令和の「稲瀬川勢揃い」
令和7年12月京都南座:「弁天娘女男白浪〜稲瀬川勢揃い」
八代目尾上菊五郎(五代目尾上菊之助改め)(弁天小僧菊之助)、十代目松本幸四郎(日本駄右衛門)、六代目片岡愛之助(忠信利平)、二代目中村七之助(赤星十三郎)、六代目中村勘九郎(南郷力丸)
(八代目尾上菊五郎襲名披露狂言)
本稿は昨年(令和7年)12月京都南座顔見世・八代目菊五郎襲名披露興行での、「弁天娘女男白浪〜稲瀬川勢揃い」の舞台映像による観劇随想です。稲瀬川のみであるのは、当月公演の前場にはもちろん浜松屋が付いていましたが、NHKの放送では時間配分の関係で浜松屋がカットされた為にそうなっています。吉之助は当初この公演のため京都遠征を計画していましたが、昨年の猛暑による体調不良が年末にまで尾を引いて・やむを得ず取り止めにしてしまいました。NHKがほどなくして舞台映像を放送して貰えたのは有難いことです。
稲瀬川について、視点を変えて・ちょっと書きます。稲瀬川では白浪五人男が勢揃いして・七五調の様式的な台詞廻しで順番に名乗り(自己紹介)を行う、つまりこれは芝居から切り離されたシーンであって、踊りではないけれど・音楽的な要素に支配されたものであるから、それに近いような別次元の感覚があると云うことです。したがって浜松屋-稲瀬川と続けてセットで上演されることが多いですが、稲瀬川は筋としては浜松屋から繋がっているけれども、感覚的には途切れているのです。
このような音楽的なシーンのためには、五人男は各々が個性を発揮しつつも・ひとつの共通した様式を追い求めなければなりません。バラバラのように見えても・実は纏まって五人でひとつの流れをしっかり形成する、そのような感覚が欲しいのです。
こんなことを考えるのは、いつもの稲瀬川勢揃いでは、五人男の台詞のトーンやリズムがてんでんバラバラで、様式の統一が取れていない舞台を見ることが結構多いからです。本サイトをいつもご覧の方はお分かりの通り、吉之助は「黙阿弥の七五調は歌うべし」とは思っていません。写実に根差した世話物ですから、七五調の台詞も写実(リアル)を志向せねばなりません。しかし、それはともすれば様式(すなわち歌)に落ちてしまう誘惑を孕むもので、そのような写実と様式とのせめぎあいこそが、黙阿弥の七五調なのです。(これについては別稿「黙阿弥の七五調の台詞術」をご参照ください。)残念ながら、近頃の稲瀬川は皆さん各々自分のやりたいようにやっていて、役者間相互で揃えようという感覚がどうも乏しいようですね。
そこで今回(令和7年12月京都南座)の稲瀬川勢揃いですが、これは近頃珍しく・比較的様式が揃った印象の勢揃いでした。配役が菊五郎(48歳)・幸四郎(52歳)・愛之助(53歳)・勘九郎(44歳)・七之助(42歳)ということで世代的に揃っており、なおかつこの世代での五人男のベストに近い顔触れであるから、このくらい出来て当然かも知れませんが、吉之助としてはホッと一安心というところでした。このことを認めたうえで、少々コメントを付けたいと思います。
今回の五人男のなかで黙阿弥の七五調の様式が一番取れていたのは、八代目菊五郎の弁天小僧でした。立派な弁天小僧ですが、もうちょっと感触が軽めであっても良いかなという気がしないでもない。菊之助襲名の頃から菊五郎の弁天をずっと見てきましたが、ここ数年で重みがグッと増して来ました。これはこの数年の、数々の立役の大役の経験のおかげであると云えます。
稲瀬川は様式的な要素に傾斜した場であるから・この重い感じでも良いと思いますが、(吉之助は今回は映像では拝見しておりませんけれども)この行き方であると、浜松屋での弁天はちょっと感触が重過ぎることになるかなと云う危惧があります。杞憂に過ぎないかも知れませんが、機会があれば是非浜松屋の映像が見てみたいものです。そんなしなくてもよい心配をするのは、実は吉之助の記憶では、七代目菊五郎の弁天も一時的に感触が様式的に重めに大きく傾いた時期があったからです。(別稿ご覧ください。これは七代目菊五郎65歳の時の舞台でした。) 八代目菊五郎も似たような経路を辿ることになるのか、或いは芸の成熟のためにこれも一度は辿らなければならぬ道であるのか、そんな事など注目して今後の八代目菊五郎の弁天を見て行きたいですね。
これとちょうど逆の感じなのが勘九郎の南郷力丸で、こちらは世話のバラ描きの感触がする力強い南郷である。これならば浜松屋の南郷はさぞかし良かっただろうと思いましたが、同じ調子で稲瀬川の南郷をやってしまうと、ちょっと感触がパサッと乾いた感じになってしまって・余韻が残らない気がします。前述の通り、浜松屋と稲瀬川は感覚的に途切れているのです。同じ調子では続けられません。稲瀬川の南郷では、もう少し様式的に重みを出す工夫、ちょっぴりテンポを落としてみる・言葉を少し転がしてみるなどの工夫が必要かも知れませんね。
他の三人は、様式に傾いた菊五郎の弁天・世話に傾いた勘九郎の南郷の間にほど良く収まって、バラバラな印象を呈することはなかったので、今回(令和7年12月京都南座)の稲瀬川勢揃いはなかなか良い出来であったと云うことになります。
(R8・1・3)