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二代目獅童・初役の魚屋宗五郎

令和6年6月歌舞伎座:「魚屋宗五郎」

代目中村獅童(魚屋宗五郎)、二代目中村七之助(女房おはま)、初代片岡孝太郎(召使おなぎ)、初代中村萬太郎(小奴三吉)、四代目河原崎権十郎(父太兵衛)、初代中村隼人(磯部主計之助)、初代中村陽喜(丁稚与吉)、初代中村陽喜(丁稚長吉)他

(初代中村陽喜・初代中村陽喜・初舞台披露)


1)「様式」への意識

本稿は、令和6年6月歌舞伎座での、獅童初役の宗五郎による「魚屋宗五郎」の観劇随想です。本年(令和6年)初春の浅草公会堂での「切られ与三郎」・「魚屋宗五郎」観劇随想のなかで、若手役者が試行錯誤のなかで「如何に写実するか」・或いは「如何に写実するか」という課題で各々苦しんでいると云うことを書きました。これは役者の誰もが芸の修練のなかで必ずぶち当たる過程(プロセス)であり、またこの過程を経なければ決して芸の大成はならぬものです。吉之助も50年超芝居を見てきましたから、若手役者の試行錯誤の「あがき」をも「時分の花」として愉しむくらいの余裕は持っているつもりです。

と云うことではあるが、若い役者さんは、どちらかと云えば、「如何に写実するか」(或いは「如何に様式するか」)という課題に対し、その一方の方向にばかりに囚われ勝ちであるように思われますね。型の手順を習得することに懸命な余り、どうしても視野が狭くなってしまうようです。そこをちょっと視野を拡げて、「様式するために写実する」または「写実するために様式する」、そう云うことが必要だと考えて欲しいのです。

つまり写実と様式、ふたつの方向のバランスが肝要だということです。このバランスは、作によっても・役によっても異なります。また同じ作・役であっても、バランスは場面によって微妙に変わります。そのような違い・変化を見極めてバランスを注意深く調整(コントロール)していく、そのような第三者的な(客観的な)醒めた意識が役者の内面に必要です。そうでなければ伝統芸能である「かぶき」の芸にならないのです。先輩たちの優れた芸(そういう芸が目の前になくちゃあ仕様がないが)、そのようなお手本になる芸を探し出して(映像でも何でも良い)、芸の奥深いところを学んで欲しいと思います。

今回(令和6年6月歌舞伎座)での獅童初役での「魚屋宗五郎」を見ましたが、初春の浅草公会堂の時とは役者が異なるし(ひと回りほど上の世代になるでしょうか)、歌舞伎座だから役者が揃って舞台の芸格も大きくなっていますが、受ける印象は・残念ながら似たような感じで、やはり「如何に写実するか」に囚われているように感じますね。むしろ芸格が大きくなった分、浅草公会堂の時よりアラが目立つ印象です。特に「宗五郎内」がそうです。これは獅童の宗五郎だけが原因なのではなく、役者のアンサンブルが引き起こす問題でもあろうかと思います。

まず考えてみたいことは、「魚屋宗五郎」で大事なことは何かと云うことです。「殿様に理身内を殺されても、名も無き庶民は文句さえ言えない身分制度の理不尽さを訴える」と云うことは直ぐに思い浮かぶでしょうが、どの宗五郎役者だってそこのところに如才があろうはずはありません。今回の獅童の宗五郎も、妹を無残に殺されたことの悔しさ・怒りは確かに伝わって来ます。ここを押さえなければ、「魚屋宗五郎」の芝居は成り立ちません。それはそうですけれども、それだけではまだ伝統芸能である「かぶき」の芝居にならないのです。これを「かぶき」の芝居にするためには、「宗五郎が禁酒を破って、次第に酒に酔って酒乱の本性を現わし、内面に押さえ付けていた殿様への怒りの感情が表面に出てくる」過程(プロセス)が様式的に描けていなければなりません。

宗五郎が次第に酒に酔っていく過程を如何に写実に(真に迫ったものに)見せるかが「魚屋宗五郎」の見せ所であると一般に思われているようですが、それはちょっと違うと思います。ここは様式的に描けていなければならないのです。宗五郎役者はもちろんですが、周囲の役者も・下座音楽も加わって・酒に酔っていく過程をみんなで「様式的に」仕立てていく、それが「魚屋宗五郎」を「かぶき」の感触にするのです。

「宗五郎」というネーミングは義民・佐倉惣五郎(芝居では木内宗吾)から採ったものと吉之助は考えております。ご承知の通り、佐倉惣五郎は関東では有名な御霊神です。「五郎」は音が「ごりょう」(御霊)に通じます。(この件については別稿「惣五郎とかぶき的心情」を参照ください。)宗五郎が酒乱になって荒れ狂い、

『何だって妹を殺しやがった。妹は木偶(でく)じゃねえんだ、人間なんだ。あのお蔦にはナ、れっきとした親もありゃあ、兄貴もいるんでエ。誰に断って殺しやがった!』

と叫び始める時、現代の観客はこの台詞を至極真っ当に聞くでしょうが、これは江戸の世にあっては、例え肚のなかにあったとしても、名も無き庶民がお殿様には決して言えない台詞であったと云うことを知らねばなりません。言い換えれば、それは「酒の力を借りなければ」決して言えない台詞であった。それは「酒乱にでもならなければ」決して言えない台詞であったのです。と云うことは何を意味するでしょうか。これは魚屋宗五郎の酒乱とは、「世話の荒事の荒れ」だと云うことです。だから「宗五郎」なのです。

『憤りというのは、胸がどきどきするほど腹が立つこと。動詞で、憤る。形容詞では、憤ろし。また、憤ろしいと私の生まれたところでは言うた。この腹が立って腹が立ってしようがないという気持ちが、我々の道徳を支持しているのである。我々の民俗の間にできてきた道徳観念をば守り、もちこたえていく底の力になるのが憤りである。(中略)ああいうことが世の中で行なわれてよいのか、これから先、どうなってゆくのか、と思うことがある。この気持ちを公憤と言う。』(折口信夫:「心意伝承」〜日本民俗各論 ・昭和11年)

折口信夫は、憤るという感情が我々の道徳の根本にあると言っています。平安朝の語で「おほやけはらだたし」とか、略して「おほやけばら」という語がありますが、個人的なむかつきを公憤の形にして出すのです。特に政治的な争いで負けた場合にそういう風になりやすい。身分の高い人の場合は公人という性格も持つので、個人のむかつきの感情も公のそれとして重ねて読まれることが必然的に多くなるからです。ですからいわゆる御霊と呼ばれるものの多くが政治的敗北者です。

一方、町人や農民など身分が低い人の憤りは、普通は公のものになりません。しかし、数少ないケースですが、その個人の憤りがピュアで無私なもので・なおかつそれが社会の道徳観にぴったり当てはまるものならば、その憤りが公的な性格を帯びる可能性があります。例えば佐倉惣五郎の憤りがそれです。

魚屋宗五郎の(いきどお)りも、理不尽に妹を殺されたことの怒りから発していますから個人的なものです。しかし、「身分が高いからって何をしても許されるのか」と云う宗五郎の怒りは、やがて社会的な色彩を帯びて行きます。酒に酔っぱらったと云う体裁を借りながら、次第に公憤の形を成していくのです。その頂点(クライマックス)は花道で宗五郎が酒樽を振り上げて決まる「あの形」なのですがね、そこに至るまでの過程(プロセス)が、黙阿弥によって・そして五代目菊五郎によって詳細に定められています。その過程を忠実になぞっていくことが、「様式」なのです。その過程をどのように読むか・どのように描くかは役者の腕に委ねられますが、「様式」への意識が足りない演技では「かぶき」になりません。残念ながら今回(令和6年6月歌舞伎座)の「魚屋宗五郎」は、全体にそのような「様式」への意識がチト足りないような気がいたしますね。(この稿つづく)

(R6・6・27)


2)酔っていく「様式」

宗五郎が酒に酔っていく過程(プロセス)が、どうして「様式的」に描けていなければならないのでしょうか。「身分が高いからって何をしても許されるのか」と云う公憤(おおやけばら)は、最初は宗五郎の肚の内にグッと押さえ込まれて・なかなか表に現れて来ませんが、酒を飲み始めると、怒りが次第に肚の底で熱くなり始め、やがてグツグツと煮えたぎっていく、そして遂に公憤蒸気を吹き出し始める、こうなるとこれは誰にも止めようがない。そのような御霊神が荒れ始める過程が、宗五郎が次第に酒に酔って・遂に酒乱になって暴れ出す過程の上にそっくりそのまま重ねられているからです。こうなると宗五郎は酔ったから暴れるのではない。「身分が高いからって何をしても許されるのか」と云う公憤から御霊神が怒って暴れるのです。それが酒乱の姿を借りて現れているのです。観客にはそのように映らなければなりません。

そのためには、宗五郎が次第に怒り始める過程をあらかじめ曲線でイメージして置かねばなりません。「身分が高いからって何をしても許されるのか」という怒りは、最初は宗五郎の肚の内で燻っています。しかし、宗五郎は決してこれを表に出しません。そもそもお殿様と市井の魚屋では身分が違い過ぎますから、おいそれと文句が言えるものではありません。しかも宗五郎は磯部の殿様から多大な金銭的援助を受けていました。その恩義を考えれば、ここは黙るしかない。宗五郎は誰よりも義理を重んじ、自制心の強い人間でした。しかし、おなぎの話を聞けば、殺された妹には何の落ち度もないと云う。余りに理不尽な殿様の振る舞いに宗五郎は悔しくなって、禁酒の誓いを破って思わず酒に手を伸ばしてしまいます。それでも最初のうちは宗五郎も自制心はあるのです。最初の内は押さえに押さえる。やがて押さえが効かなくなるのだが、押さえられる内は押さえる。そんな感じで宗五郎が怒り始める過程を曲線でイメージして行きます。

ですから観客が芝居で実際に目の当たりにするのは宗五郎が次第に酒に酔って暴れだすシーンであるが、実はこれは御霊神が公憤で暴れ始める過程を曲線で慎重になぞって行く作業に似ます。だからそれは様式的な作業なのです。これは黙阿弥や五代目菊五郎がそう云う風に定めていることです。もう一度繰り返すと、最初の内は押さえに押さえる。やがて押さえが効かなくなるのだが、押さえられる内は押さえる。そのような曲線が演技のなかでイメージ出来るならば、宗五郎内はいい芝居になります。

そこで今回(令和6年6月歌舞伎座)での獅童の宗五郎を見ると、宗五郎が「コレお浜、是へ一杯ついでくれ」と言い始めるまでの、その場の「押さえ」が今ひとつ効いていない感じがしますね。ここはもっと押さえに押さえなければなりません。観客が「どうした親分、なぜ怒らぬ」と感じるくらいに押さえる、そう云う感覚が宗五郎に必要なのです。しかし、今回のようになってしまうのは獅童の宗五郎だけが原因なのではなく、(これについては後述しますが)役者のアンサンブルが引き起こす問題でもあります。

それと吉之助は下戸ですけれど、宗五郎の酔いが回り始めるペースが若干早いように感じますねえ。獅童の宗五郎は何だか「酒が呑みたくて呑んでいる」ような印象がします。そうではなくて、肚の内がムカムカして「呑まずにゃいられないから呑んでる」のでしょう。俺は呑みたくて呑んでるわけじゃねえんだ、そこに酒乱の宗五郎なりの言い訳があると思うのですが、如何でしょうかね。(この稿つづく)

(R6・6・29)


3)アンサンブルの役割

見方によっては、宗五郎の周囲の人たち(女房おはま、父太兵衛、小奴三吉)はギリシア悲劇のコロスに見立てることが出来ると吉之助は思っています。(注:召使おなぎも絡みますが、彼女は他の三人と若干役割が異なるので、ここでは除外します。)コロスは合唱隊で、劇の状況を説明したり批評したりして、時に観客の立場を代弁したりもするものです。ここで「宗五郎内」の場合を考えます。彼らは磯部の殿様に娘が無残に殺されたことを知り、嘆き・怒ります。彼らは各々の気持ちを正直に吐露しますが、これはグッと肚の底に押し込んで明かそうとしない宗五郎の気持ちを代弁することでもあるのです。彼らは宗五郎に自分たちの悔しい気持ちを知って欲しいのです。しかし、身分違いの殿様に文句が言えないことも分かっています。宗五郎がグッと自分を押え付けて無理してるのが分かるので、「まあちょっとくらいの酒ならばいいじゃないか」という軽い気持ちで、宗五郎に酒を勧めてみます。しかし、宗五郎がいったん酒を呑み始めたら、これが止まらない。慌てて止めようとしますが・どうにもならず、遂に宗五郎の酒乱が爆発する、「宗五郎内」はそう云うドラマなのです。

ここで周囲の彼らの言動のなかに、或る種のボーダーラインが存在することを感知せねばなりません。ボーダーラインとは、自己規制の指標のことです。それがボーダーラインに達しない内は、彼らは言いたいことを言えるのです。しかし、彼らは磯部の殿様とは身分違いで・娘を殺された理不尽さをどんなに抗議したくても・庶民にそんなことを言えないことくらい、ちゃんと分かっています。宗五郎の苦しい気持ちを推し量って「ちょっとだけ」酒を勧めてみたけれど、酒乱と化した宗五郎が磯部邸に乗り込んだら大変なことになることくらい、彼らはちゃんと理解しています。それが世間の常識と云うものです。とすれば、彼らが怒りに任せて宗五郎に言う台詞を、どのように聞いたら良いでしょうか?

太兵衛:「殺すほどのことならば、何で一応親に言わねえ。あんまり向うが分からねえから、ただこのままじゃァ済まされねえ。」(と言いたいところだが、町人の俺たちには言えねえこったなア。)
おはま:「父さんがあのように腹を立つてござんすから、お前がこれから屋敷へ行き、思い入れ言っておやんなさい。」(お前にそうして欲しい気持ちは私もやまやまだが、お前さんにだって出来ることじゃないよねえ。そんなことくらい分かっているよ。)
三吉:「オオそれがいい、わっちも一緒に行きやしょう。」(と威勢のいいことを言ってみるが、
身分が低いわっちらに到底出来ることじゃないのが、口惜しいねえ。)

括弧のなかは吉之助が付け足しました。彼らは口では言いたいことを言っているようだけれど、とりあえず言いたいことを吐き出してしまったら、あとは宗五郎から止めてもらいたいのです。コロスは怒ったり・酒を勧めたり・一転押さえに掛かったり・行動が行き当たりばったりみたいですが、コロスは実はボーダーラインを感知しています。「ここまでは言いたいことを言っても良い」、「そろそろ口をつぐまなければ、危ないぞ」、「これ以上は決して言ってはならないぞ」と云う危険レベルをちゃんとわきまえて行動しています。そんなことなど踏まえれば、上に引用した台詞をどんな感じでしゃべったら良いでしょうか。

そこで今回(令和6年6月歌舞伎座)の三人(七之助のおはま、権十郎の太兵衛、萬太郎の三吉)を見ると、前半(宗五郎が酒を飲み始める以前)で観客にボーダーラインが感知されない印象です。威勢が良過ぎると云うか、何だか宗五郎を「けしかけている」みたいに聞こえますねえ。それは声の大きさ・台詞の調子とか語尾の強さに出ます。もし彼らが本気で宗五郎をけしかけるつもりならば、宗五郎が酔い始めると一転して酒を飲ますまいと大騒ぎするのは面妖なことです。良く言うならば落差を大きく付けているつもりなのかも知れませんが、個々の場面はさすがに面白く見せてくれますけれど、後半はもう喜劇タッチですね。それはボーダーラインが正しく感知されていないからです。特に七之助のおはまの感触がサバサバし過ぎて、世間の常識をわきまえた世話女房になっていません。

ですから今回の宗五郎内で、獅童の宗五郎に「様式」をあまり感じないのには、酔っていく過程(プロセス)を様式として「なぞっていく」作業を獅童がしっかり出来ていないことが大きいのですが、周囲の三人の行動にボーダーラインが感知されないこと、これも同じくらい大きいのです。ボーダーラインがあるからこそ、宗五郎が酔っていく過程の現在位置が明らかになるのです。「世話物のアンサンブル」と簡単に云いますけれど、宗五郎内では、それがドラマの進行と密接に繋がっている、これが黙阿弥の、そして五代目菊五郎の「様式」の極意なのだなと改めて感じ入りますね。

(R6・7・1)


 

 


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