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六代目愛之助の五郎蔵・六代目時蔵の皐月〜「御所五郎蔵

令和7年11月歌舞伎座:「曾我綉侠御所染〜御所五郎蔵

六代目片岡愛之助(御所五郎蔵)、四代目尾上松緑(星影土右衛門)、十代目松本幸四郎(甲屋与五郎)、六代目中村時蔵(傾城皐月)、五代目中村米吉(傾城逢州)他


1)愛之助の五郎蔵・松緑の土右衛門

本稿は令和7年11月歌舞伎座での、愛之助の五郎蔵・松緑の土右衛門による「曾我綉侠御所染〜御所五郎蔵」の観劇随想ですが、今回の舞台について述べる前に、例によって本作の成り立ちについてちょっと考えてみたいと思います。別稿「世話物としての小団次劇」で述べた通り、四代目小団次−黙阿弥の提携作品群(本稿ではこれを「小団次劇」と総称する)の根本は「写実劇」なのですが、音楽的かつ様式的な手法(本来これは反写実的な演技ベクトル)を取り込むことにより濃厚な味付けを施し、結果として写実(リアルさ)を反義的に際立たせるのです。つまり小団次劇とは、「自然主義演劇的なカブキ」だということです。このことは、先月(10月)名古屋での八代目菊五郎襲名で掛かった「鼠小僧次郎吉」(安政4年・1854・江戸市村座初演)などでも伺い知れることです。

小団次−黙阿弥の提携は、慶応2年(1866)3月小団次の死によって突然の終わりを告げました。このため小団次が押し進めた自然主義演劇への流れが断ち切られたまま、明治維新によって歌舞伎は新たなフェーズ(局面)を迎えることになったわけです。もし維新以後も小団次が存命であれば、歌舞伎の様相は全く異なったものになったに違いありません。そのような視点で小団次劇を眺めたいものだと思います。

「御所五郎蔵」は元治元年(1864)江戸中村座初演、これは小団次−黙阿弥の提携のほとんど終わりの時期に当たります。つまり小団次−黙阿弥共に脂が乗り切って、「自然主義演劇的なカブキ」の路線をさらに押し進めて行こうとしていた時期の作品なのです。ところが実際の歌舞伎で見る「御所五郎蔵は、ベターッと様式美に浸って・タラタラした七五の二拍子が続くダルい舞台で、生きた人間がまるで描けていないことが多い。これは一体どういうことか?これがホントに小団次−黙阿弥コンビが行き着いたところなのか?そう云うことを改めて考えてみる必要があるのです。

「御所五郎蔵」がどうしても時代物っぽくなってしまう原因は、「小団次−黙阿弥のコンビは下座音楽・七五調のリズムの多用など音楽的・情緒的表現に傾斜しすぎて・江戸歌舞伎の写実劇の伝統を見失ってしまった」などという誤解が「黙阿弥なんてそんなもの」という感じで巷間まかり通っているせいが最も大きいと考えますが、「御所五郎蔵」のことだけを云えば、本作が柳亭種彦の小説「浅間嶽面影草紙」(出版は文化6年〜文化9年)に取材したものであるからだと思います。「浅間嶽」の世界は元禄歌舞伎の時代から在った趣向でした。しかし、五條坂仲之町は場所は京都ですが、黙阿弥はまったく江戸吉原仲之町のつもりで書いています。だから「筑波なれえを吹き返す」と云うような台詞が出て来るのです。素直に本作を江戸を衒(てら)った写実劇・つまり世話物だと割り切れば良いのに、考え過ぎてイヤイヤ「浅間嶽」だから時代世話だと決め付けてしまうから、面倒なことになります。

まあそんなわけで、今回(令和7年11月歌舞伎座)の「御所五郎蔵」もまた時代物っぽく重ったるくなるだろうと、実は見る前はあまり期待をしていなかったのですが、案外面白く見ることが出来ました。それは愛之助の五郎蔵の世話と、松緑の土右衛門の時代との対照(コントラスト)がよく効いて、芝居が小気味良く回ったからだろうと思います。配役の妙とでも云いましょうか。こういうことは、やってみなけりゃ分からないところがありますね。(この稿つづく)

(R7・11・9)


2)低調子と高調子の交錯

五條坂仲之町・冒頭の渡り台詞は、昨今は五郎蔵と土右衛門が共にどちらも高調子で時代に張り上げようとする傾向が強いようで、これだと芝居にメリハリが付きません。一方、今回(令和7年11月歌舞伎座)の舞台は、松緑の土右衛門の時代の低調子と・愛之助の五郎蔵の世話の高調子とのコントラストが効いて、これがなかなか悪くなくて、ホウと思いました。松緑はいつもの癖の強い台詞回しではありますが、これが適度に時代っぽい感じに聞こえたのは、相方の愛之助に世話味があるからです。松緑と愛之助との相性が宜しいのでしょう。低調子と高調子の小気味良い交錯が、渡り台詞に適度な揺れの感覚を引き起こします。ここが大事なポイントになります。

なお元治元年(1864)の「御所五郎蔵」初演時は、恐らく四代目小団次の五郎蔵が低調子、三代目関三十郎の土右衛門が高調子であったと推測します。これだと上記とは逆の配置になるわけだけれども、どちらの調子が高いか低いかが問題なのではなく、低調子と高調子の交錯によって渡り台詞にメリハリを付けることが大事なのです。ここは大正〜昭和前期の十五代目羽左衛門の五郎蔵の高調子・七代目幸四郎の土右衛門の低調子の組み合わせが現行歌舞伎の基準になっていると考えれば宜しいと思います。

初演時の渡り台詞では、「弁天小僧・稲瀬川勢揃い」みたいに全員が傘を差して登場したものでした。だから様式的に見れば、冒頭の渡り台詞のところは時代を衒(てら)った体裁であり、本舞台に入ってからは世話の感触へ移行するというイメージになるでしょう。つまりこの芝居の根本は世話物にあると云うことなのです。松緑の土右衛門は本舞台に入ると台詞が若干高調子の方へ動くように感じますが、これはあまり良いことと思えませんがね。むしろここは低調子へ・世話の方へ傾斜して行くべきだと思います。ただし今回の舞台では愛之助の五郎蔵の世話とのコントラストが効いているので、芝居は形になっています。愛之助の五郎蔵はとても良いです。

今回は留男として甲屋与五郎で幸四郎が出ますが、ちょっとオーラが弱いですねえ。これじゃあ二人の喧嘩を留めるには気迫が弱過ぎます。本来の元気な幸四郎ならば、こんなものでなかろうと思います。本年9月歌舞伎座の「菅原」通しの時にも書きましたが、幸四郎はお疲れ気味ではありませんか。しっかりワークライフバランスを取ることです。倒れてしまってからでは、取り返しが付きません。(この稿つづく)

(R7・11・11)


3)縁切り場のドラマツルギー

今回の二幕目第一場・甲屋奥座敷は、縁切り場です。縁切り場とは、女の方が愛想尽かしする、つまり「あなたとはもうお付き合いはしません」と満座で言ってのける、それで女にのぼせ上がっていた男は恥をかいて怒ると、まあ表面的にはそういう筋に違いありませんが、そこの所をもう少し考えておきたいと思います。歌舞伎の縁切り物は或る定型(パターン)を踏まえており、それがあるから歌舞伎になるのです。

縁切り物の定型とは、縁切り場の男と女は相思相愛であり、女は或る事情によって男に愛想尽かしをせざるを得ない状況に置かれているということです。例えば別の男に強制されて、女は心にもない愛想尽かしを迫られる。その代償はお家の重宝を取り戻すためであったり、お金の調達のためであったりしますが、それこそ愛する男に決定的に欠けているものです。愛する男が必要するそれをどうしても手に入れたいが為に、女は身を犠牲にして、愛する男に心にもない愛想尽かしをする。これがまず第1のポイントです。

一方、男の方は女を心底愛しており、裏切られると夢にも思っていない。ところが突然女が愛想尽かしを言い出してくる。男は、最初これを笑って受け流そうとします。しかし、愛想尽かしを本気で言っていると知って、今度は男は烈火のごとく怒り出します。それは恥やプライドということで怒っているのではなく、男は女を心底愛しているのだから、女の不実をストレートに怒っているのです。これが第2のポイントです。

しかし、縁切りのドラマはこれで完成ではありません。男はその場では爆発するところまで行きません。男は怒りをかろうじて押さえ込み、大抵の場合、次の殺し場へと発展して行きます。だから女縁切りする時、女は男に殺される覚悟でやると云うことです。これが第3のポイントです。

黙阿弥が「御所五郎蔵」で仕掛けたサプライズとは、廓内夜更けの場で五郎蔵が斬った相手は傾城皐月(五郎蔵の女房)ではなく、衣装を入れ替えた傾城逢州であったと云うことです。逢州は主人の愛人ですから主人を斬ったも同然。誤認では済みません。ここでは縁切り物の第3のポイントがひっくり返されており、そこがこの芝居のサプライズなのです。通常の縁切りでも十分に悲劇ですが、本作の縁切り更に救いようがない悲劇に発展して行きます。今回その結末は上演されませんが、五郎蔵と皐月は共に自害することになります。これは本作が書かれた幕末の・明治維新直前の・どん詰まりの閉塞した気分を反映しているのかも知れませんね。

ですから「御所五郎蔵は男と女の意思のすれ違いから起きた悲劇と云うことではなく、男と女がそれぞれ複雑な事情を抱えたなかで・互いに「激しく愛した」からこそ起きた悲劇なのです。本外題「曾我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)とある通り、これは「男伊達」の物語なのですから。(この稿つづく)

(R7・11・14)


4)時蔵の傾城皐月

前節で触れましたが、「女縁切りする時・女は男に殺される覚悟でやる」と云うのは大事なことです。「御所五郎蔵」・縁切り場を見ると、言葉にはしないけれど・皐月が「あなた(五郎蔵さん)が入用なのはこのお金(二百両)でしょ。その金は私が身を捨てて用立てたのよ」と懸命に訴えているのに、裏切られたと思ってカーッと来ている五郎蔵が全然聞く耳を持たない。結局皐月の犠牲の行為は徒労に終わる。何だかアホなすれ違いドラマだなあと感じる方がいらっしゃることはまあ仕方ないと思うけれども、ここは視点を変えてこんな風に皐月の気持ちを読んでみたらどうでしょうかね。

「面と向かって五郎蔵に縁切りして見せろ」と云うのが、皐月に対する土右衛門の要求でした。土右衛門は意地の悪い人物で、五郎蔵の気持ちを踏みにじり、徹底的に恥をかかせてやろうとしているのです。その目論見通り、五郎蔵は怒髪天を突く勢いで怒って、何も耳に入りません。単細胞と云えば・そう云うことですが、このストレートな怒りこそ、五郎蔵がどれほど女房皐月を愛しているかを示しているのです。五郎蔵が怒れば怒るほど、五郎蔵がどれほど自分を愛しているかを感じて、皐月は歓びに打ち震える。そうすると皐月のなかで被虐的な歓びが増していくのです。私はそんな五郎蔵さんのために身を棄てるの、なぜならば私だって負けないくらい五郎蔵さんを愛しているのだから・・この縁切り場に現れるのは、そのような皐月の倒錯した感情です。ですから縁切り場とは「倒錯した愛のドラマ」であると思って見て欲しいと思います。それが歌舞伎の縁切り場なのです。

ですから甲屋奥座敷の縁切り場は、五郎蔵でも土右衛門でもなく、実質的に皐月の持ち場だと思って良いくらいです。時蔵の皐月は、適度なほの暗さと被虐感があって、とても良いですねえ。立派に黙阿弥物の人物に成りおおせています。現行歌舞伎では実現困難かも知れませんが、時蔵の皐月と愛之助の五郎蔵には黙阿弥の原作通りに、皐月が胡弓を弾き・五郎蔵が尺八を吹きながら落ち入る結末をやってもらいたいものだと、そんなことを考えてしまいますね。(戦後歌舞伎では原作通りの上演は一例のみです。別稿をご覧ください。)

米吉の逢州は、芸質的にサッパリした感触なので・黙阿弥の絵草紙的な暗く湿った感触とはちょっと異なりますが、逢州という女性の心根優しい・清純な性格はよく出ていました。

(R7・11・17)


 


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