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六代目菊五郎の「鏡獅子」〜その発想のワープ

昭和10年(1935)・歌舞伎座・「春興鏡獅子」

六代目尾上菊五郎(小姓弥生・後に獅子の精)・小津安二郎監督


1)アシカの踊り

下戸の酒飲み話ですが、まあ聞いてください。随分前のことですが、吉之助は知人にさるバーに連れて行かれたのです。そのママが日本舞踊を習いたてということでありました。それで吉之助と何となく話があって、踊りの話をしていたわけです。ママが言うには、踊りのお師匠さんが「この役者さんの踊りはお手本になるから是非見ろ」というので・その人の舞台を見たのだそうです。彼女は踊りに定評のある歌舞伎役者の名前を挙げました。けれど「どこがいいのだか全然分からないの」とこう言うのです。吉之助が「身体を全然使わないで 手だけヒラヒラさせているように見えたのじゃないかな」と言うと、「そう、そうなの」と仰る。

そこで吉之助はちょっと講釈を垂れたわけです。その役者さんは身体を使っていないように見えたかも知れませんが、本当はその逆なのです。踊りの基本は腰が安定して・背骨がまっすぐになっていることです。両肩は動かないのが理想なのです。右腕を上げた時に踊りのできない人は一緒に右肩が上がってしまいます。すると、背骨が曲がってしまうわけです。踊りのうまい人は肩が上がりません。これは肩の動きを 逆に引いて止めるのです。身体を使っていないどころか・身体の動きをタメているわけです。これは技量がいることなのです。

とは言っても実際に踊りを踊ってみると、全然背骨や両肩が動かないわけでもないのです。しかし、そのブレが少ない踊りは見ていて安定感があります。踊りのうまい人は動きに無駄がなくて、ピタリと振りを決めて・次の動作にスッと入っていきます。うまい人の踊りは、力が入っていないように見えるものです。ところがしばしば誤解するのですが、「身体を使う」ということを目いっぱい身体を動かすことと混同してしまうのですね。 特に女形の踊りの場合は、なよなよしている方が女らしいと思っている人が多いので始末が悪い。これは身体の使い方の方向が違っているわけです。身体の軸がブレないように、手足の動きにつれて軸がブレないように身体を動きを減殺するのが舞踊の身体の使い方なのです。例えば菊五郎に薫陶を受けた現 七代目芝翫が菊五郎に「道成寺」を習った時の思い出を次のように語っています。

『金冠では「なるべく鳥帽子が前後左右に動かさないようにしなさい、ゆらゆらしてはいけない」と教えられました。(中略)もう一つ、帯の後ろの垂れが動くのを嫌いました。「もし横に飛び出したら、ここで入れろ」とか「こうやったら戻る」というのも教えてくれました。おやじ(菊五郎)は浴衣で踊らせておいて、それを見て全てがわかるんですよ。「ほら、その首が動くんだよ」「その足を使うから垂れが揺れるんだ」と指摘するんです。』(中村芝翫:「芝翫芸模様」)

つまり、手足の動きにつれて軸が揺れるのを戻す動きを身体の方でしているのです。身体を使っていないのではなくて、身体の動きをタメるという動きをしているわけです。「もし(帯の垂れが)横に飛び出したら、ここで入れろ」とか「こうやったら戻る」というのはそういうことです。

まあ、そのようなことをママさんに申し上げたのですが、分かってくれたかな。吉之助が舞踊を見る時の目の付け所はこういうところにあります。このことは日本舞踊だけではなくて・西洋のバレエでも基本は全く同じです。

そこで六代目菊五郎の「鏡獅子」のことです。菊五郎が踊りの名手であるということを書いている本はいくらもありますが、どんな文章よりもこの映画は菊五郎の踊りの秘密を明らかにしてくれます。たとえ一本だけでも、こうした映像を遺してくれたのは有難いことです。

菊五郎の「鏡獅子」の映像を初めて見た時の衝撃は忘れられません。 「まるで舞台に根が生えたような」と言いたいような・どっしりとした安定感です。身体の軸が全然ブレません。つまり、腰が安定していて・背骨や肩が揺れません。押しても揺れないように見えます。そして、その安定した軸から手の振りがヒラヒラと出るわけです。何だか「身体を使わないで手だけヒラヒラさせている」ように見えるのだけれど、これが本物の舞踊なのだと思いました。こんなに凄い映像はないと思います。

批評家・岡鬼太郎が、昭和10年頃・つまり菊五郎全盛期の舞台批評において、菊五郎の踊りのことを「アシカの踊り」とクサしておりました。アシカの踊りとは言い得て妙で・思わず笑ってしまいましたが、しかし、もしかしたら岡鬼太郎は舞踊が分かってないのでないかと吉之助は密かに疑っておるのです。


2)小津のカメラワーク

この菊五郎の「鏡獅子」ですが、菊五郎自身は気に入らなくて・その生前に映画が公開されることはなかったそうです。十七代目羽左衛門の思い出話によれば、試写会の時に前の方で見ていた菊五郎は途中で席をスッと立って出て行って、それっきり戻りませんでした。通路を出口の方にスタスタ歩いて行って、後ろの席で見ていた羽左衛門の横を通り過ぎる時に「衛(まもる)、俺はあんなに下手か」と言ったそうです。(衛は羽左衛門の本名)

菊五郎はこんな凄い踊りのどこが気にいらなかったのでしょうか。完璧に見える踊りのどこが気にいらなかったのでしょうか。天才の考えることはまったく見当が付きません。しかし、羽左衛門はこんなことを言っておりました。カメラが菊五郎を斜めから撮ったのが気に入らなかったのだろう・踊り手はつねに正面の形を意識しているものだから・斜めからだとどうしても隙がみえてしまう・それが嫌だったのではないかというのです。

この「鏡獅子」の監督は小津安二郎です。吉之助はこれが小津映画の特徴だと思っているのですが、それはカメラを役者に正対させて撮る場面が多いことです。対話のシーンなどは、向かい合った役者が台詞を言う度にカメラがそちらに切り替わります。カメラに向かって役者がつねに正対して台詞を言うわけです。カメラを相手の目に見立てているのです。このカメラワークで日本間の空間の狭さをカバーしたのでありましょう か。

「鏡獅子」の監督が小津に決まった時に、もしかしたらそれは菊五郎の指名かも知れませんが、菊五郎が小津に期待したことは自分の踊りに常に正対した形でカメラを向けてくれることではなかったでしょうか。実際の劇場での上演では、観客のひとりひとりは客席に固定されているわけですから、踊り手を前から見ることもありますし・右斜めから見ることもあるし・左斜めから見ることもあるわけです。しかし、踊り手の意識は常に正面にある・正面から見える形を意識して最善の形を決めている・・・とすれば、踊り手の願望を実現してくれるのは、踊り手の動きを追ってつねに正面に回って動いてくれるカメラ・ワークではなかったでしょうか。

吉之助が見た感じではこの「鏡獅子」のカメラワークはどちらかと言えばドキュメンタリー・タッチなのです。対象に距離を置いて・冷静に撮っている感じがします。まあ、劇場の空間を感じさせてこれも悪くはないとは思いますが、こんなアングルから撮らないで・もう少し真正面から菊五郎を撮ってくれないかねと思う場面は確かにあるようです。「東京物語」みたいに撮ってくれれば良かったのに。


3)獅子物のワープの発想

「春興鏡獅子」(明治26年・作詞福地桜痴)は、九代目団十郎が娘(初代市川翠扇)が「枕獅子」を練習しているのを見て思いつき・傾城を御小姓に変えて「鏡獅子」を仕立てたものと言われています。団十郎は立役でありますから、優美な小姓が一転して・後シテで勇壮な獅子に姿を変えて豪快に毛を振り回す・そのイメージの変化がこの作品の「売り」なのです。「鏡獅子」は千代田城大奥に仕える御小姓が踊りを踊りますが・彼女に獅子の霊が乗り移ってしまって・獅子に姿が変えられてしまうという粗筋になっています。この設定は「変化物・変身物」のようで本当はよろしくないと吉之助は思っています。

「枕獅子」の場合であれば、前シテの傾城と後シテの獅子の関連は明瞭ではありません。同じ役者が演じるのですから傾城と獅子は同一の存在とも言えるし、姿が違うのであるから同じではないとも言えます。「同じであって・同じでない」という所に獅子物の妙味があると吉之助は思っています。そこに発想をワープする面白さがあるのです。前シテの傾城はその本質をアウフヘーベン(止揚)させて後シテの獅子となるのです。それは本質が同じものであっても、決して同じものではない。「鏡獅子」での獅子の霊がとり憑いて・可愛い女性が獅子になってしまったというのは納得できる説明かも知れませんが、何となく理につき過ぎて詰まらない。もし「鏡獅子」が新作舞踊ならば、吉之助はこの設定を批判してしまいそうです。しかし、逆に言えば、これはいかにも明治の新作舞踊だからこその設定だとも言えます。

実は菊五郎の「鏡獅子」はこの部分が面白いのですね。手獅子がひとりでにパクパクし始めて・ハッとして止めようとしても止まらず・あせればあせるほど別の次元に引き込まれていく、この過程を菊五郎はリアルに迫真の緊迫感で見せてくれます。この映画はもともと日本文化の紹介目的で・外国人向けに制作されたものですが、菊五郎の演技なら外国人にも・この世のものでない何物かが彼女に憑依したことが見ただけで理解されましょう。

フランスの詩人ジャン・コクトーが世界一周の旅に出て、その途上日本を訪問したのは昭和11年(1936)5月のことです。この時にコクトーは東京・歌舞伎座で、六代目菊五郎の「鏡獅子」を見て、その感動を次のように記しています。

『歌舞伎は祭祀的だ。かれらは演技し、うたい、伴奏し、奉仕する司祭だ。/ だがこれを宗教劇と混同してはならない。/われわれは歌舞伎において、宗教劇ではない宗教と、その祭祀に接するのだ。/菊五郎はひとりの司祭だ。』

吉之助が思うには、このコクトーの感動は、前シテの踊りからだけでも・後シテ の踊りからだけでも引き出されるものではないのです。それは前シテと後シテとの関連において出てくるのです。何物かが彼女に憑依したということを、コクトーは見取ったでしょう。菊五郎扮する小姓弥生が獅子の精に引き込まれて本舞台から花道に走り入り七三で倒れた時、コクトーは思わず席から立ち上がってしまったそうです。コクトーの鋭い感性は、獅子物の前シテと後シテとの発想のワープの面白さを嗅ぎ取っています。獅子物の祭祀的な意味合いはそこから出てくるのだということをコクトーは看破しています。

もしコクトーの見た舞台が「枕獅子」であったとしたら、これをコクトーはどう見たでしょうか。さすがのコクトーも前シテと後シテの関連を容易には理解し得なかったかも知れません。「前シテと後シテは同じ人物なのか」と聞いたかも知れません。やはり「鏡獅子」での「彼女に獅子の霊が乗り移った」という設定が、(吉之助には理についたものに感じられま したけど)外国人への獅子物理解の指針としては分かりやすくなって・それなりの役目を果たしたのだなあとも思うわけです。そう考えて見ますと、「鏡獅子」の「鏡獅子」たる発想はやはり小姓弥生が手獅子に操られていく憑依の瞬間にあるということを改めて感じるのです。

これはある意味において菊五郎と言う役者の「近代性・科学性」に関連する問題であるかも知れません。そして、外国人に歌舞伎を紹介するために・菊五郎はなぜ「鏡獅子」を演目として選んだのだろうかというところにも関連するように思います。やはり「鏡獅子」は選ばれるべくして選ばれた演目であったのです。

(H16・4・11)

(後記)

写真館「六代目菊五郎の鏡獅子」もご参照ください。





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