五代目勘九郎の「夏祭」イン紐育
平成16年7月・ニューヨーク平成中村座・「夏祭浪花鑑」
五代目中村勘九郎(十八代目 中村勘三郎)(団七九郎兵衛)、三代目中村橋之助(八代目中村芝翫)(一寸徳兵衛) 、笹野高史(義平次)
(串田和美演出)
勘九郎がニューヨークに平成中村座を持ち込んで上演した「夏祭浪花鑑」がNHKハイビジョンで生中継されました。(現地時間7月24日夜)芸に対する目の肥えているニューヨークっ子にも歌舞伎は衝撃を与えたようで、勘九郎も本望であったことでしょう。もっとも外人が「カブキ、ワンダフル」というのは予想は付きましたけどね。幕切れにNY警察の警官たちが舞台奥から登場して団七・徳兵衛にピストルを突きつけるのは、昨年渋谷のコクーンでのパトカー登場の焼き直し(発展)ですが受けておりましたね。しかし、吉之助はそれよりも身体の大きい警官役の外人たちが勘九郎と舞台に並んで・かしこまって正座して「まず今日はこれ切り」をやったのが楽しかったです。
串田和美演出については別稿「空間の破壊」での「三人吉三」の舞台の印象とほぼ同じですが、改めて感心したのは照明の使い方がうまいことです。演技の振りや台詞回しは通常の歌舞伎とほぼ変わらないのですが、照明のおかげで陰影がついて・立体感が出て・グッと印象が強くなりました。串田氏は従来の歌舞伎の良さを認めて型をホントに大事に扱っていますね。それはもちろん素晴らしいことなのですが、しかしこの試みが今後も続けられるならば、役者の演技・科白回しにもいずれは冒険をしてもらいたいと思うのです。
昭和5年のことであったか、六代目菊五郎が「野崎村」の新演出を出した時のこと、菊五郎の楽屋に新派の英(はなぶさ)太郎が訪ねた時に・菊五郎が「どうだった?」と聞きました。「芸の上手下手は別として、あれなら新派の役者にも出来ますね」と答えると、菊五郎はウッと言う顔をして・しばらく黙っていたが「他山の石として聞いておこう」と言ったそうです。
さすがの菊五郎も英太郎の率直な感想にギクッとしたようです。しかし、菊五郎が歌舞伎の演出を再考した事はもちろん意義あることなのです。むしろ、これは菊五郎しか出来ないことなので・もし外部の人間がこれをやったら袋叩きであったでしょう。(武智鉄二の例を挙げるまでもありません。)だから、串田氏が役者の動き・科白回しに手を付けないのは賢明だと思いますが、これは多分、勘九郎がやるべき領域なのでしょう。「こんな舞台なら新劇役者が演ったって同じだ」という批判が出ても、勘九郎が共同演出に名を連ねて・一度はそこまで徹底してやってみる必要があると思っています。
義平次を演じた笹野高史はこの老人の汚らしさ・醜さをよく出して好演です。しかし、そのことは置いて・憎まれ口を言えば、確かに歌舞伎役者に義平次ができる人が払拭していることはあると思いますが、あえて外部に人を求めてそこまでリアルにこだわるならば、やはりコテコテの河内弁がしゃべれることが義平次役者の必要条件であるかなと思うのです。(関西生まれの人間にはちょっと気になりました。)
勘九郎がニューヨークに平成中村座を持ち込んで本年7月に上演した「夏祭浪花鑑」は大好評でありました。この平成中村座の建てられたリンカーン・センターの敷地からほど近くが 「ウェストサイド」と呼ばれる地区になります。はっきり言いますと、あまりいいお土地柄とは申せません。この地区を舞台にしたミュージカルに「ウェストサイド物語」があるのはご存知であろうと思います。
「ウェストサイド物語」の初演は1957年9月のことです。同名映画(1961年)も大ヒットしました。劇団四季代表の浅利慶太氏が、その昔・「ウェストサイド物語」の初演後しばらくのことらしいですが、虎ノ門の米大使館に本作の日本上演をしたいと相談に行ったそうです。応対した係員は顔をしかめて、「そんなツマらん作品よりも「オクラホマ」 か「南太平洋」にしたらどうか」と言ったということです。「ウェストサイド物語」はアメリカ社会の恥部を描いた作品なのです。
「ウェストサイド物語」というと、最も知られたナンバーは「トゥナイト」でありましょう。トニーとマリアの人種差別を超えた純愛、しかし、それだけが「ウェストサイド物語」であるならば・この作品が 与えた社会的衝撃は理解ができません。「ウェストサイド物語」は「ロミオとジュリエット」の大枠を借りた悲恋物語仕立てになってますが、実は社会的プロテストを多く含んでいる作品なのです。それはこの時代によく言われた「怒れる若者たち(アングリー・ヤングメン)」という時代の気質に密接に繋がっています。 そういう観点から見れば、本作で最も衝撃的なナンバーは「アメリカ」と「ねえ、クラプキ警部さん」に違いありません。
「アメリカ」ではプエルトリコ移民の女たちが「アメリカは素晴らしいところだわ」とその憧れを歌うと・男たちが「お前が白人だったら、そう なんだけどな」と言って笑い飛ばします。それでは本作に素晴らしいアメリカ文化を享受する豊かな 白人が登場するでしょうか。そんな白人など全く登場しません。ジェット団の連中は・白人ではあっても落ちこぼれの不良連中です。その落ちこぼれが相手がプエルトリコだと言って優越感を感じているだけのことです。「ねえ、クラプキ警部さん」では、今度はその彼らが「俺たちは社会的病気なんだ、どこへ行っても厄介 物扱いだ、どうすりゃいいんだ」と歌うのです。
ここで主人公のトニーを考えてみます。トニーはいまは小さいコーヒーショップでアルバイトをしている真面目な青年で すが、もとはジェット団のメンバーで・リーダーのリフが兄貴分として慕っている存在です。ということは明記はされていませんが、トニーはジェット団の前リーダーだということです。だとすれば、喧嘩っ早くて・切れ易く、悪いことを随分やった男に違いないのです。トニーはジェット団から完全に 手が切れていません。もちろん喧嘩してジェット団を離れたわけではないので・仲間が慕ってくればそれなりに相手をしてしまいます。仲間たちは堅気になったトニーがうらやましくて仕方ないのです。離れようとしても昔の仲間がすり寄って来ます。結局、 トニーは以前のしがらみから抜けられません。彼はジェット団とシャーク団の諍いを止めようとしますが、弟分のリフが殺されると・カッとなってべルナルドを刺してしまいます。映画のトニー役(リチャード・ベイマー)は 風貌が純朴過ぎますね。あのイメージに騙されてはいけません、もっともああでないと映画にはなりませんがね。どうしようもない不良が足を洗って堅気になろうとして・そこで人種差別を越えた純粋な恋をして・黙って見てればいいのに仲間の争いを止めようとして・そういう似合わないことをしようと したから 殺されるというのが「ウェストサイド物語」のもうひとつの側面です。
まったく似たようなことが「夏祭浪花鑑」にも言えます。団七も徳兵衛も江戸歌舞伎に取り上げられて「男伊達」らしく格好よく洗い上げられた役になっていますが、じつは彼らは大阪の市井の最下層の男たちです。
団七九郎兵衛はもともとは浮浪児であって・いかさま師の老輩義平次に拾い上げられて育てられて・そこの娘と出来てしまい、肴のふり売りしたりしていたものが喧嘩で名を売って、色町で武家奉公人を斬って入牢したという設定になっています。また徳兵衛も備中玉島を脱走して一時は非人の群れに入った喰いつめ者で、喧嘩の尻押しに買われたり・いかさま師のようなことをしてきた男です。
義平次にとって団七は浮浪児であったのを拾い上げてやったことでもあるし・娘の連れ合いでもあるし、団七を応援してやればよさそうなものなのですが、これが全然そうではないのです。この根性の捻じ曲がった老人は、「お前ばかりにいい目見させてたまるか・格好付けやがって誰の世話になったんじゃい」という感じで団七の足を引っ張り続けるのです。義平次には底辺を這いずり回った人間の強烈な僻みと妬みと醜さがあって、そこから抜け出そうとする団七を邪魔することしか考えていません。そのしがらみが結局、団七を絡め取ることになるわけです。
そう考えてみると、ニューヨークで「夏祭」を上演するというのは悪くないアイデアでしたね。ニューヨークの観客が警官が登場して銃を構える「夏祭」のエンディングをどう感じたでしょうか。「ウェストサイド物語」とイメージが重なってくれましたかね。団七も徳兵衛も社会の底辺にうごめくアウトローだということは感じてもらえたのではないでしょうか。
先日、TVインタヴューで勘九郎が平成中村座のNY公演の裏話を語っておりました。永山松竹会長にこのアイデアを相談したところ、永山氏がNYは世界一劇評が厳しいところで・そんな冒険は失敗するから絶対認めないと言ったので勘九郎と喧嘩寸前になったというのです。結局、永山氏は勘九郎の熱意を買ってこれを認めるわけですが、勘九郎は「これが成功しなかったらもう舞台には立たない」と決死の覚悟でNY公演に臨んだ そうです。まあ、多少の誇張があるのかも知れません。永山氏の心配は実は「採算」の方だったのかも知れませんが、平成中村座のNY公演が勘九郎にとって「決死の冒険」であったのは事実のようです。
しかし、平成中村座のNY公演がそんな「決死の冒険」だと関係者が案じていたとは意外だなあというのが吉之助の感想です。これまでの歌舞伎の海外公演というのは概ね どれも大好評、昭和57年(1982)の歌右衛門・勘三郎らによる大歌舞伎のNY公演も大成功であったのです。平成中村座に至っては「江戸の舞台空間をNYに再現」しようというのだから大成功は最初から約束されたようなものと吉之助は思っておりました。何を危惧する必要があったのかと吉之助は思うのですが。
どうして松竹関係者が平成中村座のNY公演の成功を危惧したのでしょうか、吉之助はこんなことを想像します。確かに歌右衛門・勘三郎らの大歌舞伎NY公演は大成功でした・しかしそれは「正統の・ちゃんとした歌舞伎」であった、平成中村座は「実験歌舞伎・いつもの歌舞伎ではない」、だからこれを見てNYの観客が「これはホンモノの歌舞伎じゃない」と言い出すのではないかという心配ではなかったかと思うわけです。インタビューを聞いても勘九郎にもそういう不安がなかったわけではなかったように思われました。
確かに日本においては平成中村座を「あれは歌舞伎じゃない」とか言う輩もいるのでありましょう。しかし、NYの観客は「正統の・ちゃんとした歌舞伎」も知らないわけだから別に気にすることもないわけです・・というよりNYの観客は先入観のない・曇りのない目で平成中村座の「歌舞伎のカブキたる 部分・」をしっかりと見たということではなかったでしょうか。勘九郎のNYでの成功はそういうことであったと思うわけです。何も心配することはなかったのです。事実、NY公演での現地の批評を見ますと、例のNY警官が登場して「フリーズ!」云々というエンディングなどに全然目もくれず、勘九郎のお辰の 任侠・ 泥田での団七と義平次の立廻りの様式などのドラマ論を展開していて、しっかりドラマを見ていることが分かります。大歌舞伎とか・平成中村座とかには関係なく、彼らは「カブキの本質」をしっかりと見極めたと思います。
西洋の観客が歌舞伎になぜ敬意を払うのでしょうか、このことを考えてみる必要があります。彼らは歌舞伎に・西洋演劇とは手法は全く違うけれど・確固とした伝統に裏打ちされた「古典 演劇」を見るのです。そういう確固たる「伝統」に対して彼らは無条件に帽子を取るのです。「型の周辺・その2」で紹介した・カラヤンが歌舞伎を見て「歌舞伎は私の理想だ、完璧ならば何も変える必要はないはずだ」と無邪気に感激したというエピソードも、そういう理由に因ります。
NY警官が登場して 「フリーズ!」という幕切れは確かにニューヨークっ子に親しみを覚えさせて・いいサービスになったでしょう 。日本人はそういうところばかり面白がっていますが、しかし、それで彼らが「カブキ・ワンダフル!」と言ったわけではないのです。歌舞伎は自らの持つ「伝統の力・古典の魅力」にもう少し自信を持った方が良いと思いますね。
勘九郎の「夏祭」NY公演において、ヘリの爆音が鳴り響くなかNY警官が舞台になだれ込み・ライフルを構えて「フリーズ!」と叫ぶ幕切れについては別稿「夏祭とウェストサイド物語」で も触れました。ニューヨークでの上演ならではの趣向と申せましょう。しかし、その衛星舞台中継を見ていて奇妙なことに気が付きませんでしたか。銃を構えた十人くらいの警官たち が団七や徳兵衛の方に銃口を向けずに、銃口があっちやこっちや全然見当違いの方向を向いておりました。これはどういう意図なのか、きちっと団七・徳兵衛の方に銃口を定めないと 最後が締まらないじゃないかと吉之助は感じました。
勘九郎の説明では、これは四次元空間なので・江戸とNYの空間がダブっているのだけど・NY警官には団七たちの姿は見えていない・だから警官たちは見えないものにやむくもに銃を向けている、ということでした。なるほどねえ、そういうことですか。しかし、「フリーズ!」で 舞台全員が動きをピタリと止めてしまうと・江戸の時空とNYの時空がピッタリ一致してしまったように吉之助には見えましたけどね。まっ、それはともかく、この幕切れはNYだからこそ成り立つ幕切れです。逆に言えば、他の都市でこの幕切れをやるのは意味がない のです。他の都市でならば別の幕切れを考えるべきです。
ところで、勘九郎が「NY凱旋公演・NYバージョン」としてこの「夏祭」の幕切れを10月の大阪・松竹座で再現したそうです ね。そっくりそのままでもないようですが、NYから外人さんまで呼んで「NYの興奮をもう一度」という趣向です。大変失礼ですが、こういうことはあまりしてもらいたくないと思いますね。「NYの幕切れ」はNYだけの「花火」で終わらせてもらいたかった。どんな素晴らしいアイデアであっても「型」にしてもらいたくないのです。
勘九郎さん、趣向と型とを混同してはいけませんよ。趣向とは・その場(その興行)その場で即興的に繰り出されるアイデアです。渋谷コクーンでパトカーを出す幕切れ・NYで外人警官を出す幕切れはそれぞれの都市の バックグラウンドを持っていて・それはそれで結構なアイデアだと思いますが、所詮は「際物(きわもの)的演出」であることを意識せねばなりません。こういうものを「型」にしてはならないのです。それでは大阪ならではの幕切れはどんなものにすべきだろうか?そういうことを真剣に考えなくては。
NYの興奮を追体験したいお客さまもそれは確かにいらっしゃるでしょう。しかし、こういうものは「一時(いっとき)の花火」にしなければならないのです。あの時にNYの中村座にいればよかったなあ・・・そう強烈に思わせておいて・それっきりで終わらせる、それがその場1回限りで終わってしまう舞台芸術の「美学」というものではないでしょうか。
(注)本稿での「夏祭・フリーズ」の問題については別稿「古典劇における「趣向」と型」」でさらに論じていますから、そちらも併せてお読みください。
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十八代目中村勘三郎の芸
写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三