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現代演劇における女装俳優


本稿は別稿「美しいものは見た目も美しくなければならぬのか」の補足みたいなものです。下の映像は彩の国さいたま芸術劇場で、蜷川幸雄演出によりシェークスピアを連続上演していく「オール・メール・シリーズ」での 「トロイラスとクレシダ」(平成24年8月)でのものです。「オール・メール・シリーズ」とは何ぞやと云うと、さいたま芸術劇場サイトの角書に拠れば「シェークスピアが戯曲を書いた時代のスタイルそのままに、全キャストを男優が演じる」というものだそうです。ただし、正確に言えばシェークスピア時代の英国演劇では女性の役を演じたのは声変わりする前の少年俳優であったので、成人男性が女装して女性の役を演じたわけではないのです。また少年俳優が成人して・そのまま俳優となって主役級に成長したという例も極めて少ないことが分かっています。(別稿「演劇におけるジェンダー」をご参照ください。)まあ蜷川氏は別に16世紀英国演劇の復古・考証上演を意図しているわけではなかろうから・硬いことは言わぬことにしますが、蜷川氏はシェークスピア演劇における少年俳優をどういうものだとイメージしているのか?何を以って「シェークスピアが戯曲を書いた時代のスタイルそのまま・・」と称するのか、吉之助にはよく分かりませんねえ。

 

この映像「トロイラスとクレシダ」で美女クレシダを演じるのは月川悠貴という役者さんで彼は「オール・メール・シリーズ」のヒロイン格だそうです。確かにお美しい。姿かたちはほっそりして・触れなば落ちん雰囲気。声も細くて・それらしいし、吉之助もそうと知らなければ女性だと思って見るでしょう。しかし、これは月川さんが役者としてどうのということはまったく関係ないことですが、この美しさには素材として確かに「わあホンモノの女性よりキレイ!」という驚きはあるかと思いますが、これは本物の女優で出せない美しさなのでしょうか?女装男優でなければならぬような何か、本物の女優では置き換えられない何かがあるでしょうか?

自然主義思想に染まった現代演劇では、男性の役は男優が・女性の役は女優が演るのが恐らく当たり前のはずです。またそれが男女同権の時代の芸術思潮にかなってもいます。それを破るのには目論見が必要です。蜷川氏はどこら辺りに目論見を持っているのですかねえ。現代演劇で女装男優が女性を演じるならば、それはどこか奇矯(キッチュ)で異界な何ものかでなければならないでしょう。それが表象するものは滑稽か崇高か、あるいはそれが入り混じったものになるかは場合にもよりますが、現代という時代がヴァーチャルな虚構のなかで価値を生み出し・世の中を翻弄しているわけですから、女装男優は演劇がそうしたものにどこか通じる何ものかということになるでしょう。そうならないのであれば、本物の女性が演じた方が「ホンモノの強み」があるだけマシと言うものです。「オール・メール・シリーズ」の制作会見で美青年俳優たちに囲まれてニヤニヤしている蜷川氏を見ると、どうも蜷川氏はそういうことをあまり考えてないようです。

日本では能狂言でも歌舞伎でも、女性の役を男優が演るのが「伝統」としてあるわけで、そのために歌舞伎の女形も最初からそのように在ったかのように思っている方が多いようです。歌舞伎は出雲のお国が始めたかぶき踊りから始まりました。お国という女性が男装して踊ったわけです。もともとそういうことがあったから、歌舞伎にはもとから性の境界みたいなものがなかった・だから歌舞伎が女優を禁止されて野郎歌舞伎になっても男性が女装して女性を演じるという発想はすぐ出て来た・歌舞伎の女形 というのは宝塚の男役とは逆ベクトルの性の越境だというようなことを言う方がいらっしゃいます。実はそういうのは大きな間違いで、歌舞伎の女形というのは不自然で捻じ曲げられた存在なのです。歌舞伎での女優の禁止(1629)から初代中村富十郎(1772〜89)の内輪歩きを編み出すまで百数十年、この長い年月を歌舞伎の女形がどれほど苦労をしてきたのかを想像すれば分かることです。歌舞伎という演劇は女形という存在に合わせて自らの在り方を変えざるを得なかったのです。それが分からないと歌舞伎という演劇も分かりません。(別稿「歌舞伎とオペラ〜新しい歌舞伎史観のためのオムニバス的考察」をご覧下さい。)

ですから虚構の現代において、しかも歌舞伎の女形が「伝統」として厳然と在る日本において、現代演劇がホンモノの女性と見間違えるような・ホンモノそっくりの人造美人を「ホンモノの女性よりキレイ!」なんて褒めたところでツマラぬと吉之助は思いますがねえ。演劇的にはキレイな女優さんを使えばそれで済むことなのです。どうせ女装男優を起用するならば、別のことを考えて欲しいものです。蜷川氏は歌舞伎座で「十二夜」を演出して何を学んだのですかねえ。

(H24・12・3)

スティーヴン・オーゲル:「性を装う―シェイクスピア・異性装・ジェンダー」(名古屋大学出版会)


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