(TOP)         (戻る)

九代目中車の助右衛門と、いわゆる「歌舞伎らしさ」について

平成25年12月・京都南座:「元禄忠臣蔵・御浜御殿綱豊卿」

四代目中村梅玉(綱豊卿)、九代目市川中車(助右衛門)


1)もっと開き直れば良いのです

今月の京都南座・「御浜御殿綱豊卿」は、綱豊卿に当初予定されていた仁左衛門が左肩手術の為に休演となり、梅玉がその代役に立ったものです。仁左衛門の綱豊はもちろん良いものですが、梅玉の綱豊も負けず劣らず良いものです。吉之助が思うには、仁左衛門の綱豊は流麗さが素晴らしい。しかし、近年は例えば「そちたちを信じたいのだ」という台詞の末尾で「シンジタ〜イ〜ノ〜ダ〜〜」と詠嘆調に長く引っ張る傾向が強くなって(昭和55年12月歌舞伎座での初役の時にはこうじゃなかったのですがね)、これを仁左衛門ならではのものと認めるとしても、後進にそこはあまり真似して欲しくないところです。これは青果劇の様式とは似て非なるものです。後進がお手本とするならば、梅玉の綱豊卿の方が良き参考になるかも知れません。梅玉は台詞を朗々と張り上げるようなことはしないから華やかさがちょっと乏しいように感じるかも知れませんが、しっかりと言葉を噛み締めるように淡々と(インテンポに近い感じで)リズムを取って台詞を発していて、実に正攻法の綱豊卿であるというべきです。だから梅玉は青果劇の台詞の持つ急き立てる気分を正しく表現出来ています。

*仁左衛門の綱豊の台詞の問題については・別稿「左団次劇の様式・補足・相手を押す台詞」で触れていますので、ご参照ください。

中車初役の助右衛門のことですが、まず申し上げたいことは、この梅玉の名品・綱豊卿を相手にして、歌舞伎の音楽的な感覚(台詞だけのことを言っているのではありません)というものがどういうところから来るのかということを、身体で実感して学んで欲しいということです。中車は、梅玉の綱豊卿のスタイルに合わせて、その在るべき助右衛門像を構築せねばなりません。歌舞伎では、主役に合わせるということが出来ねばなりません。中車にそういう余裕はまだないだろうけれども、後でも良いからビデオを見て、そういうことを考えてみて欲しいのです。はっきり言って、中車の助右衛門は、まだ梅玉の綱豊卿とは感触が噛み合っていない。のみならず中車(と云うより俳優香川照之と云うべきかも知れないが)の強みが生かされていない助右衛門です。何が自分の強みなのか、中車はよく考えてみることです。

中車の助右衛門に歌舞伎役者としての進歩が見えないわけではありません。中車初舞台の「小来栖の長兵衛」(平成24年6月演舞場)は歌舞伎初体験にしてはまずまずだった」ということで、吉之助は好意的に書きましたが・これは御祝儀相場ということもありますが、初代猿翁のビデオ(昭和33年収録)を良く真似て・無心に演じた故でしょう。しかし、翌月の山岡鉄太郎(「将軍江戸を去る」)は唾を飛ばして怒鳴るばかりで手も足も出ず、平成25年1月大阪松竹座での石川五右衛門(「楼門五三桐」)も力むばかりで歌舞伎になっていませんでした。今回の助右衛門はちょっと心配しましたが、山岡の時のような怒鳴る台詞にはなっておらず、それなりの舞台発声になって来た感じで、そこに進歩は見える。もっとも、まだ新歌舞伎の様式にはなっていません。歌舞伎とはどういう演劇か、どういう演技なら歌舞伎だと言えるのか、どうしたら歌舞伎でないということになるのか、それは曽祖父(初代猿翁)の芸を考えるということでもあるわけですが、そういうことを、中車はもっと考えていくべきなのです。普通はそういうことは役者の家に生まれて・幼い頃から生活のなかで理屈ではなく感覚として身に付けていくものでしょうが、中年過ぎて歌舞伎の世界に入った中車の場合は、そういうことを理屈で・頭で身に付けていかねばなりません。だからまず優れた役者の舞台を沢山見ることです。

中車が初代猿翁の初演した新歌舞伎の役々を取っ掛かりに歌舞伎に入っていくことは、中車が初代猿翁に柄が近いと思えることからも正しいやり方です。まず新歌舞伎でひと通りの位置を見出してから、徐々に古典に入っていけばよろしいでしょう。問題は、中車についてはどんな演技をしても多分「これは映画的・テレビ的な演技で歌舞伎になってない、子供の頃から修行をしてない者に歌舞伎は所詮無理なんだよ」というような批判(というか中傷というか)が常に付きまとうわけで、本人もそれを承知しており・これが自分の弱みだと思っているものだから、「歌舞伎らしさ」に必要以上にこだわらざるを得ないということです。

それでは「歌舞伎らしさ」というのはそもそもどんなものかということですが、これが歌舞伎の世界では曖昧模糊として、実にいい加減なものなのですな。 吉之助は、サイトでよく書きますが、歌舞伎役者が無批判的に惰性でやってきたダルい要素、これを吉之助は、いわゆる「歌舞伎らしさ」と呼んでいます。会田雄二先生が「日本人が磯の香りと呼んで懐かしがっているもの、あれは潮の腐臭だ」とよく言っていました。いわゆる「歌舞伎らしさ」もそんなものです。ホントに創造的な精神というものは、そういうものとは無縁のはずなのですがね。そんな「歌舞伎らしさ」に付き合わねばならないというところが、中車の不幸であるということです。それと同時に、これは現代に生きる歌舞伎役者の不幸でもあるわけですが、歌舞伎役者には「俺たちはいつだってこういう風にしてやってきた」みたいな妙な自負があるのですなあ。中車の助右衛門を見ていると、誰に習ったのかは知りませんが、その教えた方の、いわゆる「歌舞伎らしさ」へのこだわりが察せられます。実は、この・いわゆる「歌舞伎らしさ」こそ、梅玉の名品・綱豊卿と感触が噛み合わない原因になっているのですけどね。

だから中車は、もっと開き直れば良いのです。「俺は映画の世界から歌舞伎に入ったのだから、心理的な綾の表現ならば誰にも負けないぞ」とか、「役の解釈の深さなら任せとけ」とか、そういう風にです。考えてみてください、映画の時代劇全盛期のスターは、坂東妻三郎にしても・市川右太衛門にしても・長谷川一夫にしても・市川雷蔵にしても、みんな歌舞伎の出身ではないですか。時代劇のテクニックは、すべて歌舞伎から出たのです。今の映画の時代劇は感触がずいぶん変わって歌舞伎から離れてしまったように見えますが、表現の変遷ベクトルを逆に辿るならば、それはすべて歌舞伎に帰るのです。そんなことは、俳優香川照之ならばお分かりのはずです。歌舞伎の演技にも映画の時代劇の演技にも、すべての演劇に共通する何かがあることを見せてやらねばなりません。そこが取っ掛かりになるのです。これこそ中車の強みなのです。吉之助は俳優香川照之の映画をそう見てるわけではないけれど、強烈な個性と気迫を発揮してなかなかのものであることは知っています。吉之助は血筋・家柄なんてものに興味はないですが、そんな吉之助でも香川照之の演技を見れば「やっぱりこれは役者の血から来るのか・・・」などということを思います。だから、中車は開き直れば良いのです。いわゆる「歌舞伎らしさ」なんぞにこだわる必要はないはずです。

2)もっと自然にやれば良いのです

中車の助右衛門の、どこにいわゆる「歌舞伎らしさ」を感じるか、そういうものが自分の演技を歌舞伎にする大事な要素だと中車が誤解している(あるいは思い込まされている)ということを検討していきたいと思います。

まず助右衛門の化粧が良くありません。もっと素に近い感じに、浪人の助右衛門ならばもっとむさ苦しく造るべきです。言っちゃあ悪いけれど、その方が中車の柄に合ってもいるでしょう。初演の初代猿翁の助右衛門も多分そうであっただろうと思います。まず梅玉の綱豊の化粧を良く見ることです。綱豊の化粧は歌舞伎のお殿様だから白く塗りますが、それでも古典とはちょっと違う。どこかに写実の風が見えると思います。これに対する助右衛門はいわば世話の役なのだから、もっと写実に、映画の時代劇的な化粧であっても構わないくらいです。中車の助右衛門の化粧は、例えば「七段目」の平右衛門ならばまあそんなものかも知れませんが、そこにいわゆる「歌舞伎らしさ」、こうすればとりあえず歌舞伎らしいでしょみたいなところが匂います。しかし、これは新歌舞伎作品なのですから、もっと写実を主張すべきなのです。

例えば助右衛門に探りを入れる綱豊の言葉に反応して助右衛門は盛んに煙管と灰皿に叩き付けてカンカンと音を立てます。もちろんこれは青果の指定ですけれど、中車の助右衛門を見ていると「ハイこの箇所で合いの手のお囃子を入れます」という感じで打っているように聞こえます。畏れ多くも綱豊に「オイいい加減にしゃべるのを止めんかい、俺は苛立っているんだぞ」という如く、煙管 を灰皿に叩き付けているように見えます。助右衛門は確かに綱豊の言葉に苛立ってはいるのです。しかし、綱豊に対して怒っているのではなく、苛立つ自分に対して怒っているのです。綱豊の言葉に対して無関心を装いながら、実は今宵の宴に参加する吉良の動静を注意深く探っています。だから綱豊の言葉を逐一聞いています。そのことを気取られてはならないので、助右衛門は煙管を小道具にしながら、綱豊に対して無関心を装います。しかし、煙管と灰皿に叩き付けるタイミングで、助右衛門の気持ちは実は丸見えになっているのですがね。

中車の助右衛門は、煙管と灰皿に叩き付けるタイミングしか頭にないようです。一体、煙管を灰皿に打ち付けるというのは、どういう意味でしょうか。煙管のなかに 詰まった灰・煙草の焼け残りを煙管から打ち出すということです。ならば煙管を打ち付ける直前に「おっと煙草が尽きたか・・」とか「どうした、煙の通りが良くないぞ」とか、煙管の具合ばかりを気にして綱豊の言葉に対しては平静な風を装う、そのような仕草をしながら煙管を打ち付けるタイミングを計るのです。煙管を打ち付けた後には、煙管をぷっと吹いて煙管の通りを確かめる、そういう仕草が必要になるのです。そうした 一連の仕草を経ることで、煙管を灰皿に打ち付けることを、彼がそこでそれをするのが当然であるような自然の演技に出来るのです。実はそのような自然の演技は、観客に対して見せる為ではなく(つまり煙管の扱いを知っていることを見せるのではなく)、綱豊がしゃべっている最中に煙管を灰皿に打ち付ける行為が失礼にならぬように、喫煙中の行為としてごく当たり前の行為に見せるように、これは必要なことなのです。なぜならば助右衛門は綱豊の言葉に苛立っており、内心のざわめきを綱豊に気取られてはならぬからです。そのような心理的な段取りがその行為にあるのですから、そこを写実の演技で構築する必要がある。煙管を叩き付けるタイミングよりも、その前後が大事なのです。そこに助右衛門の苛立ちが表現されねばなりません。そのような演技は、映画俳優には出来ないのでしょうか。そんなはずは決してないと思います。中車ならば出来るはずだと思います。

そのようなことが出来ていない傍らで、中車は綱豊の言葉に逐一反応して・過剰に顔の表情を変えることはしています。特に目の演技が激し過ぎます。そこにも、いわゆる「歌舞伎らしさ」、こうすればとりあえず歌舞伎らしいでしょみたいなところが匂います。このような演技をするのが、歌舞伎らしい演技 だと思い込んでいる(あるいは教え込まれている)のだろうと感じます。しかし、これはあまり根差しの良くない心理主義・自然主義です。こういうのは写実でも自然主義でも何でもなく、本人は演じる本人は如何にも心理の綾を克明に描いているつもりで新しがっているけれども、実は画一化したパターンのなかに心理を押し込んでいるだけで、ちっとも新しくないのです。こういう演技は、説明的で臭く感じ られます。こういうところをこそ整理せねばならないのです。もっと自然にやれば良いことです。いつも映画でやってるように自然におやりなさい。それで新歌舞伎に十分なるんだということを、みんなに 見せておやりなさい。中車はもっと開き直れば良いのです。晩年の萬屋錦之助が久しぶりに歌舞伎座で演じた幡随院長兵衛の舞台を見ましたが、実に堂々たるものでしたよ。

3)作品や役のオリジナリティーを追求することです

「御浜御殿綱豊卿」の脚本を読めば、確かに助右衛門は 綱豊の言葉に敏感に反応するところがあります。例えば「そちの望む隙見、本所辺の者の参会までは、まだ大分時刻がある」と言うと、助右衛門はギックリして「や!」と叫ぶ。「かぶせた枡をそろそろと、すみの方から開けてみたれば、中はからっぽ」と言うと、思わず「や!」と叫ぶ。これはもちろん青果が脚本に指定していることですが、助右衛門は綱豊の言葉を一言逃さず聞いていて、言葉に入れ込んでいるから、そうなるわけです。観客はもちろん赤穂義士の討ち入りの意思・彼らがそれをやり遂げたという結末を承知しており、これを前提に青果の脚本も書かれていますから、助右衛門が「や!」と叫んだところで綱豊がそれで心底見破るわけでもないのです。しかし、このような反応は助右衛門の心底を見せる・つまり底を割るということになりかねませんから、多用されてはならぬことですし、青果もそういう箇所をたくさん入れたわけではありません。

「綱豊の追求から仇討ちの大望を如何に隠し通せるか」というところに助右衛門の性根を置いてしまうと、助右衛門は綱豊の言葉に頻繁に反応してしまうことになります。何か言われるたびに、ハッとしてみたり、顔をしかめてみたり、目を宙に泳がせたりすることになる。そういう些末な工夫が、演技の大事だということになってしまいます。いわゆる「歌舞伎らしさ」への意識は、そのようなところに解釈の取っ掛かりを見つけようとするのです。しかし、如何にも心理主義的な演技を気取っているように見えますが、そのような演技ベクトルが実は自分の方に向いていて、綱豊の方に向いていないのです。助右衛門は綱豊の言葉を一言逃さず聞いているのですから、綱豊の方に向いて演技をせねばなりません。中車の助右衛門は、性根の置き方の根本が違っていると思いますねえ。

例えば中車の助右衛門は、綱豊が真剣に助右衛門の心を開こうと、「助右衛門、まだ分からぬか、俺を見よ。俺の眼を見よ。俺は、あっぱれわが国の義士として、そちたちを信じたいのだ」と訴える場面、対話の肝心要の箇所で、綱豊の目を見詰めて聞いていませんね。この場面を、中車はあちらの方を見詰めて聞いています。これでは駄目です。ここはしっかりと綱豊に向き合わねば。脚本をもっと読み込むことです。そんなこんなの積み重なりで、助右衛門の演技が綱豊と噛み合って来ません。だから対話が綱豊と助右衛門の駆け引きに見えて来ないのです。

多くの批評で「御浜御殿綱豊卿」の綱豊と助右衛門の関係は、赤穂浪士の動静を知ろうと盛んに探りを入れる綱豊、それを気取られまいとする助右衛門という二元構図に論じられています。綱豊のことを、第三者的な立場から赤穂浪士の行く末をあれやこれやと気を揉むお気楽なお殿様だと書いている批評さえあります。そのような読み方をする方は、助右衛門の「あなた様には、六代の征夷大将軍の職をお望みゆえ、それでわざと世を欺いて、作り阿呆の真似を遊ばすのでござりまするか」という台詞も、「煩い、いい加減これ以上俺に仇討ちするかしないかの詮索をするんじゃない、シツコイぞ、それならばこっちからも聞いてやる」という感じにしか聞かないでしょう。まあ中車の助右衛門も、確かにそのように見えますね。しかし、それならば助右衛門は綱豊に手討ちにされずには済まないはずですが、綱豊は一時的に怒りはするものの・結局は笑って済ませています。それは何故なのでしょうか。そういうことをもう少し深く読んで欲しいのです。これについては別稿「指導者の孤独」をご参照いただきたいが、ちょっと触れておきましょう。

『わしは一時の戯れ心からそちに訊ねているのではないぞ。少しく義理に迷うところもあり、是非ともそちたちの思案のそこを極めたいと思ったのだ。(中略)わしは今、そちたちには頭を下げても頼んでも、その企てありと聞きたいのだ。(中略)綱豊のために、行くべき道を示せと言うのだ。助右衛門、まだ分からぬか、俺を見よ。俺の眼を見よ。俺は、あっぱれわが国の義士として、そちたちを信じたいのだ。』

赤穂浪士に向かって「綱豊のために・これからの日本のために・我々が行くべき道を示せ」と言っているのです。赤穂浪士の討ち入りは、その後の日本の民衆に、これこそ武士の理想の生き方であるとされたものです。この綱豊の台詞は、もしかしたら元禄当時にあり得なかった台詞かも知れません。それは元禄赤穂事件から二百数十年経った未来から、つまり未来に在る真山青果から、赤穂浪士たちに向かって放たれた言葉かも知れません。俺はどう生きるべきか・どう行動すべきか、綱豊も迷っているし、助右衛門も迷っている。そして誰より彼らの背後にあるところの大石内蔵助が迷っています。彼らは解答を知りたいのです。解答が見つからないから、「元禄忠臣蔵」の登場人物はみんな悩み・もがき苦しんでいるのです。

ですから「御浜御殿綱豊卿」の構造は、綱豊と助右衛門の単純な二元対立構図ではないのです。まず最初に、内蔵助の真意が読めないで苦しんでいる助右衛門がいるのです。綱豊がいろいろ探りを入れてくるけれども、仇討ちが出来るのか出来ないのか、内蔵助にそのつもりがあるのか・ないのか、助右衛門自身がよく分かっていないで悩み苦しんでいるのですから、綱豊に仇討ちの意思を問われても、助右衛門は ホントはそれを隠すどころではない。助右衛門に本音を言わせれば、「そういう質問は俺から内蔵助さまに差し上げたいくらいだ、その答えを知っていれば俺はこんなに悩みはしないんだ」ということなのです。綱豊に聞かれれば聞かれるほど、助右衛門は苦しくなっていく。だから助右衛門は「あなた様には、六代の征夷大将軍の職をお望みゆえ、それでわざと世を欺いて、作り阿呆の真似を遊ばすのでござりまするか」というトンデモナイことを言い始めるのです。これは拷問を受けた助右衛門の悲鳴に近いものです。 つまり「内蔵助さまはまだ俺たち部下の気持ちが分からぬのか。遊興三昧ばかりして・まだ決断をしないのか、いい加減にしろ」ということです。綱豊は、そういう彼の気持ちが分かったからこそ、「助右衛門。わりゃ俺に、憎い口を利きおったぞ」と笑って許すのです。

ですから綱豊と助右衛門との関係を単純な二元対立構図として読むことは、あまり根差しの良くない心理主義・自然主義から来るものです。いわゆる「歌舞伎らしさ」の感覚にどっぷり浸かっているから、「歌舞伎という芝居はこんなもの」という解釈に落ちてしまうのです。いつもやっているパターンのなかに安直にはめ込むことで満足してしまって、そこから更に作品や役のオリジナリティーを追求するところに至らないのです。これでは歌舞伎は、創造的精神からますます遠いものになってしまいますね。

中車の助右衛門を見ていると、中車も周囲からそういうことを教え込まれて、これからいわゆる「歌舞伎らしさ」に次第に染まっていくのだろうということを思いますねえ。そうやって中車も歌舞伎役者になっていくのでしょうかね。そういう風にちっちゃくまとまるならば、ツマラナイことだなあと思いますねえ。だから、中車は開き直れば良いのです。もっと自然にやれば良いのです。映画でやってるように自然におやりなさい。それで新歌舞伎に十分なるのです。いわゆる「歌舞伎らしさ」なんぞにこだわる必要はありません。

(H26・1・5)


 (TOP)         (戻る)