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かぶき的心情」の研究(2)

「この清い私を見てくれ」

*本稿は「かぶき的心情」の研究(1)〜「憤(いきどお)る心」の続編です。


1)理不尽に怒る神

『自分の行為が、ともかくも神の認めないこと、むしろ神の怒りに当たることと言う怖れが、古代人の心を美しくした。罪を脱却しようとする謹慎が、明く清くある状態に還ることだったのである。ともかく善行―宗教的努力をもつて、原罪を埋め合わせて行かねばならぬと考えている所に、純粋の道徳的な心が生まれているものと見なければならない。それには既に、自分の犯した不道徳に対して、という相対的な考えはなくなって、絶対的な良いことをするという心が生まれていると考えてよいのである。』(折口信夫・「道徳の研究」・昭和29年)

折口信夫は、唐突かつ理不尽に怒る神についてたびたび言及しています。(ここでの怒りは憤りとほぼ同義であるとお考え下さい。)例えば、地震・台風・洪水・旱魃・冷害などの自然災害が、そう云うものです。このような時、古代人は神の怒りを自らのものとして、自分の内部にこれを封じ込めて黙りました。ただ上を向いてひたすら耐えたのです。「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。

ここは誤解を産みやすいところですが、これは神の理不尽な怒りに古代人が恐れ慄いて、有無を言わさず神の足元にねじ伏せられたと云うことではないのです。そのように読んでしまい勝ちなのは、ひとつには折口の曖昧な書き方にも原因があります。折口は、「怒り」と「憤り」と、二つの語を厳密に使い分けていないようです。どちらの語も同じ感じで使っています。上掲文でも「憤り」ではなく・「怒り」という言葉を使っているために、余計なことを考えさせます。加えて「原罪」という語が出て来るのが、さらに理解をややこしくします。このため読みようによっては、「神の怒り」が、怒る理由が何か先にあって、神がそれに向けて警告あるいは罰として怒りを発する感じに読めないこともありません。しかし、そのような意図は、折口には全然ないのです。他に適当な語が見付からないので、折口はとりあえず怒りとか憤りと云う語を使っているに過ぎないのです。古代人は罪の判断基準をまだ持っていませんでした。古代人が自分に罪があるか自分自身に問うこともありません。ですから神は、自らの怒りや憤りを、何かの警告あるいは罰として発するはずがありません。

折口の「憤り」が、怒りだけを云うものではなく、喜び・笑い・悲しみ・苦しみ・妬み・恨みなど、その他の感情もすべて包括したところで、胸がどきどきする程感動することを指すことを、前稿憤(いきどお)る心」において考えました。しかし、後世の折口研究文献を眺めた感じでは、それでもなお折口の「憤り」は怒りを主感情とすると考えるものが少なくないようですねえ。これでは論旨があらぬ方向に向いてしまうと思います。吉之助は、折口の「憤り」論の原点を考える時には、怒りや憤懣の要素は、あらかじめこれを排除して考えた方が理解の通りが良くなると考えます。

例えば問題となるのは、「道徳の研究」(昭和29年)において、田植えの時期の謹慎生活とは田の神スサノオが犯した「天つ罪」を、古代の農民が購(あがな)うための行為であったとした点です。スサノオ自身の罪であるものを、これと全然無関係あるはずの古代の農民が、何故これを「原罪」として償わねばならぬのかという素朴な疑問が生じます。これは折口が「原罪」とか「購う」という語を使うので・読者はその語に気を取られて、そのような余計な疑問を呼び起されてしまうのです。

スサノオは、天照大神の大嘗をきこしめすために作っていた田を荒らし、斎服殿(いみはたどの)へ斑駒(ふちこま)を剥いで投げ込んだりして、高天原に大騒ぎを引き起こしました。これがスサノオの「憤り」ということです。しかし、折口によれば、それは田の神であるスサノオが行なう自然な行動(田遊び)に過ぎませんでした。スサノオの遊びは、まったく悪意のないものでした。それは、砂浜で自分の足音を察して一斉に逃げ散る蟹の群れの動きを見て、嬉々としてこれを踏み潰す子供の遊びと同じ、無邪気なものだと考えれば良いのです。それは第三者から見れば、粗暴極まる行動に見えたのです。しかし、多分、スサノオは遊びの力加減が分かっていなかったのです。心のまま自由に振る舞うことが、他人を傷付ける場合もあることがまだ分かっていなかったのです。ただし、暴れている時のスサノオの気分を云うのならば、怒りというものではなく、これは喜び楽しみであったことは、明らかです。スサノオが発する「憤り」とは、そのようなものです。それゆえ第三者から理解できない行動に映ります。

ところが、このスサノオの行動が高天原で問題視されて、スサノオは高天原から追放されることになってしまいました。スサノオは、自分がどうして怒られているか、どうして自分が高天原を追われなければならないか、その理由が理解できなかったでしょう。つまり高天原からの追放は、スサノオにとっては理不尽なものでした。

スサノヲの行動は、田の神であるスサノオが行なう自然な行動に過ぎませんでした。田遊びとは田の神と精霊との「そしり」と「もどき」の応酬(掛け合い)であり、それ自体はまったく悪意がないものです。このような掛け合いのなかからその後の田楽など芸能神事が生まれたことはご存知の通りです。(別稿「悪態の演劇性」をご参照ください。)

『日本で「すさのを」を田の神としたのは、かなり長い間であった。これについては、いろんな矛盾があるが、それは田の神の神遊びに神と精霊との対立が行なわれていたのが、その二者の役割に混乱を生じたためである。つまりこの意味で田遊びは複雑なものであって、田の神であった「すさのを」が精霊にいうて聞かせる行事が、逆に「すさのを」のやったことになったのである。こんなことはいくらもある。表面からいうと、「すさのを」は天つ罪を犯した最初の人となっている。しかし、なにゆえに地上の人々がその罪を背負わなばならなかったか。古い学者には分からなかった。』(折口信夫:ノート「日本芸能史」〜「天つ罪」・昭和3年頃)

『いったい「すさのを」という人は、その点からみると、田を荒らすもののように見えるが、昔の日本の人の考えでは、神と精霊の対立しか考えられぬので、何でもそれでしか解釈できぬ。斎服殿をたてるのは田の神を迎える話しで、そして田の神を待っているのだ。田の神は性欲の盛んな神である。そのために大神(天照大神)なり、「わかひるめ」なりが死んでしまわれたのである。そこへ更に、狼藉者の精霊の話がまじってきているのである。すなわち、田の神というのには二種あることになる。田の精霊と、それを抑えつける水の神とである。水の神は時期を決めてやってきて、田の精霊に田を治めることを命令する。』(折口信夫:ノート「日本芸能史」〜「天つ罪」・昭和3年頃)

ここでは折口の思考回路が、先へ行ったり・元に戻ったり、クルクル転回しているように感じられます。逆から論理を遡ることもあります。これは口述筆記であることも多分に影響しています。だから折口の思考の筋道を、注意深く読み解いていかねばなりません。「天つ罪」は「雨つつみ」を語源とするもので、古代の農民が田植えに際し禁欲生活を強いられたこと(慎む)から発したものだと云われています。田植えに際し慎むということが何を意味するかはお分かりかと思いますが、それはひたすら雨を待つということです。稲作で最も大切なことは、田植えの時期に田んぼを整えるために十分な雨が降ることです。上述の通り長い歳月に役割の混乱を生じてはいますが、本来のスサノオは精霊に云うて聞かせて抑えつける役割、つまり水の神でした。

稲作に従事する限り、田植えスサノオの力を借りなければ出来ぬことでした。と云うよりも、スサノオと一体にならねば、田植えはならぬことでした。田遊びは田の神としてのスサノオの職務でした。にもかかわらず、理不尽にも、高天原からこれを罪だとされてしまったということは、つまりスサノオは古代の農民たちの田んぼを守るために高天原を追われたようなものなのです。それは農民にとって、田植えすること(稲作)を、高天原から罪だとされたも同然です。とても理不尽なことです。そこからスサノオの罪を自らの罪と同一視して、これを贖おうという古代の農民の発想が生まれて来るのです。折口が言いたいことは、そう云うことです。このことを折口は「原罪」と表現しています。意味が後付けされているわけです。

スサノヲは、代表的な荒ぶる神でした。このようにスサノオが発する無邪気な「憤り」から怒りの要素をできるだけ排除して・喜び楽しみの要素で捉え直すことで、スサノオが行なう田遊びが、やがてその後の田楽など芸能神事へ連なっていく筋道が、スッキリ見えて来るものと考えます。(この稿つづく)

(R3・7・31)


2)「この清い私を見てくれ」

別稿「をむなもしてみんとて」において、折口信夫の「女歌」(女性が作る短歌)についての考察を取り上げました。折口は、昔の和歌の・男歌と女歌はとても違ったものだったということを言っています。これを吉之助なりの理解で書くと、次のようになります。大昔の祭りにおいては賓客(まれびと)を饗応(もてなす)する場合に、その役を村の処女が勤めるのです。まず男からそのなかでの一番の女を選びます。何によって選ぶ かというと、歌で以って掛け合う。それに女が歌で答える。その掛け合いに負ければ女はその男の言うことを聞かねばなりません。(この辺りは別稿「悪態の演劇性」で触れた「そしり」と「もどき」の関係にも当てはまります。)

好きな男が仕掛けてくるならば・なびいてしまえばいいじゃないかと思うけれども、そう簡単にはいかないのです。それでは「女がすたる」。昔の貞操観念は神様に対するもので・人間に対するものではなかったと折口は言います。「みさを」という語は古くは神様に「見てくれ」と言うという意味なのです。だから祭りのような公の場において神に対して自分の気持ちを見せるということになれば、簡単にそれを失ってしまうと不面目・不信仰ということになってしまうから、とにかく儀式では負けないように努める。どうしても勝とうとする。それで昔の女は歌の練習を一生懸命したのだそうです。そうやって女の歌の技巧は発達してきたわけです。

『昔の貞操観念は、神様に対する貞操観念で、人間に対する貞操観念ではない。「みさを」という語は古くは「みてくれ」という意義です。決して我々に近い時代に純化した考えの如きでない。見てくれということは、他人に対する外聞を構っているということで、それが「みさを」という言葉です。それを失えば、不面目、不信仰の人間になってしまうから、それほど村から恥を蒙ることはない。』(折口信夫・女流歌人座談会・座談会「女歌について」・昭和8年1月)

本稿では女歌のことは、論旨からはずれます。本稿で大事なことは、「みさを(操)」ということです。「みさを」ということは女にとって大切だと思いますが、特に女に限ったことでもありません。男にとっても大切なことなのです。「みさを」という語は、古くは神様に「見てくれ」と言うという意味でした。だから簡単にそれを失ってしまってはならないと云うことです。ここで折口が「不面目」とか「不信仰」とか「恥」とかいう語を使うので、また要らぬ疑問が湧いてくるかも知れませんが、そのことはちょっと置いて、初期段階においては、古代人はまだそのような判断基準を持っていなかった時期があったと想像してみてください。

神は、理不尽な憤りをしばしば・しかも唐突に発します。震・台風・洪水・旱魃・冷害などの自然災害もそうですが、不慮の事故や病気なども含まれると思います。このような時、古代人は神の憤りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただ上を向いてひたすら耐えたのです。「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。これが「みさを」の原点の感じ方です。このようなピュアな気持ちから信仰が生まれます。

次いでに云えば、こう云う気持ちは日本独特なものでも何でもありません。2010年のシーズンですが、リッカルド・ムーティがシカゴでヴェルディの「レクイエム」を振った時、リハーサルでムーティはオーケストラ・合唱団の面々に次のようなことを語っていました。

『このヴェルディの「レクイエム」で、我々イタリア人は、神に救いを求めているのではないのです。我々は、神に要求するのです。我々人間を創造したのは、神よ、あなたです。ならば、そのようにしてください。・・』

ムーティが言うのは、神にその理不尽さを抗議するという意味ではありません。一神教であるからそのように読む人がいるかも知れませんが、神と人間を対立構図に見ているわけではありません。そのピュアな気持ちを素直に読んで欲しいと思います。「ならば、そのようにしてください」とは、この世をあるべき・正しい姿にしてくださいということです。そのようなことを神に言えるためには、まず自分自身が清くなければなりません。「神よ、この清い私を見てくれ」という強い気持ちがなければ、そのようなことは決して言えないのです。そこから信仰心が生まれます。

このような「神よ、この清い私を見てくれ」というピュアな気持ちが、どこから生まれるのかと云うと、物事の有り様を受け取って・これを「あはれ」として深く味わって、そこから感じたドキドキした心の振動を、自分のなかで共振・増幅させていくことによって生まれるわけです。ここで前稿「憤(いきどお)る心」で考察した折口の「憤り」の概念が絡んで来ることになります。つまるところは、「もののあはれ」から生まれるものです。

ですから「この清い私を見てくれ」というピュアな気持ちは、この世の有り様・日々の生活のなかから、喜び・笑い・悲しみ・苦しみ・妬み・恨みなど、すべての人間感情を包括して、「もののあはれ」を受け取って深く味わい、自分のなかで共振・増幅させていくことでしか生まれないのです。(この稿つづく)

(R3・8・3)


3)我々を裏切らない神

大事なことは、神の前において「この清い私を見てくれ」とする気持ちは、ひたすらに無私なものであるということです。「私」を見てくれと言うのだから・これこそ「私」の顕示そのものではないかと思うかも知れませんが、そうではありません。これは、神の前に自分の裸を晒して「どうにでもしてくれ」と言ってひれ伏すに近いものです。だから完全に「私」を捨てているわけです。そこまで「私」を捨てるには、自分に「私は清廉潔白な身であり、そのような仕打ちを受ける謂われは決してない」という気持ちがないと出来ないと思います。だからこれはやはり「私」の顕示そのもののように見えるかも知れませんが、それでも尚その気持ちに「私」はないのです。言い換えれば、これは神に対して全面の信頼を置いているということでもあります。神は決して私を裏切らないという絶対的な確信が、そこにあると云うことです。

この点は分かりにくいかも知れませんけれども、「かぶき的心情」は「無私」と云うところが大事なことになりますから、この点を曖昧に置いておくわけに行きません。神の前において「この清い私を見てくれ」とする気持ちは、ひたすらに無私なものです。そこには神は決して裏切らないという絶対的な確信があるのです。この確信こそ信仰心の根源です。やがて人間が「個」を持つようになると、気持ちのなかに・どうしても「私」が入り込んでしまいます。だから「この清い私を見てくれ」とする気持ちから「私」を取り除くことは出来ないように思うでしょうが、それは信仰が確立して、神と私とを対立概念に置くようになって以後のことです。信仰心が確立される以前においては、「この清い私を見てくれ」とする気持ちは、ひたすらに無私なものでした。

「個」が未分化の状態である・赤ちゃんの心の状態を想像してみてください。赤ちゃんは、生命の存続を全面的に親に頼るしかありません。赤ちゃんが親を疑うことは決してありません。親は決して裏切らないという絶対的な信頼がそこにあるはずです。現実場面では、哀しいことに赤ちゃんも育ってくると、多かれ少なかれ、だんだんそうではない場面にも出くわすことになって行くかも知れませんが、そうした軋轢のなかでだんだん赤ちゃんのなかに「個」が生まれて行くことになります。けれども、元々赤ちゃんは、ひたすら無私な存在なのです。赤ちゃんの心の出発点の状態を想像してみれば良いのです。

話しが変るようですが、次のジャック・ラカンの文章をご覧ください。

『皆さんが人間の思想の発展の、まさにこの現代の時点に生きているという事実、それだけで皆さんはデカルトの思惟のなかではっきりと厳格に述べられている事柄、つまり「我々を騙すことはあり得ない神」という考えから逃れることは出来ないのです。このことは、まったくの真実なので、あのアインシュタインほどの明晰な人物でさえ、その象徴的次元のことを取り扱っている際に、神のことを頭に浮かべていたのです。彼はこう言っています。「神は意地が悪い。しかし、神は裏切らない」と。現実はそこに入り込むことが如何に困難であるとは言え、私たちを裏切ったり、故意に私たちに一杯食わせることはないという考え方は科学の世界の構成にとって欠く事のできないものです。』(ジャック・ラカン: 「騙さない神・騙す神」〜「精神病」)

ラカンは「我々を騙さない神、裏切らない神」という信仰が科学の基礎であると云うのです。神がわざと実験を駄目にしたり、計器の数値を意図的にいじってトンでもないデータで我々を混乱させることなど決してありません。実験結果は、確かにそのようになるのです。ならないのであれば、やり方が間違っている。この確信が、科学の始まりであり、また信仰心の根源でもあるのです。

誤解がないように付け加えますが、それはキリスト教(一神教)信仰の考え方だろうと言う方がいるかも知れませんが、それは間違いです。多神教の場合でもこの「我々を騙さない神、裏切らない神」と云う考え方が科学の基礎になります。そのことは科学思想史の本でも読めば、お分かりになるはずです。18世紀頃までの科学的水準は西洋と東洋とはほぼ同等レベルであり、分野によっては東洋の方が先んじていたほどでした。西洋科学が飛躍的に進歩するのは18世紀末頃に 「我々を騙さない神」という信仰が啓明思想と結びついてからのこと(つまりほぼ産業革命と同時代のこと)です。むしろ科学優先の現代の方が歴史的に特異な現象であると言えます。

話を戻しますと、折口の場合にも(もちろん多神教の意味合いですが)「我々を騙さない神々」という確信があると思います。このことが折口信夫がしばしば使う「科学性」と云う言葉とも密接に絡んできます。もう一度、冒頭に掲げた折口の文章を読んでください。

『自分の行為が、ともかくも神の認めないこと、むしろ神の怒りに当たることと言う怖れが、古代人の心を美しくした。罪を脱却しようとする謹慎が、明く清くある状態に還ることだったのである。ともかく善行―宗教的努力をもつて、原罪を埋め合わせて行かねばならぬと考えている所に、純粋の道徳的な心が生まれているものと見なければならない。それには既に、自分の犯した不道徳に対して、という相対的な考えはなくなって、絶対的な良いことをするという心が生まれていると考えてよいのである。』(折口信夫・「道徳の研究」・昭和29年)

「神の怒り」が、怒る理由が何か先にあって、神がそれに向けて警告あるいは罰として怒りを発するように読めなくもありませんが、文中の「怒り」とか「原罪」という語をあまり強く読まない方がよろしい。むしろ「個」が未分化の状態である・赤ちゃんの心の状態を想像しながら読んでください。そうすると、「神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした」と云う文章が、スッと腑に落ちると思います。そこから道徳が生まれて来るのです。

(R3・9・24)

*「かぶき的心情の研究(3)」に続きます。




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