リッカルド・ムーティ語録:イタリア・オペラ・アカデミー・2
ヴェルディ:歌劇「マクベス」
*吉之助は2021年・東京春音楽祭でのリッカルド・ムーティによるイタリア・オペラ・アカデミーの「マクベス」作品解説とリハーサルを聴講しました。メモを捨ててしまうのはとても惜しいので、サイトに記録として残しておくことにしました。ムーティの人柄が分かると同時に、作品理解の参考にもなろうかと思います。なお作品解説は一般公開がされましたが、リハーサルは、当時のコロナ感染防止の観点から、オンラインで中継公開という形で行われました。このため「マクベス」に関してはリハーサルのほぼ全日を記録しています。ムーティの言葉は同日の同時通訳をメモったものですが、不明な点あれば、それは吉之助の責任です。
*元々2020年春に行われる予定であった企画でしたが、世界的なコロナ・パンデミックのため1年延期となって、2021年春に行われたものです。
〇2021年4月9日・東京文化会館大ホール
〜ヴェルディ:歌劇「マクベス」作品解説・ヴェルディ演奏に関する見解に、大いに問題があると思っている。トスカニーニが始めた「厳格な態度」が、特に1950年代以降、個人的なものになってしまった。
・ヴェルディは、ロマンティシズムに裏切られ続けた作曲家であった。彼の民衆的なオペラは、歌手の表現の可能性を広げるためのショーにされてしまった。
・トスカニーニのアシスタントを勤めたアントニーノ・ヴォットーから教えを受けた私(ムーティ)はこのことを断じて容認しない。
・ヴェルディは言いました。「この世界に創造主はひとりしか存在しない。音楽に於いては、それは作曲家である。指揮者も歌手も、作曲家の書いたものに忠実でなくてはならない。」
・高い音を求めるのは、イタリアの海や太陽を思い出すからですか?
・フルトヴェングラーはこう言った。「伝統とは最後まで残った醜い思い出」だと。慣習に染まった演奏することは、いけないことです。
・ヴェルディは、表現的見解において「未来の作曲家」であった。いろいろなショーが行われた果てに、ヴェルディがやっと理解される時が来るだろう。
・前奏曲。魔女の謎掛けが大事。それが円を描きながら、未来を運命を暗示していく様を想像してください。「リゴレット」前奏曲でも「運命の力」序曲でも同じ。ヴェルディはそれを必ず円のイメージで書いています。
・「マクベス」で重要なのは、声の使い方です。音楽的と云うよりも、「演劇的」な声の使い方をしています。これが「マクベス」が近代的なオペラであることの根拠です。
・ヴェルディはレディー・マクベスに美しい声ではない・心地よい声ではないソプラノを求めました。演劇的に難しい役です。トラヴィアータとはそこが違います。私(ムーティ)はマリア・カラスが良いと思います。
・レチタティーボ。ヴェルディは言葉を口ずさんで、それが旋律になるまで何度も何度も口のなかで繰り返して、そうやって歌を書いたのです。
・ヴェルディはドイツ音楽の研究をよくしていました。
・イタリア人がヴェルディをやる時、カルーソーみたいに、必ず黄金の音楽をやると思わないで下さい。
・ヴェルディは言いました。「小さな役、大きな役は存在しない。よい歌手、悪い歌手は存在するが。」
・「マクベス」にはホントの意味での「アリア」は少ないです。
・マクベスには愛がない、或いは愛が望めない。だから彼は偉大なる戦士としての名誉が欲しい。
・フェルマータで遅くするのは間違いだ。舞台に少しでも長く居たいからそうするのか?
・手紙のシーン。「夫(マクベス)は強い戦士だが、弱気なところがある。私があなたの心に火をつけてあげる。」小さい子供を扱うように。
・休符は感動です。興奮です。モーツアルトは「休符のなかに宇宙が含まれる」と言っています。
〇2021年4月10日・東京文化会館大ホール
〜ヴェルディ:歌劇「マクベス」・オーケストラ・リハーサル・第1日・前奏曲。マクベス夫人のテーマは葬送曲のように。
・大抵の指揮者は旋律を指揮してしまうけれども、オケのサポートが必要なところを振ってあげてください。例えばチェロの刻みとか。コントラバスはオケの基礎なんですよ。なのに指揮者は旋律ばかり振りたがる。一緒に演奏しているんですから。
・音楽は神様のために捧げるものです。だから丸く振るんです。押さえると音楽が硬くなります。
・魔女の登場シーン。「マクベス」では魔女がとても重要です。このオペラを形作るものですから。
・みんなメゾ・フォルテかフォルテばかりで演奏したがる。私たちがいけないんです。私たちがそのようにしちゃったんです。みんなピアニシモを忘れてしまった。
・すべて準備があるのです。1・2・3があって4があるのです。いきなり4から始まるものではない。
・テンポが変わる箇所は、常に注意が必要です。
・(指揮者に)オーケストラをコントロールするのは、手首ですよ。
・三拍子は丸く振ってください。
・私(ムーティ)も指揮をすればするほど音楽が分からなくなる。勉強すればするほど、音楽が分からなくなる。
・(指揮者に)すべての音符は歌われるべきであるとヴェルディは言っています。オケは伴奏楽器ではないのです。歌手とオケは一体なんです。メロディーを歌うのが私たち(指揮者)の仕事です。オーケストラに尊厳を与えてください。
・そのためにはアクセントの意味を考えて、フレーズの最後・そのまた次のフレーズのことまで考えて振ってください。
・シンプルであるからこそ美しさを探さねばならないのです。小節というのは、楽譜のどこにその音符があるかを示しているだけですからね。
〇2021年4月11日・東京文化会館大ホール
〜ヴェルディ:歌劇「マクベス」・オーケストラ・リハーサル・第2日・マクベスはアーメンと言いたかったが、自分が殺人者であるからアーメンという言葉が言えなかった・・・これが「悲劇」なんです。
・ダイナミクスの変化こそ重要なのです。
・(指揮者に)オーケストラに自分が求めているものを身振りではっきりと伝えることです。
〇2020年4月12日・東京文化会館大ホール
〜ヴェルディ:歌劇「マクベス」・オーケストラ・リハーサル・第3日・第2幕冒頭。もっとヘヴィーに、常に悲しみを伴わなければなりません。「マクベス」は悲劇なのですから。
・(指揮者に)みんなで音楽を作っているんです。コミュニケーションですよ。問題は常に作り出しているんです。
・常にフレーズは流れるのです。リズムを切るのではなく。ア・モーレではなく、アモーレですよ。レガートに。
・指揮者はただリズムを刻むのではいけない。大事なのはコミュニケーションですよ。オーケストラは仲間なんです。
・大先輩の老指揮者がこう言っていたのを思い出す。「すごく悲しいのは、この歳になって、今頃やっと指揮が分かってきたことだ。」
・トスカニーはこう言った。「リズムを刻むだけならロバにだって出来る。」
・ここで一体何が起こっているんだ?どうして同じ音を繰り返すんだ?何か違うことが起こっているんだ、そこを考えなければ。
・ヴェルディはとても古典的(クラシカルな)作曲家です。エフェクトを求めるのではなく、本当のヴェルディを追及して欲しい。
〇2021年4月14日・東京文化会館大ホール
〜ヴェルディ:歌劇「マクベス」・オーケストラ・リハーサル・第4日・マクベスは愛情(アモーレ)を求めているのではなく、名誉(オノーレ)を求めているのです。
・(歌手に)子音が母音の邪魔にならないようにしてください。
・イタリア語は常にレガートなのです。
・(歌手に)グローリアスには、「栄光の」と「美しい」という二つの意味があります。一体どちらの意味なんですか?「栄光で美しい」ではないですよ。どちらの意味なのか、カラーではっきり示してください。
・音楽的であるだけでなく、「劇場的に正しく」ということが忘れられているんです。これはみんなで作るんですよ。室内楽みたいなものです。
・(指揮者に)すべての音が、それがホンの短い音であっても、音楽に満ちているようにしてください。指揮者がそのようにしなければ、オケはそのようにしか出来ないのです。悪いのはすべて指揮者のせいなのです。
〇2021年4月15日・東京文化会館大ホール
〜ヴェルディ:歌劇「マクベス」・オーケストラ・リハーサル・第5日・マクベスは偉大なヒーローだけれど、マクベス夫人にとっては、小さい男の子のようなものです。
・(指揮者に)同じフレーズでもいろいろなパターンが、何百通りもあるんです。ひとつのフレーズに20分掛かることだってあるのです。それをコントロールするためには、そのフレーズの歌詞・言葉を十分知っていなければなりません。言葉を知らなければ、コントロール出来ないのです。だからイタリア・オペラを振るためには、イタリア語を知らなければなりません。
・(指揮者に)テンポは、テクニカルな要素から決まるのです。例えばその箇所はどこのパートが受け持っているんです?トランペット・・その早いテンポでやったらトランペットは付いて来れませんよ。だからテンポは、技術的な可能性から決まるのです。いつもですよ。
(追記)2019年の「リゴレット」、2023年の「仮面舞踏会」、2024年「アッティラ」でのムーティ語録もご覧ください。
*別稿「雑談:オペラと歌舞伎の理念的な近似について」は本稿に関連する記事です。
(R5・10・16)