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令和の団菊による「勧進帳」

令和7年5月歌舞伎座:「勧進帳」

十三代目市川団十郎(武蔵坊弁慶)、八代目尾上菊五郎(五代目尾上菊之助改め)(富樫左衛門)、四代目中村梅玉(源義経)他


1)「団十郎」との縁

令和7年5月歌舞伎座の「八代目菊五郎・六代目菊之助襲名披露興行」・昼の部を見てきました。昼の部の襲名披露狂言は「京鹿子娘道成寺」ですが、新菊五郎にはその前にもうひとつ出番があって・それが「勧進帳」の富樫左衛門です。新菊五郎はインタビューのなかで「京都生まれの初代菊五郎は二代目団十郎に見いだされて江戸に渡った、そのような初代から続く「団十郎」との縁を大切にしたい」と語っていました。

「菊五郎」と云うと今ではすっかり江戸の粋な役者の代表格ですけれど、初代菊五郎は上方歌舞伎の出身でした。寛保元年(1741)に大坂で二代目団十郎と初共演して、翌年の大坂佐渡島座で初演された「雷神不動北山桜」の雲の絶間姫で大評判を取ったのがきっかけとなって・江戸歌舞伎へ呼ばれました。「音羽屋」の屋号は、東山清水寺の音羽の滝に由来します。そんな「団十郎」との深いご縁を想起すると同時に、同い年生まれとして十三代目団十郎と・これからの歌舞伎を一緒に引っ張っていこうと云う新菊五郎の決意を示すのが、今回の「勧進帳」での団菊の共演だと云うことです。

そう云うことであるから観客も当然入れ込んで舞台を見ることになりますが、その期待に相応しい成果を上げていたかと云うとちょっと疑問のところがありますねえ。当たり前のことですが一応の形は付いています。これは当然そうでなくちゃあなりませんが、新菊五郎の富樫と団十郎の弁慶が同じ方向を向いて(つまり同じような歌舞伎のイメージを以て)がっぷり四つに組んでぶつかり合っているようには、ちょっと見えなかったと云うことです。新菊五郎と団十郎との間に微妙な感触のズレが見えるようです。と云うよりも、新菊五郎の団十郎に対する強い思いに対して、それは舞台上では富樫の弁慶に対する強い思いと重なっていくわけですが、団十郎の弁慶が泰然自若として動かぬという印象で対していると見えることです。「勧進帳」とはそう云う芝居(ドラマ)なのでありましょうか。

吉之助が団十郎の弁慶を見るのは令和4年(2022)11月歌舞伎座での襲名披露興行以来のことですが、これに先立ち行われた「特別公演」で仁左衛門との共演で、「成田屋の家の芸である荒事の台詞回しの原点は「しゃべり」の芸である、「しゃべり」の芸の原点へ戻れ」と云うのが仁左衛門の教えの大事なところであったと思っています。しかし、今回(令和7年5月歌舞伎座)の弁慶を見ると、なるほど形容は大きくなっている、不動の見得になると客席がオオッと唸る、そこはさすが団十郎ですけれど、二年半ほど経過して台詞が元のレベルに戻ってしまったようだと言わざるを得ませんねえ。台詞に再び謡う感じが強まって、発声が上ずり気味である。何言っているのか発音が明瞭でない箇所が散見されます。例えば「阿吽の二字」がよく聞こえません。これでは対話劇にならないのですよね。「勧進帳」とは、七代目団十郎が古(いにしえ)の元禄歌舞伎の「しゃべり」の芸を天保の世に蘇らせようとした新作なのです。

新菊五郎の富樫の台詞は、特別公演での仁左衛門と同様、しっかりと二拍子のリズムを踏んだ模範的なもので、富樫が導くリズムに弁慶が乗ってさえすれば、自ずとそれで「しゃべり」の芸は立つと云うものです。昨年(令和6年)9月歌舞伎座での幸四郎の弁慶を見れば、そのことが分かります。恐らくそういう弁慶は団十郎がイメージするところの弁慶とは違うのでしょうが、吉之助が申しあげたいのは「勧進帳」に限った話ではないのです。家の芸の「勧進帳」だけやっている分には話は別ですが、弁慶以外の他の役にも通用する台詞術を団十郎は身に付けなければならないはずです。「しゃべり」の芸の原点へ戻れと云うことはそういう意味なのですがね。新菊五郎の団十郎に対する思いもそう云うところにあると思うのです。

「勧進帳」に話を戻しますが、安宅の関を無事に通過するために如何にして富樫の許可を得るか、そこに弁慶の苦心惨憺があるはずです。絶体絶命のピンチに是非なく主人を打擲したところで思いもかけず活路が拓けたということなのですから、泰然自若として動かぬ弁慶ではちょっと違うのではないかと思いますけど、まあこれは見解の相違でありましょうかねえ。(この稿つづく)

(R7・5・16)


2)新菊五郎の富樫

新菊五郎の富樫は、端正な印象がします。主人を打擲する弁慶を制止する時、「早まり給うな。判官殿にもなき人を・・・」以下の台詞をもっと熱い心情を込めて言ってくれないかなと吉之助もチラッと思わないでもない。そこを突き抜ければ新菊五郎に新しい境地が拓けるに違いないと云う思いがないわけでないけれども、しかし、現段階に於いては、この場面(言うまでもなく「勧進帳」のクライマックス)に破綻を来たすことなく・端正な印象に納めることが出来るところに、新菊五郎ならではのものがあると思います。

富樫は弁慶の権幕に押し切られて「早まり給うな」と思わず叫んでしまうのではなく(つまり弁慶に富樫が負けたのではなく)、富樫はここで改めて自らの権限で関所の通行を許すのです。これは富樫にとってあくまで理の判断であって、決して情にほだされた判断ではない。そのような態度を崩さないところに富樫の「男」があると云うことです。

今回の団十郎の弁慶にはもちろん良い点がいろいろありますが、全体の流れを見ると、団十郎の持ち味である「大きな印象」を松羽目の様式の端正さのなかにもっと強く押し込めてもらいたい気がします。そこが団十郎の課題(前述の「しゃべり」の芸のことはそのなかの例題の一つ)であって、新菊五郎の富樫には・そこに対する示唆(ヒント)があると思うのですがね。逆に新菊五郎に対してこれから求められるものは、端正さの枠の縛りを内から突き破る熱さ・或いは破綻と云うことになりましょうか。その点では新菊五郎にとって団十郎が示唆あるところかも知れません。

いずれにせよ久しぶりの令和の団菊の共演は、考えさせられるところがあるものでした。今度は「鳴神」の鳴神上人と雲の絶間姫で共演してみては如何でしょうか。

(R7・5・19)


 


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