八代目菊五郎・六代目菊之助襲名の「手習鑑」
令和7年6月歌舞伎座:「菅原伝授手習鑑〜車引・寺子屋」
六代目尾上菊之助(七代目尾上丑之助改め)(梅王丸)、初代中村鷹之資(松王丸)、初代上村吉太朗(桜丸)、五代目中村種太郎(杉王丸)、三代目中村又五郎(藤原時平)(以上車引)
八代目尾上菊五郎(五代目尾上菊之助改め)(松王丸)、六代目片岡愛之助(武部源蔵)、五代目中村雀右衛門(戸浪)、六代目中村時蔵(千代)、二代目中村魁春(園生の前)、初代中村萬太郎(春藤玄番)他(以上寺子屋)
(八代目菊五郎・六代目菊之助襲名披露狂言)
1)六代目菊之助襲名の「車引」・梅王丸
本稿は令和7年6月歌舞伎座での、八代目菊五郎・六代目菊之助襲名披露興行・昼の部の襲名披露狂言・「菅原伝授手習鑑〜車引・寺子屋」の観劇随想です。六代目菊之助が「車引」の梅王丸、八代目菊五郎が「寺子屋」の松王丸を勤めます。襲名披露ならではのことですが、これから未来へ向って羽ばたこうとする世代の「車引」と今まさに盛りを迎えんとする現役世代の「寺子屋」の組み合わせです。
令和4年12月歌舞伎座での八代目新之助襲名(当時9歳)の「毛抜」の時もそうでしたが、「車引」の梅王丸も型ものとして容易なものでないのに、現在11歳の新菊之助が演じることに批判もあろうかと思います。まあそこは襲名披露のご愛嬌と思って見ることにしますが、当然のことだけれど、新菊之助は真剣そのもので演じています。亡きおじいちゃん(二代目吉右衛門)みたいなデッカイ梅王丸をやりたいと云う新菊之助の気持ちはビンビン伝わって来ます。
今はこの気持ちだけで十分と云うべきですが、新菊之助がこれだけ真剣にやっているのだから吉之助も真剣に書きますけど、実際やってみれば「稲瀬川勢揃い」(5月歌舞伎座)のようなわけに行かないことはよく分かっただろうと思います。弁天小僧が簡単だと言っているのではないので誤解がないようにお願いします。ただし「車引」は難度が結構高いものです。荒事の発声をまだ喉の遣い方が出来ていない少年にやらせるのはあまり良いことではないと思います。
新菊之助は役をよく考えて演じる子だナアと常々感心していますし、それは今回の梅王丸でもそう感じます。梅王丸のやり場のない憤り・焦燥感を新菊之助はよく掴まえています。「車引」ではその情念を「形」にせねばなりません。それが荒事の様式と云うことなのです。新菊之助は教えてもらったこと・或いはビデオで学んだことを一生懸命「らしく」しようとする段階にあるわけですが、なまじっか本格のイメージが新菊之助のなかにあるために、まだ上手く出来ないのに甲の声を出そうとして無理をするから・それで却って台詞全体の「形」を崩してしまっています。今の段階では甲の声などどうでも良いから、義太夫のイントネーションと二拍子のリズムをしっかり刻んで・そこから「形」を積み上げることが先決です。意欲がちょっと空回りしている感がある。急く必要などまったくありません。正しいイントネーションが身に付けば、高い音も自然に出るようになるのです。お父さんから発声をちょっと抑えるようにアドバイスした方が良いかも知れませんね。5月襲名興行の長丁場の後の疲れも残っていると思います。
吉太朗の桜丸は抜擢ですが、これも将来を見据えたところの配役かと思います。吉太朗は普段女形の役どころが多いと思いますが、今回の江戸歌舞伎の荒事味のある桜丸の型であると、吉太朗は感触が柔過ぎると云うか・憂いが濃過ぎるようです。どことなく上方型の桜丸の性根が混交しているように感じますね。桜丸は後場の「賀の祝」(佐太村)で自分が丞相公失脚の原因を作ってしまったことを悔いて自害するわけで、もちろん「車引」に於いてもその伏線はあるのです。しかし、桜丸は深く思い悩みながらも、「車引」に於いてはなお時平に一矢報いんとする気概を持っていたのです。そこで「車引」で梅王丸と共に殴り込みをかけたが、時平の神通力の前になす術がなかった。ここで桜丸は「燃え尽きた」・つまり「車引」の後で桜丸は死を覚悟したと、江戸歌舞伎の荒事の桜丸の性根はそこにあると思います。吉太朗の桜丸は憂いを抑えて、キリッとした風情がもっと欲しいところです。
そういうわけで「車引」は何となく据わりが悪かったですが、鷹之資の松王が登場して場が引き締まりました。父・五代目富十郎を思い出させる口跡が懐かしかったですね。これは先行きが楽しみです。(この稿つづく)
(R7・6・5)
2)八代目菊五郎襲名の「寺子屋」・松王丸
今回(令和7年6月歌舞伎座)の「寺子屋」では、いつもは省かれる「寺入り」が付くのは良いことです。下男と涎くりのオウムの入れ事はカットされており・ほぼ文楽の段取りになっています(千代が扇を忘れる入れ事は残っています)が、これで身替りの悲劇の陰影が濃いものになりました。何よりも千代の役が一段と重くなりました。
別稿で触れた通り、折口信夫は「寺子屋」のドラマでの千代の位置を重く見ようとしました。延享3年(1746)文楽での「菅原」初演では名人吉田文三郎が、菅丞相(二段目・道明寺)・白太夫(三段目・佐太村)と千代(四段目・寺子屋」の三役を遣いました。この事実からも「菅原」のなかでの千代という役の特別な位置付けが察せられます。「寺子屋」は松王がドラマの芯であることに疑いはありませんが(「菅原」は三つ子の兄弟の物語です)、千代の存在によって松王の悲劇の意味合いが更に深まるところが確かにあるようです。
時蔵の千代は吉之助の映像を含めた記憶のなかでも「出色の千代」と云って宜しかろうと思います。時蔵の千代のおかげで新菊五郎の松王がどれだけ引き立ったかは、前回(令和6年3月歌舞伎座)もそうでしたが、このことは新菊五郎の松王の価値を貶めるものではありません。今回の新菊五郎の松王は、前よりも筆致を太くすることを心掛けたようで、首実検では敵役の雰囲気を前面に押し出してなかなか良いものになりました。しかし、新菊五郎の松王の本領はやはり後半のモドった後の・夫婦の悲しみを共有する場面にあって、ここで千代の下支えが効いてきます。おかげでいろは送りがしみじみした味わい深いものになりました。これから新菊五郎が立役を勤める時に、時代物でも世話物でも、女房役として時蔵の存在が欠かせないことになるでしょう。
愛之助も、新菊五郎がこれから立役を勤める時の大事な相手役になると思います。首実検の緊迫感の醸成のために・源蔵がどれだけ大事な役割であるかは云うまでもありませんが、愛之助の源蔵は新菊五郎の松王の攻めを見事に受け止めて前半を盛り上げました。雀右衛門の戸浪は手堅いところを見せて悪くない出来ですが、このところの雀右衛門はちょっと引っ込み思案の感が強いですねえ。控え目は雀右衛門の美徳ですが、ここはもう少し自分を押し出しても良いところです。
いずれにせよ今回の・新菊五郎襲名の「寺子屋」は配役バランスの良さと仕上がりの端正さで、これを令和の「寺子屋」と呼ぶに相応しい出来になりました。
(R7・6・6)