与三郎の台詞のリズム
平成22年1月歌舞伎座:「与話情浮名横櫛〜源氏店」七代目市川染五郎(十代目松本幸四郎)(与三郎)、九代目中村福助(お富)
1)八代目団十郎の与三郎のイメージ
『一時廃れていたこの狂言(切られ与三郎)を再興したのは先代(十五代目)羽左衛門であるが、羽左衛門の芸の先輩五代目菊五郎はあまりそれも芳しい評価を受けずに、与三郎をただ一度演じたに過ぎない。昔の俳優は柄(がら)というものに実に敏感で、多少でも自分と役との間に溝が感じられるときは、演ずることを躊躇したようである。与三郎は実は八代目(団十郎)一代のものであったかも知れぬ。九代目(団十郎)は「江戸の親には勘当受け」の台詞で見物をホロリとさせたと言うが、羽左衛門のは大分違った与三郎になっていた。わずかに、安に帰ろうとせきたてられて「そんなに言わねえでもいいじゃないか」という台詞を、甘ったれたように言って、その言いまわしに、八代目以来の役柄をほのめかしたに過ぎなかった。これは羽左衛門が五代目菊五郎というものを濾過した歌舞伎の俳優だったからである。』(戸板康二:「続・歌舞伎への招待」〜「切られ与三郎」・昭和26年5月・文章は多少吉之助がアレンジしました)
戸板康二:続 歌舞伎への招待 (岩波現代文庫)
冒頭に掲げたのは昭和後半の最も重要な劇評家のひとりであった戸板康二氏の文章です。この文章を読んで吉之助がホウと思うのは、戸板氏の世代ならば与三郎は十五代目羽左衛門が極め付けというのがほとんど信仰に近い常識であって、ましてや戸板氏は自他共に認める橘屋贔屓であったにも係わらず、「与三郎は実は八代目一代のものであったかも知れぬ」と戸板氏が書いていたからです。もちろん羽左衛門の与三郎が悪いと書いているわけではなく、その辺は戸板氏らしい抑制の効いた筆致ではありますが、しかし、羽左衛門のはホントの与三郎とは違うかも知れぬと戸板氏が言うのです。ひとは誰でも自分が熱中して見た時代の歌舞伎が最高と思いたいもので、「俺の贔屓の橘屋の演じる与三郎、いいねえ、これを見た人でなきゃ与三郎は分からないネ」となりやすいものです。まあファンとして楽しむ分にはそれでもちろん良いわけですが、批評を書くならばそれだけでは困るわけです。舞台を見た印象だけから作品や役を考えるならば、それ以上にイメージが拡がることがありません。しかし、大正〜昭和前半を通じ羽左衛門の与三郎が最高と言われた時代が確かにあったわけで・戸板氏もその芸を堪能したでしょうが、感心するのは羽左衛門の舞台の印象だけで与三郎という役を推し量らないことです。戸板氏の文章は芸を楽しむ余裕と・芸を突き放してみる客観性を兼ね備えていて、これは見習いたいものだと思います。
「与三郎が八代目団十郎一代のもの」ならば、その与三郎はどんなものであったでしょうか。そういうことをいろいろ考えてみるのは愉しいことです。八代目は美男役者と言われましたが、こんなエピソードが残っています。八代目は借金を多く抱えていましたが、その日の朝も玄関先に証文を手にした借金取りが集まっていたようです。そこに八代目が現れて、借金取りが詰め寄ろうとしたところ、八代目はにこやかに「みなさま、よくおいで下さいました。私はこれから芝居に出なければなりませんのでお相手ができませんが、どうぞごゆっくりなさってください」と挨拶したそうです。すると居合わせた借金取りたちが「行ってらっしゃいませ」とそろって頭を下げたそうです。このエピソードは人柄の大きさと言うのともちょっと違っていて、人から金を借りることに対する卑屈さもない、金の苦労とか世間の苦労ということも頭のなかに観念として全くない・春風駘蕩たる雰囲気、そういう感じがあったのだろうと想像します。
このエピソードなどから想像すると八代目の与三郎というのは、フッとしたことからお富という女に何となく惚れてしまい、それが赤間という親分の妾だったのでエライ目にあってしまったけれど・それも何となく風に吹かれるままのことで、今は蝙蝠安と強請り稼業をしているけれど・それも風の向くままで、そこに運命流転の暗さや落ちぶれたことの卑屈さはないものだろうと言う気がします。蝙蝠安が与三郎を連れまわしているのはいろいろ理由があるでしょうが、結局、与三郎という人間が可愛いのだろうと思います。何と言いますか、安から見ると与三郎には自分に全然ないものがある・それが安にはたまらなく羨ましく愛おしいのです。だからついカッとなってきついことを言ってしまっても ・与三郎に「そんなに言わねえでもいいじゃないか」と言われると、「いけねえ、こいつは俺が言いすぎた」と頭を掻きながら笑って許してしまう。逆に言えば与三郎にどこか守ってやりたい魅力がある。吉之助は与三郎をそういう感じに見たいなあと思うのです。
(H22・1・17)
2)与三郎の台詞のリズム
「人から金を借りることに対する卑屈さがない・金の苦労とか世間の苦労ということも頭のなかに観念として全くない」と書くとちょっと頭の弱そうなボンボンが思い浮かびますが、実はそうではありません。もちろん与三郎も本人なりの苦痛や苦悩を内に秘めながら生きています。別稿「和事芸の起源」において「廓文章」の伊左衛門の台詞に「恋も誠も世にあるうち」とか「七百貫目の借金負ってビクともいたさぬ伊左衛門」という台詞が出てくるのはそこに大阪商人の意気地が出ているのだということを考えました。与三郎もまったく同じで、そこに大店の若旦那の気概があるのです。それがヤンワリした印象で出るのが和事です。どんな苦労があってもそれを苦痛として表情に表すことを潔しとしない育ちの良さということです。言い換えれば内面の強さということになります。この点において上方和事でも江戸和事でも変りはありません。
しかし思いを致させねばならぬのは、借金取りを見事にかわした八代目団十郎でさえ不可解な自殺という形でその生涯を閉じたことです。つまり美男でモテモテで、何の悩みもなく・やりたいことは何でも出来たように見えた八代目でも、やっぱり何かしらの苦悩を抱えて生きていたわけです。まあ生きている以上は誰でも何かしらの悩みがあるのは当然ですが、これは芝居の伊左衛門や与三郎にとってもまた当然です。和事のやつしとは高貴な身分が落ちぶれて哀れな様を見せるものだとよく言われます。しかし、それはやつし を表層的に理解しているのであって、本当に大事なのはそんなことではありません。やつしの本質とは「自分が今この世で生きているのは仮初めの人生である・ほんとうに自分が生きたいのはこのような人生ではない」という思いにあります。そういう鬱々とした思いを内に秘めて・それを見せないのがやつしなのです。内心に沸々として煮えたぎり・しかし蓋でしっかり押さえられていた心情が何かのきっかけでワッと噴出します。「イヤサお富、久しぶりだな」というのはそういう台詞なのです。
死んだと思っていたお富・言わば宿命の女がそこにいると気付いた瞬間から与三郎は自分が抑えられなくなっています。こうなると与三郎も元若旦那でも何でもなくなって、ここで与三郎の男としての心情が噴出し始めます。「・・・そりやナ、一分もらって有難うごぜエますと言って帰るところもありゃあマタ、百両百貫もらっても帰られねえところもあらあナ・・」という与三郎の台詞ですが、最初は与三郎も抑えた調子で言い始めますが、与三郎はしゃべりながら段々自分を抑えられなくなってきます。「・・有難うごぜエますと言って帰るところもありゃあマタ」という部分はしゃべりながらだんだんカッカしてくる感じでクレッシェンドしてしゃべり、「・・百両百貫もらっても」ではついに声を張り上げてしまうのです(つまり時代の口調になる)。逆に「・・ところもあらあナ」では若干気分を戻して(世話に戻して)、ここを早い調子で強く言い切る。するとこれが江戸前の世話の感覚になるのです。「・・あらあナ」の部分をゆっくりと言う役者が多いと思いますが、これでは時代の感覚になってしまいます。ここが与三郎の見顕しの終わりならば時代で納めてもまあ良いと思いますが、見顕しはこれから始まるのです。
「しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを・・」という有名な台詞ですが、歌う必要はありませんが、リズム感は必要です。この台詞は基本的に七五調ですが、黙阿弥の七五調とはリズムが全然異なります。黙阿弥風に言うならば二字目にアクセントが付きますから、「シガネエコイノ/ナサケガアダ●」(七七)となるわけです。(赤字をアクセントとお読みください)だいたい現行の舞台で聞く与三郎は、これをダラダラ調に言っているものと考えて良いと思います。
しかし、本当の瀬川如皐の七五調は関東方言の頭打ちのアクセントになるので・最初にアクセントが付いて、「シガネエコイノ/ナサケガアダ●」(七七)の感じで言うものです。これが江戸生世話のリアルさを生んでいるのです。さらに台詞を細分化していくと「「シガネエコイノ/ナサケガアダ●」という風に、更に細かいリズムがタンタンタンと頭打ち の感じで付くのがお分かりかと思います。黙阿弥の七五調は押しては引く緩急のリズムになります(別稿「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える」をご参照ください。)が、如皐の場合はそれとはまったく異なり、そのリズムが微妙にプッシュする感覚となります。ですからこの台詞も若干早めのテンポで押した方が良いのです。そうすると歌うような感覚は当然弱くなります。この如皐の七五調のリズムはもちろんアジタートのバリエーションです。それは後の二代目左団次の新歌舞伎の急くリズムにどこか似ています。そのリズムは新歌舞伎ほど意識された強いものではありませんが、それを未来に予期したリズムなのです。この急いた感覚は、もちろん与三郎のなかにある・ずっと腹のなかに溜め込んでいたものを一刻も早く吐き出してしまいたいという思いから来るのです。
録音をいろいろ聴いてみると、吉之助がイメージする如皐の七五調のリズムに最も近い台詞をしゃべる与三郎は十一代目団十郎であると思います。ただし十一代目の場合はちょっとリズムが強 く威勢が良過ぎて・もう少し柔らか味があれば良いなあと思うところはありますが、頭打ちのアクセントが小気味良い与三郎です。十五代目羽左衛門の場合は独特の愛嬌を感じさせる与三郎ですが、台詞がやはり黙阿弥に近い感じで処理されており・時代の印象が強いものだと思います。
(H22・1・20)
3)染五郎の与三郎
現在の与三郎ということなら第一に名前が挙げるのは仁左衛門だと思います。ただし仁左衛門の与三郎は十五代目左衛門に対する世間のイメージを受け継いだもので・もちろん色男の風情を感じさせる優れたものですが、致し方ないですが・やはり上方和事の色が濃いもので・江戸前の感覚とはちょっと違う与三郎です。(注:ここで吉之助が上方和事と言うのは、いわゆる柔らかさ強調した伝統的な上方和事のことです。別稿「和事芸の多面性」を参照ください。)何と言うか、全体にねっとりと滑らか過ぎて、そのため型物めいた印象になっています。仁左衛門の「しがねえ恋の情けが仇・・」の七五調のフォルムは黙阿弥との区別がついておらず・しかもいわゆるダラダラ調で、吉之助には違和感があるものです。江戸前の生世話としてはもうちょっとサッパリとした切れが欲しいのです。しかし、まあこれは上方の仁左衛門ならではの与三郎であると言うべきです。そういう意味で次代の与三郎役者に期待したいわけですが、そこで染五郎ということになります。
染五郎の与三郎は風情として仁左衛門を引き継ぐ良い資質を感じさせ、手順も大筋で仁左衛門を踏襲しているように思います。染五郎は見掛けより意外と声の調子が低いようで、仁左衛門のような朗々とした台詞回しとは行きません。これは損な面があるのは確かで・印象が地味で渋く見えるのはそのせいですが、与三郎の実(じつ)の印象が強まったという点でなかなか興味深いものを感じさせます。またこの場面で敢えて台詞を歌わないという姿勢も評価できます。この感じで「江戸の親には勘当受け」などでちょっと憂いを入れる工夫をすれば、与三郎の心情にもっと実が出てくると思います。しかし、染五郎の七五調も二字目にアクセントを打っており ・頭打ちの江戸前のアクセントになっていないのと、やはり台詞全体にリズム感が欲しいのです。リズムが頭打ちになれば台詞に押す力が出てくるのです。先に書いたようにそれは新歌舞伎のように強いリズムではありませんが、前に押すリズムが「自分が本当に生きたいのはこのような人生ではない」という与三郎の実の心情を表すのだということを考えて欲しいなあと思うのです。
福助のお富は・元は赤間の親分の妾であるからさほど素性の良い女でないという解釈で演じているのでしょう。藤八や蝙蝠安に対する態度がずいぶん悪婆めいた感じです。まあ お富は辛抱役でいまひとつ役として食い足りないところがあろうから、こういう解釈をしたくなる気持ちも分からぬことはないなどと思って見ていると、与三郎や多左衛門の前では打って変って従来のお人形さんのお富さんになるので、役の性根が一貫せぬようです。これはどちらでも良いですがどちらかに通してもらいたいですねえ。福助はちょっと考え過ぎではないでしょうかね。
(H22・1・25)