(TOP)     (戻る)

ユニークな加古川忠臣蔵〜国立劇場の「忠臣蔵」通し

昭和49年12月国立劇場:「仮名手本忠臣蔵」〜二段目

八代目坂東三津五郎(加古川本蔵)、六代目中村歌右衛門(戸無瀬)、六代目澤村田之助(大星力弥)、五代目中村松江(二代目中村魁春)(小浪)、八代目中村福助(四代目中村梅玉)(桃井若狭助)


1)加古川本蔵の悲劇

「忠臣蔵」三段目の刃傷の場で塩冶判官を抱きとめた加古川本蔵はもちろん架空の人物ですが、元禄赤穂事件の史実からそれらしきモデルを探すならば、旗本の梶川与惣兵衛(よそべえ)がこれに当たります。与惣兵衛はたまたま刃傷の現場に居合わせ、吉良上野介に斬りかかった浅野内匠頭を後ろから抱き留めました。事件を未然に防いだ功績により、与惣兵衛は五百石の加増を受けました。しかし、浅野贔屓の世間から「あいつが抱きとめなければ内匠頭は上野介を討てたのに、余計なことをした憎い奴だ」ということで嫌われて、与惣兵衛は随分と嫌がらせを受けたようです。「梶川氏筆記」によれば、与惣兵衛は内匠頭を抱きとめたことを後悔する旨の述懐を後にしています。「忠臣蔵」の本蔵は史実を離れて自由な創作がなされてしますが、上記の点が本蔵もまったく同じで、良かれと思ってやったことが世間の恨みを買って苦しむことになってしまいました。「忠臣蔵」四段目では切腹する直前の判官が本蔵に対する恨みを口にします。

「恨むらくは館にて加古川本蔵に抱きとめられ、師直を討ちもらし無念、骨髄に通って忘れ難し。湊川にて楠正成、最後の一念によって生(しょう)を引くと言いし如く、生き替わり死に替わり鬱憤を晴らさん」

由良助にとって本蔵は息子力弥の許嫁小浪の父であり、本来は心を許し合える間柄でした。由良助は本蔵がよかれと思って判官を留めたことを理解していたと思います。しかし、主人の述懐によって、由良助は不本意ながら本蔵を敵とせねばならなくなってしまいました。師直邸に討ち入る前に、由良助はまず本蔵に決着を付けなくてはなりません。これが九段目での本蔵の苦悩ですが、実は本蔵には苦悩がもうひとつあります。

それは九段目でいまわの際の本蔵が述懐する「思へば貴殿(由良助)の身の上はこの本蔵が身にあるベき筈」と云うことです。大序を見ると、いきり立って今にも師直に斬り掛らんとするのは、本蔵の主人桃井若狭助の方です。若狭助を おっとりと抑えるのが判官です。大序を見る観客は、松の廊下で師直に対し刃傷に及ぶのは若狭助であると誰でも思うはずです。本来刃傷するのは若狭助であったのに、何かの拍子でそれがひっくり返って、虫の居所が悪い師直が判官をいびり始めて、怒った判官が抜刀してしまったのです。それは本蔵が師直に賄賂を贈って若狭助の取り成しを頼んだからでした。つまり主人が師直に刃傷して御家お取り潰しになるのは桃井家のはずだったのに、とばっちりを食った塩治家の方にお鉢が回ったということなのです。史実とはまったく関係ない「忠臣蔵」独自の設定ですが、これにより本蔵の悲劇 が重層的な意味を持って来ます。

そこで本稿で紹介するのは、昭和49年12月国立劇場での通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の 「二段目」の映像です。この上演がユニークな点は、加古川本蔵と一家の悲劇に焦点を合わせて、滅多に出ない二段目に八段目・九段目を加えて、「加古川忠臣蔵 」の体裁に仕立てたところです。理屈を云えば、三段目の進物場(本蔵が師直に賄賂を贈り若狭助の取り成しを依頼する)、同じく三段目の喧嘩場(討ちかかる判官を本蔵が留める)の2場がなければ、本蔵の悲劇の序破急の破が欠けることになるので、今回の上演ではこの2場がない為悲劇の体裁を完全には成さないことになります。しかし、これはまあ上演時間の関係もあるので仕方がありません。「忠臣蔵」に由良助の件と勘平の件とふたつの縦の線があることは普段の通し上演でも実感されますが、同じ縦の線でも本蔵の悲劇は十分に知られているとは言えません。そのためにまず二段目の上演が大事なことになって来ます。(この稿つづく)

(H31・2・7)


2)戸無瀬・小浪の悲劇

九段目への伏線ということでは、本蔵の娘小浪と由良助の息子力弥との恋は、もしかしたら本蔵自身のことよりも重要であるかも知れません。小浪と力弥生は許婚(いいなずけ)の関係です。当初の予定通りに小浪を力弥に沿わせるために、本蔵は命を捨てるのです。このことは九段目で本蔵が次のように語っていることから分かります。

「こなたの所存を見抜いた本蔵、手にかかれば恨みを晴れ、約束の通りこの娘、力弥に添はせて下さらば未来永劫御恩は忘れぬ。コレ手を合はして頼み入る。忠義にならでは捨てぬ命。子故に捨つる親心。コレ/\推量あれ由良助殿」 (九段目)

自分(本蔵)が由良助の手に掛かって死ねば、主君の恨みは晴れ(したがって由良助の縛りが解けて)、婚約通りに娘(小浪)を力弥を添わせることが出来る、主君のため以外では命を捨てることがない武士の自分が、子供のために命を捨てる親心を分かって欲しいと云うのです。つまり娘小浪の力弥への強い思いがなければ、本蔵は由良助に討たれるわけに行かないのです。

しかし、本蔵が命を捨てたおかげで小浪は力弥と添うことができるわけですが、それは決して喜びだけではないのです。それは一夜限りのことです。翌日には力弥は仇討ちのために出立せねばなりません。 仇討ちが失敗すれば力弥は死ぬだろうし、仇討ちが成功しても名誉の切腹で力弥は死ぬことになるだろう。それでも小浪は「貞女二夫に見えず」ということで、夫が死んだ後は再婚せぬ覚悟でいます。自分の気持ちを貫くために小浪は悲劇を受け入れる覚悟なのです。これが小浪の芯の強さです。「九段目」幕切れは仇討ちに出立する由良助と死にゆく本蔵へドラマが移行して、小浪の件はどうしても霞んでしまいますが、実は塩治義士の討ち入りの華やかな盛名の影に、そのような犠牲が人知れずあるわけなのです。

小浪と力弥の恋は、忠義と建前、仇討ちを巡る虚々実々の駆け引きが渦巻く「忠臣蔵」の世界のなかで唯一の清らかで汚れのないものです。それゆえ日々の生活に疲れた大人たちにとって、もう忘れてしまったけれども大切に守ってやらねばならない人間の真実の感情なのです。これは「忠臣蔵」の世界(時代の論理)とは、決定的に対立するものです。

だから九段目のなかで小浪が背負うものは実に大きいのですが、しかし、役としての小浪は可憐な娘役で、ただ力弥のことを思ってシクシク泣くことだけしか出来ません。代わりに娘小浪の気持ちを思いやって、ああだこうだと盛んに気を揉んで能動的に立ち働くのが、戸無瀬です。戸無瀬とは、いわば小浪の意志の具現者です。戸無瀬は本蔵の後妻であり、小浪とは義理の親子の関係です。(ただしこの関係は二段目では明らかになっておらず、九段目で明かされます。) 戸無瀬は夫本蔵のために尽くす と同時に、娘小浪のためにも理想の母親であろうと必死で努めています。産みの母親ならば娘を愛するのは自然のことです。しかし、戸無瀬は義理の母親であるからなおさら「私は理想的な母親でなければならない」ということで自分を叱咤しています。もちろん小浪も戸無瀬の気持ちを理解しています。九段目のなかでは母子はふたりで一体と考えて良いわけです。(これについては別稿「九段目における戸無瀬と小浪」を参考にしてください。)

このように二段目は、九段目で完結することになる本蔵の悲劇、そして戸無瀬と小浪の悲劇、この二つの伏線を準備する場なのです。二段目では、まだそれらは萌芽であり、悲劇の予兆さえありません。したがって「忠臣蔵」通しということになるとドラマとしての面白味が少なく、だから上演機会が極端に少ないということになります。(この稿つづく)

(H31・2・ 17)


3)諫言の寝刃

二段目では、主君若狭助が師直と口論になったという噂を心配して戸無瀬が本蔵に尋ねると、本蔵は「一言半句にても舌三寸の誤りより。身を果たすが刀の役目。武士の妻ではないか」とたしなめます。戸無瀬は、夫の仕事に気を揉んで、あれこれ口出しをしたり、立ちまわったりするところが感じられます。おとなしく夫にかしづくタイプではなさそうです。饗応の打合せで力弥が来たことを知ると、戸無瀬はとっさに仮病の癪を装って応対の役を小浪に任せてしまったりします。小浪が許嫁の力弥に逢いたがっているのを知っているからです。戸無瀬は、機転が利いて世話好きな、ざっくばらんな性格の女性なのです。逆に云えば、ちょっと武家の女房らしくない軽いところがあります。ここから推察されることは、多分、戸無瀬は町人階級出身だろうということです。戸無瀬が本蔵の後妻に収まった経過は丸本からは分かりませんが、本蔵のお傍で女中奉公していて、見初められて後妻に納まったということかも知れません。だとすれば本蔵に「武士の妻ではないか」とたしなめるのも良く分かります。(この点については別稿「九段目における戸無瀬と小浪」でも論じました。)

このことは二段目だけを考えれば、戸無瀬は若干世話に傾いた感じで描くとちょうど良いかなと云うことになると思います。九段目であると戸無瀬は堂々たる立女形になりますが、「二段目」ではこの対照が大事になります。つまり「あの女は町人出身だからと云って侮られまいぞ」という気持ちが戸無瀬に強くあるから、九段目での戸無瀬は「武家の妻らしく」というところにこだわるわけです。今回(昭和49年12月国立劇場)の歌右衛門は、もちろん九段目の貫禄が申し分ないのは 当然のことですが、二段目のちょっとした世話の軽さの表出が上手いのには感心させられます。小浪に対する優しい心遣いが感じられて、決して重ったるくならないのです。これならば後の九段目への段取りがしっかり付きます。

二段目で描かれる小浪と力弥の恋は、可愛い恋です。塩治判官の刃傷はまだ起こっていません。後に塩治家が断絶して、二人が引き裂かれて、添えるか添えないかという瀬戸際にまで追い込まれると誰も想像していません。だから二段目では、小浪と力弥の可愛い恋と、これを見守る戸無瀬のほのぼのとした思いが描けていればそれで十分です。今回の舞台の、松江の小浪、田之助の力弥のカップルはお行儀が良くて、とても感じが良いです。

しかし、本蔵の方には切迫した状況があります。短気な若狭助がキレて殿中で師直に刃傷してしまえば、下手をすれば若狭家はお取り潰しになる危険があります。そこを如何にして回避するか、これが家老としての本蔵が考えるところです。しかし、「もっと冷静になって我慢するところは我慢するのが肝心です」などとアドバイスしても、狭量な若狭助が受け付けないことは明らかです。そこで本蔵が取った作戦は、若狭助に対して「殿が怒る気持ちは私にも分かる、ここを怒らないで武士の面目が立つものか、しかし師直を 果たすならば何よりも準備が肝心です、確実に為果(しおお)せて、決して仕損じてはなりませんぞ」と、逆に若狭助をけしかけるのです。一方で師直に賄賂を贈って懐柔して おく。そうすれば若狭助は気合いを削がれて、師直を討とうにも討てなくなって殿中での刃傷は防げると云うのです。武家の付き合いの表も裏も知り尽くした老獪な本蔵ならではの作戦です。これがうまく行けば何も問題は起らないはずでした。しかし、気分がムシャクシャした師直が関係ない塩治判官に当たり始めた為に、本蔵が予想しないとんでもない方向へ事態が展開してしまいます。「忠臣蔵」のドラマがそこから始まるわけです。

二段目は「諫言の寝刃」と云う標題を持っています。寝刃とは、戦いの前に刀剣を砂利の山に突き刺して、刃面に微細な傷を付けて斬れ味を高めるために行なうものです。本蔵は脇差を庭先の草履で手早く寝刃を合わせて、縁先の松の枝をスパッと切って、「まっこの通り、(師直めを)さっぱりとなさいませ」と若狭助と進言します。これが本蔵流の「諫言」です。ここの気合いが十分でないと、若狭助をその気にさせることが出来ません。ここで三津五郎の本蔵は、気合いが入った演技を見せてくれます。若狭助が去った後、本蔵は踵を返して師直館へ馬を飛ばすのです。確かに二段目は「忠臣蔵」の主筋からは離れるように見えますから、通常の通し上演で出しにくいことは仕方がないですが、九段目の理解のためにも、たまには今回(昭和49年12月国立劇場)のような段組みの工夫があっても良いと思います。

(H31・2・24)

*同じ昭和49年12月国立劇場公演の「九段目」については、続編「十四代目勘弥の由良助・八代目三津五郎の本蔵」をご覧ください。



 

  (TOP)     (戻る)