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端正な「勧進帳」〜十代目幸四郎の弁慶・五代目菊之助の富樫

令和6年9月歌舞伎座:「勧進帳」

十代目松本幸四郎(武蔵坊弁慶)、五代目尾上菊之助(富樫左衛門)、八代目市川染五郎(源義経)他


1)端正な「勧進帳」

本稿は令和6年9月歌舞伎座・秀山祭での、「勧進帳」の観劇随想です。令和3年11月に亡くなった二代目吉右衛門は、80歳になったら「勧進帳」の弁慶を勤めることが夢であったそうです。没後3年目(存命であれば80歳)の今回、甥の幸四郎が弁慶を・娘婿の菊之助が富樫を勤めて故人を偲ぶと云うことだそうです。

まず最初に総括から書いておきたいのですが、今回の舞台は近来になく良い出来の「勧進帳」でありました。「勧進帳」は役者もひときわ気合いが入る演目ですから、もちろんどの舞台でも弁慶・富樫共にそれぞれ見るべきものは多い。荒事味があって豪快なスケールの大きい弁慶、忠義第一で肚の決まった弁慶は無論多い。情に厚く・爽やかな富樫ももちろん多い。それぞれ見所はあるが、しかし、弁慶・富樫が二人揃って・がっぷり四つに組んだ時に、芸の向く方向性(演技ベクトル)・芸の佇まい(様式感覚)に微妙なズレを感じることが少なくない。役者のニンにおいてやるべきことは正しくやっているのだが、二人が同じ方向を向いた感じがしない。「俺がこうやるならば相手はこのように受けて欲しい」というイメージを、誰もが持っているはずだ。どうして舞台稽古の時にそこをよく話し合って・互いの役作りを擦り合わせしないのだろうか、これじゃアめいめい勝手にやりたいことをやってるのと同じではないかと感じる「勧進帳」の舞台が多い。

そのような「勧進帳」が多いなかで、今回(平成6年9月歌舞伎座)の幸四郎(弁慶)と菊之助(富樫)は、近頃珍しく、弁慶と富樫が噛み合い、二人がビシッと同じ方向を向いていると感じる舞台なのです。しかもこれは過去の幸四郎と菊之助の・それぞれの役の印象とも異なるようです。これは事前に二人でよく話し合い・方向性をしっかり擦り合わせしただろうと思える新鮮な印象がしました。もしそうでないのであれば、これは故・吉右衛門のお導きと云うことでありましょうかね。そう感じるほど良い舞台なのです。

もしかしたら今回の「勧進帳」は歌舞伎十八番としてはスケール感に乏しい、こじんまり纏まった印象がすると感じる方もいらっしゃるかなと思います。そのこと認めないわけでもないが、まさにこの点こそ吉之助が評価したいポイントです。今回の「勧進帳」の舞台は、豪快さは乏しいかもしれないが、端正な印象がします。その結果、松羽目物(能取り物)としての「勧進帳」の格調がスッキリ立ち上がりました。この「勧進帳」の格調ということは、長い間見落とされてきた要素だと思います。(この稿つづく)

(R6・9・23)


2)「しゃべりの芸の原点に帰る

別稿「勧進帳のふたつの意識」のなかでふたつの相反する表現への意識があることを考えました。ひとつは「勧進帳」が内面に持つ高尚志向・上昇志向のことで、つまり「勧進帳」初演(天保11年・1840)当時は武家の式楽であった能狂言への憧れということです。この方向は明治の九代目団十郎以降ますます顕著なものになります。もうひとつは、「勧進帳」が歌舞伎十八番を冠していることからも分かる通り、元禄歌舞伎の荒事・つまり「かぶき」の心を継承しようとするものです。これらふたつの行き方は完全に相反するわけでもないのですが、役者によって様式感覚の置き所・役の性根の把握がそれぞれ微妙に異なるために、義経も含めた三者三様の行き方がしっかり噛み合った「勧進帳」の舞台を平成以後滅多に見ることがないようです。

例えば「勧進帳」を能取り物として見た場合、お能は様式的な芸能だと云うことで・台詞を謡(うたい)みたいに平坦に引き伸ばして謡おうとする役者が多い。このため演技が伸びたウドンみたいな感覚になる。(誰とは言わぬ。)或いは「勧進帳」が古(いにしえ)の荒事の心を持つということで、やたら肩肘張って目を剥いて相手を威嚇しようという弁慶も多い。(これも誰とは言わぬ。)まあそれぞれの理屈があることでしょうが・それならば、舞台稽古の時にそこをよく話し合って・互いの役作りを擦り合わせしてください。歌舞伎役者はアンサンブルということをあまりお考えでないようですね。

そこでふたつの相反する表現に・どのように折り合いを付けるかと云うことですが、例えば「暫」のツラネとか「助六」の名乗り・「勧進帳」の読み上げなど、元禄歌舞伎の「しゃべり」の芸は狂言の台詞術から発したものなのですから、「しゃべりの芸の原点に帰れ」という考えのもとに芝居の流れを組み立てるならば目算が付くだろう。これで取り落とす要素がないわけではないが、しゃべりの芸に帰ることで山伏問答は端正な印象となり、能取り物としての様式性との折り合いも付くと云うことです。これについては、別稿「台詞劇としての勧進帳」と「団十郎襲名披露の弁慶」をご参照ください。二本の論考に共通する役者は仁左衛門です。仁左衛門の「しゃべりの芸の原点に帰れ」という主張のなかに、ひとつのヒントがあるということですね。

今回(令和6年9月歌舞伎座)の「勧進帳」の舞台を見ると、幸四郎(弁慶)と菊之助(富樫)が「しゃべりの芸の原点に共に帰ろう」と話し合ったかどうかは分からないけれども、きっとそうに違いないと思える「協調性」みたいなものを感じますねえ。

このことは冒頭の富樫の名乗り、花道での弁慶と義経との対話辺りから既に感じられることです。様式性にこだわって台詞が伸びるようなこともなく、しっかり「しゃべり」の感覚になっています。このことは本舞台に入り弁慶と富樫が対するとますますはっきりして来ます。弁慶が絶叫調にならないことが(確かに豪快な荒事味は薄くなるとしても)弁慶の沈着冷静さを表現することにこんなに寄与するんだと云うことが改めて分かりますね。対する富樫も決して熱くなることなく、これで決して冷静さを失わない能吏となります。このことが弁慶の義経打擲のクライマックスで効いて来ます。(この稿つづく)

(R6・9・26)


3)十代目幸四郎の弁慶

当代幸四郎は芸域が広い役者です。荒事から実事・和事、二枚目・三枚目・新作までも勤めて、しかもそれなりのレベルでこれらをこなすのだから大したものです。しかし、これは裏返せば「この役は幸四郎でなくちゃあ」という役が見えないと云うことにもなるので、そこが損になる。特に歴代高麗屋が得手にしてきた立役の太い役どころについて若干の物足りなさがある。例えば弁慶です。或いは由良助ということになりましょうか。そこは現在51歳になる幸四郎も気にしているだろうと思います。もちろん当代幸四郎は当代なりの弁慶をこしらえれば良いわけですが、それじゃあ「当代なり」ってどう云うこと?ってものが見えて来ない。

先日・7月歌舞伎座での「裏表太閤記・杉の森」で幸四郎が勤めた鈴木喜多頭(きだのかみ)ですが、登場した時には発声を低めに取って肚が据わっているようで・なかなか良かった。それでホウと思っていたのだが、芝居が進んで喜多頭が腹を切り・息子孫市(染五郎)に「我が首を斬れエ」・「それは出来ません」と云うクライマックスになると・声が上ずって絶叫調になってしまって・もうイケませんでした。この絶叫調が染五郎にも伝染してました。肚がブレるのだねえ。この調子であると二ヶ月後の9月歌舞伎座での弁慶は困ったことになるなあ・・と思って聞いておりました。

幸四郎が勤めた弁慶も富樫も・これまで何度も見ましたが、相手役の行き方に印象がかなり左右されるような気がしています。相手にフレキシブルに合わせられると云えば聞こえはいいのだが、このために「役者幸四郎」の印象が中途半端になってしまう。当代なりの「勧進帳」の解釈、「俺がこうやるならば相手はこのように受けて欲しい」というイメージを幸四郎も持っているはずだ。そろそろ幸四郎も(どんな役に於いてもそうですが)共演者に対してそう云う確固たるものをきっちり押し出さなくてはなりません。そうでなければならない位置に幸四郎はもう居るのです。

しかし、今回(令和6年9月歌舞伎座)の「勧進帳」の舞台を見ると、幸四郎(弁慶)と菊之助(富樫)が「しゃべりの芸の原点に共に帰ろう」ときっちり話し合ったに違いない(注:これは吉之助個人の推測に過ぎません)と思えたのは、弁慶登場から幕切れの飛び六法まで、幸四郎の肚にブレたところを感じなかったからです。様式感覚をきっちり押さえて、ブレない弁慶でした。もちろんこれは菊之助の富樫のおかげでもありますが、幸四郎は「何か手応えを掴んだかな」と感じる弁慶でありました。ホントにそうであったら良いなあと思いますね。(この稿つづく)

(R6・9・28)


4)染五郎の義経のことなど

冒頭での富樫(菊之助)の名乗り・花道での弁慶(幸四郎)の台詞から、二人の目指す芸の方向(様式・佇まい)がピッタリと合って、造形が引き締まり端正な印象がします。何と云いますか、豪放磊落でスケールの大きな感じはしませんけれど、これによって「かぶき」と云うよりも、松羽目もの(能取りもの)の格調の方を強を感じますね。この特長がよく出たのが山伏問答とそれに続く呼び止め・詰め寄りで、無理な力が入ったところをまったく感じさせません。確かにこれとは別の、もっとスケールの大きさや熱さで押しまくる行き方もあり得るとは思う。けれどもこれが菊之助・幸四郎の二人のニンによく似合っているのです。山伏問答はきちんとクライマックスに向けて速度を上げていくテンポ設計がなされている。熱い風があっても・しっかりコントロールされて、決して足取りが乱れない。だから品位を落とさない。吉之助の印象では、こんなに主役二人がよく噛み合って・なおかつ端正な印象がする山伏問答〜詰め寄りのシーンは、近頃見なかったなあと思いました。菊之助の富樫も理知的に見えます。

富樫・弁慶を褒めましたが、酷なようだけれども・染五郎の義経には若干注文を付けたいと思います。父上と小父さんがこれだけのものを見せているのだから、染五郎も二人から何か盗んでもらいたいと思いますね。決して悪くはないが、何となく・いつもの通りの義経なのです。例えばこれは近年の義経役者ならみんなそうやってることで・染五郎もそのようにやっているまでのことですが、冒頭での義経の台詞、

「かく行く先々に関所あっては所詮●●陸奥(みちのく)までは思いもよらず」

と「所詮」で大きく二間ほど空けるのが、(誰が始めたのだか分かりませんが)現在ではこれがまるで口伝の如くになっています。しかし、本来ここはひと息で言い切るべき台詞です。今回の父上と小父さんの息遣いを採るのならば、当然この台詞はひと息で言い切る、或いはどうしても継ぎたいのならば「関所あっては」でちょっと継ぐと云うことになると思います。このようにすれば様式が揃うのではないかと思います。染五郎の義経は、抑揚や間の取り方にまだまだ研究の余地があります。

まあそれは兎も角、今回(令和6年9月歌舞伎座)の「勧進帳」は、本行に対するリスペクトが感じられる、いつになく気持ちが良い「勧進帳」でありました。これが故・吉右衛門のお導きに終わらず、幸四郎がこれで「何かを掴んだ」ことを期待したいですね。

(R6・10・2)


 

 

 


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