追悼・十八代目中村勘三郎
十八代目中村勘三郎は吉之助とは、勘三郎の方がほんの少し上ですが、ほぼ同世代・昭和30年代世代です。昭和57年(1982)、再開場したばかりの新橋演舞場での若手花形中心による「忠臣蔵」通しのことでしたが、この時、勘三郎(当時は五代目勘九郎)は初役で勘平を勤めました。「五段目」での蓑を着た勘三郎の勘平が暗闇の中を手探りでそろそろと獲物(勘平は猪を鉄砲で撃ったと思っている)を探しながら進む場面でした。この場面を三階席から見ていた吉之助の前の光景が、いつの間にやら親父さん(先代・十七代目勘三郎)の勘平に入れ替わってしまいました。舞台の板の目までも歌舞伎座に変わってしまって、歌舞伎座で親父さんを見ている気分になっていました。ハッとして周囲を見回すと、やっぱりそこは演舞場でした。勘三郎を見ているうちに何だか親父さんを見ているような錯覚に陥ってしまったわけです。もしかしたら仕事で疲れていたのかも知れませんねえ。吉之助は十七代目のファンでありました。当時は十七代目はまだまだ健在でありましたけれど、吉之助はもしこういう現象が再び何十年後かに勘三郎の勘平で起こったならば「きっと泣いちゃうだろうなあ・・」などと思ったものでした。何十年後か・・・つまり七十代になった勘三郎・その時は吉之助も七十代になっているということですが、そういうことを想像しました。その頃に・いつか再びそういう奇蹟が起こるだろうと思って、その時の為に吉之助はこれまで歌舞伎を見続けてきたようなものです。
吉之助はどちらかと云えば血筋とか家柄とか・そういうものに内心反発を感じる方です。歌舞伎を知る以前からテレビなどでもちろん「勘九郎ちゃん」のことは知ってましたけれど、最初ははっきり言って小生意気な野郎と思ってましたよ。しかし、思い出すのは、昭和54年(1979)9月歌舞伎座で十七代目がいがみの権太を初役で演じた(これが唯一回の権太でありました)「義経千本桜・木の実〜 鮓屋」の半通しで当代が演じた小金吾のことです。同じ夜の部での「男女道成寺」の舞台(共演は団十郎・当時海老蔵)も思い出します。この頃から、だんだん吉之助も勘三郎のことを、同じ年代で大したもんだ・同世代の星として頑張ってもらいたいねえと思うようになって来たのです。ですから、吉之助の歌舞伎歴のなかでは、十七代目や六代目歌右衛門の舞台はもちろん大事な思い出ですが、実は吉之助と併走する形で十八代目中村勘三郎という存在があったのでした。アイツも舞台で頑張っているから、こっちは批評の方で頑張るという関係というところがあったかも知れません。
吉之助が勘三郎に期待したことは、「アポロンとディオニッソスは同じ肉体に宿るか」という命題に対する解答でした。すなわち六代目菊五郎と・三代目歌六の二人の祖父の血筋を受け継ぎ、その異なった芸風をひとつのものにできるかということでした。そういう意味での解答は得られたとは申せません。近年の勘三郎の行き方については評価相半ばします(これについては別の機会に書くこともあるでしょう)が、 正直に申せば、吉之助は「勘三郎はもっと古典に精進してくれないかなあ」と残念に思っておりました。 7年前のことですが、別稿「勘三郎の法界坊」のなかで吉之助は、『背反する要素を同時に追おうとすれば・どちらもうまく行かなくなるのです。人間はそんなに器用ではないのです。「理屈ぬきで楽しく面白い歌舞伎」が片方にあって・「真面目で神妙な古典歌舞伎」がもう一方の対極としてあり、自分はそのどちらもきっちり 演じ分けられると思っているならそのうち行き詰まるでしょう。盛綱を楽しげに・法界坊を神妙に演じる。そういうことを勘三郎はそろそろ考えてみてもいいのではないですか』と書きました。勘三郎はそういう境地に至る前に亡くなってしまいました。ここ数年の勘三郎は袋小路に入って おり、精神的なストレスはキツかったとお察しします。いささか無理をし過ぎたと思います。勘三郎の周囲にもっと抑えた演技をすることを忠告できるブレーンがいなかったことは大変残念です。もっとも勘三郎に聞く耳があったかは分かりませんが。サイトのどこかで書いたと思いますが、「役者は六十過ぎてからが勝負」なのです。 六十前に死んじゃっちゃあ、何にもならないよ。(泣)六十過ぎて ・七十代になってからの勘三郎の解答を舞台で見たかったのですが。これについては本人が一番無念であるに違いありません。
それにしても七十代になった勘三郎を見るという夢が失われた今、吉之助のなかの・これから二十年歌舞伎を見て行くための動機のかなりの部分がもぎ取られてしまったように感じられます。カラヤンが亡くなった時も・十七代目勘三郎が亡くなった時も・六代目歌右衛門が亡くなった時も泣かなかったけれど、今回は・・・泣け ました。
平成24年12月5日・十八代目中村勘三郎死去
(H24・12・5)
吉之助の初の書籍本
「十八代目中村勘三郎の芸」
全編書き下ろし。書籍本オリジナル。
価格:2,600円(税抜き)
詳細はこちらをご覧下さい。
写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三