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追悼:二代目中村吉右衛門


昨日(1日)、去る11月28日に二代目吉右衛門が亡くなったとの報道に接し、まだ気持ちの整理が付かない状態で本稿を書き始めていますが、吉右衛門の芸については、まだこれから書く機会がいくらもあると思います。総括を付けるのは、また別の機会といたしたい。まず考えて見たいことは、コロナ以後・つまり2020年3月にコロナにより歌舞伎座が休場に追い込まれて以降、現在も歌舞伎は厳しい局面にあり、そのなかでいろんな試みが行なわれてきたわけですが、「歌舞伎は今必要とされているのか」という問いに対し、吉之助から見て、ひときわ印象的な解答を見せたのが吉右衛門であったということを申し上げたいと思います。(これについては別稿「コロナ以後の歌舞伎」もご参照ください。)

誤解がないように付け加えると、この問いは歌舞伎に何らかの形で係わる者すべて(批評家としての吉之助も含まれます)に対して等しく突き付けられた問いであり、そこに正解などあろうはずはありません。いつものことをいつもの通り続けること、それが答えであってももちろん良いことです。そこにその人となり・あるいは生き様が現れるということです。なかでも吉右衛門の解答は、とりわけインパクトがあったと思います。最後に奮い立つが如く・ひときわ印象的な芸境の変化を見せたと思います。

ひとつは昨年(平成2年)8月にオンライン配信でみせた観世能楽堂での自作「須磨浦」の熊谷直実の舞台のことですが、これは尋常でない気迫を見せた舞台であったと思います。次に、これは(詳しいことは知りませんが、10月に受けたと伝えられる手術の影響であったのかもしれませんが)8月の舞台とはだいぶ趣きが異なって驚きましたけれども、昨年11月国立劇場での「平家女護島」の俊寛、本年(令和3年)1月歌舞伎座での「七段目」の由良助、この二つの舞台は、一見すると気迫が後退した感じでしたが・弱々しいとかネガティヴな印象はまったくなく、余計な力を使わないで・気力で動いている感じでありましたね。

例えば(吉之助は花道七三近くの席でこれを見ましたが)幕切れで船を追う俊寛の目付きや足取りに、俊寛の生臭い人間的な生への執着みたいなものは一切見えない、ただ何となく寂しくて・人恋しくて・無意識のうちにツイツイ足が前に出てしまうような、そこに哀しい人間の性(さが)が見えるような・そう云う俊寛であって、吉之助はこれまでに見た誰の俊寛とも全然違うもの、もちろんこれまでの吉右衛門の俊寛からも見たことのないものを見て、とても驚きました。由良助でも所作に余計な力を使っていないように見せて、それを洒脱な軽やかに見せる上質の上手さを見せました。台詞の合間にハアハアかなり大きい息継ぎを入れていたので・呼吸が苦しかったのだろうとお察ししましたが、それさえもまさに茶屋場で酒に酔って熱に浮かれる由良助に見せました。そこがまさに芸でしたね。

この二つの舞台は祖父・初代吉右衛門の晩年の舞台もこんな感じであったろうと思うほどで、一段階ステージが上がったところの芸を見せてくれたと思いました。月並みな表現ですが「枯淡の芸の境地」という言葉が頭に浮かびました。しかし、観劇随想でこの言葉を使うのは吉右衛門が最晩年期に入った(終わりが近いような)感じに読まれかねないので・憚られて使わなかったのです。今の今だから告白しますけれども、そう云うことであったと思います。しかし、願わくば、この最晩年の芸の実りをもう少し長生きして見せて欲しいかったと思います。

最後の舞台となった本年(令和3年)3月歌舞伎座の「楼門」の五右衛門については観劇随想を書きませんでした。取り上げない方が良かろうと思って書かなかったのです。実は吉右衛門の舞台を見ながら、二代目松緑の最後の舞台(「楼門」の五右衛門)が二重写しになって、冷静に見ていられなかったのです。あの舞台で、吉右衛門は確かに別れを告げていたと、今になって思えば、そう云うことであったと思います。

吉之助もそんな歳になってきたと云うことかも知れませんが、人間どういう風に終わりを締めるか?ということを時々考えるのですよ。そういう意味において、役者としての素晴らしさはもちろんですが、二代目吉右衛門は最後に自らの「生き様」を見せて去って行ったなと思いますね。ご冥福をお祈りいたします。いい舞台を見せてくれて有難うございました。

(R3・12・2)

(追記)

本稿と関連して別稿「時代物役者か実事役者か〜二代目吉右衛門小論」もご参照ください。





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