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十代目幸四郎初役の大学之助・太平次

令和5年4月明治座:「絵本合法衢

十代目松本幸四郎(左枝大学之助・立場の太平次2役)、初代片岡孝太郎(うんざりお松・弥十郎妻皐月2役)、三代目中村又五郎(高橋弥十郎後に合法)、四代目中村歌昇(道具屋与兵衛)、八代目中村芝翫(高橋瀬左衛門)、十一代目市川高麗蔵(太平次女房お道)、初代中村種之助(お亀)、初代片岡千之助(お米)、四代目中村歌之助(孫七)他


)幸四郎の歌舞伎リーディングのこと

本稿は、令和5年4月明治座での、通し狂言「絵本合法衢」の観劇随想です。幸四郎が左枝大学之助・立場の太平次2役を初役で勤めるのが話題です。吉之助が「絵本合法衢」を初めて見たのが昭和55年(1980)4月国立小劇場でのことで、この時に大学之助・太平次を勤めたのが六代目染五郎(二代目白鸚、当時37歳)でした。巡り巡って息子の幸四郎(50歳)が同じ役を演じるのだから、感慨深いと云うか、吉之助も随分長く芝居を見て来たものです。ただ幸四郎はこれらの役をもう少し早く演じていても良かったのじゃないのかと思いますね。このところの幸四郎は優男系に傾斜気味のようですが、大学之助・太平次は高麗屋にとって大事な役だと思います。

今回の明治座公演に先立つ取材会で、幸四郎が「去年くらいから、南北の全作品を洗い直して上演したいと思うようになりました」と語ったそうです。そのうちの少しでも多く実現してくれれば良いと思います。先日(2月14日)のことでしたが、幸四郎が参画している「伝承ホール寺子屋」という渋谷区地域密着型伝統芸能プロジェクトで、幸四郎・歌之助他による、珍しい「歌舞伎リーディング」の試みが行われました。そこで歌舞伎研究家の古井戸秀夫先生が復刻した四代目南北の珍しい狂言「春商恋山崎」(はるあきないこいのやまざき・文化5年1月江戸中村座初演・南北全集未収録)の一部が取り上げられたのです。吉之助も題名しか知らない作品でしたが、これは「引窓」で有名な「双蝶々曲輪日記」の書替狂言で、引窓与兵衛が盗み騙りを働くというものです。南北らしいひっくり返しの趣向です。これを幸四郎・歌之助が、鳴り物付きで・最初のうちは台本片手で台詞をしゃべって演じました。もちろん化粧なしの素の衣装での演技です。興が乗って来ると、そのうち台本を置いて所作付きになって立廻りも見せました。立ち稽古を見学しているみたいで、とても興味深く見ました。幸四郎はもちろんのことですが、歌之助も頑張って感心しました。劇場での上演が無理であるならば・こんな感じで「リーディング」でもしてくれれば、経費もさほど掛からないだろうし、有料企画で公開すれば・これを見たい歌舞伎ファンは少なからずいると思いますけどねえ。兎に角今の若手は古典の経験が少な過ぎですから、このような「リーディング」形式ででも、古典の場数を多く踏んで欲しいと思います。

そこで「リーディング」で幸四郎が演じた盗賊引窓与兵衛のことですが、これは初演では実悪の名人と云われて・南北物に欠かせない名優五代目幸四郎が演じた役でした。昼は万引き、夜は強盗と云う二つの顔を持つ男。ちょっと間の抜けたコミカルな面があるかと思えば、ギラッと凄みを見せるところもあると云う具合で、なるほど五代目幸四郎向きのキャラクターだなと思いましたが、幸四郎も手探りで演じていたと思うし・吉之助も初めて見る(聞く)役なのでやはり手探りでしたが、吉之助のイメージからすると・これは南北の生世話物なのですから・引窓与兵衛はもう少し実事に近い感じにお願いしたいなあと思いました。現在の幸四郎の芸風であると、コミカルな味が勝つと言うか、そこがキャラクター的に軽い感触になってしまうようです。お人好しの・ちょいワルに見えてしまうのが、ちょっと不満に感じるのです。今回(令和5年4月明治座)「絵本合法衢」の立場の太平次を見ていて、そんなことなど思い出しました。(この稿つづく)

(R5・4・10)


返り討ち物の骨格

今回もそうですが、戦後昭和に入ってからの「絵本合法衢」上演で、「立場の太平次」と通称(副題)が付く場合があります。どうして副題が付くかと云うと、これには歴史的な経緯があるようです。恐らく大正15年(1926)10月帝国劇場での・二代目左団次による復活上演・この時の上演外題は「敵討合邦辻」と云いましたが、この時の上演が立場の太平次の場面を中心にした復活脚本であったからです。そのせいで「絵本合法衢」のメインは立場の太平次だと云うイメージが付いたと思います。この次の上演が昭和40年(1965)10月芸術座で八代目幸四郎(初代白鸚)による復活になりますが、この時に初めて「立場の太平次」と通称が付されました。以後、吉之助が見た昭和55年(1980)4月国立小劇場にも「立場の太平次」の通称が付いていました。

「絵本合法衢」を眺めると、大学之助の殺しは御家騒動の枠組みのなかで起こることなのでさほどの新味はない、太平次の殺しの方が派手で目立って面白いと云うことなのかも知れません。芝居をエンタテイメントで楽しむ分には、太平次をメインに見立てて何の不都合もないと思います。しかし、「絵本合法衢」と云う作品を考えるためには、ここはやはり大学之助をメインに据えて考えなければなりません。大事なことは、「絵本合法衢」は返り討ち物だと云うことです。(別稿「返り討物の論理」をご参照ください。)芝居では、大学之助を敵として追う高橋家の係累を、大学之助が次々と返り討ちにします。太平次は大学之助の意を受けて殺しをするに過ぎないのですから、あくまで大学之助がメインなのです。仲間が討たれれば、次の仲間がまたこれを追う、そして最後に大学之助を討って宿願を果たす、これが返り討ち物の骨格です。

しかし、敵を追う正義の側の高橋方の決定的な弱みは、みんなバラバラに敵を追っており、力を結集していないことです。そこを大学方に切り崩されます。例えば大詰・合邦庵室では合法(高橋弥十郎)と道具屋与兵衛が出合います。実は二人は幼い時に別れた兄弟なのですが、互いに素性を知りません。そうこうしているうちに、大学方の刃が与兵衛に迫ります。互いが兄弟であると分かった時には、時すでに遅く、もう弟の命は尽きようとしていました。このように芝居のなかで、高橋方は兄弟縁者が力を合わせることなく・バラバラで、次々に返り討ちされて行きます。あとで芝居を思い返してみれば、ああここで高橋方が殺された・・あれも高橋方・・これも高橋方・・またもや高橋方が・・と云う感じに芝居が書かれているのです。

ところが芝居を見ると人物関係が分かり難い。芝居が終わった後から見れば、この箇所で人物関係が分かるとか言われそうですが、まあ脚本を見れば十分と言わないまでも確かにヒントは出ているのです。しかし、そう親切には書かれておらぬので、芝居を見ながら人物関係を繋ぎ合わせろと云われても、それはなかなか難しいことです。

例えば太平次がうんざりお松を殺しますが、芝居をちょっと見ただけではどうしてお松が殺されなきゃならぬのか、俄かに理解し難いと思います。太平次は理由を何も語りません。吉之助も初見の時は随分考えたものでした。お松が用済みになったから殺すのか、ベタベタされると煩わしいから殺すのか、いずれにせよ大学之助の敵討ちの本筋に関係ない殺しに見えると思います。

しかし、実は本筋と大いに関係があるのです。お松がうっかり落とした臍の緒書きを居合わせた百姓佐五兵衛が拾い上げて、「お前(お松)は俺の女房おわたの妹じゃないか」と看破します。佐五兵衛は、道具屋与兵衛の女房お亀の父親です。この会話を外で立ち聞きしていた太平次が、お松本人は状況をよく理解していないようだが・どうやらお松は高橋方の遠縁に当たるらしい、ここは寝返ったりしないうちにお松を始末しておいた方が良いと考えたからに違いありません。さらに芝居を見直していくと、(この件は太平次は知らないはずですが)序幕・鷹狩りの場で大学之助に惨殺された幼い里松が佐五兵衛の子であるから・つまりお松は里松の叔母に当たるので、お松は大学之助に敵意を抱く立場になり得るわけです。お松が殺されねばならぬ理由はこれでさらに強化されます。芝居のなかの返り討ちで・・あれも高橋方・・これも高橋方・・となるなかに、実はうんざりお松も含まれることになるのです。つまり太平次は「世話場の大学之助」と云うことになるのです。南北はそのように芝居を構成しているわけです。

そう云うことが、芝居を見終わった後で「何だかよく分かんないなあ」とブツブツ呟きながら、筋書・脚本をパラパラめくっていると、そう云う構造が次第に見えてくることになります。そこを補綴・演出の作業で、十全に行かないにしても、出来るだけ芝居を見ただけで観客に分かるように工夫してくれると、有難いのですがねえ。そのためには登場人物紹介の場になる序幕を急ぎ足に仕立てず・観客にたっぷりと見せておく必要があると思います。(この稿つづく)

(R5・4・11)


)幸四郎初役の大学之助・太平次

今回(令和5年4月明治座)の「絵本合法衢」では、幸四郎が初役で大学之助・太平次2役を勤めます。ここ数年の幸四郎は優男系で線が細い印象を持つことが多かったので、今回の悪役2役はどんなものかと・見る前はちょっと心配しましたが、大学之助については意外と太い造りでした。ちょっと重きに過ぎる印象はしましたが、これは大学之助をスケールが大きい時代物の悪人を意識した役作りとすれば、それなりに納得出来るものではありました。一方、太平次については、時代の大学之助に対し・世話の太平次、両者の対照をきっちり付けようと云うことで、キャラクター的に軽い感触にしてしまったようです。現在の幸四郎の芸風だと、どうしてもコミカルな味が勝ってしまいます。これだと生世話の実悪という印象にはならないのだなあ。そこにちょっと不満が残ります。もっと演技を図太くお願いしたいのです

前節で太平次は「世話場の大学之助」と書きました。「絵本合法衢」と云う芝居を、時代の大学之助と・世話の太平次、二人の別箇の悪人が並び立つと云う構図で捉えるのではなく、大学之助という一貫した人格が時代と世話に姿を変えて・二つの方向から高橋家の係累を嬲り抜くと云う構図で理解せねばならないと思います。このため作者南北は「大学之助と太平次は容貌がそっくりだ」と云う設定で五代目幸四郎に嵌めて書いたのです。このことは、南北が生きた文化文政期に変化舞踊が流行したということを思い出せば分かります。「変化」の趣向の本質とは、ひとつの人格が様々な姿に変化する、見た目は変われども・それがひとつの人格であることは変わらないと云うことです。このことは「そこに見えるものはひとつの人格がまとった仮の姿である」という哲学的観念にまで至るものです。(別稿「兼ねることには意味がある」を参照ください。)つまり五代目幸四郎の生世話の実悪の芸とは何かを考えることが役作りの大事なポイントです。

ちなみに「絵本合法衢」には兼ねる役が他にもあります。今回上演ではそういう配役になっていません(別にそのことを批判しているわけではありません)が、初演配役を見れば、倉狩峠の場で太平次に惨殺される孫七(三代目三津五郎)・お米(五代目半四郎)の夫婦が、大詰・合法庵室では合法(三代目三津五郎)・皐月(五代目半四郎)の夫婦として再生し・大学之助を討つように仕組まれています。このことの意味は改めて説明するまでもないと思います。初演配役を見れば、作者南北の意図が読めて来るのです。

大学之助・太平次を「仕分けよう」などと難しいことを考えるから、ややこしくなるのです。実悪という印象で図太く一貫したものを見せれば、それで良いのです。またまた幸四郎(この場合は十代目のこと)が出てきたわいとなって全然構わないのです。そうすれば役作りが随分楽になると思うのですがねえ。そうすると、太平次は生世話の実悪の風を強く、もう少し声を低調子にして・もう少し演技の線を太くすれば良い。一方、大学之助の方は、あそこまで演技を重めに時代に仕立てる必要はなさそうです。もう少し軽みを持たせて良いのでないか。幸四郎の芸風のなかで二つの役の一貫したバランスを見出せばよろしいと云うことになると思いますね。(この稿つづく)

(R5・4・13)


)孝太郎初役のうんざりお松

うんざりお松と云う役は悪婆のカテゴリーに入りそうに思いますが、このことは慎重に考えてみた方が良いようです。稀代の悪婆役者と言えば五代目半四郎ですが、半四郎が「於染久松色読販」(文化10年・1813・3月・森田座)で・代表的な悪婆役である土手のお六で評判を取ったのは、半四郎が37歳の時のことでした。これは「絵本合法衢」初演(文化7年・1810・5月・市村座)から3年後のことになります。一方、「絵本合法衢」初演でうんざりお松を勤めたのは、半四郎ではありません。この時半四郎が演じたのは、前節で触れた通り、お米と皐月でした。初演でうんざりお松を勤めたのは、当時二代目松助を襲名したばかりの・後の三代目菊五郎(当時26歳)でした。(評判記によれば松助のうんざりお松はなかなか好評だったようです。)この経緯からすると、文化7年時点では、悪婆の概念はまだ確立しておらず、世間に悪婆=半四郎のイメージはまだなかったのです。この構図が出来上がるのは、文化10年以後のことかと思われます。とすれば多分うんざりお松は、悪婆という役柄が成立する以前の前段階(プロトタイプ)と見るべきなのでしょうね。

しかし、うんざりお松を見ると、後に南北・半四郎が確立することになる悪婆という役柄が、かなり出来上がっていたことが察せられます。「元は近江の百姓の娘だが、あまっ子の時分から田植えだの何のと土ほぜりが嫌えでね」、それで村を飛び出して・男をとっかえひっかえ・亭主を16人持ったと云うのだから、まあ自立心があると云うか、気儘に生きてきた女なのです。「うんざり」の異名からは、愛嬌も媚態もあるが・そのくせ男に対して拗(す)ねた態度を見せて・決して軽くなびくわけでもない、そんな雰囲気が見えます。これは悪婆の必要条件を満たしているわけですが、うんざりお松の場合には、「こんなはしたないことはホントはしたくないんですよ、でもお主のためだから、仕方ないのヨ」と「女形本来の性質である善人に立ち返る」という大義が性根としてないから、主役級のキャラ(悪婆)として立つまでには至っていないと云うことかと思います。

つまり、うんざりお松は半四郎の悪婆とはちょっと違うと云うことなのですが、それじゃあ具体的にどこが違うかと云うとフィーリングみたいな漠たる話になりそうです。ともあれ、うんざりお松ではやはり愛嬌が重要な要素になるでしょう。今回(令和5年4月明治座)の孝太郎初役のうんざりお松ですが、孝太郎に十分な技芸があることを認めた上で書くのだが、吉之助が見たのが初日(8日)のせいもあったと思いますが、まだ余裕がなさそうな印象でしたね。「こんなはしたないことしてよいのかしら」みたいな遠慮(と云うかためらい)を感じるところがあったようです。ここは思い切って愛嬌を前面に押し出すことで・女形があられもないことをする申し訳を付ける・そんな感じで、うんざりお松には大義はないのだけれど、出来るだけ悪婆の領域に迫ることが必要だと思いますね。まあ回数重ねることで良いものになるだろうと思います。

(R5・4・15)





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