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国立劇場さよなら公演の「妹背山」通し・第1部

令和5年9月国立劇場:「妹背山婦女庭訓」・第1部
                          〜小松原・太宰花渡し・吉野川

五代目中村時蔵(初代中村萬寿)(太宰後室定高)、四代目尾上松緑(大判事清澄)、四代目中村梅枝(六代目中村時蔵)(太宰息女雛鳥)、初代中村萬太郎(久我之助清舟)、三代目坂東亀蔵(蘇我入鹿)、初代坂東新悟(采女の局)他


1)国立劇場さよなら公演の「妹背山」通し

現在の国立劇場(初代)は、新劇場へ建て替えの為近いうちに取り壊されることになります。「初代国立劇場さよなら公演」の最終として、通し狂言「妹背山婦女庭訓」(第1部が9月・第2部が10月公演)が始まりました。国立劇場は昭和41年(1966)開場当初から「通し狂言を心掛ける」ことをポリシーのひとつに掲げています。57年前の開場記念公演は2か月続きの「菅原伝授手習鑑」通し上演でした。今回のさよなら公演も、これに則った形で2か月続きの「妹背山」通し上演です。それはもちろん結構なことですが、50有余年の歳月は、実は歌舞伎興行を巡る様々な環境の変化を伴ってもいるのです。

今月(9月)の「妹背山」・第1部は小松原・太宰花渡し・吉野川の三場構成で、久我之助・雛鳥の件に関しては筋を完結しています。上演時間は2時間45分(休憩時間込みだと3時間35分)になります。これを歌舞伎座の夜の部・午後4時半開演に当てはめますと、午後8時5分に終わると云うことです。これだと夜の部としては物足りない気がします。コスパがあまり良くないと云うことです。一方、来月(10月)・第2部はまだタイムテーブルが出てませんが、道行・御殿・大詰(奥殿・入鹿誅伐)の三場構成で、恐らく上演時間は休憩込みで4時間内です。とすると歌舞伎座の夜の部だと終演は午後8時半になるわけですが、これもコスパ的にはちょっと不満だが・まあこれは仕方ないかとも思います。吉之助が考えるのは、これからの歌舞伎の通し上演は、よくも悪くも・こんな感じで3時間半から4時間程度の上演形態(休憩込み)になっていくのだろうなと云うことです。(付記:その後、第2部の上演時間は休憩込みで3時間25分と判明。これだと物足りないですね。)

これを50年前と比べると、昭和49年(1974)4月国立劇場での吉野川をメインとする「妹背山」では、今回の三場の間に、二段目(猿沢池・芝六住家)が挟まります。これが凡そ95分なので、休憩を含めると5時間を優に超えてしまいます。また昭和44年(1969)6月国立劇場での御殿をメインとする「妹背山」通し(六代目歌右衛門の国立初登場でした)は、今回の三場の前に、序幕として「蝦夷子館」(えみしやかた)が付いて・これが凡そ70分掛かりますから、休憩を含めるとこれも5時間を優に超えます。その昔は、こう云う形の上演が出来たわけです。吉之助の記憶でも昔は歌舞伎座の夜の部の終演は大体9時前後で、時には9時半を大きく過ぎることもありました。今はこう云うのはお客に好まれないでしょう。帰りの電車が気になると云うよりも、観劇で5時間も拘束されるのがとても「モタナイ」と云うことかと思います。まあ芝居が面白ければ・そう云うのは消し飛ぶのだが。

そう考えるとあの「仮名手本忠臣蔵」の、歌舞伎座・夜の部の定番の組み合わせと云うべき、五・六・七段目に討ち入り(十一段目)という上演さえも、令和の現在では、ギリギリか・もはや危ないところに差し掛かっていると云うことです。イヤイヤ厳しいことになってきたなと思いますね。昔はこれに加えて八段目までもやったものでしたが。これから歌舞伎座での通し上演はますます厳しいことになりそうですね。

吉之助が思うには、今回の国立劇場での「妹背山」・第1部は久我之助・雛鳥の二人の恋の成就に関しては確かに筋を通している、が通し狂言としてはボリューム的に腹持ちが今ひとつである、だから大化の改新の厳しい政治状況(時代物の構図)を描くところにまで迫れていない。とは云え、昨今の歌舞伎興行の現状を思えば、これに加えて芝六住家をやるべしなんて言えないことも明らかなのです。

そう云うわけで今回の「妹背山」・第1部は、休憩込みで3時間半と云うのは、吉之助には通し狂言と云うよりも「半通し」のもの足りなさがあるので、小松原と花渡しの間の休憩を無くして・追い出しに何か別に短い舞踊でも付けて欲しい気がしますが。(歌舞伎座は二部制ですが)幸い国立劇場は一部制だから、時間的な無理が少しは効くはずですから、現状と折り合いをつけた形で今後在るべき「演目建ての在り方」を模索して欲しいと思いますね。(この稿つづく)

(R5・9・20)


2)松緑の大判事

松緑初役の大判事は、この人の描線の太いところ・と云うか武骨な持ち味が生かされるならば、これまでの大判事とひと味違ったものが出来るかも・・と云う期待を以て見ました。

そもそも歌舞伎の大判事は、どちらかと云えば情の深い人物として描かれることが多いようです。「吉野川」をベースに役作りするならば、そうなることは理解出来ます。歌舞伎では「吉野川」が単独で上演されることが多いから、そうなりやすいのです。しかし、「吉野川」冒頭を読むと、入鹿に対し恭順な態度を崩さない父親(大判事)に久我之助は強い不信感を抱いていることが察せられます。(この件については別稿「久我之助から見た「吉野川」」で論じたので・そちらをご覧ください。)久我之助は孝行息子ですから・あからさまな反抗はしませんが、息子から見ると・大判事は頑固一徹なところがあるのです。それは大判事が家の存続を思うが故ですが、親子間に微妙な立場の違いが見えます。「吉野川」はそのような親子が最終的に和解するドラマでもあるわけですが、「吉野川」の仮花道からの登場だけで大判事のそのような状況を描き出すのは、無理なことです。

だから、頑固親父の大判事の性格を描くために、「花渡し」の場が大事なことになると思います。ところが、「吉野川」をベースに役作りをすると、「花渡し」での定高との対決での印象が弱くなりやすい。例えば昭和49年(1974)4月国立劇場の「花渡し」でも、あの芝居巧者の八代目幸四郎でさえ、六代目歌右衛門の定高に対し終始押され気味の印象になってしまいました。ここらが通し狂言での大判事の役作りの難しいところです。

そう云うわけで、通し上演の場合「花渡し」を起点に大判事を頑固親父に描くことで、「吉野川」がいつもと違った様相に見えて来るかも知れません。そこで今回(令和5年9月国立劇場)の松緑初役の大判事を見ると、「花渡し」では、時蔵の定高に対し気合いで決して負けておらず、なかなか興味深いものがあります。いつもの癖の強い台詞回しも、ここでは如何にも頑固な大判事らしく聞こえて、それで徳をしています。亀蔵の入鹿も凄みと云う点では課題はあるけれど、ストレートな印象が時蔵・松緑とよくマッチしており、この「花渡し」はなかなか面白いトライアングルになりました。

しかし「吉野川」の大判事の方は、まだまだ工夫の余地がありそうです。役の性根としては、決して間違ってはいません。しかし、熱演のあまり、台詞回しの癖がますます強くなって、聞いていてとても暑苦しい。ひとつ気になるのは、吉野川を挟んで妹山と背山、遠く離れているから声を向こうへ届けないと・・と思っているのではないかと云うことです。これはまったく無用なリアリズムだと思います。

冒頭の久我之助と雛鳥の対話は、無慈悲な吉野川の急流に阻まれます。確かにここではいくら声を張り上げても相手に聞こえない距離感です。しかし、両花道での定高と大判事との渡り台詞では、観客の心理的なクローズアップが効いて来ます。終盤の雛渡しにおいては、さらにカメラは近くなり、妹山と背山の距離感が喪失してしまいます。雛渡しにおいては吉野川の流れは、もはや久我之助と雛鳥の二人を繋ぐ優しい流れなのです。「吉野川」のドラマでは、そのような段階的なクローズアップがされているのです。距離感を意識して台詞を言う必要はまったくないと思います。

付け加えれば、ひとまず「吉野川」の幕は閉まりますが、大判事にはまだ大きな仕事が残っているのです。それは入鹿に子供たちの首を見せて、宣戦布告を叩きつけることです。大判事の勝負はこれからですから、今は泣いているわけに行かないのです。怒りを腹に押し込んで、これを来るべき戦いのための起爆剤とせねばなりません。「あれほど思いつめた嫁、なんの入鹿に従おう」は誰に対して言う台詞でしょうか。これは自分に言い聞かせる台詞です。言いながら自分の胸のなかに怒りを増幅させて行く台詞です。激して叫ぶように言われるものではなく、自分の腹に怒りを押し込むように言って欲しい台詞です。それでこそ頑固一徹な大判事の性格が貫徹出来ると思いますがねえ。松緑の大判事はセンチメンタルに過ぎて頑固親父に徹し切れていないようです。

もうひとつ申し上げると、別稿「団十郎襲名興行の助六」(令和4年11月歌舞伎座)でも触れましたが、大事なことは、身の丈にあったテンポでしっかり二拍子を踏んで「しゃべりの芸の原点」に立ち返ることだと思います。長台詞を勢いよくまくしたてようとするから、声が上ずってしまいます。あの時の松緑の意休の発声は悪くなかったと思います。大判事も同じようにやって欲しいと思いますね。(この稿つづく)

(R5・9・21)


3)時蔵の定高のことなど

時蔵初役の定高が、なかなか良い出来です。定高という役は男に負けない女丈夫の印象がどうしても前面に出ますが、その強さは家を必死に守る未亡人が「女だと思って決して侮られまいぞ」と身構えたところから来るものです。定高は本質的には情の深い・か弱い女性です。弱さを隠そうとして殊更に強く出ると云うことです。そのような女の強さと弱さのバランスが大事、と云うよりも強さと弱さは表裏一体になるもので、或る時は強さの面が出て・また或る時には弱さの方へ返ると云うことかと思いますね。時蔵の定高の良いのは、「花渡し」前半の大判事に対し居丈高に出るところも、「吉野川」後半の娘に対する母の情愛もひとつの流れのうえで見せたことです。

玉三郎に役を教わったそうですが、玉三郎の教えに時蔵の持ち味である古風さがミックスされて良い塩梅に仕上がりました。玉三郎の定高はしっかり筋道を踏まえて論理的に詰めていく印象であったと記憶します。そこに当時の女の道徳(婦女庭訓)の強さを感じさせたものでした。(別稿「ピュアな心情のドラマ」を参照ください。)時蔵の定高であるとそれは母の情愛で包まれた印象になるけれども、背後に婦女庭訓があることは確かに分かるのです。

一方、若いカップルには、少々注文があります。梅枝はこのところ典侍の局篝火維盛など丸本物で忘れ難い印象を残しているので・今回の雛鳥も期待しましたが、神妙に勤めてはいますが、憂いの表情がちょっと強過ぎる。定形のお姫様の印象に落ちてしまった感じで、そこはちょっと残念でした。春日野小松原で恋の危険なトキめきをもっと強く表現して欲しいですねえ。この不満が続く「吉野川」へも尾を引いています。これは萬太郎の久我之助にも同様なことが言えます。萬太郎も頑張っていますが、ちょっと表情が硬い印象がしますね。目線の置き方と口元の表現を工夫すれば、いい久我之助になると思います。

小松原の場は「菅原」の加茂堤や「新薄雪」の清水寺花見と同じであると考えて欲しいと思いますね。大事なことは、春日大社の神域において恋を囁くことの禁忌・そして誘惑です。恋の喜びが、晴天に黒雲が掛かるように、一転して不吉な影が差してくる、そのような場です。そのなかに、或いはそれ故にと云うべきかも知れないが、抗し難い恋の喜びがあるのです。「吉野川」のドラマのモデルになった実説の源太騒動(げんだそうどう)の娘やえですが、その死首はうっすらと笑みを浮かべていたと伝えられています。(詳しくは別稿「ますらおぶりの情緒的形象」を参照ください。)雛鳥の首もきっと微笑んでいたはずです。これは恋の成就なのです。観客にそのように想像させるようにお願いしたいと思います。

(R5・9・25)


 

 


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