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五代目菊之助の魚屋宗五郎

令和4年6月博多座:「魚屋宗五郎」

五代目尾上菊之助(魚屋宗五郎)、四代目中村梅枝(女房おはま)、初代市村橘太郎(父太兵衛)、五代目中村米吉(召使おなぎ)、初代中村萬太郎(小奴三吉)、九代目坂東彦三郎(磯部主計之助)、四代目河原崎権十郎(家老浦戸十左衛門)他


1)五代目菊之助の魚屋宗五郎

本稿は、令和4年6月博多座での、菊之助主演による「魚屋宗五郎」舞台映像の観劇随想です。明治10年頃から20年代に掛けて、歌舞伎の高尚化というお題目を掲げて、荒唐無稽を排除し・史実を尊重しようと云う演劇改良運動の嵐が吹き荒れたことは御存知の通りです。この時・旧弊の権化の如く・槍玉に挙げられたのが、黙阿弥でした。多分明治20年頃の話だと思いますが、或る日、演劇改良運動の急先鋒・依田学海(よだがっかい)が楽屋を訪れて、例によって黙阿弥批判をまくし立てていたところ、見かねた或る人が、「依田さんはそう仰いますが、活歴なんかより、黙阿弥の芝居の方がずっと面白いじゃないですか」と抗弁したらしいのです。すると学海は相好を崩して、「そうさなあ、魚屋宗五郎が禁酒を破って・だんだん酒に酔っていくところなどは、なかなかあんな風に書けるものじゃないよなあ」と言って笑ったのだそうです。芝居好きの顔になっていたそうです。だから学海はちゃんと分かっていたのです。黙阿弥の芝居が面白いのは認めるが、しかし、それと俺の信条・立場は別だと云うことです。こういう輩は厄介ですなあ。

そこで酒乱の癖を持つ宗五郎が酒を飲んで・だんだん人が変わっていく場面(シーン)のことですが、今回(令和4年6月博多座)映像を見直してみても、この場面は実に上手く書けていて、黙阿弥の名場面は数多いと言えども、段取りの自然さ・写実の巧みさ(写実度)と云う観点で、これ以上の出来のものを他にちょっと思い出せない気がしますねえ。宗五郎だけではなく、周囲の人物の性格がしっかり描き分けられて、それぞれの絡みが実に面白い。下座が芝居の段取りと・これほど見事にシンクロしているものも他にないように思われる。やっぱり黙阿弥は上手いもんだなと・感心しきりでありました。それもこれも今回の舞台の出来が良かったからだと思います。

菊之助の宗五郎は本興行としては今回が初めてですが、平成27年(2015)11月巡業が初役であったので、これが二演目になります。巡業の舞台を吉之助は見ていませんが、その時は品行方正な菊之助と宗五郎の酒乱のイメージが合わさらず・可愛い魚屋さんになっちゃわないかと心配したものでした(失礼!)。仁(ニン)にあるのないのと、当時は口さがない声も聞きましたが、令和4年(2022)の今となったら、そんな失礼なことを思う輩はもうおらぬと思います。この数年で菊之助は芸格がぐんと大きくなって、目を瞠る成長を見せました。菊之助45歳の宗五郎は美しい。美しいというと・もしかしたら市井の魚屋に相応しくない表現かも知れませんが、確かに生活感とか脂ぎった体臭みたいなものは未だしです。しかし、そう云うものは菊之助がこの役をあと10年も演じ込んでいけば自然と身体から発散されるものです。菊之助45歳の身体から発散されるものならば、今はこれで良いのです。芝居で「美しい」ということは、正しいということです。芝居では正しければ、酒乱でさえも美しく見えます。菊之助は正しい芸の過程を踏んでいると思いますね。(この稿つづく)

(R4・9・16)


2)アンサンブルの成果

このことは本サイトで何度か触れましたが、世話物「らしく」みせようと演技を「軽い」感覚で処理しようとすると、役の肚(性根)が弱くなって、却って世話のリアリティが失われてしまうことが起きやすいのです。こうなるのを防ぐには、丹田に息を詰めて構えることを心掛ける必要があります。「肚」の持ち方が大事なのです。肚とは、役の解釈・役に成りきるという方法論ですが、「ハラ」と呼ぶことでも分かる通り、丹田に息を詰めて構えると云う身体論と表裏一体にあるものです。

菊之助の宗五郎が見事なのは、役の性根を正しく掴んでいることはもちろんですが、丹田に息を詰めて構えることがしっかり出来ているからです。台詞のひとつひとつが、感情の裏打ち(実・じつ)を以て発声されています。近年の菊之助の充実ぶりは、ここから来ます。身分差から来る憚(はばか)りと磯部公に対する恩義から抑えつけていた内心の憤(いきどお)りが・酒を重ねるに連れ・表に出始める過程を、菊之助はしっかりと描きました。

『何だって妹を殺しやがった。妹は木偶(でく)じゃねえんだ、人間なんだ。あのお蔦にはナ、れっきとした親もありゃあ、兄貴もいるんでエ。誰に断って殺しやがった!』

現代の観客はこの台詞を至極当然に聞くでしょうが、これは江戸の世にあっては、肚のなかにあったとしても、決して言えなかった台詞でした。「魚屋宗五郎」は明治16年(1883)5月東京市村座の初演ですが、黙阿弥も、もし17年前であったならば、芝居であっても書けなかった台詞でした。それを酒のせいにしてでも宗五郎に言わせたところに、明治期の黙阿弥の真骨頂(新しさ)があるのです。依田学海だって、立場上認めなかっただろうけれど、このことは分かったはずです。

ですから宗五郎が怒るのは、直接的には「妹が殺された」ことに違いありませんが、決してそのことだけで宗五郎は怒ったわけではないのです。殺された理由がそれならば仕方がないと思えるものならば、宗五郎は怒りを飲み込んだでしょう。宗五郎が怒りが爆発するのは、その理由が断じて納得出来ないからです。磯部公がそのような無謀な振る舞いをした背景に、身分社会の理不尽な論理があることを宗五郎ははっきり意識しています。身分が高いからって何をしても許されるのかと云うことです。吉之助は、黙阿弥がこの芝居の主人公を「宗五郎」と名付けたのには、意図があると思っています。黙阿弥は宗五郎の酒乱の荒れのなかに御霊神としての佐倉宗五郎を重ねているのです。(別稿「荒事としての宗五郎」を参照ください。)菊之助の宗五郎は、演技の段取りが正しく取れているから、そのことをはっきり実感させます。それは目付きや気迫に表れています。

宗五郎内の出来が良いのは、菊五郎の宗五郎だけでなく、梅枝の女房おはま以下、共演の役者たちが等しく頑張っているからです。菊之助に合わせたひと廻り若い配役ですが、十数年後でもこのメンバーでして欲しいような、配役バランスとテンポの良さがありますねえ。それが全体を引き締まった印象にしていると思います。強いて言うならば、これは菊之助の宗五郎にも云えることですが、台詞をもうホンのちょっと低調子に置いてくれると、さらに芝居の据わりが良くなるだろうと思いますがねえ。世話物・特に音羽屋系統の世話物はやはり低調子が基本なのです。しかし、この若いアンサンブルであれば・キーの凸凹が目立つわけでもないので・全体に調子が高めでもあまり気になりませんでしたが、まあ十数年後にこのメンバーでやるならば、調子も自然なところに落ち着くことでしょう。

テンポが良かった宗五郎内と比べると、後半の磯部邸(玄関先と庭先)は、若干問題がありそうです。全体にテンポが間延びして、宗五郎内との印象の落差が大き過ぎるように思います。場所が武家屋敷であるから・ここは時代にして・宗五郎内の世話と対照を付けようと云う意図かも知れませんが、余計な配慮だと思いますねえ。もっとサラリとやって欲しいと思います。特に権十郎の家老十左衛門の台詞が、えらく大時代に粘ります。恐らくこれは武家の論理の偽善性を強調するために(宗五郎も聞かずに寝てしまう程度の内容だと)意図的にそうしているのだろうと推察はしますが、菊之助の宗五郎のテンポと、まるで水と油ですね。そこまでする必要はないと思います。まあ吉之助も個人的には、ドラマは宗五郎内で終わっており・このように宗五郎夫婦がぺこぺこ畏まる形で芝居を締めざるを得ないところが黙阿弥の限界かななどと思ったりもしますが、もう少し良い工夫はないものかねえと、今回もそこのところはやっぱり疑問が残りました。

(R4・9・18)



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