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桜姫の女のプライド

平成21年7月・渋谷コクーン:「桜姫」・歌舞伎版

十八代目中村勘三郎(清玄)、三代目中村橋之助(八代目中村芝翫)(権助)、 二代目中村七之助(桜姫)

串田和美演出

(参考舞台:平成21年6月・渋谷コクーン:「桜姫」・現代劇版)
長塚圭史脚本、串田和美演出、十八代目中村勘三郎(ゴンザレス)、白井晃(セルゲイ)、大竹しのぶ(マリア)


1)女のプライド

別稿「をむなもしてみんとて」において、折口信夫の「女歌」(女性が作る短歌)についての考察を取り上げました。折口は昔の和歌の・男歌と女歌はとても違ったものだったということを言っています。好きな男が仕掛けてくると、それをビシバシと歌で撥ねつけていく・そうでないと「女がすたる」というのです。

『ともかくそういう風の世の中だから、女は男にまともに答えておってはいけない。とうぜんその結果、女というものは非常にプライドが高い。平安朝の女の一番の資格はプライドが第一である。「心おごり」という言葉がありますが、それなのです。これのない女は上流の婦人としての資格がない。女というものは、男の言う通りすぐ従うというのは女の値打ちではない。昔のおんなは、そういう風に男をはね返す練習ばかりしておった。』(折口信夫・女流歌人座談会・座談会「女歌について」・昭和8年1月)

この座談会は「女歌についての折口の話しを聞く」という目的で企画されたものでした。日本文学における女歌の歴史的位置を女流歌人たちに向かって折口は語るのですが、もしかしたら折口の語ったことは彼女たちから反発を喰ったかも知れません。事実、折口の話しの後に「先生は女の人の歌をほんとうに見てくださらない」という不満の声が出てきます。多分折口が話しの冒頭で語った部分にカチンと来たのだろうと思います。

『(今の女の人の歌が)男の人の歌と、どれだけ違うかということです。あまり違わなさ過ぎるとこう思います。その点が今の女性の歌の欠陥かと思います。昔の歌を見ますと、男の歌と違いすぎるというふうに考えます。それで実のところは、そんなことも導きになって、またあなた方 (座談会同席の女流歌人たち)に、女はこういう歌を作って、男と違うのだという、皮相な考えではなく、赤ん坊に乳を飲ます歌、嫁入りの歌、そういうことでなしに、根本から違っていることを教えていただけるかも知れません。』(座談会「女歌について」・女流歌人座談会・昭和8年1月)

彼女たちがカチンと来たとすれば・それは間違いなく「・・男と違うのだという皮相な考えではなく赤ん坊に乳を飲ます歌、嫁入りの歌、そういうことでなしに・・」という箇所です。折口の言いたいことは、赤ん坊に乳を飲ます歌・嫁入りの歌、そのような女性にしか体験できない・男にはできないシチュテーションに頼るのではなく、技巧として女性にしか表現できないもの・女性であればこそ表現すべき感性があるのではないかということです。日本文学にはそうした歴史的背景があったということを折口は指摘しています。彼女たちは折口の発言に何だか女性であることの根拠が否定されたかの如く感じたのかも知れません。しかし、折口にそういう意図は毛頭ないのでして、言葉の端々に気を取られず・落ち着いて折口の言うことを考えてみたいと思います。別の座談会で折口はこう言っています。

『虚構そのものが生活そのものにならなくてはならない。みえすいた虚構では困る。私はこの頃女の歌を褒めて、大分攻撃されていますが、実際、日本の歴史から見ると、芸術は女の方が上手だった。芸術は女が向上させていった。この昔の女の働きをもう一度してもらいたい、昔の表現力を取り戻してもらいたい、そう思って褒めているんですが。』(座談会「近代抒情について」・昭和27年3月)

言い寄る男たちをビシバシ歌で撥ねつけていく。昔の貞操観念は神様に対するもので・人間に対するものではなかったと折口は言います。「みさを」という語は古くは神様に「見てくれ」という意味でした。だから女は簡単になびいてしまうわけにいかなかったのです。そのプライドの高さが女を一流にしたということです。文学をものした平安貴族の女房たちがそうでした。しかし、鎌倉時代以降は「平家物語」や「増鏡」などの歴史物語をみれば分かる通り、物語りのなかの「誣(し)い」的な要素が少なくなって・文学が全体的に真面目な実の方向に次第に傾いていきます。つまり以後の文学は男のものになり・女のものでなくなってきたのです。ですから折口は「プライドの高さ」ということに女の文学の復権の糸口を見ているわけです。

『要するに女は女だけの表現のあるべきものを失ってきたということなのです。(現代の女の人の和歌は)男の表現法に対抗するものをまだ持っていない。却って男の表現法に頼っている。もし女が、自らの表現法を取り返したら、女の文学は素晴らしくなる。今は男の表現法で女の方を表そうと努力しているが、それでは恐らく成功が難しいでしょう。』(座談会「近代抒情について」・昭和27年3月)

ところで吉之助も折口と同じような反発を喰うかも知れませんが、「・・男と違うのだという皮相な考えではなく、赤ん坊に乳を飲ます歌、嫁入りの歌、そういうことでなしに・・」という点は文学だけでなく、現代のジェンダー問題を考える時にも言えることではないかと思います。吉之助から見ると現代の文学でも映画でも例えばドロドロとした愛欲場面・そう したところに女の表現を安直に求める傾向が強いように思います。「必然性があれば脱ぎます」なんてのもそんなものです。ホントは女優さんを裸にしたい下心で製作側がわざわざそのようなシチュエーションにしてるのですがねえ。そんなもの必然性とは申しません。ですから「 ・・そういうことではなしに」・女性の表現の可能性を「女のプライド・気位の高さ」に見ようとするという折口の考え方はとても大事であると吉之助は思います。

(H21・11・11)


2)愛する亭主は殺されても良いのか

言い寄る男たちをビシバシと歌(和歌)で撥ねつけていく。その結果、女の歌は技巧的かつ実のないものになっていったという折口信夫の発言の真意をさらに考えます。それは結局、「女は男の批評たり得るか」ということだと思います。女の評価にかなうように男は常に自分を高めておかねばならぬということです。女の方は男に負けないように女を磨かねばならぬということでもあります。ゲーテが言うところの「永遠に女性的なるもの、我らを高みに昇らしむ」も同じことです。

『あの有名な「ゲーテの「永遠に女性的なるもの」には、一般に行われている解釈のように、何と言うか・華やかな意味しかないのであろうか。そうではなくて、精神の・従って・人類史のひとつの恒常的なカテゴリーを象徴的に示しているのではないだろうか。その語意の領域は、過去・現在・未来の女性の総和にしか及ばないのであろうか。いや、総体的現実のなかには、いかなる性別にもまた性の隠喩にもかかわりなく、こうした抽象的な閨房に入れられうる、女性以外の現実があることは疑いのないところである。』(エウヘーニ ー・ドールス:「女性的世界」・「バロック論」に所収・美術出版社)

そのようなことを考えたのは、本年(平成21年)7月・渋谷コクーンでの串田和美演出「桜姫」(歌舞伎版)の舞台ビデオを見て、鶴屋南北原作では・風鈴お姫(桜姫)が亭主権助を殺した後に我が子も殺し・その後にお姫様の姿に戻ってしまうという結末に串田氏はえらくこだわるなあと吉之助は不思議に思ったからです。串田版「桜姫」では、我が子を抱いたままでお姫様に戻ってしまうように大きな改変がされています。なるほど「母親ならば・亭主は殺せても・腹を痛めた実の子は殺せるはずがない・この非情の結末は許せない」というのは考え方として分からなくもないです。しかし、そうなると権助が可哀想になりますが、愛する亭主は殺されても良いのでしょうかね。まあ串田氏的には許されるのでしょうなあ。しかし、「桜姫東文章」を串田氏が自分の観点で「桜姫」を再構築しようという時に、ここはそれほどこだわらねばならぬ箇所なのですかねえ。

そこで本稿冒頭の折口発言に戻るわけですが、串田氏は「亭主は殺せても・腹を痛めた実の子は殺せるはずがない」ということに桜姫の女性(母親)たる根拠を見ているのでしょう。串田氏はイヤこれは桜姫の人間たる根拠であると言いたいかも知れませんが、そのように言うことを吉之助は躊躇しますねえ。「桜姫」全体を俯瞰した時に、この最後の箇所が・わざわざ改変を加えなければならないような・ドラマ全体の意味を根本的に左右する勘所であると吉之助には思えないからです。

それは「桜姫東文章」に桜姫が我が子に対して母性を表現する場面がほとんどないからです。唯一の例外は「三囲(みめぐり)の場」での「恋しゆかしの、みどり子の、逢いたい、仏神様、我が子に、何とぞ、逢わせて下さり ませ」という両花道での桜姫のパートの台詞がそれでしょうかね。しかし、この赤子には名前さえないのです。桜姫は「みどり子」とか「我が子」とか言いますが、一度も我が子を名前で呼んだことがありません。大体「桜姫」ではこの赤子は厄介物の小道具みたいに扱われて・あっちに遣られこっちに遣られ、桜姫と権助の荒 (すさ)んだ関係の結果としての役割しか負わされていません。別稿「母性喪失の隅田川」でも書きましたが、三囲の場で桜姫がフッと見せる母性ははるか昔の隅田川説話が触発する一時の感情にすぎないもので、仮の母親の役割 は結局清玄の方に負わされてしまいます。そして桜姫は母性を獲得しないまま娼婦に堕ちていくのです。そんな桜姫に最後の最後だけ母親の正当性を声高に主張されても困るのだよねえ。そういうところに「桜姫」の主題はないと吉之助は思うのです。

「桜姫」についての吉之助の見方は別稿「桜姫という業(ごう)」あるいは「桜姫・断章」をお読みいただくこととして・ここでは触れませんが、高貴なお姫さまが卑俗な娼婦に堕ちていくことの落差・切ろうとしても決して切れない男と女のドロドロとした肉欲と情念の柵(しがらみ)というところに「桜姫」の物語を見るのが、まあ「桜姫」の今日的な見方になるだろうと思います。そうすると桜姫の「女の性(さが)」ということが「桜姫」の主題ということになるわけです。ふたりの男の間に翻弄されて・波に揺られる木の葉の如く・情のなすまま・欲に揺られるがままに変転していく・それが女の人生よ・・・という感じですかねえ。普通ならそこで終わるものですが、さらに延長すれば桜姫の母性ということに関心が行くかも知れません。「亭主は殺せても・腹を痛めた実の子は殺せるはずがない・それだけが桜姫を人間に戻せる最後の縁(よすが)である」という串田氏の発想はそういうことだと思います。

しかし、ここで「・・男と違うのだという皮相な考えではなく、赤ん坊に乳を飲ます歌、嫁入りの歌、そういうことでなしに・・」という折口の言葉を引き合いに出せば、そのような皮相なシチュテーションに頼るのではなく、女性でしか表現できないもの・女性であればこそ表現すべきものがもっと別なところにあるのではないかということです。舞台を見る者が高められる・そのような「桜姫」の新たな表現の可能性を、次から次へと言い寄る男たちをビシバシ撥ねつける「女のプライド・気位いの高さ」に見たいと吉之助は思うのです。

(H21・11・18)


3)女は男の批評たり得るか

文化4年(1807)、品川の安右衛門という者の経営する遊女屋に「こと」という名の遊女がいて、この女が浅草源空寺の門前の善兵衛という者の養女になった後、自分は京都の日野中納言の息女であると言い出して 江戸の話題となりました。「こと」は官女のような格好で奉行所に乗り込んだり、客に正二位とか左衛門とかいった署名をして和歌を書いてやったりして、さらに評判は高くなりました。後に嘘だということがばれて、「こと」は奉行所から追放の処分を受けることになります。南北の「桜姫東文章」はこの事件を桜姫のキャラクターに取り入れたのですが、実説の「こと」は別に置いて、風鈴お姫(=桜姫)は娼婦と言えども・結局「商売」をやってはおらぬのです。全然商売にならないので・ 女郎屋の主人から戻されて風鈴お姫は山の宿に帰ってくるのです。

ひとつには枕元に青白い清玄の幽霊が出るので客が気味悪がって逃げてしまうということが理由としてあります。これは結果として清玄が桜姫を汚辱から守ったことになりますが、もうひとつ評判を聞いて続々とやってくる男たちを桜姫が和歌でビシバシ撥ねつけていく・吉之助はそういう場面を想像したいと思うのです。高貴なお姫様女郎ですから、そう簡単にさせるわけに行かないのです。そこに「女のプライド・気位の高さ」があるということです。「桜姫東文章」にはそんな 場面は全然出てきませんが、これは当然あり得る話だと思います。それくらいの滑稽場面は南北ならば書こうと思えばいくらでも書けたはずですが、南北がこれを「風鈴お姫が店から戻されました」で済ましてしまったのは・想像してみればそれだけで観客は思わず笑えちゃうということにあったと思います。だから山の宿で桜姫が聞かせるお姫言葉(時代)と女郎言葉(世話)のチャンポンがとても大事になるのです。女郎屋の座敷でも桜姫は同じような感じでふんぞり返っていたに違いないことが、これで容易に想像がつくからです。桜姫はその美貌で男を引き寄せておいて・男が寄って来たらば和歌など突きつけて・男をピシャンと撥ね付けるということをするのです。男たちは桜姫の気位とプライドに全然敵いません。女郎屋で桜姫はそのような形で男たちを試して・いたぶり・翻弄してきたに違いありません。つまり「女は男の批評たり得る」ということです。

ですから一見すると桜姫は男たちに翻弄されてあっちにフラフラ・こっちにフラフラしているようですが、実は桜姫はどこにあっても桜姫であってちっとも動いてはおらぬ 。翻弄されて騒いでいるのは男たちの方だということになります。「桜谷庵室」では桜姫は権助に対して随分積極的に働きかけているようですが、これも権助という男の性(さが)を顕わに引き出すために・意図するでもなく自然にそのように振舞うのであって、そのこと自体が権助に対する批評になっているのです。見方を変えれば翻弄されているのは権助の方です。清玄についても同じことが言えます。17年前の不心中によって切り取られた自休(=若き日の清玄)の生き方が桜姫という批評になるのです。清玄が言い寄っても桜姫は撥ねつけます。このことで清玄は常に過去の罪の意識にいたぶられます。清玄と権助というふたりの男を等価の位置に見立てるならば、そうした見方も可能になります。結局、桜姫はふたりの男たちの批評となるのです。気位とプライドを以って桜姫は凛と立つということです。

そう考えれば6月渋谷コクーンでの長塚圭史氏の脚本による現代劇版「桜姫」(舞台を南米に移し変えたもの)は翻案に悪戦苦闘されたことが伺われます(注:悪い意味で言っているのではなく褒めているのです)が、長塚氏は原作の核心たる主題をしっかり掴んでいることがよく分かります。つまりセルゲイ(=清玄)・ゴンザレス(=権助)のふたりの男の生き方・その裏に潜んでいた偽善性が、マリア(=桜姫)という存在によってあぶり出された。そのために男たちは自分の人生と向きあわざるを得ないということです。つまり「桜姫はふたりの男たちの批評である」という視点がそこにあるのです。ビデオで見る限り・幕切れがまた発端に戻るような円環感覚はなかったようで、マリアの存在が最後で急に消えてしまった感じがあって・その点は残念に思えましたが、まあそれは翻案ですから・別物の芝居と見れば良ろしいことです。

7月の歌舞伎版はこの6月の現代劇版の空気をそのまま引き継いで演じたとインタビューで勘三郎が語っていました。ある意味でふたつの芝居を重ねて見て欲しいということでしょう。歌舞伎版の幕切れのなかに、6月の最終場面の片鱗は確かにあったと思います。だとすれば亭主は殺せても・腹を痛めた実の子は殺せるはずがない」というシチュエーションは、幕切れの視点をブレさせただけで余計なことではなかったでしょうかね。串田氏は序幕「新清水」では登場人物を台車に座らせて・劇の進行に従ってこれを動かすとか・「三囲の場」ではうずくまる清玄に本水の雨を降らせるという工夫をしていましたが、どちらも瑣末的な仕掛けで、串田氏が「桜姫」をこう読むという視点から出たものではない。残念ながら「亭主は殺せても・腹を痛めた実の子は殺せるはずがない」という串田氏のご主張も、吉之助から見ると皮相なシチュエーションです。男との情愛のドロドロ・土壇場での母親の本能から来る子供への情愛・そのようなシチュエーションに頼るのではなく、女性でしか表現できないもの・女性であればこそ表現すべきものが別なところにあると思います。気位とプライドを以って桜姫は凛と立つ。それによって否応なしに男たちの生き様が見えてくるということです。このことは長塚氏の方が原作を素直に捉えていたと思います。串田氏も「女は男の批評たり得る」という視点を生かせれば歌舞伎版の方も面白くなったと思いますが、残念でしたね。

(H21・11・24)

桜姫東文章 (歌舞伎オン・ステージ (5))





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