二代目右近と二代目巳之助の「夏祭」
令和5年8月浅草公会堂:「夏祭浪花鑑」
二代目尾上右近(団七九郎兵衛・徳兵衛女房お辰二役)、二代目坂東巳之助(一寸徳兵衛・三河屋義平次二役)、四代目中村鴈治郎(釣船三婦)、五代目中村米吉(団七女房お梶)、初代中村種之助(玉島磯之丞)、初代中村莟玉(傾城琴浦)、三代目尾上菊三呂(三婦女房おつぎ)他
(尾上右近自主公演・第7回・研の会)
1)「夏祭」における人間関係の濃密さ
猛暑のなかでしたが、浅草公会堂での、尾上右近自主公演・第7回・研の会を見てきました。演目は、「夏祭浪花鑑」と「娘道成寺」と云う意欲的な組み合わせです。「夏祭」は上方の生活感が身上ですから実は東京の役者には結構難しい芝居だと思いますが、切った張ったの侠客の世界がカッコ良く映るので、団七が是非やってみたい役だと云うのは分かる気がします。しかし、実際やってみると団七はホント何気ないところで難しい役ではないでしょうかね。
それにしても「夏祭」もいろんな役者の舞台を見ましたが、歌舞伎座の間口(まぐち)の広い空間で見ると、どこか隙間風が吹く気分がすることが多いと思います。これは役者の腕・上方味のあるなしでなく、歌舞伎座の空間が「夏祭」の本来あるべきサイズより広過ぎるせいです。こう云うことは他の丸本世話物・例えば「六段目」・「引窓」でも全然感じないわけではないですが、なにせ普段から歌舞伎座で慣らされてしまっているので、他の小さめの劇場で見た時改めて思い出す程度のものです。程度としてはさほど問題ではありません。しかし、「夏祭」に限っては、いつもそんなことを感じる気がします。やはり「夏祭」のドラマを描くためには、もう少し狭い空間が望ましいと思いますね。恐らくそれは「夏祭」が描く人間関係が、それだけ特殊な粘った様相を示すからです。世話物は元々人間関係の距離が近いものですが、大抵それは義理とか忠義とか・理屈として理解される概念で図られたドラマです。こう云う場合は劇空間が少々広くても、芝居が良ければこれで距離感を狭めることが出来るのです。一方、「夏祭」の場合は、生き様とか気質とか、それが個人の根源的なものと強く結びついているせいで、行動の説明が付け難い。その分人間関係が馴れ馴れしいほど近かったりして、距離感の取り方が難しい。こうなると劇場空間が広いと、演技だけで距離感を狭めることが難くなると云うことだろうと思います。だから劇空間の物理的距離が持つ意味が大事になるのです。
まあそんなことを考えながら浅草の「夏祭」を見たわけですが、外は猛暑でしたが・劇場内は冷房がガンガン冷えて・夏芝居との感覚的ギャプが甚だしかった(幕転換時に席を立ってトイレに駆け込む人多し)にも係わらず、思っていた以上に面白く舞台を見ました。正直申し上げると、上方臭という観点からすると今回の舞台はもうちょっと隙間風が吹くかな、汗ばむような濃密な人間関係を描くには未だしとなるかなとタカを括っていましたが、どうしてどうして面白く見ました。ひとつには、浅草公会堂を中劇場と呼ぶかは分かりませんが、このくらいの劇空間であれば若手の「夏祭」もそこそこ引き締まって見える、人間関係の濃密さもそれなりに感じられると思いました。仕方がないことですが、歌舞伎座はやはり広過ぎますね。
もうひとつ感銘を受けたのは、目下歌舞伎が直面している危機(詳述しませんがお察しください)に対し「僕たち若手が一致団結して立ち向かっていこう」と云う気持ちが言葉にせずとも役者全員から強く感じられたことですかね。歌舞伎の行方については吉之助も決して楽観視していませんが、今回の「夏祭」(それと後半プロの「娘道成寺」)のような気合いの入った舞台を日々見せてもらえるならば将来にいくらか期待が持てる気がします。おかげで帰り道はいつになく良い気分でありました。(この稿つづく)
(R5・8・10)
もしかしたら前章で今回(令和5年8月浅草公会堂)の「夏祭」が面白かったのは「適度な大きさの劇空間のおかげ」みたいに聞こえたかも知れませんが、もちろんそうではありません。若手の演技の素直さを劇場が引き立てたと言いたいのです。上方の生活感・体臭みたいなもので東京の若い役者が苦労するのは当たり前のことです。まずは現段階では、役に素直に対峙して・そうしたものを型の内側から語らしむという態度が大事です。演じるうちに役との間に微妙な齟齬が生じる場合があることに気が付くでしょう。そうした箇所で試行錯誤を繰り返しながら、型は次第に自分のものになっていくのです。まだ彼らはそのような段階なのですから、上方の生活感・体臭なんてことを言っても仕方がない。大事なことは、「現段階で役に素直に対峙しているか」と云うことです。今回の彼らはそこは十分出来ていました。だから良い気分で芝居から帰れたと思います。
まず右近の二役のことに触れる前に、巳之助の一寸徳兵衛・三河屋義平次二役について書いておきたいと思います。特に義平次については正直に申して驚きました。ここまで良いとは予想しませんでした。猿之助との共演(伊達の十役の八汐など)でいくつかの重要なパートを任されたことがホントに役に立ったことを痛感しますねえ。今回の「夏祭」では右近の団七九郎兵衛が、巳之助の二役のおかげでどれだけ引き立ったことか。
まず巳之助の徳兵衛ですが、ちょっとスッキリし過ぎの感もありますが・江戸前の侠客と云うならばこんなところと云う感じを良く掴んでいます。ここから練り上げていけば、徳兵衛は巳之助の持ち役になることでしょう。きっちりした印象が、右近の団七との対称になって良いですねえ。住吉鳥居前での団七との立札を使った立廻りも、角々の決めの形が「はいポーズ」と云う感じではなく・流れのなかで極まっているのは、踊りの心得のおかげです。
義平次については適任の役者が払底しているなか、巳之助が老け役でこれだけの出来を示したということは、今後の歌舞伎にとって朗報だと思いますね。ねちっこい嫌らしさはなかなかのものでした。「義平次は悪い人だから殺されなければならなかった」と云うドラマには十分なっています。これでドラマの表向きは立ちました。次の課題は、どうして義平次が団七にそこまで意地悪をせねばならなかったか?と云うことを如何に感覚的に示すかと云うことです。(これは団七役者と協同で向き合わねばならぬ仕事です。)ここで「上方らしさとは何か?」と云う問題と対峙することになります。
義平次は根性が捻じ曲がった男ですが、浮浪児であった団七を拾い上げてやったことでもあるし・娘お梶の連れ合いでもあるのですから、団七を応援しても良さそうなものです。ところが義平次は全然そうではないのです。そこに問題が潜んでいるはずです。前章で「夏祭」では人間関係が馴れ馴れしいほど近かったりすると書きましたが、実はそこに原因があります。それが大坂の夏の暑苦しさと鬱陶しいほど重なって来ます。だから「夏」なのです。
団七も徳兵衛も江戸歌舞伎に取り上げられて「男伊達」らしく格好よく洗い上げられた役になっています(これだと感覚的には涼しい印象になりますかね)が、実は彼らは大坂の市井の最下層の男たちです。団七はもともとは浮浪児であって・いかさま師の老輩義平次に拾い上げられて育てられて・そこの娘と出来てしまい、肴のふり売りしたりしていたものが喧嘩で名を売って、色町で武家奉公人を斬って入牢したという設定になっています。また徳兵衛も備中玉島を脱走して一時は非人の群れに入った喰いつめ者で、喧嘩の尻押しに買われたり・いかさま師のようなことをしてきた男です。
この根性の捻じ曲がった老人は「お前ばかりにいい目見させてたまるか、格好付けやがって、誰の世話になったんじゃい」という感じで団七の足を引っ張り続けます。義平次は「親じゃぞよ、親じゃぞよ」と言いますが、親らしいことなど何もしていません。義平次には底辺を這いずり回った人間の強烈な僻みと妬みと醜さがあって、柵(しがらみ)から抜け出そうと必死でもがく団七を邪魔することしか考えていません。これが義平次と団七の「馴れ馴れしいほど近い人間関係」なのです。結局、柵が団七を絡め取ることになるわけです。(この稿つづく)
(R5・8・12)
前章では二人の人間関係を義平次の側から見てみました。逆に団七の側からこれを見ると、泥濘(ぬかるみ)から必死で抜け出そうとする団七の脚に絡みつく蛇こそ義平次なのです。それは団七にとって、忘れてしまいたい・思い出したくない過去の因縁です。しかし、それは「親じゃぞよ、親じゃぞよ」と言いながら尚ズケズケすり寄って来て、決して離れようとしません。
もし団七が裁判で証言するならば、「舅は金に目が眩んで主人筋を売ろうとした悪い奴だから殺した」と自分の正当性を主張するでしょうし、長町裏で起こる殺人は確かに表向きにはそのようなドラマなのです。それは義理とか・忠義とか、理屈で説明が可能です。そう考えれば今回の「夏祭」の舞台でも、右近の団七も・巳之助の義平次もそこのところは十分描けています。
しかし、裏から見れば、団七と義平次の関係はもっと因縁が深いものです。それは個人の出目や生い立ちと強く結び付いており、気質とか生き様と云った、説明が難しい領域になってしまいます。団七がいくら主張しても、裁判員は決して納得しないでしょう。「大坂の夏が暑苦しくて鬱陶しいから殺した」みたいにしか聞こえません。しかし、長町裏の殺人とは、結局のところそう云うことなのです。だからこれが「上方らしさ」の感覚と重なることも論理的には容易に説明が付きませんが、このことを観客に直感的に感知させねばなりません。これが右近と巳之助コンビの次の課題となると思います。そこがクリア出来ている「夏祭」の舞台は決して多くないと思います。
視点がガラリ変わるようですけれど、右近が演じるもうひとつの役・徳兵衛女房お辰の問題点も、上記と同じように考えれば良いと思いますね。右近のお辰は、とても艶やかで美しい。三婦が指摘するように「お前さんは色気があり過ぎて、若い男を預けるには不安がある」と云うのも尤もです。そこは良いことだけれど、お辰が焼けた鉄弓を顔に当てて火傷を作り「これでも色気がござんすか」と居直る行為がいささか伝法な印象に見えるのが、ちょっと気になりますねえ。ひとつには右近のお辰の台詞が、吉之助がお辰にイメージするよりもかなり早くてサラサラした口調で・バラ描きに聞こえることに原因があると思いますが、もうひとつ、右近がお辰を悪婆の範疇で処理しようとしていると感じたことです。
今回のお辰の型は、帰りの花道でのお辰が「ウチの人が好くのはここ(私の顔)じゃない、ここ(私の気風の良さ)でござんす」と言う台詞(この台詞は歌舞伎の入れ事)があるように、四代目源之助の型をベースにしていると思います。確かに源之助は切られお富など悪婆の役どころを得意としました。しかし、(もちろん吉之助は源之助を見てもいませんが)源之助が江戸前の悪婆のイメージでお辰をやったはずはないと思います。悪婆と云うのは、「こんなことはホントはしたくないんですよ、でも愛する亭主のためだから仕方ないのよ」と云う女にあるまじき行為を、愛嬌と媚態を交えて演じるのが悪婆なのです。(別稿「源之助の弁天小僧を想像する」をご参照ください。)お辰がそのような女でないことは明らかなのです。源之助ならばそこの差異をキチンと仕分けたと思います。
どうしてお辰があのような男勝りな行為をするのか。「一旦頼まれた以上は磯之丞様を一日でも預からないと・夫徳兵衛が立ちませぬ」とお辰は言います。だからお辰が鉄弓を自分の顔に当てるのは「夫の体面を守るためである」と右近は考えているのではないですか?そうではなくて、お辰は自分が「色気で男をたらしこむ女・男に迫られればなびく女」だと三婦に言われたと受け取って憤慨して、自分の潔白を主張するため、お辰はわざと唐突な行為に出るのです。これは理屈で説明出来る行為ではありません。感情を主張する行為だからです。これはまさに「大坂の夏が暑苦しくて鬱陶しいから・こうなった」としか言いようがないものです。心外なことを言われてカッと怒って、わざと他人の家の内でふんぞり返って見せる「馴れ馴れしい」行為なのです。そこを上方らしさの感覚で処理せねばなりません。
ところで右近のお辰が「ここでござんす」で、気合いが入り過ぎたか・勢い余ったか、自分の胸板を拳でドーンと大きい音を立てて叩いて見せたのには、ビックリしましたよ。吉之助の角度からは、スポット・ライトに当たって白粉の煙がパッと舞い上がったのが見えました。お辰はホントは慎みのあるお内儀なんです。決して伝法な女ではありません。そこのところを正しく押さえて欲しいと思います。「ここでござんす」でそっと自分の胸に手を当てて見せる、これで十分ではないでしょうか。源之助ならばそうやったに違いないと吉之助は想像をしますね。
(R5・8・14)