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「伊勢音頭」の上方らしさとは〜四代目梅玉の福岡貢

令和3年10月国立劇場:「伊勢音頭恋寝刃」

四代目中村梅玉(福岡貢)、五代目中村時蔵(仲居万野)、四代目中村梅枝(油屋お紺)、三代目中村又五郎(藤浪左膳・料理人喜助)、四代目中村歌昇(油屋お鹿)、三代目中村扇雀(今田万次郎)、他


1)「伊勢音頭」の上方らしさとは

歌舞伎の型の本を見ると「伊勢音頭」には大別して上方型と江戸型があり、上方の〇〇衛門はこうやった・江戸の〇〇郎はああやった・・と演技の手順がいろいろ書いてあると思います。そう云うことはもちろん大事なことですが、作品解釈としては、両者にそう大きな相違があるわけではないようです。京大坂は伊勢に近いし、観客も現地のことをよく知っています。だから上方型が写実のディテールにこだわるものになるのは、これは当然です。一方、伊勢から遠い江戸型であると、その辺が甘くなるのは仕方ないところです。しかし、江戸型だって、上方の雰囲気を出そうと江戸の役者なりに一生懸命努めているのです。伊勢古市を江戸吉原の雰囲気に移したわけではありません。歴代の貢役者、例えば五代目菊五郎にしても・十五代目羽左衛門にしても、何とか上方の雰囲気を出そうと工夫を凝らしたに違いありません。そこのところは、結構大事なことなのです。「伊勢音頭」の大坂角の芝居での初演は、伊勢古市での刃傷事件(寛政8年・1796)5月からわずか54日後のことでした。その約7年後には、享和3年(1803)江戸(河原崎座)でも上演されました。それ以来、江戸でこの芝居が人気狂言であり続けたのは、芝居が面白いこともあったでしょうが、それよりも、お蔭参り(伊勢参り)が一生に一度かも知れない庶民の最高のお愉しみであった時代においては、観客は「伊勢音頭」を見ることで・まだ行ったことがない伊勢への憧れ(イメージ)を募らせたに違いありません。だから「伊勢音頭」・江戸型において一番大事なことは、江戸(東京)の役者から見た上方らしさの表出と云うことです。江戸なりの上方のイメージが大事なのです。主役級だけでなく脇に至るまでその気持ちがないと、舞台に上方らしさは生まれないと思います。

東京から見た芝居の「上方らしさ」とは、一体どういうものでしょうか。「・・らしさ」と云うと漠然とした感じで、具体的な説明がどうも難しい。何だか出来上がった料理に加える香辛料の最後のひと振りみたいに思うかも知れませんが、そうではありません。「伊勢音頭」における「上方らしさ」は、この芝居の本質に大きく係わることです。関西弁の巧拙は、もちろん「らしさ」の表出に大きく関連します。しかし、それならば別に「伊勢音頭」に限ったことではありません。吉之助も関西生まれなので、東京の役者のアクセントの細かいところが多少気にはなりますが、東京の役者に完璧な関西弁を期待しても仕方ないことはよく分かっています。だから吉之助が、東京の役者に期待する「伊勢音頭」の上方らしさと云うのは、まったく別のことです。

「伊勢音頭」の上方らしさの感覚は、主人公・福岡貢の優柔不断な態度によく表れています。貢は辛抱立役には違いありませんが、普通の辛抱立役ならば「俺は不愉快でたまらないぞ・もう怒りを堪えることができないぞ」と、刀の柄に手を掛けてワナワナしてみたり、怒りで目を剥いてムズムズした仕草を見せたりするものです。芝居のプロセスとして観客に怒りが爆発する段取りを唐竹を割ったように明解に見せる、これが江戸歌舞伎の辛抱立役のプロセスです。ところが、貢の場合には、そこがちょっと異なります。貢は、自分の感情をオブラートに包んで、はっきり見せようとしません。これがツアーコンダクターみたいな仕事をして現地での商売の柵(しがらみ)が強い伊勢御師(おし・おんし)の性根であり、それが上方和事のフォルムにも通じるのです。最後の最後まで、貢は「自分は不愉快なんだぞ・怒っているんだぞ」という感情を露わにせず、まだお愛想笑いを浮かべて・これをいなそうとします。つまりこれは「私が今ここで見せている態度は、私が本当に感じていることとは違う」ということであって、これがまったく上方和事のフォルムなのです。(別稿「ピントコナ考」を参照ください。)

さらに「伊勢音頭」では、万野・お鹿・お紺と三者三様の、貢に対するイジメのプロセスが暑苦しい。その感覚が、拭っても拭っても暑さがまつわりつく日本の夏にどこか似るのです。たとえば仲居の万野です。万野はネチネチ回りくどく・貢にまつわりついて盛んに厭なことをします。かと云って貢にはっきりと敵意を見せるわけでもなく(それならば対処の仕様があるが)、万野が何を意図して厭なことを仕掛けてくるのか貢にはまったく分かりません。だから貢の優柔不断さを裏返したような形で、万野もまた実に上方らしい役と云えるかも知れませんね。(この稿つづく)

(R3・10・19)


2)万野の暑苦しさとは

今回(令和3年10月国立劇場)の「伊勢音頭」ですが、全体の演出統括は誰が付けているのでしょうか。普通は座頭が仕切るものだから、今回ならば梅玉でしょうかね。主役の貢を引き立てるように、梅玉の芸に周囲がもっと擦り合わせることをしないといけないと思います。全体を見渡すと、まあ皆さん一生懸命やっていることは分かりますが、向いている様式ベクトルが各人各様バラバラで、梅玉の芸がいまひとつ映えて見えないきらいがあります。伝統芸能なのですから、周囲の役者には自分の演技を梅玉の芸にもっと擦り合わせて・その芸を盗むという姿勢を望みたいですねえ。そのような姿勢が見えるのは、又五郎くらいでしょうか。後述しますが、梅玉の貢はとても良いと思います。芸は渋いところがありますが、ピントコナの性根を押さえて、写実に抑えた演技が好ましい。そこに江戸(東京)の役者から見た「上方らしさ」の感触を感じます。そこのところはしっかりしています。ところが、芝居のなかで梅玉の芸が十分活きていると見えないのは、全体のアンサンブルに問題があるからだと思います。このため梅玉の貢を地味に感じてしまいます。

時蔵の万野は、これが三回目だそうですが、感触がサラリと軽くて、時に愛嬌めいた感じがしますが、これは万野のやり方として如何なものでしょうか。少なくともこれでは梅玉の貢には感触がフィットしないと思いますがねえ。吉之助には、時蔵が万野を悪婆・例えば切られお富の引き出しで処理しようとしているように感じられます。悪婆の様式については、折口信夫の論考を引き合いに何度か考察しました。(とりあえず別稿「四代目源之助の弁天小僧を想像する」を参照ください。)「悪婆は常に女形の本質である善人に立ち返る」と云うところがポイントです。「こんなこと(強請り・騙り)はホントはしたくないんですよ、でも愛する亭主の為だから仕方ないのよ」という形で、切られお富は女形の本質である善人に立ち返っているのです。その申し訳が悪婆の愛嬌となるのです。そのような要素が万野にあると思えません。

万野に感じるものは、貢に対する底意地の悪さです。敵意・悪意と言っても良いです。しかし、同じく悪女であっても、それをあからさまに見せたのでは、世話の岩藤になってしまいます。だからそういう印象に陥らないように、そこを愛嬌でいなそうと思うのでしょうが、そうすると今度は切られお富(悪婆)になってしまう、時蔵の万野はどうもそんな感じがしますねえ。そうではなくて、万野の場合は、貢に対する底意地の悪さが彼女の本音・本質なのですから、本音がどこにあるのか分からぬように、どこまでも意地悪く、ねっとりと重く、貢に対する敵意を真綿に針を包んだように、回りくどく・婉曲に見せる、そこが暑苦しい時にプーンと嫌な羽音をたてて蚊がまたやってくるような、日本の夏の感触に似るわけです。これが東京の役者から見た「上方らしさ」の感触です。(三代目多賀之丞・あるいは六代目歌右衛門の万野の映像を参考にしてくれれば良いと思います。)吉之助は関西生まれですが、もう東京の生活の方が長いから・東京人みたいなものですが、東京の方は「関西の奴はどうも好かんなあ」とチラッと感じることがあるかなと思いますけど、東京人が感じる・そんな関西人の臭みが万野に集約されていると思えばよろしいのです。(この稿つづく)

(R3・10・22)


お鹿・お紺のイジメの役割

「万野・お鹿・お紺と三者三様のイジメのプロセス」と書きましたが、万野については兎も角、お鹿もお紺も貢をイジメるつもりはないわけですが、貢からすると、三方向から異なるやり方で責められる感覚なのです。結果として貢をイラつかせ・嬲り・遂には刃傷沙汰へと到らせます。だからお鹿もお紺も、その役割を十分承知していなければなりません。

お鹿は顔はまずいが、心根の優しい・純真な遊女です。しかし、お鹿の・その無邪気なところが、この場で静かにして欲しい貢には、「無神経に・がさつに」見えているのです。そこが東京人が感じる関西人の臭みに重なってくる、そこがお鹿の上方味なのです。歌昇は頑張ってはいますが、女形にトライするのが初めてなんだってねえ。しかし、過度に笑いを取ろうとするところがなかったのは、良い点でしたね。

梅枝のお紺については、その古風な風貌で当たり役になる可能性を持っているので期待しましたが、現時点では憂いが強過ぎて、感触がねっとりし過ぎです。「感触がねっとり」は上方味じゃないかと思うかも知れませんが、これは「ねっとり感」を様式で捉えるから、そう思うのです。上方芸はあくまで写実に根差すものなのですから、質感で云えば「あっさり」が基本です。料理でも関西は薄味でしょう。そこに出汁が利くから関西味になるわけで、お紺の出汁は「情」だと心得て欲しいのです。情と憂いは、ちょっと違います。お紺は阿波侍の気を引くために、貢に対してわざと冷たい態度を取っています。嘘を言って貢に対し「申し訳ない」と感じています。だから梅枝は憂いの表情をするのでしょうが、ここは次のように考えて欲しいと思います。ここで私が頑張って阿波侍の気を引いて青江下坂の折紙を取り戻す、これが私の貢さんへの愛の証だと、お紺はそう考えているのです。芝居の縁切り物では、縁切りした女は殺されるのが通例です。お紺は、貢に殺されることを覚悟しているのです。そこにお紺の実(まこと)があるのです。当たり前のことですが、傍で阿波侍がお紺の様子を伺っているのですから、むしろ貢に対する態度を「そっけなく・あっさりと」して、芝居をしていない間・じっと俯いた表情でしっとりと情を出す、これで「私が今ここで見せている態度は、私が本当に感じていることとは違う」という上方芸の味わいになると思います。お紺の上方味とは、そう云うことです。この点では七代目梅幸のお紺が素晴らしいものでしたから、その映像を参考にしてもらいたいですね。(この稿つづく)

(R3・10・25)


殺し場の貢を操るもの

「奥庭」の殺し場について触れておきます。貢が青江下坂の刀を振り回す姿を、「櫓のお七」の人形振りと重ね合わせて考えてみてください。お七は、どんな感情に動かされて火の見櫓の太鼓を打ち鳴らすのでしょうか。「恋しい殿御に逢いたい一心」と云うのは、それは表向きのこと。ここに見えるのは、ドロドロした情念です。 「もうどうなってもいい、私はこの感情を抑えきれない」と云う情念がお七を内側から操っているのです。それがお七の人形振りが表現するものです。

貢が青江下坂の刀を振り回すのも、お七の人形振りとまったく同じです。貢を内側から操るものは、強い憤(いきどお)りです。「俺がこんな仕打ちを受けねばならぬ理由はない、こんな理不尽な話はない、俺は猛烈に怒っているんだゾウ」と、状況に対して強い異議を申し立てながら、刀を振り回しているのです。観客が感じる大事なこととは、「何だか分からないが、兎に角コイツは怒っている」ということです。そこが観客に「荒ぶる神(怒れる神)」を想起させます。歌舞伎の荒事に出て来る主人公たち(御霊)はみんな、政治だかこの世の中だかに強く怒っているのです。(別稿「伊勢音頭の十人斬りを考える」をご参照ください。)

劇評で「貢役者の身体が妖刀に操られるがまま動いているのが良い」とか書いているのをよく見かけますが、正確には、青江下坂が人を殺めるのではありません。「俺は猛烈に怒っているんだゾウ」という異形の感情が、内側から貢を操って人を殺めるのです。「妖刀が血を求める」なんてのは方便に過ぎません。これを方便とするのは、「俺は猛烈に怒っているんだゾウ」と云うのが、如何に社会的に危険な感情であるか(従ってお上には隠しておかねばならない)、このことを作者がよく分かっているからです。だから貢は心神喪失の状態で人を殺めるのではなく、明確に殺意があるわけです。貢役者はそこが大事なことになるので、貢はフラフラと身体が動いているようにみせて、刀の切っ先が相手に向いた時、切っ先に殺意を集中せねばなりません。(これは「籠釣瓶」でも「縮屋新助」でもまったく同様のことです。)筋書の・梅玉の言葉にある通り、

「妖刀にふわふわと操られっぱなしではなく、相手を殺すに至る気持ちまでも表現できていなければいけない」

ということです。梅玉は殺し場の貢の動きのなかに、その通りのものを見せてくれました。(この稿つづく)

(R3・10・28)


5)梅玉の福岡貢

「伊勢音頭」通しでよく云われることは、妙見町宿屋では二枚目・太々講(今回は出てません)では和事師・油屋では辛抱立役ということで・貢の性格に一貫性が見えない、そこが作品として二流のところだということです。これを「人間の行動というものは矛盾するのが当たり前だ」なんて言っているようでは、最初から役の人間理解を放棄するようなものです。表面的に矛盾して見える行動のなかに、何が彼をそのように見せているのかを考えなければなりません。それが芝居を理解すると云うことです。

梅玉の福岡貢が良い点は、宿屋〜二見ヶ浦〜油屋で貢の性格に一貫性を持たようとする行き方だと云うことです。宿屋での貢では、落ち着いた実事の味わいがします。一方、油屋では油屋では怒りの過程をストレートに見せることはせず・ここを抑えめに見せて、優柔不断さを強調した行き方としています。そこに一貫したものを感じます。派手さが足らないという不満を覚える方もいらっしゃると思いますが、まさにこの点に貢という役に対する深い人間理解があるのです。なぜならば伊勢御師は古市遊郭とは商売上の柵(しがらみ)が強くて・そう勝手なことは出来ない、嫌なことでもそこはナアナアで笑って済ませないと、これから古市遊郭で仕事が出来なくなるからです。だから傍から見ると、「どうした、貢、はっきりしないか、そこまでされて何故怒らないんだ」ということになるわけです。これが上方和事のフォルムであることは、別稿「ピントコナ考」で触れました。

辛抱立役というと、イライラが次第に蓄積し、目を血走らせ・煙管を持つ手をブルブル震わせて、「私の我慢は限界に達しました・私はそろそろ怒ります」と云うプロセスを明確に見せるものです。梅玉も、初役の時(平成4年・1992・4月歌舞伎座・梅玉襲名)には、そんな感じでありましたね。しかし、この行き方だと、貢の「上方らしさ」の味わいが出ないのです。あれから30年近く経って、梅玉もそこのところをきっちり仕上げて来ました。そこに梅玉の芸の成熟が見えます。福岡貢に必要不可欠な要素を、梅玉はきっちり描き出して来ました。

それでもなお梅玉の貢に「もう少し派手さと云うか色気・艶が欲しい、これでは地味に過ぎる」という不満があることも、吉之助は理解します。しかし、恐らく貢に求められる色気・艶は、貢を辛抱立役のパターンにはめた時にはまり切らない要素を、色気・艶でいなす形で後天的に付加されたものでしょう。それもひとつの工夫ではありますが、通しでの役の印象の一貫性の無さもそこから来ます。梅玉の行き方の方が、より役の本質に深く迫っていると思います。梅玉の貢は、柔らかさのなかにも凛としたものがあって、精神的に生きています。

言うまでもなく梅玉は東京の役者ですが、「梅玉」は元々上方の名跡です。だから梅玉は上方の味わいを身に着けようと、地道に努力を続けてきたと思います。別稿「梅玉の忠兵衛」で、梅玉演じる「新口村」の忠兵衛について触れました。凛とした印象があることで・これは近頃珍しい忠兵衛でした。現在上方歌舞伎は危機に瀕しているけれども、この梅玉の忠兵衛のような行き方ならば、今後も東京において上方歌舞伎の演目が残って行く可能性があるだろうと思えたのです。「伊勢音頭」の貢に関しても、同様なことを感じますねえ。今後貢を持ち役にしていかねばならないであろう幸四郎や菊之助は、梅玉の貢をよく研究しておくことをお勧めします。

(R3・10・30)



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