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五代目菊之助初役の盛綱

令和4年3月国立劇場:「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋」

五代目尾上菊之助(佐々木盛綱)、三代目中村又五郎(和田兵衛秀盛)、六代目上村吉弥(盛綱母微妙)、四代目中村梅枝(高綱母篝火)、初代中村莟玉(盛綱妻早瀬)、七代目尾上丑之助(高綱一子小四郎)他


1)菊之助初役の盛綱

今月(3月)国立劇場の「盛綱陣屋」は、盛綱を演じる菊之助が初役の他、又五郎・梅枝・莟玉も初役であるようです。10年後の義太夫狂言の行方を占うことができるフレッシュな顔触れですが、各人それぞれ気合いの入った演技を見せてくれて予想以上に纏まりが良く、今の段階でこのくらいのレベルの舞台を見せてもらえれば将来へ向けて期待が持てると嬉しく思いました。

さて菊之助の初役の盛綱のことです。残念ながら岳父(二代目)吉右衛門に役を直接教わることは叶わなかったようですが、故人が遺した盛綱の心情や演技について記した資料を元に盛綱を構築したとのことです。この数年菊之助はいろんな初役に挑戦し、なかにはエッと驚くような意外な役もありましたけれど、それらのどの役についても一定の成果を収めて来ました。これは驚くべきことですが、とりわけ今回の時代物の大役・盛綱は、今までの初役のなかでも群を抜いてしっくり行っている気がしますねえ。役者振りが役の大きさに負けていない。それは菊之助のニンが生締めの役どころに似合うと云うこともあろうけれども、この数年いろんな役に挑戦してきたことで、菊之助の役者としての器量が着実に大きくなっていることを如実に示すものです。岳父の死に決意を新たにするところもあったでしょう。学んだことをその通りしっかり形にして、自己流に崩すところがなく、見ていてほとんど文句の付けようがない仕上がりです。初役でこれだけの盛綱を演じるならば、上吉または上々吉と云うところです。もちろん「初役として」と云うことですけれど、菊之助は役者の道程を確実に歩んでいると思います。これで菊之助は、斎藤実盛や梶原平三なども射程圏内に収めたことになるでしょう。

そう云うわけで、現在の菊之助は型をその通り演じて・自分の肚にこれを落とし込む段階であるから、今はこれで十分過ぎるほどの成果であるけれども、菊之助の盛綱が今後回数を重ねていくうえで、どんなことを課題にして行けば良いかをちょっと考えてみたいと思うのです。

作家小島政二郎が大正13年(1924)9月東京・邦楽座で上演された「盛綱陣屋」での初代吉右衛門の盛綱について記した「乍憚劇評」(はばかりながらげきひょう)と云う文章がありまして、武智鉄二はこれを激賞して「当時高校生であった自分は批評精神の根本をこの劇評から学んだ」とまで書いています。この劇評では当時盛綱役者として並び称された、十五代目羽左衛門と初代吉右衛門を比較して論じています。

『(十五代目)羽左衛門(の盛綱)なら顔を真っ白に塗り立て、鬢は漆塗りでテカテカ光り輝いて、目ざめるばかりの美しさに舞台を一身に引き締める。が、羽左衛門の盛綱は、どこから見ても、悲劇中の人物とは思われない。そこへ行くと、(初代)吉右衛門は素顔に近い顔色をし、鬢も漆の黒光りでない為に、金襴の衣装ばかり光って、出は一向引つ立たない。舞台としては損かも知れないが、私にはこの方が親しい気がする。』(小島政二郎:「乍憚劇評」・大正13年)

初代吉右衛門の佐々木盛綱

ここで小島は「十五代目羽左衛門の盛綱は顔を白く塗る、初代吉右衛門は素顔に近い顔色(砥の粉)に塗る」と書いています。吉之助は初代吉右衛門の盛綱の舞台写真をいろいろ見ましたが、遺された晩年の映画(昭和28年・1953)も含めて、モノクロームであると顔色の微妙な具合がよく判別できません。上演年代によって化粧が微妙に変化することもあり得るので、ホントに初代吉右衛門の盛綱が砥の粉だとして良いか確信にまでは至っていませんが、武智も小島の劇評を引き合いに、「今の(九代目)幸四郎さんも(二代目)吉右衛門さんも盛綱をやる時白く塗ってはいけません」と書いたくらいであるから「そうだっただろう」と思っています。(武智の文章は吉之助編「武智鉄二 歌舞伎素人講釈」でお読みいただけます。)化粧の色は役の性根を暗示するものであるから、とても大事なのです。盛綱の化粧が砥の粉であると云うのは、どう云うことでしょうか。それは盛綱の性根が(優美さではなく)実事に根差すと云うことです。それが初代吉右衛門の盛綱なのです。

別に吉之助は盛綱の化粧に固執するわけではないのです。生締めの役どころは顔を白く塗るのがお約束と思っている方は多いでしょう。お約束とまで思いませんが、それはまあ良い。盛綱の顔が白塗りでも構いませんが、初代吉右衛門(播磨屋)の盛綱は実事に根差すと云うところは押さえておいて欲しいと思うのですねえ。(この稿つづく)

(R4・3・9)


2)菊之助の今後の課題

但し書きを付けますが、「生締めの役どころは優美ではいけない」と言うのではありません。十五代目羽左衛門のような風姿優れた役者が演じれば、優美さが際立つのは当たり前です。しかし、もし優美さが勝ち過ぎて、リアルな心情を覆い隠してしまうことがあるのならば、これはいけません。だから「生締めの役どころは優美ばかりではいけない」と云うべきでしょうか。菊之助の盛綱は、若手花形らしく見た目の風姿も爽やかです(その意味では優美であると云える)が、決して優美さに重きを置いてはいません。心情を描こうと努めていることは、舞台を見れば確実に伝わって来ます。そこのところは、菊之助は如才がない。

菊之助を見ていて感心するところは、当然菊之助は岳父・二代目吉右衛門の盛綱をお手本としているに違いないが、時代物の役どころの骨太さとか重々しさとか、現時点の自分にとって身の丈に合わぬイメージには固執せず、現時点の自分に出来る精一杯のところで役を造っていると云うことです。現在の自分に何が出来て・何がまだ足りないかよく分っているのでしょうねえ。どんな役でも及第点を取って来ると云うことは、そう云うことです。この盛綱も44歳の菊之助の初役と考えれば、「このくらいは出来て欲しい」と思う・そのくらいには確実に役を仕上げて来る、そこが菊之助の感心するところです。

良く云えばそう云うことですが、別の見方をすると、「まとまり過ぎている」と云う不満を感じる方がいるかも知れませんねえ。「まとまっている」から、古典的に丸く収まった印象になって来るわけです。確かに今回の盛綱は、そう云う印象があると思います。ただし、現在の菊之助は型をその通りに演じて・自分の肚にこれを落とし込む段階であるから、今の段階ならばこれはこれで良いのです。しかし、菊之助が今後持ち役として盛綱をモノにして行くのならば、もちろん課題はあります。聡明な菊之助は、分っていると思います。だから申し上げますが、「まとまり過ぎている」ために、盛綱の感情の起伏がやや平坦に感じられます。何だか盛綱が沈着温和そうな武将に見えてしまうきらいがあります。盛綱は表面は落ち着いた人物(それでないと冷静な判断が出来ないはず)に見えるでしょうが、むしろ内面は逆です。盛綱の頭のなかはスーパーコンピュータが始終情報処理を高速で行なうが如く、内に秘めた感情が激しく渦巻いているのです。芸の次の段階においては、ここはもう少し起伏を付ける、表情・目付きの変化、声色の変化に更なる工夫が必要になると思います。

まず盛綱を見ると、ここで心理の局面が変わったと読める箇所が随所にあると思います。ここの変わり目をはっきりと、これを観客に示唆すること、表情・目付きの変化、声色の変化を大きく付けることです。こういう演技は「クサい」と思うかも知れないが、クサいと思うくらいでちょうどよろしい。例えば、上使和田兵衛を送り出し・陣屋に一人残った盛綱が佇む場面、文楽詞章を見れば、

盛綱は只茫然と、軍慮を帳幕の打傾き思案の扇からりと捨て、「母人それにおはするや」と音なふ声に立出る。

です。和田兵衛との火花散る対決での熱い興奮の後、「只茫然」と弟高綱の心中を思いやる盛綱の暗澹たる気持ちが描写され、しばし沈思黙考が続きます。そして「からりと捨て」で盛綱は何か踏ん切りを付ける。しかし「母人それにおはするや」と云う声はやはり重苦しいものにならざるを得ない。「音なふ声」にそれが表れます。これだけで盛綱の心理は三転していますね。この心理変化の局面を、ひとつひとつ、くっきり描き分けなければなりません。盛綱の心理は二転三転して・よじれて・また元に戻る、そのような変化を度々繰り返します。それは一貫した心理の流れを想定してしまうと、バラけているかの如く見える心理の変転なのです。そこに盛綱と云う役のバロック的な・つまりかぶき的な要素があるのです、

菊之助の盛綱を見ると「そこのところは腹のなかにグッと持っている」と云うことかも知れないけれども、傍目からは、ジェットコースターのような、盛綱の心理の激しい変転があまり見えて来ない感じです。控えめに見えてしまうきらいがある。そこが古典的で丸く収まった印象にもつながるわけですが、芸の次の段階においては、この印象を意識的に崩しに行くことを試みてはどうですかね。つまり、ここは表情・目付きの変化、声色の変化を大きく付ける工夫をすることです。こういう演技は「クサい」と思うかも知れないが、クサいと思うくらいでちょうどよろしいのです。これが「盛綱という役が実事に根差す」と云うことの意味です。別稿「鼠小僧」観劇随想のなかで、「菊之助の持ち味のなかで・どこまで写実(リアル)に刺さり込んで行けるか」と云う課題を書きましたが、これとまったく同じ事なのです。(この稿つづく)

(R4・3・12)


3)心情の論理

ところで前幕の作品解説のなかで菊之助(音声のみで出演)は、「恕(じょ)」の気持ち・家族に対する思いについて語りました。「恕」とは、他人の気持ちを理解し・ゆるし・思いやること。論語には、

「子貢(しこう)問いて曰く、一言にして以て終身(しゅうしん)之を行う可きもの有りや。子(し)曰く、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿(なか)れ。』
(現代語訳)
「弟子の子貢が尋ねました。人生のなかで死ぬまで行ない続けていくべきものは、一言で云えば何でしょうか。師は仰いました。それは「恕」の心であろう。自分がされて嫌なことは、他人にしてはならないと云うことだ。」

とあります。なるほど・・弟・高綱親子の贋首の計略に賭ける決死の気持ちを察し・思いやり・受け入れて、みすみす贋首と分かっているのに、盛綱は証言を翻して、自分は腹を切る覚悟で、この首は高綱のものに相違ないと偽証したと云うことでしょうか。そこに盛綱の恕の心があると云うわけですね。これについては、まあそう云う解釈もあるかも知れないねと云っておきます。ただし「盛綱陣屋」をそのように解釈すると、盛綱の肚が柔く見えはしませんかということも指摘しておきたいと思います。「菊之助の盛綱は沈着温和そうな武将に見える」と先に書きました。そのような印象に見えるのは、菊之助が盛綱を恕の心で捉えているせいかも知れませんねえ。(吉之助の「盛綱陣屋」解釈についてはサイトの一連の記事をお読みください。)

近松半二は儒学者穂積以貫の次男として生まれました。だから半二が論語の「恕」の逸話を知らないはずがありません。しかし、半二の芝居に於いては、家族の絆(きずな)・家族への思いは決して暖かい(そこへ還るべく・懐かしいもののような)イメージで描かれていません。もちろん肉親への情は何よりも大切にしなければならないものですが、むしろそれ故に、個人を一層縛り付け・強制し、個人が自らの自由意志で振る舞うことを決して許さぬものと云う厳しいイメージで描かれています。例えば「伊賀越道中双六・沼津」の十兵衛も然りです。仇の側に立ってしまった息子十兵衛に対して、生みの親(平作)が命を捨てて「仇の行方を親に教えろ」と迫り、十兵衛は苦渋の末にこれを明かします。それは十兵衛が「命に懸けて沢井股五郎を守る」と誓った男と男の契約を破ることでした。代償は大きかったのです。伏見の場で、十兵衛は自裁同然で死ぬことになります。(別稿「世話物のなかの時代」を参照ください。)半二の芝居は、どれを見てもそんなドラマなのです。したがって、ここは「盛綱陣屋」のドラマを単独で考えるだけではなく、その読み方で半二の他の作品も読めるかと云うところも考え合わせる必要があります。

半二のドラマがこのような極端な形になるのは、半二の時代においては、共同体(社会・奉公先・家)の個人への規制・縛りがあまりに強く、「個人」とは彼が所属する共同体に在っての個人、「個人」のアイデンティティーが共同体のアイデンティティーと別ち難く同化しているからです。それでは現代に於いて、「個人」はそのような柵(しがらみ)から完全に解き放たれているでしょうか。そんなことはないと思います。現代に於いても、社会生活を営むなかで、多かれ少なかれ、「個人」は柵に縛られながら・時に押し流されながら生きているのではないでしょうか。そこから現代の視線で半二のドラマを読むことも可能になるでしょう。

盛綱には(そして芝居に登場しない高綱もそうなのですが)「私は佐々木家の武士である」という強いアイデンティティーがあって、これを失ってしまったら「佐々木盛綱」という人間は有り得ないほどです。武士という者は、命を懸けて家の名誉のために戦うものです。昔は「一生懸命」のことを「一所懸命」と云ったもので、武士が戦うのは本来自らの領地を守るためでした。自らの領分(本分)を守るために戦うのが、武士(もののふ)であるのです。戦争と云う厳しい状況は、盛綱に「佐々木盛綱」という男のアイデンティティーを守る覚悟がどれほど固いかを問うているのです。同時に盛綱は弟・高綱に対してもこのことを鋭く問うています。「お前にその覚悟はあるか」と云うことです。

盛綱が証言を翻し・腹を切る覚悟で・この首は高綱に相違ないと偽証したということは、「お前にその覚悟はあるか」と問うたことに対し、高綱親子が「これを見てくれ」と正にこれ以上ない・盛綱の予想をも越えた・ドンピシャの解答を示して見せたからに違いありません。その瞬間、盛綱のなかですべての縛りが消し飛びます。これを「恕」の心と呼べるかと云うことですが、まあいろいろ読み方があるだろうが、これは孔子の言うこととはちょっとニュアンスが異なるように吉之助は思いますねえ。これは男心に男が応えると云う・理屈を越えたところの・もっと厳しく・熱い「心情」と呼ぶべきものでしょう。吉之助はこれを「かぶき的心情」と呼んでいます。(この稿つづく)

(R4・3・13)


4)情を取って理も立つ条件とは

「人情か、義理か」と云うテーゼは、情を取るならば理は立たず、理を取るならば情は廃れる、本来どちらを取っても・片方を裏切らればならぬと云う、究極の選択を迫るものです。これは半二のドラマによく出て来るものです。本作であると、「所属陣営に忠誠を尽くすか、それとも家族の絆を取るか」ということで、それならば、贋首を弟の首に違いないと偽証した盛綱は、鎌倉方(北条時政)を裏切ったことになるのでしょうか。そんなことはありません。盛綱は「イイヤいっかな心は変ぜねど」とはっきり言っています。確かに「不忠と知って大将を欺きし」とも言ってますが、これは盛綱自身の鎌倉方への忠誠を疑わせるものではありません。・・と云うことは、盛綱が行なったのは、これはまったく別の論理による選択であったと云うことなのです。

それは「佐々木家の名誉を取るか、家族の絆か」と云うテーゼです。兄弟が敵味方に別れて戦う状況では、普通に考えれば、家族の絆を取るならば、盛綱も高綱も互いに思う存分戦うことが出来なくなる、結果として、兄弟はそれぞれの陣営に対して不忠となり、武家としての佐々木家の名誉は地に堕ちることになるでしょう。盛綱の危惧は、そこにありました。弟が子ゆえの闇に迷い、武士の名誉に恥じる行動に走らぬかということでした。逆に武家としての名誉を取るならば、兄弟は家族の絆を踏みにじり、互いに遮二無二戦うしか道はありません。だから「佐々木家の名誉を取るか、家族の絆か」も、究極の選択なのです。ところが、首実検において、さすがの盛綱も予想もしなかった返答を高綱親子が返して来ました。それが贋首を見た小四郎が咄嗟に「父様さぞ口惜しかろ、わしも後から追付く」と叫んで刀を腹に突き刺すと云う行動であったのです。その瞬間、盛綱のなかで、本来通るはずのない論理が通ったのです。それは、自らの命を捨てる覚悟で盛綱が、「この首は弟高綱の首に相違ない」と偽証するならば、これで「佐々木家の名誉も、家族の絆も、その両方が同時に守られる」と云うことなのです。情を取って・なおかつ理も立つという、本来あり得ないことがここで起こるのです。

最初のうちは「盛綱陣屋」のドラマは、「互いに所属陣営に忠誠を尽くすか、家族の絆を取るか」というテーゼで進むかに見えます。しかし、芝居がこのテーゼで進む限り、ドラマは袋小路の結論しか見出せません。首実検の場面に於いて、「佐々木家の名誉を取るか、家族の絆か」と云うテーゼへと飛び越える(ワープする)ことで、盛綱はこのドン詰まり状況に「死中に活を見出す」のです。これで正真正銘、盛綱を「悲劇中の人物」だとすることが出来ます。

ですから盛綱が家族の絆を大切にして・思いやりの心を持っていることは確かにその通りであるけれども、同時に家族の絆はそれが強ければ強いほど、盛綱が命を懸けて武士としての本分に生きようとする時の、厳しい足枷となり・疎外要素になることもあるのです。本作では、それは戦時の状況が生み出したものです。だから盛綱が、家族の絆も・武士としての名誉も、どちらをも手中にするための、まったく別の、「線の強い論理」が必要です。それが無いままに・思いやりの心だけだと、どうしても盛綱が柔く見えてしまいます。

今回(令和4年3月国立劇場)の菊之助の盛綱であると、母・微妙に対し・小四郎を殺してくれろと頼み難いことを頼み、「コレ聞分けてたべ母人」の場面は、菊之助の盛綱は肚が固まっているので、思いやりの真情がこもって・とても良い出来です。ここは前半のドラマが「互いに所属陣営に忠誠を尽くすか、家族の絆を取るか」というテーゼで進んでいるから、ドラマの方向性がぴったり合うから、これで良いわけです。ここはよく出来ました。

一方、首実検での菊之助の盛綱は、やはり柔く見えますねえ。沈着温和な印象なので、ここの箇所が、じっくり時間を賭けて盛綱の思考プロセスを説明的に追うかの如く見えてしまいます。もっともこれは菊之助だけの話しではなく、歌舞伎の盛綱は誰でもこんな感じなのです。首実検で心底納得できる盛綱を、吉之助は見たことがありません。この場面を家族の絆(情)だけで通そうとしても、そりゃあ通らないでしょう。盛綱はもう別の論理へとワープしてしまっているからです。これで「私は申し訳に腹を切ります」としても・それはただ後で責任を取るだけの話で、カタルシスには至りません。これでは盛綱が「悲劇中の人物」にはなりません。菊之助も、演じてみて歌舞伎の在来型のもどかしいところを感じたのではないでしょうか。と云うか、もどかしさを感じてもらいたいと思いますねえ。そこから盛綱の性根の見直しが始まると思います。

しかし、首実検は兎も角として、その後の「褒めてやれ褒めてやれ」の長台詞が良ければ、失点はかなり挽回出来ると思います。大事なことは、情があって理も立つという、本来あり得ないことが起こったことの、感動と云うか・興奮が観客にビンビン伝わるように、長台詞をお願いしたいと云うことです。菊之助の盛綱は、この長台詞をしっかりリズムを踏んで発声して分りやすかったけれども、やや説明に傾いた印象でありましたね。ここは一気に行った方が良いのではないでしょうか。(この稿つづく)

(R4・3・16)


5)播磨屋の芸のクサさについて

そう云うわけで、菊之助の盛綱の今後の課題は、役の性根を心情において熱く読み込んでいくこと、それによって表現の彫りを深くしていくこと、そのためには多少「クサいかな」と思うくらいでちょうど良いのだと云うことだと思います。菊之助の盛綱は「初役」にして十分な成果を上げています。形(段取り)はしっかり取れています。型を肚に落とし込んだらば、その次の課題はこれを内から心情で突き動かす方向へ持っていくことです。これで盛綱という役は実事に根差すものになります。

先ほど「クサいかな」と思うくらいでちょうど良いと書きましたが、初代吉右衛門については、昔はそう云うことがよく言われたものでした。特にライバル・六代目菊五郎贔屓からの悪口としてですが、しかし、播磨屋の芸と云うことを考える時に、「クサさ」は結構重要な要素だと思うのですよね。つまり、裏返せば、それは音羽屋の芸にあまりない要素だと云う事です。そこのところを二代目吉右衛門がどう考えていたのかは分かりませんけれど、多分真摯なストイックな方向で受け取っただろうとは思うけれども、播磨屋の芸のクサさは、「法界坊」とか「お土砂」みたいな観客に受けに行くような演目にだけ出るものではなく、「熊谷陣屋」とか「盛綱陣屋」などシリアスな演目に於いても、播磨屋のクサさは形を変えて、真摯なストイックな方向で出るものであると吉之助は考えているのです。例えスケールが小さくなったとしても良い、目指すべきは細やかな感情表現、感情の変わり目をくっきりと観客に示唆することです。(別稿「時代物役者か・実事役者か」をご参照ください。)音羽屋の御曹司である菊之助が、岳父を尊敬して・播磨屋の芸を学びたいと云うことならば、菊之助が最終的に学び取るべき・播磨屋の芸のポイントはそこであると、吉之助は思います。

さて今回(令和4年3月国立劇場)の「盛綱陣屋」は、それぞれの役者がみんな同じ方向を向いて自分の職務を果たして、予想以上に纏まりが良い出来栄えであったと思います。個々の役者に改めて触れることはしませんが、丑之助の小四郎についてはちょっと触れておきましょうかね。前月(2月)歌舞伎座の「鼠小僧」の蜆売り三吉に続く大役でしたが、三吉ですっかり自信を付けたようです。良い出来でありましたね。

(R4・3・18)



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