「勧進帳」は音楽劇である
〜歌舞伎十八番の内「勧進帳」
1)六代目菊五郎のアドバイス
いまの羽左衛門(十七代目)がまだ彦三郎を名乗っていた頃のことですが、松緑が急病になり「勧進帳」の弁慶の代役を初役で勤めることになりました。当日朝になって突然言われて本人も周囲も大慌てです。六代目菊五郎も心配なのか花道揚幕までついてきていましたが、いよいよ弁慶の登場というところで「衛、弁慶は踊りを知らないんだよ」と言ったといいます。(衛「まもる」は羽左衛門の本名)
六代目菊五郎のアドバイスはその内容とタイミングが絶妙です。羽左衛門はおそらく頭のなかで「延年の舞」の振りでもさらっていたのでしょう。なにしろ踊りには定評のある松緑の代役です、プレッシャーもあったでしょう。それを菊五郎は見抜いたのだと思います。「踊りはうまいにこした事はない、しかしうまく踊ろうとしちゃいけない」、そのことを菊五郎は羽左衛門にとっさに伝えたのです。羽左衛門は肩の余分な力がスッととれたのではないでしょうか。
弁慶はホントに踊りを知らなかったのでしょうか。そんなことは誰にも分かりません。ただ言えることはあの「延年の舞」は弁慶が踊ろうとして踊るものではなく、湧き上がる喜びのなかで思わず身体が動いてしまう、という踊りであるということでしょう。だからうまい踊りであるのにこした事はないが、弁慶がうまい踊りを見せようとするものではないと言うことです。
ここで話題を変えます。もしこの時、羽左衛門が揚幕前で頭のなかで「山伏問答」をさらっていて、「うまく科白が言えるだろうか」、「声が朗々と出るだろうか」とか考えていたとすれば菊五郎は何とアドバイスしたでしょうか。菊五郎はこう言ったのではないかと 吉之助は想像するのです。「勧進帳は芝居じゃないんだよ」と。
最近の「勧進帳」、特に前半の「勧進帳読み上げ」から「山伏問答」までは芝居になりすぎであると吉之助は思います。そのために「勧進帳」の持つドラマの流れがブツブツと寸断されているような不満を感じます。弁慶が「延年の舞」をうまく踊る必要がないのと同様に、弁慶は本物の山伏ではないのですから、「山伏問答」においても役者は「観客に問答の意味が分かるように富樫を納得させるようにうまく科白を言おう」などと考えるべきではないと 吉之助は思います。なぜなら「勧進帳」は科白劇(芝居)ではなく、音楽劇(舞踊劇)だからです。
2)音楽劇としての「勧進帳」
能の「安宅」では富樫は弁慶の剣幕に恐れ入って義経一行が関を通るのを許してしまう筋書きで、「読み上げ」の比重はそれほど重いものではありません。また「山伏問答」はそれ自体が歌舞伎の創作で能にはないものです。(七代目団十郎が当時流行っていた講釈「安宅勧進帳」のなかの「山伏問答」を取り入れたものと言われています。)
しかし歌舞伎においては題名に「安宅」ではなくわざわざ「勧進帳」の名を冠しているのはなぜでしょうか。これは市川家伝来の元禄歌舞伎の荒事的せりふ術を、「読み上げ」とそれに続く「山伏問答」で試そうという七代目団十郎の意志があってのことに違いありません。「松羽目」の舞台で荒事という感じがうすい「勧進帳」が「歌舞伎十八番」である所以はそこにこそあると思います。
「勧進帳読み上げ」から「山伏問答」までは、歌舞伎にとっては後半の「延年の舞」に勝るとも劣らない比重を持つべきクライマックスなのです。そしてそのドラマは音楽的緊張によって裏打ちされるものでなくてはなりません。なぜなら「勧進帳」は科白劇ではなく音楽劇であるからです。
「勧進帳」の作詞は三代目並木五瓶、作曲は長唄の四代目杵屋六三郎でした。その長唄は名曲であることでよく知られています。こうした劇的な内容を持つ作品の地(音楽)に義太夫節のような語りの要素の強い音楽を使わず、どちらかと言えば旋律の美しさを聞かせるうたいものの長唄を使っているのは興味深いことだと思います。これにより役者の科白のもつリアルな迫力が際立ってくるからです。そのドラマは地の音楽の作り出す流れによっていっそう迫力を増してきます。「勧進帳」はそのように設計されているのです。
音楽劇としての「勧進帳」は弁慶と富樫の二役に声楽的対比も要求しています。この対比により「山伏問答」はさらに音楽的興趣が増すことになるのです。世間一般の感覚で言えば、「弁慶は低調子、富樫は高調子」となるのではないでしょうか。実はこれは世間の誤解で逆なのです。本来は「弁慶は高調子、富樫は低調子」でなければなりません。
近世の「勧進帳」の理想的配役といえば、明治期の九代目団十郎(弁慶)、五代目菊五郎(富樫)の組み合わせということになるでしょう。じつは代々の団十郎は高調子、代々の菊五郎は低調子なのです。団十郎の家の芸である荒事の発声というのは高調子を基調としています。ちなみに「鞘当」(浮世塚比翼稲妻)の不破伴左衛門と名古屋山三郎も同じような音楽的配置がされています。もちろん不破が高調子で、名古屋が低調子なのです。
それがどうして世間が「弁慶は低調子、富樫は高調子」と思い込むようになってしまったかというと、昭和初期の七代目幸四郎(弁慶)と十五代目羽左衛門(富樫)の名コンビのイメージが強すぎるからのようです。特に十五代目羽左衛門は九代目団十郎崇拝でその調子は団十郎の高調子を継いでいました。このイメージがこれ以降の「勧進帳」の配役に影響を与えているようです。それでも弁慶は高低いろいろな声質の役者が演じていますが、富樫には高調子の役者が配されることが多いようです。戦後の富樫役者と言えば、十一代目団十郎にしても十五代目仁左衛門にしても高調子です。
低調子の富樫というのは多くはありませんが、十二代目団十郎の襲名披露の時の松緑の富樫はその数少ない低調子の富樫でした。凛とした通る口跡とはいえない松緑でしたが、この富樫は素晴らしかったと思います。十二代目団十郎の荒事味のある高調子の弁慶の科白を「実の芸」でバランス良く受けとめる安定感のある富樫であったと思いました。このおかげで「山伏問答」が引き立ったものになって、やはり富樫は低調子のものだと感心しました。
さて、「勧進帳」の舞台前半をみていくことにしましょう。まず「読み上げ」から「山伏問答」まで弁慶は常に堂々として自信たっぷりでありたいものです。最近の歌舞伎の弁慶は緊張のせいか神経質でビクビクしているようにも見えます。もっと何事にも動じない弁慶が見たいものです。弁慶役者には余計な心理描写をしようとせず大きなドラマの流れをつかみとってもらいたいのです。
「勧進帳を遊ばされ候え。」と富樫に言われて」、「なんと、(ここで驚いた表情)勧進帳を読めと仰せ候や」、(しばらく考える間あって、やがて決心したが如くに)「ウン、心得て候」と言う風に、ご丁寧にも「ウン」を入れる役者が多いようです。しかしこれは弁慶の計略通りの段取りなのだから弁慶は泰然としていていいのです。山伏一行が討たれると聞いてそんなことをしたら仏罰が当たるぞと脅されるという件が前にあって、富樫はそれなら手続きを踏んで本物の山伏かどうか確かめようということで「勧進帳を読め」ということになるからです。
富樫に偽の勧進帳を覗き込まれてハッとして隠す仕草はいつも大げさでおかしいと思います。これなども気合いで富樫の行動を止めるくらいの最小限の仕草でありたいものです。能の小書きでは「勧進帳」を読み終わってからわざと巻物の表が見えるように逆に折り返して持つそうです。能の場合、「関の人々肝を消し、恐れをなして通しけり」というほどですから、「どうせ偽と知れて元々、やれるならやってみろ」くらいの豪胆さが弁慶にあるのでしょう。もちろん能と歌舞伎ではその性根が違うところがあるかも知れませんが、こういうところは市川家伝来の荒事の弁慶のイメージに通じるところではないでしょうか。
しかし最近の舞台でますます臭くなっていると思うのは、義経を見咎められてやむなく弁慶が義経を打擲する場面でしょう。「致し方なし」という感じでぐっと腕を止めてその心理の逡巡を肚で見せるならともかく、「ああ、どうしよう」という感じで目をつぶり涙を振り払うようにして打ちにかかる弁慶がこのところ多いのです。なかにははっきりと頭を下げて、「もったいなくもご主人を打たせてもらいます」みたいな弁慶さえいます。
この弁慶が義経を打擲する場面にこそ荒事の弁慶の魂が蘇らなければならないはずです。荒々しく周囲の人を怖れさせるそうな猛々しさがなければなりません。そしてそこに仏にしたがう不動明王のような神性が見えてこなければなりません。だからこそ「勧進帳」は「歌舞伎十八番の内」のはずなのです。
どうも最近の舞台の弁慶の細かな心理描写にとらわれていて、その結果、弁慶の人物の線がいたずらに細いものになってしまっているようです。これは現代の理屈優先の脚本理解に毒されているのです。なるほどこれなら弁慶は思慮深い人間には見えますが、肝の太い人間にはどうしても見えてきません。それもこれも「勧進帳」が芝居(科白劇)だと思っているせいなのです。
3)「山伏問答」でのテンポ設計
「勧進帳」は科白劇ではなく音楽劇なのです。オペラというよりは、オラトリオ(宗教音楽劇)に近い性質を持っていると思います。そうしたなかでは、細部にこだわった心理描写は表現を写実に近づけるけれども音楽的流れを寸断して、むしろ逆にドラマの本質から遠ざけることになります。もっと大づかみにドラマの流れをとらえなければなりません。
「読み上げ」から「山伏問答」においては、元禄歌舞伎から伝わる荒事的せりふ術の粋が発揮されねばなりません。それが長唄の作り出す全体の滑らかな流れのなかに立つからこそ、役者の生き生きとした肉声が際立つのです。残念ながら最近の舞台で満足できる「山伏問答」を久しく聞いたことがありません。それもこれも「勧進帳」が科白劇だと思っているからです。
「この質問に答えてみろ」、ちょっと考えてみて弁慶が意味がわかるように明快に答える、「うむ、なるほどそれは通理だ、それなら次の質問だ、これが答えられるか」、ちょっと考えて弁慶が意味が分かるように明快に答える、最近の舞台の「山伏問答」を聞いているとこんな感じです。なるほどリアルな問答なのかも知れません。観客には難しい仏語もそれなりに聞き取れるように親切に問答してくれます。だが、緊迫感がなくちっとも盛り上がらないのです。
「山伏問答」は、ゆっくりとしたテンポから始まり、中間部の富樫の「してまた修験に伝わりは」あたりから少しづつテンポを上げていき、「目に遮り形あるものは切り給うべきが」あたりからは快速テンポに入ります。そして富樫の「出で入る息は」で舞台の緊張は最高潮に達します。ここでの「出で入る息は」の「は」の音と、弁慶の次の「阿吽の二字」の「あ」は間を置かず重なるように発せられねばなりません。
弁慶の「阿吽の二字」の気迫で議論の流れは一旦押し戻されるわけですが、さらに富樫はひるまずこれに間髪入れず「そもそも九字の真言とはいかなる義にや事のついでに問い申さん」と快速テンポで追い詰めて行きます。そして「ささ、なんとなんと」でググッと決めます。ここまでの「山伏問答」の流れは富樫が作り、富樫は弁慶が問答している時は富樫は息を詰めていないと気迫で耐えられません。
あとの弁慶の科白もテンポの緩急の付け方が大事ですがこれは弁慶自身のテンポでやれるのでまだいいです。「山伏問答」の音楽ドラマは、ここまでの富樫の科白の息の詰め方とテンポの緩急で決まると言って間違いありません。この緩急自在のテンポ設計こそ七代目団十郎が講談からヒントを得たものであり、「勧進帳」が音楽劇であることのなによりの証拠なのです。
(H13・2・1)