六代目勘九郎の勘平・十五代目仁左衛門の由良助
令和7年3月歌舞伎座:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・Bプロ・夜の部
*五段目・六段目・七段目・十一段目
十五代目片岡仁左衛門(大星由良助)、六代目中村勘九郎(早野勘平)、二代目中村七之助(お軽)、二代目尾上松也(寺岡平右衛門)、四代目中村梅花(母おかや)、二代目中村魁春(一文字屋お才)、五代目中村歌六(不破数右衛門)、二代目坂東巳之助(千崎弥五郎)、初代中村隼人(斧定九郎)、七代目尾上菊五郎(服部逸郎)他
1)勘九郎の勘平
本稿は令和7年3月歌舞伎座:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・Bプロ・夜の部の観劇随想です。歌舞伎座での通し上演は平成25年・2013・11〜12月(二か月連続)以来のことになります。
Bプロ・夜の部では勘九郎の勘平がなかなか良い出来でありました。色々考えさせられるところがあったので、まずは勘九郎の勘平を取っ掛かりにして話を進めます。
戦後昭和の勘平役者と云えば、十七代目勘三郎を真っ先に挙げることに異論のある方はいないと思います。幸い吉之助は十七代目勘三郎の勘平を生(なま)で2回見ることが出来ました。だから吉之助のなかの勘平の基準は十七代目勘三郎です。十七代目勘三郎の勘平は角々の決まりを「かつきり」と付けたもので、そこが岳父・六代目菊五郎の芸風をしっかり伝えたものであったと吉之助は理解をしています。しかも、型臭いところがまったくなくて、時代と世話の活け殺しが流れるようであったところが、十七代目勘三郎の芸達者の所以でありましたね。ですからちゃんと世話物の感触に収まって見えました。しかし、後から考えれば考えるほど、十七代目勘三郎は六代目菊五郎のことを意識していたなと感じます。これは髪結新三よりも勘平の方に、なお一層強くそれを感じます。やはり音羽屋型の五・六段目は或る種特別な世話の「型」ものであったと云うことです。
一方、十八代目勘三郎が(勘九郎時代に)初役で勘平を勤めた舞台の思い出話は本サイトで何度か書きましたけれど、十八代目勘三郎にとっての勘平は、祖父-父から受け継ぐ芸の系譜を担う幾かの役の一つでした。実際十八代目勘三郎は父とよく柄が似ていましたし、世話物に関しては父に十分対抗出来る自信があったと思いますが、それだけに勘平は絶対モノにせねばならない世話の「型」ものであったと思います。だから十八代目勘三郎の勘平には伝統の重圧をひしひしと感じたものでした。
現・勘九郎の五段目・二つ玉での勘平の無言劇での角々の決まりを見ても、同じようなことを強く感じますね。しかし、勘九郎は祖父-父とは柄が異なっており、どちらかと云えば時代物の実事(じつごと)に向きの資質だと思います。だからまったく同じ形をしても、観客が受ける印象が時代の色合いの方に傾くようです。受ける感触がちょっとゴツゴツした肌ざわりになると云うか、若干ぎこちない印象がしなくもない。悪いと云っているのではないので、誤解のないようにして下さい。写実の動きの流れの上にその「形」が自然に乗って来るという感じよりは、この箇所で決めるべき「形」をしっかり決めてますという感じに見えて来るのです。音羽屋型ではそこのところで綿密に計算された写実の段取りが付けられています。つまり発想のベースが写実にあるのだから世話を志向しているわけなのだが、勘九郎の勘平で見ると「型」ものの時代(様式)の側面を強く感じますね。そこに勘九郎の伝統への強い意識を感じさせられるし、或いはこれも音羽屋型の五・六段目が持っている別の側面なのかも知れないと思うわけです。いつもの五・六段目であると普通に世話場という感じですが、今回の勘九郎の勘平で見ると、丸本時代物「仮名手本忠臣蔵」のなかの五・六段目という印象になる。時代の色合いがちょっと濃いめに見える、したがって後半・六段目での勘平腹切りがいつもより重めに見えて来る。これが今回の収穫であったかも知れませんね。(この稿つづく)
(R7・4・6)
2)勘九郎の勘平・続き
音羽屋型の六段目は、もう少し早く舅を殺した真犯人が分かっていれば、勘平は腹を切らずに済んで・仇討ちに参加出来たのに・・・「あはれ」なことだなあと観客に感じさせるドラマです。だからイメージとして散りゆく桜の花を見るような勘平の運命の儚さが強調されることになります。これは六段目の解釈として全然間違ってはいません。見取り狂言として六段目を見る分には、それで十分結構なのです。しかし、通し狂言「仮名手本」のなかの一幕として六段目を位置付けるならば、やはり三段目で殿の大事に居合わせぬ失態を犯したため仇討ちの仲間に入れてもらえず、この失態を取り返し・何とか由良助に認めてもらいたいと焦りに焦り、焦ったあげくに盗みを犯し・更なる深みに転落してしまう、勘平の悲劇はそこに在ることになるのです。すると六段目は「状況による返り討ち」のドラマの様相を呈することになります。(別稿「返り討ち物としての「仮名手本」」をご参照ください。)
今回(令和7年3月歌舞伎座)の「仮名手本」通し・Aプロ・夜の部では、菊之助の勘平が世話と時代が揺れ動く箇所で・意識的に時代のトーンを強めに出すことで、勘平の悲劇の在り処を正しく明らかにしました。菊之助の勘平は世話と時代のバランスが良く、音羽屋型の勘平の「あはれ」なイメージを維持しつつ、尚且つ通し狂言「仮名手本」のなかの一幕としてもピタリと嵌まる、見事な勘平でありました。
一方、Bプロ・夜の部の勘九郎の勘平も、とても示唆ある勘平でありました。もちろん祖父-父から受け継いだ音羽屋型の勘平ですが、同じ所作をしながらも、勘九郎の場合は持ち味である時代物の実事の色合いが思いの外強く出たようです。最初のうちは音羽屋型の世話の設計図との間に微妙な齟齬が見えるようです。だから前章で「若干ぎこちない印象に見える」と書いたのです。ひとつには勘九郎が勘平の優美さを意識してか台詞を高調子気味に置いたことが影響していると思います。もともと音羽屋系の世話物は低調子が基調であるべきであるし、勘九郎は本来低調子の声質なのだから、そのようにやれば良いことなのです。
恐らく勘九郎自身は、六段目のなかの「時代」の要素をさほど意識するところはなかったのかも知れませんねえ。勘九郎としては生真面目に祖父-父から受け継ぐ型を踏襲しようとしたと云うことなのでしょう。しかし、同じ型の段取りを取っても、演じる役者が異なれば・またその個性によって型は違った色合いに見えて来るものだと云う当たり前のことが、今回の勘九郎の勘平で改めて痛感させられました。祖父-父とは一味二味違ったところで時代味の濃い勘平に仕上がりました。前半はややぎこちなさを感じましたけれど、後半・お軽が祇園へ去り・おかやと二人だけになって・「自分が舅を殺した」と思い込んでしまう辺りから、勘九郎の持ち味である時代物の実事の色合いが、だんだん六段目のドラマにぴったり沿って来るのです。すると舞台が「陰惨な」様相に見えて来るのですねえ。おかげで
「ヤア仏果とは穢らはし、死なぬ死にませぬ。魂魄この土に留まつて、敵討ちの御供せいでおこうか」
と云う台詞がひときわ生々しく痛切に響きました。この場面を見れば、「二人侍は実は勘平に詰め腹を切らせに来たのである」と云う昔からある説があながち根拠がないものでもないことが分かると思いますね。吉之助も勘平腹切りが「あはれ」とか「可哀想」に見える六段目はいくらも見ました(音羽屋型の六段目は通常この範疇なのです)が、「陰惨」という言葉がチラとでも思い浮かんだ六段目は、もしかしたら今回が初めてかも知れませんねえ。六段目が「状況による返り討ち」のドラマであることがはっきりと見えました。
ただし今回のところでは勘九郎の勘平は、いくつかの課題を残してはいます。ひとつは上述の通り台詞を低調子に置くべきこと。もうひとつは、世話と時代の揺れ動きのなかで・しっかり時代の要素を意識したドラマの流れを構築していくことです。この点については遺されたお祖父さん(十七代目勘三郎)の舞台映像が参考になると思います。
ともあれ今回の「仮名手本」通しの最大の収穫は、菊之助と勘九郎の・判官と勘平二役での競演でありましたねえ。どちらの役でも二人共、作品を深く考えるための材料を提供してくれました。(この稿つづく)
(R7・4・7)
3)観念の仇討ち
これは「仮名手本」に限ったことでなく、講談でも小説でも映画でも、いわゆる「忠臣蔵」物のドラマで最も面白くかつ核心となる場面は、遊郭での由良助(=内蔵助)の遊興シーンです。「由良助の放埓は、まこと彼生来のものか、或いは世間を欺くための計略か」と云うことです。そのどちらにも見えて周囲からは彼の真意がまったく掴めないと云うところが大事なのです。ご承知の通り、歌舞伎に仇討ち物は沢山あります。掃いて捨てるほど仇討ち物は沢山あるけれども、「由良助の放埓は、まことのものか、或いは計略か」という点において、「仮名手本」(とこれを下敷きにした青果の「元禄」)は、まったく隔絶した理念性を見せているのです。これによって「忠臣蔵」物はまことに近世的な・つまりプレ近代としての「観念の仇討ち」となります。このことを端的に示すのが、七段目の由良助の「やつし」の芸です。
七段目の由良助は延享4年(1747・つまり「仮名手本」初演の前年)に京都で粂太郎座で演じて評判を取った歌舞伎「大矢数四十七本」の初代宗十郎が演じる大岸宮内(おおぎしくない)の茶屋場遊びをモデルにして作られたものでした。文楽の七段目の由良助は歌舞伎を原型イメージにしているのです。だから七段目は掛け合い場になっているのです。このことから言えることは、上方和事の「やつし」の本質を理解せねば七段目の由良助が分からない、引いては「仮名手本」も分からないと云うことです。それでは上方和事の「やつし」の本質とは何かと言えば、これは本サイトでしばしば触れることですが、「私が今していることは、本当に私がしたいことではない。本当の私は別にあって、今の私は本当の私ではない」とゆらゆら揺れる感覚です。これは十九世紀西欧芸術に於ける「懐疑」の感覚と似たようなものですが、「仮名手本」ではその感覚が西欧芸術よりも約百年くらい先駆けて現れるのです。
と云うことは七段目の由良助の「やつし」をどのように読めば宜しいでしょうか。それは「塩治家筆頭家老として家来一同の思いを代表して、私(由良助)はどのような道を行くべきであろうか、どの道を行けば私たちは社会人(武士)として・はたまた人間としても正しいことになるか」を自身にずっと問い続けることになるのです。正解が出ることはありません。ずっと問い続けること自体に意味があるのです。人が社会のなかで生きて行くとは、そのようなことなのです。そう考えるならば、時代も社会機構も倫理道徳もすっかり変わってしまった令和の世の中にあっても、由良助の生き方が示唆あるものとなるはずです。吉之助が「忠臣蔵」を「近世的な・あまりに近世的な」仇討ちだと考えるのは、そこのところです。
文楽で初演された作品を歌舞伎でやる場合・普通それは「移す」と云う感覚になるでしょう。しかし、七段目を歌舞伎でやる場合には、どこか「戻す」に似た感覚が必要だと思います。それは由良助のイメージが歌舞伎の初代宗十郎から来ているからです。だから七段目とは、竹田出雲ら浄瑠璃作者が書いた「歌舞伎へのラヴレター」なのですね。(この稿つづく)
(R7・4・9)
4)仁左衛門の由良助
仁左衛門型の由良助の性根は、「計略のための見せ掛けの遊興」と云うところにあると思います。「俺は遊びたくて遊んでいるのではなく、実は俺には深い考えがあるのだよ」という面をはっきり押し出した由良助なのです。例えば花道七三で力弥から手紙を受け取る場面など、仁左衛門の由良助は完全に酔いが醒めたギラリとした目付きです。だから或る意味・始めから底を割ったきらいもありますが、「口ではああは言っても、本心はそうではないんだよ」と云うところがはっきり分かるので、初見の観客にも理解がしやすい由良助ではあります。
確かにそう云う由良助もあると思うし、性根として全然間違っていないと思います。しかし、それならば何故浄瑠璃作者がわざわざ初代宗十郎が演じる茶屋場遊び(上方和事の「やつし」の芸)を取り入れたか、その意味を問わねばなりません。他の役者ならばいざ知らず、あれほど見事な伊左衛門(廓文章)の「やつし」の芸を見せる・祇園のお座敷遊びにも慣れていらっしゃる仁左衛門なのですから、「まことの放埓か・或いは計略か、どちらなのかさっぱり分からん」と云う由良助をしようと思えば出来るはずです。出来るのに敢えてそれをしないのは、恐らく仁左衛門さんに「現代の観客に主人公の行動が分かりやすいように演じたい」という意図があるのだろうと吉之助は睨んでいます。碇知盛とか・いがみの権太(義経千本桜)などでも観客に分かりやすいようにと細かいところに心を砕く仁左衛門です。由良助についても多分そんなところだと思っています。ただし、それだと七段目に於ける由良助のイメージが渋く見えてしまいます。吉之助としては由良助に、「めくるめく虚構の渦巻きの中心にどっかと居座るブラックホール」のようなイメージを求めたいのです。それでこそ「かぶきの七段目」の感触になります。それが出来る仁左衛門であるからこそ勿体ないと思うのですがね。
しかしまあ、時代物通し狂言「仮名手本」に「俺は遊びたくて遊んでいるのではなく、実は俺には計略があるのだよ」という由良助を嵌め込んだとしても、それでもこれはこれでしっくり収まるものです。同月(3月歌舞伎座)Aプロ・夜の部の(仁左衛門の指導を受けた)愛之助の由良助はオーソドックスな感触になって、仇討ち狂言としての七段目の役割を十分果たしており、違和感はまったくありません。だから仇討ち芝居としては分かりやすいものになりました。ただし浄瑠璃作者が何故七段目を掛け合い場としたかという問いの答えは見えて来ません。太夫がすべてを独りで語るのでなく役を割り振る(つまり芝居の感覚)にすることで、作者は芝居でしか出せない何かを求めたはずです。他方、仁左衛門はその持前の優美さで魅せる(この点は有利である)けれども、その性根がやはり「実は俺には計略があるのだよ」と云うところに留まっているために、「まことの放埓か・或いは計略か、どちらか分からぬ」と云う・めくるめく揺れる感覚からはちょっと遠い感じがしますね。
次いでに「虚構の渦巻きの中心に居座る由良助」に振り回される平右衛門についても触れて置きますが、仁左衛門が演じる平右衛門は名品です。特に玉三郎のお軽とのコンビのジャラジャラは、七段目の本質に直結する・まことに興味深いものです。別稿にて「嘘と虚構で塗り固められた世界(七段目)に在って平右衛門だけが唯一まともな人間である」と申し上げました。そんな平右衛門であっても、華美な廓の世界を彷徨えば・雰囲気に当てられてしまって正しい平衡感覚を取ることがなかなか出来ません。実(じつ)をベースにしていても虚に触れてフラフラしてしまう有様を、仁左衛門の平右衛門は適格に描いて見せました。こんな感じで平右衛門が見事に演れるのですから、由良助についても、仁左衛門ならば本人がその気になればすぐ出来るものと吉之助は思っております。(この稿つづく)
(R7・4・10)
5)松也の平右衛門・七之助のお軽
今回・Bプロ・夜の部は、松也の平右衛門・七之助のお軽の兄妹です。華やかで悪くない出来で・観客の反応も良いけれども、注文を付けるとすれば兄妹の実(じつ)というところをもう少ししっかり踏まえて欲しいと思います。殊に前場である六段目で・勘九郎の勘平の・あのような「陰惨な」最後を見た後であるからこそ、尚更そこからの流れを踏まえてもらいたいと思うのです。そこの関連性が若干弱いように感じますね。
もちろん実の踏まえ方が兄妹でそれぞれ異なります。お軽はまだ短い廓勤めではあるが、既に感覚が麻痺し始めている状態です。平右衛門の方も廓の雰囲気に当てられて・感覚がおかしくなりそうで、だから兄妹のやり取りはすれ違い・じゃらじゃらになってしまうのです。しかし、そのじゃらじゃらは楽しいことなのではありません。哀しいことなのです。その哀しみのなかから兄妹の悲劇が浮かび上がります。まあ芝居では「状況の返り討ち」となる寸前に由良助に救われるわけですけどね、そのためにも兄妹の実がしっかり踏まえられねばなりません。
こうして「仮名手本」で五・六段目から七段目へとドラマが繋がると、改めて七段目から遡って六段目を眺めれば、その場にいるはずのない由良助の目が背後に光っていることが分かると思います。ともあれ七段目幕切れで、お軽の苦界から救いあげられ、平右衛門は討ち入りの数に加えられて四十七士が揃った、サアこれで討ち入りの準備が整った・・ということに現行の「仮名手本」通し上演の場割りであるとそうなるわけです。ホントはまだ九段目があるわけですが、時間の制約で仕方がありません。この後の芝居は一気に討ち入りの大団円に向って行きますが、夜の部はいちおう勘平の線で纏まっており、構成が緊密であるから腹応えがしますね。
(R7・4・11)