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写実の黙阿弥のために

平成19年6月歌舞伎座:「盲長屋梅加賀鳶」

九代目松本幸四郎(二代目松本白鸚)(道玄・梅吉)、 二代目中村吉右衛門(松蔵)


1)言葉と音楽

『世話物っていうものは人間描写なんでしょう。その面白さでしょう。だから僕は黙阿弥は世話物じゃないと思う。「三人吉三」なんか、時代物だな。「月も朧に白魚の・・」、人間がそこに出てませんよ。昔の人は、よく空っ世話っていったんですよ。空っ世話でいいねとか。いま言いませんけどね。それは要するに七五調にならないんですね。今で言う現代劇ですね。』(宇野信夫の対談:「世話物談義」・「演劇界」昭和57年7月号)

「昭和の黙阿弥」と言われた作家宇野信夫氏が先代国太郎との対談でこんなことを言っていました。なるほど自然主義演劇の立場で黙阿弥を見れば、まずお嬢吉三のツラネ自体が許せないと思います。突然、写実のお芝居にオペラのアリアが出現するようなものだからです。おまけに「月も朧に白魚の・・」とは何言ってんだいと宇野氏が感じるのは分る気もします。確かに現代の黙阿弥は様式・情緒という方向に傾いています。「黙阿弥の本質は様式であり・情緒である」と言う見方もそこから出てくるのだろうと思います。しかし、現代の黙阿弥の舞台が「人間を描けていない」と感じるのは本当に作者黙阿弥が悪いのでしょうか。

「世話物」とは宇野氏の言う通り・本来・江戸の市井の人情・風俗を写実に(リアルに)描くものです。宇野氏は対談のなかで「空っ世話」ということを言っています。最近は「空っ世話」ということをほとんど言いませんが、要するに様式の要素が少ない・写実の芝居のことです。空っ世話の台詞というのはごく普通の話し言葉のことを言います。これが世話物の台詞の原点です。こうしたごく普通の話し言葉をどのような形で黙阿弥の様式に高めていくのかが大事なことになります。黙阿弥の台詞廻しを考える時にいきなり「歌う」ということを意識するのではなく、まず言葉の抑揚をじっくりと噛み締めながら・その台詞が内的に求めるリズムを想像してみなければなりません。

西洋音楽では歌曲の作曲は一番難しいものとされていて、器楽から始まって・メヌエットを書く・変奏曲を書く・ソナタを書く・そしてオーケストレーションを学ぶ、そうしたことの後で最後に最も難しいものとして歌曲の作曲を学びます。「音楽が先か・言葉が先か」というのは西欧の声楽に常につきまとう命題です。 しかし、シューベルトの見事な歌曲を聴くと、言葉の抑揚と旋律が不思議なほどぴったり合っていて・旋律が言葉の意味や情感をさらに高めている事実に驚嘆します。言葉から旋律が紡ぎ出されたのであろうか・それとも旋律が言葉を生み落としたのだろうかと、そんな思いに捉われます。

ドイツの名歌手ディーリッヒ・フィッシャー=ディースカウは歌唱における朗読の必要性を重視し、歌曲を学ぶ学生には朗読を強く薦めています。また自身朗読の録音も多く残しています。歌好きの人のなかには「F=ディースカウの歌は朗読を聞いているみたいだ」と言って好かない方もいるようですが、吉之助にとってはその読みの深さと・音楽と言葉の関連をF=ディースカウほど痛感させる歌手はおりません。シューベルトはともかくとして・ 特にヴォルフの歌曲に関してはF=ディースカウ以上の歌手はいないと吉之助は信じております。(女声ではやはりシュヴァルツコップがお奨めでしょう。)耳当たりは良くても・言葉が耳元をさらっと撫でて通過してしまう歌手はごまんと いますけどね。F=ディースカウは言うには、まず楽譜を見る前に歌詞をゆっくり声を出して何度も読んでみることだと言うのです。するとその言葉自体が「ここはゆっくりと・ここはちょっと早く・ここは強く激しく・ここは弱く優しく」という自然な息の流れを持っていることが次第に感じられるのです。優れた作曲家は歌詞の自然な息の流れを音楽のなかにすくい取っています。その息の流れを感じ取れることで・まるで言葉から旋律が湧き出てくるような感覚が得られるのです。そうやって言葉は音楽と一体化し、旋律が写実の意味を帯びてきます。

「それは歌曲の場合だろう・芝居の台詞は音楽じゃないんだから」と思われるかも知れませんが、そうではありません。素晴らしい台詞廻しはしばしば音楽を聞いている ように感じられて陶然とします。「台詞廻しが音楽的だ」というのは役者に対する最大の賛辞です。もちろん「語るように歌う」のと「歌うように語る」のとは違います。しかし、それはどこにスタンスを置くかの違いに過ぎず、方法論としてはまったく同じです。歌うように語る時、台詞は様式感を帯びてきます。もちろん芝居の台詞は言葉であって・音楽ではありませんから、台詞は写実にスタンスを置かねばならないことは言うまでもないことです。

この方法論は黙阿弥の七五調に限りません。劇作家はそれぞれ独自の文体を持ち・独自の息で台詞を書いています。役によってそれぞれ口調を書き分けているようでも・やはりそこにその作家独自の息というものがそこにあるのです。近松門左衛門には近松の台詞の息があり、鶴屋南北には南北の台詞の息があるのです。その違いを感じ取らねばなりません。台本をもらったら・まずゆっくりと台詞を声に出して繰り返し読んでみることです。そしてそこに少しづつ緩急強弱の流れを付け加えていきます。そうすると「ここはこれではいけないな・こうした方がいいな」ということが感じ取れてきます。こうして台詞の文体・言葉の抑揚が求めるテンポ・強弱 を探すのです。台詞自身が求めている音楽的な感覚に乗ろうと努めることです。歌舞伎の台詞は歌うものだと決め付けて・最初から型にはまったテンポと抑揚で台詞を言おうとしてはいけません。台詞が音楽的に聞こえることは結果に過ぎないのです。

2)伝統芸能の見方について

別稿「黙阿弥の七五調の台詞術」において、現代の七五調の問題点について触れました。黙阿弥の七五調台詞のリズムの(7)の部分は一音が7分の7、(5)の部分は5分の5の変拍子です。つまり、感覚的に(7)の部分が早く・(5)がゆっくりの繰りかえしの揺れるリズムが「七五調」の基本リズムになります。現代の歌舞伎役者はそのように「七五調」を処理しているでしょうか。ほとんどの役者がすべての音を同じ5分の5のリズムでダラダラと進めていると感じます。つまり、科白のひと区切りが七と五に交互に伸び縮じみしていて・全体がメリハリなく一本調子になっています。だから写実にはほど遠いし、厳密に言えば歌にさえなっていないと思います。これを吉之助は個人的に「黙阿弥のダラダラ調」と呼んでいます。

吉之助が歌舞伎を本格的に見始めた昭和50年代の黙阿弥ものの舞台はもう既にかなり間延びして・ダラダラ調でありました。つまり、晩年の二代目松緑や十七代目勘三郎の台詞廻しのことです。ところが、はるか昔の六代目の世話物の録音などを聴きますと・これが「あれっ、昔の台詞はこんなに生きが良かったの」という軽い驚きがあるのですね。その台詞廻しは感触もサラリとして乾いた感じで・ずっと写実なのです。菊五郎劇団の面々は六代目菊五郎の薫陶を受け・その教えをよく守り・その形をよく伝えましたけれど、形を守ることに気が行き過ぎて・若干テンポが遅くなった弊害があったと吉之助は感じています。ですから、吉之助は晩年の松緑や勘三郎を舞台を見ながら・いつも頭のなかで補正を掛けて・六代目菊五郎の舞台を想像しながら聞いておりました。「ここは六代目ならどうするか・もうちょっと早くして・サラリと 収めるだろうな」という感じです。もっとも吉之助が言っているのは松緑や勘三郎の晩年の舞台のことです。昭和30年代の彼らの舞台録画を見れば・彼らはずっと写実の台詞をしゃべっています。

八代目三津五郎がこんな思い出話をしていました。先輩の舞台を袖で見ていたら、父親(七代目三津五郎)がやって来て「あんなのをお手本にしちゃいけません。お手本は九代目ですよ」と盛んに言うのです。九代目団十郎なんてとっくの昔に亡くなっていて・お手本にしょうにも その舞台を見れないのです。「見れない役者をお手本にしろって言うんだから・・・」と八代目三津五郎は真剣に悩んだそうです。しかし、伝統芸能を見る時には、目の前の舞台を見ながら・その舞台をただ見るのではなく・はるか昔の役者の舞台に思いをはせる・これが役に立つのです。吉之助は 晩年の松緑や勘三郎の舞台を見ながら・いつも五代目菊五郎や六代目菊五郎のことを考えて見ていました。松緑や勘三郎が下手だったと言っているのではありませんので誤解のないように。松緑や勘三郎を今日ならしめた・彼らの芸の基礎になっており・つねに彼らが目標としてきた先達の芸を彼らの芸を通して想像してきたということです。そうやって見ていれば見えるべきものが見えて来るわけです。この後で五代目や六代目の芸談を併せてお読みになれば・その舞台を見ていなくたって・もう見たようなものです。五代目や六代目の芸を知ろうと思えば、現代の我々にはその手しかないのじゃありませんか。

最近の黙阿弥ものを見ると感じるのは、父親世代のゆっくりしたダラダラ調の反動なのか・反省なのか・七五調の台詞が逆に早くなっていることです。しかし、テンポが早くなったからと言って・良いわけではありません。科白のひと区切りが七と五に交互に伸び縮じみして・台詞が全体がメリハリなく一本調子なことは全然変わっていないからです。むしろ、テンポが早くなった分・今度は言葉が聞き取れなくなっています。意味を持った台詞に聞こえず・どこを聞いても 上っ面で同じように聞こえます。タラタラのリズムの一本調子です。これを吉之助は「黙阿弥のタラタラ調」と呼びたいと思います。これならば父親世代の晩年のダラダラ調の方が言葉が聞き取れる分だけましと言うものです。これが「様式的で・音楽的な黙阿弥の七五調」でしょうか。こういう台詞廻しなら確かに宇野信夫氏の指摘通り・「人間がそこに全然描かれていない」と思います。結局こういう勘違いが起こるのは、七代目三津五郎の教えの通り・父親たちの舞台を見る時に「お手本は五代目菊五郎や六代目菊五郎だ」と思って見ていないから起こるわけです。舞台を見ながら・その舞台だけを見ないことです。思いははるか昔に置かねばなりません。

3)空っ世話について

平成19年6月歌舞伎座の「加賀鳶・勢揃い」の場ですが、居並ぶ火消したちの台詞廻しがそれぞれ自分勝手にしゃべっていて、トーンが揃っておらず・統一が見えません。「前の役者の台詞を受けて・ 自分がしゃべる」と言う意識がどの役者にもないようです。しかし、ここは連ね台詞・割り台詞なんですよね。昔はこんなことはなかったのですが。いや・そんな昔でもないんですけどね。こういうことは座頭格がしっかりチェックするものじゃないだろうか・・・などと思っていたら、肝心の幸四郎の梅吉と・吉右衛門の松蔵の七五調の台詞が タラタラ調なので落胆しました。この「勢揃い」は梅吉が騒動を身体を張って止め・その意気に感じ入った松蔵が一同を収めるという場ではなかったかと思いますが、そのような熱いドラマが舞台に見えません。幸四郎も吉右衛門も早いテンポでリズ ミカルに何かまくしたてていましたが、言葉が表面的に耳を通り過ぎて何も残りません。お経のように見事なタラタラ調です。「黙阿弥はドラマじゃないよ・様式美だよ」ということなのでしょう。身体を張った男と男の 生のぶつかり合いには見えず、松蔵と梅吉の間に事前に手打ちの下打ち合わせが出来てるみたいですねえ。最後に堂々とした感じで花道を入る時は確かにカッコ良かったですけどね。

「質屋」のゆすり場での道玄と松蔵のやりとりもタラタラ調ですねえ。七五調がサラサラと流れて・口先だけの気分がこもらない表面的な会話が続いて、緊迫感あるゆすり場のやりとりとはとても思えません。それにしても幸四郎や吉右衛門ほどの役者がこうな るのは・やはり本人たちに「黙阿弥の芝居は様式的に見せるもので・内容じゃない」という・根本的な誤解があるのでしょう。おそらく本人たちは約束事をきっちり守って・型通りの芝居をやってる「つもり」なんだと思います。意識的にリアルではない演技をして・これが黙阿弥の様式だと思っているように見えます。それだから余計に困るのです。いっそのこと型通りの七五のリズムをぶち壊してでも・空っ世話のリアルなゆすり場を見たいと思います。

「空っ世話」について考えてみます。「加賀鳶・お茶の水」での殺し場の幕切れですが、按摩の道玄が笛を吹きながら去っていく・それを聞いて松蔵が「ああ按摩か・・」というのは黙阿弥らしい幕切れです。この場の殺し場は「だんまり」と言うわけではありませんが・暗闇のなかですべてが秘密裡に行われ・すべてが無言で通されます。それは「だんまり」に似て様式的で・時代物的な雰囲気を持っています。その雰囲気が按摩の笛の鋭い響きで破られます。冷たい夜気を含んだその響きを受けての松蔵の台詞「ああ按摩か・・」は舞台の雰囲気を一気に世話に引き戻すものです。この台詞は本来空ッ世話で言われるのが正しいのです。これが黙阿弥が設計した世話の幕切れです。

これでお分かりの通り、黙阿弥が・もっとも黙阿弥らしい箇所は時代の空気がさっと世話に返る瞬間です。世話から時代へ・時代から世話への揺り動きが黙阿弥の基本です。七五調の(7)の部分が早く・(5)がゆっくりの台詞の 揺れるリズムはここから来るものです。しかし、黙阿弥の場合には時代から世話に移る時に「返る」というイメージが絶対に必要です。「返る・戻る」という感覚を起こすためには演技の基調を世話に置かねばなりません。当然のことですが・黙阿弥は世話物だからです。ということは・肝心の最後の台詞は世話で決めねばならないということは明らかなのです。引き伸ばしたり・張り上げたりせず、サラリと低めに流すのがリアルな世話の台詞です。引き伸ばしたり・張り上げたりすると台詞は時代の方向に傾いてしまいます。

このことはしばしば間違えられています。現代の黙阿弥ものでは幕切れの台詞がたっぷりと言われることがしばしばです。今回の吉右衛門の松蔵の「ああ按摩か」の台詞回しは時代と言うほどではなくても・抑揚を以ってたっぷりとしています。「あ〜あんまかァ」というように聞こえます。按摩の「あ」の字を高い調子で入るから歌う感じになるのです。これでは時代めいた様式的な幕切れになってしまいます。もっとサラリと流さないと世話にはなりません。

また、この舞台に限ったことではありませんが・下座の使い方にも問題があります。例えば登場人物が「こういうわけでございます。お聞きなされてくださいませ・・」と言うと下座がシャンシャンとなり始めるのは世話物ではよくある場面ですが、こういうのは本来は時代物での下座の使い方です。ずっと昔の江戸時代には世話物で下座を使う場面はずっと限られていたものでした。役者が台詞が通らない発声をしているということもありますが、現代の歌舞伎の下座を聞いていると・下座が役者の台詞を邪魔しているようにさえ聞こえる事がしばしばです。世話物に関しては思い切って下座を半分くらいに減らせば・かなり芝居は写実に見えてくるでしょう。黙阿弥が音楽劇だなんて・そういう思い込みはやめにしたいと思います。世話物とは江戸の市井の人情・風俗を写実に(リアルに)描くものなのです。

最後に幸四郎の道玄ですが、初演(平成17年1月)より手馴れた分・悪くなっています。法界坊が按摩になったのかと思うような受け狙いの道玄です。確かに道玄には愛嬌めいた要素はあります。そのように五代目菊五郎の型は出来ていると思いますが、決して「愛嬌が売り」の役ではありません。ギラリとした悪のなかに・ふっとこぼれる愛嬌でしょう。あるいは道玄本人としては悪の余裕を気取っているつもりの滑稽です。六代目菊五郎の道玄が「質屋」のゆすり場で煙管片手に松蔵の方をに睨みつけている凄みのある舞台写真が残っています。この六代目の写真から道化みたいな道玄が想像できるでしょうか。これだけで・幸四郎の道玄はどこか間違ってるという立派な証拠になります。松蔵にお茶の水での殺しの件を指摘されて、ふてぶてしい態度をしていた道玄がアッと口を開けて・煙管を落として間の抜けた表情を見せるのは、確かに歌舞伎の型です。六代目もこの変化が良かったでしょうねえ。しかし、六代目は一瞬間の抜けた表情をして見せてから・サッと表情を締めて元に戻したと思いますよ。だからその瞬間の変化が効くのです。六代目の舞台を見てなくたって・この写真一枚からそのくらいは分かります。客席からこれほど頻繁に笑いが起こる道玄はどこか間違っています。

*上の写真は六代目菊五郎の道玄

 道玄は「四代目小団次が演じた村井長庵のような悪人が演りたい」という五代目菊五郎の希望で黙阿弥が書いたものでした。五代目菊五郎は恐らく自分の仁に合っていないということで・長庵を一度も演じていません。だから黙阿弥は五代目の仁に合うように道玄を書いたと考えるのが普通ですが、五代目は「長庵のような悪人」とわざわざ指定しているのです。ならば道玄の性根をどこに置くべきかは歴然としています。道玄の性根は愛嬌ではなく「ギラリとした悪」なのです。それは六代目の写真を見てもわかります。実直そうな按摩が突然強盗に変わるから・ 瞬間の変化が効いて怖いのです。始めからこれみよがしに「私は何かやらかすつもりです」と言う按摩が出てきて強盗やっても・そりゃあ人気役者がやることですから客は反応しますよ。しかし、そういう芝居はリアルなのですかね。幸四郎の道玄は客の笑いを取ろうとして・熱演すればするほど・リアルから離れていく気がしました。幸四郎は凄みのある道玄を演ろうとすれば・本物の道玄が出来る役者なのですから・黙阿弥のリアルということに立ち戻って欲しいと思います。世話物とは江戸の市井の人情・風俗を写実に(リアルに)描くものなのです。ともかく幸四郎・吉右衛門という現代歌舞伎の二枚看板が共演の舞台でこれでは黙阿弥ものの将来はちょっと暗いなあ・・・というのが正直な気分でした。

(H19・7・15)

(後記)

別稿「クリティカルな黙阿弥のために」もご参照ください。

名作歌舞伎全集 第12巻 河竹黙阿弥集 3




 

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