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連関性の喪失

〜記号としての「桜姫東文章」論


『貴女(あなた)、貴女って何だろう?貴女と僕って何か意味があるのかしら?言葉でしょう、ただの言葉でしょう?、ねえ。』(楽劇「薔薇の騎士」・第1幕オクタヴィアンの歌詞、作曲:R・シュトラウス、作詞:ホフマンスタール)


1)現代における南北

スイスの哲学者マックス・ピカートが「現代人は外界の事物を受け取る時にあらゆる物を何の連関もない錯乱状態のままで手当たり次第に掻き集めてくる。」ということを言っています。ピカートはその例証として新聞を挙げています。例えば新聞記事をめくって見てみれば、第1面に海外での戦争やテロの報道・その下をみれば経済記事、さらに頁をめくれば政局の記事・株価の記事・生活欄・文化欄・スポーツ・事件の数々、そしてテレビ欄。すべてに連関性が欠けています。それは現代人の心のなかが支離滅裂な錯乱状態を呈していることの証(あかし)だというのです。

このような状態では、人々は外界の事物に対して・確乎たる事実として真正面に向かいあうこともなく、また事物もまた一個の独自のものとしての位置を主張するわけでもないのです。何が我が身に降り掛かりつつかるかを人々は一向に考えようとせず、人々は何かが動いているという・ただそのことだけで満足してしまうのです。現代の芸術作品もそのような連関性喪失の精神状況を表現しています。

『現代にもまだ存在しているものと言えば、まさしくこれだ。もはや人間はいない、もはや自然も・そして神も存在してはいない。存在しているのはただ連関性喪失の機構(からくり)だけである。そして芸術家はその機構がどのように機能するかを示すのである。このような秩序ない世界のなかでは、もともとどんなことでも可能である。だからここには最早ファンタジーは存在していない。なぜと言って、連関性を喪失した世界においては、たがいに相反するもろもろの事物が、ちょうとファンタジーのなかでのように、混沌の渦のなかでお互いの方へと押し流されていき、そしてもろもろの事物の事物の無関連性によって、万事が初めからファンタジーめいているからだ。』(マックス・ピカート:「われわれ自身のうちなるヒトラー」)

マックス・ピカート:われわれ自身のうちなるヒットラー (1955年)

現代の特徴である連関性喪失、それに似たものが南北作品においてもあります。例えば「桜姫東文章」、その登場人物はまさに「記号」であって・何の関連性もなく脈路もなく・ただ変転して流れているだけです。その無関連性がどこかファンタジーめいた面白さを感じさせます。

「南北はコントラストの効果のためなら何でもやる。劇作家としての道徳は、ひたすら、人間と世相から極端な反極を見つけ出し、それをむりやりに結び付けて、恐ろしい笑いを惹起することでしかない。登場人物はそれぞれ壊れている。手足もバラバラの木偶人形のように壊れている。というのは、一定の論理的な統一的な人格などというものを、彼が信じていないことから起きる。(中略)こんなに悪と自由とが野放しにされている世界にわれわれに生きることができない。だからこそ、それは舞台の上に生きるのだ。」(三島由紀夫:「南北的世界」・昭和42年3月)

ここにおいて南北作品がなぜ今日的であるのかが理解できます。それは南北作品の連関性喪失にあるのです。それは南北作品が現代の精神状況を先取りしているからに他なりません。(つまり、これは江戸期の精神状況 が現代と近似的な様相を持つということなのですが、この事については別の機会に論じます。とりあえず別稿「かぶき者たちの心象風景」などが参考になりましょう。)

別稿「桜姫という業(ごう)」において、桜姫の変転の有様は真言密教の教えそのものであるということを考えました。桜姫は高貴な姫にも・我が子を探し求める哀れな母親にも・汚辱にまみれた女郎にも姿かたちを変えます。そのそれぞれの様相が何の連関もなく・バラバラに壊れているのですが、同時に、別の視点から見ればそれらはひとつに繋がっているのです・正確に言えば「ひとつの流れ」を呈しているのです。

別稿「桜姫という業(ごう)」では「東文章」の背後にあるひとつの流れを検証してみました。しかし、この作品が今日的であるのはその「連関性の喪失」にあることは疑いないことです。そこで本稿においては「東文章」を記号に還元して考えてみたいと思います。


2)「桜姫」の曼荼羅絵

文化14年(1817)3月河原崎座での初演を見れば、桜姫を演じた五代目半四郎は安永5年(1776)生まれの41歳、清玄/権助のふた役を演じた七代目団十郎が 寛政3年(1791)生まれの26歳でした。このふたりの役者の年齢バランスは作品解釈において意味があるということは、別稿「桜姫という業」においても触れたことです。

当時の歌舞伎作品はすべて上演を前提にしたもので、狂言作者は一座の役者に当てはめて作品を書いたものでした。主役級が急病か何かで出演ができなくなると・再度同じ顔合わせが組めるとは限りませんから作品自体がボツになってしまう場合さえあります。南北の「解脱衣楓累(げだつのきぬもみじかさね)」は文化9年8月森田座の上演のために書かれた名品ですが、恐らく主役の半四郎の急病のために没になり・そのままお蔵入りしてしまいました。(本作は昭和59年に前進座によって初演されました。)

文化年間の状況を思えば、座組みの関係で思うに任せなかったかも知れませんが・清玄/権助を五代目幸四郎(明和元年・1764年生まれ)や三代目菊五郎(天明4年・1784年生まれ)が演じるということも想像できないわけではないですし、その機会を南北が待って上演プランを温めることもできたかも知れません。

実悪の名人幸四郎の演じる凄みのある権助、あるいは生世話の名人菊五郎の演じる江戸前のすっきりしたイナセな権助が半四郎の桜姫とからむ舞台を想像することはゾクゾクするほどに魅惑的です。それこそ権助が桜姫を翻弄するスリリングな舞台になったかも知れません。それはそれで「東文章」の別の魅力を見せてくれたでしょう。しかし、ここでは南北の思い描いた「東文章」のオリジナルプランを想像してみたいと思うわけです。団十郎も将来の劇界を背負う逸材であったのですし、実際、団十郎は南北の期待に応える見事な舞台を見せたと思います。

作家が作品を書き上げる時には、そこに外的条件と内的条件が整って必然性が 高まらないと決して良い作品は書けぬものです。四世南北は、もちろん桜姫に半四郎・権助に若い団十郎を想定して・彼らの芸の長所を最大に引き出すべく「東文章」を書いているわけです。ということは南北は半四郎の比重が突出した舞台を当然想定していたと思うわけです。

大事なことは、作者から見れば役者は記号(材料)に過ぎないということです。記号の組み合わせで作品の構造が出来上がるわけですから、まずは「桜姫東文章」を記号に還元して考えてみる必要があります。

桜姫(半四郎)が突出した舞台は、桜姫を中心にした曼荼羅絵の様相を呈します。桜姫の姿には、高貴な姫君・我が子を探し求める哀れな母親・汚辱にまみれた女郎の三つの姿が重なります。「妙適清浄の句、是(これ)菩薩の位(くらい)なり。欲箭(よくせん)清浄の句、是菩薩の位なり。蝕(しょく)清浄の句、是菩薩の位なり。愛縛清浄の句、是菩薩の位なり。」という理趣経の教えの通りの三面観音菩薩の姿です。そのいずれもが桜姫の本質でもあり・仮の姿であるとも言え ます。この桜姫の右手の上に清玄(団十郎)が、左手の上に権助(同じく団十郎のふた役)が対称的に位置するのです。


3)清玄と権助

実は清玄と権助の二人は生き別れになった双子の兄弟ということになっております。この件は舞台を見ていると「岩淵庵室」で桜姫が権助の顔を見て清玄に面差しが似ていると言って驚く場面にしか効いていないように思われますが、ふたりが兄弟であることは非常に重要なポイントなのです。つまり、清玄と権助は双子であるから容貌がよく似ているという設定になっているわけですが、芝居の場合にはこういう場合は両者が対比される構造に置かれていることを意味します。

ここでは清玄は男性の「精神」、権助は男性の「肉体」を象徴しています。あるいは聖と俗、柔と剛、あるいは優しさと邪悪さというか、そうした男性の対立的イメージをそれぞれに担っています。桜姫がその一身のなかに分裂した女性の性格を秘めている役だとすれば、清玄と権助は二人で男性の性格を分けているわけです。だからこそ清玄と権助の二役はひとりの役者で演じ分けられねばならないのです。

桜姫はこの「男性の二面性・精神と肉体」の狭間で揺れ動く役だという見方が出来ます。舞台を見ていますと、桜姫は権助の肉体の方にばかり魅せられていて・清玄からは逃げ回っているように見えるかも知れません。しかし、桜姫は清玄と深いところで引き合っているのです。これは大事なことですが、物理学の法則では引かれている物体は逆の力で引いているわけです。桜姫(というよりも前世の白菊丸というべきであろうが・その輪廻転生する霊的存在)が清玄と互いに引き合っているのです。引き合っているからこそ・引き裂かれるのです。そこにこの世界の歪みがあるのです。

『万有引力とは引き合う孤独の力である/宇宙はひずんでいる・それ故みんなは求め合う/宇宙はどんどん膨らんでゆく・それ故みんなは不安である』(谷川俊太郎:「二十億光年の孤独」)

清玄が桜姫を追い駆けるほど桜姫は権助の方に逃げていきます。桜姫は清玄を責めさいなむためにわざと権助のようなとんでもない男に恋するかのようです。清玄が追えば追うほどに桜姫は堕ちていくのです。(もちろん権助が桜姫を引っぱっているとも解釈できますが。)しかし、堕ちながら桜姫は清玄を呼んでいるのです。そうして清玄も一緒に堕ちていくのです。

「三囲の場」はそうした清玄と桜姫の哀しいすれ違いの場面です。

(桜姫)いずくの誰が手塩にて、育つ我が子を一目なと、
(清玄)逢うて重なるこの恨み、
(桜)   恋しゆかしの、みどり子の、
(清)   顔が目先へ桜姫。
(桜)   逢いたい、
(清)   見たい、
(桜)   仏神様、
(清)   姫に、
(桜)   我が子に、
(清)   何とぞ
(両人)逢わせて下さり ませ。

そこは隅田川の梅若塚の傍です。もちろん・ここでは謡曲「隅田川」で我が子を追い求める狂女の姿が重ねられています。そこで桜姫がフッと見せる母性は、清玄が引き出したものです。それはつかの間のことではあっても桜姫の真情には違いありません。(それにしてもこの赤ん坊には名さえないのです。ここでは赤ん坊でさえ記号になっています。)

この二人の科白はすれ違いです。清玄は桜姫に逢いたがっているのですが、桜姫が逢いたいと言っている相手は我が子(清玄の抱いている赤子)の方です。お互い勝手に言われている・すれ違いの科白ですが、一方で、それが微妙に呼応し合っているように聞こえて来るのです。そこに清玄と桜姫(=前世の白菊丸)の不思議な因縁を感じさせます。「恨みー恋し」・「逢いたいー見たい」・「姫にー我が子に」・「何卒ー逢わせてくださりませ」。オペラの二重唱のように、二人の心情が溶け合ってひとつの科白を作り出しています。

しかし、現世においては清玄と桜姫が結ばれることはありません。桜姫が清玄の言うことに耳を貸すのは清玄が死んで幽霊になった後のことです。「山の宿町」で桜姫は清玄の幽霊に、そこにいる赤子が桜姫の子であり・父と弟を殺して吉田の家を没落させたのが権助であることを教えられるのです。清玄は死んで幽霊になって初めて桜姫に言うことを聞いてもらえるようになる。そして桜姫を元のお姫さまの位置に引き上げることができるようになるわけです。

吉田家再興の証(あかし)となる家の重宝都鳥の一巻とやらも記号です。これを差し出せばすべてが「そうでなくては叶わない」という方向へ動き出すというデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)なのです。こういう結末の付け方はご都合主義のように見えるかも知れませんが、そうではありません。都鳥の一巻が桜姫に手に入ることで、混乱した世界は収拾に向かいます。これを桜姫に与えたのは清玄なのです。

それでは「清玄は救われたのであろうか」ということが吉之助の気に掛かるところです。めでたく桜姫が吉田のお姫様に戻ることが出来たということは、清玄は救われたということだと思います。ここにおいて「歪んだ世界」は再びあるべき姿に戻ったのです。

(後記)

別稿「桜姫・断章」、歌舞伎の雑談での「桜姫東文章の記号論」もご参考にしてください。

(H16・9・29)



 

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