前進座の「四谷怪談」
平成28年5月国立劇場・前進座公演:「東海道四谷怪談」
六代目河原崎国太郎(お岩)、七代目嵐芳三郎(民谷伊右衛門)、藤川矢之輔(直助権兵衛)、七代目瀬川菊之丞(佐藤与茂七)、忠村臣弥(お袖)他
1)前進座の南北物
前進座での「四谷怪談」上演は1982年(昭和57年)8月以来、実に34年ぶりのことだそうです。前回のものは先代(5代目)国太郎のお岩による上演で、吉之助もこの上演を見ました。今回は先代の孫にあたる当代国太郎がお岩を演じるとのことでなので、期待して見ました。ところで、もしかしたら今は前進座のことを「歌舞伎もやる劇団」くらいに思っている方もいるかも知れませんが、前進座は昭和6年に歌舞伎界の身分差別や待遇に反対した河原崎長十郎・中村翫右衛門らを中心に結成された歌舞伎劇団で、第三世代に入った現在も創立の理念を守って頑張っている劇団です。
前進座は結成当初から鶴屋南北作品を上演の柱に置いてきました。それは南北が当時の下層の庶民の生活を活写したという理由があった(それが前進座の演劇理念に合致した)と思いますが、直接的には大正〜昭和初期の第一次南北ブーム(二代目左団次を中心とする)が背景にあります。前進座の中心人物であった長十郎は15歳の時に左団次一座に入門し芝居を学んだ役者でした。新作物と(復活を含めた)歌舞伎十八番の上演がもうふたつの柱であったことからも、演劇理念的に前進座の芝居は二代目左団次の影響が強かったことが窺えます。これは大正〜昭和初期の演劇思潮を考えれば当然そうなるわけです。ということは歌舞伎史上で二代目左団次がどれほど偉大な存在だったかがそこから分かるということですが、前進座は当時の芝居の匂いをいまもなお残す貴重な劇団なのです。このように前進座には南北上演の伝統があるわけで、吉之助は南北に関しては(それと新歌舞伎も同様に考えますが)、松竹歌舞伎よりも前進座の舞台の方が、本来在るべき様式を伝えていると思います。ですから前進座で南北が掛かるならば、是非見ることをお薦めします。
それでは前進座の南北のどこがどう良いのかというと、まずアンサンブルが良いということを挙げておきたいと思います。前進座の役者には、「相方がどうやるかなど頓着せずに自分は自分のスタイルで芝居をやるまでよ」みたいな役者はまったくいません。端役にいたるまで作品のなかで自分が果たす役割を承知して一生懸命勤めて、まことに気持ちが良い。どの役も気が入って、しっかり同じ方向を向いている。これは演出という考え方があるからですが、歌舞伎の三階差別に反抗して独立した彼らからずれば、至極当たり前のことなのです。
南北の台本を見ると、当時の世相風俗を活き活きと描写する台詞は三階の役者が勤める役々のものであって、主役級の台詞は或る種の定型で書かれています。当時腕利きの役者が三階に揃っていたことが窺われます。南北の写実(リアリズム)・生世話の思潮は下から突き上げる形で湧き起こったのです。その意味でも南北物は前進座に良く似合う歌舞伎です。(この稿つづく)
(H28・5・29)
2)南北劇の様式
もうひとつ前進座の南北が良い点は、芝居のテンポが早いということです。例えば今回(平成28年5月)の「四谷怪談」であると、午前11時に始まり・3回の幕間休憩を挟んで・午後3時半に終演でした。もはや松竹歌舞伎ではやることがなくなった「三角屋敷」を上演し、少々カットがあったにせよ「夢の場」もしっかりやって、四時間半の上演時間です。もし同じ台本で松竹歌舞伎でやったならば、これより小一時間長くなることは確実です。これでは二部制では昼夜どちらの枠にも収まり切りません。(ちなみに平成27年7月歌舞伎座で菊之助のお岩・染五郎の伊右衛門で演じた時は、4時開演で8時15分に終演でしたから、4時間15分。)これは台詞のテンポの違いと云うこともありますが、演技の間合いとか・その他の段取りも含めて、前進座の方は松竹歌舞伎よりも芝居のテンポが早めであると云えます。このことが南北の場合、特に効果を上げています。
実は現代歌舞伎の技巧は歴史的にはせいぜい幕末の芝居までしか遡れないものです。ほぼ黙阿弥物の技巧と云って良いです。これがいわゆる「歌舞伎らしさ」の基準になっているものです。台詞のテンポ をゆっくりめにして、ちょっと節回しの要素を入れる。思い入れをたっぷり取って、台詞の末尾を伸ばして詠嘆調で決める。そうすると「様式的かつ音楽的」な台詞廻しになるってなもんです。義太夫狂言でも南北でも一様にこの感覚で処理されて、様式を描き分けようなんて姿勢があまり見られません。松竹歌舞伎での南北はねっとりと粘る感覚で上演されるようになっており、もはや黙阿弥物との区別が付きません。(まあ今月(5月)歌舞伎座の「三人吉三」を観れば黙阿弥だって怪しいものですがね。)
しかし、南北の台詞は写実な「しゃべり」の芸・つまり生世話に根差したものです。感触としては「さっぱり」の方が南北本来の味に近いものです。だから新劇俳優が南北を演じてもさほど違和感を感じないくらいのものです。(別稿「アジタートなリズム・23・南北劇のリズム」を参照ください。) いつもの松竹歌舞伎で「これが歌舞伎らしさだよ」という感覚に慣らされていると、今回の前進座の「四谷怪談」も、ちょっと芝居っ気が薄いというか、あっさり・さっぱり風味で物足りなく感じる方も少なくないかと思いますが、むしろこの方が南北本来の味わいに比較的近いところにあります。「現代歌舞伎の技巧は歴史的に幕末の芝居までしか遡れない」というのに、これはどうしてかと云うと、それは前進座の芝居が演劇理念的に二代目左団次の様式を継いでいるからです。つまり大正〜昭和初期の第一次南北ブームの時の左団次劇の感触を、前進座がしっかり残しているからです。これはもちろん近代の感性からの焼き直しということなのですが、この左団次の・二拍子の畳み掛けるリズム感覚が南北の感触に似通ってくるのです。(別稿「左団次劇の様式」をご参照ください。)
実は前進座の場合も、南北の生世話の様式として完全にぴったりというわけではないのです。今回の前進座の舞台をご覧になった方の感想として、「役者の台詞に七と五で割る感じがちょっと強かった気がする」という声を伺いました。これは多分その通りで、これは左団次の・畳み掛ける二拍子の感覚で台詞を割れば、7+5=12は2で割り切れますから、このリズムで勢いを付ければ気風良く台詞が言えるということです。(注:南北の七五は、黙阿弥の七五調とは様式が異なります。)ここはホントは2で割る感触をあまり強く押し出さずに、もっと自然な息で 写実に台詞をしゃべるよう心掛ける方が良いには違いない。そこに工夫の余地はまだあるのですが、とりあえずの南北の台詞の処理法としては理にかなっています。南北の様式からすると当たらずとも遠からずということは言えます。特に台詞の末尾を引き延ばさないという点に於いてです。台詞の末尾を引き延ばしたら南北ではなくなります。この点は強調しておきたいと思いますね。(これは新歌舞伎でも同じことです。)台詞の末尾を引き延ばしたら黙阿弥になってしまうのです。(正確に云えば様式っぽくなるということです。)
今回の前進座の役者さんの台詞を聞いていると、やっぱり松竹歌舞伎の舞台を見たのか・こうすると「歌舞伎らしくなるかな」と思うのか、台詞の末尾に膨らみを持たそうとするところが若干見える場面があります。ただし、それを強くやってしまうと「臭くなるからしない」という自制の感覚は確かにあります。だから安心して芝居が観られます。そこに前進座のスタイルというものがしっかりあるのです。(この稿つづく)
(H28・6・4)
1982年(昭和57年)国立劇場・前進座公演での、先代(五代目)国太郎のお岩のことはよく覚えています。ひと言で言えば、ことさらに恐さを強調しないお岩、だから面相が変わったことの女の哀れさが感じられるお岩でした。このことは お化け芝居として繰り返し上演され練り上げられて来た「四谷怪談」に対する問題提起であったかも知れません。化け物としてお岩はますます恐ろしく執念深く描かれ、一方の敵役としての伊右衛門は色を掛けて世のなかをニヒルに生き抜く色悪として描かれて来ました。まあそうなるにはそうなる理由が作品に内包されていたとしても、そのような後天的に着せられたイメージを洗い流してみれば、「四谷怪談」は案外シンプルな世話物だったのではないかということです。そのような新鮮な驚きが、今回(平成28年)の前進座の舞台にもありました。
当代(6代目)国太郎のお岩は、祖父の手順をよく写しています。普通であると舞台上手の柱に刺さった短刀に当たってお岩は死ぬのですが、国太郎のお岩は「一念通さでおくべきか」で立ったまま憤怒のまま精神的に死んで怨霊に転化することを明確にしています。この後お岩は柱の短刀に当たることは当たるのですが、これはあくまでお岩が肉体的に死ぬことの段取りに過ぎません。この点が国太郎の独特なところです。浪宅でのお岩が変身していく髪梳きの場面も淡々としていますが、観客を無理に怖がらせようとするところがないのは良いことです。だから美しい女性が毒薬で醜い姿にされることの悲しみが浮き上がってきます。
例えば鎌倉権五郎や曽我五郎ならば、御霊神たる資質である荒々しさを生前から備えていることは当然必要です。しかし、怨霊の資質たる執念深さや異形性を生前のお岩のなかに見ようとすると、ちょっと無理が生じると思います。これはまったく逆に考えた方が良いのです。か弱い女であり社会的弱者であるお岩は、このような怨霊に転化する手段によってしか、この世の不正・不実を糾弾しこれを誅することができないのです。これはお岩自身が決して望んだことではありません。しかし、この無念を晴らすためにお岩はもはや怨霊と化すしかないのです。これは悲しいことです。これは「東山桜荘子」(いわゆる佐倉義民伝)の磔になって死後に幽霊となり殿さまに祟る主人公浅倉当吾(佐倉惣五郎)も同様に考えなければなりません。お岩の美しい姿を見せることは、お岩の無実を示す為に大事なことです。これは「あなたの本当の姿はこのような醜い姿ではない」ということであり、怨霊としてのお岩・モデルである四谷さまへの供養のためにも、意味があることです。
上演時間の関係で省かれることが多いですが、「四谷怪談」通しでは夢の場を入れることを定型にして欲しいと思います。(三角屋敷と夢の場と追加するならどっちか一つを選べと言われるならば、どっちもと言いたいところですが、敢えて夢の場の方を取りたい。)夢の場はお岩と伊右衛門の関係が心理学的に形象化されて、実に興味深い。夢の場がひっくり返って蛇山庵室に転換する発想も凄いですが、そもそも夢の場を見ると、お岩と伊右衛門は本質的には惹き合っているのだなあということを痛切に感じます。何でこの夫婦はこうなっちゃったのでしょうか。ホントはうまくやっていけたんじゃないのですかねえ。塩治判官が馬鹿な刃傷沙汰を起こしてお家が断絶なんてことにならなければ、この夫婦はこんなことにならなかったかも知れません。お取り潰しがきっかけで一家の運命が狂わされ小さな幸せが崩されてしまう。そんなことをちょっと考えてみても良いのではないでしょうか。
お岩が過大なイメージを背負っていない分、伊右衛門の方も等身大の悪で良いということになると思います。芳三郎の伊右衛門は悪くないですが、インタビューで本人も語っていたけれど色悪のイメージにこだわるところがあり、ちょっと印象が中途半場になったかも知れません。今回の上演ならば、隠亡堀で「首が飛んでも動いて見せるわ」という伊右衛門の台詞はまったく不似合です。こんな初演本にない台詞(この台詞は初演翌年の大坂での「いろは仮名四谷怪談」で加えられたもの)で伊右衛門の色悪たる性格を象徴しようとするのは、もうそろそろ止めにした方が良いと思います 。
(H28・6・10)