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十四代目勘弥の由良助・八代目三津五郎の本蔵

昭和49年12月国立劇場:「仮名手本忠臣蔵」〜九段目

八代目坂東三津五郎(加古川本蔵)、十四代目守田勘弥(大星由良助)、六代目中村歌右衛門(戸無瀬)、六代目澤村田之助(大星力弥)、五代目中村松江(二代目中村魁春)(小浪)

*本稿は別稿「ユニークな加古川忠臣蔵 」の続編になります。


1)雪転がしの段について

九段目は重い場とされながら、あまり上演されません。現在では通し上演でも省かれることがほとんどです。その理由を考えるに「忠臣蔵」だから由良助が主役かと思いきや、舞台を見るとどうやら主役は本蔵の方で、由良助が役として軽く見えることに原因がありそうです。更に二段目も上演されないから本蔵って誰?と云うことになるので、九段目がまるで「忠臣蔵」の脇筋の如くに見えてしまいます。

最近はそういうことはしませんが、昔の芝居では由良助役者がよく戸無瀬を兼ねて演じたものでした。本蔵が出てくると戸無瀬に手紙を渡して使いにやってそれで戸無瀬は引っ込んで今度は由良助に替わるのです。愚劣な型だと言われますが、由良助役者のことを考えると、そういうことをしたくなる気持ちもまあ分からなくもない。これは由良助役者が主役の地位を取り戻そうとする密かな抵抗であったかも知れません。しかし、それは多分端場である雪転がしの段を省いた上演だからです。九段目を雪転がしの段から上演するならば、九段目での主役としての由良助の重さはそれなりのものだと思います。

本稿で紹介するのは昭和49年12月国立劇場での九段目の映像ですが、この時は二段目・八段目・九段目という珍しい(と云うか変則の)通し上演で、加古川一家からの視点で普段とは一味違う「忠臣蔵」の姿を見せてくれました。(この時の二段目については別稿「ユニークな加古川忠臣蔵」を参照ください。)九段目も、いつもの上演ではカットされることが多い雪転がしの段を冒頭に出したので、ずいぶんバランスが良くなりました。何よりも由良助の役がぐっと重みを増して良く見えます。

九段目の雪転がしの段は、由良助が幇間や仲居を連れて祇園から山科の住まいに朝帰りするという場面です。前夜に雪が降ったと見えて、由良助は酒気分で積もった雪を 大玉にして転がして、浮かれながら住まいに戻って来ます。雪転がしの段は、重要な意味を持ちます。ひとつは、七段目(祇園一力茶屋)の気分を引き継いでいるということです。多分、七段目からさほど日にちが経っていない出来事なのです。山科閑居の舞台はほとんど白と黒だけで色彩を殺して、侘びを感じさせる簡素なものです。それは仇討ち遂行のために自らをストイックに追い込む由良助の苦しい心象風景を示すものです。しかし、冒頭の雪転がしの段では、祇園の風が吹いて、雪の白が一瞬パッと照明が当てられたように華やかに感じられます。ただし、それは束の間のことに過ぎません。その後は重苦しい雰囲気が舞台を塞ぎます。それだけに幕開けの明るさがとても印象的です。

もうひとつ、七段目の気分を引き継ぎながらも、雪転がしの段がそれと決定的に異なる点は、由良助が観客に対して仇討ちの意志を明らかにした後だということです。由良助が幇間や仲居と浮かれ騒いでも、観客はもはや由良助の決意を疑うことはありません。帰宅の場面で由良助が浮かれるのを、観客は余裕を以て見ていられます。

今回(昭和49年12月国立劇場)での勘弥の由良助は、この雪転がしの段がとても良い出来です。「俺は計略で浮かれているだけだよ」と云う余裕が感じられます。身のこなしに色気と柔らか味があって、この由良助ならば七段目もさぞかし良かろうと思います。勘弥の七段目が見てみたいものです。(この稿つづく)

(H31・4・ 8)


2)八代目三津五郎の本蔵

しかし、今回(昭和49年12月国立劇場)での九段目が良かったのは、やはり三津五郎の本蔵が素晴らしかったからです。もちろん二段目を加えて半通しの形が取られたので、本蔵の役がグッと重みを増したこと も大いに貢献しています。 それは本蔵のバックグラウンドが、通し上演によって明確になったからです。由良助はまず七段目で家中の裏切り者である九太夫を討ち、次に九段目で主人判官に「恨むらくは館にて、加古川本蔵に抱きとめられ、師直を討ち漏らし無念、骨髄に通って忘れ難し」と名指しされた本蔵を討つ、これで後顧の憂いなく敵高師直の館に討ち入る心の準備が整ったぞと云うことことです。「忠臣蔵」の大筋からするとそう云うことです。しかし、(今回上演で省かれた進物場・喧嘩場を含む)三段目までを見ただけでは、九段目で本蔵が「忠義にならでは捨てぬ命・子ゆえに捨てる親心」と云って死する展開は、まったく予測が付きません。(詳しくは別稿「九段目における本蔵と由良助」をご覧ください。)これはまったく浄瑠璃作者の作劇の妙と云うべきです。

ここでちょっと考えるのですが、本蔵が「忠義にならでは捨てぬ命・子ゆえに捨てる親心。コレコレ推量あれ由良助殿」と言う時、本蔵は二段目で若狭助に対して行った 松斬りの諫言を後悔しているのでしょうか。もちろんそう考えることも十分出来ます。へつらい武士の汚名を着せられて主人から遠ざけられたのであるし、自分が命を捨てないと娘小浪は力弥と結婚できないわけですから、松斬りの諫言が否定された・これは忠義の否定であると考えても、九段目の解釈にさほど齟齬が生じないようです。封建制度ではない現代においては、忠義よりも親子の愛が重いということで、そちらの解釈の方が現代人にはすんなり理解しやすいかも知れません。

しかし、二段目を加えて半通しにした九段目ならば、本蔵は自分の忠義の行為にいささかも恥じる気持ちはないと考えた方が良いです。その方が当時の民衆の倫理感覚に沿うと考えます。ただ事が本蔵の予想通りに運ばなかっただけなのです。しかも巡り巡って師直のイライラのとばっちりが由良助の主人である塩治判官に向かってしまったことは、本蔵にとって不運なことでした。(もちろん由良助はそのことをよく理解しています。)主人若狭助に対する忠義を貫徹できなかった本蔵は、忠義を第一とする武士の端くれとして、代わりに盟友(であり娘の許嫁の父でもある)内蔵助にあっぱれ忠義を貫徹させるために我が命を捨てたと考えることも出来ると思います。命を捨てることで、忠義の武士という誇りを取り戻すことも出来るし、娘の願いも叶えることが出来るということです。そこのところ三津五郎の本蔵は、忠義の厳しさと娘への慈愛を肚に兼ね備えた、とても良い出来です。ちょっと実録風のところがあるけれども(これは九代目団十郎以来「忠臣蔵」が実録化していく流れの上にあるものです)、その分熱い気持ちが生(なま)に伝わって来る気がしました。

今回の九段目は、役者が揃って見応えがします。歌右衛門の戸無瀬・芝翫のお石は定評があるものですが、夫の代理としての妻同士の火花散るやり取り、小浪を斬ろうと戸無瀬が刀を振りあげるところで虚無僧の尺八の「鶴の巣ごもり」が流れる、そしてお石から「ご無用」の声が掛る、そこまでの緊張した流れが、見事な悲劇の高まりを見せます。しかも、これがそのまま女たちの忠臣蔵 (世話)の悲劇で終わるかと見せておいて、もうひと捻り加えて芝居が男たちの忠臣蔵(時代)の大きな悲劇の流れに一気に転じて行く辺り、息も付かせません。浄瑠璃作者も上手いが、役者も上手い。(別稿「九段目における戸無瀬と小浪」をご参照ください。)松江の小浪も幸薄いなかに力弥を思う健気な気持ちがよく表現できています。ちなみにこの時の松江は26歳ですが、歌右衛門の厳しい指導の成果ということもあるにしても、平成の今頃の若手のレベルと比べれば吃驚するほどの上出来です。本蔵夫婦・由良助夫婦と四人の大人たちが小浪の気持ちを大切にしてやりたいと思って動くのですから、小浪の出来が良くなければ、九段目のドラマは浮彫りになって来ませんね。

(H31・4・14)



 

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