「大川端」の位置付け〜三代目左近のお嬢吉三
令和6年11月歌舞伎座:「三人吉三巴白浪〜大川端」
三代目尾上左近(お嬢吉三)、四代目中村歌昇(お坊吉三)、三代目坂東亀蔵(お坊吉三)
(特別公演「ようこそ歌舞伎座へ」)
1)「大川端」はこれでいいのか?
本稿は令和6年11月歌舞伎座での「三人吉三〜大川端」の観劇随想です。例年ならば今月(11月)の歌舞伎座は吉例顔見世公演となるはずですが、舞台機構の改修工事があるとかで顔見世が取りやめになり、代替として若手中心の特別公演「ようこそ歌舞伎座へ」を行うものです。中身を見れば歌舞伎座版の歌舞伎鑑賞教室みたいなものですが、ロビーに芝居の小道具などを置いて直接手に触れるのもOKということで、外国からのお客さんも大いに喜んでいたようでしたから、まあこれはこれで企画としては良かったのかも知れませんね。
ところで歌舞伎鑑賞入門と云うことになると、必ず候補に挙がりそうな演目の一つが「三人吉三〜大川端」です。これこそ歌舞伎の様式美の極地だ、黙阿弥の七五調の心地よいリズム、三人の吉三郎のキャラの対照が際立ち、写実でありながら・そこに洗練された様式のセンスが光る・・・上演時間も30分とお手頃だ・・・と云うわけで、今回もまた「大川端」が取り上げられました。これに物申すつもりもないですが、左近・歌昇・亀蔵ら若手花形がそれぞれ初役で「大川端」の三人の吉三郎を演るならば、今後の歌舞伎のために、こんなことも考えながら演って欲しいなあと云うことで、舞台のことを書く前に「大川端」周辺をちょっと逍遥してみたいと思います。
ご承知の通り「大川端」は通し狂言のなかの一幕としてよりも、見取り狂言として単独で出ることの方が圧倒的に多いわけです。こうなると「大川端」は一幕物の芝居として・ひとつの纏まりを以て収束して行くのが必然の流れで、「大川端」のイメージの肥大化は避けられません。この重い感触の「大川端」に慣れてしまった歌舞伎役者が、たまに通し狂言で「三人吉三」をやると、肥大化した「大川端」の欠片(ピース)が全体の枠にぴったり嵌(はま)らないと云うことになるのです。さらにいつもの「大川端」の様式感覚で、通しの伝吉内や吉祥院をやってしまうから困ったことになります。だから世話狂言なのに時代物っぽい重ったるい感触になり勝ちです。しかし、歌舞伎役者は「大川端」を演じる時に、こんなことをあまり考えたりしないようです。また劇評家もそう云うことを指摘しない。だから現状様式美ベッタリの「大川端」が罷り通っています。
ところで先日(9月)のことですが、吉之助は木ノ下歌舞伎の現代劇版・「三人吉三廓初買」通し上演を見て来ました。この舞台を見ると、「三人吉三」のなかに用意された様々な伏線がクネクネ絡みながら・次第にひとつの点に集結していく、その集合点に「大川端」(第1番目・第2幕第2場)があると云うことが分かる。ドラマの素材はここまでですべて観客に提示され、「大川端」からまた新たなドラマの展開が始まる、つまり「三人吉三」はこの「大川端」までがプロローグの構成であり、本格的なドラマ展開がここから発すると云うことが、木ノ下歌舞伎を見るとよく実感出来ます。だから、サアこれから三人の吉三郎の未来はどうなっていく?というワクワクがあると云うことですね。
そこで木ノ下歌舞伎の主宰・木ノ下裕一氏と演出の杉原邦夫氏の対談をちょっとアレンジして引用しますが、
(木ノ下)「黙阿弥物って歌舞伎役者が最も得意としているジャンルだし、歌舞伎の専売特許のようなものでしょ。七五調の台詞がきれいで、様式的で美しい。でもそれだけが黙阿弥の魅力じゃないだろうし・・(中略)あと「三人吉三」を選んだもう一つの理由は、あの有名な「大川端」で胸を打たれない感じはなんとかしたいと思った。」
(杉原)「僕は歌舞伎の「大川端」をみても、お嬢・和尚・お坊の誰にも感情移入できなかった。三人のキャラクターの違いは分かるんです。赤レンジャーと桃レンジャーと青レンジャーだって。でも何を考えて戦っているのか、ということが全然分からない。」
(木ノ下裕一・杉原邦夫:対談「キノカブの作り方」〜木ノ下歌舞伎叢書・「三人吉三」)これについては吉之助も二人のご意見に概ね賛成で、現行歌舞伎の「大川端」は様式美で肥大しすぎてドラマとして死んでいると思わざるを得ません。しかし、歌舞伎では長年「この感触がいい」としてきたわけです。これも厳然たる事実なのです。だからこれからの令和歌舞伎を受け継いでいく若手役者諸君には、教えられたことを無批判的にそのまま受け入れるのではなく(もちろんそう云うことも大切には違いないのだが)、歌舞伎の存続のために、現行の「大川端」はこれでいいのか?ということを疑って・深く考えてみてもらいたいと思いますね。せっかく若手花形が初めて「大川端」を勤めるのであれば、様式ベッタリと化した「大川端」ではなく、願わくば本来のサイズの「大川端」の方で学んで欲しいものです。その方が長い目で見て、これから黙阿弥物を演る時にどれだけ役に立つか分かりません。(この稿つづく)
(R6・11・11)
さて今回(令和6年11月歌舞伎座)の「大川端」は、左近(18歳)が初役でお嬢吉三を勤めるのが注目です。左近は先日・9月歌舞伎座での「妹背山・吉野川」で玉三郎の大抜擢により雛鳥を勤めたのが、実質的な女形デビューであると考えて良いと思います。さらに左近は、今月お嬢吉三を勤めて、来年正月の浅草公演では「太十」の初菊が予告されています。左近の家(松緑家)は立役系の印象ではありますが、若い内に女形を経験しておくことは悪くないことです。恐らくは暫くの間女形を重点的に学ばせようという意図が興行サイドにあっての配役だと思いますし、本人にもその覚悟はあると思います。
大昔の話ですが、最晩年の二代目松緑が孫の嵐(現・四代目)について「女形に向いているように思う、ウチの家から女形が出るのもいいだろう」と語ったことがありました。今の松緑からだと想像が出来ないことですが、まだ役者として海のものとも山のものとも知れなかった幼い頃の話です。「玉三郎が左近を雛鳥に起用」というニュースを聞いた時にそのことを思い出して、ホウそう云うこともあるものか・・確かに名優の勘が知らせるものもあるだろうと思ったものでした。玉三郎は女形の資質として何か光るものを左近に見たのでしょう。
そう云うことだと思いますが、玉三郎の指導があったにせよ、先日(9月)の雛鳥はちょっと物足らない出来でした。残念なのは、所作は兎も角、出発点としての女形の発声がまだ出来ていないことでした。正直申しあげて、まだ良いの悪いの云う段階にないと思いました。しかし、この点は大事なことなので云っておきたいですが、雛鳥-お嬢吉三-初菊と役が続けば、傍からは松竹は左近を若女形として売り出したいと見えるし、観客は左近という役者は女形としてどんなものだろう?という興味で見ることになるのです。当然今回のお嬢吉三についてもそう云うことです。そのような観客の下世話な期待に、今回の左近が応えられているかと云うことです。そこが問題かと思います。
お嬢吉三の役作りは、女形をベースに置くか・立役をベースに置くかの二通りあります。前者ならば、正真正銘の娘だと思っていたのが・実は男であったのかと云うサプライズと云うことです。後者ならば、男の泥棒が娘の恰好をして相手を騙して・これを見顕わすということですから、サプライズと云うよりも・アラアラやっぱりそうだったのかという感じになります。これは別にどっちの行き方であっても良い。役者のニンに於いて決めれば良いことです。ただし、どっちの行き方にするか、はっきり決めなければなりません。アイツは男かそれとも女かというように二つを渾然一体にすることは至難なことです。それが出来たただ一人の例外は現・七代目菊五郎だけだと思います。その意味に於いて菊五郎は稀有な存在なのです。
そこで今回の左近のお嬢吉三ですが、女形をベースに置くか・立役をベースに置くか、どっちの行き方にするか、どっち付かずの・中途半端な行き方であると感じますねえ。前半が娘にもなっていない、後半が男にもなっていない、そう云う印象です。吉之助の興味からすると、左近が若女形としてどれだけ光ったところを見せるかと云うことになるので、当然女形をベースに見ます。だから前半で女形としての発声の基本が出来ていないことが、とても残念でした。この発声であると正月の初菊はうまく行きませんよ。もっと本腰を入れて女形の発声の喉の置き方をトレーニングしてもらいたいものです。
それじゃあ左近の家は立役系であることだし・お嬢吉三を立役をベースに処理するつもりかと云うと、そういうわけでもなさそうです。お嬢が男を見顕わしてからの立役の発声の方も良くない。有名な「月も朧に白魚の・・」のツラネがダラダラ調の二拍子で平板で、様式ベッタリの印象です。全然ワクワクして来ない。教えられたことが間違っていると言っているのではないので誤解をしないで欲しいですが、伝統芸能ですから教えられたことをその通りにしっかりやることは大事なことなのです。しかし、その前に芝居のなかで「生きている人間を描こう」という気持ちがないことには始まりません。例え拙くとも、若い人にはそう云う気持ちを前面に押し出してもらいたいと思います。
「大川端」は世話物、世話物とは写実の芝居、生きた人間を描こうとする写実の意識が前面に出ている芝居のことを云います。ですから生きた人間を演じるために、若い人たちは、現行の「大川端」はこれでいいのか?ということを疑い、深く考えてみてもらいたいのです。「大川端」は様式美で見せる芝居、そのような誤解が巷間まかり通っています。伝統を疑い・考えてみる、それが出来るのが若い人の「特権」であると思います。(この稿つづく)
(R6・11・13)
ご存知の通りお嬢吉三の「月も朧に白魚の・・」というツラネは、歌舞伎を代表する名台詞です。これは「大川端」のドラマのなかでどのような意味を持つ台詞でしょうか。いろんな側面から論じることができますが、音楽的な観点から見ると、お嬢のツラネはドラマの進行を一時的に止めるものです。つまりオペラのアリアみたいなものです。
例えばマリア・カラスが、プッチーニの歌劇「トスカ」第2幕の有名なアリア「歌に生き恋に生き」について、こんなことを語っています。
『(アリア「歌に生き恋に生き」は)当然カットされるべきだと思います。なぜならそれは第2幕の動きを完全に止めてしまうからです。事実、プッチーニもそれを望んでいなかったと知って、私はうれしく思いました。彼は本のなかで、アリアが望まれたためそれを仕方なく入れたと言っています。ただ彼もそれが動きを止めたと言っています。私の本能は正しかったのです。』(マリア・カラス〜エドワード・ダウンズとの対談から、1968年1月13日ニューヨーク)
このオペラをご存知ない方のために書いておくと、「トスカ」第2幕は歌姫トスカが悪漢スカルピアに自分のものになれと脅迫されて殺人を犯すドラマチックな場面です。アリア「歌に生き恋に生き」はその中間部に置かれ、主人公がその悲しい状況を神に切々と訴えるもので、ソプラノの五指に入る名アリアです。この聞かせ所のアリアを、カラスは「歌いたくない、カットしたい」と言うのだから、これは驚きの発言です。しかし、「ドラマの写実」を真剣に追求すれば、時々こういう場面に出くわすことがあるものです。もちろんカラスが「トスカ」の舞台でこのアリアを歌わなかったことはありません。お客が許さないですからね。
それにしても、ここまで緊張感を以て進行していたドラマが、叙情的なアリアによって一時的に中断される(しかもアリアの後に観客の長い拍手が続く)、それが終わったら又・何もなかった如くにドラマが再開する、この時カラスが味わうストレスをちょっと想像してみて下さい。サア一度切れてしまったドラマの緊張の糸をどうやって繋ごうか?とカラスが大いに悩んだことは疑いないのです。「大川端」のドラマ進行が「月も朧に白魚の・・」のツラネで中断されるストレスは、「トスカ」のアリアほど強烈なものでないかも知れませんが、確かに似たようなところがあるのだと云うことを、歌舞伎役者は知らねばなりません。
黙阿弥はそのことを分かっていて、そのストレスを和らげる工夫をちゃんとしています。ツラネの中間部で脇から掛かる「御厄払いませう、厄落とし・・」という厄払いの声を挿入し、お嬢はこれを受けて「ホンに今宵は節分か・・」で、ここでツラネが一瞬ドラマの方へ揺れ戻される、しかし、お嬢のツラネは再び七五調の様式へトロトロと沈んで行く、そのような設計がなされているのです。ともあれ、「こいつあ春から縁起がいいわえ」でアリアは終わりだ。そこから一旦中断された「大川端」の芝居をどうやってドラマの方へ引き戻すのかね?そういうことを歌舞伎役者は考えてみたことがあるでしょうか?
お嬢のツラネが終わると、そこから「大川端」はお嬢とお坊の対決の局面に入る(つまりドラマに戻る)わけですが、吉之助も「大川端」の舞台を随分見ましたが、大抵の舞台は「月も朧に白魚の・・」のツラネの様式をそのまま引き継いでいるように見えるものばかりでした。ダラダラ調の台詞がそのまま続いて行くのです。お嬢とお坊の対決も様式美を見せる場面だと思っているようですね。だからそこに和尚が割り込んで来ても、やっぱり雰囲気がドラマの方に変わりません。ダラダラ調の三重唱になるだけのことです。要するに「大川端」のなかにドラマが見えて来ないのです。歌舞伎役者がそのようなダルい感覚に慣れ切っちゃって、これが伝統だ・様式美だということになってしまったのです。だから、木ノ下氏が指摘する通り、このような現行の「大川端」には胸打たれない。歌舞伎はそこを何とかしなければならない・・・と云うことを若い役者は深く考えてみて欲しいと思いますね。
しかし、今回の「大川端」にその兆しが全然見えなかったわけではないと云うことは記しておきます。歌昇のお坊がなかなか良かったからです。歌昇の台詞はダラダラ調になっていません。七五のリズムがちゃんと揺れており、そのリズムの上に台詞が乗っていて、様式のなかに適度に写実の感覚が加わっています。
「もし姐(ねえ)さん、ちょっと待っておくんなせえ。(中略)ああ用があるから呼んだのさ。(中略)用もあろうが手間はとらさぬ。待てといったら待ってくんなせい。」
歌昇のお坊の第一声には、一旦中断されたドラマを再び動かそうとする写実の感覚が見えました。この第一声はなかなか良かった。ところが、残念ながら左近のお嬢がこれに反応しないのです。お嬢は相変わらずダラダラ調の台詞が続きます。このためにお嬢とお坊の対決のドラマが回らない。回らないから歌昇のお坊の方も次第にダラダラ調に近くなって行く・・そう云う感じですかねえ。
これは左近が歌昇の台詞を受けて・同じ調子で押し返して、それでこの場面のドラマを回すのが本来あるべき形です。初役の左近は自分のことをやるだけで精一杯かも知れないが、まずは相手の台詞をしっかり聞いて演技をすることですね。そこから役者の修行が始まります。他方、亀蔵の和尚は発声明瞭なのは良いのだが、これは早めのテンポの二拍子ですね。もっと台詞を腹に以て揺らしながら出す、そうでなければ黙阿弥の世話物になりません。例えばお嬢の台詞、
「いいや置いては行かれねえ、欲しい金なら此方(こっち)より其方(そっち)が下から出たがいい。素人衆には大枚の金もただ取る世渡りに、未練に惜しみはしねえけれど・・・」
を見れば、確かに脚本は七五で割れるように書いてあります。しかし、これは黙阿弥が役者が覚えやすいように、「ご親切で」そのように書いているだけのことです。これを真っ正直にダラダラ調の二拍子で処理してしゃべったのでは、生きた台詞になりません。様式感覚は必要ですが、そのなかにどのように息の緩急を加えて生きた台詞するかです。そのためには、「七(早い)」と「五(遅い)」の揺れを基本に・そこにどのように写実の感覚を盛り込むか、口のなかで言葉を何度も転がしてみることをしなければなりません。(別稿「黙阿弥の七五調の台詞術」をご参照ください。)
そういうわけで、今回の「大川端」にはちょっと残念なところがありますが、伝統を疑い・立ち止まって・考えてみる、それが出来るのは若い人の「特権」なのですから、そういう気概を以て日々を頑張ってもらいたいですね。
(R6・11・14)