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六代目菊五郎の「娘道成寺」

昭和11年4月歌舞伎座:「京鹿子娘道成寺」映像断片

六代目尾上菊五郎(白拍子花子)

(二代目市村吉五郎撮影による8mm映像)


1)六代目菊五郎の「娘道成寺」映像

本稿で紹介するのは、六代目菊五郎が「娘道成寺」を踊った貴重な8mmフィルムです。残念ながら細切れ断片で、時間としては合計1分半くらいのものに過ぎません。映像は、恋の手習いと・鈴太鼓から鐘入りが断片で映っています。無声の8mm映像であるし、恐らく揚幕の陰から遠距離で撮ったものなので、画面の六代目の姿が小さくて、踊りの細かいところまでは分かりません。しかし、伝説の名手・六代目の踊りの雰囲気を垣間見ることが出来るだけでも、実に有難いものです。この映像は、二代目市村吉五郎が昭和10年から11年頃に8mmカメラで個人的な記録として撮った一連の舞台映像断片で、そのいくつかの映像はNHKで放送がされました。吉之助が所持するのは・その時のビデオ映像です。当時の8mm機械とは速度が違っているようで、NHK放送映像で見ると動きが早くて気忙しく感じるので、吉之助は下座の鳴り物の手の動きで速度を調整して・大体15%ほど速度を遅くして見ています。正確ではないかも知れませんが、これならば六代目の踊りがずっと自然に見えて来ます。

六代目は昭和10年代は体力的に充実した時期でもあり(昭和10年ならば50歳です)、この前後の時期にはあちこちで頻繁に「娘道成寺」や「鏡獅子」を踊っています。「娘道成寺」映像については、NHK放送時に上演年月の表記がありませんでしたが、吉五郎の撮影時期がほぼ昭和10年から11年の東京歌舞伎座に集中していることから推察すれば、昭和10年と12年には歌舞伎座での「娘道成寺」上演がないので、昭和11年(1936)4月歌舞伎座・団菊祭での上演映像であると断定して間違いなかろうと思います。蛇体の映像が残っているので、最後の場面が欠けていますが・押し戻し付き(十五代目羽左衛門)であることも合致します。

1分半くらいの映像ですけれど、いろいろ考えさせる材料があります。まず印象的なのは、クドキの「〽露をふくみし桜花、さわれば落ちん風情なり」の箇所で、涙を振り払う心で手拭いを大きく振り回すところですねえ。ここの六代目の動きは、誰よりもゆったりと大きい気がします。手拭いのクドキの最後の締め括りですから、ガラリを気を変えて、手拭いの先がピンと跳ねて・生きているかのように見えることが大切であると云われますけれど、六代目の動きは力強く勢いがあって、そこに立役が踊る「娘道成寺」の特質が見える気がします。本質的に踊りが陽性で、決して「陰」にならないということです。このこと「娘道成寺」では大事なことであると思います。(この稿つづく)

(R4・5・20)


2)日本舞踊を越えたダンス・パフォーマンス

さらに驚いたことは、鈴太鼓の踊りで六代目が上半身を思い切り前後に揺らし、全身を使って激しく踊っていたことです。この映像を初めて見た時には、「これではまるで新体操だなあ」と唖然としてしまいました。もし七代目三津五郎が舞台端からでもこの踊りを見ていたら苦笑いしたかもと思うほどです。多分これは日本舞踊の骨法からは逸脱した踊りだと思います。お手本通りに踊るならば、ここはホントはもっと身体の軸を残して踊らなければならないでしょう。しかし、ここで何か熱いものが湧き出て六代目を内面から激しく揺さぶっていることも、無声の映像からでもビンビン伝わって来るのです。

もし吉之助は生(なま)の舞台でこの六代目の踊りを見たならば、そのダイナミックな踊りに「これはもう日本舞踊なんて範疇を越えたダンス・パフォーマンスだ」と興奮してしまうと思いますねえ。吉之助は、これと似たような感じの踊りを生で見た記憶があります。それは十八代目勘三郎の襲名の時の「娘道成寺」でした。あの時の勘三郎の踊りも、特に鞨鼓から鈴太鼓の踊りが、実にリズミカルで・かつ激しいものでした。勘三郎のなかで、祖父・六代目の血が騒いだのだと感じた瞬間でした。

*右手を差し出して・思い切り上半身を前傾斜する六代目菊五郎。

このことは「娘道成寺」のなかに潜む享楽的な要素・「陽」の要素をはっきりと認識させます。そう云う要素が踊りのなかから立ち現れると、鐘への恨みとか清姫の情念とか、そんな口伝はもうどうでも良くなってしまうのです。花が散ると、桜の枝から芽が吹き出て、今度は青葉が伸び始めます。若々しい燃えるような若葉の緑色はグングン成長する生命の鼓動です。しかし、花の立場からこれを見るならば、美しい花弁の奥底にそのような燃え盛る生命のエネルギーがもう既に渦巻いていたと云うことなのです。そして、熱いエネルギーが動き始めて、表皮を突き破ぶり美しい花を散らしてしまうことになります。だから平安の人々が鎮花祭のお囃子で「やすらへ。花や、やすらへ。花や」(そのままでをれ、花よ。じっとして居よ、花よ。)と歌い掛けるのは、花が動き始める瞬間を恐れている(そこが「娘道成寺」の怖さに通じるわけですが)、と同時にその瞬間を内心待ちわびてもいるのです。それは、生きる力・伸びる力であるのです。だから立役が踊る「娘道成寺」は、或る種アッケラカンと健康的な方向を志向していると云えそうです。もちろん真女形が踊る「娘道成寺」であれば、もうちょっと違った色合いがあり得るでしょう。

ちなみにこの「娘道成寺」映像断片で見る六代目の踊りは、映画「鏡獅子」(昭和10年東京劇場)での小姓弥生の端正な踊りとまるで印象が異なるみたいですが、映画については本人に「これは後々まで残るものだから・決して好い加減なことは出来ないぞ」と云う強い意識があったに違いありません。「鏡獅子」で見る踊りの技術の確かさがあってこそ、あの「娘道成寺」の激しい動きが可能になったと云うことです。

*別稿六代目菊五郎の「道成寺」を想像する」もご覧ください

(R4・5・23)




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