(TOP)     (戻る)

八代目染五郎初役の与三郎

令和7年12月歌舞伎座:「与話情浮名横櫛〜源氏店」

八代目市川染五郎(与三郎)、五代目坂東玉三郎(お富)、二代目松本幸蔵(蝙蝠の安五郎)、六代目片岡市蔵(番頭藤八)、四代目河原崎権十郎(和泉屋多左衛門)他

*この原稿は完結しました。最新の章はこちら


1)写実か様式か

本稿は令和7年12月歌舞伎座での「源氏店」の観劇随想です。この舞台の注目は、与三郎を初役で勤める染五郎と云うことになるでしょう。染五郎はこれまで光源氏のような美男系統の役で起用されることが多かったようですが、このところ代々の高麗屋が得意にしてきた時代物の骨太い役どころでも好成績を上げており、そちらの線でも相性の良さを主張出来るようになってきたのは頼もしいことです。本年1月浅草での武智光秀(太十)も良かったですが、特に9月歌舞伎座での「菅原」の武部源蔵(筆法伝授・寺子屋)は役の本質に迫る出来で大いに感心しました。

そこで源氏店のことですが、源氏店自体が主題(テーマ)よりも役者の味で勝負する芝居であるし、与三郎と云う役についても、総身に34カ所の刀傷を持つ・色男優男の若旦那の性根を押さえておればそれで十分形になるみたいなところがあります。ただし与三郎の恋はただの「熱い恋」ではなく、地元の親分の囲い者(お富)に手を出すという危ない行為であり、逆に云うならば・そんな危険も顧みない「捨て鉢な恋」なのです。だから相当な因縁があるわけで、三年越しで再会したら・お富がシラッと別の旦那の囲い者に納まっていたとすれば、与三郎が憤然とするのは当然のことです。そこのところ(与三郎の憤りの事情)をリアルに描かないのであれば、ホントは「源氏店」にドラマはないのです。

そこで吉之助が染五郎初役の与三郎に期待したことは、いつもの柔いイメージの与三郎と云う役に、熱い憤りと描線の太さ・すなわち実(じつ)の要素を強調して貰えればと云うことでした。今回の舞台で期待は或る程度叶えられました。骨太い印象の与三郎はなかなかのものだったと言っておきます。しかし、いくつかの理由のために舞台は十分なものになっていません。全体的に色調が妙に渋く見えて、芝居が浮き立たって来ないように感じますね。ただしこれは染五郎のせいばかりではありません。

まずひとつは、染五郎の骨太い個性を生かすのであれば、やはり源氏店の前に木更津海岸見染めと赤間別荘を付けて半通しの形にして欲しかったと思いますね。与三郎が憤然としてみせても、観客にその事情が呑み込めない。だから「しがねえ恋の情けが仇」の名台詞のための段取りにしか映りません。実際・見取り上演の源氏店であれば・そんなものなのです。長い歳月を掛けて歌舞伎が育ててきた源氏店の「様式」があるわけなのです。現行歌舞伎ではそれが当たり前の感覚になっているから、骨太くて熱い染五郎の与三郎の方が却って違ったことをしているかのように感じてしまうのです。写実(リアル)であろうとすることが、ドラマのなかで十分機能して来ないことになる。そこが問題なのだな。つまりこれは演じる染五郎の問題であると同時に、われわれ見る側の問題でもあるのだろうと思います。

昨年(令和6年)1月浅草での隼人の与三郎の観劇随想で「写実か様式か」ということを考えました。大事なことは、自分の個性(或いはニン)に応じて・如何にして写実と様式の間のバランスを取るかと云うことです。だから一律の答えはないのだが、大抵の場合は「いかに写実するか」か「いかに様式するか」のどちらか一方に偏ってしまい勝ちです。染五郎の与三郎の場合は実(じつ)の要素に特質があるから・そこをベースにするのは当然ですが、そこから「いかに様式とのバランスを取っていくか」ということが課題になると思います。

実は先ほど褒めた光秀や源蔵にだって同じような課題があるわけなのだが、義太夫狂言の型ものではそれがさほど目立たなかっただけのことです。与三郎も世話の型ものに違いありませんが、源氏店が役者の味が左右する割合が強いものであるだけに、与三郎はそこら辺りの兼ね合い(バランスの取り方)が余計に難しいということはあるでしょうね。(この稿つづく)

(R7・12・19)


2)虚と実の「揺らぎ」

そんなことを考えながら染五郎の「源氏店」を見たのですが、ふと折口信夫の文章の一節が頭に浮かんで来ました。以下の折口の文章は「弁天小僧」について書いたものですが、これを「源氏店」に置き換えてみても、ほぼ同じことになります、

『「弁天小僧」は、歌舞伎の伝統を百年くらいに限ってみる人には、なるほど最も喜ばれる狂言である。歌舞伎と云えば、こんなものだと考える人が多いのである。だが一方、そんな平易な様式で卑俗な美ばかり感じる人だけがいるわけでもない。いつもこれらの人から抽象論ではあるが、異論が出て来る。こんな古風で無意義な芸が存在して良いものか。歌舞伎を抹殺する勢いで喚きたてるが、時がたつと必ず静まって来た。しかし、いつかこれが「地」の声になってしまう時が来る。その時の備えに、今からでも変化して行くほかはないのである。(中略)弁天小僧の通し狂言など、まことに我人ともに密かな倫楽に浸っているようなもので、あれでは見物はちっとも進歩して行かないのである。(中略)弁天小僧の芸は見ていて楽しいが、古くても良い戯曲のもつ「人生」がない。(中略)さう言つても、「浜の真砂と五右衛門が歌によんだるぬすつとの……」と厄払ひ口調のつらねが初まると、一返に無我夢中になつて了ふ我々自身である。併し筋立てにも台詞にも、何の人生も写っていない。虚仮(こけ)な生活に引きずりこまれた十数分を反省して、冷や汗を流さない人ばかりはあるまい。これが若い人々に「生」を甘く見る習慣を付ける。(中略)底にからくりがあったとしても、二十や三十両の金を得て帰って行く、そう云う感情の刹那刹那の繋がりすら度外視した、浅はかな笑劇とは早く別れを告げることである。之を、暮れの浜町・春の演舞場と二度続けて見るといふ人すら――其一人は確かに私であつた――ある。さう言ふことが情ない。(中略)無意義劇と本格劇の振るい分けをして、正しい劇へ導くことも、これからの歌舞伎役者の仕事のひとつにしていきたいものである。』(折口信夫:「若手歌舞伎への期待」・昭和27年1月)

ずいぶんと厳しい評言が連なりますねえ。この折口の文章は昭和27年という時代の空気(戦前までの旧価値観の崩壊)を考慮に入れて読まねばなりません。しかし、伝統崩壊の危機と云う観点ならば、令和の歌舞伎も昭和27年当時と同じような微妙な状況ではないでしょうかね。だからこの折口の言葉は、令和という時代の歌舞伎のためにも、まことに良いアドバイスになります。

前章でも触れた通り、「源氏店」の芝居は、見取り狂言として見るならば、総身に34カ所の刀傷を持つ・色男優男の若旦那が、三年越しで再会した因縁の女がシラッと別の旦那の囲い者に納まっていたと云うので憤然として強請に掛かるが、誤解が解けて一転「お前を一生放さないよ」でハッピーエンドになると云う具合で、まあ折口が言う通り、見ていて楽しいが、ここには「人生」がない。筋立てにも台詞にも、何の人生も写っていない、所詮そんな程度の芝居なのです。吉之助も見る度に「他愛もない芝居だなあ」とチラと思うのだが、ところが厄介なことに、この芝居には嘉永6年(1853)初演の八代目団十郎以来の、十五代目羽左衛門ら数々の名優を経て令和の現在の十五代目仁左衛門にまで至る長い歳月のなかで培われてきた歌舞伎の魅力のエッセンス(様式・型)が詰まっているのです。これが役者の味でするところの「源氏店」の魅力であると、吉之助としてはおいそれと言いたくはないけれど、それがこの芝居の他愛の無さ・或る種の痴呆性と分かち難く絡み合っていることは認めなければなりません。上記文章では折口もその厄介さを正直に・かつ悩ましげに吐露しています。「源氏店」や「浜松屋」は、長い歳月を掛けてこのような方向へ特化してきたわけです。

染五郎初役の与三郎を見て感心することは、「源氏店」の芝居が本質的に持つ「痴呆性」に対して無批判的にドップリ浸かった演技をしていないことです。いつもの歌舞伎でやるように、七五のリズムでゆったり・様式的に歌うなんてことをしていない。染五郎は染五郎なりに、与三郎のなかに在る・どこにも持って行きようがない憤りのようなもの・つまり与三郎の実(じつ)を懸命に描こうとしています。これは素晴らしいことです。染五郎の非凡さを示すものです。

しかし、実際の舞台を見ると、写実(リアル)であろうとすることが、ドラマのなかで十分機能して来ないのです。色調が渋く・地味に見えて、芝居が浮き立たって来ない。するとここで、いつもの歌舞伎の与三郎が持っている痴呆性が何だか恋しくなって来るのですね。それは「源氏店」という芝居の本質と分かち難く在るものだからです。時には思い切って(何も考えずに)七五のリズムにゆったりと身を任せる、そういう場面も時には必要なのかも知れませんねえ。これを与三郎の虚の要素であるとすると、染五郎が描こうとしている与三郎の実の要素と虚の要素を「揺らぎ」として見せる、敢えて虚をしっかり描くことによって・実との差異を際立たせる、そのような工夫が、時には必要になるのでしょう。例えば、

『そりゃアな、一分貰って有難うございますと、礼を言って帰るところもありゃア、また百両百貫貰っても、帰られねえところもあらア。』

という与三郎の台詞は、もちろん写実(リアル)でしゃべることも出来ます。しかし、歌舞伎の様式から見ると、これは次第にクレッシェンドしていく台詞です。与三郎は最初は素でしゃべり始めるが、しゃべりながら次第に激してきて、自分で自分を抑え切れない、これが台詞のテンポや声の大きさに様式として現れるのです。逆を云えば、与三郎のなかにお富に対する積もり積もった思いがどれほどあったかと云うことです。だからこの台詞を染五郎はリアル気味にしゃべっていたけれども、ここは思い切って様式に身を任せた方が良かったかも知れませんね。その方が実があって、なおかつ派手に仕立てることが出来るわけです。(この稿つづく)

(R7・12・25)


3)染五郎の与三郎・玉三郎のお富

要するに、実(じつ)を志向するのはもちろん大事なことだが・それも芝居に拠るのであって、「浜松屋」や「源氏店」のような芝居に於いては、作品に本質的に付き纏う或る種の痴呆性に思い切って身を任せることも・時には必要になると云うことなのです。その方が虚の芝居のなかに一滴垂らした実のエキスの香りが効果を発揮することもある。今回(令和7年12月歌舞伎座)での染五郎初役の与三郎はなかなか良く頑張っていますが、現段階では実から虚・虚から実への移行があまりスムーズではないようです。落差が大きくて時折ガタンと来ることがある。ここらは経験を積み重ねることで解消するだろうから、あまり心配はしていませんが。

染五郎には、今後のために仁左衛門の与三郎をよく研究することをお勧めしたいですねえ。但し書きを付しますが、仁左衛門は令和の与三郎役者ですけれど、吉之助は与三郎の横顔に差す暗い翳をあまり感じさせない点にちょっとだけ物足りなさを感じています。そこのところはむしろ染五郎の方が与三郎の仁(ニン)に近いものを感じます。染五郎の与三郎への期待は、そこにあるわけです。染五郎が仁左衛門から盗み取って欲しいところは、和事の「やつし」の芸の本質・つまり「今の私は本当の私ではない、今私がしていることは、私が本当にしたいことではない」という気分です。これが会得出来れば、染五郎が演じる与三郎(だけでなく他の役も)は随分変わる、「揺らぎ」のある感触になってくると思います。

前述した通り今回の「源氏店」の舞台は、他の役者も染五郎の与三郎の個性に合わせたわけでもあるまいが、全体的に色調が実っぽく渋く映ります。芝居にもっとウキウキしたところが欲しいですね。痴呆性に浸ったところが恋しくなる。「源氏店」にはやはりそのような要素が必要なのだと思います。

玉三郎のお富は、吉之助も五十年来見てきたものであるし・安心出来るものであるが、今回のお富は玉三郎持前の媚態がやや後ろに引っ込んだような印象を受けますね。仁左衛門の与三郎が相手であれば、これで良いです。しかし、染五郎の実の与三郎に対しては、「宿命の女」(ファム・ファタール)としての、積極的な虚の要素が欲しいと思います。お富という女が無意識のうちに発散する虚のオーラに、かつて三年前は与三郎が惑わされたし、今は番頭藤八(市蔵)が惑わされてしまう、そんな感じにお願いしたいですね。そんなわけで、今回の「源氏店」は前半があまりウキウキしないので、与三郎と蝙蝠安の登場が引き立たない。

幸蔵の蝙蝠安は大抜擢に応えて一応の形は付いていますが、ちょっと真面目過ぎる蝙蝠安です。ここはこのように考えてもらいたいと思います。蝙蝠安はどん底に落ちた与三郎を拾い上げて強請り騙りを仕込んでやる、人の好い一面があります。しかし、ひと皮剝けば強烈にヒネくれており、コンプレックスの塊りである。大事なことは、これは蝙蝠安だけのものではなくて、現在与三郎が抱えている状況でもあると云うことです。つまり蝙蝠安は与三郎という役の実を補強する役割である。蝙蝠安のおかげで与三郎はスッキリいい男の役でいられるのです。そこを考えてみれば、蝙蝠安はまだまだ工夫が出来る・遣り甲斐のある役だと云えると思います。頑張ってください。

(R7・12・27)


 


  (TOP)     (戻る)