋の音響(音の塊り)としてまず立ち上がり・それは旋律になることを志向するのですが、そういう明確な形(旋律)を十二音音楽はついに取り得ないのです。しかし、その音の塊りは確かに意志(言いたいこと)を持っているので、聴き手はこれは(従来感覚で言うところの)「音楽」ではないような感じではあるが、それでもこれは確かに音楽なんだろうと感じるものがあるということです。
これと似たような感覚がグールドの弾くモーツアルトのイ長調ソナタの変奏曲冒頭(第1変奏)にはあるのです。通常の変奏曲では主題の旋律がまずあって、それが展開あるいは装飾されて成長していくということでひとつの世界を形成していくわけですが、ここではまず第1変奏ではピアノの響きは意味を持たない純粋の音響(音の塊り)としてまず立ち上がり(つまりここではまだそれは完全な音楽ではなく)、それが変奏を経るにつれて次第につながって旋律となって、さらに旋律に表情が・ニュアンスが段階的に加えられていって・それが最後に音楽になるという感じに聴こえます。つまり、 吉之助はここで音楽の生成を聴くのです。十二音音楽が憧れてついに取り得なかった旋律の形態をモーツアルトの音楽は取り得ているという幸せとも取れます。
逆に十二音音楽において旋律の生成を阻むものは何かということが逆説的に見えてきます。 ここにふたつの音楽の時代的・感性的な隔たりがあるということを感じます 。これはモーツアルトの解剖学的・哲学的な解釈とでも言うべきでしょう。確かにこの演奏では「僕はエキセントリックじゃない」という言い訳は通用しませんねえ。しかし、とても興味深い演奏であることは疑いありません。ファースト・チョイスとしては決してお薦めできませんが、モーツアルトのソナタに食傷気味ならばこれは食欲回復に効果があるかも知れません。
○シェーンベルク:ピアノとヴァイオリンのための幻想曲(ヴァイオリン:ユーディ・メニューイン、1965年・CBC放送)
ここで取り上げる録音はCBCテレビの番組でグールドとメニューインが取り上げた三曲のなかのひとつです(他にバッハとベートーヴェンを演奏)が、メニューインがこのシェーンベルクの曲を演奏したのはこの時が初めてであったそうです。グールドから本曲の提案を受けた時に最初メニューインは乗り気でなかったようで、グールドは回想のなかで、前日のリハーサルではかなり苦労していたので・心配していたら・当日は素晴らしい出来で「僕の人生のなかで最も素晴らしい体験のひとつとなった」と書いています。
この演奏ではメニューインは楽譜を見ながら弾いていますが、集中力が素晴らしく・切り出す音の鋭さに感嘆させられます。メニューインは完全に曲を自分のものにしたと感じますが、しかし、番組のなかでのグールドとの会話でメニューインは「まったくあなた(グールド)のおかげで私はある信念を以ってこの曲を演奏することができる。でも私のこの曲に向けた信念は身振りについての信念でね、音符についての信念じゃないんです」と正直に言っています。この演奏はフォルムが正しく理解されてさえいれば、描くべきものは確信を以ってそのように描かれるということの見本のようなものです。メニューインは実に冷静かつクリティカルに自己を見つめることができる人ですね。それにしてもこの番組のなかで交わされるグールドとメニューインの会話はもちろん台本なしで・実にさりげないものですが、互いの感性の火花が散るようで・名人の丁々発止の言葉の格闘を聞くが如しで・吉之助にとってひと言も聞き逃せない実に面白いものです。グールドにこの曲の印象を聞かれて・メニューインが「奇妙に感じるのはこの音楽が点描画法的に休止をたくさん含んだ音楽に発展することです。今ふと思いついたんだが、響き方はほとんど同じです。要するに大きなコントラストに欠けるのです。つまり協和音と不協和音の間で大きな音程上のコントラストに欠ける。休止が多いのは恐らくそのためでしょう 。」と言うのですが、これに対してグールドが「強弱がこれだけ多いのもそれで説明できるんじゃないですか。いや実にまっとうなご不満です。極端な強弱があるのはそのためでは?スフォルツァンドとピアノ、それから急なフォルティッシモとピアニッシモも。」と答える辺り・仙人の対話を聞くような啓示を感じます。
上記のグールドとメニューインの会話ですが、吉之助の場合は思考が音楽と歌舞伎を行き来しますから・この会話から江戸荒事のフォルムを連想してしまいますねえ。別稿「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える」のなかで、助六の台詞はベリベリと早口で・全体にセカセカした気分が漂っており、急に声が高くなったり・大声になったり、しかも台詞がブツブツと切れ、「煙管の雨が降るようだわ」というカツンと頭に当たるような高い音への飛躍、「どうでんすな・どうでんすな」と強くブツブツ切れる台詞など誰かにこのイライラをぶつけなければ納まらないような気分に満ちていることに触れました。これはメニューインの指摘するところとまったく同じで、荒事の台詞の根底にあるタンタンタン・・のリズムだけでは単調になってしまうので、リズムの緩急・音の高低で変化をつけるのです。吉之助のなかでは元禄のかぶき者とウィーンの世紀末とが「アジタート」のキーワードで重なってしまうと言うわけです。
○ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ・第10番ト長調・作品10(ヴァイオリン:ユーディ・メニューイン、1965年・CBC放送)
シェーンベルクと同じく・1965年5月に放送されたCBC放送の「デュオ:ユーディ・メニューインとグレン・グールド」のなかのプログラムから。この番組がテレビ放送された時の評判は最悪だったそうで、番組のなかで演奏の間に挿入された二人の会話が一般の音楽ファンには難解過ぎるというような批評が出たそうです。しかし、ふたりの会話は確かに難解かも知れませんが、鋭い感性の駆け引きが感じ取れて実にスリリングなものです。
リハーサルを終えた時の感想でしょうが、メニューインが「あなた(グールド)は最初のうち強弱もフレージングも比較的自由に取っていたが、しかし、リズムは厳格でした。しかし、やがてそれほどでもなくなりましたね。これは私の悪影響でしょうか。そうでなければ良いのですがね。かなりロマンティックになりましたね。」と言う場面など、具体的にどこの・どういう箇所が・・ということは分からないのだけれど、剣豪ふたりが無言で向き合って・その太刀先のちょっとした揺れで互いの考えを読み合い・「おぬし・・・できるな・・」と頷くようなところあり、とても興味深い会話であると思います。興味深いと言えば・演奏自体ももちろん興味深いものです。この曲の標準的な演奏(例えばグリュミーオーとハスキルの名演奏など)と比べると、まずその造型の厳しさと・全体の 感触が鋭角的にゴツゴツしていることにハッとさせられます。グールドのピアノはもちろんですが、メニューインのボウイングが突き刺さるように聴き手に鋭く迫ります。グールドの方は当然こうなるだろうという感じで納得できるものですが、メニューインの方は相手がグールドでなければ多分もっと造形的に柔らかいロマンティックな弾き方になったかなという感じがちょっとします。その意味でもグールドが挑戦的に仕掛けて・メニューインがこれに応じてみせたという・真剣勝負の緊張感が伝わってくる演奏なのです。
演奏前にエネスコがこの曲を「真の春」と呼んでいたことに触れ(注:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」よりももっと素晴らしい「春」の意味)、 「それではエネスコにならって・・真の春を・・」と言ってふたりは演奏を開始するのですが、吉之助にはこの春は「春とは言えども名ばかりで、風はまだまだ突き刺すように寒い」という感じの厳しい春・北ドイツあたりの春・・イヤもっと北のカナダの春かな・・・という感じがしますねえ。それも良し。
○ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」(レオポルド・ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団、1974年8月、米CBSスタジオ録音)
ストコフスキーといえば・古い音楽ファンにとってはディアナ・ダービン主演の映画「オーケストラの少女」(1937年)あるいはディズニーのアニメーション映画「ファンタジア」(1940年)の印象が鮮烈で、指揮棒を使わない・ 颯爽たるスタイリッシュな指揮ぶりが忘れられません。その一方でストコフスキーは楽曲を分かり易く・より効果的に聴かせるために大胆なテンポ設計をし、またスコアの大幅な改変を辞しませんでした。現代は楽譜忠実主義の時代ですから・こうしたストコフスキーの姿勢はいつしか異端視されて、近年はまともなクラシック・ファンならストコフスキーと言えば鼻で笑うような風潮もなくはないと思います。
もっともデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」はやっぱりストコフスキーでなければなりませんし、吉之助がムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」の数多い管弦楽曲編曲(最も有名なものがラヴェル編曲版であるのは周知の通り)で一番面白いと思ったのは実はストコフスキー版でして、最後の「ババ・ヤーガ」から「キエフの大門」などはそのドギツイほど濃厚な色彩感覚がいかにもロシアの土俗性を感じさせ、これが吉之助の密かなお気に入りだったりします。グールドも周囲から「君はストコフスキーのどこが好きなんだ?」と笑われながらも、ずっと 熱心なストコフスキー・ファンであったようです。このベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の録音はグールドとストコフスキーの唯一の共演ですが、なるほどふたりの相性がとても良い感じがします。ストコフスキーはその強烈に個性的な解釈のせいか・協奏曲を演奏する機会が少なめであったようです。とは言えラフマニノフやハイフェッツとの共演の録音など吉之助も知ってはいますが、ストコフスキーが合わせ物が巧いという イメージはありません。しかし、この録音を聴くと・ストコフスキーとグールドの息はピッタリ合っていますし、 同曲のグールドと他の指揮者との録音と比べても・グールドの表情は生き生きしており、演奏の自由度は高いように思われます。まずストコフスキーの指揮するアメリカ響の響きの明るさと軽やかさに驚かされます。いわゆるドイツ風のゴチック建築を思わせる暗く重めの響きではありません。これだけで保守的な音楽ファンは拒否反応を起こしそうですが、これはまさにベートーヴェンから「ドイツ的伝統」という名の苔を洗い流した響きなのです。この響きをグールドは求めたのだなあと思いますねえ。
ところで1977年に発表されたグールドの文章「ストコフスキー・全6幕」はとても面白いものです。グールドの個人的なストコフスキーの思い出を6つの場面で回想したものですが、特にテレビ番組でグールドがインタヴュアーを勤めてストコフスキーのコメントを取る最後の場面が実に素敵です。グールドはインタビューのしょっぱなにこんなことを言い出します。
『マエストロ、私はこんな夢を繰り返し見るんです。夢のなかの私は、どこかよその惑星・多分よその太陽系の惑星にいるようなのです。はじめは、自分がそこで唯一の地球人のように思われます。・・・(中略)・・そこの惑星には非常に進歩した文明の生き物が住んでいるのですが、彼らはわれわれが「芸術」と呼んでいる概念とまったく係わりがないまま生きていたとします。そのような場合、まずお伺いしたいのは、マエストロは我々の世界で言う芸術の力のことを彼らに知って欲しいと思われるかということ、第二に・もしそのことを知らせるとしてどの程度まで知ってほしいかということなのですが・・・。』(グレン・グールド著作集・2:パフォーマンスとメディア・上記は若干文章を改変しています。)
グールドの後ろで取材班一同が慌てふためいている気配が感じられます。ストコフスキーはグールドを見詰めて「いったい誰にインタビューしているんだ」というような不思議そうな表情を浮かべるのですが、ゆっくりとカメラの方へ視線を戻して・やがて語り始めるのです。ストコフスキーのその感動的な返答は「グレン・ グールド著作集・2」に収められていますから、興味のある方は是非それをお読みください。ストコフスキーがいっぺんで好きになりますから。もちろんグールドも。
○ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック、1962年4月6日、ニューヨーク・カーネギー・ホール・ライヴ)
演奏に先立ち「自分とオーケストラはグールド氏の主張するテンポとダイナミックの解釈にまったく賛同ができないが、今回はグールド氏に敬意を表し・とりあえずこの実験につきあう」旨のバーンスタインの異例の演説があって・演奏が始まります。これは毎度取り上げられるグールドの奇行伝説のなかでも超ど級のエピソードなのですが、この録音を聴くとバーンスタインが大真面目に演説しているのに聴衆の嬉しそうな笑い声がよく聞こえます。不思議に思って調べてみると、このプロのニューヨーク・フィル定期は5日・6日・8日の三回あって、この録音は2日目のものなのです。つまり前日の騒ぎを知って「期待している」聴衆が来ているわけで、すでに茶番と化しているようです。そう思って聴くと 「協奏曲で主導権を取るのは指揮者か?ソリストか?」というバーンスタインの演説も何やらテレビ番組「ヤング・ピープルズ・コンサート」の「コンチェルトって何?」のひとコマのようにも思えます。
聞くところでは8日の演奏会でのグールドのテンポは普通だったとのことで・何を 以って普通というのかはともかく・6日の録音のテンポも初日の5日と同じであったかどうかは分からぬところがあります。こうなると5日の演奏が聞きたくなりますが、残念ながら録音は存在せぬようです。まあこういうことですからグールドがいくら「僕はエキセントリックじゃない」と主張したところで誰も信じはしませんね。第1楽章冒頭のテンポは確かに遅いのですが、吉之助の聴いたなかではバレンボイムとチェリビダッケが共演した1991年7月のミュンヘン・フィルの演奏(テルデック録音)の方がテンポはずっと遅いと思いますし、別に驚くほどの遅さではないように思います。ただしバーンスタイン指揮のオーケストラは自ら「解釈に賛同できずお付き合いでやる」と告白しているくらいなので仕方ないところがありますが、あまり良い出来とは言えません。第1楽章はともかく・第2楽章はテンポが持ちきれていないし、後半は響きが割れていて・バーンスタイン時代に言われたニューヨーク・フィルの低迷はさもありなんと思います。
グールドのソロはダイナミクスを抑えて音の粒を揃えて平坦さを強調したもので・なるほど日頃のグールドの主張がそれなりに出ていると思います。グールドの主張とは、まず男性的で力強い第1主題・女性的で優美な第2主題という弾き分けには反対、第1楽章から最終楽章までテンポをあまり変えずに太く一貫した性格を保持すること、さらにヴィルトゥオーゾ的な技巧をひけらかすロマン派協奏曲の在り方には反対で・オケのなかにピアノが埋没して・合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)のような印象を呈すること・というような主張です。
ということはグールドの主張は見方を変えれば、バーンスタインが演説のなかで提起した「コンチェルトで主導権を取るのは指揮者やソリストか」という問題に対してグールドは指揮者主導を認めているような感じもあるわけです。ですから不承不承でもいったん合意したらその遅いテンポで強引に押し通してソリストに対して「俺のこのテンポに乗って来い」という感じでふてぶてしく行けばピアノ付き交響曲に仕上がって良かろうに(この曲はもともとそういう性格を持っているのです)と思うのですが、バーンスタインは正直なのでしょうねえ。バーンスタインの伴奏を聴いているとソロに合わせよう合わせようとしている気配が濃厚に伝わってきて、却ってバーンスタインの方がソリスト主導の協奏曲のイメージに捉われているのが見えてしまったようです。コーダはしっかりテンポを守って重く締めてもらいたいと ころですが、ゴールに向けてテンポが上ずった感じがします。まあそれにしても付き合わされたバーンスタインの方はご苦労なことであったと思います。
○ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1957年5月26日ライヴ、ベルリン音楽大学ホール)
グールドはカラヤンをとても尊敬していました。インタビューでも愛聴盤としてカラヤンのレコードを多く挙げていましたし、自らプロデュースしたラジオ番組のなかでも度々カラヤンの録音を取り上げています。この録音はグールドとカラヤンの数少ない共演(その他にはバッハのピアノ協奏曲第1番の記録があるのみ)ですが、ここでも互いに気の合ったところを聴かせます。グールドと言えば解釈が個性的(変っているという事)というイメージがありますが、この録音でグールドが奏でるベートーヴェンは実にまっとうな・オーソドックスな解釈です。強いて言えばノン・レガートで響きの余韻をできるだけ抑えて・骨太い演奏を心掛けたところにグールドらしいところが聴こえますが、それもベートーヴェンのフォルムにかなったものです。第3楽章の軽やかなリズムも派手な 感じがなく・しっかりとした落ち着いた足取りで、これがちょっと渋めの第3番のイメージによく合います。
一方、カラヤンのサポートは当時のベルリン・フィルのやや暗めの渋い音色をよく生かして・早めのテンポで引き締まった造型を見せたまさに正統的なベートーヴェンです。それではグールドとカラヤンの共通項はどこにあったのかと言えば、それは構造性へのセンスだと思います。 その演奏のどの部分を切り取っても・全体のなかでの部分の位置がしっかりと見えるということです。だからレコーディングする時に仮に第2楽章の途中から始めて・次に第1楽章冒頭に移っても、後で合わせて見ると全体の枠のなかにピースがぴったり合うわけです。もちろんこれは感覚的にそう感じられるというレベルの話であって・実際には微妙なズレは出るでしょうが、多少のことならば後で録音の修正は効きます。全体が見渡せるということはレコーディング・アーティストにとって大事な才能なのです。
後年76年頃のことですが、当時演奏会活動から引退して・録音活動だけに専念していたグールドにカラヤンが録音を持ちかけたことがあったそうです。グールドからの提案は、1)両者がまず電話でテンポ など解釈の細かいところを打ち合わせる、2)それに基づきグールドがまずピアノ・パートだけを録音する、3)カラヤンはそのテープをヘッドホーンで聴きながらオケ・パートをピアノ抜きで録音、4)出来上がった録音をミキシングするというものであったそうで、それでさすがのカラヤンも共演を断念したということです。76年の時点でグールドのレコーデイング哲学はそこまで突き詰められちゃったわけですが、 試しにカラヤンがグールドの誘いに乗ってくれてれば面白かったのになあと今にしてみると思いますねえ。グールドの気持ちを分かって・こういう実験に付き合ってくれそうなのはカラヤンだけと見込んだ提案だったかなと思うのですが。
○モーツアルト:ピアノ協奏曲第24番 K.466(ワルター・ジュスキンド指揮CBC交響楽団、1961年CBS録音)
モーツアルトは27曲のピアノ協奏曲を残したとされています(ただし1〜4番は他人の曲を編曲したものであると後に分かって新モーツアルト全集では除外されています)が、ピアノ協奏曲は浮き沈みの激しかったモーツアルトの生涯を反映するかのように曲調の変遷が大きいジャンルです。1780年代前半のウィーン時代のモーツアルトはコンサート・ピアニストとして売れっ子で・演奏会の予約も好調で結構な収入もあり、モーツアルトの生涯ではもっとも華やかだった時代とされています。その予約演奏会の呼び物がモーツアルトが弾くピアノ協奏曲で、そのために曲が量産されました。1784年には14番から19番の協奏曲群が作曲されます。これらは華やかで活気があって・またウィーンの聴衆の好みも反映されたものになっています。
しかし、20番以降の協奏曲は聴衆に背を向け始めたというわけでは決してないのでしょうが、曲想に翳りが出てきて・内省的な要素が次第に強くなってきます。1780年代も末になると演奏会を開いても客が集まらず・モーツアルトの生活はだんだん困窮の度合いが増していきます。この辺は曲の感じが変わって好みが合わないからウィーンの客が離れていったのか・客が離れていくからモーツアルトの曲調が変化していくのかよく分かりませんが、まあ相互関連しているのでしょうねえ。第24番は1786年3月の作曲ですが、冒頭の管弦楽の出だしなど妙にシリアスで重い感じでハッとさせられます。
つい「妙に」と書いてしまいましたが・これは吉之助にモーツアルトはメランコリックではないと思いたい先入観(何と言っても神童ですからね)があるせいかも知れませんが、当時のウィーンの聴衆も「妙にシリアスだなあ」と感じたのではないかと思いますねえ。要するにモーツアルトは未来の音楽を先取りしているのです。モーツアルトの20番以降の協奏曲群を聴くと吉之助はそのようなことをよく考えるのですが、これは演奏者によって曲の印象は変るようで・華やかなウィーン時代の余韻を残すかのような軽やかで煌めくタッチの演奏もあって・これももちろん悪くはないです。例えばロベール・カザドッシュとジョージ・セルとの演奏です。むしろこちらの方がモーツアルトらしく思えて好きなくらいですが、しかし、24番などで重めの演奏を聴くと吉之助はやはりハッとさせられますねえ。このグールドの演奏もそうです。やはりこの曲には何か尋常でないものが潜んでいると改めて感じます。
グールドのピアノのタッチは粒が揃っており・ これはモーツアルトでは大事な要件なのでこれは良い点ですが、グールドは軽快さを拒否しているので・音楽は跳ねません。だからと言ってグールドが歌っていないというのではなく、むしろグールドは旋律をとても息深く歌います。その結果、音楽のシリアスな要素が強く出ていて、モーツアルトというよりベートーヴェンに近い趣に仕上がったのは事実です。そこは好みの分かれるところですが、第2楽章の密やかな・しかし落ち着いた詩情は他では決して聴けないものだと思います。この第2楽章はちょっと忘れ難いものがあります。
○メンデルスゾーン:「無言歌」集より5曲〜甘い思い出・後悔・別れ・帰還・慰め(1970年7月23日、CBC放送録音)
1970年CBC放送のラジオ番組においてグールドはメンデルスゾーンの「無言歌」集から5曲を演奏しました。グールドとメンデルスゾーンというのは一見結びつかない感じがします。しかし、グールド自身は番組のなかで、「私に音楽の本当の喜びをもたらしてくれるのはメンデルスゾーンです」と言っています。グールドは次のようにも言っています。
『メンデルスゾーンは奇態指数がたいへん低い。彼には革新のために革新を果たそうという意欲はありませんでした。(中略)結局、メンデルスゾーンの場合は、ひたすらのびのびとした態度で応えればよく、その音楽は素直に好意的に解釈すれば良いのです。彼の音楽を退屈で古臭いと感じる人もいれば、逆に、溌剌としていて意欲的だと感じる人もいるでしょう。そして私は後者であるわけですが、しかし、いずれにせよ、彼の芸術の内面に古典派からロマン派への移行が見えると思われるからこそ、いろんな反応が出来るのです。』(1970年・番組のなかでのグールドの発言)
この 「奇態指数」(quirk quotient)というのはグールドの造語だそうで、予測がつかない転調・休止・アクセントなどのことを言っているそうです。グールドは、ショパンの音楽では「彼はたった今何をしたんだ?」と思うような予測不可能なことがしばしば起こる (これが奇態指数ということらしい)が、メンデルズゾーンではそのような期待がまったく起こらないとも言っています。褒めているのか・けなしているのか分からない言い方ですが、グールドは褒めているつもりのようです。 つまり、まったく自然でオーソドックスな・別の言い方をすれば健康でノーマルな音楽ということでしょうか。グールドのような周囲からエキセントリックに見なされたピアニストからこうした発言が出ると、びっくりしますねえ。しかし、この番組で放送されたメンデルスゾーンでの「無言歌」集からの5曲を聴くとグールドの言いたいことが何となく見えてきます。
グールドの弾くメンデルスゾーンは、情緒纏綿というのではなく・むしろ淡々として素朴な味わいです。黒砂糖のような味わいとでも言いましょうか。旋律のもつ歌謡性、一般的にそれは線とか流れのようなイメージで捉えられることが多いわけですが、もうひとつ、歌謡性には音符と次の音符の連続性のなかにある構造のような様相があります。
グールドの演奏を聴いていますと、音の粒立ちを際立たせる手法のように思いますが、これは歌謡性を拒否するものではなく、それでもなおかつフツフツと湧き上がって来る歌心というものがあるのですねえ。それが無言歌という形式の、旋律の持つ素朴かつ健康的な味わい、古典性とロマン性のバランスが ほど良く取れた幸福感ということを示しているようです。グールドにとってメンデルスゾーンというのは、仕事で疲れた時にひとりでピアノに向かってそっと弾いてみるというような癒しの音楽であったのかも知れません。
○グールド:弦楽四重奏曲・作品1(シンフォニア弦楽四重奏団、1960年3月、CBSスタジオ録音)
グールド作曲の弦楽四重奏曲・作品1とありますが、グールドは曲を多く書いたわけではなく、これ以外には「フーガを書いてみませんか」という小品があるくらいで、事実上これが唯一のまとまった大曲だそうです。吉之助は現代音楽がどうも苦手なので何ですが、聴いた印象ではロマンティックな要素が強く・シェーンベルクの初期作品をもう少し十二音音楽に近づけた感じでありましょうか。そう言えば第1楽章などは「浄められた夜」に似た響きが出てくるようです。ただし、調性音楽が崩壊して・次第に調性の規則性を失っていくというのではなくて、断片的な音の集合体が何かの関連性・統一感覚のようなものを求めているというような感じがします。ロマンティックな印象が するのはそのせいでしょう。ところでグールドは自作についてこんなことを語っています。
『正直のところ、シェーンベルクの弦楽四重奏曲・第1番に相当影響を受けました。(中略)私の曲は調性的な語法を用いていて、1890年に書かれたどんな曲にも劣らず保守的です。(注:1890年はミスタイプにあらず)ただし、あの曲はきっと、初期のリヒャルト・シュトラウスとセザール・フランクの間のどこかに位置しましたし、それはフランクの声部進行から時折り感じられます。ただ作曲中の私はそのことに気付きませんでした。おかしな話ですが、これが分かったのは今になってです。それはまったく奇妙な話なのです。私の知る限り、自覚的な形でフランクから影響を受けたことはまったくなかったからです。』(グレン・グールドのインタビュー:「ピアニストのままならぬ作曲活動」・1959年・グレン・グールド発言集に収録)
グールドが自分の曲を初期のリヒャルト・シュトラウスと位置付けるのは何となく分かる気がします。 わざと「1890年に書かれたどんな曲にも劣らず保守的だ」と言っているのもそのせいです。フランクの影響、正確にはグールド本人が自覚的な影響は受けていないというのだから「類似」と言うべきで すが、多分この点が重要なのだろうと思いますが、この辺は作曲者自身にしか分からない部分がありますが、恐らく中間部のフーガ形式への傾斜がフランクとの近似点なのだろうと感じます。グールドの発言は彼の曲の構造への強い関心を示しているのでしょう。
○ワーグナー:ジークフリート牧歌(13楽器によるオリジナル版)・(グレン・グールド指揮・トロント交響楽団のメンバー、1982年7月、CBS録音)
グールドは50歳を期に指揮活動を開始したいと考えていたそうで、実際には50歳になってすぐ亡くなってしまったので実現しませんでしたが、長生きしていれば・グールドは今頃バレンボイムみたいな大指揮者になっていたでありましょうか。この録音は数少ないグールドの指揮の記録(他にはバッハのカンタータを弾き振りした映像が残っているくらい)で、もともと発売を前提にした録音ではなかったようなので、多少割り引いて聴く必要はあるとは思います。ここで聴くジークフリート牧歌のテンポは確かに遅いですが、グールドの自身の編曲によるピアノ演奏を先に聴いていれば・さほど驚きはしません。しかし、楽器の絡み合い(縦の線)を大切に描き出しそうとした演奏であると思います。
とても興味深いことは、グールドのピアノ版による演奏の方が色彩的に聴こえて、13楽器によるオリジナル版の演奏の方がモノクロームな印象に聴こえることです。これはグールドの指揮がリズムを明確にとって・レガー トを排除する行き方で響きがスッキリ聴こえるせいが大きいと思いますが、ピアノ編曲版の項で触れた通り「ピアノは本当は弦楽四重奏や合奏協奏曲の編成や大管弦楽などの形で演奏されるべき音楽を響かせるために存在してきたのです」というグールドの発言を改めて思い起こさせます。ピアノは管弦楽の響きに憧れる。グールドのピアノ編曲版ではそのことがはっきり現れているのです が、管弦楽は憧れそれ自身ですから改めて色彩を意識する必要はなく、グールドは心置きなく音楽の構造感の表出に専念できたということでしょうか。本格的に指揮者デビューしていたら、グールドはどんな指揮者になったでしょうか。そんな想像も楽しいことです。
○R.シュトラウス:オフィーリアの3つの歌(エリザベート・シュワルツコップ :歌、グレン・グールド:伴奏、1966年1月14日、CBSスタジオ録音)
シュワルツコップとの珍しい共演の記録・短い3曲ですが、実はグールド本人の証言によればシュワルツコップとのセッションでいくつかの未発表テイクが残っているようです。シュワルツコップ・サイドからグールドの伴奏に対する強い異議が出て、それでセッションが中断されてしまったそうです。かろうじてオフィーリアの3つの歌のみ許可が出たようです。確かに第2曲「おはよう、今日はバレンタインのお祭り」での相当に早いテンポなどはシュワルツコップには強いストレスだったと思います。ただし、シュワルツコップは見事に切り返していますが。シュワルツコップは後年にこの共演のことを回想して次のようなことを言っています。
『彼(グールド)は伴奏者というよりは、むしろ対等な音楽家としての共演を求めてきたのです。お互い意見が合いませんでした。彼はシュトラウスについて空想をめぐらせていましたが、それはすべきことではありません。ピアニストではなくて、指揮者になれば良かったのです。』
言うまでもなくシュワルツコップはR.シュトラウスの歌曲の解釈者としてとても重要な位置にある歌手ですが、この偉大な音楽家にグールドは対等な音楽家として意図的かつ挑戦的に仕掛けたということかと思います。第3曲「むき出しのまま棺台に乗せられ」での中間部での転調・テンポの変化などグールドの絶妙のセンスが味わえるところですが、伴奏の域を逸脱していると言われれば、そう言えないこともないかも知れません。ヴォルフの歌曲ならばピアノ伴奏の重要性は言うまでもないこと・時には歌手さえ凌駕する場合があります(例えば「火の騎士」・「あばよ」など)が、R.シュトラウスの歌曲の場合は確かにあまりそういうことを言わ れないように思います。しかし、R.シュトラウスの歌曲でも伴奏ピアノは管弦楽の響きを志向しているようであり(それは例えば管弦楽付きの「四つの最後の歌」を聴けばよく分かることです)、必ずしもグールドの主張が間違いというわけでもないような気がしますがねえ。ともあれこの第3曲ではシュワルツコップの表現 と噛み合って見事な出来を示していると思います。
○スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番(1968年1月、CBSスタジオ録音)
スクリャービンについて一般によく言われるイメージは、その色彩感の揺らめき・官能性の立ち昇りというようなことかと思います。これはショパンを始めとする名人芸的ピア二ズムの系譜のなかにスクリャービンを位置付けることでもあります 。しかし、当然ながらそういうものはグールドの最も嫌うところです。そこでグールドの弾くスクリャービンを聴けば、これは色彩の揺らめきというよりは線の絡み合いという感じです。絵画的・映像的というよりは、立体的・構造的なイメージなのです。モノクローム的・禁欲的な感じが します。それが非常に興味深いですねえ。これはひとつにはペダリングを極力抑えたところから出るものかも知れません。
ところでグールドが70年に前後してスクリャービンのピアノ曲(それと次項のプロコフィエフ)を相次いで録音した背景には ホロヴィッツへの対抗意識がかなりあったそうです。 ホロヴィッツはスクリャービンから直接の指導も受けており・いわばスクリャービン解釈のスタンダードと目されるピアニストでした。しかし、グールドは60年のインタビューでピアノを弾きながら、「これくらいできるよ。誰にだってできる。ボロヴィッツにはオクターヴなんか弾けない。フェイク(ごまかし)に過ぎないんだよ。」と言ったそうです。
65年にホロヴィッツは約12年間の隠遁生活をやめて、コンサート活動に華々しく復帰しました。これは世に「ヒストリック・リターン」と言われているものです。つまり、64年以降はコンサート活動からドロップ・アウトして隠遁生活に入ったグールドとまったく逆の経路を辿ったことになります。どういう 意図か分かりませんが、グールドはホロヴィッツの演奏会のパロディ盤を作ろうとしたようです。曲目からするとホロヴィッツの53年のアメリカ・デビュー25周年記念演奏会を意識しているように思いますが、もし完成していればショパンの曲も入ったでしょうかね。グールドの弾くスクリャービンは、吉之助にはモノクローム的・禁欲的に感じられます。それは官能的でないという意味では決してありませんが、それよりも吉之助が意識させられるのは和声の響き・つまり音符の縦の絡み合いの方です。それがユラユラ揺れるように感じられます。ロマン的感性による古典的な試みという感じがします。 それはバッハとシェーンベルクをつなぐ線上のどこかにスクリャービンを位置付けようとする試みとも言えましょうか。
○プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番・変ロ長調・作品83(1967年6月、CBSスタジオ録音)
プロコフィエフの第7番ソナタには「戦争ソナタ」という呼び名がありますが、グールドの演奏はそのような呼称から曲のイメージを作り上げるのではなく、純粋に構造から音楽を呼び覚ますような感じ がします。第3楽章は打楽器的なリズムの根源的な迫力に満ち溢れていますが、グールドのリズムは従来の演奏ともちょっと異なるユニークなものです。ホロヴィッツの場合だと打楽器的な打鍵の強さが際立って・聴き手を圧倒する凄みを感じさせますが、グールドのリズムはむしろ軽快な感じがします。それは立ち上がりと斬れの鋭い打鍵から出てくるものです。そのリズムの軽やかさと推進力は、ジャズ的な即興的な感覚に共通したものがあるのも事実です。
確かにどこかアメリカ的な感じがします。しかし、そのように言っちゃうと何だか遊戯的なイメージに思うかも知れないので・但し書きを付けたいのですが、決してそうではなくて、この楽章のリズムは聴き手を煽るリズムであるので、ここでのリズムは急き立てる・あるいは翻弄するというイメージなのです。そこがグールドの主張なのです。軽快に聴こえるけれども、打鍵はしっかり打ち込まれていて、リズムは正確に打たれています。これもまたこの曲の本質を突いた演奏であると思います。
○R.シュトラウス:ピアノ・ソナタ・ロ短調・作品5(1982年7月、CBSスタジオ録音)
1962年のインタビューで「あなたは19世紀初めのロマン派の音楽の多くを明らかに避けている」と言われて、グールドは次のように答えています。
『基本的には構成の問題です、私の好む音楽に比べると、引き締まりが足りないし、十分に構成されているとは言えません。ところが、リヒャルト・シュトラウスはどうでしょう。実に多種多様なドラマの絵の具をパレットに乗せていながら、それを構造的に彩っていくため、すべての休止が他の休止と韻を踏むのです。私にとって、彼は史上最大の人物のひとりです。こうした作曲法の面からすれば、彼は20世紀のモーツアルトですよ、私に言わせれば。』
正確にはリヒャルト・シュトラウスは19世紀末から20世紀初めにまたがる作曲家ですが、よく遅れて来たロマン派だと揶揄されたりします。 しかし、リヒャルト・シュトラウスはピアノのために作曲した作品はごく少ないのです。グールドはリヒャルト・シュトラウス の音楽を好んでいましたから、その渇を癒すためか・シュトラウスの交響詩やオペラを自分の楽しみのためにピアノ用に編曲してよく弾いていたそうです。この時代の作曲家はマーラーもブルックナーもそうですが、それは彼らの関心が管弦楽の方に行って しまって、ピアノをその代用品的に見ていたからだろうとグールドは言います。
それはともかく、グールドがリヒャルト・シュトラウスを20世紀のモーツアルトだと評したことが吉之助には興味深いと思います。彼の最初期の作品・作品5のピアノ・ソナタ、ほとんど知られていない曲ですが、これを聴くと確かに「なるほどこれはロマン派のモーツアルトだなあ」と感じるところがありますねえ。これは言葉で説明しにくいですが、何と言いますかね、いかにも優美でロマン的な旋律が区切りつくところでフッと腑に落ちる・小さい単位のなかにも何となくまとまりが付いているという感じがするのです。これがグールドの言う「すべての休止がしっかり韻を踏んでいる」ということでしょうか。グールドの演奏を聴くとそのことがとてもよく分かる気がします。
○シューマン:ピアノ四重奏曲・変ホ長調・作品5 (グレン・グールドとジュリアード弦楽四重奏団のメンバー、ロバート・マン(Vn)、ラファエル・ヒリヤー(Vla)、クラウス・アダム(Cello), 1968年5月、CBSスタジオ録音)
別稿「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える」のなかで音楽学者ハインリッヒ・シェンカーの「装飾音はクラヴィコード(ピアノ)という楽器自体の本来の要求である」という説を取り上げました。その意味はピアノだけがひと りで音楽の世界を完結させることができるということです。オーケストラのルバート・アッチェレランドがどれほど即興的に聴こえようが・実はそれは入念なリハーサルの産物であり、指揮者が思い付きで極端なことをしようとすればアンサンブルは無茶苦茶になってしまいます。ピアニストだけが旋律の微妙な表情付け、早く・遅く・短く・長くを自分だけの意志で自由自在に・しかも真の意味で即興的に操ることができます。ということは視点を変えて見ると、自分の世界に没入したい我の強いタイプには 、ピアノというのはなかなかおあつらえ向きの楽器であるということになると思います。
そのせいだかピアニストにはメンタル・コントロールに苦労する方が少なくないようです。ホロヴィッツのように長期の隠遁生活をする人も少なからずいるし、ミケランジェリのように奇行が言われる人も たくさんいます。アルゲリッチも演奏会のアンコールでちょこっと小品を弾くことはありますが・ここ20年くらいソロを弾くことはなく、協奏曲と室内楽・あるいは連弾といった合わせ物しかやらないという状態です。アルゲリッチについてはスタジオ録音でもよいから気の向いた時にソロの演奏をしてくれないかなと思いますけれども、他人の息に身を任せ ないと安心して音楽がやれない(らしい)というところにアルゲリッチのメンタル的な難しさが察せられます。ただし、アルゲリッチの場合はまだ室内楽がやれるのだから良いというべきかも知れません。グレン・グールドの場合は我が強すぎて・音楽全体を支配しようとする傾向が強い ので合わせ物は難しかったようで、室内楽演奏の記録も数えるほどしかないようです。
1968年録音のジュリアード弦楽四重奏団のメンバーとのシューマンのピアノ四重奏曲は・グールドのレアな室内楽の記録ですが、これは完全にグールド色に塗りつぶされていて、いわゆる室内楽的・サロン的ゲミュートリッヒカイトがまるでない演奏です。室内楽というのはお互いが互いの距離と息を図りながら、時に合わせ・時に離れる、その呼吸の絡み合いがひとつの面白さであると思いますが、ここでのグールドは他のメンバー(弦セクション)に旋律をゆったり歌う余地を与えないように機械的なリズムのなかに音楽を押し込めるような感じです。現代物ならと もかくロマン派音楽でこれではメンバーから不満が出るのは当然でしょう。聞くところではレコーディング・セッションが進むにつれてグールドと他のメンバーの「ひび」は深まっていき、最後には修復不可能になったということです。
それではこの演奏がつまらないのかと言うと、それは全然別の話です。これはとても興味深い演奏だと思います。ジュリアードのメンバーもグールドの解釈に賛同でなかったとしても・そこはさすがにプロ、グールドの挑発に対して見事に斬り返して聴かせてくれます。作曲者名を知らないで第1楽章を聞くと、これはベートーヴェンか・古典派の作曲家の作品か?と思ってしまいそうなほどに、インテンポで端正な古典的な造型を聞かせます。窮屈そうな弦に対して、ピアノがこれがまた心地良げなのが面白いところです。逆に第2楽章はプロコフィエフか近代ロシアの作曲家の作品かと思わせます。そう感じるほどにリズムの斬り込みが強く、 ピアノのリズムが前面に出ます。しかし、息を詰めて曲を聴き終わると、これはシューマンなのか・・・?という疑問は確かに残ります。あるいはシューマンの鬱気質の隠された強い一面が出ているのかも知れません。このことは吉之助のなかで保留になった問いです。 なおグールドがシューマンを弾いたのは、後にも先にもこれ一度切りのことだったそうです。
○ブラームス:ピアノ五重奏曲・へ短調・作品34、(グレン・グールドとモントリオール弦楽四重奏団、ハイマン・ブレス(Vn)、ミルドレッド・グッドマン(Vn)、オットー・ジョアキム(Vla)、ウォルター・ジョアキム(Cello), 1957年8月、CBC放送録音)
埋もれていた放送録音から掘り起こされたグールドの室内楽の記録です。上述のシューマンと同じく、音楽がグールド色に塗りつぶされていること、ピアノのリズムを前面に出して全体をコントロールし・弦が自由に歌う余地を封じ込める行き方は変わりありません。その結果、とても近現代的・新古典的な印象の演奏に仕上がりました。もちろんこれがブラームスなのか・・?という疑問は残りますが、 これも問題提起がある演奏だと言えるでしょう。
例えばこの録音での第2楽章ですが、この楽章を通じてピアノが絶えず叩き込むタタタターンというリズムはベートーヴェンの「運命」のリズムとまったく同じです。いくつかの音楽解説書を見てもそういうことを書いていないようだけれども、グールドの演奏では・この楽章はタタタターンのピアノのリズムが支配していて・そのリズムが弦セクションを底から煽る、そのように感じられます。したがって、吉之助は「運命」の動機のブラームスのロマン的展開の如き印象を、この第2楽章の演奏から受ける わけです。ただしブラームスというよりは近代の作曲家の作品のような響きに聴こえますけれども。しかし、参考に他のノーマルな演奏(ノーマルというのも語弊があるかも知れないですが)で聞くと、ピアノのリズムはさほど耳に付いてきません。ということは、やはりこの演奏でのピアノの全体へのコントロールはかなりキツイということなのでしょう。これはモントリオール四重奏団のメンバーにも結構なストレスであっただろうと思います。そのせいか グールドとモントリオール四重奏団との共演もこれ一回切りのようです。
それにしても第3楽章冒頭の弦の絡み合いなど・ほんの数秒の瞬間的なことですが・その響きにちょっと無調的な新ウィーン楽派的な雰囲気があって、これもブラームスの保守的なイメージとはちょっと離れるけれども・とても刺激的で面白いと思いますね。これもグールドのキツイコントロールのおかげなのかななどと思ってしまいます。