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「勧進帳」について

〜歌舞伎十八番の内「勧進帳」

*「吉之助の雑談」での「勧進帳」関連の記事をまとめました。


○「勧進帳」の読み上げ・問答について

「勧進帳」について、ある本(名前はあえて伏す)を読んでおりましたら、こういうことが書いてありました。富樫が勧進帳を読めと言うと、たいていの弁慶役者はギクッとした表情を見せるが、ある役者(これも名前を伏す)はここでほのかに笑ったそうで、そ の演技が「いい」というのです。ここで富樫が「勧進帳」を読めというのは、弁慶一行を一応山伏だと認めて話しを聞こうというのだから・これは弁慶の仕掛けた罠に富樫が引っ掛かったのである ・そうなれば持っていない勧進帳をでっちあげることなど弁慶にとってはなんでもない・だから弁慶は笑うのだそうです。

吉之助が思いますには、この場面は山伏問答に向けて緊張を盛り上げていくところで、作り山伏を装う弁慶一行に対し富樫はまずは「勧進帳」を読めとの難題を吹っ掛け・さらにその内容理解を問い詰める・一難去ってまた一難・はたして弁慶はこの試練を切り抜けられるのであろうかという 緊迫した場面 であろうと思います。「勧進帳」読み上げ・問答というのは、さあ待っていましたと・そんなに簡単にでっちあげられるような余裕の場面なのでありましょうか。それ なら「弁慶の仕掛けに引っ掛かった富樫」がまるで馬鹿になってしまうのではないでしょうか。

その役者さんがほのかに笑ったこと自体は「オオそのこといと易し」という感じで笑ったのならば別に悪いとも思いませんが、優れた解釈であるとも私には思われません。この場面の弁慶 では富樫の難しい要求に対して冷や汗を流しながらも必死で答えようとする気持ちが観客に伝わらなければならないのです。弁慶に笑う余裕があるなどとは吉之助には思われないのです。

むしろ、その必死の思いが伝わるならば・弁慶一行が作り山伏であることが顕に見えてしまっても構わないとさえ思います。その必死の思いが伝わるものならば情の人である富樫はきっとそれを許すに違いないのです。この場面において観客に緊張感を持たせるために弁慶がギクッとした表情を見せるならば、それは 笑うよりは多少とも意味がある演技だろうと私は思います。もっとも九代目団十郎ならば表情をキッと引き締めるくらいの演技でそれを伝えたであろうと吉之助は想像をしますが。

能の「安宅」のドラマでは勧進帳の読み上げは大して重要な場面ではないですし、まして問答の場面はありません。しかし、歌舞伎の「勧進帳」では読み上げ・問答は最初の・かつ最大のクライマックスなのです。だからこそこの狂言の標題は原作の能と同じ「安宅」ではなくて「勧進帳」の名を付しているのだと考えなければなりません。

(H15・6・15)


○かぶき的ではない「勧進帳」

ちょっと前(昨年11月)のNHKBS2の歌舞伎の番組を見ていたら視聴者の人気投票があって、確か「勧進帳」がトップでありました。(他の作品の順位は失念。)ホウ、「勧進帳」ですか。当然のような結果ではありますが、私はガッカリしたような気がしました。「勧進帳」を歌舞伎の代表作だというのはちょっと・・・という気が私にはするからです。もっともこの番組の投票は「あなたの好きな歌舞伎は?」という質問であって、「歌舞伎を代表する作品は何か?」と聞いているわけではないのですがね。郡司先生が次のような発言をされています。

『「勧進帳」というのは最も歌舞伎的でないものですよ。それが一番浮上して第一線を占めているという、つまり歌舞伎の歴史始まって以来の事件ですよ、これは。』(郡司正勝・合評「三大歌舞伎」・「歌舞伎・研究と批評」第16号・平成7年・1995)

「勧進帳」は最も歌舞伎的でないものだ、という郡司先生のご発言の意味がお分かりでしょうか。七代目団十郎が創始し・九代目団十郎が完成した「勧進帳」は、歌舞伎の高尚化・能に近づくこと・そして体制に取り入れられることを志向したものでした。(「身分問題からみた歌舞伎十八番・その3「勧進帳」/その4「天覧歌舞伎」をご参照ください。)権力に背を向けて・あえて野に下ろうとする精神を「かぶき的精神」とするならば、「勧進帳」の精神はある面においてまさに対極にあるものなのです。

それじゃあ最も歌舞伎的な作品は何であるか。郡司先生はそれは「曽我対面」とか「暫」とか、そんなまことに頼りないものしかないと言っています。だから、歌舞伎にとって義太夫狂言は本道ではないのだけれど、歌舞伎を維持する力というのは「型を維持する力」なのであるから、「型もの」である義太夫狂言を守っていかねばならない、それだけが現代の衰弱した歌舞伎の最後の砦である、と先生は仰っています。

前述の人気投票の順位は忘れましたが、いわゆる「型もの」の義太夫狂言の順位は低かったと思いました。これを義太夫狂言への関心が低いという風に読むならば、これは結構大きな問題を含んでいるのじゃないかと思います。「守らねばならない」ものを(役者はもちろんですが)観客も意識しなければならない、そういうことを啓蒙せねばならない時代になったということです。不肖「歌舞伎素人講釈」もそういう役割を意識せねばならないな、と思っております。

(H16・2・11)


○初代白鸚の弁慶

「勧進帳」についてのふたつの論考:「勧進帳のふたつの意識」弁慶の肚の大きさ」を サイトにアップしました。どちらも勧進帳読み上げと山伏問答のドラマの重要性を考えるものです。それではこの点において・理想的な弁慶役者は誰だと吉之助は考えるのか、そういう質問があるかも知れないので・ここに書いておきます。

吉之助が思うには、読み上げ・問答において初代白鸚(=八代目幸四郎)の弁慶が最も優れていたと感じています。幸い白鸚の弁慶は多くの映像・音声資料が遺っています。そのどれも言葉が明瞭であること・台詞の緩急が自在なこと・全体のアッチェレランドのテンポ設定が見事な点において非常に参考になります。

手許に昭和36年2月歌舞伎座の「勧進帳」の舞台のビデオがあります。七代目幸四郎追善興行で三兄弟出演で話題の興行でしたが、この月の14日に幸四郎が突然東宝への移籍を発表して・大騒ぎになったといういわくつきの舞台でした。この時の富樫の十一代目団十郎(当時は海老蔵)も戦後の代表的な富樫であります。観客の興奮を誘う見事なテンポ設計の読み上げ・問答です。さすが兄弟だけに息がピッタリです。

ところで、この舞台ビデオを見ていて「ほほう・・」と思ったのは、意外に白鸚が表情を作ることです。心理主義的というか・説明的に思うくらいに分りやすく表情を変化させるんですね。もう少し抑えたほうが・・という気もしますが、等身大の弁慶像を作ろうとしているように感じられました。戦後の昭和30年代という時代を感じさせて新鮮な感じがしました。なるほどこの演技の延長線上に今の幸四郎の弁慶がいるのだなあということを感じました。

(H16・9・4)


○「勧進帳」における義の絶対性

メルマガ第140号「武士道における義を考える」では、義の絶対性を論じています。歌舞伎における身替わり物など忠義を描いた作品は、個人の権利意識の強い現代においては、なかなか共感が得られにくいものです。主人だって家来だって・同じ人間じゃないかとか、これじゃ家来は犠牲になっただけで死に損だとか、そういう感じ方になってきます。こういう感覚が普通になるなかで・歌舞伎の新たな今日的な解釈(価値)を見出そうというのは大事なことですが、しかし、本質を見誤ったらどうしようもありません。

例えば「勧進帳」において・あれが作り山伏の義経一行だと知って関を通した富樫左衛門が「死(切腹)を覚悟している」というのは・これはその通りです。富樫は義経を見逃したことで主人である鎌倉殿(頼朝)を裏切ったのですから・そうなるのが富樫の行く末だろうと思います。しかし、だからと言って「俺の人生はこれで終わりだ」という絶望的な心境に富樫がなることはあり得ないということを申し上げておきたいと思います。あるとすれば「俺は命を捨てて・守るべきものを守った」という確信と喜びでありましょう。そのことが「義経信仰」のバックグラウンドにおいて理解されねばなりません。

そうでなければ富樫は「一時の気の迷いで・してはならないことをしてしまった愚かな男」だということになるでしょう。「勧進帳」は義経・弁慶一行が安宅の関を通ってうまくやったぜ・後の富樫の事は知らないよ、という物語では ないのです。弁慶の延年の舞は、弁慶は油断のない男ですから・富樫に完全に気を許していないにしても、間違いなく富樫のために舞われています。

唐突ですが・良い例が思いつかないのですが、ずいぶん昔の米映画に「聖衣」(1953年/ヘンリー・コスター監督/リチャード・バートン主演)というのがあるのをご存知でしょうか。これはイエスが磔(はりつけ)刑になった時に・その傍らにいたローマ の護民官の物語です。彼はもちろんイエスに何の係わりもなかったのですが、イエスの遺体を十字架から降ろす時に・イエスの着衣に 偶然触れてしまうのです。その時に何かが彼に憑依します。やがていろいろ経緯あって、彼はキリスト教徒になって・ローマにおいて磔になるのですが・神に祝福されて彼は喜びに満たされるという筋であります。

弁慶にとって義経が守らねばならない存在であるのは当然です。しかし、「富樫にとっても義経はやはり守らねばならない存在なのか」と疑問に思われるかも知れませんが、これは間違いなく・そうなのです。なぜならば、観客を含めた劇場全体の人々が義経を守らなければならないと信じているからです。義経の姿を一目見たその瞬間から・富樫は「この男は守らねばならない」と いう思いに打たれたと思います。しかし、富樫自身がそれを確信し切れないのです。どうして自分がそんなことを感じたのかが分からない、もとより義経を探し出し逮捕するのが彼の職務なのです。だから、彼は職務として弁慶に勧進帳を読ませ・問答をします。「なぜ自分はそんなことを感じたのか」、富樫はなおも自問自答を続けています。しかし、まだ確信が得られない。緊迫した山伏問答はそんな富樫の内心のいらだちを示しているとも言えます。さらに富樫は家来に指摘されて・一行を引き止めてしまうのですが、しかし、弁慶が義経を打つのを見て・ついに富樫は確信を得るのです。「この人を守らねばならない」、その思いが富樫のなかで抑えられなくなる。「判官殿にもなき人を・・・・」という台詞は私にはそのような叫びに聞こえるのです。これは弁慶に言わされた台詞ではないのです。(別稿「勧進帳・義経をめぐる儀式」をご参照ください。)

これが義の絶対性と義経信仰を念頭に入れた「勧進帳」の読み方であります。如何でありましょうか。

(H16・12・12)



  

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