リッカルド・ムーティ語録:イタリア・オペラ・アカデミー・5
ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」
*吉之助は2025年の歌劇「シモン・ボッカネグラ」の回も、ムーティによるイタリア・オペラ・アカデミーの作品解説とリハーサルを聴講しました。メモを捨ててしまうのはとても惜しいので、サイトに記録として残しておくことにしました。ムーティの人柄が分かると同時に、作品理解の参考にもなろうかと思います。ムーティの言葉は同日の同時通訳をメモったものですが、文脈を補うため適宜書き加えています。もし不明な点があれば、それは吉之助の責任です。
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〇2025年9月3日・中目黒・東京音楽大学内・TCMホール
〜ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」作品解説・「シモン・ボッカネグラ」には2つの版があります。一つは1857年フェニーチェ劇場での初演稿。初演は大失敗。最悪でした。もう一つは1887年アリゴ・ボイートの改訂台本による第2版。
・当初ボイートはヴェルディの作風に批判的でした。その後次第に打ち解けてオテロ・ファルスタッフで協力することになりますが、ボイートは「その前にあなた(ヴェルディ)には取り組まなければならない仕事があるはずだ、それはシモン・ボッカネグラの改訂だ、今がその時だ」と進言したのです。
・「シモン・ボッカネグラ」を、椿姫やリゴレット・トロヴァトーレと同じに聴いてはいけません。まったく違う音楽なのです。モンテヴェルディのように聴いてください。語りかけるように歌う音楽です。
・ヴェルディはオペラのなかで祖国イタリアの統一を夢見ました。「シモン・ボッカネグラ」で描かれるものは、母国に対する愛、家族に対する愛。ヴェルディは「私は世界に向けて「平和を」と叫びたい、世界に向けて「愛を」と叫びたい」と言いました。
・ヴェルディはドラマの動きに関して、演出についても・照明についても、すべて音楽として楽譜のうえに細かく書いています。だから演出と云うものは、音楽との関連をつねに持たねばなりません。
・「シモン・ボッカネグラ」は、つねに海のイメージです。シモンは海賊ですから。ただし良い海賊ですが。海の見えない土地で生まれ育ったヴェルディにとって海が憧れだったのです。「海に葬られたい」と言っていたほどに。三拍子を波のように感じて下さい。流れるように。
・今のお客さんはオペラを聴きに劇場へ来るのではなく、テノールの高い音を聴きに来ます。最悪です。だけどそのような状況にしてしまったのは、私たち(指揮者)のせいなのです。
・(第1幕アメーリアとガブリエリの二重唱)つねに穏やかな海の流れが感じられねばなりません。ドビュッシーのように。
・ヴェルディは一つの音だけで世界を創ります。ワーグナーならば世界を創るのに30分の時間を掛ける。まあこれは冗談ですけれど、幾ばくかの真実を含んではいますよね。
・ヴェルディを歌うことは難しいです。他の作曲家では出来ることが、ヴェルディでは難しい。
・(オケに対して)ピアニッシモにすることは「芸術する」と云うことですよ。
・ハーモニーの根っこの部分をヴィオラが担当しているのです。
・(第3幕シモンとフィエスコの二重唱)ヴェルディの数あるなかでも、最も偉大な二重唱です。娘への愛・孫への愛を通じて、政治的に対立していた二人は和解する。
〇2024年9月4日・池袋・東京音楽大学内・100周年記念ホール
〜ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」・オーケストラ・リハーサル・第2日・(指揮者に)ヴェルディが楽譜に書いていることをそのまま正確にやってください。
・(指揮者に)私は60年間同じことを言い続けているけれども、楽譜に書いていないことはやらない。楽譜に書いていないアクセントを付けてはいけない。
・イタリア語がレガートなものだから・当たり前過ぎてヴェルディは何も指示をしていないけれども、ヴェルディの音楽自体がレガートなのです。
・沈黙は音楽のなかでとても重要です。
・言葉をよく理解してください。(シモン・ボッカネグラは)椿姫・トロヴァトーレとはまったく違う音楽です。言葉がしっかり聞こえなければならないのです。
・オペラでも交響曲でも、必ずテンポをしっかり守らねばならない箇所があります。それを見付けることです。
・これは声楽の入ったシンフォニーです。シンフォニーなのですから、声楽とオーケストラは一緒に。一体となって。
・(歌手に)高い音だからと云って必ずしも大きくしなければならないと云うことではない。高い音でも低い音でも同じように聞こえなければなりません。むしろ低い音の方が、高い音よりも大きく聞こえるくらいであって良いと思います。ギャウロフのように。
・(歌手に)フレーズを途中で切らないこと。すべての言葉が、それぞれ固有の重さを持たねばなりません。どのような表現がそのなかに隠れているか?と云うことです。
・イタリア人は「死」に対する恐れが強いのです。子供の頃・お祖父ちゃんお祖母ちゃんに「早く寝ないと死人がやってきて連れていかれちゃうよ」などと言われるんです。イタリアの墓地は死人の街のようです。とても恐いのです。イギリスやドイツの墓地の雰囲気とは全然違う。ヴェルディのオペラはイタリア人のそのような感性を反映しているのです。ヴェルディにとっての「運命」についての感覚も同じようなことです。
・アウレリアーノ・ペルティレは、イタリアオペラの規範となるべきテノールです。ドイツリートに於けるヴンダーリッヒのように。トスカニーニが高く評価した伝説的テノールです。アンドレア・シェニエの録音を聞いてみてください。まるでミケランジェロの彫刻を見るようです。
〇2024年9月5日・池袋・東京音楽大学内・100周年記念ホール
〜ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」・オーケストラ・リハーサル・第3日・(指揮者に)オーケストラがやらねばならないこと(正しいカラーを表現すること)を、オーケストラにはっきりと伝えてください。でないと指揮者はただタクトを振っているだけのことになってしまう。
・(指揮者に)オーケストラが鳴っていないで歌手だけが歌う場面がありますね。今あなたは振らなかったが、そういう場面でも指揮者は振らなければいけないのです。あなたがオペラをやりたいのであればね。
・(指揮者は)頭のなかにテキストが入っていなければなりません。言葉の意味からテンポが出て来ることを理解しないと。だからテンポはテキストによって決まるのです。それを伝えるのが我々(指揮者)の仕事。それがオペラを指揮すると云うことです。伴奏するのが仕事ではありません。
・イタリアオペラを指揮するのであれば、まず1)イタリア語を勉強すること、2)歌手を理解し・歌うことを勉強すること、3)劇場の現場の実際を学ぶことです。これはトスカニー二の言葉ですが、「舞台のホコリを吸ったことがあるならば、あなたはオペラの指揮が出来るだろう。」
・我々指揮者の仕事は、テンポを指示することだけではありません。オケに何を表現して欲しいか・それをはっきりと伝えることです。
・(指揮者に)昔スカラ座の第1ヴァイオリンが良いことを言っていましたよ。「これから音を出す奏者の方を早めに見て、目で愛してやらなければ。」
・ピアニシモは練習に練習を重ねて・やっと出来るようになるものです。
・トレモロはピアノになればなるほど、重くなって行くべきものです。風のように軽やかになってはいけません。
・(合唱に)このオペラはモンテヴェルディ風の音楽です。何故かと云うと、とても会話が多いから。
〇2024年9月7日・池袋・東京音楽大学内・100周年記念ホール
〜ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」・オーケストラ・リハーサル・第4日・今日オーケストラからピアニシモが消えてしまいましたね。だから可哀想な歌手は叫ばなくてはなりません。
・オケの皆さん、歌手をもっとよく聞いてください。オケにこんなにピアノ・ピアノと言わねばならないことは、今までになかったことだ。
・ヴェルディのオペラは演劇性が完璧に書かれています。なのに今日では演出家がそれを壊そうとします。そして魔訶不思議なことを発明するんですよね。
・出来るだけピアノに。トスカニーニはこう言いました、「ピアノであればあるほど言葉が満ちて来る」と。アーティキュレーション(音遣い)が大切なのです。
・オペラでのオーケストラは、伴奏楽器ではありません。お互いが繋がっていないといけないのです。どんなに複雑なオペラであっても、室内楽のように演奏してください。
〇2024年9月8日・渋谷区芸術文化センター大和田・さくらホール
〜ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」・オーケストラ・リハーサル・第5日・指揮者がすることは1・2・3・4ではなく、指示を出すことです。これから音を出す奏者の方を向いて・しっかり見てあげてください。オーケストラも人間なのですからね。
・今日の音楽学校の指揮科の問題は、振る技術しか教えないことですね。指揮するとは、腕の振りがあなたのアイデアの延長線上でなければならないと云うことです。
・なぜピアニシモなんですか?お客さんはお金を払って言葉を聴きに来ているからですよ。
・三拍子、1・2・3は丸く振るのです。トスカニーニの映像を見なさい。
・(指揮者に)ここで新たな楽器が加わりましたね。トロンボーンとファゴット。そちらの方にしっかり向きなさい。
・(第3幕シモンの死)このリズムは心臓の鼓動ですね。主人公は死にかけています。そのことを明確に示してください。これは心電図のリズムではない。ここは劇場(シアター)なのですから。
・ヴェルディのトレモロは凄く濃いのです。ブルックナーのトレモロは、曲の始まりで天の雰囲気を伝える「天のトレモロ」。ヴェルディのトレモロは、地底から湧き上がってくる「地のトレモロ」。
・イタリアはとても悲劇的な国です。決して明るくない歴史を持っているのです。イタリアはダンテ・ミケランジェロ・ラファエロの国です。ところが外国の方はそのように感じていないようですね。イタリアが太陽のように明るい国だと思い込んでいます。それで今では私たちイタリア人までそんなステレオタイプなイメージにはまってしまっていますが。
・第3幕フィナーレでは、イタリア全体が主人公シモンの死を嘆いています。イタリアは長い間いろんな国に侵略されて来たからです。
・(第3幕フィナーレ)登場人物・合唱がそれぞれの立場から別々の気持ちを語っています。これらを統合して全体の動きを作って行く。演出家はこのことを正しく理解しなければいけません。
・(プロローグ)悲劇と喜劇の境目は紙一重です。ホンのちょっとしたことでそれはまったく別のカラーになってしまいます。
〇2024年9月8日・渋谷区芸術文化センター大和田・さくらホール
〜ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」・オーケストラ・リハーサル・第6日・(歌手に)ミケランジェロのように、言葉に彩りを添えてあげてください。
・「シモン・ボッカネグラ」ではつねに海のイメージを持っていなければなりません。
・(指揮者に)入る一小節前から奏者の方を見てください。入る準備をするんです。
・イタリア・オペラを振るならば、まずオペラの背景に在るイタリアの歴史・文化などを勉強することです。
(追記)2019年の「リゴレット」、2020年の「マクベス」、2023年「仮面舞踏会」、2024年「アッティラ」でのムーティ語録もご覧ください。
(R7・9・11)