五代目玉三郎初役のお嬢吉三
平成16年(2004)2月歌舞伎座・「三人吉三巴白浪」
五代目坂東玉三郎(お嬢吉三)、十五代目片岡仁左衛門(お坊吉三)、十二代目市川団十郎(和尚吉三)
1)真女形のお嬢吉三
真女形のお嬢吉三、出来ました。玉三郎初役のお嬢吉三は錦絵の如く姿が美しく、いつものお嬢役者のように娘から男へ性のチャンネルを鮮やかに切り替えるのではなく・性根を娘の方に置いて役を処理しています。これで 吉之助が想像していた「悪婆としてのお嬢吉三」の輪郭がおぼろげに見えてきました。まだ手探りの面があると思いますが、徐々に手慣れて・もう少し大胆さが出てくれば、お嬢吉三は玉三郎の当たり役になりましょう。ファンには悪い冗談かも知れませんが、こうなれば玉三郎の弁天小僧も見たいものだと吉之助は思いました。
万延元年(1860)市村座での「三人吉三」初演の時のお嬢吉三を演じたのは美貌で有名な幕末の名女形八代目半四郎(当時は三代目粂三郎)でした。しかし、これは「 お嬢吉三は半四郎の演じた役だから真女形が演じる必然がある」というような単純なことではありません。吉之助は半四郎はお嬢吉三の魅力を十分に表現できなかった・黙阿弥の期待に応えられなかったと思っています。「三人吉三」でのお嬢吉三の台詞を見てください。
『問われて名乗るもおこがましいが、親の老舗と勧められ、去年の春から坊主だの、ヤレ悪婆のと姿を変え、憎まれ役もしてみたけれど、利かぬ辛子と悪党の、凄みのないのは馬鹿げたものさ。そこで今度は新しく、八百屋お七と名を取って、振袖姿で稼ぐゆえ、お嬢吉三と名に呼ばれ、世間の狭い食い詰め者さ。』
五代目半四郎など悪婆の役を得意とした家に生まれて、その前年には「十六夜清心」でイガグリ頭のおさよで強請をしてみたりしたけれど、どうも凄みがなくってピリッとしねえや、それで今度は女姿の悪党を演ろうと言うのさ、というわけです。これで黙阿弥の半四郎に対する見方が分かるでしょう。もし黙阿弥が半四郎のお嬢吉三を評価していたのなら、その3年後(文久三年・1863・市村座)の「青砥稿花紅彩画」で弁天小僧を初演したのは当初プラン通りに半四郎であったに違いありません。しかし、実際に弁天小僧を初演したのは若き五代目菊五郎でありました。ということは半四郎はお嬢吉三も黙阿弥の期待通りに演じられなかったということだろうと思います。
悪婆としてのお嬢吉三の役柄については別稿「源之助の弁天小僧を想像する」・「女形の弁天小僧」などにおいて 弁天小僧と併せて考察をしましたから、そちらをご覧ください。それは「極道の女たち」のような映画で、美しい姐さんが着物の裾をまくり上げ・太腿の彫り物を見せながら「舐めちゃあかんぜよ」と啖呵を切るみたいものです。オオッそこまでやるか・というような驚きがなくちゃいけませんね。
もちろん玉三郎のお嬢吉三はそこまで大胆ではありません。しかし、「大川端」で杭に足を掛け・刀を片手に「月も朧に白魚の・・・」と長台詞を語り出すと、その姿に悪婆のもたらすカタルシス の片鱗を見せてくれました。玉三郎の場合は地声もそう太くないので役がガラリと男に切り替わる感じにはなりません。黙阿弥が半四郎に期待したのはこういう瞬間だったのだということを思いました。イメージを大事にしたい女形役者の立場からすれば、ここまで開き直るのも結構覚悟が要ることかも知れません。玉三郎もファンのイメージを崩さない方向で役作りに慎重になっている感じが見えます。正直申せばもう少し大胆であってもいいとは思いますが、再演を重ねて手慣れてくることでこなれたものになりましょう。
「吉祥院」は欄間からお嬢吉三が顔を覗かせた瞬間がまさに天女の絵になっていて最高。しかし、この場の玉三郎はおとなし過ぎで娘になり過ぎています。尾上多賀之丞が悪婆ものを得意とした四代目源之助のお嬢吉三の思い出をこう語っています。
「(四代目源之助の)お嬢吉三もよかったね。寺の場のよさなんてものはねえ。欄間から降りて来て「お坊か」「お嬢か」「あ、久しぶり」でさっと尻をまくってね、「会いたかったねえ」なんてとこなんかはもう・・・。」(尾上多賀之丞芸談:昭和46年季刊雑誌「歌舞伎」第11号)
やはり悪婆のお嬢吉三ならこれくらいのことをしてもらいたいのです。仁左衛門のお坊吉三と手を取り合えば、まさに「お七吉三」の色模様の風情で美しい。お嬢吉三とお坊吉三はたしかに同性愛の気配があると思いますが、それならば・その色模様が男と女のそれに見えてしまっては趣向倒れというものではないでしょうか。それは 確かに「お七吉三」の見立てなのですが、そこに感覚のズレが見えて来てこそ趣向の面白さが生きるのです。ともあれ玉三郎のお嬢吉三はこれからの当り役になる可能性が十分にあると思います。再演を期待したいと思います。
2)黙阿弥の七五調の台詞術
ところで 今回の「三人吉三」の上演においてちょっと問題に思われたのは、テンポがサラサラと速いことです。芝居全体の感触があっさりとしていて、粘りがありません。時間を計っているわけではないが、上演時間自体も少し短かったのではないかと思います。もちろん現行の黙阿弥上演は間延びがしていて吉之助はいいとは思っていません。しかし、ただテンポが速いからと言っていいとも言えません。
今回の上演では玉三郎のお嬢吉三と・仁左衛門のお坊吉三が初役ですが、特に仁左衛門の台詞のテンポが速くて、それに全体が引っ張られているように感じられました。そのせいで、はまり役のはずの団十郎の和尚吉三があまり精彩がないようです。この淡々としたテンポでは団十郎の大きい芸風が生きてこないのです。舞台のバランスというのは難しいものです。
仁左衛門は台詞回しには定評がある人ですし、義太夫狂言でも新歌舞伎でも音楽的な抑揚で台詞をしゃべってくれるので吉之助も好きな役者さんです。十五代目羽左衛門もかくやと思わせるような・観客を陶然とさせてくれる台詞回しです。しかし、今回の仁左衛門のお坊吉三の台詞は初役のせいかも知れませんが、同じ黙阿弥でも仁左衛門が当り役にしている「十六夜清心」の清心などと比べると、ちょっとテンポが速いように思われま した。こうなると七五調の台詞が同じ速さでタンタンタンタンと出てくる感じで、いくら音楽的に抑揚をつけても単調さが否めません。どの台詞も同じように聞こえてきて・語句が意味を持って聞こえてこないのです。むしろ、仁左衛門の抑揚が音楽的であるだけに・却って台詞が心地よく耳を素通りしてしまうのです。
仁左衛門は台詞を音楽的に聞かせることでは第一人者です。おそらく仁左衛門の台詞は音楽的で「黙阿弥らしい」と感じる人も多いことでしょう。しかし、「写実の黙阿弥」の観点からすれば、吉之助はそれはちょっと違うだろうと思っています。黙阿弥の台詞を 写実にしゃべれる歌舞伎役者は今はいないと吉之助は思っています。仁左衛門の台詞のうまさのおかげで、現代の歌舞伎役者の黙阿弥劇の台詞術の問題点が明確に見えたと思いました。
現代の歌舞伎役者の七五調の台詞術は、同じテンポで七五を繰り返すダラダラ調であるということは別稿「試論・黙阿弥の七五調の台詞術」において書きました。本来の七五調 の基本は「七の部分と五の部分を同じ間でしゃべる変拍子」であります。現代役者のダラダラ調では黙阿弥は写実にならないのです。むしろ、音楽的にやられるほど写実からますます遠くなっていく。意味が上滑りしてきて・台詞にリアリティがこもらない。しゃべっているうちに、どこをしゃべっているのか自分でも分からなくなる。だから仁左衛門も玉三郎も6日目になっても台詞をトチるのです。
「(お嬢)人も死ぬ時死ななけりゃ、余計な恥をかかにゃあならねえ。生き永らえていろと言う、なぜその口で道連れに、一緒に死ねと言ってくれねえ。」「(お坊)なるほど言やあそんなもの。そう心が据わったからにゃあ、くどくは言わねえ。そんならここで、手前も一緒に死ね。」「(お嬢)それでこそ兄弟の誼(よしみ)。止められるよりオラァうれしい。」(「吉祥院」 の場)
「吉祥院」でのお嬢吉三とお坊吉三の台詞です。 現代の歌舞伎役者なら台詞を七五で分けてこうしゃべるでしょうか。以下は1音を1の長さとして・同じテンポでしゃべる。(通常はかなりゆっくりのダラダラ調ですが、今回の上演では基調のテンポが若干早めになっています。しかし、台詞の根本的な処理手法はまったく同じと考えてよろしいでしょう。)
「人も死ぬ時(7)死ななけりゃ(5)余計な恥を(7)かかにゃならねえ(7)。生き永らえて(7)いろと言う(5)なぜその口で(7)道連れに(5)一緒に死ねと(7)言ってくれねえ(7)。」「なるほど言やあ(7)そんなもの(5)。そう心が(5)据わったからにゃあ(7)くどくは言わねえ(7)。そんならここで(7)、手前も一緒に(7)死ね。」「それでこそ(5)兄弟のよしみ(7)。止められるより(7)オラアうれしい(7)。」
吉之助は黙阿弥の台詞はこんな風にしゃべれば写実にできるのではないかと思っています。基本 は七は早めに・五はゆっくりの変拍子、●は休止、7+5は七のテンポで一気に言う、5+7は五のテンポで一気に言う。
「人も死ぬ時(7)死ななけりゃ(5)余計な恥を(7)●かかにゃあ(5)ならねえ●(5)。生き永らえていろと言う(7+5)なぜその口で道連れに(7+5)●一緒に死ね(5)●と言ってくれねえ●( 5+5)。」「なるほど●(5)言やあそんなもの(7+1)。そう心が据わったからにゃあ(5+7)くどくは言わねえ(7)。●そんなら(5)ここで手前も(7)●一緒に死ね●( 7)。」「それでこそ兄弟のよしみ(5+7)。止められるより(7)●オラァうれしい(7)。」
テンポの緩急と・休止を入れることで、台詞は音楽的な流れを保ちつつ・語句を粒立てることができるわけです。台詞がずっと写実に聞こえると思いませんか。一度騙されたと思ってこういう風に台詞を言ってもらえないものかなあ。黙阿弥劇は一気に再生すると思いますがねえ。役者が意識的に「七五のリズム」を崩そうとしないと黙阿弥劇はますますリアリティのない芝居になっていくでしょう。
まあ、そんなことなどを考えながらお芝居を見ておったわけですが、大詰「火の見櫓」の立廻りは工夫されていて面白く、三人の吉三郎が幕切れで極まったところはまさに絵面の美しさで楽しませていただきました。
(H16・2・18)