十七代目勘三郎の四段目の由良助
昭和50年12月国立劇場:「仮名手本忠臣蔵」〜大序・三段目・四段目
十七代目中村勘三郎(大星由良助)、七代目尾上梅幸(塩治判官高貞)、十七代目市村羽左衛門(高武蔵守師直、石堂右馬之丞二役)、五代目中村富十郎(早野勘平)、七代目尾上菊五郎(顔世御前)、初代尾上辰之助(三代目尾上松緑)(桃井若狭之助安近)、初代沢村精四郎(二代目沢村藤十郎)(腰元お軽)、五代目中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)(大星力弥)他
1)世話の由良助
本稿で紹介するのは、昭和50年(1975)12月国立劇場での、十七代目勘三郎の由良助による「仮名手本忠臣蔵」・前半(大序・三段目・四段目)の通し上演の舞台映像です。国立劇場での最初の「忠臣蔵」通し上演は変則的な形で行われました。それは、昭和48年(1973)12月に五・六・七段目に討ち入り(十一段目)を、昭和49年(1974)12月は二・八・九段目という珍しい番組で加古川本蔵の件でまとめて筋を通す、そして今回(昭和50年・1975・12月)は大序・三・四段目を通して、以上3公演を3年かけてほぼ(十段目を除きますが)全段を通すと云う形でした。「忠臣蔵」は松竹歌舞伎での通しの機会が多かったですから、多分国立劇場としての独自性を押し出したい意図があったのでしょう。本蔵で筋を通した昭和49年上演は、なかなかユニークな視点を提供してくれたと思いますし、今回(昭和50年)上演でも、三段目はいつも上演される喧嘩場(松の廊下刃傷)だけでなく、前に進物場を・後ろに裏門の場を付けた丁寧な形です。また四段目でも、省かれることが多い花籠献上の場を付けた上演になっています。
今回(昭和50年・1975・12月国立劇場)の注目は、十七代目勘三郎が四段目の由良助を初役で演じたことです。ちなみに昭和48年12月国立劇場での七段目の由良助も勘三郎の初役で、共にこれが勘三郎が由良助を演じた唯一の機会になったものです。勘三郎は由良助を演じる機会になかなか恵まれませんでした。それは戦後歌舞伎の「忠臣蔵」通しでは高麗屋三兄弟(十一代目団十郎・八代目幸四郎・二代目松緑)が由良助を勤める場面が多くて、十七代目勘三郎はもっぱら勘平・或いは師直を勤めたと云う事情に拠ると思います。
確かに時代物役者としてのスケールの大きさ、「何としても仇討ちをやり遂げる」という由良助の意志の強固さ、「みんな俺を信じて付いてこい」という由良助のリーダーシップの高さと云う点では、勘三郎にそれが足りないと云うことではなく・もちろんそれが無ければ由良助にならないのだけれど、高麗屋三兄弟であると、由良助が周囲の人たちと全然違う・如何にも傑出した人物に見えてくるわけです。まあそれが「忠臣蔵」を如何にも時代物の重厚な感触にしていたとも言えます。
一方、勘三郎の由良助であると、もう少し平凡な人間の方に近い由良助に描かれている気がしますね。主人判官が事を何を起こさなければ、由良助は平凡な人物として・しかし静かに平和な一生を送ったであろう。しかし、思いがけないところから仇討ちを指導せねばならぬ立場に放り込まれ、その一挙手一投足が世間の注目を浴びる身となってしまった。勘三郎の由良助を見ると、そのような由良助の苦渋と云うか・戸惑いというか、そういうものが強く見える感じなのです。こういう感じは高麗屋三兄弟であるとあまりしないかも知れません。つまり勘三郎の由良助は、人間的な弱さをも見せながら、それを押さえ付けて「仇討ち」という大目標に向かって必死で立ち向かう由良助である。この由良助の優れたところを挙げるならば、他の人たちよりちょっとだけ我慢強い、他の人たちよりちょっとだけ思慮深い、それと他の人たちよりちょっとだけ責任感が強い、恐らくその辺がこの由良助の優れた点なのです。しかし、由良助は決してそれを誇ったりしなかっただろう。勘三郎の由良助は、そのような人物であると感じるのです。
したがって勘三郎の由良助は、人物のスケールにおいて高麗屋三兄弟に譲るとしても、もうちょっと我々に近いところに居そうな等身大の人物に見えるわけです。つまり感触としては、多少語弊があるかも知れないが、「世話の由良助」と云うことになるかと思いますね。早野勘平を得意にした勘三郎らしい由良助です。そこがとても興味深いのです。(この稿つづく)
(R6・5・27)
「世話の由良助」は等身大の由良助であると同時に、どこか実録風の感触を感じさせると言いたかったのです。同じく十七代目勘三郎が演じても、勘平ならば六段目はきっちり時代物の世話場の感触のなかに収まると思います。師直ならば好色なところを押し出して芝居っ気たっぷりなところで・やはり大序は時代物の重い感触に収まるでしょう。芝居巧者の勘三郎ならば、四段目の由良助でも芝居っ気たっぷりに重々しく演じることは、しようとすれば出来ることです。ところが勘三郎は(まあこれは昭和48年国立劇場での七段目の由良助から推測が付くことではあるが)どこか時代っぽい重厚なところを意識的に抑えて、スケールが小さいと言われかねないのを覚悟の上で、由良助を実録風のリアルな感触へと持っていくのですね。こう云うことはなかなか出来ることではありません。そこが勘三郎の名優たる証左であるなあと思います。
もともと歌舞伎の四段目については、明治期の九代目団十郎以来実録風を志向するところが強いわけです。しかし、史実には浅野内匠頭切腹の場に大石内蔵助が駆け付けるなんてシーンが存在しません。(内匠頭は江戸にて即日切腹、内蔵助はその時赤穂に居たのですから。)そのあり得ない場面を「仮名手本忠臣蔵」では見せるのですねえ。これは「忠臣蔵」の情念のドラマを貫徹するために絶対あって欲しいと観客が願う、内匠頭が自らの情念を内蔵助に直接引き渡すための儀式なのです。史実ではないけれども、そこに歴史の真実が入り混じります。
歴代の由良助役者は誰でもそこを描くのに如才があろうはずがありません。もちろん勘三郎もそうなのですが、勘三郎の等身大の由良助では、そこのところでリアルが際立つようです。門外の場では館を明け渡さねばならぬ塩治家家老としての由良助の無念さ・悔しさがよく伝わって来ます。今回(昭和50年・1975・12月国立劇場)映像を見ていて、四段目の由良助の登場以降は、吉之助は何だか「仮名手本忠臣蔵・四段目」と真山青果の「元禄忠臣蔵・最後の大評定」とがオーバーラップしてくる気がしました。(この映像を視聴したのが、本年・令和6年3月歌舞伎座で「御浜御殿」の舞台を見た直後であったせいかも知れません。勘三郎と青果はあまりご縁がなかったようではありますが。)
両者の重要な相違は、「元禄忠臣蔵」に内匠頭の情念を内蔵助に直接引き渡す場が存在しないことです。それは「初一念」として内蔵助の心のなかに確かに届いているのですが、「元禄忠臣蔵」ではそれを描きません。そこは空白のまま留め置かれます。これ以後の「元禄忠臣蔵」は内匠頭が「初一念」を研ぎ澄まし明確なものとして行く過程を描くことになります。そこに青果の「元禄忠臣蔵」の近代戯曲としての性格があるわけなのです。そこだけが「仮名手本忠臣蔵」と「元禄忠臣蔵」の違いです。しかし、両者の間に流れる気分は驚くほど似ていることを痛感させられました。「四段目」を見ながら・こんなことを考えたのも、ひょっとすると勘三郎の等身大の由良助のおかげかも知れませんねえ。(この稿つづく)
(R6・5・28)
ここまで今回(昭和50年・1975・12月国立劇場)の「仮名手本忠臣蔵」(大序・三段目・四段目)を、まず四段目の由良助(勘三郎)の登場以降に関して、リアルという観点から考えました。ここで云う「リアル」とは、「太平記」の世界に仮託された「虚」の構図から・当時の観客にとって同時代の元禄赤穂事件の「実」の息遣いを如何にして浮かび上がらせるかと云う課題です。この視点に立って改めて大序から四段目までの流れを見渡す時、喧嘩場(松の廊下刃傷)の前に進物場を・この後ろに裏門の場を付けた三段目の扱いがホントに大事になることが痛感されます。
ご承知の通り、現行歌舞伎での「忠臣蔵」では三段目は(前後の場を省いて)喧嘩場しかやらないことが普通になってしまいました。もちろんこれで「忠臣蔵」事件の発端が分かります、以後のドラマは判官刃傷から発するのですから必要最低限のところは分かります。だけど必要最低限なのですねえ。これだとドラマは直接的に由良助が仇討ちへ向かっていく本筋への段取り(四段目・七段目・九段目)だけしか見えて来ません。
今回上演で三段目を進物場-喧嘩場-裏門と通してみた時、三段目から後半(四段目以降)の三つのドラマが発していることがよく分かりました。このことは頭では分かっていたことですが、舞台(或いは映像)で見て、改めて実感として感得されることです。それは、由良助・本蔵・勘平の、三つのドラマのことです。このうち本蔵のドラマ(八段目・九段目)は、本蔵が師直に賄賂をおくって主人(若狭助)への取り成しを頼む進物場がなければ、その意味をなさないことになります。本蔵が賄賂をおくったのは処世術を知り尽くした老人の知恵でした。もし本蔵がそれをしなければ、刃傷を引き起こしたのは若狭助であったはずです。だからこれを阻止したのは本蔵の功績ですが、このため本蔵は主人の不興を買うことになってしまいました。本蔵のもうひとつの誤算は、本蔵の賄賂のおかげで師直のイライラの矛先が判官の方へ向かってしまい、あろうことか判官が刃傷事件を起こしてしまったことです。ここから由良助のドラマが、とばっちりを食った形で唐突に始まることになります。師直が悪い奴とか仇だと云う類とはまったく別の次元の、現代社会においてもすぐそこに在りそうな、賄賂と利権と忖度のやり取りが、実に卑小な・かつリアルなドラマとなって、進物場に見えるのです。
もうひとつのドラマとは、判官刃傷という大事の場面に居合わせず・恋人お軽との逢瀬にかまけて・これを怠った勘平のドラマ(五段目・六段目・七段目)への段取りのことです。勘平は本来忠義厚き武士ということなら周囲の誰もがこれを認めたであろう男でした。しかし、一瞬の油断が勘平を不義者に変えてしまいました。五段目・六段目は失点を取り返えそうとあがき、ますます深みにはまってしまう勘平を描くことになります。
これは吉之助が常々言うことですが、仇討ち物と云うのは実は返り討ち物なのです。仇をめざして追っ手(善人方)が行く、その過程で苦難や病で仲間が次々と脱落していく、或いは仇に返り討ちされる。その苦しみを乗り越えて別の仲間がまた仇を追う、死んだ仲間の怨念を我が力に変えて別の仲間がまた仇を追う。ですから「仮名手本忠臣蔵」を返り討ち物とみるならば、勘平は状況から返り討ちされたようなものです。三段目裏門は、そのような勘平の返り討ちのドラマの発端となるものです。ここにも師直が悪い奴とか仇だと云う類とはまったく別の次元の、現代社会においてもすぐそこに在りそうな、ちょっとした出来心と油断が引き起こす、実に卑小な・かつリアルなドラマが、裏門の場に見えるわけです。
現行の「忠臣蔵」通しでは、裏門を上演しない代りに、四段目の後に舞踊「落人」(道行旅路の花聟)を上演して・これで昼の部を打ち出しとするのが通例です。四段目の沈痛な思いを華やかな舞踊で気分を変えて劇場を後にしていただく、もちろんこれはこれで意味があることです。一長一短あることなのですが、裏門があることで、五・六段目の勘平のドラマは一層深刻かつ・身につまされるものになるかも知れません。(この稿つづく)
(R6・5・30)
「忠臣蔵」では由良助は四段目半ばまで登場しませんが、今回(昭和50年・1975・12月国立劇場)の四段目で十七代目勘三郎の由良助のリアルが際立って来るのも、実は三段目を進物場-喧嘩場-裏門でしっかり通していることと深く関連することなのです。由良助が仇討ちへ向かっていくドラマはもちろん「忠臣蔵」の本筋に違いありませんが、本蔵・勘平のドラマも決して脇筋の扱いではなく、むしろ由良助の本筋と同じくらいに重いと云うことです。このことに気が付くと、「忠臣蔵」のなかでの由良助の位置付けが相対的に軽くなって来ると思います。この言い方は語弊あるかも知れないので・言い換えれば、由良助の位置付けが本来あるべき適度な大きさに戻る。このことが由良助のリアルな感触を活かして、当時の観客に同時代の元禄赤穂事件の息遣いを呼び覚ますと云うプロセスですかね。
「忠臣蔵」は「太平記」の世界の「虚」の構図に安住しているわけではなく、浄瑠璃作者はこの作品に出来るだけ同時代演劇のリアルを示唆すべく、いろんな細工を施しているのですねえ。三段目を在るべき形で見ると、このことが実感として分かって来るようです。
以上のことは今回の「忠臣蔵」の構成面からの考察になりますが、今回は配役面からも思わぬ収穫がありました。まずひとつは、十七代目羽左衛門が演じる師直のことです。羽左衛門と云うと、実直な・手堅い芸というイメージがすると思います。今回も羽左衛門が演じますが、例えば石堂右馬之丞は情も厚く・誠実そのものでまさに羽左衛門にピッタリの役です。そこへ行くと腹黒い・悪人然とした師直に羽左衛門はどんなものか?と云うことは誰しも感じることかと思います。しかし、結果からすると、羽左衛門の師直はとても良いものです。今回のリアルな感触の三段目にとても似合う師直であると思います。
「忠臣蔵」上演史のなかで、師直は必要以上に好色で腹黒い巨悪に仕立てられてきたと思います。これはこれで理由があることです。芝居では敵が憎々しい存在であるほど、討っ手の憎悪は高まるからです。それも分かるけれども、史実の吉良上野介は世間で云われるほどの悪い人物ではなかったようですね。まあ癖が強くてネチネチして嫌味なところはあったかも知れませんが、根っからの悪人とは思われない。多分浅野内匠頭とはウマが合わなかったのです。そんなツマラヌところからも大事件は起きるものです。羽左衛門の師直は、そのような実に卑小で・かつリアルなサイズの喧嘩場を見せてくれました。
もうひとつ挙げるべきは、七代目梅幸の判官の見事さですねえ。梅幸が戦後歌舞伎の判官役者の筆頭に挙げるべき役者であることは今更言うまでもないことです。吉之助も梅幸の判官は生でも何度か見ましたし、梅幸の判官の良さは分かっているつもりですが、改めて驚いたことは、相手になる師直役が二代目松緑(憎々しい時代っぽい師直)であっても、十七代目勘三郎(好色で芝居っぽい師直)であってもはたまた十七代目羽左衛門(実録風にねちっこい師直)であっても、やることは寸分変えていないように思えるのだが、相手役の個性にそれぞれぴったり対応した判官に思えることです。やることは同じなのに相手役の個性に合わせたかのように、それが様式にも写実にも、時代にも世話にも、どちらにも映るということです。映像で表情の細部を眺めても、感情をリアルに表情に出しているのに、それでも感情がまったく生っぽく映ることがなく、ほどよく様式に収まって見えると云うのは一体どう云うことであろうか。これが役者と役とが「ニンそのもの」と云うことなのであろうか。それは兎も角、判官に関しては梅幸以上の役者は考えられないなあと今回も痛感したことでありました。
(R6・5・31)