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四代目橋之助・初役の武智光秀

令和7年1月浅草公会堂・第2部:「絵本太功記・十段目・尼ヶ崎閑居」

四代目中村橋之助(武智光秀)、二代目中村鶴松(武智十次郎)、初代中村莟玉(操)、三代目尾上左近(初菊)、三代目中村歌女之丞(皐月)、八代目市川染五郎(真柴久吉)、初代中村鷹之資(佐藤正清)


本稿は令和7年1月浅草公会堂での新春浅草歌舞伎の第2部、橋之助初役の武智光秀による「絵本太功記・十段目」の観劇随想です。今年の浅草では第1部に同じく「太十」が染五郎の光秀で・顔触れを替えてダブルキャストで組まれています。こういう出し方は興行の側から見れば大道具の仕込みが節約出来て良いのかも知れませんが、ご見物の立場からすると・第1部と第2部とどちらを選べば良いかで迷うので、狂言は別建てにした方が宜しいのではないですかねえ。

両方の番組を見れば、批評する立場としては・どうしても両者を比べたようなことを書かねばなりませんが、顔触れが替われば、舞台の感触は当然変化するものです。そう云う意味では、第2部の舞台の方がオーソドックスと云うか、いくらか落ち着いた感触を見せてはいます。これは配役バランスとか微妙な要素が絡みます。第1部では前半部(光秀が登場する以前)がバランス的に物足りない気がしました。この点は第2部の方がしっくり行っている印象です。しかしまあ、フレッシュな感覚に於いてはどちらの舞台も見るべきものを正しくそのように見せています。「息を腹にしっかり保った所作と台詞廻しをもっと心掛けて欲しい」という課題もまったく同じです。

橋之助(29歳)初役の光秀は、親子だから当然のことですが、父・芝翫の若い頃を思い出します。恵まれた容姿で・線の太い時代物の役の「らしい」ところをしっかり捉えています。安心して見ていられる光秀です。今はそれで十分過ぎるくらい十分ですが、そのことを認めたうえで・ちょっと余計なことを書きますが、現状の芝翫が時代物役者の恵まれた資質を備えながら・芸がメタボ気味で停滞している印象(残念ながら今月・1月歌舞伎座の「熊谷陣屋」の義経役もあまり良い出来とは言えません)なのは、役の「らしさ」にかまけて・役の内面を掘り下げることを長年怠ってきた結果であると思っています。橋之助に申し上げたいことは、父の轍を踏まないように、役の内面を掘り下げる努力をこれからも続けて欲しいと云うことですねえ。(芝翫の光秀については別稿をご覧ください。)

現行歌舞伎での「太十」の光秀は、大筋において主殺しの大罪を犯した悪人のイメージです。非道の報いはこう云うことだ(自分の母親を殺してしまう・戦さで息子を死なせてしまう)・どうだ罪の深さを思い知ったかと云う感じに芝居が仕立てられています。現行歌舞伎の光秀と云う役の「らしさ」は、ほぼそう云うところにあります。しかし、実はそれは表向きのことなのです。それは「君君たらずといえども、臣臣たらざるべからず」とされた時代(江戸期)の作劇の表向きです。息子十次郎が絶命する場面での光秀を描写する竹本の詞章をみれば、それが明らかです。

『さすが勇気の光秀も、親の慈悲心子ゆゑの闇、輪廻の絆に締めつけられ、こらへかねて、はらはらはら、雨か涙の汐境、浪立ち騒ぐごとくなり。』

「さすが勇気の光秀」、これこそ浄瑠璃作者の光秀に対する真(まこと)の評価です。光秀という役の性根を脚本から読み取らねばなりません。橋之助は、型をしっかり捉えることは出来ていますから、次の段階としては、型の形容を内面(性根)から裏打ちしていくことだと思いますね。大事なことは、型が持つ「らしさ」の感覚(そうやってさえいれば・とりあえずそれらしく見える)に対し「然り、しかし、それで良いのか」と云う懐疑を常に持ち続けることです。橋之助は資質は十分なものを持っているのだから、それで自ずと未来は拓けて行きます。

(R7・1・17)


 

 

 


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