説経「をぐり」の世界は蘇ったか〜スーパー歌舞伎U「新版 オグリ」
令和2年3月京都南座:スーパー歌舞伎U「新版 オグリ」
四代目市川猿之助(藤原正清後に小栗判官)、中村隼人(遊行上人)、坂東新悟(照手姫・小萩)他
*比較対象:ダブルキャストによるハイライト映像
中村隼人(藤原正清後に小栗判官)、四代目市川猿之助(遊行上人)(新型コロナ防止対策による無観客上演映像)
1)説経「をぐり」の世界
本稿で取り上げるのは、令和2年3月京都南座でのスーパー歌舞伎U「新版 オグリ」の無観客舞台映像です。残念ながら本公演は新型コロナ感染防止対策により全日程が休演となってしまいましたが、大変有難いことに松竹が無観客上演による舞台映像をインターネット配信してくれましたので、これを見ました。なお配信された2本の映像のうち、猿之助主演によるフルヴァージョン映像版をメインとし、ハイライト版で配信されたダブルキャストによる隼人主演の映像を比較参考として取り上げることとします。
まずスーパー歌舞伎に対する吉之助のスタンスを明らかにしておきますが、別稿「四代目猿之助襲名のヤマトタケル」で書いたように、吉之助は昔はかなり熱心に猿之助歌舞伎を見たのですが、昭和63年2月新橋演舞場で初演されたスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」(三代目猿之助主演による)を見て以後、「猿之助のスーパー歌舞伎路線はもういいや」と云うことで、ずっとこれを敬遠しておったわけです。したがって吉之助はスーパー歌舞伎に批判的なわけではないですが、これを醒めて見る立場ではあります。スーパー歌舞伎・第3作にあたる「オグリ」初演(平成3年4月新橋演舞場)についてはこれを見ていませんので、今回の「新版 オグリ」に当たり、梅原猛・三代目猿之助によるオリジナル版(と云うか旧版と云うのか)のどこをどう変えたかと云うところが分からないので、今回の観劇随想はあくまで「新版 オグリ」についての観劇随想です。ただし今回は原作者とクレジットされている梅原猛の作意がどこにあったかを考えてみないと、やはり「オグリ(小栗判官)」を正しく論じたことにならないでしょう。
「小栗判官」は説教「をぐり」に発し、日本芸能の大きな流れを成すものです。現代日本人には「をぐり」はほとんど忘れられたものとなっていますが、明治の初めくらいまでは、「小栗判官」は説教のみならず芝居・その他の芸能でも盛んに取り上げられました。小栗判官・照手姫と云えば、日本芸能史上最強のカップル・理想の夫婦像とされたものでした。詳しくは別稿「小栗判官とは何だろうか」で説教「をぐり」の世界を取り上げましたので、そちらをお読みください。説教浄瑠璃を考えることは、日本人の精神世界の源流を訪ねることであり、歌舞伎に関しては義太夫狂言(浄瑠璃)の源流を訪ねることです。「小栗判官」のみならず、例えば「摂州合邦辻」も説教浄瑠璃まで辿らなければ、その本当のところは分かりません。
それにしても江戸の感性から見ると、中世期の説教浄瑠璃は、どこか湿り気を帯びてカビ臭くて薄暗い迷信の世界のように見えているかも知れませんねえ。江戸の庶民の感性は、現代の我々から見るとそうは見えないかも知れませんが、意外と明晰かつ合理的なところがあります。説教に出てくる餓鬼阿弥と云うのは、目も耳も口もまったく利かず、手足もほとんど動くことさえできない生きた屍に近い存在だと思われます。ところが江戸時代の民衆には、この餓鬼阿弥となった小栗の姿がもうすでに想像が付きませんでした。江戸の民衆は、これを業病に侵された「摂州合邦辻」の俊徳丸のような姿で理解しました。だから当時の人々は「がきあみ」ではなくて、「がきやみ」(やみは病み)と呼んだのです。例えば「当世流小栗判官」ではお駒という娘が小栗に失恋して死んで怨霊と化し、小栗の面相を醜く変えてしまうという怨霊譚仕立てにされてしまいました。これでは説教「をぐり」とは全然違う形になってしまいますが、そうすることで筋の合理化がなされたと云うことです。しかし、説教の世界からは遠ざかってしまいました。そこが歌舞伎の限界と云うべきで、そこに中世と近世の精神的な断絶が現れているように思われます。(これを論じると話が横にそれるので、ここではひとまず置く。)
現代日本人にとって説教「をぐり」の世界は、江戸期の人々よりもさらに遠い存在です。だから梅原猛がスーパー歌舞伎で「をぐり」を取り上げるならば、説教の精神世界をどのように芝居のなかに蘇らせるか、或いはそこに現代日本人が忘れてしまった大切な心があるか、そんな思いを脚本のなかに込めたに違いないと吉之助は考えるのですがねえ。(この原稿つづく)
(R2・4・19)
2)道行の面白さ
スーパー歌舞伎と云うことは「歌舞伎を超えた歌舞伎」ということだから、かぶき的でない要素も取り入れつつ・なおかつかぶき的なものを維持するということでしょう。だから伝統的なものの何を受け継ぎ、何を切り捨てるかということが、大事なことになります。闇雲に現代の観客に受ける歌舞伎を志向するものではないだろうと思います。説教の精神世界をどのように芝居のなかに蘇らせるか、或いはそこに現代日本人が忘れてしまった大切な心があるか、これは吉之助が今回のスーパー歌舞伎U「新版 オグリ」映像を見るに当たり自分に課した課題ですから、制作者のあずかり知らぬことです。しかし、今回の横内謙介脚本による「新版 オグリ」を見ると、アクションシーンなど派手な要素に関心が行っているようで、見る者を遠い昔の説教の精神世界へ誘ってくれる感覚があまりないようです。だから吉之助としては良い評価が出来ないと云うことになりますが、見るべき部分がないと云うわけでもありません。
本稿を書くに当たり梅原猛原作脚本を参照しておらぬので、横内脚本が梅原原作のどこをどう変えたかと云うところが書けませんが、ここでは置きます。吉之助が見たところでは、第3幕「小萩の道行」以外では、全体的に梅原風味からかけ離れた印象がします。梅原風味と云うのは説明が難しいねえ、まあ観念的と云うか主人公が自分の内面を説明してちょっと理屈っぽいということですかねえ。ただし第3幕・餓鬼阿弥が小萩(照手)と出会い土車に乗せられて熊野へ向かう件については、ここは恐らく梅原風味をかなり残した箇所です。この「道行」には、説教「をぐり」に通じるものを確かに感じます。「をぐり」を知らない若い観客がここをどう感じたかは分かりません。颯爽とした小栗が出て来ないし、アクションシーンはないし、もしかしたらここをダレ場と受け取ったかも知れませんが、説教「をぐり」ではこの場面(道行)こそが核心なのです。「新版 オグリ」も「道行」をクライマックスに持って行くように全体設計が出来れば良かったのにと思いますが、どうも横内脚本ではそうなっていないようです。ただし第3幕「道行」部分には見るべきものがあります。
「新版 オグリ」・第3幕(美濃の国近江屋〜関ケ原〜大津〜熊野湯の峰)について考えます。説教に出てくる餓鬼阿弥は、目も耳も口もまったく利かず、手足もほとんど動くことさえできない生きた屍に近い存在です。その身に知覚能力・思考能力が残っているのかさえ定かではありません。わずかに動くので「これは生きているものらしい」と分かる程度の存在です。だから餓鬼阿弥は小萩を妻(照手)と認識出来ないし、小萩も餓鬼阿弥を見てもそれが夫(小栗)だと気が付きません。二人は不思議な縁(えにし)で巡り合い、互いをそれと知らぬまま・わずか数日の時間を土車を曳き・曳かれの関係で過ごし、餓鬼阿弥再生の後に、また不思議な再会をするのです。
一方、「新版 オグリ」においては、餓鬼阿弥は目はうっすらだが見えているようだし、耳と口は利けて小萩と会話をしますし、熊野の場面では自分で山をよじ登ったりするので、身体は不自由なれども・動けないわけではないようです。そこに大きな違いがあるわけですが、この改変は芝居で「をぐり」をやるのならば仕方がない変更でしょう。主役の餓鬼阿弥が舞台で黙って物体みたいに転がっているだけでは、芝居にならず、慰(なぐさ)みにもならないからです。「新版 オグリ」では、何気ない会話のなかから餓鬼阿弥(小栗)は小萩が妻(照手)であると知りますが、しかし今の餓鬼阿弥の状態では自分が夫であることを自分から名乗りをすることが出来ません。餓鬼阿弥は自分の身の不幸を歎き、正体を小萩に明かさぬまま、小萩の曳く土車に乗せられて熊野への道を進めることになります。この改変は、とても良く出来ていますねえ。ここは多分梅原原作に拠るものでしょう。芝居に仕立てるのに必ずしも適さない説教「をぐり」の道行の設定を巧みに改変して、しかも餓鬼阿弥の小萩の不思議な縁を新たに構築し、新たなドラマを見事に生み出してくれました。この箇所は「当世流小栗判官」の怨霊譚への改変などよりも数段良いと褒めておきます。ここには説教の精神世界の片鱗が確かに見えます。(この稿つづく)
(R2・4・20)
3)小萩の慈悲の愛
余談ですが、前章で梅原脚本の餓鬼阿弥の設定変更をよく出来たと褒めましたが、それは説教「をぐり」を芝居に移す為にやむを得ざる処置であるから褒めたのです。しかし、この変更によって説教「をぐり」の世界もいくらか様相を変えざるを得なくなります。このことの良し悪しも当然生じます。このことをちょっと寄り道して考えます。
説教「をぐり」の餓鬼阿弥は、目も耳も口もまったく利かず、手足もほとんど動くことさえ出来ず、知覚・思考能力が残っているのかさえ分からない存在でした。これを小萩(照手)を始め檀那衆が力を合わせて熊野に送り届けて再生させたわけで、餓鬼阿弥は自力で再生したのではなく、いろんな人々の助けによって「蘇らせてもらった」ということです。だから説教「をぐり」が描くのは、他力による救いです。民衆の祈りも大事なのですが、とりわけ妻(小萩)の愛の救いというところが重要な主題になって来ます。ここで云う小萩の愛とは、男女の愛情ことだけを云うのではなく・これも包含したところの、もっと深い慈悲の愛なのです。
一方、「新版 オグリ」では、餓鬼阿弥は明らかに知覚・思考能力を持ち、小萩が妻であることを認識するも・敢えて名乗ることをせず・自分の身の不幸を歎き苦しみ、身体不自由な身で苦難の道中を耐えながら・遂に再生の地熊野に至ります。その餓鬼阿弥(小栗)の塗炭の苦しみが、何やら再生を予期した通過儀礼の如く見えて来るのです。餓鬼阿弥が苦難試練を経て自力で復活したことになり、何やら貴種流離譚の様相を呈して来ます。この違いは、餓鬼阿弥の設定を変更したことによって起こった結果です。
恐らく原作者・梅原猛は小栗の復活を貴種流離譚であると理解したのでしょう。これについては「そう云う見方もあるかもね」と言っておきます。言うまでもなく貴種流離譚は、折口信夫の民俗学の重要な概念です。折口の「貴種流離譚」の初出は、大正13年に発表された論考「国文学の発生(第ニ稿)」とされていますが、実は大正7年にほとんど同じ概念で「貴人流離譚」という言葉を用いて論考「愛護若」が発表されています。(なお現行の折口信夫全集に所収の「愛護若」で「貴種流離譚」となっている箇所は全集収録時に改訂されたもので、雑誌発表時の原稿では「貴人」となっていたものです。)このことを吉之助が重要であると考えるのは、これより後の論考になる大正15年、説教「をぐり」を取り上げた「餓鬼阿弥蘇生譚(正・続)のなかで、折口は「貴種流離譚」という用語を一度も使っていないからです。「餓鬼阿弥蘇生譚」で折口が関心を以て語るのは、小栗が一旦死んで、三年という異様に長い時を経て、閻魔大王の計らいでバラバラになった遺骸を以て生ける屍の姿でこの世に戻ったと云う、奇妙な餓鬼阿弥のイメージについてのみです。この折口の関心は、やがて後年の小説「死者の書」(昭和14年)に繋がる主題へと発展して行きます。折口はこれを通過儀礼と一度も書いていないことは大事なことです。このことは、折口信夫は「をぐり」を貴種流離譚と解釈していないことを示す有力な証拠であると吉之助は考えます。やはり「をぐり」は蘇生譚として理解すべきだろうと思います。(詳しくは別稿「小栗判官とは何だろうか」をご覧ください。)
ただし吉之助は梅原猛が小栗の復活を貴種流離譚としたことを間違いだと云うのではありません。中世期の説教「をぐり」を、小栗の苦難試練(通過儀礼)を経ての再生(自力による再生)だと読み直したところに、「をぐり」の近世的な読み方があると云うべきです。これによって薄暗い迷信の闇のなかにあった説教の世界は、いくらか意志的な明るみのなかに引き出されたことになります。云うまでもなく歌舞伎は近世的な芸能ですから、そうなることで「をぐり」は歌舞伎の題材として相応しいものに練り上げられることになるのでしょう。(この稿つづく)
(R2・4・21)
4)道行の明晰な感覚
「新版 オグリ」では、小萩(照手)は関ケ原付近で危うくならず者に狼藉を受けそうになったところを三河万歳の旅芸人に救われます。この時、彼の思い付きで小袖と笹の枝をもらって、小萩は狂女の成りをしてその後の道行の歩みを進めることになります。梅原猛はまったく上手い段取りを考えたものですね。小袖と笹の枝の小道具を得て、これで小萩の道行きは風狂の趣を呈することとなり、それは芸能の始原を想わせました。それは説経浄瑠璃の世界へ、さらに延長すればかぶきの世界へ通じるものです。しかし、残念なことに「新版 オグリ」の舞台では、道行の場面を膨らませることが十分に出来ず、これをほのめかすだけの段階で終わってしまっています。大津までの道行を、小萩が「えいさらえい」と囃しながら、地元の衆を熱狂に巻き込んで、華やかに進めることが出来れば、大いに映える場面に出来たのですがねえ。古(いにしえ)の説経「をぐり」の世界が舞台に現出することになったであろうに。
「新版 オグリ」では、この三河万歳の旅芸人は、小栗をこの世に送り返した閻魔大王が成り代わったもので、閻魔は小栗の行く末を見守っていたのであると云う設定になっているようですが、しかし、実際の舞台を見るとこの伏線は利いていないようです。それは第2幕からの筋の繋がりが悪いせいです。それに関ケ原の場が終わって暗転する直前で小萩が土車の綱を取ってポーズを決めるところがありますが、この時に小萩が片手に笹の枝を持っていないのはいけませんねえ。これでは梅原猛の意図が正しく印象付けられません。新悟の小萩(照手)は真摯な演技で小萩の清らかな気持ちがよく伝わってくる好演であっただけに、この点は残念なことでした。
もうひとつの演出上の大きな問題は、小萩の道行きのシーンをすべて暗い舞台面で処理したことです。背景に黒の横断幕を設置して人物だけを照らし出す手法です。このため舞台が暗く湿った感触で迷信に縛られた中世期の説教のイメージに凝り固まってしまいました。しかし、説経の道行きの感覚は、本来明るいものです。説経の道行の明晰さは未来に通じ、後の近世江戸の芸能の道行を準備するものです。説経「をぐり」から道行の場面を引きます。
『古き烏帽子を申し受け、さんての髪に結びつけ、丈と等(ひと)せの黒髪をさつと乱いて、面(おもて)には油煙の墨をお塗りあり、さて召したる小袖をば、すそを肩へと召しないて、笹の葉にしでを付け、心は物に狂はねど、姿を狂気にもてないて、「引けよ引けよ子供ども、物に狂うて見せうぞ」と・・』(説教「をぐり」)
ここで顔を墨で塗りたくり・髪を乱して狂女の成りをした小萩の、常軌を逸した高揚感が描かれます。同時に「心は物に狂はねど、姿を狂気にもてないて」とあるように、小萩は狂気に身をやつしながら、心はますます冴え渡って行くのです。それは小萩のなかに救い(熊野での餓鬼阿弥の再生)が明確に予感されているからです。この明晰な感覚が説経の暗みのなかで小萩の道行のシーンをひときわ明るいものにします。「引けよ引けよ子供ども、物に狂うて見せうぞ」と乱れ狂う小萩の姿から、「この世は夢ぞ、ただ狂へ」と踊り狂う江戸初期の出雲のお国へ辿り着くのは、それほど遠いものではありません。近世の芸能である歌舞伎の道行きは明るいものです。このことは例えば「千本桜」の「吉野山」或いは「忠臣蔵」の「落人」の舞台面が持つ明るさを思い出してもらえば分かると思います。「スーパー歌舞伎」が伝統芸能(かぶき)を標榜するものであるならば、説経の世界を新たな感覚に作り変えるためには、小萩の道行きを明るい舞台に仕立てた方が数段良かっただろうと思います。(この稿つづく)
(R2・4・26)
5)かぶきの舞台の明晰な感覚
平成29年(2017)11月新橋演舞場でスーパー歌舞伎U「ワン・ピース」を見た後のことでしたが、遅ればせながら吉之助は2.5次元ミュージカルなるものがあることをテレビで知りました。2.5次元ミュージカルとは、二次元の表現である漫画・アニメ・ゲームなどを、3次元の現実(つまり役者による舞台)へ移し替えた、そのような現実との中間を狙った舞台表現手段を2.5次元と呼ぶのだそうです。テレビのドキュメンタリーで2.5次元ミュージカルの制作風景を見たのですが、派手な衣装の若い俳優たちがダイナミックに振り回して派手な立ち廻りをするのを見て、「ワンピース」にも似たような立ち廻りがあったけれども、スーパー歌舞伎はスピード感・キラキラ感・ワクワク感に於いて2.5次元ミュージカルに到底太刀打ち出来ないなあと思いました。残念ながら、現代の若者はスーパー歌舞伎よりもこちらの方にかぶいた感覚を感じるだろうと思います。こちらの方が今風に「カブキ」なのです。そのくらい役者の動きの活きが良いのです。しかも、これは結構大事なことですが、2.5次元ミュージカルでは俳優がいくらでも別の活きがいいのに取り替えが利くのです。その時の絶好調の役者を起用しながら、舞台の新鮮さをずっと維持できるわけです。確かに歌舞伎は江戸時代創業の老舗かも知れませんが、スーパー歌舞伎Uが同じような方向で対抗しようしても、これでは負けてしまうと思います。しかし、吉之助としては個人的な好みですがやっぱり歌舞伎の方を応援したいのですがねえ。今回の「新版 オグリ」の第2幕で小栗とその仲間たちが地獄の閻魔の場で大暴れする場面もを見ても同じことを思わざるを得ませんでした。こう云う場面で2.5次元ミュージカルと張り合おうとしないで、歌舞伎は自分の本来の領分で勝負すれば良いのです。歌舞伎役者は自分の普段やっている芝居(歌舞伎座でやってる古典)にそんなに自信が持てないだろうかと疑問に思いますねえ。古典にいくらでももっと面白いものがあるのじゃないの。
それと「ワンピース」の時の観劇随想には「主役が出っ張らず、多くの役者に見せ場を作ってどの役者にも遣り甲斐を与える、これならば猿之助を慕う若手が出てくるのは当然」と書きましたが、今回の「新版 オグリ」では少し様相が違っていて、歌舞伎畑でない外部の役者を多用しているのが気になります。それが良いか悪いかは議論のあるところだと思いますが、猿之助が一体この「スーパー歌舞伎U」で目指すものが何なのか、舞台を見ていて訳が分からなってしまいました。猿之助は新しい歌舞伎を作りたいのではなくて、面白いエンタテイメントが出来ればそれで良いと云うことなのでしょうか。あくまで歌舞伎に主軸を置く考えならば、ここは陣容を歌舞伎役者で固める方が得策ではないでしょうかね。
吉之助は亡くなった十八代目勘三郎存命中に同じようなことを書きましたが、歌舞伎役者はいつでも歌舞伎座に戻って古典が出来ねばなりません。歌舞伎役者にとっては古典が本分です。既成概念に捕われない新しい歌舞伎も古典も両方きっちり勤めますと云うスタンスで、相反する要素を同時に追おうとすると、結局、どちらもうまく行かなくなるのです。あの天才・勘三郎でさえそうなったと云うことを、猿之助もチラッと考えて欲しいですね。吉之助は「この水が大海に注ぐか、沼に入って淀むか」と云う問いをずっと持ちつづけていたいと思います。
横内謙介の脚本に関しては前章でちょっと触れた通り、第2幕で小栗とその仲間が閻魔の裁きに反発して・地獄で大暴れして地獄を破壊して・娑婆に戻ると云う筋が、第3幕で小栗が餓鬼阿弥として再生することに、論理的・思想的に正しく繋がらず、作品が破綻しているとしか見えません。本稿では第3幕の小萩の道行きを褒めましたが、見るべきところはそこだけです。全体の出来としては、古(いにしえ)の説教「をぐり」の世界を新しい形で現代に蘇らせたとは、とても申せません。このためには脚本家は原作の何を変えてはいけないか、どこを変えれば良いのか、思想的或いは論理的に原作の世界を正しく理解して、これを見極めなければなりません。日本芸能の技法である本歌取りの態度と云うものは、そういうものなのです。
演出面で云えば、立ち廻り場面以外では舞台をフルに大きく使うことをせず、背景に黒の遮蔽幕を張って舞台の前部分だけでスポット照明だけで芝居をするのが、とても気になります。説経は暗い迷信の世界だと云う固定観念があるのでしょうねえ。登場人物が横一列に並んで、みんな観客の方に正面に向いて自分の台詞を云う場面が多い。割台詞でもしているつもりなのか、しかし、どことなく小学校の学芸会を思い出しますなあ。前章でも触れましたが、江戸の感性と云うのは明晰なものです。「イヤ現代から見れば江戸の感性はまだまだ暗い」と感じるかも知れませんが、古典歌舞伎の舞台面を見るならば、歌舞伎の舞台は明るいものだということは理解されると思います。舞台に影が出来なくて、まったく平面的に見せるほど明るい、特殊な照明技法なのです。これが歌舞伎の美学なのです。(別稿「舞台の明るさ・舞台の暗さ」をご覧ください。)少なくとも歌舞伎内部にいる人は、このことを正しく認識して欲しいと思います。つまり江戸の明晰な感性は、現代に先駆けていると云うことなのです。歌舞伎の新作を作る時、この認識が有効な取っ掛かりになると思います。だから外部のジャンルの方が歌舞伎の題材を取り上げて暗い舞台を作りたくなるのはそれは分からないことはないですが、歌舞伎サイドの人間が新作を演出するのであれば、当然その舞台は明晰なものとなるべきです。ましてや中世期の説教「をぐり」のような題材を取り上げるならば、なおさらのことです。だから明るい舞台とならなければ、厳密な意味において「かぶき的」な舞台面だと言えないわけなのです。そう云うことをちょっと考えてみたら如何でしょうかね。
(参考文献)
岩崎武夫:さんせう太夫考―中世の説経語り
鳥居明雄:をぐり―再生と救済の物語(R2・5・1)