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六代目勘九郎・初役の佐々木高綱

令和6年11月明治座:「鎌倉三代記」〜絹川村閑居

六代目中村勘九郎(佐々木高綱)、五代目中村米吉(時姫)、二代目坂東巳之助(三浦之助義村)、三代目中村歌女之丞(母長門)、二代目中村鶴松(おくる)他


1)「三代記」の現行脚本のこと

本稿は令和6年11月明治座での「鎌倉三代記・絹川村閑居」(以下「三代記」と記します)の観劇随想です。「三代記」は昨年(令和5年)11月歌舞伎座での上演以来のことですが、その時の観劇随想に「現行の「三代記」の場割りでは今後本作が歌舞伎のレパートリーとして生き残ることは難しかろう」と書きました。歌舞伎の脚本が原作(丸本)からどのように改変されたか・それでどのように意味が変えられたかは、その時にかなり詳細な分析をしましたので、そちらをお読み下さい。

ただしその時にも書いたことですが、このように十全ではない脚本であっても、余計なことを考えず・型が持つものをホントに素直に出すならば、描かれるべきものが素直に立ち現れる、そう云うことがタマには起こるものです。それがどういう場合に起きるか前以て予測が出来るものではないですが、そう云うことが起きることがあるのです。

今回(令和6年11月明治座)の「三代記」に見る前から吉之助がそれを期待したわけではなく、正直申し上げて「ちょっと苦しい出来になるかな」と覚悟をして見ました。今回の「三代記」の・特に前半には確かに問題になるところが色々ある(それについては後ほど書きます)。しかし、後半になって勘九郎の正体を見顕わした佐々木高綱が井戸から登場すると、以降は徐々に芝居を持ち直して、それなりに重量感のある「三代記」の幕切れに収まったと思います。それはもちろん勘九郎の高綱が良かったからです。これを今回第一の成果としたいと思います。

十七代目勘三郎は、高綱を一度だけ演じました。残念ながら吉之助は見ていませんが、これは良かったでしょう。前半の藤三郎はもちろんだが、後半の高綱の方も良かっただろうと思います。一方、十八代目は三浦之助を二度勤めており、昭和62年・1987・1月歌舞伎座での・初役の舞台は吉之助も見ました(ちなみにこれは勘太郎・七之助兄弟の初舞台の「二人桃太郎」があった時の興行でした)が、高綱を勤めないままに終りました。そう云うわけで中村屋としては「三代記」の高綱との繋がりはそう深いものではなさそうですが、今回の勘九郎の高綱は、父とはまた異なる時代物役者の資質を見せつけたという点で、今後大きな意義を持つことになると思いますね。先日(2月歌舞伎座)での「籠釣瓶」の次郎左衛門と同様に、徐々に亡き父の影響から脱し・自分自身の個性を打ち出せるようになって来たと思います。

今回の舞台を見て改めて感じたことは、芝居は(音楽にもそんなところがあるが)「終わり良ければすべて良し」のところがあって、途中がツマラナくても・眠くても、最後がワーッと盛り上がって熱狂的に終わると、何だか全部良かったような気分になることが多々あるものです。今回の「三代記」にもそんなことを感じるのだが、ストーリー的には随分改変されて現行歌舞伎の脚本は酷いものなのだけれども、だからと云って丸本通りにやれば納得できるものになるかと云うと、恐らくこの芝居に描かれている「現実」のおぞましさを現代の我々は直視出来ないだろうと思うのですね。だから変な言い方になるけれども、現行歌舞伎の脚本くらいのレベルにまで「薄めて」みて、我々はこの芝居の重さにやっと耐えることが出来るのだろうと、そのことをつくづく思ったことでした。現行脚本が出来た背景も大方そんなところでしょう。それでも役者が良ければ、例えばそれは今回の勘九郎の高綱のことですけれど、このように十全でない脚本ではあっても、余計なことを考えず・型が持つものをホントに素直に出すならば、描かれるべきものが素直に立ち現れることがある。そこから引き出されたものを、我々は直視するしかないと云うことですかねえ。まあそれが受け入れられるならば、「三代記」も歌舞伎のレパートリーとして生き残ることもあろうかと思います。(この稿つづく)

(R6・11・13)


2)「三代記」で提示されるべき「カラー」

「三代記」の真の作者が近松半二であるとして書きますが、半二作品には、「伊賀越」でも「廿四孝」でも意地悪なところがあって、縦・横・斜めから突き合わせて・ぴったり矛盾がないという感じに芝居が構成されていないことがしばしばです。後から考えてみると「そう云うことならば・あそこの場面はオカシイのじゃないか」と思うところがいくらも出て来ます。そこは謎解きが終わったところで、その結論に沿って・細かいことを考えずに、鷹揚に読み返して行かねばなりません。そうすると作品を貫く太い柱が見えて来ます。これこそが作者・半二が本当に言いたかった主題です。

例えば現行歌舞伎で三浦之助に責められて時姫が「北条時政討ちませう」と言ってしまう、この後三浦之助が井戸に向けて、

「かねて申し合せし計略、今日ただいま調(とな)ふたり、佐々木四郎左衛門高綱殿、いざこなたヘ」

と言います。ン?・・・「計略」とは何のことであるか?夫を深く愛し・夫に従おうとする時姫に、無理やり言い含めて・父殺しの大罪を強制する、これを「計略」だと云うのでしょうか?これも京方の勝利のためには仕方がないことだ、そのために夫(三浦之助)・舅(長門)・さらに周囲の者たち(高綱・おくる)が寄ってたかって、嫁女(時姫)に実父(時政)を殺させようとするのか、「三代記」とはそういう芝居なのか。

当時の倫理道徳では「親殺し」は大罪であったはずですね。ところが、「三代記」では親殺しの罪悪が時姫に強制されています。これはホントに許されないことです。確かに許されないことではあるのだが、「三代記」が描くドラマが、もしそうであるならば・・・ホントにそうであるならば、「三代記」前半に在る「状況」がどれほど過酷なものかと云う前提に立ち返って考えてみる必要があると思いますね。そこを正しく押さえていなければ、「計略」についての認識がまったく違ってしまうことになります。

このところ「歌舞伎素人講釈」では色んな場面で、「一体舞台でこれから何が起きようとしているんだ?そのことをカラーで以てはっきりと示してください」と盛んに言っていますが、これが大事になってくるのです。特に現行歌舞伎の「三代記」の場合には、脚本が原作(丸本)から無残に改訂されていますから、そこのところが余計に見え難い。だから尚更カラーを意識して・はっきり示す必要があるわけです。(この稿つづく)

(R6・11・15)


3)「三代記」で提示されるべき「カラー」・続き

文楽の「三代記・絹川村閑居」は、局使者・米洗い・三浦別れ・高綱物語と四つの部分に分かれます。現行歌舞伎でやるのは・このうちの後半二つの場のみで、しかもさらに高綱物語の後半に大幅な改変が見られます。元の形がもはや分からないと云っていいほどです。前半の米洗いでは時姫が慣れぬ家事をやったりして笑える場面もありますが、現行歌舞伎ではそこはやりません。現行歌舞伎の「三代記」は深刻な手傷を負った三浦之助が実家に戻って来るところからいきなり始まります。舞台のムードが前半とは一変します。京方の敗戦が刻々と迫っている・・絶体絶命の、非常に深刻なムード、これが冒頭に提示されねばならぬ「カラー」です。

「一体舞台でこれから何が起きようとしているんだ?」、このことをカラーで以てはっきりと示さねばなりません。カラーは役者と竹本(義太夫)が一致協力して描き出すものです。本作の場合、特に竹本の役割が重要です。残念ながら今回(令和6年11月明治座)の「三代記」の冒頭は、カラーの表出が十分であるとは云えません。

冒頭に提示される「カラー」は、必ず演劇的な根拠を持ちます。絶体絶命の深刻な重苦しいムード、このことが示すものは何でしょうか。京方の敗北が刻々と迫っている・・・歴戦の勇士が次々と死んでいく、いくら奮戦しても・策をめぐらせても、やることなすこと・ことごとく失敗して既に万策が尽きた・・・三浦之助も深手を負って・もう命は長くない・・家に戻れば母長門の寿命も尽きようとしている・・もう京方の者たちはみんな死ぬ・・もうすべてが終わりだ・・このような京方が置かれた「状況」が演劇的な根拠です。

このような危機的な「状況」を挽回することは、生半可な手法ではもはや不可能です。微かな可能性をそこに見出すならば、それは鎌倉方の大将・北条時政ただ一人をピンポイントで狙うことしかない。時政さえ討つことが出来れば、状況を一気にひっくり返すことが出来るかも知れない。三浦之助はこれを「計略」と言っていますが、このためのゲーム・チェンジャーとして選ばれたのが時政の愛娘である時姫なのです。

サテここからが「三代記」のために押さえておかねばならない大事のポイントになります。京方の面々が時姫に時政刺客の役割を頼まざるを得ないのは、まず一つ目は、京方が現在どれほど絶望的なピンチに追い込まれているかと云うことです。時姫が父を討つことがどれほどの大罪であるか、彼らはよく分かっています。しかし、時姫にこれを頼むしかもう手立ては残されていないのです。

二つ目は、それでも敢えてこれを時姫に頼まざるを得ないということは、つまりこれは周囲の人々が時姫のことを三浦之助の妻としてどれほど受け入れているか・家族としてどれほど愛しているかを示すものに他ならないと云うことです。彼らは時姫に対してもはやこんな形でしか愛情を表現することが出来ないのです。それはまさに京方の人々が置かれた過酷な「状況」故です。京方の人々の願いを一身に背負って「三浦之助の妻」として敵の大将を討つ、この役割を納得してもらった上で時姫に遂行していただく、もうこれだけが頼みの綱です。これが三浦之助が言うところの「計略」です。

このような形でしか周囲の人たちはもはや時姫への愛情を表わすことが出来ない、戦争はこれほどまでに人々の心を歪ませ・荒ませるものか、これが戦争と云うものの「実相」だ、だからみんなが素直に愛し合い・笑って暮らせる平和な世の中にしたいものだねえ、これが作者・半二が本当に言いたかった主題です。(この稿つづく)

(R6・11・17)


4)勘九郎の高綱

現行の・大幅カットの・十全ではない脚本から、このような「三代記」のドラマを正しく引き出すことができるでしょうか。それはなかなか難しいことに違いありません。しかし、この十全ではない脚本であっても、型が持つものをホントに素直に出すならば、描かれるべきものが自然に立ち現れる、そう云うことが起こる場合もあるのです。

一例を挙げるならば、平成26年4月歌舞伎座での魁春の時姫がそうでした。「親に付くか、夫に付くか、落ち付く道はたった二つ、ササ返答いかに、思案いかに」と迫られた時、魁春の時姫はパアッと輝きました。「この瞬間のために私は生きて来たの」という高揚感がそこにありました。「どんな状況であっても・たとえ父親を殺してでも・夫に尽くせ」という状況になって、時姫が自己のアイデンティティーにどれほど忠実であるか試されることになります。

そして、今回(令和6年11月明治座)での勘九郎・初役の高綱(後半の・見顕してからの高綱)についても、似たようなことが言えると思います。時代物役者としてのスケールの大きさがあるのはもちろんですが、勘九郎の高綱が良いのは、京方の勝利のために必死の形相で・その他のことは何も眼中にない、そのような高綱の狂気に似た執念の強さを描いたからです。スケールの大きさに頼るだけでは、高綱の狂気を描くことは出来ません。恐らく勘九郎は、型がそのなかに秘める役の情念を虚心に描き出したからこそ、そのように見えたのです。

丸本を見ると、現行脚本でカットされた部分は凄まじいものです。高綱は標的である時政に近づくために鎌倉方の雑兵「安達藤三郎」を名乗っていますが、今度の戦さで藤三郎が三浦之助を討ち取って・その首を時政の元に持参することでそれを果たそうという「計略」なのです。瀕死の手傷を負った三浦之助は「忝し悦ばしや。最期の本望この上なし、冥途で再会」と言って爽やかに笑います。そこまでやるか。「アンタら狂ってるよ」と言いたくなるほどの「おぞましさ」です。このような、命を捨てて京方の勝利を得ようとする夫の執念を知って、時姫は「夫ゆえには幾奈落の、責苦を受くとも厭ふまじ。父の陣所に立帰り、仕おほせてお目にかけう。一念通るか通らぬか、女の切先試みん」と叫ぶのです。(まだこの後に母長門の自害が続きます。別稿をご参照ください。)

ご承知の通り吉之助は原典主義者ですから、原則的には「義太夫狂言は丸本に準拠してやるべし」という立場です。しかし、もし歌舞伎で「三代記」を丸本通りにやったのならば、現代の観客がこの「おぞましさ」に耐えられるか?、これで「父を討ってみせう」と叫ぶ(叫ばされる)時姫に観客は感情移入が出来るか?と考えると、躊躇してしまいますねえ。多分、歌舞伎の先達はそう感じたからこそ、原作の「おぞましさ」を観客が耐えられるくらいのレベルにまで「薄める」ために、脚本の大幅カットを断行したのです。それでもまだ時姫に親殺しを強制する「おぞましさ」は消えていませんけどね。現行の「三代記」脚本は、実際そうとでも考えなければ普通はやらないと思うほどの大幅カットなのです。

しかし、そんな十全ではない現行脚本であっても、時姫が「父を討ってみせう」と叫ぶための「必然の状況」を、高綱と三浦之助はちゃんと準備せねばなりません。それが「型」が持つものをその通り正しく見せると云うことです。それは、ばっちり決まった「カッコイイ形」を見せることではありません。命を棄てて勝利を勝ち取ろうとする者たちの執念を、ほとんど狂気に近い・その「おぞましさ」を見せ付けることです。

勘九郎の高綱は、そのような「型」が指し示すものを正しく描き出しました。型が持つものをホントに素直に出すならば、描かれるべきものは自然に立ち現れる、そう云うことですね。(この稿つづく)

(R6・11・19)


5)巳之助の三浦之助・米吉の時姫

今回(令和6年11月明治座)では巳之助の三浦之助は総じてなかなか良い出来ですが、今後の課題は、三浦之助が時姫を敵の大将の娘であるからと・チラとでも疑う気持ちがあるかの如く見えてしまうところかと思います。

ここは三浦之助の性根の肝心のところだから・しっかり押さえてもらいたいのですが、三浦之助には時姫の貞心を疑う気持ちなどサラサラないのです。京方はもう敗北寸前であり、三浦之助も既に死を覚悟するところまで追い込まれています。この絶望的な状況を時姫に正しく認識してもらった上で・京方のために動いてもらわねばなりません。そうでなければ時政を討つ時姫の切っ先が鈍ることになります。視点を変えれば、時姫への説得は三浦之助が時姫を心底信じていなければ決して出来ないことです。

米吉初役の時姫は、本年1月浅草での八重垣姫と同様、清らかで可愛いお姫様です。手順の一応のところは押さえているし・三浦さま大事の性根を外しているわけではありませんが、やはり時姫は宿命の重さを背負っている役であるので、その辺が米吉の可愛さであると軽く見えてしまう、と云うよりも薄い感触に感じてしまう。もう少し演技に「しなり」と云うか、押さえつけられたものを跳ね返す反発力が欲しいと思います。まあこれを義太夫味と云うならば、そう云うことです。

例えば気を失った三浦之助のために時姫が薬湯を取りに右往左往する場面では、三味線の糸に乗ろうとするから、動きがぎこちなく・コミカルに見えてしまいます。リズムが身体にしっかり入っていないせいです。ここはどちらかと云えば、意識して三味線を後ろへ引っ張るような感覚が必要です。それとここでの竹本の三味線のリズムが単調ですね。もっとリズムに緩急・強弱の揺れを大きく付けないと切迫した雰囲気は出せません。

そう云うわけで今回の「三代記」は前半のカラーの表出に物足らないところが多いですが、後半は勘九郎の高綱に引っ張られる感じで、三人の引っ張りの絵面の幕切れがなかなか映えました。「終わり良ければすべて良し」ということですね。

(R6・11・20)


 

 

 


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