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かぶき的心情」の研究(3)

ものの見方について

*本稿は「かぶき的心情」の研究(2)〜「この清い私を見てくれ」の続編です。

(本稿は完結しました。最新の章はこちら。)


1)ものの見方について

本稿は「かぶき的心情の研究」の「間奏曲」とでも云うべきか、ちょっと寄り道になりますが、もちろん「かぶき的心情」のことを踏まえたものですから、まあお付き合いください。本サイトを読めばお分かりの通り、吉之助にとって折口信夫は、武智鉄二と並んで師匠と仰ぐ存在です。云うまでもなく、折口信夫は民俗学だけでなく・国文学でも優れた業績を残した巨人です。歌舞伎関連で折口信夫の文献を当たる場合、芸能史関係の著作だけ当たればそれで良いということはなく、それ以外の文献も努めて読まねばなりません。と云うのは、全然歌舞伎と関係のない論考のなかにも、不意に「芝居で云えば・・・」という脱線が挟まることがあって、しかもそれがとても興味深いからです。折口の芝居好きがしばしば顔を出すのです。折口の国文学講義を聴講した当時の学生達も、「また先生の芝居噺が始まった・・」とクスクス笑ったのではないでしょうかねえ。

例えば「山のはなし」(昭和13年・折口信夫全集・第15巻に所収)は、冒頭は師・柳田国男の「遠野物語」との関連で始まりますが、話しが演題とは全然別の方向へ向かいます。これは講演筆記であるせいでしょうか。この頃(昭和13年のこと)、日本の珍しい民俗芸術を海外に紹介しようという試みが盛んに行なわれるが、我々日本人にさえ本当に分かっていないものを、予備知識もない西洋人に見せても、我々とは別のものを感じるにちがいないので、彼らはただ奇異な感じを持つだけだろうと云うのです。

『先頃も、菊五郎のあの鮮やかな踊りを見せたらどんなに驚くだろうと映画に撮ったのですが、出来上がったものはグロテスクで、西洋に出すことを止めたという話しがありますが、今まで西洋へ出しているものは大抵そういうものが多いので、浮世絵なども盛んに輸出されましたが、あれは、日本人がまだ従来の生活との結び付きを考えない前に出て行ったので、その鑑賞法は、西洋で一定の組織をもつて、逆に日本に入ってきたものを美術家が適用に整理しただけなのですから、今の鑑賞法が日本人独特のものかどうかは疑わしいと思います。』(折口信夫:「山のはなし」・昭和13年)

ここで折口が云う「六代目菊五郎の映画」と云うのは、昭和10年(1921)に松竹が小津安二郎監督で撮った・有名な「鏡獅子」の映画のことを指しています。この映画は、試写会の時に菊五郎が気に入らず・途中で会場を退出してしまい、菊五郎により公開差し止めがされて生前は公開されなかったものでした。六代目の鏡獅子と云えば、当時歌舞伎舞踊の最高の呼び物でしたが、ここで折口から「グロテスク」という言葉が出て来るので、ちょっと驚いてしまいました。もちろん六代目の踊りの魅力・日本舞踊の魅力を折口が知り尽くしたうえの発言だと云うことを理解せねばなりません。「もし予備知識がない外国人が六代目の鏡獅子をみたらグロテスクに感じるかも知れない」と折口は云うのです。

そこで「鏡獅子のグロテスク」と云うことを考えてみます。まず思うには、男の踊り手が娘の格好をして踊ることのグロテスク・つまり女形が持つグロテスクと云うことがあるでしょう。「鏡獅子」の筋立てを考えれば、前シテの可愛らしいお小姓(女)が後シテでは勇壮な獅子(男)に変化することのグロテスクと云うこともあります。もうひとつ、跳躍・回転が多く・動きがダイナミックで開放的な西洋バレエと比して、表現が内へと内へと向かう前シテの弥生の踊りは閉鎖的で・ちょっと淫靡な印象を受けるかも知れませんねえ。画面がカラーでなくて・モノクロームであることも影響するとは思います。多分これがグロテスクだと云うことでしょう。これと較べれば後シテの獅子の踊りは動きがあるから受けたでしょうが。

もうひとつ、「グロテスク」ということの意味を考えて見なければなりません。グロテスクと云うと、一般に奇怪であるとか・醜い・異様・気味が悪いとか、ネガティヴな感触に捉えることが多いと思います。しかし、芸術表現上のグロテスクと云うのは、既成概念としての美のイメージに乗ってこない「意外の美」、常識に捉われないところでリスクに掛けた「挑戦の美・新奇の美」というところも含むので、必ずしもネガティヴなものばかりでないことを申し添えます。それは紙一重でポジティヴな感覚にもなるのです。

そんなところから江戸期の民衆にとって、生活のなかに溶け込んで・日用品みたいにツマラヌものに思われていた浮世絵の美が、西洋人によって「発見」されて、その見方が日本に逆輸入されて・日本人に浮世絵が「再発見」されることになるわけで、今では日本人がそんな見方で浮世絵を有難がって見ていますが、折口に言わせれば、そんな実際の生活とかけ離れたところで浮世絵の美を考えてみても、それがホントに日本の美の発想なのかどうかは分からぬと云うのです。六代目菊五郎の「鏡獅子」のグロテスクとて同じことで、もはやかつての生活感覚が失われてしまった日本人にも、そのように見えているのかも知れませんね。さらに折口の文章を見ます。

『お能なんかも西洋人が感心はしますが、しかし、その感心は、ちょうど今の若い人が感心するのと同じ程度で、本当にお能が分かって感心するのではなく、西洋人の立場から感心しているだけに過ぎないので、何か分からないがシンボリックな(象徴的な)効果があると感じる。本当にお能が分かれば、象徴的だとは思わないはずです。分からないから象徴的だと思うのでしょう。日本人でも現代の若い人たちは大抵その程度のようです。』(折口信夫:「山のはなし」・昭和13年)

これはまた随分と手厳しいことを仰ると、笑ってしまいますねえ。西洋人がお能をホントに分かっているのかは疑問だと言いながら、返す刀で現代日本人の方にも切りつけています。(折口が言っているのは、昭和13年時点の日本のことです。令和の現代ならば、状況はもっと深刻です。)確かに巷間、能狂言は象徴的な芸能である・無駄な動きを削ぎ落した極限の省エネ演技であるとか言われています。そのような宣伝をされているおかげで、「理屈ばかりでツマラナそうだなあ・・」ということで敬遠されて、能狂言は随分損をしていると思います。能狂言は「物真似尽くし」から始まったのですよ。物真似と云うのは、写実(リアリズム)ということです。これが能狂言の原点ではないのでしょうか。「象徴的」では、表現ベクトルがまるで異なると思います。(吉之助の、能狂言の表現に対する見方は、別稿「伝統芸能から何を摂取するか」をご参照ください。)

『どうしても、我々の持つ文化を外国へ紹介するのには、相当な研究を積んで、たとえ粗雑であろうと、ひとまず組織(理論)をつけてからでないと、むしろ、逆な予期しない結果が生じはしないかと思うのです。』(折口信夫:「山のはなし」・昭和13年)(この稿つづく)

(R3・10・10)


2)概念は鑑賞の邪魔になる

前章に引用した「山のはなし」を最初に読んだ時に、吉之助は折口が突然「鏡獅子のグロテスク」なんてことを言い出した意図が俄かに理解出来なくて、何度も読み返したのですが、まずは、「日本文化を舶来の感性・概念で解釈するのを無条件で有難がっちゃ駄目だよ、日本人は古来生活と結び付いた強固な感性を持っているはずだからね」と折口は言いたかったと理解することにしました。次に引用する「古代の顕現」は折口信夫の昭和15年の文章で、客と主人(これは折口自身でしょう)との対話形式で書かれています。この文章が、どうやら前掲の「山のはなし」の補足になりそうです。

『古代の人は、山茶花が咲くと、宗教を思うたのです。冬が来ると激しく宗教が心をゆするのです。そこへ山茶花が咲く。・・・(中略)古代にとっては、これほど鮮やかな現実はなかったのです。この意味の現実は、今でも観じ得る人が沢山いるのです。この文化社会にも住んでいます。年中行事、つまり周期的に行なわれている特殊な行事ですね。門松を立てるとか、盂蘭盆に仏の棚を飾るとか、七夕祭りをするとか、いろいろあるでしょう。みな古代生活を回顧しているのです。(中略)ワビとかサビとか、そんな人工的な考えから出発した特殊人の見方よりも、ずっと自然に日本民俗の生活のなかに育まれてきた情熱の表現様式があることが言いたいのです。(中略)中間の割り込みは、やっぱり割り込みなのです。だから武家時代よりも前、しかも古代から、ワビだのサビだの、あるいは優美だの、幽玄だのを感じることが出来たと言うのは、よくありませんね。(中略)私にはわかりませんね。明治以後の生活様式が、夢にも訪米諸国の文化を頭に考えなかった中世古代の生活のなかにあったと言えますかな。それを取り込んで、日本式にひき直すものは、日本に固有したと言うことは出来ますがね。それとは違いますよ。ワビやサビが、隠者とか茶とかが現れない前から感じられていたなどと考えることは出来ません。』(折口信夫:「古代の顕現」・昭和15年11月)

折口はここでも、ワビとかサビのような日本文化を論じる最重要キーワードとされる概念を、「人工的な考えから出発した特殊人の見方」だと切り捨てています。これらは室町中期の禅宗的な感性を日本式に焼きなおしたようなもの。いずれにせよ日本古来のものであるとは云えないと、折口は言うのです。だから、「日本文化を舶来の感性・概念で解釈することを排除して、もっと日本独自の感性で読むことをしましょう」という風に文章を読むことも出来ます(昭和15年と云うことを考えれば時代の雰囲気が察せられます)が、もうちょっと別のことが折口は言いたいようです。

「折口の文章は回りくどくて、これだから嫌い」と感じる方もいらっしゃることでしょう。吉之助は折口の文章の、そんなところが好きなのですがね。恐らく次の文章が折口がホントに言いたい箇所ですが、ここでも詩的表現のなかに折口が言いたいことが埋もれてしまっているようですね。

『・・とにかく山茶花は、昔のツバキなのです。この山茶花を見ていますと、この花に対して、いまだに古代風な考えを述べることの出来る人々の居ることを思うのです。こういう人の多いことが、日本民族の強みなのです。(中略)ところで又、山茶花ですが、これが咲くと、この花の包蔵している古代の知識が、ぱつと人々の心に開くのです。その都度忘れてしまう知識が、また花の咲く度毎に思い出されるわけです。こういう知識が常に記憶の下積みになっているのです。それが冬になり、昔ツバキの花をとりかざした頃が来ると、漠然とした形で、古い文化を持っている農山漁村の人々の記憶の幕の上に現れて来るのです。』(折口信夫:「古代の顕現」・昭和15年11月)

吉之助が上掲の文章を読んだ時に、頭にパッと浮かんだのが、次の小林秀雄の文章であるので、それも引用しておきます。折口は古代の知識とか・日本民族の強みとか言っていますが、小林の文章の助けを借りれば、折口の言いたいことは、実にシンプルに還元できます。それは「冬がやって来て、また山茶花の花が咲いたら、この花を見て古代の人々が感じてきたことを想像してください、そこに古代からずっと繋がっている日本のこころがあるんです、そのことを素直に感じてください」ということだけのことです。

『言葉は目の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花が咲いているのを見たとする。見ると、それはスミレの花だと分かる。「何だ、スミレの花か」と思った瞬間に、諸君は花の形も色も見るのをやめるでしょう。スミレの花だと分かるということは、花の姿や色の美しい感じも、言葉で置き換えてしまうことです。言葉の邪魔の入らぬ花の美しい感じを、そのまま持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君にかつて見たこともなかったような美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。画家は皆そういう風に花を見ているのです。美しいものは諸君を黙らせます。美には人を沈黙させる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。絵や音楽が分かるということは、こういう沈黙の力に堪える経験をよく味わうことに他なりません。』(小林秀雄:美を求める心・1957年)

美しい絵画を前にして、「何だ、スミレの花の絵か」と思った瞬間に、花の美しさは「スミレの花」という概念に置き換わってしまう。それで何だか絵が分かったような気分になってしまう。そういう苦い失敗が、誰にでもあるものです。この絵の題材は何を意味している(作者の意図は何か?)、この絵の構図はどうか(どんな技法が使われているか?)、この絵の色使いはここが面白い(このセンスは真似できない)、そんな解説を聞いて絵が分かった気になってしまうのです。もちろんこのような解説も役に立ちます。しかし、こうした解説を真の意味で役に立てるためには、順番が大事なのです。まずは「花の美しさ」の本質をじっくり味わう、その後でのことです。大事なのは、イエスが野の花を指差して「栄耀栄華を誇ったソロモンでさえ、この一輪の野の花ほどにも着飾ってはいなかった」と語った、謙虚なその花の美しさを、自分の素の感性で以て感じることです。そのように美を見るのでなければ、概念は却って鑑賞の邪魔になってしまいます。鑑賞が絵を概念に当てはめて読むだけの行為に化してしまいます。

ここで「かぶき的心情の研究」で、道徳の発生に関連して折口が展開した「憤(いきどお)り」論へ立ち返りますが、ここで折口が度々使用する「神の怒り」とか・「原罪」・「贖罪」のような言葉に捉われてしまうと、そこから思考が前に進みません(民俗学での折口関係の論文を眺めるとそういう箇所で思考が止まっているものが少なくないように思います)ので、これらの言葉を思い切って捨て去ることが必要です。そして「神の起こす震動に対してただひたすらに畏れ入り、さらにその震動を自分のものにして共振していく古代人の気持ち」だけ、シンプルに受け取るようにしていただきたいと思います。神と古代人の関係を考えるためには、生まれたばかりの赤ちゃんと親(特に父親ですが)との関係を思い浮かべてみることが、恐らくもっとも早道です。

尚、本稿冒頭に引用した「鏡獅子のグロテスク」と云うことも、「もし予備知識がない外国人が六代目の鏡獅子をみたらグロテスクに感じるかも知れない」という以上のことを、折口は言いかったに違いありません。「グロテスク」の概念を取り払ったところから改めて六代目の「鏡獅子」の映画をシンプルに見直せば、そこから古代へと遡る「お神楽」系統の獅子物舞踊の流れを読み取ることも出来るわけです。これについては別稿「獅子物舞踊のはじまり」をご参照ください。

(R3・10・23)




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