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分裂した他者〜「アイーダ」と「愛陀姫」

平成20年8月・歌舞伎座:「野田版・愛陀姫」

十八代目中村勘三郎(濃姫)、二代目中村七之助(愛陀姫)・三代目中村橋之助(八代目中村芝翫)(木村駄目助左衛門)


前座)シミオナートのアムネリス

昨今は海外の一流オペラハウスが歌手・合唱団・オーケストラから装置・衣装まで全部持ち込んで、続々と来日公演して、どれを聞こうか選ぶのも困るくらいです。その昔は交通手段も発達していませんでしたし、費用も莫大に掛かりましたから、1970年以前には海外オペラハウスの公演が非常に稀でした。そのなかで音楽ファンの渇を癒してくれたのが、「NHKイタリア・オペラ」(正確には「NHKイタリア歌劇団」と称す)という企画でした。NHKイタリア・オペラは1956年から76年まで8回に渡り、オペラの本場イタリアから一流歌手と指揮者・演出家をNHKが招聘し、管弦楽はNHK交響楽団・合唱団は二期会など・装置製作は日本で受け持つ形で・オペラ公演を実現したものです。NHKイタリア・オペラ公演が日本音楽界に与えた貢献は実に計り知れないもので、これでオペラというものを知った人が大勢いたと思います。ハイライトは何と言っても、デル・モナコやデバルディやシミオナートが登場した第1次〜第3次でありました。もちろん招聘元がNHKですから、テレビ放送もされました。当時の欧米でのオペラ舞台の映像はあまり残っていないので、NHKイタリアオペラの録画は、海外のオペラ・ファンが随喜の涙を流す貴重なものです。

吉之助自身もNHKイタリアオペラにお世話になった世代でして、71年9月(第6次)のイタリア・オペラ公演で・パヴァロッティが歌うマントヴァ公爵の「リゴレット」をテレビで見たのが、吉之助の最初のオペラ体験でした。73年9月(第7次)の「ファウスト」でのクラウスのファウストとギャウロフのメフィストフェレス、それと「アイーダ」でのコッソットのアムネリスも素晴らしかったですねえ。フィオレンツァ・コッソットのアムネリスは、ジュリエッタ・シミオナートのアムネリスと並んで・戦後のアムネリス歌手の最高峰でありました。

ところで作家谷崎潤一郎は言わずと知れた日本文化の目利きであり、歌舞伎・文楽を愛好しましたが、六代目菊五郎が昭和24年(1949)に亡くなってから・歌舞伎への関心を無くし・しばらく歌舞伎から遠ざかった時期がありました。その後、若き五代目訥升(後の九代目宗十郎)を見て・再び歌舞伎への関心を取り戻します。訥升のことは「瘋癲老人日記」(昭和36年 10月より翌年5月まで雑誌「中央公論」に連載)のなかで取り入れられています。

谷崎が歌舞伎から遠ざかっていた時期と前後しますが、谷崎が武智鉄二に「イタリアオペラがあれば歌舞伎はもういらないね」と言ったことがあるそうです。これは56年(昭和31年)9月〜10月・第1次イタリアオペラでの「アイーダ」でのシミオナートのアムネリスを見た谷崎の感想でした。武智は「六代目菊五郎の芸風とシミオナートの芸風は似たところがあり、それが(谷崎)先生の関心を惹いたのであろう」とも書いています。

『シミオナートは世界最高の名優だと思う。オペラ歌手としては…というような、条件つきの名優ではなく、演劇もバレエも、すべての舞台芸術を通して、第一級に位する大女優なのである。私は彼女の芸品の中に六代目菊五郎に匹敵するものを見出す。』(武智鉄二:1959思い出のステージアルバム・「音楽の友」1959年12月号・・これは第2次イタリアオペラについての武智の記事です。)

六代目菊五郎とシミオナートが似ているというのが、とても面白い指摘です。谷崎・武智がこう言ったというだけでも歌舞伎とオペラが相通じるという立派な証拠になるではありませんか。なおシミオナートは61年(昭和36年) 9月〜10月・第3次にも来日して「アイーダ」でアムネリスを歌っており、この公演は市販DVDで映像が見られます。この時のアイーダはトゥッチ、ラダメスはデル・モナコでした。これも素晴らしい。

(H20・8・23)


1)歌舞伎とオペラ

ご存知の通り「歌舞伎素人講釈」には歌舞伎とオペラを関連付けた論考が何本かあります。吉之助は江戸の「精神的状況」は十九世紀の西欧の状況を先取りしていたと考えています。19世紀ロマン主義を代表する芸能ジャンルがオペラです。19世紀西欧ジャポニズムは江戸と出会うのが必然であった、このことを考えるのには歌舞伎とオペラを関連させてみるのが大いに役に立つのです。

読者の方は吉之助が「歌舞伎素人講釈」でオペラを取り上げる時に音楽にほとんど触れていないことにお気付きと思います。例えば別稿「その心情の強さ」では、冒頭にヴェルディの「椿姫」から近松の「出世景清」の遊女阿古屋との心情の関連を考えています。別稿「 八つ橋の悲劇」では、ビゼーの「カルメン」から「籠釣瓶花街酔醒」の考察を引き出しています。しかし、お読みになればお分かりの通り、論考では音楽(つまり旋律やリズム)については触れていません。歌舞伎とオペラを考える時には、音楽よりもまず台詞がその取っ掛かりとなるのです。それは歌舞伎とオペラの共通項が「ドラマ」であり、吉之助の関心事はそのドラマの描き出すところの心情であるからです。

歌舞伎もオペラもどちらも楽しむ方は、昨今結構いらっしゃいます。「歌舞伎とオペラは似ている」と何となく感じる方は多いと思います。しかし、「歌舞伎とオペラは似ている」という議論が、「オペラのアリアは歌舞伎のツラネのようである」などと言う表面的なことだけならば、あまり説得力はないと思います。一方「音楽を主体とするオペラと・言葉を主体とする歌舞伎は表現手法が違う」などと言う議論も意味がないと思います。ジャンルが違う芸能の手法が異なるのは当たり前のこと。表層的な表現手法の似てる・似てないの議論に、吉之助はあまり興味がありません。重要なのはそれが表現するところの心情であるからです。「心情」こそ吉之助が江戸の精神的状況が十九世紀の西欧の状況を先取りしていたと主張するところの根拠です。

オペラの台本(リブレット)は、例外もありますが、西欧でも文学としてはだいたい二流に分類されています。例えばヴェルディの「トロヴァトーレ」はイタリアオペラの魅力満喫ということでは最高の人気作ですが、「トロヴァトーレ」はヴェルディの音楽の力強さ・輝かしさを絶賛される一方で、筋の荒唐無稽さをこれほど言われたオペラもありません。曰く「生活のために・興行主の要請に応じて・仕方なく二流の台本に曲をつけねばならなかった可哀想なヴェルディ!」。しかし、「トロヴァトーレ」の成立過程を見れば、カンマラーノによる台本は完全にヴェルディの主導の下で書かれており、それがヴェルディの意図を体現するものであったことが明らかです。実際ヴェルディもどこかで言っていたと思いますが、「良いオペラを書くために必要なのは台本・何よりもまず良い台本」なのです。名作と呼ばれるオペラは、必ず作曲者と脚本家の緊密な議論連携のもとに台本が作られています。

小説・演劇として優れたものであっても、それだけでオペラの題材にふさわしいとは限りません。作曲家はオペラにマッチした題材をいつも必死に捜し求めています。1894年・老ヴェルディがパリに滞在していた時のこと、劇作家サルドゥーの家で、脚本家のイッリカがサルドゥーの戯曲をオペラ化した新作脚本の朗読会が開かれました。その時に読まれた台本が、後にプッチーニによって作曲されることになる「トスカ」です。イッリカが朗読した時、ヴェルディは興奮を抑えきれず、第3幕のカヴァラドッシのアリア「星も光りぬ」の箇所で遂に席を立ち上がり・イッリカに近づき、台本を引ったくって・むさぼるように台本を読んだそうです。後にヴェルディはサルドゥーに「もう自分には体力的に無理だが、自分が若ければ作曲してみたい作品がある。それは「トスカ」だ。」と言い、プッチーニが作曲をすると聞いて「彼はいい台本を見つけた。 きっと成功するだろう」と語ったそうです。どうしてヴェルディがそんなに興奮したのか、プッチーニの「トスカ」を知っている人ならば、説明しなくても分かるはずです。

実際オペラは旋律を味わうだけでもそれなりに楽しめますが、台本を読めば楽しみはさらに倍加します。「オペラは旋律の甘美さで聴衆を魅了するもの・言葉の持つ意味は二の次」なんて考えるのは、大きな誤解です。なぜならば作曲者は台本に沿って音楽を付けているのですから、その音楽は作曲者による台本の解釈であり、ドラマの理解に他ならないからです。だから旋律あるいはリズムが表現する心情を観念的に理解するのには、台本を分析することがもっとも早道です。オペラを鑑賞するのにイタリア語が分かる必要は、必ずしもありません。まずは日本語訳の台本で十分ですが、粗筋を知っておいて曲を聴くことです。吉之助は家でオペラを聴く時はイタリア語を分からぬなりに、イタリア語の歌詞を追いながら音楽を聴きます。鍵になる語句のところで作曲家がどういうフレーズ・どういうリズムを付けるかは、非常に大事だからです。ですから音楽そのものから歌舞伎との関連を考えることも、もちろん出来ます。そのためには曲をたくさん聞き込むことが必要で、これには多少年期が必要ですが、本稿では旋律とドラマの関係にもちょっと触れてみたいと思います。

(H20・8・27)


2)「アイーダ」は心中物である

日本文学研究者として著名なドナルド・キーン氏は無類の音楽好きでもあり、そのオペラ通ぶりは作曲家の諸井誠氏が「もし引き受けてもらえるならキーンさんにレコ芸のオペラ批評欄を担当してもらいたいものだ」と吉之助に語ったほどでした。その著書「音盤風姿花伝」(音楽之友社)で披露される音楽体験は、素晴らしいものです。そのキーン氏が「古典を楽しむ〜私の日本文学」(朝日選書393)のなかで、近松門左衛門の心中物(「曽根崎心中」・「心中天網島」など)を論じた章の末尾を、次のようなエピソードで締めています。

ドナルド・キーンの音盤風刺花伝 (1977年)

ドナルド・キーン 古典を楽しむ―私の日本文学 (朝日選書)

トスカニーニが歌劇「アイーダ」(ヴェルディ)をニューヨークで演奏会上演した時のリハーサルをキーン氏は見学したそうです。(この時の1949年の素晴らしい演奏会は映像で残っており、「アイーダ」を語る時に必見のものです。)その第4幕はラダメスとアイーダという愛し合う二人が、墳墓のなかに生きながら閉じ込められて、死を待つシーンです。その最後の静かな旋律を二人の歌手が悲 しみを込めて歌いました。するとトスカニーニは即座にオケを止めて、こう叫んだそうです。「この場面は悲しみじゃない、喜びだ、無上の喜びなんだ!」

キーン氏の近松心中論は、最後に「アイーダ」のエピソードが突然飛び出して、それで終わります。オペラを知らない方には、この締め方は唐突に感じられるかも知れません。しかし、これはキーン氏のなかに完全な「必然」があるのです。吉之助も同感ですが、お初徳兵衛の心中とアイーダ・ラダメスの死のなかに、同じかぶき的心情がはっきりと見えるからです。(これについては後ほど考えます。)こういう論旨展開は「歌舞伎素人講釈」にはよくあることですが、キーン氏がこのような文章を書いてくれたことは、吉之助はとても心強く思います。やはり「アイーダ」は心中物だと考えて良いのです。

付け加えれば、吉之助の方は「近松心中論」をワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」との関連から取り上げています。(本論は道行とハンドリングの関連を論じるもので・音楽に関する理解が多少必要かも知れません。)実はヴェルディの「アイーダ」は、観念的に「トリスタン」の影響を強く受けています。曲がピアニシモで開始され・最終音がピアノニシモで締められる点では、表面的にも似ています。しかし、これはヴェルディがワーグナーを模倣しているということではなく(初演当時からそのような批評がありましたが)、その類似は同時代的心情において理解すべきことです。

(H20・8・29)


3)「アイーダ」の歪な構造

1869年11月・スエズ運河開通記念行事のひとつとして、カイロに歌劇場が建設されました。この劇場のためにヴェルディに新作オペラの依頼が来たのは、同年半ばのことでした。この時ヴェルディは気乗りがせず、いったん断っていますが、その翌年に送られてきた「アイーダ」原案を読んで興味を示して翻意します。原案は考古学者マリエットによって書かれたものでした。マリエットはとても文才に富んだ人で、考古学知識を散りばめた原案は、ヴェルディも「芝居をよく知っていて・経験を積んだ筆である」と褒めているほどです。(ヴェルディ:デュ・ロクル宛・1870年5月26日の手紙)その後台本はヴェルディの依頼により・ギズランコーニによって台本に仕上げられますが、その台本は概ねマリエットの原案に沿ったものでした。どうして急にヴェルディが作曲を引き受ける気になったかということは「アイーダ」を考える時の非常に大事なポイントです。このことは吉之助の音楽ノート「アイーダ」の稿でも触れましたが、もう少しこの問題を考えます。

まず1870年前後の世界情勢を考えてみる必要があります。ひとつはスエズ運河開通に象徴されるように、西欧帝国主義がその頂点(言い換えれば臨界点)に達しつつあった時期であったということです。もうひとつは西欧のなかで 列強各国の利害が対立し、紛争が絶えなくなってきたことです。特にやっかいの種は植民地競争において乗り遅れたプロイセンでした。そうした緊張状態のなかで起こったのが、普仏戦争(1870年7月19日〜1871年5月10日)でした。普仏戦争はドイツの勝利によって終わりますが、この戦争は空位になったスペインの王位継承に関しフランスとプロイセンとの間に意見の相違があり、紛糾していたところに、この問題に言及したウイヘルム1世の電報を宰相ビスマルクが、あたかもフランスがプロイセンを侮辱したかのように改竄して世論を煽ったことに始まります。これをエムス電報事件(1870年7月14日)と呼びます。もちろん世論に戦争反対論もありましたが、エムス電報事件でそのような声はかき消されてしまいました。7月19日に堪忍袋の緒が切れたフランスがプロイセンに宣戦を布告します。9月2日、フランス軍はセダンでプロイセン軍に完全に包囲され、ナポレオン3世ほか大勢の兵士が捕虜となり、その2日後にナポレオン3世が退位します。憤激したヴェルディは急に思い立って、ギズランコーニに当てて次のような指示をします。

『凱旋の場の合唱にエジプトと国王をもっと賛美させ・同時にラダメスももっと賛美するようにして欲しいのです。ということは最初の8つの詩句をいくらか変えねばならないということです。2番目の女性の詩句はこれで良いですが、それに続いて祭司の詩句が加わらなければなりません。「我々は神意によって勝った。敵は降伏した。神はさらに我々に味方するだろう。」 ヴィルヘルム国王の電報をご覧下さい。』(ヴェルディ:1870年9月8日の手紙・ギズランコー二宛)

手紙でヴェルディが引用したのは、セダンの戦いに勝利したドイツ国王ヴィルヘルム1世の勝利宣言の電報文です。ヴェルディの指示により、ギズランコー二は凱旋の場の祭司たちの合唱の歌詞を加えました。

『勝利を統べる・いと高き神に眼を向けよ。幸運なる日に、感謝をば神に捧げよう』(第2幕第2場)

さらにヴェルディは友人に宛てた別の手紙で次のように書いています。

『やたらに神意を持ち出すこの国王(ヴィルヘルム)は神の力を借りてヨーロッパの一番良い部分を破壊しているのです。彼は自分が風紀を改善し・今日の世界の悪習を処罰するために選ばれた存在であると信じているのです。何と変わった神の使徒でありましょうか。』(ヴェルディ:1870年9月30日の手紙・マッフェイ宛)

「アイーダ」はスペクタクル・オペラの代表のように言われますが、有名な凱旋の場のスペクタクル性には、ヴェルディの当時の世界情勢に対する憤激が潜んでいるのです。凱旋の場の壮麗さは、グロテスク・怪物性と言うべきものです。実は「アイーダ」はそのほとんどが主役3人を中心とした心理ドラマであり、むしろ室内楽的とも言える小振りの繊細な表現が要求されます。逆にそれと反比例するように、凱旋の場がスケール感を増していきます。いかにハリウッド歴史スペクタクル調に豪華に仕上げるかが、演出の仕どころになっていきます。演出によっては舞台に象が登場したり・戦車がずらりと並んだり、偉大なモニュメントが観客を圧倒します。一方は極小を目指して結晶化し、もう片方がグロテスクなほど肥大化していきます。そのような歪(いびつ)な構造は「アイーダ」が本質的に持つものです。

(H20・9・1)


4)「アイーダ」の時代的心情

それでは「アイーダ」は、ヴェルディによる普仏戦争批判なのか。古代エジプトの物語を借りてヴィルヘルム1世やビスマルクをあてこすったのか。そう単純なものではありません。直接のきっかけはもちろん普仏戦争に対する憤激にありますが、「アイーダ」の持つ時代的心情はもっと大きく深いものです。現代に意義ある「アイーダ」上演のためにその点を検討しなければなりません。

「アイーダ」上演史上において注目すべき演出のひとつは、1981年ハンブルク歌劇場でのハンス・ノイエンフェルスによる演出です。ノイエンフェルスは「アイーダ」の舞台を上流階級のアールデコ調の事務室に変えて、掃除婦のアイーダがラダメスと一緒にガス室で死んでいくという設定にしてしまいました。凱旋の場は、捕虜のエチオピア人たちが食べ物を争う姿をエジプト人の上流階級が劇場の桟敷席から見物しているというシーンに変えられて・スキャンダラスな話題となりました。 その意図について、ノイエンフェルスは次のように語っています。

『フロイトの素晴らしい命題がある。言葉通りに引用できないが大体こんなところだ。人間は戦争で死を感じるからこそ、生をも感じる。だから「アイーダ」にはつねに戦争の呼びかけがある。存在感があまりに薄くなってしまっており、戦争においてのみその存在が確かめられるようになってしまっている。この概念的に恐ろしく空虚になった時代は、同様に空虚になった我々の時代に警告を発している。それは今日の我々への架け橋であるように思われる。この作品の中心人物たちは象徴的な人物像であり、単にメロドラマの一要素であるだけでなく・原型的な要素でもあるのだ。』(ハンス・ノイエンフェルス:「アイーダ」の演出に関して ・1981年1月)

「アイーダ」には国家・戦争あるいは組織という存在が、背後で主人公(アイーダ・ラダメス)を常に脅かしています。もう片方に主人公たちを常に誘うものがあります。ノイエンフェルスはそれを「憧れ」と呼んでいます。

『それ((憧れ)は私がリアリズムと呼ぶものに関連している。「アイーダ」は張り詰めた・極めて透明度の高いものだ。「アイーダ」はヴェルディの構想ではメンフィスの王宮で演じられる。つまり、どこでも良いのではなく・極めて厳格に広間で演じられるべきものだ。このことは非常に重要だ。なぜならこれによってナイル河の幕に独特な緊張がもたらされるからだ。ナイル河での幕では憧れの表現が歌の最高の姿をとって現れる。(中略)そこには血と土という意味の土地に対する思い以上の何かがある。それはエジプトでは決して見出せないある状態への回帰の希望を語っているのだ。ナイル河の幕は空間から歌い始められ、この希望へ、自然のなかへと入り込んでいく。はるかに遠いエチオピアの緑の野、その暖かな風が呼び招かれる。』(ハンス・ノイエンフェルス:「アイーダ」の演出に関して ・1981年1月)

現代においても戦争は絶え間がありません。国家と戦争の問題は現実的な・しかも切迫した問題ですから、「アイーダ」は時代を越えたメッセージを我々に投げかけてきます。戦争においては、常に大義が必要です。もし大義がなければ、大義を作れば良いのです。例えば「あの国はテロリストを匿っている」( しかしいくら探してもテロリストは見つからなかった)、「あの国は大量殺戮兵器を隠し持っている」(しかし大量殺戮兵器は見つからなかった)。ついこの前の湾岸戦争(1990年)で起こったことは、神のご加護のもと戦争を行ったヴィルヘルム1世・ビスマルクと本質的な違いは何もないのです。このことは遠い異国の出来事ではなく、 この世界情勢に日本も無関係ではあり得ません。だからヴェルディの憤りは、現代にそのまま通じるものです。先日(2008年5月)・日本でも公演が行われたペーター・コンヴィチュニー演出(1994年・グラーツ歌劇場初演)も、このこのコンセプトによるものでした。凱旋の場は、権力者のチープな馬鹿騒ぎに置き換えられました。

(H20・9・4)


5)アムネリスの役割

このように「アイーダ」の状況を広義に読み込んでいくと、「アイーダ」のドラマは愛し合う男女の死というメロドラマ的な要素を越えて、個人を圧倒し・個人の尊厳を奪い去る非人間的な状況に対する個の主張と見ることができます。それに国家とか戦争とか具体的な名前を付けることももちろんできますが、もっと大きく捉えれば、それは個人が社会のなかで生きて行くなかで、必然的に衝突せざるを得ない他者的な存在なのです。ノイエンフェレスは、凱旋の場を除く「アイーダ」の主要人物の対話は、「どこでも良いのではなく・広間で(すなわち限定された空間のなかで)演じられるべきものだ」と指摘しています。閉鎖された空間が登場人物の置かれた状況を象徴します。アイーダとラダメスは最後には地下の墓室でに生き埋めにされるのですから、閉鎖されたイメージが最後まで付きまといます。その死の瞬間にアイーダとラダメスは閉鎖された状況から解く放たれ、ふたりは個の尊厳を求めて、「彼の地」へ旅立つ。これがノイエンフェレスの解釈です。

しかし、作品全体から見れば、アイーダ・ラダメスはキャラクターとすれば、むしろ単純な役です。アムネリスの方が、性格的にはるかに複雑かつ劇的です。「アイーダ」に深い陰影とドラマ性を与え ているのが、アムネリスという存在です。当然のことながら、ヴェルディはアムネリス役の歌手をとても重視しました。ヴェルディは、楽譜出版者のリコルディに次のような手紙を書いています。

『あなたは「アイーダ」の台本をご存知だから、アムネリス役には非常に劇的なものの本質をつかみ、場面を支配することのできる芸術家が必要だということはお分かりでしょう。声が美しいだけでは、このパートには十分ではありません。いわゆる歌唱力の完成度というのはほとんど気に留めません。声や魂や、一種の何か ・人がひらめきと呼ぶものは私の方から与えることはできません。それは「魔物を自分のなかに感じる」と呼ばれるものです。』(ヴェルデイ:リコルディ宛:1871年7月10日)

アムネリスはアイーダの恋敵であり、プライドが高く・自分が王女だからラダメスが自分を愛するのが当然と思っているところがあり、 しかし、ラダメスが自分に関心を示さないので、嫉妬に狂って、結果的にラダメスを破滅に追い込みます。しかし、裁判の場(第4幕第1場)においてアムネリスはラダメスに生き埋めの刑を宣告する祭司たちに向かって、怒りと呪いの言葉をぶつけます。この台詞が、「アイーダ」の最重要の台詞です。(この点については後ほど改めて考えます。谷崎潤一郎も激賞した歴史的なアムネリス歌手シミオナートのこの場面の映像をご覧になりたい方はこちら。1961年NHKイタリア・オペラ。)

『あの方は生きながら墓に埋められるのですと・・・おお、無慈悲な人たちよ。あの方の血にも飽きたらないで・・天の従者と自らを呼ぶのか。祭司たちよ、あなた方は罪を犯したのです。血で飾り立てた卑しき虎よ。あなた方は大地と神々を侮辱したのです。(中略) 祭司の長よ、お前が殺してしまうあの人は、ご存知のように、かつて私が愛した人なのです。あなた方は罪なき者を罰したのです。むごい人たちよ、呪いがあなたたちの上にあるように。天の復讐が降るでしょう。』(第4幕第1場)

アイーダ/ラダメスは、苛酷な運命に対して沈黙を守り、祭司たちに呪いの言葉を浴びせることはありません。その代わりをアムネリスが勤めているのです。そしてヴェルディの秘められた憤激を、アムネリスが代わりに吐き出してもいます。この場が「アイーダ」のクライマックスであることは、「アイーダ」成立過程を踏まえれば、納得できます。 「アイーダ」のドラマを動かし・ドラマに明確な方向性を与えるのが、アムネリスなのです。「アイーダ」フィナーレは、地下墓のなかに生きたまま閉じ込められて死を待つアイーダ/ラダメスの二重唱ですが、地上では喪服に身を包んだアムネリスがこれに唱和して・祈りの言葉を捧げながら音楽が終わります。(この最後のシーンについては後ほど考えます。)

『あなたの上に平安がありますように。いとしい御からだよ・・・心静めしイシスの神よ・・あなたには天が開く。』(第4幕最終場面)

先日(2008年5月)のペーター・コンヴィチュニー演出の「アイーダ」は、最後に舞台奥の扉が開いて、アイーダとラダメスは閉鎖された劇場空間から劇場の外へ飛び出して行くというコンセプトでした。(注:日本公演では劇場奥が開かないため東京のビル街の夜景の映像がスクリーンに映しだされました。)アイーダとラダメスは、すがるアムネリスを無視するように手を取って去り、アムネリスは舞台にただひとり取り残されました。アイーダとラダメスは別世界に旅立って救われるけれども、アムネリスは拒否されたのか、アムネリスは現世で苦しむしかないのか・・・そういう苦い疑問を観客に残したまま幕が下りました。まあ解釈はさまざまです。アムネリスもまた救われるという解釈もあり得ると思います。むしろ吉之助はそちらを取りたい立場ですが、ヴェルディのピアニシモの最終音は、どちらの解釈も受け入れる可能性があるのです。

(H20・9・6)


6)時代物の骨格

平成20年8月歌舞伎座の「野田版・愛陀姫」は、野田秀樹・勘三郎の三番目の提携作品で、ヴェルディの歌劇「アイーダ」からの翻案です。前2作の「研辰の討たれ」と「鼠小僧」は世話物でしたが、今回の「愛陀姫」は時代物という点でも興味深いところです。舞台を見ると、祈祷師の使い方・台詞のスピード感などに、野田演劇らしい面白さが見えますが、主要人物の台詞は原作オペラの歌詞を細かいところまで取り入れており、大筋ではオペラを忠実に置き換えた印象が強いようです。その分・前2作と比べると、遊びが少なくなって、シリアスな感触に仕上がっているので、野田・勘三郎で大いに笑おうと歌舞伎座に来られたお客様にはお気の毒でしたね。しかし、前2作とは違う野田氏のトーンの微妙な変化が、吉之助には興味深く感じられました。今回の「愛陀姫」のなかで、野田氏が原作「アイーダ」から改変した部分に野田歌舞伎の特質が出ていると思うので、本稿ではそこに焦点を絞って考えます。

まず出版されたばかりの「愛陀姫」脚本(「野田版歌舞伎」・新潮社)の結末部分を読んで、なるほど野田氏は巧いこと考えたものだと思いました。実は吉之助は本を読む時に、いきなり冒頭から読み始めることをせずに、最後から読んだり・途中を見たり・つまみ読みをよくするものですから、「愛陀姫」を結末から見てまず感心したわけです。濃姫が祈祷師に裏切られて・織田家に嫁ぐべしというご神託を突きつけられて、「私が嫁いでもこの国(美濃)に決して争いが絶えることのないように」と呪いの言葉を吐く最後の場面のことです。史実に拠れば、濃姫の嫁ぎ先の織田信長が後に美濃に攻め入って、この国を滅ぼすことになるのです。だから架空のお話はここで歴史の大きな流れのなかに乗ってくることになり、時代物の構造のなかにはまってくるわけです。

例えば「実盛物語」の最後で、「その時は実盛が鬢髪を黒に染め、若やいで勝負をとげん、坂東声の首とらば、池の溜まりで洗うて見よ、いくさの場所は北国篠原、加賀の国にて見参見参」と 実盛が言う時に、九郎助住居の場の架空の出来事から28年後の史実に向かって、まっすぐな線がスッと見えてくるのと同じことが意図できます。もっとも実盛の逸話は、当時の江戸の民衆にとっては常識というべきものでした。濃姫と信長の結婚に現代の観客が、どういうものを見るかは分かりません。その辺は幕切れで誰かの口から美濃の将来を憂えるような台詞を吐かせる工夫が必要かなと思いますが、「愛陀姫」は時代物の本歌取りのトリックは一応取れてると思います。

なお「濃姫」というのは織田家に嫁いでからの敬称でして、結婚前は道三のもとで鷺山殿と呼ばれていたのが史実です。有名な逸話にある通り、道三は信長を大変に気に入っており、道三は息子義龍(道三実子ではなかったとの有力説あり)より、むしろ信長の方に若き日の自分を見ていたようにも思われます。実際、信長の美濃攻めは濃姫の婿である自分こそが美濃の正統な後継であると主張するような印象が強いものでした。信長と濃姫との間に子供はありませんでしたが、夫婦仲は良かったと言われています。また信長は合理主義者で、神仏や占いなど信じないようなイメージがありますが、実は信長は伊東法師という有力な陰陽師を軍配師として抱えており、軍の勢いや戦の日取り・天気などを占わせて、これを参考に して戦術をたてたのです。これは当時の大名ならば、誰でもそうでした。そういう史実はあるようですが、大筋において「濃姫の嫁ぎ先が実家に攻め入って・美濃の国を滅ぼすことになった」という未来を時代物の骨格に置くことは納得できることです。

いずれにせよ「愛陀姫」脚本の最後の場面だけ抜き出して読むならば(ただし最後の場面だけを読めばの話です・その理由は後で触れます)、歌舞伎の時代物としてさほど違和感はなく、エジプトから戦国日本への置き換えは、まずよく出来ていると吉之助は思います。しかし、実際の舞台を見ると、いくつかの問題があって「愛陀姫」は骨太い時代物の印象を与えることが出来ずに終わっています。どうしてそうなってしまったのか。吉之助はそこに良くも悪くも野田歌舞伎の特質を見る気がするのです。

(H20・9・8)


7)分裂した他者

ヴェルディは、教会(宗教としてのキリスト教ではなく・権力構造としての教会)に対して、あまり良いイメージを持っていなかったようです。例えば「ドン・カルロ」の異端者処刑の場面などに、そうしたヴェルディの不信感が現れているかも知れません。晩年ヴェルディは故郷のバルマに病院を寄付しましたが、毎朝夕行われる院長の回診に聖職者が付いて回ると聞いて・これを即刻やめるようにと手紙を書いています。しかし、ヴェルディが敬虔なカトリック教徒であったことは疑いありません。でなければ、あれほど素晴らしい「レクイエム」は書けません。ヴェルディが嫌ったのは、世俗の権力構造としての教会です。

このことは「アイーダ」を考える場合に、大事なことです。「アイーダ」での政治と宗教を分けて考えてはいけません。オペラを観ると、祭司長ランフィスの方がエジプト王より偉そうであり、宗教が世俗権力より大きな力を持っているように見えます。しかし、これは宗教が政治を牛耳っているのではなくて、宗教が政治と一体化しているからです。古代エジプトは宗教国家だからです。天は神イシスが司り、地は王(ラー)が支配することは神により認められているという世界構造があったわけです。実はこの構造は、プロイセン国王ウィルヘルムにおいても同じでした。ウィルヘルムは19世紀の「遅れてきた絶対君主」です。絶対君主制全盛期(代表的なのは もちろんフランスのルイ14世・イギリスのエリザベス1世)においては天は神が治める・現世は神によって君主が治めることが認められているという世界観があり、民衆はその世界観に統治者の正当性を見たのです。これは、18世紀の世においては、当たり前のことでした。しかし、19世紀末になってウィルヘルムがまだ大真面目に時代遅れの主張を しているから、いろいろ物議を醸すわけです。しかし、現代においても形を変えながら統治者は何らかの大義を求めており、権力の本質的なものは、何も変わっていません。宗教とか・国家という範疇を越えて、「アイーダ」では個人と対峙し、個人の尊厳を脅かす他者的な存在(状況)が明確に意識されています。

一方、野田歌舞伎においては、見定められるべき対象(他者的存在)が分裂していると吉之助には感じられます。つまり、個人と対峙するものが分裂しており、吉之助から見ると対象が定まらないように感じられます。しかし、たぶん分裂した対象の片割れが「大衆」であることは間違いありません。これは言うまでもなく、野田演劇の重要なキーワードです。例えば「研辰」では仇を討つ者と討たれる者に対して、大衆はきまぐれで・その時の気分によって反転する、行き当たりばったりで・実に無責任な反応を示します。その変化する気分はその時々の大衆の正直な気持ちではあるのです。しかし、その行動や言動には一貫性がありません。しかも大衆の反応は辰次や平井兄弟が引き起こしているように見えて、実はそうではなく、予想できない大衆の反応によって辰次も平井兄弟も振り回されているという構図です。そのため筋はさらにねじれて、よじれていくことになります。そこが野田歌舞伎の面白さのひとつです。

このような大衆によって生み出される筋の捻じれで観客を笑わせながら、野田氏は「笑っている観客のあなたも大衆のひとりなんだよ」という批判をちょっぴり交えています。しかし、野田歌舞伎は、完全な大衆批判にはなっていません。というより野田氏には、大衆を批判する気は全然ないだろうと思います。吉之助はそこが野田氏の優しさであり、もしかしたらそこが弱さでもあるかなと思います。野田氏は最後にホロリと涙する場面を作って、大衆を主人公に対して同情させて、大衆を許してしまうからです。つまり、状況に追い駆けまわされ・時に追い詰められる主人公を見てワイワイ囃し立て・けしかけていたはずの大衆が、最後に主人公の真情にホロリと涙することで、それまで騒ぎに加担していた大衆の責任も帳消しにされてしまう。だから大衆は死んでいく主人公に対して後ろめたさを感じなくて済む。観客の皆様は「ああ面白かった」と安心してお帰りいただけるというわけです。これが「研辰」や「鼠小僧」のパターンではなかったでしょうか。「愛陀姫」 でも祈祷師を登場させて、世論を操る場面が出て来ます。シリアスタッチなので・前2作ほど大衆があまり前面に出てはいませんが、本質的なところは同じです。

「野田版・研辰」が大衆批判でないならば、見定めるべき対象が実は大衆でないのならば、それでは辰次は何と対峙しているのか。何が分裂した他者のもうひとつのパーツなのか。吉之助はそこが問題になると思います。忠義批判か・封建批判か、お上批判か、あるいは他のことなのか。仇討ち芝居を平成の世でやる意味は何か。ところが「野田版」ではずっと「大衆」でワイワイ騒いできたものだから、最後になって対象が明確に見えてこないのです。

木村錦花の原作を見れば、もともと町人であった辰次が武士になって・ 身丈に合わない生活を始めて、いじめられ・怒ったらまたやり返されて、これが大正14年に上演された背景がこの時代のどうにもならぬ状況と重なることが明らかです。そこに時代の気分を重ねて見る必要があります。そこを理解することで、「研辰」は平成の芝居にもなるのです。もちろん優れた書き換え狂言というものは原作の気分をどこかに引き継いでいるもので、「野田版」も実はそのはずです。しかし、「野田版」の場合は「大衆」が先行し、対象(他者)の像が分裂している為に、観客から見ると他者の姿がぼやけてしまって、明確に対象が定まらないということが問題かなと吉之助は思っています。

(H20・9・10)


8)センチメンタルな音楽の使い方

このことは観客をホロリと涙させて主人公に同情させてしまう最後の場面の音楽の使い方に、端的に現れます。「研辰」の場合はマスカー二の歌劇「カヴァレリア・ルステカーナ」間奏曲・今回の「愛陀姫」では、マーラーの交響曲第5番・アダージェットです。驚くほどセンチメンタルな使い方がされています。美しく・切なくもある旋律が醸しだす表層的な情感(ムード)だけを利用した音楽の使い方です。

しかし、音楽は(そうでない音楽ももちろんありますが)、特にロマン派音楽の場合は、その旋律の背景につきまとう文学的修辞を切り離して考えることはできません。歌詞を伴わない純器楽作品の場合は、このことはなおさら重要です。音楽の持つ文学的修辞とは音楽の構造が生み出す純粋に観念的なものであり、それは文学的・あるいは時に絵画的でもあります。だからその音楽を「ロマン派」と呼ぶのです。言うまでもなくロマン(浪漫)とは小説・物語のことを言います。映画にクラシック名曲を使ったものは、少なくありませんが、その忘れがたい場面においては旋律の醸しだす文学的修辞とドラマの主題が分かちがたく結びつき、相乗効果的な劇的効果を生み出すものです。

それにしても「愛陀姫」の最終場面は、そこまでヴェルディの「アイーダ」の音楽を劇中でふんだんに使っているのだから、そのまま最終場面もヴェルデイの音楽を使えばそれで済むのに、わざわざマーラーに差し替えた処置には驚きました。マーラーのアダージェットは本当はこんなセンチメンタルな音楽ではないのですが、ここではそういう使い方がされています。野田氏だけではなく、日本の演劇では音楽を情緒的に、表層的に使 っているケースが少なくありません。音楽の持つ文学的修辞を論理的に利用するということが、あまり見掛けられないのです。日本演劇は音楽をもっと論理的に駆使できるようにならないといけないと思います。例えばヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」での、マーラー:アダージェットの使い方、コッポラ監督の「ゴッド・ファーザー・パート3」での、マスカー二:間奏曲の使い方を見れば、音楽がドラマと密接に結びつき・論理的に使われているかが、お分かりになるはずです。もし「愛陀姫」がミラノで上演されることがあるならば、観客から間違いなく腐ったトマトを投げつけられることを、野田氏は覚悟した方が良いです。あそこの観客は怖いんですよ。

「愛陀姫」での音楽の使い方は、最終場面以外のところでは、そう悪くはないものです。これはヴェルディの音楽がドラマに緊密に結びついているのですから当然です。凱旋シーンでのヴェルディの音楽はわざとチープに使われていて、オペラファンには憤慨する方もいるかも知れませんが、ヴェルディが凱旋シーンを異常に肥大化させたことの意図を知っていれば、これはヴェルディ自身も認めるだろう音楽の使い方だと吉之助は思います。コンヴィチュニー演出でも凱旋シーンは軽薄な馬鹿騒ぎにわざと仕立てていました。「愛陀姫」に象の戦車が登場することも吉之助には気になりません。これはこれで良いと吉之助は思います。しかし、「愛陀姫」の最終場面がマーラーなのは、まったく良ろしくないと吉之助は思います。

もちろん野田氏が「愛陀姫」の最終場面の音楽をマーラーに差し替えたのは、彼なりの考えがあってのことだろうとお察しはします。「愛陀姫」の最終場面は原作と結末が違っていますから、濃姫が呪いの言葉を吐いて・憤りを胸に秘めて終わる場面に、ヴェルディの清らかな祈りの旋律が合わないと野田氏は考えたのかも知れません。死に行く愛陀姫・憤りを胸に秘めて去る濃姫の対比をつけるのに、もうちょっと引き裂かれた音楽が欲しいということで、「それならばマーラー」となったのかも知れません。いちおう野田氏の立場になって考えてみればそういうことになりますが、吉之助はマーラーの音楽が「愛陀姫」の最終場面でドラマと結びついて論理的に鳴っているとは、到底思えないのです。とてもセンチメンタルな音楽の使い方がされています。ここに野田歌舞伎のもうひとつの問題が見えます。つまり、観客をホロリと涙させて・主人公に同情させて、主人公が追い込まれた状況に対して観客が真剣に向き合うことを邪魔するということです。悪く言えば観客の目を本質と違う方向へ反らさせると言うことです。それは野田氏が音楽の持つ文学的修辞を論理的に使えていないせいだと吉之助は思います。

(H20・9・12)


9)ヴェルディのリアリズム

「アイーダ」最終場面の、地下墓場の石室に閉じ込められて死を待つアイーダとラダメスの二重唱「さようなら、大地よ、さようなら、涙の谷よ・・」は、先に触れたドナルド・キーン氏の回想のなかで、トスカニーニが「この場面は悲しみじゃない、喜びだ、無上の喜びなんだ!」と叫んだ・その旋律です。この旋律はとても単純なものですが、短いフレーズが浮かんでは止まり・また浮かんでは止まるという動きを見せながら、静かに展開していく ものです。それはゆっくりとした呼吸の動きを示しています。息を吸う場面でフレーズがふっと止まるのです。閉ざされた地下の墓室にいるアイーダとラダメスが・呼吸しながらだんだん酸素がなくなって、二酸化炭素が充満していって、次第に息が苦しくなって、意識が遠くのいていく情景を、ヴェルディは実に正確に音楽で描写しています。やがてアイーダとラダメスの声は聞こえなくなります。最後に地上で喪服を着て・ラダメスの冥福を祈るアムネリスの声が唱和します。

旋律が醸しだす表層的な情感(ムード)を聞けば、この旋律は、もはや生の執着を捨てて来世に喜びを見出そうとする、静かな祈りの音楽に聞こえるかも知れません。その要素はもちろんあります。そのことはアイーダとラダメスは苦しい息のなかでも、決してもがいたり暴れたりしていないことで分かります。しかし、ヴェルディは音楽のなかにちゃんと凄惨な「死」を書き込んでい ます。死は彼らにとって甘美なものであって、歌唱はもちろん美しく歌われなければなりませんが、ヴェルディは「しかし、所詮それは死だ」ということを冷徹に見据えています。これがヴェルディのリアリズムです。しかも残酷なほど、事実を冷徹に直視しようとするリアリズムです。つまり、「アイーダ」最終場面は非常に静かで清らかに聞こえますが、実は引き裂かれた音楽なのです。このリアリズムは近松が「曽根崎心中」において・お初徳兵衛の心中場面を、次のように描写していたことを思い出させます。これが歌舞伎とオペラとの類似性を考える時の大きな手掛かりであることは言うまでもありません。近松のリアリズムとヴェルディのリアリズムはまったく同じなのです。

『眼(まなこ)もくらみ、手を震い、弱る心を引き直し、取り直してもなお震い、突くとはすれど、切っ先はあなたへはずれ、こなたへそれ、二・三度きらめく剣の刃、あっとばかりに喉笛に、ぐっと通るが、南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀と、刳り越し、刳り越す腕先も、弱るを見れば、両手を伸べ、断末魔の四苦八苦、あはれと言うもあまりあり』 (「曽根崎心中」)

アイーダとラダメスの最後の二重唱が引き裂かれた音楽であることは、その旋律だけであると聞き逃してしまいそうですが、ヴェルディはこの二重唱にふたつの旋律を重ねて、その本質をより鮮明にする工夫をしています。ひとつはどこか遠くからこの地下の墓室にまで聞こえてくる祭司たちの音楽です。それはアイーダとラダメスにとってもはや空虚で残酷な音楽にしか聞こえません。もうひとつはまったく別の意味を持ちますが、地上で喪服を着て・ラダメスの冥福を祈るアムネリスが、アイーダとラダメスの歌に唱和する声です。その音楽の引き裂かれた本質は地下墓室のアイーダとラダメス・地表にたたずむアムネリスという二重舞台によって視覚的にも実現されています。「アイーダ」上演はコンヴィチュニー演出のような例外もありますが、最終場は二重舞台を使うのが普通であり、それが台本のオリジナルの指定です。

「アイーダ」が観念的に「トリスタン」の影響を受けていることは先に触れました。実は「トリスタン」の模倣ではない・ヴェルディ独自のものがこの最終場面の音楽にはっきり出ています。それはアイーダとラダメスの声が途切れた音楽をアムネリスが引き継いで曲が終わることです。「トリスタン」のイゾルデの愛の死の最後で、マルケ王が唱和するエンディングはあり得ません。アムネリスの声ををどう読むかということですが、これはアムネリスは「ラダメスよ、あなたは死んでいくけれど・私は生きていきます」と言っているわけです。独身を貫くか・尼になるのか・別の男と結婚するのか、幸せになるのか・不幸になるのか、それは分かりません。そこに聞く者の想像の余地を与えていますが、アムネリスがこれからも生きていくことは間違いありません。

「愛陀姫」の結末は、原作と濃姫(アムネリス)の描写に、確かに大きな相違があります。濃姫は「私が嫁いでもこの国に決して争いが絶えることのないように」と呪いの言葉を吐きます。ヴェルディの祈りの音楽 は「愛陀姫」の結末にそぐわないように思うかも知れませんが、 ヴェルディの書いた二重唱の旋律は実は引き裂かれており、その本質において「愛陀姫」の時代物の結末に十分耐え得るものだと吉之助は思います。ただし結末の濃姫の言葉の意味合いは変える必要がありますが。そのことは後で考えることにします。

(H20・9・14)


10)たそがれの音楽

マーラーの交響曲第5番・第4楽章(アダージェット)は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ヴェニスに死す」に使われたおかげでマーラーの旋律のなかで最も有名なものになっています。マーラーの音楽については聖と俗の対立ということがよく言われます。その言い方は正しいですが、そういうことからすれば、このアダージェットは最もマーラー的でない楽章であると言えます。第5楽章中間部においてアダージェットの旋律がカリカチュア的に回想されます。マーラーにおいては美しい旋律はそのような形で自虐的に現れ、哀しい歌を歌うけれど決して持続することなく、断片化せざるを得ないのです。これがマーラー的な聖の旋律の扱い方です。逆に言えば第5楽章で回想されるために・ひとつの楽章をかけて前の楽章で聖の要素的なものを提示しているわけです。これはイレギュラーなケースと見なければなりません。それは一刻(いっとき)の幻想なのです。マーラー自身は第4・5楽章をまとめて・第5交響曲の第3部という位置付けとしており、ふたつの楽章は切れ目なく演奏されます。アダージェットそれ自体では音楽は完結しないと見るのが本当のところだと吉之助は思います。

吉之助の聴くところでは、マーラーのアダージェットは「たそがれの音楽」です。泉鏡花の考察で「たそがれの味」ということを書きました。たそがれに昼と夜の境目はありません。そのような中間の世界に いつ入ったのかも分からないし、気が付いたらそこにいるという感じです。そこは本来対立するはずのどちらの要素も共存・交流するところの緩衝地帯なのです。

『このたそがれ趣味は、単に夜と昼との関係の上にばかり存立するものではない。宇宙間あらゆる物事の上に、これと同じ一種微妙な世界があると思ひます。例へば人の行ひにしましても、善と悪とは、昼と夜のやうなものですが、その善と悪との間には、又滅すべからず、消すべからざる、一種微妙なところがあ ります。善から悪に移る刹那、悪から善に入る刹那、人間はその間に一種微妙な形象、心状を現じます。』 (泉鏡花:「たそがれの味」」・明治41年3月)

しかし、マーラーのアダージェットが引き裂かれていないのではありません。「ふたつの感情に引き裂かれている」と言う本質は、マーラーの大事なキーワードです。マーラーは現世的な未練に非常に強く引かれています。死を意識すればするほど、生がより一層いとおしく感じられます。楽しかったあの頃の思い出・遂に実現できなかった若き日の夢や憧れ、そのような想念がマーラーの心の底から浮かんでは消え・消えてはまた浮き上がる・そして哀しく歌う・時には狂おしいほどに身をさいなむ。マーラーのアダージェットはそういう音楽です。映画「ヴェニスに死す」 の最後のシーンで海岸の岸辺で太陽に向かってギリシア神話のアポロンのポーズを取るタッジオを見ながら、アッシェンバッハがこと切れます。この場面でのアダージェットの旋律が映像と分かちがたいほど痛切に印象的に響くのは、ヴィスコンティがその旋律の文学的修辞を正しく利用できているからにほかなりません。ベニスとは、ヨーロッパ人にとって煌びやかな過去の輝き、そしてもう取り戻せないあの日々なのです。

吉之助はマーラーの音楽を愛すること人後に落ちませんが、アダージェットの旋律は「愛陀姫」の結末にまったくそぐわないと感じます。境目がない「たそがれの音楽」のなかには、愛陀姫と濃姫の二重舞台で象徴される対立構図が、まったく聴こえないことです。マーラーのアダージェットは確かに引き裂かれた音楽ですが、生に引かれ・死に引き裂かれるふたつのベクトルは自分の心の内部にあってせめぎ合い、ひとつをふたつに引き裂こうとする力です。それは「愛陀姫が聖・濃姫が俗」と言う視覚的な割り切り構図と全然合わないものです。

「愛陀姫」において、このアダージェットの旋律は一体誰のために奏でられているのでしょうか。愛陀姫と駄目助左衛門のためならば、ふたりは楽しかった語らいの日々でも思い浮かべながら・現世への未練に引かれながら死んでいくということなのか。濃姫のためならば、ついに恋は叶わなかったが、駄目助左衛門と結婚することを夢見たあの日々を思い出しながら、織田家への虚しい婚礼の道を歩むということなのか。吉之助にはそのようにしか聞こえませんがねえ。吉之助が音楽が驚くほどセンチメンタルに使われていると言うのは、そこのところです。

「愛陀姫が聖・濃姫が俗」の割り切り構図はまあそれはそれとしても、舞台上に見える対立構図の裂け目を音楽でどう陰影を付けてより立体的に見せるかということが肝心です。そういう音楽の使い方になっていないと思います。むしろその逆で音楽が愛陀姫と濃姫の対立構図を弱め、他者的存在の影を弱め・観客に問題の本質を意図的に見せないようにしているとさえ思われるセンチメンタルな音楽の使い方です。これではヴェルディの「アイーダ」の最後の二重唱をマーラーにわざわざ差し替えるだけの劇的必然がまったく見えません。

(H20・9・16)


11)リアリズムの音楽

「野田版・研辰」の幕切れでは、マスカー二の歌劇「カヴァレリア・ルステカーナ」・間奏曲が使われています。討ち果たされた辰次の死体が舞台に横たわるなかで流れる音楽が、とてもセンチメンタルに聴こえます。討手の平井兄弟が「急に国に帰るのが嫌になった・人を殺したような気がする云々」と会話したりするせいもありますが、さきほどまでのドタバタも怨みも消えてしまって、どこか「怨讐の彼方に」的な幕切れです。まあ昨今「カヴァレリア」間奏曲はヒーリング音楽に使われるようですから、この幕切れに違和感を感じる方はあまりいないかも知れませんが、吉之助の耳には音楽がひどくセンチメンタルに聴こえます。

マスカー二の歌劇「カヴァレリア」は、イタリアのシチリア島の農村を舞台にした人情悲劇です。トゥリッドゥは村の娘サントゥッツァと婚約しますが、かつての恋人ローラを忘れられず、逢引を重ねます。サントゥッツァはトゥリッドゥに自分のところに戻ってくれと懇願しますが、彼は聞かず、サントゥッツァは怒って、ローラの夫アルフィオにこのことを告げます。この場面の直後に幕を下ろさないまま無人の舞台に流れるのがこの間奏曲です。後半の場面ではアルフィオがトゥリッドゥに決闘を申し込み、トゥリッドゥは殺されます。

ここでの間奏曲の役割のひとつは、前場の雰囲気を沈静化して、後半への気分転換のためのものです。間奏曲の清くひたすらに美しい旋律が、この後の惨劇の血生臭さを際立たせて、より劇的な効果を増すということです。もうひとつの間奏曲のとても重要な意味は、間奏曲の清らかさというのは、シチリア島民の素朴な聖母マリア信仰と強く結びついており、そこに救いを求める・許しを求める切実な気持ちが渦巻いているということです。そのような美しい間奏曲がこの人情悲劇の幕間で流される時、それはたんなる癒しの音楽では決してあり得ないのです。歌劇「カヴァレリア」は、ヴェリズモ・オペラ(現実主義・自然主義のオペラ)です。ヴェリズモ・オペラとしての「カヴァレリア」の意味を考えれば、その間奏曲にはひたすらに救いと平安を願う気持ちと、しかしその気持ちが強ければ強いほど、それはこの世において実現されることはないだろうという絶望が一層強くなるという、相反した感情が交錯する形で出ているということです。それが「カヴァレリア」間奏曲の持つ有り得ない美しさとなって現れるものです。ですから先ほどのマーラーのアダージェットと同様に、「カヴァレリア」間奏曲も引き裂かれており、しかもそれはそれ自体で完結しておらず、その後の惨劇によってその意味が補完されるのです。「カヴァレリア」間奏曲の美しさの後に、必ず残酷な現実が待っているということです。「カヴァレリア」間奏曲を演劇で使用する時、このことがとても大事です。

このことをフランシス・コッポラ監督の「ゴッド・ファーザー・パート3」の最終場面で見てみます。主人公のマフィアの親分コルリオーネが敵に襲われ、その巻き沿いで彼の最愛の娘が死にます。ここでコルリオーネの脳裏に娘の思い出・さらに自分の若き日の思い出(愛の日々)の映像がフラッシュバックで出てきて、コルリオーネの孤独な死で映画が終わります。実は映画のこの場面にも「怨讐の彼方に」的センチメンタルな感じが少しあって、吉之助はコッポラのコマ割りに問題が若干なくもないと思いますが、歌劇「カヴァレリア」の意味を知るならば、もちろんコッポラの意図は明らかです。マフィアにシチリア島の出身者が多いことはよく知られています。「カヴァレリア」はご当地オペラであり・この曲が「ゴッド・ファーザー」に使われていること自体に暗喩があり、西欧の観客はそのようにこの場面を見るのです。

「ゴッド・ファーザー」 ではマフィアの親分が主人公で・作品中では敵対する人物・役に立たない人物・裏切り者などが、親分の指示によって情け容赦なく・虫けらのように次々と殺されます。殺された者たちにも妻があり・子供がいたはずですが、彼らの嘆きは全然描かれていません。そのようなマフィアの親分に・最愛の娘が殺されたからといって・大悲劇の主人公然と泣き叫ぶ資格などあろうはずがないのです。彼の娘もマフィア抗争の犠牲者のひとりに過ぎませんし、娘の死も・自らの孤独の死も、所詮身から出たサビです。そう考えれば「ゴッド・ファーザー・パート3」の最終場面で「カヴァレリア」間奏曲が流れて、主人公コルリオーネの死で終わる意味は明らかです。それは「救いはこの世にはない・苦しみは死を以って終わる」ということです。死は単なる終わりに過ぎない。これがマスカー二のリアリズムであり、コッポラのヴェリズモです。

日本の芝居でクラシック音楽がよく使われるのは、経費節約のため(オリジナル曲を作曲してもらうには経費が掛かる)からかなと も思いますが、出来合いのクラシック音楽を舞台音楽に利用するのは、実はとても難しいことです。それには音楽に対する理解力とセンスがとても要求されます。クラシック音楽・特にロマン派音楽は文学的修辞と強く結びついていますから、ドンぴしゃり効果的に使える場面はおのずと限定されてくるからです。巧く使えるならば効果は抜群ですが。ですから日本の演劇が世界に通用するようになるためにも、演出家は旋律の持つ文学的修辞を理解して、もっと論理的に音楽を使えるようになって欲しいと思います。

(H20・9・18)


補足)ヴェルディの音楽

YouTubeの音源はいつまであるか分かりませんが、実際の音楽を聴きながらヴェルディの音楽構造をちょっと考えてみたいと思います。(文中のタイミングは映像での表示時間です。)

まず1949年のトスカニーニによる歴史的な「アイーダ」演奏会式上演から前奏曲を取り上げます。ヴェルディは「アイーダ」のために大規模な序曲を書かず、ごく短い前奏曲を冒頭に置 きました。まず冒頭(0秒〜)に弦によるシンプルで美しい旋律が奏でられます。祈りの感情にも似た旋律がやがて二本に分かれて(15秒〜)絡み合うように静かに流れます。冷たい空気が感じられる室内楽的な旋律は閉鎖された空間を 想起させます。それは明らかに第4幕でのふたりの最後を暗示しており、冷たい石の墓室のなかで静かに眠るアイーダとラダメスの魂を古代から呼び出しているかのようです。これは近松が「曽根崎心中・観音巡り」においてお初の霊魂を呼び出す仕掛けをしたのとまったく同じです。ふたつの魂は呼び出され、寄り添いながら少し高まって、また静まります。ここには確かに平安が感じられます。しかし、すぐに別の旋律が現れます。(1分11秒〜)これは第2幕の凱旋の場でも使われる祭司たちの合唱の旋律です。これは世俗の象徴であり、個人と対峙するものを表わします。その旋律は最初は静かに奏でられていますが、次第に高まっていくとともに、強く鋭角的なリズムと音階が底から現れます。(1分29秒〜)この音階はごく短いものですが、無機的で強烈に響きます。まだ調性の枠のなかにある旋律ですが、もう少しで無調になりそうな可能性をも秘めています。それは状況(他者的存在)が、こちらに向かって突然悪意を以って牙を剥き出すように感じられます。この非人間的状況に対抗して、これを力づくで押さえ込もうとするかのように、冒頭の祈りの旋律が変形して現れます。(1分37秒〜) しかし、その旋律は冒頭のように静かに奏でられるのではなく、明らかに強いストレスが掛かっており、歪んでいます。その旋律は「祭司たちの旋律は私たちが聴きたい旋律ではない」と叫ぶアイーダとラダメスの声なのです。こうしてふたつの旋律の対立のなかで、個人と・その尊厳を奪い取ろうとする存在との戦いが二度繰り返されて短い前奏曲が終わります。

次に1961年のNHKイタリアオペラでの「アイーダ」第4幕・裁判の場を取り上げます。シミオナートのアムネリスは谷崎潤一郎や武智鉄二が絶賛したものです。アムネリスが舞台に立ち・裁判は舞台裏で行われているという構図は、舞台で見えないドラマの進行を傍らで右往左往するヒロインの心理変化で表現していくヴェルディお得意の手法で、ヒロインの劇的表現力が要求される場面です。この手法が表すものは、主人公がその最も大切とする者を守るために、何ら直接的関与ができない状況に置かれているということです。そこに圧倒的な状況に対する無力感というものが表現されています。(同様の例として「トロヴァトーレ」第4幕のレオノーラの「ミゼーレレ」 を挙げておきます。)まず司祭たちがラダメスに「釈明せよ」を迫る場面の非情な音楽(3分30秒〜)が秀逸です。ここで咆哮する金管はあの豪華絢爛たる凱旋行進曲での金管と同じ響きであることに注意せねばなりません。つまりこのことから逆にあの凱旋行進曲に対するヴェルディの意図が、明らかになります。ラダメスに対する問い掛けは、3回繰り返されます。ラダメス死刑の判決に怒ったアムネリスが祭司長ランフィスに怒りと呪いをぶつける場面 (7分27秒〜)は、「アイーダ」の最も劇的なシーンです。ここでのアムネリスの旋律は力強く・輝かしいもので、彼女の心情は一点の曇りもないことを示しています。この場面の管弦楽の伴奏はリズムが踊っており、アムネリスを持ち上げるようにオケ全体が共感していることがお分かりになるでしょう。(この点については後ほどさらに詳細に検討します。)対するランフィスの「彼は死なねばならぬ」という言葉は、空しく響くばかりです。アムネリスが「呪いがあなたたちの上にあるように!」と叫んで崩折れる場面の管弦楽の後奏(9分43秒〜)は、とても印象的です。重いリズムの上に・管の高いヴィヴラートが重なります。その割れた響きは権力が「働け・働け、われらに逆らった者はみなこうなるのだ」とあざ笑うかの如くです。それは後のショスタコービッチの交響曲のなかに出てきてもおかしくない未来性を秘めた響きなのです。

(H20・9・20)


中幕)シミオナートのケルビーノ

谷崎潤一郎や武智鉄二がシミオナートのアムネリス(ヴェルディの「アイーダ」)に六代目菊五郎の芸風に通じるものを見出したことは、別稿「シミオナートのアムネリス」で触れました。昭和の最高の芸の目利きである谷崎や武智がそう感じたということは、とても大事なことです。この逸話は芸の真理はジャンルを問わず何か共通したものがあるということを改めて思い起こさせます。六代目菊五郎の芸を知ろうとすれば芸談・文献に頼るしかなく、映像ならば「鏡獅子」しかまともなものはないわけですが、シミオナートの歌唱から類推してみることだって可能なわけです。キーワードは、「かっきりしていて・規格正しい芸風」ということです。

かっきりとしたシミーナートの芸風はアムネリスの映像でもよく分かりますが、もしかしたらこちらの映像の方がさらに分かるかも知れません。1956年・第1回イタリア・オペラでのシミオナートのケルビーノ(モーツアルト:「フィガロの結婚」)の映像です。ここで聞かれる有名なアリア「恋とはどんなものかしら」ですが、まだ知らぬ恋に憧れる少年の内心を歌うもので、傷つきやすい心情を表現するようにナイーヴな感覚で歌われることが多いものです。いかにも少年の役を歌う女性歌手の歌唱という感じですかねえ。もちろんそれも悪くはないですが、シミオナートのケルビーノにハッとさせられるのは、ここには力強い「男性のケルビーノ」がはっきり聴こえることです。ケルビーノの直向(ひたむき)さ・情熱の強さが感じられます。ケルビーノは「フィガロの結婚」では主役ではありませんし、このことは格別の意味を持たないように見えますが、「フィガロ」原作のボーマルシェが書いた続編「罪の母」では、ケルビーノは伯爵夫人と出来てしまうのです。モーツアルトがそこまで意識してアリアを書いたかどうかは分かりませんが、そう考えればこの場面でのケルビーノと伯爵夫人との出会いは、とても意味があるわけです。多分天才モーツアルトはそのアリアのなかにケルビーノの人生を映し出したのです。まだ若くて青臭いし・見た目はなよなよしているので、みんなにからかわれていますが、「見かけは頼りなくたって・僕だって男の子なんだ」というところがこのシミオナートのケルビーノだととてもよく分かります。このことが大事なのは、こうしたとんがった感覚が「フィガロ」のもつ革命性・民衆の目覚めというところの感覚にどこか深いところでつながるからでして、それがこの場面を「フィガロ」のなかで最も忘れがたく美しいものにしているわけです。

この印象はひとつには若干早めのキビキビしたテンポのせいもありますが、このテンポはこの時代(50〜60年代)にはよくあるテンポで、シミオナートにだけ特徴的というわけではありません。大事なことは、きちんとリズムが取れて・旋律線が明確で無駄なところがない・シンプルさが際立つ歌唱であるということです。つまり声に強弱を付けたり・テンポを揺らしたりする技巧に頼らずに、無駄な表現の技巧を排除して、旋律そのものの魅力で、直截的に聴き手に迫ろうという感覚です。その結果・ケルビーノのアリアから「僕だって男の子なんだ」という本質がホントに何気なくすっと立ち現れるのです。シミオナートのかっきりしたシンプルな芸のなかから役の本質が抽出されたように現れます。谷崎や武智がシミオナートに見出したものはそうした芸です。そんなことを考えながら六代目菊五郎の舞台を想像することは、楽しいことですね。

(H20・9・21)


12)「アイーダ」のかぶき的心情

「アイーダ」の最もドラマチックな場面は、アムネリスが祭司長ランフィスに怒りと呪いをぶつける場面であることは既に述べました。この場面のアムネリスの台詞こそ「アイーダ」の核心の台詞です。

『あの方は生きながら墓に埋められるのですと・・・おお、無慈悲な人たちよ。あの方の血にも飽きたらないで・・天の従者と自らを呼ぶのか。祭司たちよ、あなた方は罪を犯したのです。血で飾り立てた卑しき虎よ。あなた方は大地と神々を侮辱したのです。(中略) 祭司の長よ、お前が殺してしまうあの人は、ご存知のように、かつて私が愛した人なのです。あなた方は罪なき者を罰したのです。むごい人たちよ、呪いがあなたたちの上にあるように。天の復讐が降るでしょう。』(第4幕第1場)

このアムネリスの歌詞で最も大事な箇所は、「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」という部分です。アムネリスが「かつて私が愛した人」と過去形で言っている点にも注目したいと思います。この時点で、アムネリスはラダメスを諦めたということです。恋を諦めたならば、アムネリスはラダメスにどんな判決が下ろうが知らぬふりしていればいいはずです。ところがアムネリスは「ラダメス死刑」の判決に烈火の如く怒ります。実はアムネリスが祭司たちを糾弾する言葉は、特殊な論理構造を持っています。

それは『私(アムネリス)は強く正しい人を愛す=私はラダメスを愛している(愛していた)=ラダメスは正しい人である=神は正しい人を愛する=神は正しい人を罰することは決してしない=だからラダメスを罰する祭司たちの判断は 絶対間違っている=だから祭司たちは呪われるべきである』という絶対の論理です。

これは全然理屈になっていない理屈です。「それはお前の思い込みだ」と簡単に否定できそうなものですが、心情から発した熱い理屈であるがゆえに、他人がこれを否定することは絶対にできないのです。アムネリスに理屈で応戦しても無駄です。アムネリスにとって・ラダメスが断罪されることは「この人を愛した私」が断罪されることと同義だからです。ここではラダメスと「私」が一体化しています。「・・・と(und)」の心情があることが、誰の目にも明らかです。事実アムネリスに対して ランフィスは「彼は死なねばならぬ」と空しく繰り返すだけです。無視することだけがランフィスにできることです。

「・・・と(und)」の心情については、別稿「近松心中論」のなかで触れました。『大坂商人の男徳兵衛と・この男を愛した私お初』というお初の心情が、無残にボロボロにされた徳兵衛のアイデンティテイーを回復させるためにふたりが心中に向かうという行為に、明確なメッセージを与えます。

『徳さまの御事、幾年なじみ、心根を明かし明かせし仲なるが、それはいとしぼげに、微塵訳は悪うなし。頼もしだてが身のひしで、騙されさんしたものなれども、証拠なければ理も立たず、この上は、徳さまも死なねばならぬ。しななるが死ぬる覚悟が聞きたい。(中略)オオ、そのはずそのはず、いつまでも生きても同じこと、死んで恥をすすがいでは。』(曽根崎心中)

アムネリスの「・・・と(und)」の心情は、お初の場合とまったく同じです。アムネリスとお初が違うのは、お初は「私たちは正しいのだから・より鮮烈に生きるために・私たちは死ぬのだ」と徳兵衛に言うのですが、アムネリスの方は「あなた(ラダメス)は正しいのだから・その潔白を示すためにあなたは生きねばなりません」とラダメスに言うことです。しかし、これは心情の表出方向が異なるだけで、大した違いではないのです。アムネリスとお初の性格はとてもよく似ています。お初とアムネリスの言い分が逆であっても、全然不思議ではありません。結末がちょっと変わるだけのことです。ここで大事なことはお初の主張も、アムネリスの主張もどちらも「かぶき的心情」から発する言葉だということです。重要なのは個人と・個人を押さえつけようとする状況との対立関係がはっきり意識されていることです。

一方ラダメスと一緒に死ぬことになるアイーダは控え目な女性で、お初のように積極的な主張はしませんが、その内側に熱い心情を秘めています。アイーダは主張らしい主張はしませんが、地下墓室にひとりで先に忍んで待っていて「私の心にはあなたの罪の宣告が分かっていましたから、あなたのために開かれていたこの墓のなかに、私はそっと忍び入りました・・・」と言います。アイーダもまたラダメスと「・・・と(und)」 の心情で強く結びついているわけです。アイーダの心情もまた「かぶき的心情」です。ですからその結果はお初の行為と同じ結末(心中)になります。ドナルド・キーン氏が「アイーダ」と「曽根崎心中」にまったく同じドラマツルギーを見た根拠がそこにあります。

(H20・9・23)


13)本歌取りのポイント

祭司たちを糾弾するアムネリスの言葉は、理屈ではなく・熱い心情から発しています。心情からの言葉に対処することは出来ません。どう説得されようがアムネリスにとって「ラダメスが正しくて・祭司たちは間違っている」のです。これに対して、祭司長ランフィスは黙殺で答えます。これは「恋に狂った小娘の迷いごと」として片付けておかねばなりません。それは神の代理人であるランフィスと・世俗の権威であるエジプト王(アムネリスの父)との妥協でもあります。

しかし、もしランフィスが気の短い男ならば、怒ってアムネリスに「ご神託を否定するお前を神は絶対許すことはしない」と言い出して・彼女に罰を与える(王女であるから死刑にするわけにはいきませんが、まあ謹慎というところか)という展開も考えられないことはありません。そうなってもアムネリスは決して屈しないでしょう。なぜなら「正しい男ラダメス・・・と・この男を愛した私」はかぶき的心情によって結び付けられており、その潔白を示すために私は生きる」というのがアムネリスの生き方だからです。ですからアムネリスはこれから誰とも結婚せずに喪服を着て暮らすのか、他の誰かと結婚させられてしまうのか、幸せになるか・不幸になるかは分かりません。しかし、それはどちらでも良いことです。これからもアムネリスが生きて続けることは疑いありません。

先行作を翻案する場合・筋のどの部分を変えても良いというわけではありません。どこを変えても良いならば、始めから自分のオリジナルを書けば良いのです。どこを変えて・どこを変えなかったか、そこが大事です。それによって作者が先行作をどのように読んだか、改作のオリジナリティがどのくらいあるか、そこに改作者の力量が出ます。翻案の面白さはそこにあります。和歌の本歌取りで「これは巧いなあ」と感嘆する歌は、必ずこの骨格に元歌の何かがはっきりと分かるものがあり、筋を強引に書き換えるようなことは決してしていないものです。そしてある箇所をちょっと置き換えることで、元歌の描いたものとまったく違う様相を展開してみせるのです。あるいは元歌と全然違う道程を取る風を見せておいて、最後に元歌とぴったり合わさった結論に達してしまうという手法もあり得ます。本歌取りには、このふた通りの手法があります。歌舞伎の書き換えはまさに本歌取りの伝統を継ぐものですが、前者の例は「義経千本桜・渡海屋〜大物浦」(言うまでもなく謡曲「舟弁慶」の書き換え)など、歌舞伎には数知れないほどあります。後者の例はあまり多くはないですが、「忠臣蔵」を本歌に置いた鶴屋南北の「東海道四谷怪談」・「盟三五大切」などがこれに当たります。

「アイーダ」では祭司たちを糾弾するアムネリスをランフィスは黙殺し、事はそれで終わります。しかし、アムネリスが何らかの形で怒ったランフィスに罰せられ、アムネリスが世を呪いながら幕が終わるという形も考えられないわけではありません。それでもヴェルディの作意が損なわれることは全然ないでしょう。ヴェルディの作意が個人と・個人の尊厳を奪い取る状況との対立構図にあるからです。「アイーダ」と結末の様相は大きく異なりますが、「リゴレット」や「トロヴァトーレ」のような悲惨な結末に「アイーダ」を持っていくことも十分可能なのです。本歌取りのポイントは祭司たちを糾弾するアムネリスの強いかぶき的心情を転機に、どうやって筋をひっくり返すかです。「愛陀姫」脚本を読むと、野田氏はこの本歌取りのポイントを確かに探り当ててはいます。「アイーダ」の筋を翻案するならば、そのポイントは、確かに濃姫の「その人は私がかつて愛した人じゃ」の台詞の箇所です。しかし、「愛陀姫」を実際に通して見れば、骨太い時代物の印象に至らずに終わっています。それはどうしてなのか、その点をさらに考えます。

「愛陀姫」のこの後の濃姫の件はとても興味深い展開を示しています。濃姫が祈祷師のご神託を否定すると、祈祷師は濃姫を裏切って、「濃姫は織田家に嫁ぐべし」というご神託を濃姫に突きつけます。さらに祈祷師は父・道三に対して「濃姫を選ぶか・ 我らを選ぶか」と迫り、道三は仕方なく祈祷師を選んで、濃姫に織田家へ嫁に行けと言います。濃姫は「私が嫁いでもこの国に決して争いが絶えることのないように」と呪いの言葉を吐きます。濃姫の愚かさが、清らかに死んで行く愛陀姫と駄目助左衛門と対照されるというわけです。これは原作の結末とは違いますし、観客が濃姫に対して共感できない結末ではありますが、それなりに対照が効いていて、最後の場面だけを抜き出して読むならば野田氏の本歌取りの手法として認めて良いものだと思います。吉之助が最初に脚本の結末の部分だけをつまみ読みした時に感心したのは、その点でした。それなのに「愛陀姫」が骨太い時代物の印象に至らないのは、どこかにドラマの悲壮感を削ぐものがあるせいだと吉之助は感じます。その理由のひとつが最終場面の音楽のセンチメンタルな使い方にあることは先に触れた通りですが、もうひとつ作劇上の問題が潜んでいると吉之助は思います。これも野田歌舞伎の特質から発するものだと思われます。

(H20・9・25)


14)悲劇の構造

「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」というアムネリスの台詞は、「ラダメスと・その彼を愛した私」という「・・・と(und)」で結び付けられている心情から発せられているということは先ほど考察しました。この心情は王女という立場から発せられたものではありません。世俗的権威が宗教的権威と対立する形で発せられている発言ではないのです。それはひたすらに個の心情であり、その一方で利害打算がないために、ひたすらに無私です。それはかぶき的心情から発せられた台詞です。

「愛陀姫」の濃姫も、「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」というアムネリスと同じ台詞を確かにしゃべっています。しかし、よく読めば発言の意味合いが全然違 っています。濃姫の発言は、熱い心情の台詞になっていないのです。濃姫は領主の娘として・その世俗的権力を以って祈祷師のお告げを頭から無力化しようとしています。「領主の娘の私が言うのだから黙れ、お前たちを雇った私が言うのだから黙れ」ということです。これならば相手はいくらでも反論の方法があります。祈祷師は「これまでのお告げはみなその通りに実現してきたではないか」と言い返し、「神の僕(しもべ)である我々と・娘とどちらを選ぶか」と領主・道三に迫ることになります。結局、濃姫は祈祷師に「お前は織田家へ嫁に行け」という形でやり返されることになります。

どうしてこういう展開になってしまうかと言えば、それは「愛陀姫」冒頭において街角でを祈祷をしていた彼らを斉藤家へ引き込み、自分の都合の良いご神託をさせようと仕組んだことから始まっています。つまり濃姫の駄目助左衛門に対する恋自体がいかに真実なものであったとしても、濃姫は自分の恋を自分で虚偽の作り物にしてしまったのです。濃姫が「あの祈祷師たちのご神託は嘘じゃ、なぜならあの神託は私が呼んで彼らに言わせたものだから」と言うことは出来ないのです。それは濃姫自身の恋も作り物だと認めることになるからです。ですから「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人じゃ」という濃姫の発言は、アムネリスが言う時のように他人に否定ができない力強い心情の台詞になり得ないのです。「お前は織田家へ嫁に行け」というご神託に濃姫は反抗できないことになります。

「愛陀姫」が骨太い時代物の結末にならないのは、そのせいです。「あの人はかつて私が愛した人じゃ」という発言に対して祈祷師たちが怒って「お前は織田家へ嫁に行け」という神託を濃姫に突きつけること自体には問題ありません。それは展開としてあり得ることですし、「アイーダ」を書き換えるならばポイントは、そこしかありません。問題は最後に織田家に嫁ぐことになった濃姫が「私が嫁いでもこの国に決して争いが絶えることのないように」と呪いの言葉を吐くに至る心情の裏付けが、まったく見えないことです。濃姫が世を呪う心情展開をしてくための状況が正しく設定できていないと思います。ですから濃姫が「私が嫁いでもこの国に決して争いが絶えることのないように」と言う台詞が、とても唐突に不自然に感じられます。

野田氏は恐らく、濃姫が祈祷師を使って世論を操作して・状況を自分の良い方向へ引き込もうと画策したところが、増長した祈祷師に反抗されて、それが無残に失敗に終わる悲劇(?)にしたかったのかなと推察します。マスコミによる世論操作の悲劇ということですかね。吉之助はそういうのは悲劇だとは思いませんけれど、もしそうするならばいっそ喜劇に仕立てた方が野田氏の領分であろうし、勘三郎 のキャラも生きたと思いますけれどね。

悲劇にするのならば、濃姫が「私が嫁いでもこの国に決して争いが絶えることのないように」という台詞を背負えるだけの重みを濃姫に与えなければなりません。全世界に個人が対立するだけの根拠を示さねばなりません。 しかし、祈祷師を斉藤家に引き込んだのは、濃姫でした。神託の内容を彼らにあれこれ指示したのも、濃姫でした。その祈祷師が増長して裏切ったからと言って、それがどうして「私が嫁いでもこの国に決して争いが絶えることのないように」という台詞になるのですかねえ。恨むのならば、祈祷師を恨むか、娘を捨てた親を恨めば良いのです。それ以前に自分の愚かさを恨むべきです。それなのに「この国に決して争いが絶えることのないように」などと、呪われた美濃の領民こそいい迷惑だと思います。これでは濃姫はにっちもさっちも行かなくなって「誰でもいい」と叫んで刃物を振り回す昨今の愚か者と同じと言わねばなりません。そう した現代的世相を「愛陀姫」で描くのが野田氏の意図なのでしょうか。

「愛陀姫」が骨太い時代物の印象にならなかった原因は、「愛陀姫」結末から冒頭へ筋をさかのぼって見れば、明らかになります。濃姫が「私が嫁いでもこの国に決して争いが絶えることのないように」という台詞を背負うだけの状況の重みが濃姫にないのは、「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」という台詞で濃姫が、領主の娘という立場を越えて、ひとりの女性として(まことの人間として)心情 を表現できていないからです。「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」という発言が、濃姫のまことの心情から出た・一点の曇りなきものだということを観客が納得できないのは、濃姫の心情に偽りの影があるからです。そう考えれば濃姫が祈祷師を引き込み・彼らにご神託をあれこれ指図するという冒頭設定に問題があることは明白です。濃姫は自分の恋を自分で虚偽の作り物にしてしまっているのですから、悲劇に主人公になる資格が濃姫にはないのです。濃姫にはその状況を世界苦として背負い込めるだけの重みがない。「私が嫁いでもこの国に決して争いが絶えることのないように」という台詞が空しく響くだけです。「愛陀姫」は、結末だけを見ればよく出来ているが・通してみればそうではないと吉之助が言うのは、そのことです。つまり冒頭設定がうまくないからです。

もうひとつの問題は祈祷師に世論操作という役割を持たせているので、ここでも対象(他者的存在)が分裂していることです。結局、濃姫が対峙するものが愛陀姫なのか、祈祷師なのか、自分なのか、それとも他の何かが、明確でなくなっています。この結末では愛陀姫と駄目助左衛門の死の意味も見えなくなってしまいます。しかし現代演劇の第一線の作家である野田氏にこのような悲劇構造の欠陥が感知できないということはあり得ないので、これはやはり野田氏のなかに「歌舞伎の悲劇はこんなもの」的誤解が根底にあると吉之助は思わざるを得ません。

(H20・9・28)


15)歌舞伎の悲劇はこんなもの?

例えば「鎌倉三代記」で、三浦之助がオロオロする時姫に対して「夫としての自分を取るか・敵方である父親を取るか・さあさあ・・」と迫り、時姫がついに「北条時政討ってみしょう」と言います。この場面は「鎌倉三代記」のクライマックスですが、もちろん時姫のこの決断が非常な重みを持つからです。「夫を取るか・父を取るか」という問題はそのどちらをとってもそれなりの方向に筋は展開できますので、その選択肢自体に正しい・間違っているということはないのです。「夫を取るか・父を取るか」という命題で大事なことは、片方を取る選択をしたということは・片方を捨てる選択をしたということです。夫を取れば親に対して不孝となり・親を取れば夫に対して不忠となるのです。それはどちらも時姫にとって許されないことです。つまり選択する行為自体につねに負い目がつきまとい、それを振り切ってどちらかを選ぶ行為自体がすでにドラマなのです。これが究極の選択ということであり、選ぶという行為の内面にものすごい葛藤があるわけです。時姫がついに「北条時政討ってみしょう」という時、内面に凝縮されたエネルギーが外に向かって一気に解放されます。そのエネルギーこそドラマを展開させる原動力となるものです。

「北条時政討ってみしょう」の選択は、時姫が周囲から強制されて・無理矢理させられたものではありません。なぜならば「周囲から強制された選択」であるならば、時姫はその選択に対して責任がないことになります。時姫はいつでも「自分は言わさせられたのだからあの選択は無効だ」と主張して・選択を撤回できる権利を留保できるからです。「父である北条時政を討ってみしょう」という選択に、時姫が全面的な責任を持つから歌舞伎のドラマが動くのです。ですから歌舞伎の悲劇というのは他動的なものではなく、歌舞伎の登場人物は運命に押し流されているように見えながら、核心の場面において・すべて自分の意志で決断をしているのです。だからこそ歌舞伎は悲劇の印象を正しく観客に与えるわけです。時姫は夫に押され・父親に流され・右に行ったり左に揺れたりしているようですが、「北条時政討ってみしょう」はまさしく時姫自身の決断であり、彼女がその責任を負うのです。「曽根崎心中」でもお初が「この上は徳さまも死なねばならぬ。しななるが死ぬる覚悟が聞きたい。・・オオ、そのはずそのはず、いつまでも生きても同じこと、死んで恥をすすがいでは」と叫ぶのは、お初・徳兵衛がいかに周囲に翻弄され・追い詰められようとも、最後のところは自分で決める、この人生は自分たちのものだという意地の宣言に他なりません。

「アイーダ」のアムネリスの場合を見てみます。「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」という台詞がアムネリスの心情から発していることは先に書いた通りですが、この発言はアムネリスが恋の苦しい葛藤のなかから彼女が掴んだ真実として言われています。アムネリスがラダメスを愛していたことは間違いありませんが、その周囲に王女としてのプライドや・アイーダに対する嫉妬やらいろんな感情が渦巻いており、それが彼女をいろんな歪んだ行動に駆り立てています。第4幕第1場でアムネリスは「この私があの方を引き渡したのだわ、今となってはひどい嫉妬よ・お前を恨むわ、あの方の死と、私の心との永久の戦いを命じたお前を・・」と言って います。そうした人間的反省のなかから「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」という台詞が出てくるのです。つまり、これ以前のアムネリスは恋心と嫉妬によって他動的に動かされていた木偶に過ぎなかったのですが、「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」と叫んだ時、アムネリスは初めて真実の人間になったと見ることができます。つまり、歌舞伎の悲劇と同じ過程を辿っていることが分かります。ですからアムネリスの「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」は、かぶき的心情の吐露です。ヴェルディの音楽を聴けばそのことが明白に分かります。

一方「愛陀姫」を見ると、濃姫は祈祷師を家に引き込み・ご神託にあれこれ指図をして、ずいぶん積極的・能動的に行動しているように表面は見えるかも知れません。しかし、実は下されたご神託の通りに・あるいは父親の言葉通りに沿って従順に動く態度を崩していないわけで、その行動に主体的なものが見えません。唯一主体的であるべき「お前が殺してしまうあの人はかつて私が愛した人なのです」という発言も、濃姫の場合は領主の娘・祈祷師たちの雇い主の立場を抜けておらず、またその行動自体が虚偽の作り物になっているので、結局それは心情からの発言にはなり得ません。だからドラマを展開させるエネルギーを持たないのです。そして、濃姫は 祈祷師のご神託に何の抵抗もせず、織田家に嫁いでいきます。結局、濃姫はドラマの一番肝心なところで決断していないのです。濃姫が主体的に行動して悲劇に堕ちて行くドラマなどありません。「歌舞伎の悲劇とはこんなもの、主人公が他動的に流されて悲劇に落ちていくもの」と野田氏は考えているとお察しをしますが、そこに歌舞伎のドラマに対する根本的な誤解があります。これでは悲劇として十分ではないのです。だから「愛陀姫」は歌舞伎の時代物の骨太い印象を与えることが出来ないのです。

濃姫は祈祷師を家に引き込み・ご神託にあれこれ指図するという冒頭設定をやめて、祈祷師は斉藤家に元から仕える者とでもして、ご神託と父親の言葉に濃姫が翻弄されて 無邪気に一喜一憂 して大はしゃぎするという喜劇的な設定にでもすれば、前半の筋はいくらでも脱線できるし・勘三郎のキャラがずっと生きたでしょう。これで結末のマーラーのアダージェットをやめれば、「愛陀姫」は時代物の骨太い印象を与えることができただろうに。とても惜しいことをしたと思います。

(H20・10・1)


16)心情のドラマ

野田氏の夢の遊眠社や野田地図の芝居を、吉之助は生で見たことはありません。いくつかの映像で知ってはいますが、実は吉之助は、役者が世話しなく・右へ行ったり・左へ走ったり・バタバタ落ち着かない芝居が好きじゃないのです。もちろんあれだけファンが多いお芝居ですから・現代を突く何かがあるに違いないと思いますが、吉之助にとって領域の異なるお芝居なのは確かです。吉之助の関心は、野田歌舞伎だけです。しかし、聞くところによれば野田氏の芝居は21世紀に入ってからトーンが変わってきたということが言われているようです。その背景は察するしかないですが、例えば「オイル」での次の台詞です。

『電話の向こうで人が溶けてあたしの耳に声が残った。石段に腰をかけていた人が溶けて、その石の上にその人の声だけが残ったように、あたしの耳に声が残った。電話の向こうで十万人の人間が溶けて、十万人の声があたしの耳に残った。残った声は幻?・・・このオイルが幻だというのなら、それでもいいの。幻のオイルを補給して、どうしても幻の零戦を飛ばしてやる。ヤマト、もう一度教えて。復讐は愚かなこと?たった一日で何十万の人間が殺された。その恨みは簡単に消えるものなの?一ヶ月しかたっていないのよ、あれから。どうしてガムをかめるの?コーラを飲めるの?ハンバーガーを食べられるの?この恨みにも時効があるの?人は何時か忘れてしまうの?原爆を落とされた日のことを。』(野田秀樹:「オイル」・富士の台詞・初演2003年4月)

*野田秀樹:「オイル」は21世紀を憂える戯曲集に収録

富士(初演では松たか子が演じました)の台詞は確かに心情から発した台詞です。理屈からのものではなく・他人が否定できない個の心情からの台詞です。「オイル」の台詞を知った時、「こういう心情からの台詞が書けるならば、野田氏は歌舞伎が書ける」と吉之助は思いました。それで「野田版・鼠小僧」(平成15年・2003年・8月歌舞伎座)にはかなり期待したのですが、これはちょっと残念な出来でしたねえ。吉之助が「愛陀姫」を見たのは、もちろんオペラ原作であるせいもあります(歌舞伎とオペラは「歌舞伎素人講釈」の重要なテーマですから)が、野田氏に歌舞伎を書ける資質があると思わなければ吉之助は「愛陀姫」の舞台を見なかったでしょう。まあ少しづつコツはつかめてきたようですから、野田氏の次作に期待をしたいと思います。

ところで、出版されたばかりの「野田版歌舞伎」(新潮社)の「あとがき」で野田氏が「歌舞伎が大衆のものであるかということは・卑怯な言い方かも知れないが・大衆の魂があるかどうかという問題である」という趣旨のことを書いています。吉之助は野田版歌舞伎を歌舞伎と認めますが、この文章を読むと、野田氏は歌舞伎の何たるか・自分にぴったりしたものをまだ見つけていないと感じられます。だから「卑怯な言い方かも知れないが」という言い方が出てくるのです。水戸黄門の印籠で頭から相手を押さえつけようとしているようで、野田氏自身がその強引さを 羞じているような感じがあります。野田氏は作家ですから、言葉の選び方には敏感だと思います。吉之助も批評をやりますから、当然そうです。これは大事な点ですが、大衆は「魂」なんて用語は使わないのですよ。「魂」という用語には建前が入っています。それは「ええカッコしい」の 言葉です。「魂」というのは武士が使う言葉、それは体制側の言葉なのです。大衆はやむにやまれぬその思いとか、引くに引かれぬその辛さとか、思い切っても思い切られぬ切なさよとか、そう言うのです。「歌舞伎素人講釈」ではそれらを「心情」と呼んでいます。もうひとつ、大衆と言って焦点をボカしてしまわないで 、個人の思いの強さをもっと前面に出すことですかね。個人の思いを集団の思いとして書くことです。野田氏が「歌舞伎には個人の熱い心情がある」と書けるようになった時に野田版歌舞伎はホントの歌舞伎になることでしょう。

(H20・10・3)

野田秀樹著:野田版歌舞伎(新潮社)


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写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三


 

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