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鬼が棲むか蛇が棲むか〜谷崎潤一郎:「卍」論

*本論は谷崎潤一郎の小説「卍」を読み解くのが主目的ですが、同時に谷崎から見たところの近松門左衛門の「心中天網島」論でもありますので・そのようにお読みください。


太宰治の「おさん」のこと

『あんまりぢや治兵衛殿。それほど名残惜しくば誓紙書かぬがよいわいの。一昨年の十月中の亥の子に炬燵明けた祝儀とて、まあこれここで枕並べてこの方、女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか。二年といふもの巣守にしてやうやう母様叔父様のおかげで、睦じい女夫らしい寝物語もせうものと楽しむ間もなくほんに酷いつれないさほど心残らば泣かしやんせ。その涙が蜆川へ流れて小春の汲んで飲みやらうぞ。エエ曲もない恨めしや』

近松門左衛門の「心中天網島」(享保5年・1720・竹本座初演)の中之巻・天満紙屋内の場での・有名な女房おさんのクドキの詞章です。「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」が特に有名で、 この箇所はいろんな場面で引き合いに出されます。上之巻(河庄の場)で遊女小春と別れることを誓った紙屋治兵衛は、それ以来・小春とは会っていませんが、恋敵である太兵衛に小春が身請けされるとの噂を聞かされて 炬燵に寝転がったまま涙を流します。その夫の姿を見ておさんが夫をなじって言うのが、このクドキです。「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」の詞章には、夫が他の女性に走って・愛してもらえないという女房の、怒りと嘆きと嫉妬など諸々の感情が渦巻いているのが生々しく表現されています。

この場面のおさんの心情はもちろん真実そのものです。しかし、「心中天網島」中之巻のドラマは女房おさんの怒りと嫉妬で身を焼いて・それが小春治兵衛の心中の引き金になるという風にはなっておらぬのです。女房に「恨めしや」と言われた治兵衛は、こう言います。小春のことは何ともないが、ライバルの太兵衛に小春が請出され、治兵衛が身上の終わりだの・金に窮したなどと大坂中に触れ回られて・生き恥をかくのが、胸が裂ける・身が燃えるほど悔しいと言うのです。これを聞いておさんはハッとして、「それなれば、いとしや小春は死にやるぞ」と言うのです。ここからドラマは急旋回して 行きます。おさんは夫に隠していた小春への手紙のことを打ち明けて、「ああ悲しや、この人(小春)を殺しては、女同士の義理立たぬ、まづこなさん早う行て、どうぞ殺してくださるな」と泣き出します。

実はおさんは小春に手紙を書いて・治兵衛と別れてくれと頼んでいたのです。それで「河庄」の場で治兵衛は小春と別れることになったのです。この事実をおさんがひた隠しにしていれば、その後・小春は独りで死んだかも知れませんが、冷えた関係であってもおさんと治兵衛の夫婦はずっと続いたかも知れぬということが想像されます。黙っていれば妻の座は守られるはずです。しかし、おさんはここで女同士の義理ということを突然言い出します。これが小春治兵衛が心中に至る引き金となるのです。(急に夫の愛人への義理を言い出すおさんの変化が分からぬとよく言われるところですが、これについては別稿「女同士の義理立たぬ」で論じていますので・そちらをご覧ください。)つまり、「心中天網島」中之巻を見ると、有名なクドキでの女房おさんの心情というのはドラマの中核にあるものではなく、まあ何と言いますかね、そこに至る序(段取り)の部分ということです。それはクドキの心情がドラマとして取るに足らぬということではありません。むしろその心情が真実なるがゆえに、そこから導きだされたことが、本人が意図も予期もしない事態を引き起こしてしまうということなのです。

もうちょっと角度を変えて「心中天網島」中之巻を検証していきます。 太宰治の短編「おさん」(昭和22年・1947)を見ると、まさに中之巻の女房おさんのクドキの詞章が引かれています。

『あの昔の紙治のおさんではないけれども、「女房のふところには/鬼が棲むか/あああ/蛇が棲むか」とかいうような悲歌には、革命思想も破壊思想も、なんの縁もゆかりもないような顔で素通りして、そうして女房ひとりは取り残され、いつまでも同じ場所で同じ場所で同じ姿でわびしい溜息ばかりついていて、いったい、これはどうなる事なのでしょうか。運を天にゆだね、ただ夫の恋の風の向きの変るのを祈って、忍従していなければならぬ事なのでしょうか。』 (太宰治:「おさん」)

太宰治の短編「おさん」の上記の文章は近松の「心中天網島」関連の論文でもおさんの気持ちを表す表現としてよく引用されます。まあそれは解からぬことはないですが、太宰治の作意としてはそれより後の次の文章の方がより主人公の心情を表していると思いますねえ。治兵衛に小春を助けてやってくれと頼んで・「しかし金はどこに・・・」と夫に言われれば箪笥から蓄えたお金をサッと出してみせる女房おさんの気風(きっぷ)をよく表しています。自立した女房が自分のことは何にも言わず・ただニッコリと笑って「男を立てて来い」と言って夫を送り出すのです。つまり太宰治はとても太宰的な読み方で、近松の「心中天網島」の核心を正確に言い当てているのです。

『他のひとを愛し始めると、妻の前で憂鬱な溜息などをついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめ、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻をまったく忘れて、あっさり無心に愛してやってください。』 (太宰治:「おさん」)

紙屋治兵衛という男は、女房おさんにこのようなことを言われそうな、みっともない男なのです。浮気するなら、明るく楽しくパアッと後腐れなく楽しんでくださいよ。それを女房に申し訳ないとか・俺は悪いことしてるんだとかウジウジ罪悪感を感じながら浮気しても楽しまず、女房の前では御免なさいみたいな顔をして何だか卑屈な態度を取ってみせて・ちっとも晴れ晴れとしない。そんなに済まないと思うなら浮気をしなきゃいいのに、そのくせまたこそこそと浮気する。俺はしたくて浮気してるんじゃないんだなどと自分に言い訳してみたりする。バッカじゃなかろか。男なら明るく、正々堂々と浮気しなさいよ。これはまったく女房の言う通り、治兵衛は明るく浮気すればあんなこと(心中する破目)にならなかったのです。

ところが、あいにく治兵衛はそんなことが出来るような男ではなかったのです。明るく浮気できるような男ではなかったのです。常に女房に対する後ろめたさがつきまといます。おさんが出来た女房だから、なおさら浮気して申し訳ないと感じるのです。身勝手のように見えるかも知れないが、そこに治兵衛という男の弱さと・優しさと、まあ言うのも何だが、真っ正直さがあったということです。近松の世話物に出てくる男たちと・太宰の「おさん」に出てくる亭主 ・あるいは「人間失格」(1948年)に出てくる葉蔵などはその心情 ・感性が実によく似ているというわけです。思えば近松の世話物に出てくる男たち・徳兵衛も忠兵衛もは生粋の大坂生まれではなく・地方出身者です。つまりアイデンティティーがそこ(大坂)にない・精神的な根無し草なのです。「心中天網島」の治兵衛は大坂生まれのようですが(作品でははっきりしませんが多分そうでしょう)、根本に大坂の商人気質になじめないものがあったのでしょう。そこが終戦直後の太宰治の精神状況のどこかに似るのかも知れません。そういうわけで近松世話物研究のために太宰治を読むことはとてもヒントがあること なのです。(この稿つづく)

(H22・11・3)


2)主人公の罪悪感

『他のひとを愛し始めると、妻の前で憂鬱な溜息などをついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめ、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻をまったく忘れて、あっさり無心に愛してやってください。』 (太宰治:「おさん」)

ここで指摘しておきたいことは、主人公の亭主に何となく罪悪感がつきまとっているということです。女房に隠れて浮気しているという罪悪感だけを言っているのではありません。この亭主は何となく自分の存在自体が罪だと感じているようなところがあります。「生まれてきてスミマセン・私は世の中の役に立たない人間です・こ こにいて申し訳ありません」という感じがつきまといます。これは太宰治の主人公によくあるパターンなのはご存知の通りです。太宰の罪悪感がどこから来ているかは本稿の論じるところではありませんけれど、「心中天網島」の治兵衛を見ていると確かに同じ様な罪悪感が感じられるようです。太宰はそこのところを実に正確に突いているのです。だからこの短編のタイトルが「おさん」なのです。

もちろん時代が全然違う治兵衛の事情は太宰とまったく異なります。近松の心中物にはそれ特有の事情があるのです。元禄の大坂商人の世界というのは、暗黙のうちに大坂商人にふさわしい振舞い方・作法・規律みたいなものがあって、その範囲のなかでやっている時は自由なのですが、いったんそれからはずれたことをすると厳しい制裁が待っているという世界です。元禄の商人世界はちょっと仁侠の世界みたいなところがありました。治兵衛も(徳兵衛も忠兵衛もですが)、そのような大坂商人の世界に何となく付いて行けないと感じているのです。治兵衛は大坂商人であり・その世界で生きているのですから、そこに本来彼のアイデンティティーはそこにあるはず(あるべき)です。しかし、彼は自分はそれを裏切っていると感じているのです。ということは治兵衛の本当のアイデンティティーは別のところにあるのかも知れませんが、治兵衛はそう は考えないのです。大坂商人のコミュ二ティーから離脱するなどということは治兵衛に到底考えがつかないことです。治兵衛は自分が大坂商人のあるべき姿(イメージ)を裏切っていると感じています。治兵衛は自分が本来あるはず(あるべき)のところにこだわっています。それが治兵衛の罪悪感を駆り立てています。

本稿は『谷崎潤一郎:「卍」論』であるはずですが、冒頭が近松門左衛門であり・太宰治になっているのが変に思うかも知れませんが、実は谷崎作品の主人公においても自分が本来あるはず(あるべき)のアイデンティティーを裏切っているという罪悪感があるということをまず確認してから「卍」論を進めたいわけです。(注:もちろん谷崎作品の主人公の罪悪感の源は、近松とも太宰とも異なるものです。しかし、罪悪感ということなら同じです。そのことは本論の以後で論じていきます。)

例えば小説「蓼喰ふ虫」(昭和3年・1928)の主人公斯波要はバートン版の「アラビアン・ナイト」の英訳初版本を入手し・その注釈を読みながら、「アラビアン・ナイト」を最初に紹介したレーンが世間から擯斥(ひんせき)された」という記述を見つけて「とうとう見付けたな」と思います。このことは別稿「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」に詳しく触れましたからそれをお読みいただきたいですが、要は妻美佐子に対して、試験的かつ段階的に彼女を恋人阿曾に譲渡する為の五つの条件を切り出し、2年間付き合ってみて阿曾と巧く行きそうになければ戻っても良いとか・何だか彼女の意志と判断を尊重しているのように見せながら、世間に知られれば間違いなく不道徳・不謹慎だと糾弾されるようなことをしています。世間の常識感覚・ここで吉之助は「小市民感覚」と言う言葉を使いたいところですが、それに反したことを自分がしていることを要は自覚しているのです。つまり、要は小市民の本来あるはず(あるべき)姿を裏切っているのです。そして、そのことで自分は擯斥されねばならない・罰を受けなければならないと感じているのです。そうした感覚が谷崎の「蓼喰う虫」の通奏低音として流れているのです。それが分かれば「蓼喰う虫」のなかの揺れる感覚の源泉も分かってきます。(この稿つづく)

(H22・11・15)


3)「小市民」のイメージ

前項で「小市民」という言葉を使いました。今はほとんど使わない言葉で定義はちょっと曖昧なところがありますが、ここでは中産階級ということに規定しておきます。小市民感覚というのは、金持ちというわけではないけれど、一応生活に不足はないだけの収入はあって、真面目に道徳・法律を守って慎ましく生きている一般市民のノーマルな生活感覚ということです。

「痴人の愛」(大正13年)は、主人公河合譲治がナオミというカフェの女給を自分好みの人形に仕立てようとしますが、逆に人形遣いが人形に操られてしまうが如くに、ナオミの体の奴隷として生きていく羽目に陥るという倒錯的なストーリーです。世間からは変態小説とも呼ばれており、どうしても興味は主人公のマゾヒズムの方に行き勝ちです。まあそういう読み方ももちろんあるのですが、ちょっと視点を変えて見れば、主人公河合譲治は小市民としての本来あるべき姿を裏切っており、主人公はそのために罰を受けるという見方もできるわけです。主人公が罰せられる結末に落ち着くことで、この小説は世間に受け入れられるものになっているのです。大事なことは、主人公は「ノーマルな」小市民としての生活にどこか適応できないものを感じており、その閉塞感から逃避する為に 若い娘を自分好みの人形を仕立てるという隠微な楽しみに自己開放を見出そうとするのですが、その一方で本人はそれが小市民としてのルールからはみ出た不道徳で糾弾されるべき 行為であることを本人は重々承知しているということです。だから、こんな不適応で・小市民失格の自分はいずれ何か罰を受けなければならない身であると何となく感じているのです。隠微な個人的なお楽しみには罪の意識がつきまとっています。罪の意識があるから、なおさらお楽しみの味わいが増すということもあります。自分は罰せられるために隠微なお楽しみに走るのか、隠微なお楽しみをするからこんな罰を受けねばならぬのか、いつしかその辺のところが自分でも分からない倒錯状態になっていきます。(ところで小説に社会不適合の主人公の悩みなり苦しみが書かれてないじゃないかと言う方がいそうなので言っておきますが、それは時代の空気としてあるものですから、同時代の読者にそんな自明のことをわざわざ書く必要などないから書いてないだけですね。)

ですからナオミに奴隷として扱われるのが主人公の喜びであるというのは本当はちょっと違っていて、ナオミに奴隷として扱われるのは主人公にとっても苦痛には違いないのです。苦痛ではあるけれども、その苦痛はいずれ自分が受けねばならないと内心望んでいた罰であることも本人は承知しているのです。主人公はノーマルな小市民としての生活にどこか居心地の悪いものを感じており、自分は社会で慎ましく真面目に生きていくべきだと信じているにも係わらず、それがどうも巧くいかない・心地が良くない。だからそのことで自分は小市民として失格の人間だと思って自分を責めているのです。河合譲治の場合、その鬱屈はたまたまナオミというカフェの女給を自分好みの人形に仕立てようという不道徳になって現れます。それは人によっては酒や博打・あるいは粗暴な振る舞いになって現れることもあるし、それは状況によっても異なります。いずれにせよ、それは世間に罰せられねばならないことだということを河合譲治は承知しているのです。

ところで「ここは自分の居場所ではない・これは自分の生きるべき時代ではない」という思いは、元禄のかぶき者の「生き過ぎたりや」と同じような感覚なのです。「歌舞伎素人講釈」ではこれが歌舞伎という演劇の根本にある思いであるということをずっと考えてきました。かぶき者というのは、江戸初期のならず者・粗暴な振る舞いをする者たちのことを言いました。かぶき者の生態は直接的には助六など江戸荒事のなかに取り入れられています。しかし、同時代であっても興味深いことに、上方においてはそれは和事という現れ方をします。表面的な感触は異なりますが、江戸荒事と上方和事は実は同じ時代の空気から生まれたものであり、その根源は一緒です。(この点については「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える」でリズム面からの検証をしていますから、そちらをご覧ください。)

近松の心中物の主人公たちが助六のような粗暴な振る舞いをしない(できない)のは、ひとつには江戸と上方という地域的な感性の違いもありますが、それよりも当時の大坂の商人社会が江戸よりも社会組織としてはるかにしっかり固まっている為に、その分だけ個人は社会に強く組み込まれていて容易に身動きがし難いということがあるのです。「心中天網島」の治兵衛も、大坂の商人社会になじまず、自分は大坂商人として失格だと思っています。それが治兵衛が小春にのめりこんでいくことの発端となります。そして、いつか自分は世間に罰せられねばならぬことを治兵衛は分かっているのです。やがてそれは小春との心中ということになります。

翻って谷崎潤一郎の「痴人の愛」・「蓼喰う虫」のことを考えますと、主人公(河合譲治・斯波要)がそれが不道徳な行為であることを自覚しつつ隠微なお楽しみに走るのは彼らが小市民生活に居心地の悪さを感じているということは先に考察した通りですが、大正・昭和初期においては国家社会の個人への締め付けというものは元禄の昔よりもはるかに複合的・かつ圧倒的に強くなっているのです。国家社会が求める・あるべき市民像というものが厳然としてあるのです。そのような状況では、個人は蔭に隠れてシコシコと隠微なお楽しみに耽ることくらいしか出来ない。せいぜいそのくらいが 小市民が出来る不道徳の関の山ということになります。ですから吉之助は谷崎文学の変態マゾヒズムというのは、自分が苛められたいという作者の積極的な喜びであるという風に読めないのです。もう少し屈折した感覚に読みたいと思うのですね。(この稿つづく)

(H22・12・6)


4)「卍」と「蓼喰う虫」との関連

谷崎潤一郎の小説「卍(まんじ)」は昭和3年3月から昭和5年4月にかけて雑誌「改造」に断続的に掲載されたものです。同じ時期の谷崎の重要な小説として「蓼喰う虫」がありますが、こちらは大坂毎日新聞に昭和3年12月から昭和4年6月にかけて連載されました。従って、「卍」は「蓼喰う虫」より先に構想着手されて、やや遅れて完成した小説だということです。「卍」の執筆時期に重なるものとしては、「蓼喰う虫」の前後にそれぞれ「黒百」と「乱菊物語」が位置しますが、とりあえず本稿では「卍」と「蓼喰う虫」との関連を考えます。

ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」が同時期に書かれ・互いに対をなす存在であるように、時期を同じくして書かれた作品というのは何らかの形で関連・あるいは補完関係を成すことが あるものです。もちろんいつでもそうだと言うわけではないですが、それが作品解釈のヒントになる場合が結構あります。吉之助も現在谷崎潤一郎折口信夫の作品論を並行して書いていますが、実は吉之助のなかではふたつのテーマが相互関連し補完し合っています。お読みになる方は多分お感じにならないと思いますが、吉之助自身はこのことを明確に意識して書いています。まあそのうちに関連がはっきり見えてくるかなと思います。

「卍」と「蓼喰う虫」の同時代的な関連を指摘した評論はいくつかありますが、そのなかでは千葉俊二氏の評論が示唆があるものでした。その評論は、「谷崎潤一郎『蓼喰ふ虫』作品論集 (近代文学作品論集成 (13))(クレス出版)に収められている「女房のふところ」(初出は昭和51年)です。ここで千葉氏は、『「蓼喰う虫」で「心中天網島」について書く作者の念頭に、それと並行して書いていた「卍」の存在がまったくなかったとはとても考えられない』として、「蓼喰う虫」で主人公斯波要が「心中天網島」を描写する場面で、ここにある小春を光子(「卍」の副主人公)に置き換えてみれば、それはそのまま「卍」の説明文になると書いています。引用されているのは「蓼喰う虫」の次の文章です。

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女 の美しさが異様に高められていた。なるほど義太夫の騒々しさも使い方に依って下品ではない。騒々しいのが却って悲劇を高揚させる効果を挙げている。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

もうひとつ千葉氏が指摘していることで興味深い事実は、「卍」構想が始まる少し前と思われる昭和2年3月1日に大阪・道頓堀の弁天座で「心中天網島」・「本朝廿四孝」などの演目を、谷崎が芥川龍之介・佐藤春夫・里見ク・久米正雄らと一緒に見たということです。この面々が集まったのは前日の大阪で改造社主催の文学講演会があったからだそうです。芥川龍之介はこの時のことを次のように書いています。

『僕は谷崎潤一郎、佐藤春夫の両氏と一しよに久しぶりに人形芝居を見物した。人形は役者よりも美しい。に動かずにゐる時は綺麗である。が、人形を使つてゐる黒ん坊と云ふものは薄気味悪い。現にゴヤは人物の後に度たびああ云ふものをつけ加へた。僕等も或はああ云ふものに、――無気味な運命にられてゐるのであらう。……』(芥川龍之介:「文芸的なあまりに文芸的な」〜近松門左衛門・昭和2年)

ちなみに芥川龍之介の自殺は同じ年の昭和2年7月24日のことで、上記の文章にも当時の芥川の神経衰弱的な状況が伺えます。しかし、別稿「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」でも触れましたが、20世紀初頭の 芸術思潮というのは人間という存在を自分の意識しないところの何かによって縛られ・動かされる人形に過ぎないと見たのです。谷崎潤一郎がそうであったし、芥川龍之介もまたそうであったわけです。 文楽の人形がふたりの作家に同じような印象を与えていたことが分かります。

昭和2年3月1日に弁天座での「心中天網島」観劇での印象が、「蓼喰う虫」のなかの・老人に誘われて要・美佐子の夫婦が弁天座で「心中天網島」を見る場面に 直接的に取り入れられたことは明らかです。それでは同時期の「卍」に「心中天網島」がどのように関連しているでしょうか。後段ではそのことを考えていきたいと思います。(この稿つづく)

(H23・1・11)


5)谷崎の見た大大阪人

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女 の美しさが異様に高められていた。なるほど義太夫の騒々しさも使い方に依って下品ではない。騒々しいのが却って悲劇を高揚させる効果を挙げている。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

道頓堀の弁天座で「心中天網島・北新地河庄の段」の舞台を見ながら、主人公斯波要はこんなことを考えています。この箇所には考える必要のあるポイントがいくつかあります。まずそのひとつは、大阪弁の持つ騒がしさと・それに対する主人公の嫌悪感のことです。上記引用箇所のすぐ後になりますが、要はこんなことを考えています。

『要が義太夫を好まないのは、何を措いてもその語り口の下品なのが厭なのであった。義太夫を通じて現れる大阪人の、へんにずうずうしい、臆面のない、目的のためには思う存分な事をする流儀が、妻と同じく東京の生まれである彼には鼻持ちがならない気がしていた。(中略)兎に角義太夫の語り口には、この東京人の最も厭う無躾なところが露骨に発揮されている。いかに感情の激越を表現するのでも、ああまでぶざまに顔を歪めたり、唇を曲げたり、仰け反ったり、もがいたりしないでもいい。ああ迄にしないと表わすことのできないような感情なら、東京人はむしろそんなものは表わさないで洒落にしてしまう。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

ここに東京生まれの谷崎の大阪弁に対する感じ方がそのまま現れています。随筆「私の見た大阪及び大阪人」(昭和7年・1937)を読んでも、まったく同様のことがそこに出ています。大阪弁の持つ騒がしさと下品さ、その会話に現れる大仰で無遠慮な感覚、そのようなものに谷崎は何となく嫌悪感を抱いているのです。これは多くの東京人が大阪弁に対して持つ印象なのだろうと思います。吉之助は関西生まれなので・関西弁のニュアンスは聞き分けられますが、東京での生活の方がずっと長いので・もはや自分が関西人であるとは申せません。だから谷崎が言いたいことも十分理解できます。まあ東京人がそう感じるのも無理はないとは思います。

後に谷崎は「細雪」を書いて登場人物に関西弁をしゃべらせています。だから長い関西での生活のなかで谷崎はいつしか関西弁のニュアンスの美しさ・あるいは日本の伝統美に目覚めたのである・・などとよく言われます。しかし、吉之助に言わせればそれは作品を表面的に見ればそう見えるだけのことです。人間というものは誰でも段々慣れてきますから・いつもそうだったとは言えないと思いますが、最初に感じた関西弁に対する嫌悪感は谷崎のなかに生涯残ったに違いありません。そして何かの拍子に「・・これだから俺は関西が厭なんだ」とその感覚が蘇るということが時折りあったかもしれません。

谷崎潤一郎は明治19年東京・日本橋の生まれです。谷崎が関西へ定住するきっかけは大正12年の関東大震災でした。谷崎は一時逃れのつもりで関西に避難したのですが、そのまま関西に居つくことになりま した。昭和3年から昭和5年にかけて執筆された小説「卍」では主人公園子が事件の顛末を大阪弁で語るという形で綴られています。正確にはいきなり谷崎が原稿を関西弁で書いたのではなく て、谷崎が粗稿を書いて・次に知り合いの関西女性に文章を関西弁に直してもらって・これを谷崎が推敲して最終原稿に仕上げるという制作過程を経たようです。この時期の谷崎が関西弁に対する嫌悪感覚から離れていたということは有り得ないことです。それは同時期の「蓼喰う虫」を読んでも明らかです。だから谷崎が「卍」の全編を関西弁に彩ったのは完全に意識的にやったことです。

谷崎は自分の根本に持っている大阪弁に対する嫌悪感覚を逆利用しようとしたのです。関西人の持つ騒がしさと下品さ・その大仰さ・無遠慮さ、そのような材料を全部まるごと作品のなかにぶち込もうとしたわけです。すなわち、ぶざまに顔を歪めたり、唇を曲げたり、仰け反ったり、もがいたりしないと表わすことのできないような人間の実相を、洒落にしていまうことなく・ありのままに表現するということです。そのために東京人の作家谷崎が関西弁が必要であると感じたということです。「卍」の内容は東京弁で書くならば、主人公の赤裸々な告白が洒落に落ちてしまって真面目に受け取られないか、逆に過度にシリアスに受け取られればとんでもなく不道徳だと社会から糾弾されかねない内容です。関西弁で書くならばそこをちょうど良い塩梅に収めることができるということです。それが小説「卍」での谷崎の実験でした。

関西での生活が続き・「卍」での実験なども効を奏して、谷崎は関西弁のニュアンスを次第に聞き分けられるようになっていきます。そうやって出来た作品が「細雪」(昭和19年〜昭和23年)なのです。「細雪」での関西弁はしっとりと落ち着いて美しいと巷間評されますが、実はそこにも関西に対する嫌悪感覚が底流にあるのです。それはひとつには「細雪」のなかで綴られるエピソードのある種の軽妙さ・ユーモア感覚として現れますが、その底にあるものは実は関西人の持つ騒がしさと下品さ・その大仰さ・無遠慮さということなのです。関西人の生態を冷静に観察している東京人・谷崎がそこにいます。まあ「細雪」については機会を改めて触れることにします。「心中天網島・北新地河庄の段」に話を戻しますが、ここに出てくる登場人物たちはみなワイワイと騒がしい。言うことは下品で、その動作の大仰なこと・無遠慮なこと。ところがそのような周囲の騒がしさが、真ん中でじっとうつむいたまま動かない小春の美しさを異様に高めているのです。周囲の騒がしさは、実は小春の静寂さを高めるためにあったのです。そして小春をじっと見詰めていると、その騒がしさは消えていくのです。そして静寂さだけが要の印象のなかに残っていきます。義太夫の・大阪弁の騒がしさ・下品さが要のなかで気にならなくなっているということです。

ここで大事なことは、「大阪弁の騒がしさ・下品さが要のなかで気にならなくなっている」ということは、要にとって大阪弁が騒がしく下品なものでなくなったということを意味しないということです。要にとって大阪弁は間違いなく騒がし く下品なものです。これは動かしようがない感覚です。しかし、ここではそれが気にならないということは、「北新地河庄」のなかで大阪弁の騒がしさ・下品さが、ドラマを描き出す・すなわち小春の寂しさを描き出すための材料として必要不可欠なものとなっているということです。だから要としてはこの場面の大阪弁の騒がしさ・下品さを受け入れざるを得ないということです。

「北新地河庄」のなかで小春の座っている場所だけが虚なのです。小春は確かにこの芝居の中心なのですが、そこに質量はなく・中空のように感じられます。小春の周囲で・登場人物たちがまるで雲のように、いろんなものが騒がしい音やら熱やら発しながら・目まぐるしく回転をしています。そのなかで小春はひたすら静寂を保っています。小春の美しさだけが要のなかの印象として残ります。この時点の要はそのような文楽の芸の不思議さにちょっと興味を覚え始めた段階に過ぎません。どうして自分がそのようなもの、それまで嫌悪感を抱いていたものに何故気が引かれるのか、要は自分でもその理由が分からないでいます。(この稿つづく)

(H23・1・30)


)ふたりの女たちの引力

「北新地河庄」の場では治兵衛や孫右衛門・太兵衛といった人物が入れ替わり立ち騒いで・ドラマが展開しますが、そのなかで小春はじっと思い沈んだままです。小春の座っている場所だけが虚なのです。斯波要は文五郎の遣う小春の人形を見ながら、そのような小春に異様な美しさを感じています。

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女の美しさが異様に高められていた。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

小春の美しさが際立つのは、騒々しい大阪弁の渦のなかで・小春だけが異様な静寂を保っているからです。騒音の渦のまっただなかに小春はいますが、小春は騒音の埒外です。しかし、小春は何を思いつめてじっと動かないのでしょうか。観客には最初はその理由がよく分かりません。治兵衛の方は小春が心変わりをしたと誤解して、小春の不実を責めて、罵ったりします。小春は苦しそうにしますが、申し開きをする気配を見せません。しかし、やがてそれは小春に届いた手紙の主に義理立てた行為であるらしいことが観客には明らかになってきます。(治兵衛は最後までその真相が分からぬままです。)つまり、舞台上で視覚的に小春はドラマの中心に位置するのですが、実は「河庄」の場では中心が もうひとつあることになります。ひとつはもちろん小春ですが、もうひとつは手紙の主・治兵衛女房おさんのことです。おさんは「河庄」に登場しませんが、実はそのドラマ空間のなかにしっかりとした位置を占めています。それが登場人物たちの心理行動に非常に強い影響を与えているのです。つまり、治兵衛が小春と別れる・切れると大騒ぎしているのも、結局、おさんの仕掛けたものだということです。

物理学の法則に拠れば、中心がひとつである時・その周囲を旋回する物体は円弧を描きます。(正確に言うと離れようとする力と・近づこうとする力が等しい場合です。)一方、中心がふたつある場合にはその軌跡は楕円を描きます。つまり、旋回する物体はひとつの中心を離れたり・近づいたりを繰り返すように見えます。このような楕円のイメージで治兵衛の行動を見れば、「河庄」の場のドラマ構造がはっきりと見えてきます。治兵衛は小春に悪態をついて「思い切る」と宣言したかと思えば、未練がましく「ちょっと言う事がある」と近づいてみたりします。優柔不断で思い切りが悪いのが和事の演技であるように現代では思われていますが・実はそうではなく、別れるという気持ちも・一緒にいたいという気持ちも、その時その時の局面の治兵衛の真実としてある感情なのです。治兵衛の心情は引き裂かれているのです。このことは「河庄」に中心がふたつあることで理解することができます。治兵衛が小春から離れたり・近づいたりするのは、実は舞台で見えないところにあるもうひとつの中心からの引力のせいです。宇宙のなかには二重星という存在があります。二重星にもいろんなタイプがありますが、互いの星が引き合って軌道を描いている星(恒星)を連星と呼びます。このような連星に、もし惑星があるとするならば、その惑星は傍からみれば予測もつかないフラフラした不思議な軌道を描くことになります。治兵衛の言動行動はそうしたものです。

一方、次の場にある「天満紙屋内」の場(ただし「蓼喰う虫」で斯波要が見たのはその改作である「時雨の炬燵」ですが)においては、逆に小春はこの場に登場しませんが、小春の存在が登場人物たちの行動に強い影響を与えていることが分かります。おさんが「それなればいとしや小春は死にやるぞや」が言った途端に様相が急に変化して、ドラマは小春との心中の方向へ転げ落ちるように展開していきます。この場においてもドラマの中心はもうひとつあったのです。つまり、舞台にいない小春のことです。ドラマは舞台で見えないところにあるもうひとつからの強い引力によって起きます。(これについては別稿「女同士の義理立たぬ」をご参照ください。)網島大長寺における心中の場でも冶兵衛・小春は一緒にすぐ死ぬわけではなく、ここではおさんの存在がドラマに影響を与えます。冶兵衛と小春が同じ場所で死顔並べて死んでは・おさんに対して「冶兵衛を死なせないために思い切る」と返事した手紙に対し嘘をつくことになる・だから別の場所で死んでくれと小春は言うのです。(これについては別稿「惨たらしい人生」をご参照ください。)

つまり、近松の「心中天網島」ではおさんと小春のふたりがその三場には常にどちらか片方がいませんが、片方がその場にいなくとも・決定的な強い場の捻じれをそのドラマに与えていているのです。それほどにおさんと小春の絆(きずな)が強いということです。このことが「心中天網島」のドラマ構造の特徴です。だとすれば「心中天網島」というのはふたりの女たちが互いに引き合うドラマなのです。その周囲を旋回する男たちの行動は、ふたりの女たちの作り出す引力の影響によって、観客から見ればそれは混乱し・迷走した奇妙かつ滑稽な動きに見えるのです。

小説「蓼喰う虫」とは見方を変えれば谷崎潤一郎の書いた文楽人形論であるということを、別稿「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」で論じ ました。「蓼喰う虫」での要の観察は文楽人形の機能についてのものです。人間というものは時代と社会という大きな流れのなかで外側から動かされ、一方で情念や衝動といった内面からも動かされる人形のようなものではないかというのが、二十世紀初頭の芸術思潮のなかで創作活動を続ける谷崎潤一郎が書いた「蓼喰う虫」 の主題です。したがって、小説「蓼喰う虫」は昭和2年3月1日に谷崎潤一郎が弁天座で見た「心中天網島」の舞台の印象を文楽人形の機能面において生かしたものだということです。一方、「心中天網島」のドラマ面においての谷崎の考察は小説「卍」の方に生かされることになります。(この稿つづく)

(H23・2・13)


7)パワー・バランスのドラマ

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女の美しさが異様に高められていた。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

「北新地河庄」の場ではすべての登場人物が小春を中心に動いていると斯波要は感じています。しかし、それは谷崎潤一郎の作中人物の話であって、これは谷崎潤一郎が同じように 舞台を見て感じたということにはなりません。それは作者の設計であるかも知れないということを考えねばなりません。事実「蓼喰う虫」においては斯波要がどうして文楽に惹かれるのか・その理由が自分でよく飲み込めていないまま・老人に誘われて淡路人形を見に行ったりしながら、最後の場面でそのことを思い知ることになります。「蓼喰う虫」は谷崎潤一郎が弁天座で見た「心中天網島」の舞台の印象を文楽人形の機能面から考察したものだと言えます。それは人間とは内なる衝動に突き動かされるだけの生きている人形にすぎないのだという二十世紀初頭の人間理解と重なっています。 斯波要は最後にそのことに気が付きます。「蓼喰う虫」はそのような設計の下で書かれているのです。(別稿「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」をご参照ください。)

「心中天網島」では、「河庄」でも・「時雨の炬燵」でも、おさんと小春のふたりがその場には常にどちらか片方がいませんが、片方がその場にいなくとも・決定的な強い場の捻じれをそのドラマに与えていているのです。「河庄」はすべての登場人物が小春を中心に動いているのではなく、実はその場に見えないおさんという・もうひとつの中心があって、ふたつの中心が引き合うことによって・周囲の人物は予想もできない不思議な軌跡を示すのです。その不思議な軌跡はふたつの中心(小春とおさん)がある意図を以って・そのように仕掛けたものではありません。ドラマは当のふたつの中心が思いも寄らない方向へ動いていきます。彼ら (小春治兵衛)は初めから心中したかったわけではないのです。しかし、あれよあれよという間に心中の方向にドラマが傾いていきます。そうなってしまうと心中へのドラマの流れを登場人物の誰もが止めようがないのです。パワー・バランスが何かの拍子に一気に崩れたとしか言いようがありません。そのような崩壊は「心中天網島」に中心がふたつあったから起こるのです。それほどにおさんと小春の絆(きずな)が強く・互いを強く引き合っているということです。このことを谷崎潤一郎ほどの目利きが看破しなかったはずがありません。

小説「卍」は主人公・若い人妻園子が技芸学校で出あった光子と同性愛関係に陥る・レズビアン小説とも言われています。谷崎は世に変態作家と言われているくらいです。吉之助はその見方を別に否定するつもりはありません。名作はどんな読み方もできる・お楽しみはそれぞれのことですから、そう思う方はそのようにお読みになれば良ろしいことです。しかし、表向きはそのような刺激的な体裁を取りながら、実は谷崎はとても冷静に登場人物たちが自分勝手に動き出すのを見詰めているように感じられます。それは人形を背後から操る人形遣いの目の如きです。これは筆任せに書いているように見えても作者なりの制御は当然しているもので、筋がどのように展開するかは予想がつかないけれども、筋というものは作中の園子と光子というふたつの中心が互いに引き合う力関係から生まれてくるのです。谷崎はふたりの主人公が生み出すパワー・バランスの微妙な変化を感じ取りながら書いているのです。

谷崎自身の回想でも「蓼喰う虫」は割合スンナリと筆が進んだようですが、同時期に並行して書かれた「卍」の方は難渋したようです。雑誌に連載された時もたびたび休載をしていますし、単行本へ移行する際にも筋の変更が大幅に加えられたようです。しかし、「卍」のその1には、作者註として「柿内未亡人はその異常なる経験の後にも・・・」という箇所があって、明らかに園子の夫はその時点で死んでおり・小説は柿内未亡人の異常なる経験を回想する形で展開し・彼女の夫の死はその異常なる経験と深い係わりがあることが、そこに示唆されています。つまり、光子観音を中心として柿内夫婦が三人心中を行ない・園子だけがひとり生き残るという「卍」の結末は、最初から動かせない結末と決めたうえで谷崎が創作を開始したことは明らかです。「卍」は三人心中の結末に向かって動いており、その途中の筋がどのように変わろうが作者には些細なことだったのです。この時、谷崎が「心中天網島」を念頭に置いていたことは疑いのないことです。(この稿つづく)

(H23・3・7)


8)パワー・バランスのドラマ・続き

「天満紙屋内」の場で太兵衛に小春が請出されるという噂を聞いて・炬燵のなかで治兵衛がすすり泣きます。これを女房おさんがなじると、これに対して冶兵衛は「女には未練がないが、太兵衛に商売仲間に悪口を言われて生き恥をかく、それが口惜しい無念だ」と言います。ここで冶兵衛が訴えてるのは「男の一分(いちぶん)」ということです。この冶兵衛の言葉を聞いて、おさんは意外な反応を示します。『はっとおさんが興さめ顔、ヤアハウそれならばいとしや小春は死にやるぞや。』 もちろん冶兵衛には何のことか分かりません。『ハテサテなんぼ利発でも、さすが町の女房なの。あの不心中者、なんの死のう。』 冶兵衛はそう言って一笑に伏すのですが、そこでおさんは一生言うまいと思った秘密を夫に打ち明けます。このままでは冶兵衛が死ぬと見たおさんは小春に手紙を書いて、「女は相身互いごとだから・思い切れないところを思い切って・夫の命を助けてくれ』と訴えます。その手紙を読んだ小春が「身にも命でも代えられない大事の人だか・引くに引かれぬ義理から思い切る」と返事をよこしたのです。その小春が金づくで太兵衛に請け出されようとされているなら・きっと小春は死ぬに違いないとおさんは直感したのです。

ここでおさんが『悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。まずこなさん早う行て・どうぞ殺してくださるな』と突然言い始める心理が、「どうも理解できない」とよく言われるところです。妻の座にいるおさんが憎んでも飽き足らない遊女のことなど気に掛けることはないはずだというのが、現代人の思うところです。しかし、これはこのように考えれば良いと思います。大坂商人である冶兵衛が「男の一分」を大事にしているように・おさんにも「女の一分」があるのです。「女同士の義理」とは何でありましょうか。「女は相身互いごとだから・思い切れないところを思い切ってくれ」と必死で頼んだ・自分の訴えを聞いてくれた人であるから・その人がまさに死のうとしている危機を自分は見過ごすことはできないということです。大事なことは、おさんと小春の間にある義理は大坂商人である冶兵衛という存在を介して社会的な意味を有するということです。冶兵衛という男性個人ではなく、大坂商人である冶兵衛です。

おさんが小春への手紙にどんなことを書いたのかは本文では分かりません。しかし、おさんは妻の立場から夫と別れてくれ・夫を返してくれという願いを書いたのではないだろうと吉之助は考えます。「冶兵衛が仕事を放り出してしまってこのままでは紙屋の商売が続かないこと・それでは大坂商人である冶兵衛の面目が立たない」ということをおさんは書いたのだろうと推測します。だから小春は「身にも命でも代えられない大事の人だが・引くに引かれぬ義理から思い切る」と返事をよこしたのです。それは何故かと言えば、小春が愛するのは冶兵衛という男性個人という以上に大坂商人である冶兵衛だからです。つまり、小春とおさんというふたりの女性は「大坂商人である冶兵衛を愛する私たち」という連帯感で結ばれていることになります。それがおさんの言う女同士の義理ということです。

「そうは言っても小春を身請けする金がどこにあろうか」と思案する冶兵衛の前で、おさんは「ノウ仰山な、それで済まばいとやすし」と言ってその場に新銀四百目を投げ出して夫を驚かせます。さらに「箪笥をひらり」と開けて鳶八丈などの着物を取り出します。ここでのおさんは、夫の恥をすすぐのと・女同士の義理を果たすということで一種の興奮状態になっています。それが「箪笥をひらり」という描写に表れています。

一方、「網島大長寺・心中の場」では冶兵衛・小春はすぐ死ぬわけではなく、ここでも義理の問題が絡んできます。冶兵衛と小春が同じ場所で死顔並べて死んでは・おさんに対して「冶兵衛を死なせないために思い切る」と返事した手紙に対し嘘をつくことになる・だから別の場所で死んでくれと小春は言うのです。ここで小春が主張することも「どうも理解できない」とよく言われる所です。これは小春が冶兵衛と一緒に死ぬのを拒否しているのではないのです。この場に及んでは大坂商人・紙屋冶兵衛の 「男」を見せるには心中してみせるしかないわけですから、小春はもちろん喜んで冶兵衛と心中するつもりです。しかし、それでもおさんとの約束が引っ掛かります。おさんに「思い切る」と返事したのを裏切ることになる・だから一緒に死ぬけれども・別の場所で死にたいということです。ここで小春も・おさんと同様に女同士の義理を主張しているのです。誤解してはならないのは、この心中直前においての「義理立て」は世間に対してするものではないということです。冶兵衛と小春が一緒に死ぬのを世間が許さないということではありません。世間に対して小春が怯えているわけでもない。小春は「世の人千人万人より。おさん様ひとりのさげしみ。』とはっきり言っています。(以上の考察については別稿「女同士の義理立たぬ」・「惨たらしい人生」をご参照ください。)

「心中天網島」に見られる小春とおさんの女同士の義理は女の友情と言えるかも知れませんが、それ以上にもっと強く、もっと心情的に熱い要素があるようです。そこに大坂商人である冶兵衛という存在が介在しますが、これは女の恋愛に近いものに感じられます。小春とおさんを擬似的なレズビアンと断定することは出来ませんが、まあ似たような感情がふたりに通っていることは明らかです。繰り返しますが、そこには大坂商人である冶兵衛という存在(アイデンティー)が介在しており、それゆえその感情は社会的な裏付けを持ちます。だから女同士の義理ということになるのです。「心中天網島」で近松門左衛門が訴えたいことはそこにあるのですが、逆に言えば社会的な裏付けを取り去ればレズビアンととてもよく似た感情であるということも言えます。

昭和2年3月1日に谷崎が弁天座で見た「心中天網島」の舞台の印象は、そのような形で谷崎のなかに取り入れられていくのです。もちろん、谷崎は「心中天網島」のなかのシチュエーションを自らの小説「卍」のなかにそっくりそのまま移し変えたわけではありません。凡庸な作家ならばともかく・そのようなことは大谷崎にあり得ないことです。谷崎が取り入れたのは、まずふたりの主人公・小春とおさんに間にある強い絆(きずな)ということです。そして、作品にふたつの中心が存在し・それが互いに引き合うことで、周囲の登場人物が奇妙な行動を示し・筋が思いも寄らない展開を見せるということです。これが谷崎が「心中天網島」から小説技法的にインスピレーションを受けた点であろうと吉之助は考えます。「卍」のふたりの女主人公・園子と光子をレズビアンという関係にしたのは、これはまあ二次的な要素でしょう。それは「心中天網島」から来たものであるとも・そうでないとも言えます。それは「卍」の核心的な要素ではないのです。しかし、谷崎が「心中天網島」から小説技法的な影響を受けたことは明白であると吉之助は考えます。そのキーワードこそ「鬼が棲むか蛇が棲むか」なのです。(この稿つづく)

(H23・3・27)


9)選択への衝動

大事なことは、作品にふたつの中心(強烈なキャラクター)が存在することで、互いの引力が影響し合うことで作品空間が歪められ、周囲の登場人物が奇妙な行動を示し・筋が当の主人公さえ思いも寄らない展開を見せるということなのです。まずそのことを近松の「心中天網島」から見たいと思います。「心中天網島」は24編ある近松の世話物浄瑠璃のうちの最後の方に位置する22番目の世話物で、享保5年(1720)の初演です。ちなみに近松の最初の世話物は「曽根崎心中」で、こちらは元禄16年(1703)初演です。つまり「曽根崎心中」から「心中天網島」までの間に約17年の歳月があるのです。同じ近松の心中物ですが、この歳月はふたつの作品に 大きな色合いの違いをもたらしています。「曽根崎心中」は筋自体がシンプルで最初からふたりは心中に一気に突っ走っていく感じがあり、心中に向かうお初徳兵衛のその心情に熱さが感じられます。心中するという行為は明らかに彼らが自ら選び取った行為なのです。「この上は、徳さまも死なねばならぬ。しななるが死ぬる覚悟が聞きたい」とお初は叫びます。そのかぶき的心情の熱さが当時の観客を熱狂の渦に巻き込んだのです。一方、「心中天網島」の小春治兵衛は因果の律とかどうにもならぬ柵(しがらみ)のなかで心中に追いやられていくというような印象があると思います。ふたりは死にたくないけれど・死なないと格好がつかない・世間が認めないという感じで心中するようにも見えます。そして観客がそう思った通りにふたりは死ぬので、それで何となく落ち着いた古典的な印象になっているのです。本当はそういう風な読み方をすべきではないのですが(これについては別稿「たがふみも見ぬ恋の道」など本作に関連する記事をご参照ください)、しかし、そのような読み方がしばしばされるのは因果とか世間とか・抗し切れない圧倒的な外的要因があって、それがふたりに心中行為を強制しているように見えるからに違いありません。

そうなる大きな要因は享保5年当時の世相にありました。当時心中は社会問題化するほどのブームで、江戸にまで飛び火する勢いでした。江戸幕府はこれを危険視して、ついに2年後の享保7年(1722)に禁止令を出して心中物の出版・芝居の上演を禁止してしまいました。さらに心中を「相対死(あいたいしに)」と読ませて、そのロマンチックな響きを消し去ろうとしました。「心中天網島」はその寸前の危うい時期に書かれた作品なのです。大坂の商人社会は整備されて、世間は個人をますます束縛するようになってきます。そういうなかで個人は私(わたくし)や一分(いちぶん)を世間と折り合いを付けていくのかということが、大坂町人の切実な問題になっていました。この悩みに一気にケリをつけて、個人が社会に対抗してやろうじゃないかというのが心中でありました。だから近松としては、この問題をもっともっと突っ込んで描きたかったのです。しかし、江戸幕府の厳しい監視の目が光っているから、さすがの近松も心中を煽るようなラジカルなことはなかなか書ける状況ではなかったのです。間違えば近松の身まで危うくなります。だから「心中天網島」では因果の律ということが表面上強調されてきます。ふたりは運命に押し流されるように・死ななければならない状況になって死ぬかのように、そのようにも読めるように書かれているわけです。近松の心中物は後年原作で上演されることはなく・ ほとんど改作で上演されることになりますが、改作ではこの要素がもっと意図的に強調されていきます。主人公に対して悪意を抱く友人が登場し、姦計に陥れて主人公を窮地に追い込む、そのため世間から逃げるように主人公は死ぬことになるのです。もはや心中は社会的メッセージを持つ行為ではなくなって、主人公は社会の掟を破った為に世間から放逐されて愛人と一緒にのたれ死ぬだけの行為とな っていくのです。そしてこれが世間の近松の心中物のイメージになってしまいました。このような近松の誤ったイメージは現代でも尾を引いています。

近松が「心中天網島」で描きたかった小春治兵衛の心中の本当の意味というのは、世間・社会の締め付けのなかにあっても、彼らが自分の意志で強く生きようとして・私(わたくし)や一分(いちぶん)という問題を強く主張しようとして、結果として心中という行為の自らの意志で選び取ったということにあるのです。しかし、その一方で近松はそのようなラジカルな要素を、「紙=髪=神」の連想とか・因果の律であるというような通奏低音で意識的に隠蔽してしまいました。その結果として奇妙な現象が作品のなかで起こりました。それは、小春治兵衛とおさんを含む登場人物三人が自分の意志で強く生きようとして・私(わたくし)や一分(いちぶん)という問題を強く主張しようとして・彼らは心中ということを露ほども思い描いていなかったのだけれども、最後の最後に「心中」ということが瓢箪から駒みたいな感じで出てきて、結局、小春治兵衛は心中で死んでしまう・おさんはひとり残されるという結末になってしまうということです。彼らはそういう形を自らの意志で選んだことは 疑いありません。しかし、何だか急旋回のような形でそういう結論に落ちていく感じがあります。これはまずひとつには、「心中天網島」の劇空間が世間・社会の締め付けの下にあってもともと強い圧力を受けているということがあります。もうひとつは、おさんと小春の関係・つまりふたりの間にある強い絆(きずな)のことです。おさんと小春が互いに影響しあって「心中天網島」の劇空間は歪(ひず)んでいるからなのです。

このことが明確に出るのはおさんが「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。まずこなさん早う行て・どうぞ殺してくださるな」が叫ぶ場面です。小春を救いたいおさんの気持ちに嘘偽りがあるはずはありません。しかし、おさんはその次に起こることが全然頭の中にありません。「(小春を身請けしたとして)そなたはなんとなることぞ」と夫に言はれておはつはハッと我に返りますが、「アツアさうぢや、ハテなんとせう子供の乳母か、飯炊きか、隠居なりともしませう」とおさんは言ってしまいます。小春を身請けしたら小春が家にやってくる・そうすると自分がいる場所がなくなるということはよく考えれば分かるはずですが、おさんは女同士の義理を果たすことしか考えていないのです。しかし、「小春を見受けしてくれ」と言い切った以上は、その結果としてこの事態をも受け入れなければならぬのは当然のことであって、「子供の乳母か・飯炊きか・隠居なりともしませう」という道をもおさんは自分の意志で選択したということになるわけです。自分の意志で強く生きること・私(わたくし)や一分(いちぶん)を主張するということ、彼らがそうしようとしていることは間違いないですが、その選択がこのような形で跳ね返ってきます。

「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」

おさんのこの台詞は孤閨をかこつ女房の恨みの言葉という風にふつうは理解されていると思います。家庭が修羅場と化すか・あるいは「道成寺」の清姫が恋人を焼き殺した如くに嫉妬と肉欲の炎のなかで家庭崩壊となるか。もちろんそういうこともあるでしょうが、吉之助が考えるのはこういうことです。この場のおさんには夫に対する言い様がない感情が渦巻いていることはもちろんです。それは怒りとか・嫉妬とか・悔しさとか・恥であるとか・いろんな形を取り得るもので、そのすべての感情を含むものだと言えますが、いずれにせよまだ明確な形を取っているわけではないのです。そのなかからひとつの形がなって現れたならば(それは「選択」したということになりますが)、一体どういうことが起きるのか、おさんには予想が付かないのです。そのことは彼女自身も分からない。だから彼女は選択することを内心怖れているのです。「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」というおさんの台詞は、そのような不安とも恐怖ともつかないなかで言われていると吉之助は考えます。選択への衝動はもちろんおさんのなかにある私(わたくし)や一分(いちぶん)への強い意識から来るものですが、この時点ではおさんは選択することをまだ躊躇しています。しかし、「太兵衛に小春が請出される」という話を聞いた時に、おさんは「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ」という反応をしてしまうのです。この瞬間に、おさんは怖れていた「選択」をしてしまったのです。この瞬間にドラマは心中の方へ一気に傾くことになります。(この稿つづく)

(H23・5・1)


10)選択の結末

「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」 というクドキの時点では、おさんは選択することをまだ怖れているのです。そのおさんが「太兵衛に小春が請出されるらしい」という話を聞いた瞬間、「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。まずこなさん早う行て、どうぞ殺してくださるな」という選択をしてしまうのです。おさんが黙ってさえいれば、冷えた関係ではあっても夫婦は続いたであろうに、どうしておさんは突然ここで女の義理を言い出すのでしょうか。巷間で「このおさんの心境変化がどうもよく分からん」と言われるところです。しかし、吉之助はこれはこのように考えれば良かろうと思っています。

「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」 というクドキの気持ちには、怒りとか・嫉妬とか・悔しさとか・恥であるとか・いろんな感情が渦巻いているのは確かです。それらは、おさんの私(わたくし)としての感情とか、女性としての一分(いちぶん)から発するのです。「ホントに自分はどうにかなってしまいそうだ」という寸前でおさんは踏みとどまっています。そこでおさんが選択してしまえば、その感情はひとつの方向に流れて、ホントにおさんはどうにかなってしまうでしょう。そうなればおさんは泣き喚くか・修羅場が繰り広げられるか、そんな場面になるでしょう。しかし、おさんはここでは選択しません。おさんは選択することをまだ怖れています。これが「太兵衛に小春が請出されるらしい」という話を聞く以前のおさんの心理です。何がおさんに選択を躊躇させるのかと言えば、 治兵衛が家に戻ってまた夫婦で紙屋の店を続けるということは小春との約束なのですから、それを反故にしてしまうことはおさんに出来ないことだからです。ここで選択してしまうと、ただ自分の欲得と浅い女の恨みで泣き叫ぶのと同じ次元に自分の行為が落ちてしまうからです。

ところが「太兵衛に小春が請出されるらしい」という話を聞いた瞬間に、おさんはハッと反応して「ヤアハウそれならばいとしや小春は死にやるぞや」と言います。そして「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。」という選択をおさんは一気にしてしまうのです。これはどうしてかと言えば、これは明らかに自分の為ではなく・他人のための選択である、この選択には女同士の義理という大義があるということです。女同士の義理と言ったって、所詮はおさんと小春の間にあった誰も知らなかった個人的な義理なのですが、義理には違いありませんから、これは社会性・客観性を持つ選択です。義理を破ることは大坂商人にとっては、大坂においてもう商売を続けられない・社会から抹殺されるのと同じことでした。大坂商人の女房であり・夫に代わって商売を切り回すこともできる自立心のあるおさんが、そのような倫理感覚を持っていたとしても、ちっとも不思議なことではありません。

しかし、実はその選択にも、おさんの私(わたくし)としての感情・女性としての一分(いちぶん)とかいろんなものが心底に絡んでいます。「歌舞伎素人講釈」の重要な概念である「かぶき的心情」ということになりますが、おさんは私(わたくし)・あるいは一分(いちぶん)の実現ということを、「このままでは死んでしまうだろう小春を救い出す」という行為に託しているということです。なぜならば、小春は夫・治兵衛のことを愛しているのであるし(その点において夫を愛している自分と小春は重なってくるし)、それなのにおさんの頼みを聞き入れて・身を引いてくれた女性であるからです(つまりおさんは小春に対して義理があ り、おさんと小春は治兵衛を介して結ばれていることになる)。つまり、これはおさんの夫に対する感情の代償行為であるとも言えますが・大義の裏付けがあり、これでおさんは自己実現の満足が同じように得られると信じているということです。しかし、おさんは請出された小春が家に来る・そうなったら自分はどうなる?ということまでは考えが至っていません。あくまで目先の狭いスパンにおいてこれが私の選ぶ道だという反応をおさんは瞬間的に取っているのですが、その選択をするまでの過程に悶々とした時間が実に長くあったからこそ、衝動的な選択をおさんはしてしまうということなのです。

これで分かる通り、おさんは選択という行為をもちろん自分の意志において行なったのには違いないのですが、おさんの選択には、その場にはいない小春の存在が強い影響を与えてるのです。おさんの思考のなかに、自分(おさん)と小春というふたつの中心があって、そのふたつの中心で以って思考が巡っているのです。互いの星が引き合って軌道を描いている星(恒星)を連星と呼びます。このような連星が、もし惑星を持つとするならば、その惑星は傍からみれば予測もつかないフラフラした不思議な軌道を描くことになります。おさんの思考はそんな単純なものではありません。おさんの思考のなかにふたつの中心があることが、おさんの選択が他人から見てスンナリと理解が行く論理的展開を取らないことの理由です。これこそが谷崎潤一郎が「心中天網島」から受けたインスピレーションなのです。結局、「女房の懐には鬼が住むか蛇が住むか」 という混沌たる感情が生み出した選択からは鬼は出ず、蛇も出ず、「心中天網島」のドラマはおさんさえ予期しなかった・望んでもいなかった結末へ向かって動き出すことになります。それが網島大長寺での小春治兵衛の心中ということなのです。(この稿つづく)

(H23・5・9)


11)選択の結末・続き

フランスのフロイト派心理学者ジャック・ラカンは、1956年のセミネールにおいて、ジークムント・フロイトが神経症の患者のなかに見出された基本的な傾向について紹介しています。「私は彼を愛している」、この命題を患者が否定する方法が三つあるということをフロイトは言っているそうです。つまり、妄想には三つの型があるというのです。

『「私は彼を愛している」、これを否定する第一の方法、それは次の通りです。「彼を愛しているのは私ではない、それは彼女だ」、つまり配偶者、分身です。第二の方法は次の通りです。「私が愛しているのは、彼ではなくて、彼女だ」です。しかし、この第二の水準では、防衛はパラノイア患者にとっては十分ではありません。つまり、変装はうまく行っておらず、「私」が隠されていません。ですから、投影が導入されねばなりません。第三の可能性は「私は彼を愛していない、私は彼を憎んでいる」です。ここでもまた、主語を「私」でなくするひっくり返しが十分ではありません。少なくともここまではフロイトが言っていることです。そしてここでもまた投影というメカニズムが介入しなくてはならないことになります。すなわち「彼は私を憎む」。こうして迫害妄想となるのです。』(ジャック・ラカン:「精神病」〜大文字の他者と精神病・1956年)

ラカンの指摘するところを借りながら、「心中天網島・紙治内」をちょっと読んでみます。おさんの心理のなかで「私(おさん)は夫(治兵衛)を愛している」という命題は、彼女の置かれた状況のなかで否定され・それにも係わらず彼女はその状況を耐え忍ばねばならぬ為、おさんは自分のなかでその命題を否定しに掛からねばならなくなります。まず第一段階での否定、すなわち「夫(治兵衛)を愛しているのは私ではない、それは彼女(小春)だ」です。これは逆転された疎外です。同一化された相手の女性(小春)を 分身として、おさんは彼女自身のメッセージを語っているということです。次に第二段階での否定、すなわち、「私(おさん)が愛しているのは夫ではなくて、彼女(小春)だ」です。これは逸脱された疎外です。妄想者が係わる他者は極めて特殊な相手です。「心中天網島」の場合を見れば、おさんと小春の関係は手紙をやりあっただけの関係(恐らく最初におさんが小春に手紙を書き、これに対して小春が返事を寄越しただけの関係)であり、互いに見知ってはいません。この時、小春という存在は脱人称化して います(つまり具体的な人間ではない)。この状況下では、おさんのメッセージを受け取る相手が入れ替わることが容易に起こり得るのです。この状態はおさんから見れば、プラトニックな恋愛関係 と自然に似通ってきます。(第三の段階はおさんの場合には当てはまりませんから、ここでは割愛します。)

太兵衛に小春が請出されるらしい」という話を聞いて、おさんは瞬間的に反応して「ヤアハウそれならばいとしや小春は死にやるぞや」と言います。そして「悲しやこの人を殺しては。女同士の義理立たぬ。」という衝動的な選択をおさんは一気にしてしまいます。このような選択をどうしておさんはしてしまうのかということは、上記のメカニズムを考えれば理解できると思います。もちろんおさんは神経症患者ではありませんが、そこに妄想的な要素があるのです。もちろん近松門左衛門はフロイト心理学を知るはずがありませんが、しかし、近松という作家は実に人間心理のメカニズムを知り尽くしていると思いませんか。近松は実に恐ろしい人ですね。

このような精神状態におさんが陥るのは何故かということが、ここで問題になってくると思います。夫が浮気して愛人の元に走った(三角関係 )ということは、それは表面的なことです。もっと根本的な問題として「心中天網島」の登場人物を取り巻く状況を考えた方が良いのです。

『天満に年経る。千早(ちはや)降る。神にはあらぬ紙様と、世の鰐口(わにぐち)にのるばかり。小春に深く大幣(あふぬさ)の、くさり合ふたる御注連縄(みしめなは)。今は結ぶの神無月。堰かれて逢はれぬ身となり果て。あはれ逢瀬の首尾あらば。それを二人が。最後日と。名残の文の言ひかわし。毎夜毎夜の死覚悟。玉しゐ(魂)抜けてとぼとぼうかうか身を焦す。』

これは「心中天網島・河庄」での治兵衛登場の場面の詞章です。「天満に年経る・千早降る神」というのはもちろん天神さんのことです。遊里においては客の名前・商売などを一字取って「○さま・・」などと呼んだりするもので、冶兵衛は紙屋ですから「紙さま」と呼ばれているのです。「心中天網島」には紙に関連する言葉・同音語が頻出します。紙(=神)のイメージが作品全体にあります。(これについては別稿「たがふみも見ぬ恋の道」をご参照ください。)

治兵衛・おさんの夫婦に非常に重く圧し掛かっているものは、紙屋の店の経営の維持・大坂商人としての 信用・プライドの維持ということです。つまり、社会的・あるいは経済的なプレッシャーということです。なぜなら、自分たちは大坂の商人階級に帰属しているということが、彼らのアイデンティティーですからです 。それを否定してしまったら、彼らの存在は「ない」ということなのです。治兵衛の浮気ということがなかったとしても、紙屋商売を維持することは大変な状況であったのだろうということを、まず想像したいと思います。その重圧から抜け出したいから治兵衛は小春の元に走った、その重圧のなかでおさんは夫の浮気をひとり耐え忍んで・店を切り回さねばならなかったということです。そのようななかで、おさんの妄想が起こるのです。一瞬のことなのですが、小春が治兵衛・おさんの夫婦を繋ぐ共通の存在となります。それが「紙治内」で突如として起こったことです。しかし、それは一瞬のことで、長くは続きません。妄想が起こした選択からは、結局、鬼は出ず、蛇も出なかったのです。「心中天網島」のドラマは網島大長寺での小春治兵衛の心中へと大きく動き出すということです。(この稿つづく)

(H23・5・29


12)選択の結末・その谷崎的世界

前項において被害妄想の第三の段階・「私は彼を愛していない、私は彼を憎んでいる」はおさんの場合には当てはまらないと書きましたが、一応、これについて触れておきます。吉之助はおさんは当てはまらないと考えますが、そうでないと考える方がいらっしゃるかも知れません。例えば世間について数々の論文を出された歴史学の某大先生(名前はあえて伏す)の本を読むと、近松の登場人物はみなポトラッチ的なのだと言います。ポトラッチとは贈与に対するお返しみたいな関係のことを言います。「心中天網島・大長寺」で小春はおさんとの義理立てから治兵衛と同じ場所で死ぬことを拒みますが、起請文を交わしているので治兵衛から心中を言い出されると拒否ができなかったというのです。この場合、実在のおさんがどう考えているかは別として、小春のなかでのおさんが「私(おさん)は彼ら(治兵衛・そして傍にいる小春)を憎んでいる」というメッセージを発し、それによって二人を脅迫していると読むということになります。

このような読み方は、個人と社会(世間)を対立的関係に見て、世間が主人公を強制するとする見方です。こうした見方は現代ならば、もちろんあり得ることです。現代においては、自我は状況と鋭く対立しており、常に状況からの強いストレスにさられています。おさんをそのような症候の対象として見ることは、現代からの視点であって・もちろんそれが間違いと言うわけでもないですが、少なくとも登場人物に対して共感と思い入れを持とうと思って芝居を見ようとするならば、こういう見方は絶対に変だと感じるはずです。小春・治兵衛はおさんに感謝しながら死ぬというのが正しくあるべき演劇的解釈であると吉之助は考えます。常に音楽が協和音を以って終わらねばならないのと同じことです。「心中天網島」の古典的な印象は、このようなところから発するということを知らなければなりません。お芝居の登場人物は生きた人間なのですから、演劇視点から社会学・歴史学への批判がもうちょっとされても良いと思いますね。

別稿「特別講座・かぶき的心情」で、江戸期には個人と社会(状況)を対立的に見る見方はなかったということを申し上げています。だからと言って作品を現代的視点で読んではいけないということではなく・まあ古典のお楽しみは人それぞれのことでありますが、元禄期の「心中天網島」においては、個人と状況を対立的に見る構図はないのです。もちろんその萌芽がないわけでもないのですが、しかし、江戸期には個人と状況の境目はまだ明確に仕分けられておらず、抑圧された個人の鬱屈した心情の解決の方に重点が置かれています。だとすれば、妄想が「私」ということから離れることはないのです。妄想は第2段階に留まるということです。

しかし、逆に「心中天網島」にインスピレーションを受けた谷崎潤一郎の小説「卍」の場合は、それが昭和初期の作品であることから分かる通り、個人と状況を対立的に見る視点から離れることは絶対に出来な くなります。「卍」は人妻・園子と光子との同性愛関係のなかに、いつの間にやら夫である柿内が入り込んで、さらに光子観音をはさんで三人心中になり・園子だけが生き残るという結末になります。この場合、「卍」の生き残った園子が「心中天網島」のおさんに擬せられていることが明らかです。おさんは父親・五左衛門によって実家へ戻されてしまっており・大長寺の場には登場しませんが、小説末尾の園子の述懐を読めば、「卍」は古典的終結を取らず・乱調で終わっていることが明らかです。

『明くる日眼エ覚ました時にも、直きに二人の跡追おう思いましてんけど、ひょっとしたら、生き残ったん偶然やないかも分かれへん、死ぬまで二人に騙されてたんやないやろか云う気イしましたら、あの手紙の束預けなさったことにしたかて疑わしいになって来て、折角死んでも彼の世で邪魔にしられるんのんやないかと、ああ、・・先生、(柿内未亡人は突然はらはらと涙を流した)・・その疑いさいなかったら・・・』(谷崎潤一郎:「卍」・その33)

「卍」では三人心中から園子が生き残ることで、「生き残ったん偶然やないかも分かれへん、死ぬまで二人に騙されてたんやないやろか」という疑いで園子が苦しむという形で、被害妄想の第三の段階が出ています。そこに昭和初期(1920年代)の小市民が置かれた精神状況が察せられます。大正・昭和初期においては国家社会の個人への締め付けというものは元禄の昔よりもはるかに複合的・かつ圧倒的に強くなっています。国家社会が求める・あるべき市民像というものが厳然としてあるのです。そのような状況では、個人は蔭に隠れてシコシコと隠微なお楽しみに耽ることくらいしか出来ない。せいぜいそのくらいが小市民が出来る不道徳の関の山ということです。同性愛も三人心中もそのような不道徳なのです。もちろんこれは近松の「心中天網島」から引き出されるものではなく、それこそが谷崎的世界であるということですね。(この稿つづく)

(H23・6・7)


13)選択の結末・その谷崎的世界・続き

『わたしかって、ほんま云うたら夫の知らん間にたんと苦労しましたのんで、だんだん擦れて、ずるうなってたのんですが、夫にはそれ分からんと、いまだに子供や子供や思てます。わたし最初それが口惜しいてなりませんでしたが、口惜しがるとなお馬鹿にしられるので、ようし、向(むこ)が子供や思てるのんなら、何処までもそう思わして、油断さしてやれ、と、次第にそんな気イになりました。うわべはいかにもやんちゃ装うて、都合の悪い時はだだこねたり甘えたりして、お腹の中では、ふん、人を子供や思てええ気イになってる、あんたこそお人好しのぼんぼんやないか。あんたみたいな人欺(だま)すぐらいじッきやわ、と、嘲弄するようになって、しまいにはそれが面白うて何ぞ云うとすぐないたり怒鳴ったりして、自分ながら末恐ろしいなるほど芝居するのんが上手になってしもて・・・』(谷崎潤一郎:「卍」・その8)

「心中天網島」の人物関係を谷崎の「卍」に見るならば、当然ながら園子がおさんで・光子が小春、夫柿内が治兵衛であり、そして三人の関係の間に割って入って掻き回す綿貫が太兵衛ということになります。それはその通りなのですが、「卍」は別に「心中天網島」の置き換え・リメークではないのです。独自の谷崎的世界を持っているのですから、それ以上の比較対照は無駄なことです。上記の柿内未亡人(園子)の述懐を読めば、そのことははっきりしています。園子が言っているのは「わたしは夫の人形やあらしまへん。夫はわたしのことを何も知らへん・何もできんと思てるか知れまへんが、わたしかて意思を持ってますねん。わたしかて人間ですねん。向こうがそう思てるのんやったら、うわべはそう思わせといて、わたしはやりたいことしますさかい。」(注:この台詞は吉之助の作です)ということなのです。園子の夫への不満の根本がそこにあります。これはまさに大正から昭和初期の・女性は自由で意思的であるべきという教育の成果でもあります。それは当時の女性の自立の風潮・意識の目覚めを敏感に反映しています。(注:「私は夫の人形ではない。私も意思を持つ人間なのです。」という主張が明確に出ているのが、「痴人の愛」のナオミであることに注目してください。「痴人の愛」は変態マゾ小説みたいに見えるかも知れませんが、ナオミの言いたいことは「夫がそう思っているのだったら、うわべはそう思わせておいて、私は自分のやりたいことをします」ということではないでしょうか。)

このことは「蓼喰ふ虫」では別の形の不道徳で現れます。主人公・斯波要は妻美佐子に対して、試験的かつ段階的に彼女を恋人阿曾に譲渡する為の五つの条件を切り出し、2年間付き合ってみて阿曾と巧く行きそうになければ戻っても良いとか・何だか彼女の意志と判断を尊重しているのように見せながら、世間に知られれば間違いなく不道徳・不謹慎だと糾弾されるようなことをしています。美佐子の父親である・老人は、要の行為に内心は怒りつつも・それを面に出すことはせず・次のようなことを言い始めます。

『・・しかし、女と云うものは、試験的にもせよ、一度脇へ外れてしまうと、途中で「こいつはしまった」と気が付いても、意地にも後ろへ引っ返すことが出来ないようなハメになるんで、自由の選択ということが、実は自由の選択にならない。ま、これからの女はどうか知れないが、美佐子なんかは中途半端な時勢の教育を受けたんだから、新しがりは附け焼き刃なんでね』(「蓼喰ふ虫」第14章)

本人の自由意志を尊重した、これは夫婦の契約だとか言っても、「美佐子をそういう風に仕向けたのは、要さん、あなただろう」というのが、老人の言いたいことです。だから「要さん、あなたが悪い」と老人は言うのです。(これについては別稿「生きている人形・その16」をご覧下さい。)これが父親である老人の見るところですが、しかし、美佐子本人は、夫婦が分かれるという結論は誰に強制されたのでもなく・私自身で決めたのだと言い張っている(思い込んでいる)わけです。ここが大事なポイントです。しかし、老人は、「自分で決めたというけれど、本当は自分の意志で何も決めちゃいない」と看破しているのです。途中で「こいつはしまった」と気が付いても、意地にも後ろへ引っ返すことが出来ないような感じで、そう決めてしまったということです。これは「成り行きでそういうことになってしまった」と読めるかも知れませんが・そうではなくて、人間というものは内面のどうにもならぬものに突き動かされて生きているのだということです。それが谷崎潤一郎の人間理解なのです。もうひとつ付け加えるならば、美佐子が「自分で決めた」と思い込んでいるのは、夫がそうさせたということだけではなくて(小説の筋としてはそういうことですが)、現代人は自由意志で生きるのだという考え方を世間・社会から仕付けられている、だから自分で決めたと思っていないと自分が生きていると感じられないということでもあるのです。

これとまったく同じことが園子の口から出ています。「蓼喰ふ虫」は夫である要の視点で書かれており・美佐子の感じていることが表面に出てきませんから、要が人形遣いで・美佐子が人形みたいに見えるかも知れませんが、実は人形のように見える美佐子にも意思があるわけです。当然なことですが、谷崎潤一郎はそんなことは十分分かったうえで、斯波夫婦にそれぞれの役割を与えています。「蓼喰ふ虫」では見えなかった美佐子の意思が、裏返しにする形で「卍」では園子の口を借りて出て来ます。

『前でしたら時に依ってはっと思て、ああ、こんな事するのんやなかったと、後悔する気イになりましたのんに、今では反抗的に、なんじゃ意気地のない、これぐらいのこと怖がってどないすると、自分で自分の臆病あざわらうようになるなんて・・・それに、夫に内証で外の男愛したら悪いやろけれど、女が女恋いするねんよってかめへん。同性の間でなんぼ親しくなったかて夫がそれとやかく云う権利あれへんと、いつもそんな理屈つけて自分の心欺いてました。その実わたしの光子さんを思う程度は、前の人思うたよりも十倍も二十倍も、・・・・百倍も二百倍も熱烈やったのんですけど、・・・』(谷崎潤一郎:「卍」・その8)

園子も「私は自分の意志で行動してるんです」と思っていますが、「しまったと思っても途中で引き返すことができない」という自分も感じているのです。それは成り行きと勢いでそうなってしまったと自分に言い聞かせているのですが、実はもっと深い内面からの衝動で自分が動かされているということも、園子は分かっているのです。(この稿つづく)

(H23・6・12)


14)重力バランスの崩れ

「卍」での園子と光子の関係について考えます。園子に対して光子が取る行動は不可解で、ある時は園子に媚びて悦ぶことをしますが、かと思えば園子を怒らせる突拍子もない事をしたりします。しかし、後から思えば、それも自分をじらして・気を惹く為にわざと怒らせる振りをしたのか知らんと思うところもあり、それで園子は気を許して・ますます深みにはまって、光子に振り回されます。光子の心理はよく理解できないところがありますが・これは当然なことで、小説は園子の告白形式で書かれており・園子の視点で書かれているのですから、つまり園子の把握している情報しか入って来ないわけで、読者はその情報からしか光子を判断できないわけです。よくよく小説を読んでみれば園子が光子についてあれやこれや考え ・憶測して、時に怒ったり・時にヤキモキしたり・不安になったり・喜んだりしているのは、それは園子が勝手にそうしていること・あるいは勝手にそう感じていることであって、もちろんそれは園子なりの理由があってのことですが、それは光子が本当は何を考えているかという事とは・それは全然別の問題であるということなのです。 このことは園子にとっての夫柿内や綿貫の考え・行動についても同じことが言えます。

逆から見るならば、小説「卍」は主人公園子の心象風景を綴っているのであって、園子の周囲で起こっている様々な出来事はすべて埒外(心の外)のことであると言うこともできるわけです。そのように考えれば、文楽の「心中天網島」の舞台を見ながら斯波要が感じたことをそのまま当てはめることができると思います。

『此れだけの人間が、罵(ののし)り、喚(わめ)き、啀(いが)み、嘲(あざけ)るのが――、太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが――みんな一人の小春を中心としているところに、その女の美しさが異様に高められていた。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その3)

周囲の人物が騒ぎまわるなかで、小春だけが目をつぶって・じっと顔を伏せたまま動かない。小春だけが騒ぎの埒外にいて静寂を保っているように見える。視覚的に見れば、そのような場面なのです。小春の動かない・静かな佇まいが、斯波要を惹きつけているように見える。「蓼喰う虫」のこの場面は、一般的にそのように読まれており、谷崎潤一郎の日本回帰の例証としてしばしば取り上げられます。しかし、そうではないことは別稿「生きている人形〜「蓼喰う虫」論」で論じた通りです。視覚的には静寂を保っている小春の心のなかで、大きな渦が轟音をあげて回転しているのです。心理的観点からみれば、この場面の小春こそ最も動的であると言えます。このことは人形遣いを観察するならば容易に分かることです。このような静止した人形の姿勢を長く維持する為に、三人の人形遣いは長時間息をためて筋肉を硬くしていなければならないのです。人形がじっとしている場面こそ、人形遣いが最も辛い箇所なのです。谷崎はそういうことをちゃんと 観察したうえで文章を書いているわけです。

「卍」でのすべての出来事は主人公の埒外(心の外)で起こったことであるとしても、実は園子の心のなかは激しく渦巻いているのです。「蓼喰う虫」の上記の場面に日本趣味を読もうとする方は「卍」」にはドタバタした喧騒な気分ばかり感じて、同じ時期に並行して書かれた「蓼喰う虫」と「卍」との共通項を見い出すことはないだろうと思います。しかし、よく読むならば、両作品は表と裏の関係のように、ひとつのテーマを追っているのです。登場人物の心理のなかに分け入れば、主人公がじっとひとつ事を考えている時こそ、心のなかが激しく渦巻いている・それが最も動的な場面であることが明らかなのです。むしろ、主人公が泣いたり・喚いたりするならば、それは心のストレスが行動のエネルギーに変換されて発散されているということですから、心のストレス値はいくぶん低くなるということが言えます。

もちろん埒外であると言っても、園子のなかの光子と、夫垣内あるいは綿貫の比重は比べ物になりません。園子の心のなかに占める光子の比重はそれほど大きいものです。「その6」において二重星のことを例に挙げました。二重星とは 近距離にあるほぼ質量が同じふたつの恒星が互いに引き合って不思議な回転 をする特殊な天体のことを言います。園子と光子はちょうどそのような関係にあると考えて良いでしょう。(ふたつの恒星の質量が大きく異なりますと、大きい方の恒星が中心に居座って・片方がその周りを旋回することになり、二重星にはなりません。) このような二重星が惑星を持つとするならば、その惑星はふたつの恒星から影響を受けて傍からみればまったく予測が付かない不思議な フラフラした軌道を示します。夫垣内あるいは綿貫の行動はそのように考えればよろしいものです。そして、小説は最後には三人心中というような予想も付かない展開を示す(結果的には園子だけが取り残される)ということになります。 これは旋回していた惑星が突然軌道を失って、恒星のなかに飛び込むようなものです。それはふたつの恒星が作り出す重力場のバランスが崩れることによって生じるのです。谷崎は、園子と光子というふたりの主人公の「小説」という重力場のバランスの微妙な変化を感じ取りながら、筋を展開させているわけです。(この稿つづく)

(H23・6・19)


15)ゴシップ実話の置き換えではない

谷崎の小説「蓼喰う虫」や「卍」についての評論は数多くありますが、吉之助が気になるのは、そのほとんどが主人公の夫婦間の不一致という問題に関心を置いているということです。まあ、そうなるのも理由がないわけではありません。つまり執筆当時(昭和3年〜5年頃)の谷崎と妻千代との関係のことです。昭和5年に谷崎は千代と離婚し・千代が佐藤春夫に再嫁する旨の挨拶状を関係者に送って、これは細君譲渡事件として世間をスキャンダラスに騒がせたものでした。千代と佐藤とのことはそれ以前の十年間ほどの 紆余曲折の経過があるもので・本稿では触れる気はないですが、その印象があまりに強烈な為か、文学研究者はその辺の経過を投影して谷崎の作品を読もうとし勝ちです。「蓼喰う虫」の結末を斯波夫妻が離婚すると決め込んだ評論が多いのもそうです。確かに実説の方は離婚に至ることは誰でも知っていますが、小説の斯波夫妻の方は美佐子の父親である老人が離婚を思いとどまるように説得中であって・最終場面でその結論はまだ出ていないのです。「蓼喰う虫」において夫婦が離婚するかしないかなどということは、実はどうでも良いことなのです。例えば巷間の評論でよく引用される部分を挙げてみます。主人公斯波要が老人とお久との淡路の旅を終えて神戸にいる愛人ルイズを訪ねた後の記述です。

『「たった一人の女を守っていきたい」と云う夢が、放蕩と云えば云えなくもない目下の生活をしていながら、いまだに覚め切れないのである。妻をうとみつつ妻ならぬ者に慰めを求めて行ける人間はいい、もしも要にその真似が出来たら美佐子との間にも今のような破綻を起こさず、どうにか弥縫(びほう)して行けたであろう。彼は自分のそう云う性質に誇りも引け目も感じてはいないが、正直なところそれは義理堅いと云うよりも寧ろ極端な我がままと潔癖なのだと自分では自分では解釈していた。国を異にし、種族を異にし、長い人生の行路の途中でたまたま行き偶ったに過ぎないルイズのような女にさえも肌を許すのに、その惑溺の半分をすら、感ずることの出来ない人を生涯の伴侶にしていると云うのは、どう思っても堪えられない矛盾ではないか。』(谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」・その12)

芸術家は自分の生活や体験のなかから作品の材料を見つけ出すものです。人間がそうならざるを得ないのは当然のことですが、芸術作品というのは自分の生活や体験の置き換えではないのです。それは芸術家の心のなかで昇華 して・まったく別のものに転化して出てくるものです。上記の引用を当時の谷崎の千代に対する気持ちであると読もうとすれば、確かにそのように読めると思います。特に矛盾もないようです。そのような読み方をなさる方は、斯波要に谷崎を当てて・美佐子に千代を嵌めて小説を読むわけです。そして精神分析よろしく作品の細部から作者の本心・創作の秘密を探り出そうと試みる、まあそんなところでありましょうか。それが科学的あるいは学究的な読み方だと信じていらっしゃるのでしょう。しかし、小説が作者の生活の置き換えに過ぎないものであるならば、そんな小説を他人がわざわざ読む必要などないのです。谷崎の書いたものは自らのゴシップ実話の置き換えなどでは決してなく、谷崎はもうちょっと次元の違うものを書こうとしたと吉之助は思いたいのですがねえ。

要の言い分と似たような気持ちを当時の谷崎は持ったことがあったのかも知れません。しかし、作家としての谷崎はその気持ちを第三者的に醒めて顧て、これを材料に使用しているのです。文章をよく読めば分かりますが、これは実に身勝手な男の言い分なのです。要は「俺はこんな放蕩をしたくてしているんじゃないんだ・・・」と言い訳しているのです。要は、自分がこれが遊びだと割り切れるような男ならばいいんだが・・生憎そうじゃないんだ・・と言い訳しているのです。そして、それは「たった一人の女を守っていきたい」と云う夢を妻がかなえてくれないから仕方ないんだと言い訳しているのです。要の言い分の身勝手さをよく分かっていて谷崎がこの文章を書いているということは、当たり前のことなのです。美佐子は小説では一方的に魅力ない妻にされていますが、それは小説に記述がないからであって、要に言い分があるならば・美佐子の方にも言い分があっても良いのではないでしょうか。しかし、「蓼喰う虫」にはその場面がないから分からないだけの話です。吉之助は、それは裏返しの形で「卍」の方に出て来ると思います。

『わたしと夫とはどうも性質が合いませんし、それに何処か生理的にも違うてると見えまして、結婚してからほんとに楽しい夫婦生活を味おうたことはありませなんだ。夫に云わすとそれはお前が気儘なからだ。何も性質が合わんことはない、合わさんようにするよってだ。巳の方は合わすように努めてるのんに、お前がそう云う心がけにならんのがいかん。(中略)と、いつもそうない云うのんですけど、私は夫の世の中悟りすましたような、諦めたような物の云い方が気に入りませんよって、(中略)あんた大学では秀才やったそうやさかい、あてみたいなもん定めし幼稚に見えるやろうけど、あてから見たら化石みたいな人やわと、云うてやったこともあります。いったいこの人の胸にはパッション云うものがあるのかしらん?この人でも泣いたり怒ったりびっくりすることあるのかしらん。』(谷崎潤一郎:「卍」・その7)

このすぐ後に「それが光子さんのことや、いろいろの事件惹き起こす元となったのんです。」という文章が続きます。だから夫婦の生理的不和が「卍」の異常な性愛事件の発端になっており・これは「蓼喰う虫」と同じく谷崎文学のなかの共通したテーマであるというようなことがよく言われます。しかし、吉之助に言わせれば、それは全然関係ないことなのです。それは小説のプロットに過ぎません。夫婦の生理的不和など小説の筋を回すための動力に過ぎないのです。別稿「生きている人形」をお読みになればお分かりかと思いますが、この「卍」での園子の言い分を重ねてみれば、「蓼喰う虫」での美佐子の言い分は「あなた(要)はおんなは馬鹿で幼稚な生き物で、おんなは人形で良いと思っているのでしょうけれど、わたし(美佐子)だって人間なのです・わたしにだって感情があるのです」ということなのです。谷崎はちゃんと自分の身勝手さが分かっているのです。谷崎はそのことを第三者的に冷静に分析して、完璧にコントロールして登場人物を動かしているのです。そのことは 短編「おさん」で太宰治が書いた女房の台詞(本稿・その1で引用)と、実はそれほど遠いわけではないのです。要の身勝手な言い分と比べて見れば分かります。

『他のひとを愛し始めると、妻の前で憂鬱な溜息などをついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめ、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻をまったく忘れて、あっさり無心に愛してやってください。』 (太宰治:「おさん」)

夫の言い分は、俺はこんな放蕩をしたくてしてるんじゃないんだ・・・自分がこれが遊びだと割り切れるような男ならばいいんだが・・ということです。女房はそれを笑っているという構図です。谷崎の小説の主人公の振る舞いは、太宰のそれ(自己卑下的な道化の振る舞い)とは全然違うように見えるかも知れませんが、その違いというのは実は表面的な違いなのであって、根にあるものはまったく同じであることが明らかです。(谷崎と太宰の違いは時代の違いに発するものでしょう。機会があれば、そのことにも触れたいと思いますが、本稿においては指摘するに留めます。)それにしても、同じ近松の「心中天網島」 を見ながら(読みながら)谷崎と太宰が同じようなことを考えていた(らしい)というのが、吉之助にはとても興味深く思われるのです。(この稿つづく)

(H23・7・17)


16)操られている人形

ですから「卍」と云う小説は女同士の同性愛と光子をまぐる男たちの動きを絡み合わせ谷崎お得意の変態性欲を扱った作品であると巷間よく言われますし、世間の興味はどうしてもそういうところに行くと思いますが、吉之助はむしろ小説中の夫・柿内の行動の変化の方に興味がそそられます。

柿内は最初は妻・園子と光子との関係を不愉快に感じて、ふたりの交際を禁じたりもします。しかし、いつしか柿内は園子と光子の関係に興味を持ち始め、いろんな場面に関与し始めます。それも最初は成り行き上仕方なく係わる・・という感じですが、次第に積極性が増してきます。明らかにその後の柿内は主体的に園子と光子の間に割り込んでいくようになっていきます。妻に「いったいこの人の胸にはパッション云うものがあるのかしらん?この人でも泣いたり怒ったりびっくりすることあるのかしらん。」と馬鹿にされていた偏屈男が、最後には妻との一体感を見出したかのような異常なはしゃぎぶりを見せています。

『それで枕もとの壁にあの観音様の画像飾って、三人よってお線香上げて、「この観音様の手引やったら、あて死んだかて幸福や」と、わたしがそない云いましたら、「僕ら死んだら、この観音様『光子観音』云う名アつけて、みんなして拝んでくれたら浮かばれるやろ」と夫も云うて、彼の世い行つたらもう焼餅喧嘩せんと仲好う脇仏のような本尊の両側にひッついてまひょと、光子さん真ん中に入れて枕並べながら薬飲みましてん。』(谷崎潤一郎:「卍」・その33)

「心中天網島・紙治内」では、おさんに小春を助けてくれと訴えられた治兵衛が「そうは言っても小春を身請けする金がどこにあろうか」とつぶやくと、おさんは「ノウ仰山な、それで済まばいとやすし」と言ってその場に新銀四百目を投げ出して夫を驚かせます。さらに「箪笥をひらり」と開けて鳶八丈などの着物を取り出します。ここでのおさんは、夫の恥をすすぐのと・女同士の義理を果たすということで一種の躁状態になっています。それが「箪笥をひらり」という描写に表れています。恐らくおさんはその時に冶兵衛との夫婦の絆を確認したような気分になっているのです。柿内の場合も、光子を介在させたなかで、夫婦の絆を確認したようなところがあるのかも知れません。

『あんたこそお人好しのぼんぼんやないか。あんたみたいな人欺(だま)すぐらいじッきやわ』と夫を嘲弄していたはずの園子が、いつの間にやら本気になって割り込んできた夫にお株を取られていきます。小説を読むと、このような展開は多少の無理もあって、確かにストーリー的になだらかとは言い難い感じがします。事実谷崎は執筆に難渋したようです。「卍」は同時期の「蓼喰う虫」よりも先に着手されたにも係わらず・完成したのはそれよりも遅く、しかも谷崎は何回か原稿に大幅に手を入れたようです。しかし、この急転直下のようなストーリー展開こそが谷崎の「卍」の核心であると吉之助は考えます。谷崎は「蓼喰う虫」の夫婦関係を今度は妻の方から見る形で裏返して見せたのです。

柿内は妻との縒りを戻したかったのでしょうか。それとも光子の方に興味があったのでしょうか。変態趣味に興味があったのか。それとも自分の意志ではないところで・間にはさまって・成り行き上どうにもならなくなってしまったのか。俺はこんなことをしたくてしてる訳じゃないんだ・・・自分がこれが遊びだと割り切れるような男ならばいいんだがね・・・柿内がそんなことをぶつくさ言いながら、妻と光子の間に次第に割り込んでいくのが見えるようです。そして最後に三人心中に至るわけです。小説はあくまでも妻である園子の視点で書かれていますから、小説からだと柿内の本心は見えてきません。柿内は外部から操られている人形のようにも見えます。それは二重星の周りを旋回していた惑星が突然軌道を失って、恒星のなかに飛び込むようなものです。それは園子と光子というふたりの主人公の間にある「小説」という重力場のバランスが突如として崩れるから起こるわけです。これは近松の「心中天網島」からインスピレーションを得た谷崎の実験であったということです。

(H23・8・6)

(後記)

*関連記事として、別稿「原作準拠による「心中天網島」」もご参照ください。

*本論考中の引用文章は蓼喰う虫 (新潮文庫)卍 (新潮文庫)を参照しています。

*本稿の姉妹論というべき「生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論」もご覧下さい。



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