「盛綱陣屋」の音楽的な見方
1)ドラマのなかに大義がなくてはならぬ
本稿は「音楽的な歌舞伎の見方」の番外編とお考え下さい。本年4月歌舞伎座杮葺落公演の「盛綱陣屋」の観劇随想でも触れましたが、歌舞伎の「盛綱陣屋」は死に行く小四郎への愛惜の方に大きく比重が掛かっていて、まさに小四郎の芝居という感じがします。まあそれはそれとして良しとしますが、そうなると吉之助は舞台には登場せぬ佐々木高綱の心理のことを考えてしまいます。
一般に高綱(モデルは真田幸村)は影武者を何人も持ち、ここと思えばまたあちら、変幻自在、権謀術数に長けた武将というイメージです。そこで歌舞伎の「盛綱陣屋」の一般的な解説を見れば、高綱は死んだとみせかけて鎌倉方を油断させて大打撃を与えようとの作戦(目指す相手は大将である北条時政)を立て、まず息子の小四郎をわざと敵に生け捕らせ、次に高綱の首(実は影武者の首)の実検の時に「これは父上の首だ」と言って切腹させてその傍証とさせる、これで大地を見抜く北条殿も偽首に絶対騙されると企てたというのです。それを指図された通りにやってみせた小四郎は、「教えも教え覚えも覚えし親子が才知」であると、これは首実検後の兄盛綱がそう言って褒めるわけですが、芝居をご覧になった方は、この粗筋で芝居にご納得が行くのでしょうか。少なくとも吉之助は納得が出来ませんね。かつての戦争では神風特攻隊とか人間魚雷とか、そういう非人間的行為が行なわれました。国を守る為に犠牲になって健気に死んでいった若者の気持ちを思うと切なくなります。その気持ちの崇高さを感じる一方で、そういう犠牲を強制した権力あるいは組織に対しては憎んでも尚足らぬ怒りを感じます。そうすると特攻隊をことさら賛美するのも如何なものかという疑問も生まれて来ます。そこで高綱親子のことですが、親に教えられた通りにそれをやって見せて父を勝たせようとした小四郎の気持ちはもちろん涙なくしては見れませんが、たかが偽首の傍証にするためだけに息子を敵陣に送り込み自害させるなどと、そんな子供を道具みたいに扱うことには、吉之助は 心底怒りを覚えますねえ。こういう 策謀が、親としてイヤ人間として許せるかという疑問を、「盛綱陣屋」を見た観客はちょっと考えてみた方が良いと思います。「ハハアさすが高綱は権謀術数の武将」などと呑気に感心していられるでしょうか。
芝居においては、どんなものでもドラマのなかにそれなりの大義がなくてはなりません。つまり、主人公がこういう行動をするのは必然であると十分納得できる理由がなくてはなりません。それがないと、芝居に感動出来ません。「盛綱陣屋」の高綱にも、大義がなければなりません。それがなければ兄盛綱が「教えも教え覚えも覚えし親子が才知、褒めてやれ、褒めてやれ」という爆発的高揚に至らないわけです。高綱が「偽首の傍証にするために息子を敵陣に送り込み自害させた」ならば、吉之助はこの芝居に必然を認めるわけには行きません。逆に云うならば、「盛綱陣屋」を必然のあるドラマとして読もうとするならば、高綱が「偽首の傍証にするために息子を敵陣に送り込み自害させた」ということが否定されねばなりません。そうではないでしょうか。
そこで「盛綱陣屋」を見直してみれば、高綱が「偽首の傍証にするために息子を敵陣に送り込み自害させた」ということをはっきり言っているのは、実は兄盛綱だけなのです。他の登場人物ははっきりしません。盛綱の言説を肯定するでもなく否定するでもなく、状況的にどちらにも取れる曖昧な感じで書かれています。和田兵衛は、あるいは篝火は、最初から高綱の意図を受けて、敵陣を混乱させるべく或る役割を持ってこの場に来ているのか、その役割がどうも不明確である。見届け役だと云う説があるようですが、和田兵衛は強いから兎も角、あの状況で小四郎と一緒に篝火まで捕われてしまったら、高綱はどうなってしまうか考えてみて下さい。足手まといなだけです。なのにどうしてあの場に篝火はノコノコ現れるのでしょうか。小四郎がちゃんと自害するか母親が見届けに来たなどと、考えただけでもおぞましい。近松半二は意地悪ですね。意図的にその辺をぼかして書いていると思います。考えてみれば「妹背山婦女庭訓」でも「本朝廿四孝」でも一筋縄で行かない作品です。「盛綱陣屋」もまたそうです。
だから吉之助は、高綱が「偽首の傍証にするために息子を敵陣に送り込み自害させた」という説を断固拒否します。その理由では、高綱の行為に必然を見出すことが出来ないからです。その理由では兄盛綱が「弟へのこころざし」と云って偽証をする必然が見出せないからです。それは兄盛綱がそう言っているだけのこと。兄盛綱は、表向きそういう理由にして、真相を伏せたと考えます。吉之助が「盛綱陣屋」をどう読むかは、「盛綱陣屋をかぶき的心情で読む」のふたつの論考(「京鎌倉の運定め」、「兄弟の絆」)をお読みください。
大事なことは、芝居においては、ドラマのなかにそれなりの大義がなくてはならぬということ、つまり、主人公がこういう行動をするのは必然であると十分納得できる理由を見出すこと。理屈ではなく、心情において。これがどんな場合でも作品解釈の鉄則だということです。(H25・6・1)
2)主人公の心理を流れのなかで感じ取る
別稿「音楽的な歌舞伎の見方」のなかで、古典作品の場合には、主人公の心情は常にポジティヴに解釈すべきであることを申し上げました。「本当は私はそれをしたくない、しかし、私はそれをやらされる」と読むのではなく、「世間が許さない・やってはならないことを・自分の責任において私はやる」という風に読むということです。主人公のことを「封建倫理に振り回された可哀想なひとだなあ」と見るのと、「覚悟して人の在るべき道に殉じた人であったのだなあ」と見るというのとでは、全然違うということです。同情ではなく、共感で読むことです。その行為によって、主人公は損得勘定を越えた、もう一段上の次元の倫理感覚に立つのです。
『イイヤいっかな心は変ぜねど、高綱夫婦がこれ程まで仕込んだ計略。父が為に命を捨つる幼少の小四郎が、あんまり神妙健気さに不忠と知って大将を欺きしは弟への志。・・』
盛綱はそれが偽首であることを完全に見破っていたのに、不忠を承知の上で大将を欺きました。それは「父が為に命を捨つる幼少の小四郎のあんまり神妙健気さ」ゆえのことで した。露顕した時には自分は腹を切る覚悟をし、家が断絶する覚悟をした上でのことです。このどんでん返しに芝居のポイントがあるのですから、「盛綱陣屋」を感動できる芝居にするために、自分を捨てた盛綱の行動をポジティヴに・共感を以って理解せねばなりません。
或る歌舞伎解説によれば、盛綱は頭は良いが情にもろく、武士の本分とか家名とか、格好にこだわるプライド高い人物である。そこに盛綱の弱みがある。小四郎自害に直面し、盛綱はこれが弟が自分を陥れようとする計略であることが分かっていながら、小四郎の行為を否定できない。小四郎の行為を否定すれば、それは自分が常から主張している武士の道を否定することになるからである。そのような頑固に筋を通そうとする弱みを、高綱親子につけこまれ、盛綱は偽証せざるを得ない状況に追い込まれる、そこに盛綱の悲劇があった・・と云うのです。自分の論理が掘った墓穴に自分が落ちたということでしょうかね。
この解釈で、盛綱の行為に共感し、「盛綱陣屋」に感動することができるでしょうか。吉之助にとって、答えは明らかです。主人公に共感しない解釈ならば、それは間違いだということです。「自分の論理が掘った墓穴に自分が落ちた」ということならば、そういうものを悲劇とは呼びません。そういうものは茶番と呼ぶべきです。主人公の行動が然りと受け止められるものでないならば、その解釈はまだまだ掘り下げ不足なのです。
それを普遍のものにまで高めたいとするならば(それが何がしかの批評行為を含むものならば)、何度も何度もこれを反芻するが如きの検証が必要になります。登場人物の言動・行動が腑に落ちない時には、「自分はその人物に共感できるか、彼がそのようなことを言い・そのような行動を取ることを彼の立場・状況において自分は然りと受け止められるか」ということを考えねばなりません。彼の心理プロセスを追体験すること、それはまさに芝居を流れにおいて感じ取るということです。
(H25・6・7)
3)主人公の心理を流れのなかで感じ取る・続き
史実の真田幸村は、慶長20年(1615)の大阪夏の陣で戦死しました。しかし、幸村は影武者が何人もいたと云われる謀将だけに、そう簡単に死んだと思えない。どこかに きっと生きているだろうということで、大坂城落城直前に豊臣秀頼を守って城を脱出し、天寿を全うしたとの伝説が生まれました。その当時、
「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり加護島(鹿児島)へ」
というわらべ歌が流行したそうです。幸村はあらゆる策を使って徹底的に戦う、その勝利への執念はさながら「鬼の如し」というわけです。徳川方には、幸村は鬼のように恐ろしく見えたことでしょう。
そこで「盛綱陣屋」のことですが、鬼のようなる佐々木高綱(=真田幸村)も所詮は人の子・人の親です。血もあれば・涙もあったはずです。そんな高綱が、一子小四郎をたかが偽首の傍証にするために敵陣に送り込み腹を切らせるような非情なことをするでしょうか。策略で兄盛綱を落としいれ切腹に追い込んで、「してやったり」と高笑いするような人物でしょうか。果たして高綱とは、勝利のために身内も息子も平気で踏み台・道具扱いにする情け容赦のない「鬼」なのでしょうか。もし高綱がそういう人物ならば、「弟への心ざし・・」と言って笑って死んでいく兄盛綱が、哀れを通り越してピエロに見えて来ませんか。だから、何度も言いますが、「盛綱陣屋」を共感できる芝居にする為に、そのような解釈は否定されねばならないと吉之助は思います。これは丸本字面を読んで解釈として成り立つかどうか議論する以前の問題です 。
吉之助は、敵陣に捉われた息子のことを考えて高綱は懊悩 したに違いないと思います。兄が息子を送り返してくれないかと願ったり、もし時政が人質交換条件を申し出てきたら・それに負けてしまいそうな気弱なことをつい考えてしまったと思います。しかし、最終的に高綱が出した苦渋の結論は、盛綱が考えたこととまったく同じで、「父は信念を曲げず・最期まで戦うぞ、申し訳ないが小四郎は死んでくれ」ということでした。そのサインがあの偽首なのです。偽首を見てそれを察知した小四郎が、自発的かつ衝動的に腹を切る。そこに事前の謀(はかりごと)などないのです。盛綱は、これを「教へも教へたり、覚えも覚えし親子が才智」と言うのです。要するに、これこそ日頃の親の教育の賜物ということです。詳細はふたつの論考(「京鎌倉の運定め」、「兄弟の絆」)をお読みください。
兄盛綱は、つねに弟高綱がこの状況で何を考え・どういう行動を取るかを考えています。そう考えるならば、「盛綱陣屋」の各場面、和田兵衛上使の件、盛綱が微妙に「孫を殺してくれ」と頼む件、篝火が登場して息子の安否を心配する件、小四郎が「死ぬのが怖くなった」と泣く件、高綱が戦場での有り様をふたりの注進が語る件、そのすべての場面が、パラレルに、舞台に登場しない高綱の苦悩に重なってくるのです。同時にそれは舞台を見る観客の、「何とか小四郎を助けてやって欲しい」と思う心の揺れでもあります。ここまで兄盛綱が考えている通りにドラマが進行して行きます。ところが、最後にそれが小四郎の切腹によって、盛綱をアッと驚かせる大転換が起こます。これを 「事前の謀」があったが如くに、見事にシナリオを書き変えて見せたのは、盛綱だったのです。そうでなければ盛綱は「弟への心ざし・・」と言って笑って腹を切ることは決して出来ないでしょう。
ですから「盛綱陣屋」のドラマのなかに、通奏低音のような形で、舞台に登場しない高綱の存在があるということです。主人公の心理プロセスを追体験すること、それはまさに芝居を流れにおいて感じ取るということです。そういう音楽的な感性で「盛綱陣屋」を見て欲しいと思いますね。
(H25・6・16)