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六代目歌右衛門の戸無瀬

昭和61年12月国立劇場:「仮名手本忠臣蔵」・第3部

                           *九段目 - 十段目 - 十一段目

六代目中村歌右衛門(本蔵妻戸無瀬)、十七代目市村羽左衛門(大星由良助)、七代目中村芝翫(由良助妻お石)、三代目河原崎権十郎(加古川本蔵・桃井若狭助二役)、五代目中村富十郎(天川屋義平・小林平八郎二役)、六代目沢村田之助(義平女房おその)、八代目中村福助(四代目中村梅玉)(大星力弥)、五代目中村松江(二代目中村魁春)(本蔵娘小浪)、十代目岩井半四郎(太田了竹・原郷右衛門)他

(国立劇場二十周年記念)


1)九段目の位置付け

本稿で紹介するのは、昭和61年(1986)12月国立劇場での、開場20周年記念・通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・第3部の上演映像です。前々月(10月・第1部)、前月(11月・第2部)に引き続き、第3部は七段目から十一段目までを上演します。なお八段目は第2部で上演されたものですが、ここは場割りからすると九段目と繋げた方が納まりが良いので、本稿では八段目も含めて観劇随想を書きます。

今回の注目は、満を持して登場となる六代目歌右衛門と云うことになります。歌舞伎データベースで検索すると、歌右衛門の九段目の戸無瀬は15件がヒットします。戸無瀬は歌右衛門を語る上で落とせない役の一つです。なお今回の舞台が歌右衛門が演じた最後の戸無瀬になりました。

  

「仮名手本忠臣蔵」のドラマは、松の廊下で判官が師直相手に刃傷沙汰を起こして、即刻切腹・御家断絶の厳しい処分を受ける、その後由良助以下四十七人の家来たちは艱難辛苦の末に見事敵師直を討つという物語である、一口で「仮名手本」を纏めるならば、そう云うことになると思います。つまり「仮名手本」の大きな主題は仇討ちの大願成就であると、まあそのように考えて・もちろん宜しいのですが、しかし、「仮名手本」をあまり由良助を主軸に考え過ぎると、九段目はずいぶんと本筋からかけ離れた芝居に感じてしまうと思います。

実際、現行歌舞伎の九段目を見れば、どう見てもこれは加古川夫婦(本蔵と戸無瀬)の芝居であって、由良助が主人公であるように見えないからです。戦前の歌舞伎でも、「仮名手本」通しをやる場合は、七段目までをやったら・これに討ち入り(十一段目)をつけて終わると云う出し方がもっぱらで、九段目は一幕物として出すことが多かったようです。昔の九段目では戸無瀬と由良助の二役をよく兼ねたものでした。本蔵が出てくると戸無瀬に手紙を渡して使いにやって、それで戸無瀬は引っ込んで由良助に替わるのです。愚劣な型だと云われますが、由良助役者の気持ちを考えれば、そう云うことがしたくなる気持ちは分からないでもない。役と自分を混同しているみたいだが、「この芝居のホントの主役はオレ(由良助をやってるオレ)なんだ」という不満がどこかにあるのでしょう。

だから現行歌舞伎に於ける九段目の課題は、どうしたらこの芝居(九段目)で由良助の存在を重く見せることが出来るかと云うことになるかも知れませんねえ。答えは案外簡単だと思います。いつもはカットされる端場の「雪転がし」を原作通りにちゃんと出せば良いのです。これだけで九段目は正しく由良助の芝居であると認識されると思います。それをしないから面妖なことになるのです。

別稿に於いて、「仮名手本」全十一段と時代浄瑠璃の定型の五段構成に当てた場合にどうなるかを考えました。五段構成で見ると、

              「仮名手本忠臣蔵」
四段目     七段目(掛け合い場)・八段目(道行)・九段目

と云うことです。七段目から九段目までが連続していることがこの構成から理解出来ます。九段目冒頭の雪転がしで、祇園から仲居幇間を引き連れて・雪転がしをしながら・ほろ酔い気分で朝帰りする由良助が描かれます。雪転がしは、七段目の遊郭の気分をそのまま引き継いでいるのです。

いつもの歌舞伎の「仮名手本」通しで見ると、そこまで態度を曖昧にしていた由良助が七段目で討ち入りの意思を敢然と表明する、「サアいよいよ仇討だ」と云うことになり、この高揚した気分のまま・次の幕(十一段目)の討ち入り場面へ流れ込むわけです。しかし、原作の「仮名手本」を見ると、そうではないようである。七段目で仇討ちの意思は表明したけれど、由良助にはまだ解決せねばならない課題が残っているのです。それは松の廊下で判官が師直に切り付けた時・後ろから抱き留めてこれを阻止した本蔵のことです。判官は

「恨むらくは舘にて加古川本蔵に抱き留められ、師直を討ちもらし、無念骨髄に通つて忘れがたし」

と言い残して切腹しました。七段目終了の時点でまだこの問題が未解決ですから、由良助のなかで「サアこれでいよいよ仇討だゾ」という気分にどうしてもなれないのです。由良助が本気の討ち入りモードになるのは、本蔵の一件が片付いた後のことです。これで時代浄瑠璃の四段目切場としての山科閑居に完全な決着が付くことになります。ですから本蔵の一件が由良助の心のなかに突き刺さったどれほど重い苦しみであったかを描くことが出来れば、必然的に九段目のなかでの由良助の存在は重いものになります。(この稿つづく)

(R7・1・6)


2)八段目の歌右衛門の戸無瀬

したがって七段目幕切れに何らか未解決の感覚が欲しいと云うことになりますが、文楽の掛け合い場ならば兎も角、歌舞伎の七段目の幕切れでそれは無理なことだと思います。しかし、後に続く九段目の為に、このことは理屈として頭にしっかり入れておいた方が良さそうです。だから「仮名手本」の筋を加古川夫婦(本蔵と戸無瀬)の方へ引き戻すために、九段目の導入部としての八段目(道行)の意味が大事になってくるでしょうね。

実際今回(昭和61年・1986・国立劇場)の「仮名手本」通し上演映像を第1部(10月)・第2部(11月)・第3部(12月)と続けて見ると、第2部の最終幕の追い出しに八段目が置かれてしまうのは、これは区分けとしてはホントは変なことです(上演時間とか配役バランスとか、いろいろ事情があるせいです)。ホントは八段目-九段目と続けて出す方が理にかなっていると思いますけれど、今回の通し上演に限って云えば、これが翌月(12月)上演の九段目のための導入として確かに効いているなアと、第3部の九段目を見たところから振り返れば、そう感じるのだから不思議なものですねえ。今回の第2部では最終幕の八段目(道行)がいつもよりも重いものに感じられて、その余韻が翌月の九段目への期待を掻き立てるのです。もちろんそれは八段目と九段目の戸無瀬を歌右衛門が演じているからです。当時の歌右衛門の位置付けの重みを改めて思いますね。いつもこのやり方で(他の戸無瀬役者がやっても)そのように上手く見えるとは限りません。しかし、第2部で歌右衛門がメインであるはずの六・七段目のお軽に出ないで、付け足しの幕に見えかねない八段目の方に敢えて出るならば、そこは歌右衛門のことであるからタダでは済まさない、そこはきっちり翌月の九段目への予告にしてみせると云うことです。

八段目の詞章の冒頭は、

『浮世とは誰がいひ初めて飛鳥川。ふちも知行も瀬とかはり、よるべも浪の下人に結ぶ塩谷の誤りは、恋のかせ杭加古川の、娘小浪が許婚結納も取らずそのままにふりすてられし物思ひ、母の思ひは山科の婿の力弥を力にて、住家へ押して嫁入りも、世にありなしの義理遠慮。腰元連れず乗物もやめて親子の二人連れ。』

となっています。二段目で描かれた小浪と力弥の婚約(今回上演での2段目は建長寺に差し替えられたのでこの場面は出ません)が、どうやら雲行きがおかしくなっていることが上掲詞章から察せられます。ただしその理由は明らかでありません。三段目・松の廊下の刃傷の時に本蔵が判官を抱きとめて・師直刺殺を阻止したせいであるとは戸無瀬は夢にも思っていません。ただ戸無瀬には、あれ以来大石家との交流がぷっつりと途絶え・婚礼の話がズルズル引き延ばされているのが不安でならず、それで山科の大石宅へと道を急ぎます。

だから八段目・「道行旅路の嫁入」での戸無瀬は不安な気持ちを抱えており・どこか急いていると云うことになりますが、それじゃあ八段目の道行は暗い表情で踊れば良いのかと云うと、もちろんそうではありません。道行は旅の道中を描くものですから、どこか日常から解放された明るい気分でなければなりません。

『アヽ世が世ならあの如く。一度の晴と花かざり伊達をするがの府中過ぎ。城下。過ぐれば気散じに母の心もいそ/\と二世の盃済んで後閨の睦言私言(むつごとささめごと)。親知らず子知らずと蔦の細道もつれ合ひ男松の肌にひつたりとしめてかためし新枕。女夫が中の若緑、抱いて寝松の千代かけて、変るまいぞの睦言は嬉しからうとほのめけば、アノ母様の差合ひを脇へこかして鞠子川。

この詞章などは艶めいていますね。もちろん小浪は何も事情を知りません。小浪はいよいよ大好きな彼のウチに向かうということで、ただ嬉しいばかりです。道中は進んで、次第に目的地である山科に近づいていきます。と同時に一見関連が無さそうに思われた小浪と力弥の婚約の話が次第に本筋(由良助の討ち入り)に絡んで行く、明るい気分であるべき旅路なのに時折り不安な気持ちがフッとよぎる、そんな気配が続く九段目への見事な予告になるわけです。(この稿つづく)

(R7・1・23)


3)九段目の歌右衛門の戸無瀬

今回(昭和61年・1986・国立劇場)の「仮名手本」通しでの九段目はもちろん端場の「雪転がし」から出ますが、やはりこの形が時代浄瑠璃四段目切場としての九段目の在るべき形だと思います。九段目全体のドラマを采配するのが由良助であることがはっきり分かります。七段目で裏切り者の九太夫を始末し・これまで曖昧にしていた討ち入りの決意を表明した由良助に残された唯一つの難問は、松の廊下の刃傷で主人判官をとっさに抱き留めた本蔵のことでした。ですから七段目はその舞台だけ見れば、文楽でも歌舞伎でも・それなりに完結した幕切れであるかに見えますが、実は完全に閉じてはいません。九段目端場「雪転がし」の幕開きを見れば、そのことが明らかです。由良助は雪のなか幇間・仲居を引き連れて遊郭からのお帰りです。この場は七段目の雰囲気をそのまま引きずっています。

ただし観客から見るならば、一つだけ大事な点が違います。七段目幕切れで由良助は討ち入りの決意を表明しましたから、「雪転がし」で由良助がどんなに酔っぱらって軽口を叩こうが、観客はもう由良助の本心を疑うことはありません。九段目・山科閑居でこれから始まるドラマはすべて由良助の裁量によって動く、逆に云えば本蔵も戸無瀬も・お石もそうですが、九段目ではみんな奥の間に引っ込んだまま姿を見せない由良助が一体何を考えているか・それを推量しながら動いています。しかし、観客には何となく、思慮深い由良助は考えるところがあって・事態を或る方向に持って行こうとしていると云うことは分かるのです。何故ならば観客は由良助の討ち入りの決心を知っているのですから。従って観客も由良助がどんな落としどころを考えているか・それを推し量りながら九段目を見ることになります。

いつもの歌舞伎の九段目では「雪転がし」をカットするのが通例ですが、これだと九段目での由良助の存在感が薄れてしまうのですねえ。必然的に加古川夫婦の存在が前面に出ることになります。まあそれもそれなりのドラマなのですけれど、「仮名手本」通しの流れから見ると何だか脇筋のように感じられなくもない。だから九段目が軽く扱われて、通しで九段目が省かれても誰も何とも感じなくなってしまいました。そう云うのはやっぱりオカシイですね。

今回由良助を演じるのは羽左衛門ですが、芸風が実事の人で・ちょっと渋い感じはしますけれど、既に本心が明らかになっている由良助はこの人によく似合います。雪転がしでは「口ではあんなことを言っても・内心は違うんだよ」と云うところを余裕を以てしっかり見せています。

「雪転がし」が終われば・いつもの九段目ですが、歌右衛門の戸無瀬は細部の心理表現まで神経細やかに勤めて・さすがの貫禄を見せます。何だか貫禄があり過ぎて大石家(千五百石)より石高が高そうな大家の奥方みたいな印象もします(これは歌右衛門ではいつものことではある)が、ここはまあ加古川家は小身(五百石)と侮られまいぞという気持ちがあると考えれば、あまり気にすることはないでしょう。それよりも「雪転がし」が付いたことで、女丈夫な印象の歌右衛門の戸無瀬もあまり出過ぎた印象がなく、程よいサイズに収まって見えたことが収穫であったと思いますね。前回国立劇場での通し(昭和49年12月)での九段目でも好演を見せた松江の小浪が、今回も力弥を想う健気さをよく表現して素晴らしい出来で、晩年の歌右衛門(69歳)の円熟の戸無瀬を引き立てていたことを付け加えなければなりません。小浪のおかげで歌右衛門が随分演りやすくなっていると感じました。

それと芝翫のお石がこれまた素晴らしい。九段目前半(本蔵が登場するところまで)のお石と戸無瀬との対決は緊張感が漲ってなかなかの見物です。今回の一番の上出来は、この場面であったと思います。芝翫のお石の対応が冷たいように感じる方も居るようですが、お石は内心同情する気持ちが強いのだが・その意に反し・奥の間に潜む由良助からの指図により冷たい対応を強いられているわけですから、このくらいでちょうど良いと思います。この場面では由良助と本蔵が女房を先触れに出して互いに睨み合う構図がはっきり見えてくるのも「雪転がし」を出したことの成果であると思います。

権十郎の本蔵は初役だそうですが、役の大きさがもう少し欲しい気がします。そのせいか所々実録めいた印象もありますが、そこのところではやはり実直で渋い羽左衛門の由良助といい対照を示していたようです。

 

*昭和61年国立劇場での「仮名手本忠臣蔵」通し上演の第1部(10月)第2部(11月)の観劇随想もご参照ください。

(R7・1・24)


 

 


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