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勧進帳:義経をめぐる儀式

〜歌舞伎十八番の内「勧進帳」


1)弁慶は死なねばならない

「勧進帳」の終盤で義経一行が花道から揚幕に入り、弁慶がそれを追って富樫に一礼し、一目散に花道七三に駆けて行くと、観客は必ずわっと歓声を上げます。さわやかな感動が舞台を吹き抜けていくような感じがします。

花道七三で弁慶は観客席に向かって一礼しますが、あれは「ご見物の皆様の声援のおかげでどうやら勤めを果しました」という気持ちでの礼なのでしょうが、もうひとつは、この「義経をめぐる儀式」の場を観客もまた共有しているのだということを示しているのです。このことを本稿で考えてみたいと思います。

ところで、この「勧進帳」の結末はハッピー・エンドなのでしょうか。確かに義経一行は困難と思えた安宅の関を弁慶の機転で無事に通過することができたのです。安宅の関を通過できなければ、義経は奥州に落ちる別のルートを探して逃避の旅を続けなければなりません。だから「安宅」の件は義経一行の狙い通りの筋書きです。「皆様のご声援でどうやら勤めを果しました」というからにはハッピー・エンドということなのでしょう。観客も「弁慶よ、よくがんばったなあ」という感じで拍手を送っているようです。それはそれで後味は悪くありません。

しかしここで気になるのは富樫のことです。この後の富樫はどうなるのでしょうか。富樫は鎌倉殿(源頼朝)の部下として安宅の関を守り、この関を通過するかも知れぬ義経一行を捕らえる使命を負っている人物です。義経は兄頼朝の命に背いた罪人であり、したがっていかなる理由があろうとも義経一行が安宅の関を通過したことを見逃したとあっては富樫はその責任を問われることは必至です。まずは義経を見逃したことが露見した時点で切腹せねばならないのは確実でしょう。(鎌倉時代に切腹というのはなかっただろうが。)

実は「安宅の関」の話は史実ではありません。義経が奥州に落ち延びたルートについても諸説があり、本当に安宅の関を通過したのかどうかもさえ定かではありません。もちろん富樫左衛門という人物も架空の人物です。したがって気楽にいろいろと想像できます。

「富樫は後で腹を切る、義経一行は無事に奥州に落ち延びる」では引き合わないと吉之助は思います。これでは義経一行は富樫の死に報いることにならず、富樫が死に損になってしまうのです。こういう考え方は現代人には奇異に感じるかも知れませんが、人が死をもってその誠を問うた以上は相手もまた自分の死をもって応えなければならないのです。それが誠の人の道であるからです。

弁慶が主人である義経を打擲することは死に値する行為です。危急の場面でありやむなくそうせざるを得なかったにせよ、やはり死に値する行為です。弁慶の「機転」だけでは済まされる行為ではありません。(「機転」だと片づけるのは現代人の感覚です。)その行為をあえてしたからこそ、思わず富樫は「判官殿でもなき人を疑えばこそかく折檻もし給うなれ。」と言って止めるのです。もちろん本物の義経と承知の上でです。

この時、弁慶は死を覚悟し、富樫もまた死を覚悟したと理解すべきです。そして富樫が死を賭けて義経一行に関を通ることを許した以上は、弁慶は当然それに応えて死なねばならぬと 吉之助は思います。そうでないと「勧進帳」のストーリーは完結しないのです。


2)富樫は何に反応したのか

能の「安宅」に登場する富樫はさほど魅力的な人物には思われません。義経一行に関を通さないと詰め寄るが、「山伏を討つと仏罰が当たるぞ」と脅されると引き下がって「勧進帳を読め」と言います。勧進帳が偽と知れても弁慶の迫力に恐れ入って関を通そうとします。強力が義経と分かっているのに、弁慶が義経を打擲し「笈を奪おうつもりか」と詰め寄る剣幕に恐れ入って通してしまいます。どうも弱々しくて、あとで鎌倉殿から間違いなく罰せられるだろうが自分から腹切る覚悟ある大人物とはとても思えないのです。そのような人物があとで一行をわざわざ追いかけてきて酒を振舞うというのも面妖な感じです。「延年の舞」でも弁慶は富樫に心を許していないのは明らかです。

これはもう原作の能の「安宅」より歌舞伎の「勧進帳」の方が作品として数段優れていると断言していいと思います。それは富樫という人物像に深さと大きさが加わったからであるのは間違いありません。これは七代目市川団十郎と脚本の 三代目並木五瓶の功績というべきでしょう。

ところで富樫が「判官殿にもなき人を・・」と弁慶を止めるのは、死を覚悟した弁慶の男心に男富樫が応えたのだと考えていいのでしょうか。確かに強力が義経でないと言い張るために主人である義経をあえて打つという行為は、弁慶が死を賭けているだけに心に涙させる行為ではあります。富樫が止めなければ弁慶は本当に義経を打ち殺していたでしょう。だがそれでも、それだけのことが(あえて「それだけのこと」と言いますが)、富樫に自分の主人である鎌倉殿を裏切らせるほどに重大な意味を持つ行為なのか、このことを真剣に考えたいと思うのです。

弁慶にとっては死を覚悟しているにせよ、義経を打擲することは主人を守るためにどうしても必要な行為であったと思います。しかし富樫にこれに応える義理はありません。それよりも鎌倉殿が富樫に課した任務の方が重いのは間違いありません。それなのになぜ富樫は自らの死を以って弁慶に応えなくてはならないのでしょう。

富樫の行為は単に「男ごころに男が感じた」行為であったのでしょうか。現代の歌舞伎の舞台を観ていると多分そういうことなのだろうと思います。富樫が右手へ退出する時にあふれる涙を振り切るような感じで目を閉じ顔を上に向けて身体を返すのを見ると、この富樫は一時的な感傷に溺れる人物であるようです。

じつは富樫の行動の意味を考える時にわれわれが意識しなければならないのは義経の存在なのです。例えば江戸時代の奥州での義経信仰というのは現代のわれわれの想像を越えたものでした。どんな筋であっても必ず舞台のどこかに義経が登場しないと観客が納得しないことがあったというのです。江戸時代の民衆にとって、義経は菩薩のような存在であり、この世のすべての悩み・苦しみをすくい取り、清める存在なのです。江戸時代の人間にとって、義経は「この世にあってこの世のものではないような、絶対に守らなければならない聖なる存在であった」ということです。そしてそのことは観客にとってはもちろん、舞台の登場人物にとっても明白な真理であったということです。

弁慶は主人であるから義経を守ったのではありません。それは現世的なことで、本当の意味は義経は弁慶にとっての「守らねばならない神」だからこそ弁慶は守ったのです。そしてその「守らねばならない神」を弁慶は覚悟して打ったのです。これは間違いなく宗教的な禁忌に触れる行為です。だからこそ富樫は思わす反応したのです。富樫にとってもまた義経は「守らねばならぬ神」であるからなのです。

原作の能「安宅」の富樫と、歌舞伎「勧進帳」の富樫の性格の変化はそこから生じています。能「安宅」においては弁慶と富樫の対立構図はありますが、まだ義経の神性が強く意識されていないようです。歌舞伎「勧進帳」においてはじめて義経を頂点とした二等辺三角形の関係が舞台に構成されてくるのです。


3)義経をめぐる儀式

こう考えると、富樫は安宅の関の場において弁慶と対決しているようですが、じつは弁慶を通して義経に対しているのです。このことが義経ものである「勧進帳」の意味なのです。

ここでは、弁慶にとっての義経が「神」であるのは当然ですが、富樫にとっても義経はまた「神」であるのか、このことが問題になってくるでしょう。歌舞伎という芸能では舞台上での登場人物の駆け引きだけでなく、観客との交歓を通じてストーリーを高揚・発展させていく展開をとることがあります。「勧進帳」の場合も、義経信仰を共通の精神基盤として客席と舞台が一体となり、全体が「義経をめぐる儀式の場」と化しているかのように思われます。富樫は、ここでは義経の神性に感応し、義経の秘蹟を受ける役目を与えられているかのようです。

さて安宅の関を通過したあと、「判官御手をとり給い」義経は自分を打った弁慶を許すことになっています。しかし義経本人は許しても、ほんとうは「神を打った」罪は消えていないのです。「我を打って助けしは、正に天の加護、弓矢正八幡の神慮と思えば、かたじけなく思うぞ」と言い、義経は目に手を当てて涙するのですが、義経自身にも弁慶の苦しみを清めることはできても、神を打った罪を消し去ることはできないのです。

やはり神を打った罪で弁慶は死なねばならないのです。もちろん自らの死で応えた富樫に報いなければならないということもあります。弁慶は奥州平泉でやがて死なねばならない運命にあるのです。その時まで弁慶は生かされているに過ぎないのです。しかし義経の涙で清められたことで、弁慶はこころ安らかに死地に赴くことができるのです。

富樫もまた同様です。富樫も鎌倉殿への申し訳に死なねばならない身ではありますが、義経一行を通してすぐ腹を切ったのでは義経が関を通過したことを知らせるだけで何にもなりません。ここはまずは富樫も生かされるのです。

しかし結局は弁慶も富樫も死ななければなりません。二人とも義経を守り義経に殉じて死んでいかねばならないのです。だから「勧進帳」は「神」義経に祝福され殉じた二人の男の物語なのです。

そしてそのことは観客においても同じなのかも知れません。弁慶が花道七三で観客に一礼する時、それは単に「皆様のご声援ありがとうございました」ではないのかも知れません。それは観客もまた義経を守り義経信仰に殉じなければならないからなのではないでしょうか。「勧進帳」はそのような観客をも巻き込んだ「義経をめぐる儀式」の場なのではないでしょうか。

*別稿:「「勧進帳」における義の絶対性」もご参照ください。

(参考文献)

日本古典文学全集 謡曲2 (小学館)

(H13・2・12)





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