「勧進帳」のふたつの意識
平成14年(2002)12月・京都南座・歌舞伎十八番の内・「勧進帳」
十二代目市川団十郎(弁慶)、七代目尾上菊五郎(義経)、十五代目片岡仁左衛門(富樫)
1)「勧進帳」のふたつの意識
「歌舞伎十八番」は七代目団十郎が制定したもので・市川家は初代・二代目が得意にしてきた荒事を集大成したものという事は歌舞伎の案内書によく書いてあることです。しかし、歌舞伎十八番の最大の人気狂言・「勧進帳」だけは、じつは昔から伝わるものではありません。「勧進帳」は天保11年(1840)3月・江戸河原崎座において七代目団十郎が初演した作品です。つまり、当時の新作であったわけです。
もちろん弁慶は元禄の昔から荒事の代表的なキャラクターです。七代目団十郎は「勧進帳」初演より前に、弁慶役を三度勤めています。まず文化12年(1815)8月の「安宅松」での弁慶、次に文化8年(1825)の顔見世での鬼若丸後に弁慶、そして天保10年(1839)の「御贔屓勧進帳(ごひいきかんじんちょう)」での俗に言う「芋洗い勧進帳」です。
「御贔屓勧進帳」は安永2年(1773)に四代目団十郎の弁慶、五代目団十郎の富樫で初演されたものです。「富樫に見咎められた弁慶は木に縛り付けられますが怪力で縄をぶつ切り、雑兵と大立廻りを演じてその首を次々に引っこ抜き天水桶に叩き込み、金剛杖で芋洗いをする」という筋書きの「芋洗いの弁慶」はじつに荒事らしいおおらかさがあ ります。もし「歌舞伎十八番」が市川家の荒事の集大成だというならそのままこれを「十八番の内」にしてしまっても本来は良かったはずです。 しかし、七代目団十郎は敢えてそれをしませんでした。
新作「勧進帳」の弁慶は、他の歌舞伎十八番とは趣が違います。どこか高尚なのですね。「勧進帳」の弁慶は、いかにも思慮深くて・知識教養があって・しかも肚が座っていて大胆不敵といった出来過ぎの人物です。義経が弁慶にすべての判断を任せて頼り切っている感じです。
しかし、「勧進帳」初演の評判は決して良いとは言えないものでした。評判記「役者舞台扇」には「おいらたちはやっぱりたて狂言がおもしろい。あまり弁慶にばかりこられたせいか ひと言もいつもほどたましいがないように思われた」と書かれています。江戸の観客は「これは俺たちの弁慶ではない」と感じたのです。別稿「身分問題から見た歌舞伎十八番シリーズ/その3:勧進帳/その4:天覧歌舞伎」において、そのことを考察しました。「勧進帳」はそのなかに高尚趣味・上昇志向を含んでいるのです。河原乞食と蔑まれた歌舞伎役者の能楽への憧憬みたいなものが流れています。伝来の荒事の弁慶の姿を借りながらも・七代目団十郎は「勧進帳」の弁慶にまったく新しいイメージを付け加えようとしたに違いありません。
だから、「勧進帳」のなかにはふたつの相反した表現への意識があると言えます。ひとつは「高尚志向・上昇志向」・能的な表現にできるだけ近づいていこうという意識です。九代目団十郎以降、この方向性はより顕著な形で舞台に現れてきました。現行の舞台の多くがこの方向であると言えましょう。
ふたつめは、歌舞伎十八番が古き荒事の心を集大成したものなのであるから新作「勧進帳」もその流れを継承したものにしていこうという意識です。七代目団十郎が実験作「勧進帳」初演に当り・その箔を付けようとして「先祖伝来」をぶち上げたというのは半ば当っていると 吉之助は思っていますが、しかし、やはり初代から伝来の荒事への畏敬の念と・それを継承する意欲を七代目団十郎が忘れたわけではないと思います。
例えば「勧進帳」に見える不動の見得・元禄見得・石投げの見得などの見得の数々がそうです。あるいは主人義経を打ち据え・打ち殺さんばかりの気迫と荒々しさです。
しかし、「勧進帳」が歌舞伎十八番たる所以は、元禄歌舞伎の特質であるしゃべりの技術を山伏問答で見せようということにこそあると吉之助は思っています。山伏問答というのは謡曲「安宅」にはないもので、団十郎は当時の講談での呼び物であった「弁慶と富樫の山伏問答」を講談師燕凌(えんりょう)と南窓を招いて実演させて・これを芝居のなかに取り込んだものでした。これこそが七代目団十郎の本作の最大の目玉であった。だからこそ本作の題名は「安宅」ではなく・歌舞伎オリジナルの誇りを以て「勧進帳」というのです。
2)柄(がら)の弁慶
そこで今回取り上げるのは、当代・十二代目団十郎の弁慶のビデオです。吉之助は団十郎(以後、団十郎と書く時は当代を指します)は「柄(がら)の弁慶」だと思っています。団十郎の弁慶は細かいことにあまりこだわらず、歌舞伎十八番としての「勧進帳」の本質を雰囲気で大きく掴んでいると思います。いかにも「カブキの弁慶じゃなあ」という 線の太さがあります。これを見てしまうと他の弁慶はいささか「活歴っぽく」見えてしまうのです。
荒事というのは若衆の芸で、単に力強いだけではなくて多少の稚気とおおらかさがなければなりません。思慮深い弁慶ももちろん結構なのですが、それだけだと荒事の弁慶のこころが見えて来ません。イヤ団十郎の弁慶が思慮深くないと言っているのではないのです。団十郎の弁慶は間が大きくて・相手の気合いを受け止める横綱相撲をとる感じであって・時代離れしてのんびりして大きいのです。そこに吉之助はどことなく失われてしまった「歌舞伎十八番の勧進帳」のイメージを見るわけです。
見得の大きさ・重量感のある飛び六方ももちろんですが、団十郎の良さは富樫に酒を振舞われて・機嫌よく酔っていく後半から幕切れまでによく出ておりました。良い意味で「芝居掛かって」いて歌舞伎らしい大らかさがあります。ここでの弁慶は富樫に対し完全に警戒心を解いているわけではないのですが、しかし、弁慶の捨て身の行為に・本物の義経であることを承知しながらこれを通すという形で応えてくれた富樫に対して感謝の気持ちで接しなければなりません。心晴ればれとして・男が男に惚れたさわやかさがなければならないでしょう。団十郎にはこれがあると思います。だから飛び六方で弁慶が去った後にずっしりとした腹ごたえがある、団十郎ならではのものであると言えましょう。
残念なのは肝心の「山伏問答」がいまひとつ盛り上がらないことです。富樫役の仁左衛門が風姿・口跡において随一の富樫であることは間違いありませんが、その仁左衛門がえらくやりにくそうに感じられました。富樫の問い掛けに対して弁慶がハッシと応じてこそ問答が盛り上がるのですが、何となく弁慶の反応のタイミングが 微妙にズレて間が待ちきれない、富樫が叩き返すように次の台詞を打ち込めないのです。弁慶が悠然と自分のペースで問答をやっているのです。特に問答の前半はエンジンが掛かり切れないもどかしさ を感じます。
問答は淡々としたテンポから、「目に遮り・形あるものは切り給うべきが・・・」あたりから次第に速度を増していき、「出で入る息は」「阿吽の二字」で加速度 がさらに増します。そして、「そもそも九字の真言とは・いかなる義にや、事のついでに問い申さん。ささ何と何と」において最高速度に至ります。山伏問答はアッチェレランド(次第に早くなる)の掛かった音楽なのです。これこそが「勧進帳」が音楽劇たる所以です。(別稿「勧進帳は音楽劇である」をご参照ください。) 山伏問答に関しては 弁慶を追い込んでいく問答のペースは富樫が支配すべきものです。弁慶は富樫の作るペースに乗らなければなりません。ここでは団十郎の受けの姿勢が良くない方向に作用してしまいました。
しかし、富樫に「勧進帳を遊ばされ候へ」と言われて、カッと目を見開いて「心得て候」と言うあたりは、いかにも団十郎の大きさが出ていて良ろしうございました。 先に書きました通り、歌舞伎の「勧進帳」の目玉は読み上げ・問答にあるのですから、ここのところを大事にしていただければさらに立派な弁慶になりましょう。
(H16・8・1)